――東地区の住民は至急―― ザッ ――首都リマの住民の皆様は―― ザッ ――ポドロフ将軍の指示のもと、避難勧告が―― ザザッ「ちょっと、アズマ、助手席でテレビのチャンネル回すの止めてくれない?」 ライトバンの運転席に座る鎖使い、カミトが隣に座る仏頂面の少年に非難の目を向けた。アクセルはべた踏みである。危険な行為だ。「すまないが我慢してくれ」 アズマのほうは、いつも通りの仏頂面で携帯型のテレビをいじっている。 防護服姿のキャプテンブラボーが後ろから映像を覗き込んでおり、ブラボーの隣に座る金髪ツインテール制服少女、ツンデレと、豪奢な身なりのお嬢様、ミコも、釣られてアズマの手元を覗き込んでいる。 そのさらに後ろの席ではシスターでメイドな行かれた格好をした美女、シスターメイがラジオをいじっているが、これは自分の歌が流れているのを聞きつけたためである。横に座る海馬瀬人と虹色髪の幼い少女、ライは迷惑そうな目で彼女を見ている。 最後の一人、真っ赤なジャケットを着込んだしょぼい青年は、膝を抱えて荷物スペースに座り込んでいた。微妙に車酔いしているのか、顔色が悪い。 8人乗りのライトバンは、満員の車体を揺らしながら、吹き飛ぶような勢いでリマ王国首都リマへ続く道を突っ走る。『――リマの市街が炎上しております! 怪物です! 怪物が現れたのです!』 アズマがチャンネルを回す手を止めた。 放送は、謎の怪物の突然の襲来と、民間人が多数死亡していること、軍隊、そしてダークたちがキメラアントと戦っている状況まで克明に実況していた。「これが、あいつらの“思い通り”なの?」 ツンデレが唇をかみしめる。ツインテールが揺れる。「だったら、絶対に許せない」「同志・ツンデレ。気持ちは分かる。だが今は」「勘違いしないでよね」 声をかけたブラボーに、ツンデレは肩を怒らせる。「キメラアントから、無力な市民を助けた後あいつらをボコる。それがわたしたちの最速でしょ? そんなことわかってるんだから!」「す、すまない」 微妙にツンデレっぽいセリフに「素晴らしい」と口中つぶやきながら、アズマはふと首をかしげた。「――どういうことだ」「アズマ、どうしたのだ」 ブラボーと、それにつられてミコ、ツンデレが前を覗き込む。「首都がこれほど混乱状態にあるのに、報道が活発すぎるんです」 アズマは振り返って説明する。「こんな状態では、混乱を避けるために情報統制されていてもおかしくはないし、そうでなくても、とても出歩けませんよ。事実ほかの放送局じゃあ軍からの情報と避難勧告を流しているだけです」 言われて、ブラボーはしばし沈思し。「これも奴らの策だと思うか?」「まさか」 問うたブラボーに、アズマは首を横に振った。「奴らがするとしたら、自分たちを英雄に祭り上げるためでしょうが……稚拙すぎます。これが有効である状況といえば、軍幹部が全滅したときだけです。だけど、避難勧告はポドロフの名前のもとに出されている。この混乱の中でも彼が生きている。だったらこんな小細工意味がないどころか、逆効果だ」「奴らがバカだって可能性は?」 横から口をはさんだのは、鎖使いのカミトである。 アズマはこれに、まさか、と返した。「カミト、あんたが調べても、ソルたちと軍若手のつながりは見えなかったんだろう? それほど隠密に事を運んできたやつらが、こんなところで下手を打つはずがない」「だったら」 運転しながらで思考がまとまらないのか、カミトは厭わしげに眉をひそめた。 それを代弁する形で、アズマは言葉を継ぐ。「こんな放送をして、得をする。そんな奴が居るに違いない」「――そう言えば、おかしくないッスか?」 ふいに奥から声が聞こえた。 収納スペースに収まったレットの声だ。「その放送、中継場所はあちこち飛んでるのに、現場レポーターの声……みんな一緒じゃないスか?」 言われてみればそうだった。 生放送である。動きながら撮っているのだとしても、よく考えれば移動が速すぎる。「そういえば」 レットの疑問に引きずられるように、カミトがふとつぶやいた。