紫煙が部屋いっぱいに膨らんだ。 急激に広がった空間の中に、ネテロたちの敵は居た。 ネフェルピトーとシャウアプフ。猫と蝶の特性を持つキメラアントたちだ。 二体はネテロと、そこにならぶ存在に目を見開いた。 白虎のキメラアント、パイフル。 そして横にはバッタの甲殻を鎧うキメラアントがいる。 ゴンとキルアの姿を見て、思い出したのだ。おのれが何者であるかを。自分が為すべきことを。 だから彼はここにいる。「ジョー」 と、パイフルは深緑のキメラアントに呼びかけた。 それは女王を倒しにNGLへ向かい、帰ってこなかったマツリたちの仲間の名である。 無言でうなずいて、ジョーは構えた。 静かに、パイフルも構える。「おまえたち」「王に敵する気ですか」 ネフェルピトーが目を細め、言葉を継いだシャウアプフは目を細めた。 オーラは剣呑。だが、パイフルは揺れない。大きく裂けた口で不敵に笑う。「我らには我らの王がいる。我らの王の安寧のため、あなたがたには死んでもらう」 ふたつのオーラが爆発的に膨れ上がった。 直属護衛隊とて到底無視できるレベルではない。 ネテロが前に出て言った。「おぬしらはそっちの蟻んこをたのむ」 目で促したさきにはシャウアプフがいる。 そのシャウアプフはネフェルピトーに対して言った。「ピトー。時間を稼いでください」「わかったよ。何とかする」 シャウアプフが退く。 ネフェルピトーが前に出る。その背から人形の姿がわき出た。 姿は操り人形。その糸は術者の手足に伸びている。「“黒子夢想(テレプシコーラ)”」 鳶色の瞳が霞を帯びた。 同時にネテロも戦闘態勢を完了している。 胸元で合掌。背負ったオーラが千手観音の姿を映す。 ──“百式観音”。 パイフルが静かにつぶやいた。 彼を一撃で死の淵へ追いやったネテロの念能力だ。 つぎの瞬間、一人と一体は交錯した。 百式観音の掌とネフェルピトーの手足が、瞬息のうちに七度ぶつかり合う。 八度目の攻防で双方の体がはじけ飛んだ。 たがいに壁を地面として跳躍。再び拳を合わせる。 掌脚の嵐が部屋の中場を埋めた。「ジョー。すまんが盾になってくれ。私はプフどのと戦う」 三人を足止めしろ、と言われた限り、ネフェルピトーはプフを守るだろう。 敵のもとに向かうパイフルを、ネフェルピトーは必ず妨害してくる。その足止めを、ジョーに頼んだのだ。「まかしとき」 ジョーは苦笑にも似た息を吐いてうなずいた。 だが、その作戦は叶わなかった。 ネフェルピトーは無理やりにでもプフとの間に身を割って入り、崩れた体制からですらネテロの、パイフルの、ジョーの攻撃を止め、弾く。 死角はなく、動きには熟練すら感じる。「こ奴。練れておる」 感心したように、ネテロはちいさく鼻を鳴らした。 地上では、モラウが“監獄ロック(スモーキージェイル)”の維持に努めている。 ひと先ず死地から脱した。 ユウは息を吐いた。伝染したようにシュウも息を吐く。あとは虚脱して動けないようだ。「マツリ……さん」 疲れきったような声で呼びかけたのは、ツンデレである。 彼女を守るために、マツリはあのような無残な姿になったのだ。 ユウは眼を閉じて苦いものをかみしめた。 ほんのすこしでも到着が速かったら、助けられたかもしれないのだ。 いや。どの道触手は王に睨まれて逃げただろうし、結果はいっしょだったかもしれない。 そういえばあれはどこへ行ったのだろうと考えていると、ふたたびツンデレの声が耳に入った。「マツリ、さん?」 声が上ずっていた。 ユウは思わず振り返った。 マツリの背中に、ユウの背から逃げたはずの触手が乗っかっていた。 治療用の粘液が漏れている。服が解けて白い肌が見えている。 ユウは思わずうつぶせで倒れているマツリをひっくり返した。 