雨は降り続ける。 地にまき散らされた王の血がことごとく洗い流されたころ、王の遺骸を前に不動であったネテロは仲間たちに向けて表情を崩し、言った。「さて、戻るかね」 ネテロの言に従い、ほとんどの人間が“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”内に移った。 ユウたちもである。 王が発したオーラの圧力により、建物は全壊している。集落内に休める場所はなかったのだ。 天衝く巨人の足跡のようにすべてを踏みにじられた集落を見やって、ユウは思う。 ──もし、王が問答無用だったら、みんな殺されてたな。 ただ当たり前の実感を口中つぶやき、ユウは“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”に身を沈めた。 雨音は次第に増していく。 動かぬ王の前に、腰を落としてしゃがみこみ、動かぬものがいる。 ナックルである。「おう、王さまよ。てめえはどんな奴だったんだ?」 もの言わぬ骸に、問いは落ちる。 キメラアントを討伐することに、ナックルは反対だった。 はぐれ者だから。外れ者だから。 そんな理由での討伐など、許容できるものではなかった。 むろん彼は知っている。 王という生物が、同族すら喰らう非情の業を負う、人類の敵であることを。 だが、ナックルは王と戦っていない。理解していない。「本当に──コラ、毒ゥ使ってでも殺さなきゃなんねぇ、そんな奴だったのかァ?」「そんな奴さ」 答えるもののいない問いに答える者がいた。 メレオロンである。 雨の中、火のついていない煙草をくわえて、カメレオンの特徴を持つキメラアントは視線を王から離さない。「すくなくとも、オレにとってはな……それじゃ不足かい?」 人であったときの里親、ペギーを目の前で殺され、喰われた。 その事実がある限り、メレオロンは王とともに天を戴くことはできない。それこそ、どんな卑劣な手段を以てしても。「──いや」 ナックルはかぶりを振っって立ち上がる。感傷を振り払うかのように。「すまねぇな。オメーらに当てつけたわけじゃねぇんだ。実際オメーらはスゲェ。 腹ァ立ってんのは不甲斐無ェオレにだよ」 そんなことはない、と誰もが言いたかったに違いない。 数十に及ぶキメラアントたち相手に勇戦し、その負債を抱えてなお、ナックルは王と戦う覚悟を決めていた。 予想外に早い王の脱出と、メレオロンの参戦が、ナックルからその機会を奪ったのだ。 王を見据えつづけるナックルの肩を、相棒のシュートが叩いた。 思いを同じくする。そんな表情だった。 三人はおなじ表情を浮かべ、その姿も、やがて雨中に没した。「それにしても、よく毒が効いてくれたな」“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”の一室に移動したユウは、しみじみとつぶやいた。「効くだろうさ。王だって生物だ」 と、答えたのはアズマである。ユウの横で彼女の相棒、シュウがむっと口をへの字にした。「ただ、王の胃は念能力に深くかかわっているからな。不安はあったが、そのあたり、エロ医者──ヘンジャクも心得ている。おそらく選んだのは胃液に反応して出たガスで肺から侵す──青酸カリに近いタイプの毒じゃないかと思う」「そういや効き目も早かったしな」 暗殺者の記憶を持つユウは毒に詳しい。納得げにうなずいた。 それが面白くないのか、シュウはいち早く床に座り込んでしまう。 ユウは苦笑してそれに倣った。 腰が落ちると自然、睡魔が生じた。当然だった。女王討伐作戦から精神と体力を削りつづけてきたのだ。 部屋に腰を落ち着けるもの。仲間に庇われ治療に向かうもの。重傷の仲間を見舞いに行くもの、ずぶ濡れで戻ってくるもの。 それらをまどろみの中で映しながら、ユウは眠りに落ちた。 ユウが再び目を覚ましたとき、部屋はあわただしい空気に包まれていた。 あちらからこちらへ、医療機器と思しき機材が流れており、白衣を着た一団がそれを指揮している。 キメラアント研究チームが引き上げているのだ。 その光景をぼうっとながめていると、ほかの人間も順に起きだしてきた。見れば、ほとんどの同胞が顔をそろえている。 彼らとあくび混じりのあいさつを交わすうち、ネテロが姿をあらわした。 