「キメラアント。奴らがカピトリーノについたの、早すぎると思わない? 数百キロほど瞬間移動したとでも考えないと、とても計算が合わないくらい」 しばし、車中に沈黙が流れ。「カミト。運転を代わろう。もう充分に休めた。ここからは、どうやら飛ばした方がよさそうだ」 決然と、ブラボーは言った。 さらなる加速と揺れの予感に、レットが小さな声で悲鳴を上げた。 首都リマではいまだ地獄が続いている。 ダークら“ソルの軍隊”、また国軍により、極地では優勢を保っているものの、その影響力の及ばぬ場所では阿鼻叫喚は収まらない。 そして、リマ王国軍も苦境が続いている。 もとより戦闘力が隔絶しているのだ。たとえ弾幕を張ったとしても、毒の弾丸で狙撃しても、ブービートラップにハメても、空中におびき寄せてタンクの砲撃を浴びせたとしても、それでもなお動く怪物相手に、いかなる手段を用いて戦えばいいと言うのか。 兵隊長クラス以上のキメラアントに対しては常に劣勢を強いられ、部隊一つが壊滅することも稀ではない。 そんな状況にあって、それでも古つわものに支えられたリマ王国軍は奮戦を続けていた。「――変だ」 長身長髪の元軍人、ダークは訝しげにつぶやいた。 近辺のキメラアントの始末をつけたところで、周囲に敵の姿はない。“ソルの軍隊”は首都リマを南から侵入し、中央目抜き通りにまで達していた。 隊列を為す哀れな同朋たちは、慣れたのか、それとも恐怖することに疲れたのだろうか。虚ろな目で整然と隊伍を保っている。「おっと、なにがです?」 ああああが、てしと額をたたきながら尋ねた。 彼の念能力は、“六面俯瞰(キューブサイト)”。視界に納めた対象を六方向から視ることができる能力だ。キメラアントの襲撃に備え、隊列を自在に動かすために欠かせぬ能力である。「王国軍の活動が活発すぎる。軍部の中枢を叩かれたにしては、部隊の動きがまともすぎねえか?」「ははあ。言われてみりゃー……指揮系統が混乱、ってーのは無さそうですなっ」 司令部にキメラアント襲撃の痕跡があるのは、ああああの“六面俯瞰(キューブサイト)”で確認している。 であれば若手将校のクーデターも実行されている可能性が高い。 両者の攻撃をしのぎ、この戦闘の指揮を執っているとすれば。 ――しぶとい。 と言うほかない。「ま、キメラアントが予定の、軽く五倍はいるんだ。むしろありがたいか……アフォー、キメラたちのほうはどう動いてる? オーラの強い奴だけでいい」「了解っ! ふーむ」 唸りながら、中肉中背の楽天家は瞳にオーラを集めた。「師団長クラスと思しき個体、スラムに一体、王宮に向かう一体、王国軍と遊んでいるのが一体、といったとこだーね。 それぞれ部下が居るっぽいんだけど……適当に暴れさせてるだけだねありゃ。あとリマ市中トンボだらけだ。まいったネ」「探知系の念能力だな」「あい」「なら、俺様たちの動きも知れていると思って間違いはねえな」「そりゃあそうだ」「なら、そろそろ向こうからのリアクションがあるだろうよ。気をつけとけ」「あいあいさー!」 ああああが大仰に敬礼して見せた直後。「――と、このタイミングで出にくいんだけどよぉ」 突然、ビルの合間から声が飛んできた。 銃声と悲鳴飛び交う戦場にあって、この声は静かでありながら不思議とダークに届いた。聞き覚えのある声だ。「その声は、フォックスか」「その通りだぜぇ」 ダークはその返事を、淡い驚きをもって受け止めた。 無理もない。NGLに入ったまま音沙汰もなく、とうに死んだと思っていた人間なのだ。「ふぉっくすぅ?」「そっちに伝わってなかったかぁ? ったく、ひとが命懸けでキメラ連れてきてやったってのによぉ」 ああああの驚きに、ふてくされたような声が返ってくる。 ダークにはこれも意外だった。キメラアントをリマ王国に導いたのは、同志でありソルの片腕だったレフだと思っていたのだ。 そこでダークは、ふと、ある可能性に気づいた。「姿を見せろ。