王の尻尾に貫かれ、空洞になっていたはずのマツリの胸を、見たこともない様な器官が埋めていた。 脈をとった。ごく弱いが、そこに脈動を感じる。 「生きてる」 ユウはおもわずへたりこんだ。「お前が助けてくれたんだな」 ユウが微笑みかけると、触手がうごめいた。知性がないわけではないらしい。「とりあえず、医者に診てもらった方がいい。蘇生するのか、それとも生命維持にすぎないのか、わからないからな」「でも、俺のときはそのまま回復したけど」「心臓が破れるような事態じゃなかったろ? 専門家に見てもらった方がいい」「わたし見てもらってくる!」 言うや、ツンデレはノヴに声をかけ、マツリの体を抱えて“扉”に走って飛び込んだ。 ツンデレにとってはおのれの命を投げ出してまで助けてもらった恩人である。気が気でないのも仕方がない。「ユウさん!!」 と、ミコが駆けてきて、ユウに抱きついた。シュウの眉がぴくんと跳ねあがった。「来てくれると信じてました!」 それに対してユウは笑顔を向ける。「ミコが“ハヤテのごとく(シークレットサーヴァント)”を寄越してくれなかったら、間に合ってなかった。お前の手柄だよ」 ユウが頭柄をなでてやると、ミコは照れたように微笑んだ。「王さまたちに“扉”に気づかれないようにするのに、気を使いましたわ」 王に家を潰されたのを好機として、破片の影を縫って小石に擬した念獣を扉に沈めたのだ。とっさの機転は褒められてよかった。「そういやブラボーは? まさか」「あっちで倒れてるよ。信じらんねーけど、生きてる」 言ったのは地面に胡坐をかいているライである。「あ、よ、様子を見てきます!」 慌てたようにミコが走っていった。 それを見送って、ユウは視線を天に向けた。いつのまにか、空の半ばを雲が占めていた。 一部始終を、遠間からのぞく者があった。 シャウアプフである。ただし体が異様に小さい。極端にデフォルメされた、キャラクター商品のようの姿だ。 彼の本体である。とっさに切り離して煙に巻きこまれるのを避けたのだ。「王を閉じ込めた念能力者らしいものは、いない。閉じ込めているのは、あのパイプ。倒すしかありませんか」 ですが、と、シャウアプフは続ける。 視線はライ、モラウ、ユウへと移る。「それには、やはり残している体が必要ですね。ゆっくり、気取られぬように、その限りで全速で戻りましょう。王よ、どうかご無事で」「ヘンジャクさん!」 女王の間に着いたマツリは、居並ぶ人間とキメラアントたちの中から目的の人物を見つけ、駆け寄った。「ツンデレくんか」 振り返った白衣の女は口元を潤びさせた。 久闊を叙する暇もなく、ツンデレは弱弱しく息を吐くエルフの少女を託した。 ヘンジャクの手がマツリに触れる。 ──“死線の番人(グリーンマイル)”。 どのような重傷にあろうとも、死を拒み命を守り続ける神医の守り手だ。「わかった。この娘の命、私が預かる」「お願いします。わたしを助けてくれたんです」 ツンデレは深々と頭を下げた。 そうして振り返ったツンデレは、討伐隊の面子が固まっている場所に、アズマやゴン、キルアの姿がないことに気づいた。ノヴもいない。 戸惑いながら、ツンデレはナックルとシュートに駆け寄った。「すみません。ほかの人たちがどこにいるか、知りませんか?」「ああ。ゴンたちなら、さっき入れ替わりで“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”に入っていったぜ? カイトを止める方法をキメラアントの連中から教わって、安全に医者に診られるようになったからな」「え、と、アズマは」「ああ、あいつなら、ほれ、そっちでヘンジャクさんの弟子と話してる」 ナックルの指さすさきに目をやったツンデレは、女王の間の隅、ちょうど王が開けた大穴のそばでしゃがみこんでいるアズマともうひとり、見知った姿を見つけた。 