拳で肩の凝りをほぐしながら、ユウたちを見まわすと、ネテロはやわらかい笑みを浮かべ、言った。「みな、御苦労じゃったな」 言葉がユウの胸に深く染みる。 安堵がさざ波のように、仲間へ広がっていった。 キメラアントに関する一連の災害、その収束を、ネテロの言葉は示していた。 それからユウたちは、会長が施した処置と事後処理について説明を受けた。 まず降伏したキメラアント数十体、および女王が産んだもうひとりの仔については、モラウが責任をもって保護することを誓った。 かわりに彼らに対して、特別保護区から出ず、人を喰わないことを約束させている。これは彼らの存在を秘匿するためにも必要な処置である。 つぎに、女王のくびきを離れ、巣を去ったキメラアントたちに関しては、心配することはない、とネテロは言った。「王死す」の報を受けたハンター協会──というより副会長派が、本格的に腰を上げたのだという。「この件を無事納めれば、ワシの動きを邪魔したあやつの失点が浮き上がるかたちになるからの。協力したという格好だけでも作って帳尻を合わせるつもりじゃろう」 ネテロは鬚をしごいて意地の悪い笑みを浮かべた。 帳尻とは言うが、逃げたキメラアントたちの数は百近い。多数のハンターを動かせるとはいえ、流血は避けられないだろう。 もっとも、それは副会長派の実力者たちのものではありえないが。 おそらくたとえ討伐に失敗しても、彼らの身は痛まない、そんな配慮までしているに違いなかった。「大半のキメラアントは東南に逃げたらしい。それを迎撃するために、国境にハンターたちを集めているようじゃな」「あちゃ」 と、ライが顔を手で覆った。「カチ合ってないといいけど」 言葉の意味を理解できるものはこの場におらず、みな聞き流した。 ネテロの説明により重要な問題を見出したためである。 「そういえば、外で戦ってたキメラたちも、そっちへ逃げてったな」 思い返しながら、ユウは疑念を口にする。「でも、まとまって、ってのもおかしな話じゃないか? 女王が死んだら上位のキメラアントたちはそれぞれ“王”を目指すんじゃなかったか?」「それを──主導した者がいる」 低い声が飛んできた。 医師団に混じって現れた白虎の姿を持つキメラアント、パイフルのものだった。 彼に続いて深緑のキメラアント、ジョーが、シーツにくるまれたマツリを抱えて現れた。 危険な事態を脱したらしい。マツリのほほには血の気が戻っている。それを確認してから、ユウはパイフルに説明を促した。「キツネ──“最古の三人”のひとりだ。やつは女王健在の折から自分の手足となる集団を組織していた。女王になにかあれば、自分の集団に合流するよう声をかけてもいたようだ」「なるほど」 ユウはうなずいた。「そいつ──キツネは女王が死ぬことを知っていた。だからその後のことを用意していた……やはり同胞。あんたらがパイフルとジョーだから、自動的にマト、になるのか?」“最古の三人”が女王に返り討ちにあった同胞三人であることは、事情を知る者にとって共通認識だった。 だが、パイフルとジョーはたがいに顔を見合わせた。「まさか」 かぶりを振ったのはパイフルである。「マトは、キツネのような奸悪の性ではない。性格に多少問題はあったが、方向性が全く違う」「ぶっちゃけ女の前以外ではフルオープンにスケベやったんやけどな。自称“いろんな意味で紳士”やもん。でもええ奴やったで」 パイフルがぼかした言葉を、ジョーがぶっちゃけた。 その時、マツリのシーツが持ち上がり、こぼれ出たジョーの肩をトントンとたたいた。「ん? なんや?」 触手は黙って己を指す。しつこく指す。ひたすらに指す。「……まさか、お前がマトさんやっちゅーんか?」 不審げな声でジョーが尋ねる。 ヤドカリから生えた八本の触手がそろってうなずいた。「んなアホな」「いや……そうか」 かぶりを振ったジョーに対し、パイフルは腑に落ちるところがあったようだ。「私がこの体で初めて目を覚ましたとき、さきに生まれたものの痕跡があった。だが女王はなにも言わなかった。てっきり死んだものと思っていたが……いち早く自我を取り戻して逃げたのか」 甲殻を持つキメラアント、マトはその触手を使って肯定の意を示した。「礼を言う。私は危うく同胞殺しになるところだった」 パイフルは腹をさすりながら目を細めた。 