声だけじゃお前かわからん」 遅ればせながら、ダークはそう命じた。 彼の言を信じるなら、フォックスはキメラアントと直接会っている。 キメラアントたちの念能力には、未知なものも多い。オウムに類するキメラアントであれば、声をまねることも容易いはずだ。「用心深ぇな」 その声音にはむしろ面白がるような響きがある。 ほどなくして、声の主はビルの陰から姿を現した。 小麦色の金髪を背中まで伸ばした、顎のとがったキツネ目の青年だ。 身を隠していたのと、本人証明のつもりだろう。青年は“絶”でオーラを絶っている。未知のオーラの痕跡はない。ダークは彼がフォックス本人だと確信した。「よう、久しぶりだな。フォックス」「奴らを連れてくるには手間が折れたぜぇ、ダークさんよぉ」「そうだな。少々予定は変わったが……よくやってくれた。礼を言うぜ」 歩み寄り、男たちは不敵に笑い合う。「それに、よく来てくれたな。助かるぜ」「当然だろうがぁ。オレが来ねぇでどうする」 もとよりこの二人はガラが悪い。 双方ポケットに手を突っこんだままなので、まるでヤンキーのにらみ合いのようになっている。「そういやレフの奴がNGLのほうに行ったんだが、お前、見てねえか?」「さあなぁ」 ダークの問いに、フォックスはふいに口の端を釣り上げた。「いまごろ冥途で寝ぼけてんじゃねぇかぁ?」 見た者の背筋が凍る。 口を耳元まで裂けさせたような、おぞましい笑み。「なに――?」 油断である。 ダークは相手が仲間だと確信した時点で、彼に敵意がないことを疑わなかった。 それは間違いだ。仲間でも友人でも、はては家族の間でも、悪意をもって害されることはあるのだ。 だからフォックスの接近を許した。 そしてもはやすべてが遅い。「てめぇも死ねよ」 言葉とともに送られた拳は、いとも容易くダークの腹を貫いた。 ダークの背から生えた手は、鋭い爪をもち、獣毛に覆われている。 フォックスの姿は、狐にも似た獣の姿に変わっていた。 背は金色、腹側は純白の体毛。耳は尾のごとく長く後ろに伸び、太い尾が、乱暴に地をなでている。オーラが、爆発のように広がった。「ぐっ、て、てめえ――狐が化けてやがったか」 口から血を吐き、ダークは歯噛みする。 キメラアントの姿に戻ったフォックスが、三十日月のごとく目を細めた。「狐が化けるか。凶狸狐だよ――いや、フォックスだけどなぁ」 言われて、ダークは理解した。 フォックスが女王に喰われたこと。 凶狸狐のキメラアントとして蘇ったこと。 そして彼が、ダークたちとは別の野望を持ってしまったこと。「オレもてめぇには散々恩を受けてるからなぁ。不意打ちの命令で殺されちゃたまんねえんだ」「てめぇ……“フォックス、死ね”!」 血を吐きながらの短い命令は、しかし効果を発揮しなかった。 フォックスの念能力によって、ダークの念は無効化されたのだ。 “尽忠報恩(インビジブルコントラクト)”の効果を消された哀れな同胞たちは、しかし誰一人として動けなかった。 戦うにも逃げるにも、あるいは命乞いするにも、フォックスの放つオーラはあまりにも凶悪で、凶暴で、絶望的だった。 フォックスは狂笑を浮かべて吠える。「テメーさえがいなけりゃ、たとえソルでももう怖かねぇ! これでオレが王だぁ!」 耳を覆いたくなるような笑いを轟かせながら、フォックスは宮殿に向けて一直線に駆けていった。 残された同胞たちなど、まるで眼中にない。おかげで彼らは命びろいした。「ダークさんっ!」 ふたたび大量に血を吐いたダークに、思い出したようにああああが駆け寄る。 腹から背中まで通る巨大な穴。そこにあるべき臓器はなく、あふれる血は止まらない。誰が見ても致命傷である。「ふん……こりゃあ死ぬな」 自覚しながら、ダークはむしろ淡々と言った。 キメラアントと戦うのだ。元より死は覚悟していた。 だが、また裏切られ、挙句に死ぬというのは、なんとも皮肉な話だ。 ――ソルよ、どうやら俺様はそんな星の下にあるらしいぜ。 笑っても、心の中のソルは笑ってくれない。 当然だ。