レオリオである。初耳である。 どぎまぎしながら、ツンデレは小走りにアズマのもとへ走りかけ、足を止めた。“扉”から複数人が出てくる気配を感じたのだ。見れば、ちょうどゴンたちが“扉”をくぐって出てきたところだった。 ツンデレは目を見張った。 ゴンの背には、眠るように動かないカイトの姿がある。 彼女の知識にはない姿だ。じわりと感動が滲みだしてくる。ツンデレは静かに胸を押さえた。「やはー」 ゴンの後ろに続いて現れたシスターメイが気さくに手を上げた。「ツンデレちゃん。わたし腹ァいっぱいだぁー」 ほっこりしている。いいものでも見たのだろう。不謹慎である。 そのあとからキルアとノヴが続いて出てきた。キルアはゴンに目配せすると、一度ヘンジャクのほうをうかがい、彼女の手が空いていないことを確認して、レオリオのほうに走っていった。 ゴンはカイトを背から下ろし、そっと地に寝かせた。宝物をさわるようなしぐさだ。 ややあって、キルアが戻ってきた。 うしろにレオリオとアズマを伴っている。アズマはツンデレの姿を見て破顔した。「大丈夫だったか」「……心配してた?」「信じてた。けど、心配はしてたよ」 微妙にふたりだけの世界である。ツインテールがその存在をしきりに主張している。騒がないのが最大限の譲歩といった風情だ。 カイトの体をひとしきり触診したあと、レオリオは短く息を吐いた。「生体反応は、ある」 レオリオが診察の結果を説明する。「さすがにアタマん中がどうなってるか、こんなとこじゃわからねぇが、とりあえず生きてる」 安堵のため息をついたのは、キルアばかりではない。 シスターメイやツンデレ、アズマ──カイトが頭部を斬られて完膚なきまでに死亡している事実を知っている彼女たちは、より深いため息をついた。 奇跡に感謝する、というより、カイトを修復したネフェルピトーの技量をたたえるべきかもしれない。 だが、どれくらい生きているかは、知りようがない。 植物状態かもしれない。障害が残るかもしれない。カイトをカイトたらしめている大切なものが、失われているかもしれない。 女王の自殺を知っている者たちは、レオリオの言葉に不吉なものを覚えた。「とりあえず、カイトを操っている念。これをどうにかしないと、どの道カイトは死んだも同然だ」 シュートの言葉に、ツンデレは名乗りかけ、それをためらった。 カイトを操っている念人形。それが持つ凶悪なオーラを無力化する自信を持てなかったのだ。 ゴンは静かな目でカイトを見ている。 見る者が見れば、それは頑強極まりないバネが強い力で押しつけられているさまに見えたかもしれない。「考えるまでもないと思うけどね」 不意に、口を開いたのはシスターメイである。みなの視線が彼女に集中した。「いまの状態でカイトは自分の念能力が使えたんでしょ? だったらカイトはちゃんとカイトでいるんだよ。ピトーの念さえどうにかすれば、きっとどうにかなる。それくらいには、カイトを信じましょ」「その念をどうにかするのが問題なんじゃねぇか」 顔を顰めたナックルに、シスターメイは笑った。透明な笑みだ。「──おい、まさか、やめろ!」 彼女の意図に気づいたアズマが声を上げた。 ネフェルピトーが施した念をシスターメイならば、除念できる。 自分と世界との関わりを引き換えに。 以前彼女はたった二度の能力使用でアズマたちの前から消えた。ふたたび戻れたのは奇跡と言っていい。 奇跡は二度起きない。アズマ、そしてツンデレにとって、カイトと引き換えにしていいものではない。 だがシスターメイは止まらない。