一方、ユウはこの話題を追及することに不吉な予感を覚えていた。 触手にはバッチリ自我がある。 中身は自称紳士の変態。 治療と同時に服を溶かす念能力。 蘇生した時ユウは素っ裸になっていた。 キーワードからは、不吉なものしか連想し得ない。 想像が実像を結ぶまでに、ユウは思考を切り替えた。自己防衛本能である。さいわいにも目の前に疑問が生じた。「なら、キツネ(あいつ)は何者なんだ?」 マツリの仲間のいずれでもない、第四の同胞。 その正体に、ユウは思い当たらない。ただ、女王を事前に討つことを考えたものが、ほかにもいたらしいとは想像できた。 それが本来あり得ない知識をもって、野望をたくましくしているであろうことも。 ともあれ、このあと事態がどう推移するにしろ、舞台はNGLの外に移る。 本来の目的──セツナやマツリたちの開拓した町を守るために、ユウたちも戻らねばならなかった。 ブラボー、シュウ、アズマ、ツンデレ、ミコの五人は、正面からNGLに入っているので、出国にも正規の手続きを要した。ブラボーの負傷は軽くはなかったが、彼は「時間を浪費している暇はない」と、出立の口火を切った。 ポックルとポンズもNGLを出る。一足先に出国した仲間たちと合流して、また四人で辺境を巡るらしい。 去り際にライと固く握手するポックルと、それに複雑な表情を向けるポンズが、ユウの印象に強く残った。 さきに出発したシュウたちと合流場所を決め、ユウとライの不正規入国組は、ノヴの助力を得て一足先に出国することにした。 入院が必要だったマツリも一緒である。「マツリを、よろしく頼む」 パイフルは頭を下げ、マツリを託した。 患者が戻るため、神医ヘンジャクとレオリオもユウたちとともに出国することになった。 レオリオは年少の友人たちとひとしきり話してから、からりと笑って別れた。「患者が居るんだ。ほっとけねぇよ」 そう格好をつけたレオリオだったが、患者が美少女でなかったら、去る足はもっと重たいものであったに違いない。 そのゴンたちは、残ることを決めている。「納得するまで、見ていたいから」 すこし見ない間にまた一回り成長した少年は、ユウにそう説明した。 キルアもカイトも異論はないようだった。 ナックル、シュート、モラウの師弟三人は、女王の仔とそれを慕い守ることを決めたキメラアントたちとともに、やはりNGLに残った。 ネテロ会長、ノヴとその弟子パームも、経過を見守りつつ、NGLと外を往復することになるようだ。「いずれ、改めて」 と、だれもが言った。 再会の、そして返礼の約束だった。 別れるすべての者に挨拶を済ませ、帰る段になって同行者が増えた。 飛蝗の姿を映す深緑のキメラアント、ジョーである。「マツリもこんなんなっとるし、一人くらいセツナに説明するやつが要るやろ。はぐれ者がおったらコルトらも迷惑やろしな」 ジョーはそう言ってパイフルらと別れた。 キメラアントの表情はユウにはわからない。 そしてユウはNGLを出た。 口を突いて出た言葉は、期せずしてほかのふたりと同じだった。「外だ」 ユウは自然、虚空に手を伸ばしていた。 硬く握られた拳に掴んだものは、彼女しか知らない。 ユウの出国より一日半後、NGL国境に到達したキメラアントの集団は、迎撃にあたったハンターたちと衝突する。 キメラアントの特性を殺し、効率よく狩るために組織されたハンター集団は、しかし十全に機能することなく壊乱した。 想定外の異物が割り込んできたからである。 異物はハンター、キメラアント両陣を等しく撫で斬りにしながら、もっとも強力なオーラを持つキメラアントと戦い、ついには屠った。 混乱のうちにハンター集団は壊滅し、キメラアントたちも半ば逃げ散った。 あとに残ったのは、たがいに数十を数える人間とキメラアントの死体のみ。その幾体かには、さして鋭利にも見えぬカードが突き刺さっている。 災厄の主が最後に倒したのは、獅子の姿を持つキメラアントだった。 そこから数十キロも離れたとある街の郊外で、こんな通話があった。「お待ちしておりました。この番号を知っている、と言うことは、フォックスさん、あなたですか」「ああ。出迎え御苦労。ヤツに伝えてくれ──祭りの始まりだ、とな」 NEXT Greed Island Cross-Counter“王国”編