キメラアントによる災厄を引き起こしておいて、始末も付けず、無責任に逝くのだ。「ダークさん、ダークさんっ!」 ――わかってるぜソル。でも、いまさらなにができるってんだ。 すでにダークは仲間の姿を見ていなかった。 彼の目に映っているのは記憶の風景。自らが引き起こしてきた惨劇。 炎の地獄。子をもとめ駆けまわる母親。泣く子供。 そこらじゅうに転がるミンチのような人の残骸。怒号。絶叫。 硝煙と炎の香り。 ダークが記憶として知る懐かしい香り。 混濁した意識の中で、ダークは、最後に自分がなすべきことを見いだした。「勝手だが、押しつけるぜ……野郎共、俺様の“最後の命令”だ」 うつろを眼に映しながら、ダークは言う。 眼前に迫った死に抵抗するように、膨れ上がるオーラは、執念のように同胞たちにまとわりつく。「民を守れ。そして自分の命を守れ……以上、だ……」 ダークの言葉はそこで途切れた。 黒い瞳には、もはやなにも映っていない。 ダークは死んだ。 だが残されたものに、悲痛に暮れる暇はなかった。 ダークの、命を込めた最後の命令は、問答無用で彼らを突き動かす。 彼らはもはや泣いていない。 命令に縛られ、逃げることはできず、また逃げてもキメラアントの餌食にしかならない状況で、戦闘の要のダークを失って初めて、彼らは心の底から必死になった。 泣いている暇はない。泣く余裕もない。 自分の命すら守ることが難しいこの地獄で、彼らは無力な人間すら守らなくてはいけないのだ。「みんな、ダークの命令を聞いたな? さあ行こう。民を守れ、自分を守れだ! 大丈夫、なんとかなるさ、あんたはあんたを信じなさいってやつだ!」 努めてか天性か、ああああが気楽に言った。 地獄の中で、彼の明るさは一種の救いである。 これよりああああ指揮のもと、“ソルの軍団”の行動はキメラアント討伐ではなく、民衆の防衛にシフトする。 午後9時を回った。キメラアントの襲撃、その最大の激戦地となったのは王宮だった。師団長率いるキメラアント達の攻勢に、王宮直営の護衛兵たちは、大量の出血とともにじりじりと戦線を後退させられていった。「よう」「おおポドロフか」 王座にて近衛兵に守られていたリマ国王は、ライフル銃を肩に担いだ軍服姿の老友の姿を見て立ち上がった。 王座はフロアよりも3段ほど高い位置に作られている。そこに上る階段に、ポドロフは腰をかけた。胸ポケットから煙草を取り出し、ポドロフは火をつける。 この暴挙に、近侍の兵の顔が蒼くなった。しかし王もポドロフも平気な顔である。「悪いのかね、情勢は」「ぼちぼちかな。まあ、40年前ほどには、しんどそうだ」 ポドロフは紫煙を吐いてから、王の問いに答えた。 40年前、と聞いて、王がひどく懐かしげな顔を見せる。「あのときお主は殺されるところだったわしを背負って戦ってくれたな」「さすがにあの時ほどの馬力はねえよ。こちとら、おい、80の爺だぜ」「それを言うならわしも70すぎの爺だよ。近頃は足元もおぼつかなくてな」「そりゃあ、国王よ、あんたが肥ったからだぜ。なんだよその腹は。子供でも生むつもりかよ」「置け。こういうのはな、貫禄があるというものだ。お前なぞ、見てみろ、鶏がらのようではないか」 軍の最高指導者と国王の会話に、近衛兵たちは赤くなったり青くなったりしている。 外向きにはたがいに敬意を払い続けてきた二人だけに、こういう稚気のある姿を他人に見せるのは、実は初めてである。「まあ、なにがあろうとあんただけは守って見せるさ。軍棋で言えば、あんたは王だからな」「例えずとも王だと言うのに……懐かしいな。あのときもそう言って守ってくれた」 ポドロフは近衛兵の幾人かを引き連れて、王に背を向けた。 防衛線は下がり続け、王の近衆を借り出さねばならぬまでになっている。「体を厭えよ、ポドロフ。わが友よ」「あんたもな、国王。愛すべきわが盟友よ」 すり消した煙草を胸ポケットに入れて、ポドロフは後ろ手に手を振った。 キメラアントの王フォックスが炎のごとく王宮に攻め込んだのは、この5分後だった。