さきほどとは一転した、にやりとでも表現すべき笑みを浮かべ、叫ぶ。「漢女舐めんな! ゴンやキルアやカイトの笑顔のためなら、自分の存在くらいいくらでも賭けるわ!」 ──“分析解析一析(サンセキ)”。 対象を分析し、解析し、そして分解する彼女の念能力が発動した。 しばらくして、カイトは目を開けた。 彼は半身を起し、見守る者たちをぐるり見回した。そしてゴンと目をあわせると、自嘲と慈愛を混ぜ損ねたような、みょうな笑いをうかべて、ゴンの頭に手を置いた。「──ゴン、つらい思いをさせたな」「カイト」 ゴンは最後まで言葉にできず、泣きだした。 キルアはこめかみを掻き、ナックルはもらい泣きし、シュートはひそかに拳を震わせてそれぞれこのふたりを見ていた。 シスターメイの姿は、ある。消えるには至らなかったようである。彼女は自分のことなど構わず、カイトとゴンを見て半ば恍惚の表情を浮かべている。 彼女の背に、アズマが手を落とそうとして、体を泳がせた。 いきなり胸につき出てきた腕に、シスターメイも驚いてふり返る。 ふたりの目が逢う。 いたずらを見つかった子供のように肩をすくませたシスターメイに、アズマは普段の仏頂面を崩して、眉尻を落とした。「心配させるな」 さりげなく手で表情を隠すアズマに、シスターメイはごめんなさい、と謝った。 ツンデレはその光景に、一瞬だけ、口の端を震わせた。「おい」 と、そこに、背後から声をかけた存在があった。 王たちが閉じ込められたのは、ネテロたちが待っていたそれよりやや小さめの部屋だった。 自分たちを閉じこめる煙の檻を破らんと、モントゥトゥユピーが暴れている。 彼の拳は、煙に埋まるばかりで、いっこうに破れる気配がない。 王はしばしそのさまを見つめて、つぶやいた。「オーラに包まれた煙は鋼の硬さ。衝撃は効かず、圧力にも逃げるのみ、か。なるほど、面白い」 しばらくは物珍しそうに煙の檻を見ていた王だが、やがて飽きたのか、暴れるユピーを静止した。「もうよい。それよりも腹が減ったな」「は、しばらくお待ちを」 ユピーの言葉に、王は軽く首を回した。「余は腹が減ったと言っている」 爛々と光る瞳は、目の前のキメラアントを捉えていた。 モラウが、不意に顔色を変えた。 異常を察知して、とっさに腰を浮かしたのは暗殺者少女、ユウとその相棒、シュウ、虹色髪の幼い少女ライだ。 ミコは重傷のブラボーを看病していたし、ポックルとポンズは外──巣から逃げ散ったキメラアントの来襲に目を割いている。それを除けば残るすべてが異常に反応した。 つぎの瞬間、モラウの“監獄ロック(スモーキージェイル)”がいびつに膨れ上がる。不規則に不自然に複数回跳ね上がった煙の幕が見張り台の高さを超えたとき、“監獄ロック(スモーキージェイル)”はついに破れた。 中から現れたのは、王である。 腕組した姿勢のまま、王は地上に降り立った。 ユウは全力で跳び退った。ほかの三人もそれぞれ王の存在に弾かれるように飛び散った。「ふ。出口さえわかれば脆弱な檻よ」 王はうそぶいた。 ユウは王がやったことを、おぼろげながら理解している。 念弾、か、それに類する中長距離攻撃で出口を探り、そこへ超スピードで跳び上がる。煙は逃げきれずに王を追う形となる。伸びに伸びた煙の幕がもっとも薄くなったところで、これを振り払ったのだ。 むろん条件がある。 攻撃が数メートルの鉄を貫き破る威力を持つこと。そのうえで、逃げる煙を追い越す超ジャンプ力が必要なのだ。 だが、不審がある。 モラウは王を目の当たりにしている。そのうえで、この超越したキメラアントを閉じ込めるに足る厚みの檻を用意したはずである。さすがにそこを見切りそこなうモラウでもないだろう。 モラウの目利きを上回る力を、王は出した。 ──いや。上回り過ぎている(・・・・・・・・)! 戦慄とともにユウはその意味を理解した。「王! ご無事でしたか!」 どこからか飛来した小さな影があった。 シャウアプフである。ユウたちは知る由もないが、この群体としての性質を備えたキメラアントは最初からその本体を、“監獄ロック(スモーキージェイル)”から逃がしていたのだ。 本体は、ほんの小さな、シャウアプフをひどくデフォルメしたすがたをしている。「うむ」 うなずいた王に、シャウアプフは首を左右させる。「王、してユピーめは」「ああ、美味かった(・・・・・)」 王はこともなげに言った。「は?」「この上もない美味だった。レアモノなどとは比べようもない」 理解できないと言うように目を見開くシャウアプフに、王は陶然とした様子で言った。「お前も美味そうだ」「王!?」 シャウアプフが意味を理解する時間があったかどうか。 王の素早い口は、はや彼の頭部にかぶりついていた。血が飛び散った。赤い血だ。 ユウは動けなかった。その底には恐怖がある。 王は同族すら喰う。 分かっていたことだった。だが、それがどれほどおぞましい行為か。ユウは目の当たりにして初めて知った。 人が人を喰らう醜悪さにすら、比せられるべきではない。人を喰らう鬼同士が喰らい合う修羅の巫蠱を見るおぞましさだ。 同族すら喰う王は、世界に存在するあらゆる生物を喰らうことに、なんらためらいを覚えないだろう。 世界の敵。 シャウアプフであった残骸を喰らう王の正体を、ユウは腹の底から思い知った。 骸のことごとくが王の腹に消えた。 王のオーラが膨れ上がった。 獲物のオーラを、食べることで自分のものにできる。王の能力だ。「まただ!! 来たぞ!! ふはははは、力が満ちて来おるわ!!」 王が哂う。 オーラが膨張する。それはもはや爆発の領域。 ──ヤバイ! ユウはとっさに身構えた。 衝撃が襲ってきた。ほとんど同時。“練”が間に合った。 あらゆるものが崩れ吹き飛ばされる音を、ユウの耳は捉えた。 視界が消え失せる。 嵐のごとき衝撃の波が収まったとき、ユウがみたのは王の姿だけだった。 ほかにはなにもない。家も、見張り台も、なにもかもがなくなっていた。「ち」 ほとんど奇跡的に“監獄ロック(スモーキージェイル)”を維持していたモラウが舌打ちした。 その隣にはライがいる。 ほかに地面に立っているものはない。 ポックルも、ポンズも、ブラボーもミコも、そしてシュウすら、いまの爆発でふっ飛ばされたようだった。「はは、吹っ飛ばされた方がよかったかもな」 虹色髪の少女はおびえから逃避するように笑った。「そこの人間」 王が指したのはモラウだった。「煙を消せ。余は早くもう一匹を喰いたいのだ。貴様らは後回しにしてやる」 格別の温情だとでも言うような、王の口調だ。「同族を、忠誠を誓った臣下を、喰うのか」 ユウは、あらためて尋ねた。 王は直言に不快げな様子を示し、それでも言葉を返した。「ああ。それが?」「だったら、お前は王じゃねえよ」 吐き捨てるように、ユウは言葉を叩き付けた。 すべてを喰らう王のもとには民はありえない。あるのはただ食料のみである。あらゆる存在の敵でしかない存在は、王にはなりえないないのだ。「それがどうした。忠など要らぬ。余の力のもとには、すべてが均しくひれ伏す。その姿のどこが王でないと言うのだ」 むしろ侮蔑の表情すら浮かべて、王が返した。 その言葉を、ユウは歯を食いしばりながら笑いとばした。「知らねーのか? そう言うのは、裸の王様ってんだよ!」 明確な侮辱である。 さすがに王の表情が変わった。「気が変わった。お前はさきに喰ってやる」「そうかよ」 殺意ですらない、ただの食欲。それですら、向けられただけで脂汗がにじみでる。 だがユウは引かない。背負っているものの重さをユウは知っている。 だから。 ユウは征く。 ──“背後の悪魔(ハイドインハイド)”。 敵の死角へ転移する念能力。 対象の死角にいなければならない制約を、もうひとつの念能力で誤魔化し、ユウは王の背後へ跳んだ。 狙うは頸椎。 指さき一点にオーラを集め、首筋の急所を的確に打った。 王が振り返って歯を見せた。「いま、なにかしたか?」「挨拶だよ」 ユウは折れない。 懐からちいさな刃物を取り出して王と相似形の笑いを浮かべる。「俺は暗殺者だ。刺客にやられた王が、いままでいくらいると思う?」「余が生まれた瞬間より、すべての王は偽物に堕したわ。偽りの王なぞ倒れて当然だ」 心の戦いは、たがいに一歩も引かない。 だが。「だったら──お前もニセモノなんだろうよ」 声はあらぬ方から聞こえた。 同時に、王の口になにかが飛び込んだ。「が? ぐ、ぐぐ」 変化はすぐさま現れた。 王が顔色を変え、苦しみだしたのだ。 ──毒。それも王に効くほど強力な。 さすがに暗殺者の記憶を持つユウは、症状から気づいた。 ──でも、だれが? モラウではない。ライでもない。吹き飛ばされたほかの仲間たちでもない。 戸惑うユウのすぐ隣で、盛大に息を吐きだす音がした。 居たのは、パーカーを着たカメレオン型のキメラアント。 ユウは知っている。 他者に知覚されない“神の見えざる手(パーフェクトプラン)”をもつキメラアント、メレオロンだ。 その隣には黒髪黒服の少年、アズマが仏頂面で立っている。「効くだろう? 世界一の医者が、その主義を曲げてまでつくった特製の毒薬だ」 凄絶な瞳でアズマを睨みながら、王はしきりに毒を吐きだそうとする。 だが、胃をひっくり返さんばかりの嘔吐にも、苦痛が止むようすはない。「無駄だ。毒はお前の胃袋から絶対に離れない」 ──“返し屋(センドバッカー)”。 持ち主のもとに品物を届けるアズマの念能力だ。 使ったパーツはおそらく王の喰らったキメラアントの遺体の残り。それに毒を塗るなり、毒で固めるなりしたのだろうと、ユウは推測した。 王は毒に抗おうと目を剥き声を張り上げる。 そんな仇の姿を、メレオロンはひどく真摯にみつめている。心のうちは知りようがない。 ふいに細いが澄んだ声がモラウの名を呼んだ。 ユウが目をやると、“扉”からノヴの弟子、パームが顔を出していた。「“監獄ロック(スモーキージェイル)”の解除を」 それは分断した護衛隊の討伐終了を意味する。 モラウはすぐさまパームの言葉に応じた。 煙が霧散する。その奥から飛び出してきたのは、“心”一字を刻んだTシャツを着た老人。ネテロである。 ようやくにして王は動かなくなってきた。 そのそばに、ネテロは静かに歩みよっていく。「人の王か」 驚くほど明瞭な声で、王が問うた。「いんや。強さだけでは王にゃなれんよ。人の世はいろいろと複雑でな」 ネテロの口調も静かなものだ。「余は、死ぬな?」「そうじゃな。人を敵にし、同胞(はらから)を敵にし、すべてを敵とした、当然の結末じゃろうて」 ふん、と王は弱く鼻息を鳴らした。「すべてを相手にせずしてなにが王か。 しかし、ふ。破れた以上、余は偽物だったのだろう」 王の目が静かに閉じた。 唇が小さく動いた。「殺せ」 と。 間際に立ち合うことを望むかのよう、王に吹き飛ばされたものたちが、白虎と深緑複眼のキメラアント、パイフルとジョーが、女王の間に居た討伐隊の面々が、三々五々と集まってくる。 ネテロが手を合わせた。その背後に巨大なオーラが浮かび上がる。 それは観音の形を成し、ネテロの動きに合わせて王に抜き手を放った。 ぽつぽつと雨が降って来た。王の死を悼むようだった。 しばらくのあいだ、そこから動くものはなかった。