キメラアント討伐隊の面々が、東に飛び去った王たちに対する作戦を練り始めたこの時、ユウの仲間たちはキメラアント狩りに出ず、集落に待機していた。 女王討伐作戦の結果、国境にキメラアントが大挙して押し寄せてくる可能性を考え、終日待機していたのだ。 自室で休むものもいれば集まって仲間の安否を気遣うものもいる。期待と不安を抱きながら、彼らはそれぞれの時間を過ごしていた。 こんな時でも、全身防護服もどきを着込んだキャプテン・ブラボーは、律義に見張り台に立っている。 討伐隊からの報せを、一秒でも早く受け取りたい下心からだろう。金髪ツインテール少女、ツンデレがそれにつきあっていた。 だから、最初にそれを発見したのは彼らである。「あれは」 ツンデレの髪にとり憑く幼き亡霊姫、ロリ姫が西の空を指した。 つられてツンデレのツインテールも西を向いた。それに引っ張られるようにしてツンデレも目を向け、ブラボーもそれに倣った。 ふたりの表情が凍てついた。 はるか西の空に点としか映らぬ影がある。 そこから極悪と言っていい禍々しき気配を感じたのだ。 影は瞬きごとに大きくなっていく。 大気の震えがここまで伝わってくるような錯覚さえ覚える。「王か!?」 正体を察し、ブラボーは斬るように叫んだ。「──っ!!」 金髪の少女が、声にならぬ声を上げた。 王が近づいてくる。ブラボーたちに向けてまっすぐに。 その意味に思い至ったブラボーは、ツンデレに向けて叫んだ。「ツンデレくん、ノヴ氏に連絡を! 狙いはここ(・・)だ!」 剣幕に弾かれるように少女が台から飛び降りる。 ブラボーも叫ぶと同時に空中に身を躍らせている。 ノヴの念空間、“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”につながる“扉”は見張り台の傍らにある。垂直落下はそこへたどり着く最短経路。 だが、それでも遅い。 地に降りたふたりは、そこから一歩も動けなかった。 彼らが着地する、その寸前。四つの凶悪な存在が目の前に降り立っていたのだ。 人の特徴を強く有し、猫の特徴を併せ持つキメラアント、ネフェルピトー。 おなじく人の特徴を強く残す、蝶の羽を持つキメラアント、シャウアプフ。 人型でありながら人とは遠く離れた心性を持つ魔獣型キメラアント、モントゥトゥユピー。 そして、王。 並び立つ絶望の群れに、ブラボーは息を呑むことさえ、できなかった。 王の視線がブラボーたちに向けられる。 邪視に射抜かれたように、ブラボーの心臓の鼓動が、ほんの一瞬だけ止まった。「間違いない──レアモノだ」 すべてを威圧する声。瞳に喜悦の色を浮かべ、王は舌舐めずりする。「食欲をそそる」 王に従う三体が静かに引いた。 食事を邪魔すまいとの気遣いなのだろう。 ブラボーたちを危険とみる様子など、ない。 ──彼我の距離は十メートル。 ブラボーは心の中で計算した。“扉”は後方、約三メートル。 たったそれだけの距離を、王に背を向けて走れば、どうなるか。 彼の脳裏には百舌鳥のはやにえ(・・・・)のようになった自分の姿が、たしかな未来として映った。 ──ならば活路は……前にしか、ないだろう。 ブラボーは自ら前に出た。 助けを呼ぶことは、すでに彼の頭からは消えている。 そんなものを残していては、この暴君を相手に、一秒たりとて生き残れない。 手段も、人選も、すべて仲間に託して。仲間を信じて。ブラボーは王と戦うことだけを心に残した。 ツンデレは両の手で心臓を押さえ、震える。 王を見て、その圧倒的な重圧に、思考さえ結べなくなっている。 だが。「小娘、臆するでない」 静かに、言ったものがいる。 彼女を支えるように、励ますように。それは震えながらも、頼もしい声。 ロリ姫──リドル・ノースポイント。 ツンデレと共に在る、誇り高き英霊。「戦うと、決めたのであろう? あやつの横に、ずっと立って居たいのであろう? 此処で戦わずして、如何してアズマに胸を張れると言うのじゃ! 臆するな! 戦え! 妾の、お主の信じるあやつと共に在りたいのならば、起って戦え我が朋友よ!」 その言葉が。ロリ姫の想いが。 ツンデレの言葉を打たぬはずがない。「かふっ」 ツンデレは、涙とともに息を吐きだした。 そこから恐怖を追いだしたとでも言うように、両の拳を強く握りしめ、彼女は前に出る。「ほう、抗う気か」 王が哂う。 ただそれだけで、気圧される。 触れただけで押しつぶされそうな、すべてを蹂躙するオーラ。 ふたりはそれに耐えた。 覚悟と、想いを重しとして。 ふたりのオーラが鋭く爆ぜ、膨れ上がった。 構えるブラボーとツンデレ。王は腕組したまま動かない。「来ぬのか? それとも──そこの陰に隠れている者が先か?」 王の視線が見張り台に移った。 いや、その奥。視線は一軒の民家の影を正確に射抜いていた。 はじかれるようにそこから小柄な人影が飛びだした。ポックルだ。 歯で引き絞る、両手十指から伸びたオーラの弓弦を、彼はすかさず射った。 赤橙黄緑青藍紫、七色に彩られたオーラの矢。それはまさに虹。 ──“七色弓箭(レインボウ)” それぞれ別種の効果を持つ七色七箭の外、ポックルの奥の手たる虹の矢である。その威力は大型幻獣種を一撃で仕留めうる。 羽虫と巨象の戦いだ。 おのれの持つ最強の攻撃をまずたたき込み、一穴を穿つくさびと為す。 ポックルは間違っていない。 それを不正解に変えたのは、単純な──力の差である。 虹龍が猛る。 王が哂う。 まるで五月蠅いものでも追うかのように、王が手を押し出す。 虹龍はそこから一ミリも進めなくなった。 虹の軌跡が大蛇のごとく揺れる。 七色の色彩が王とそこにあるすべての者を染めた。 やがて光はおさまり、虹の弓箭は姿を消す。 王の掌には微細な傷すらない。 信じられないものを見るように、ポックルは眼を見開き、そして膝をついた。 オーラを酷使した反動だろう、息が荒い。 だがつぎの瞬間、ポックルは微笑を浮かべた。 視線の先に、虹の残滓を捉えたからだ。 ポックルと逆の民家から飛び出したのは、ライだった。 王たちの来襲にいち早く気づき。 身を隠して静かにひそやかに、完璧な絶を以て忍び。 ポックルの攻撃をすら囮として。 この虹色髪の少女は、絶対捕食者が当然の権利として持つ無警戒を突いた。 彼女が“発”を顕す、その須臾の間。 王とその従者たちの瞳は当然のごとく、この虹色髪の少女をとらえる。 委細かまわず、彼女は叫んだ。「“鉄の処女(アイゼルネ・ユングフラウ)”──最大展開!」 具現化されるは彼女の全身を鎧う円環七十七輪少女の体からはじき出されたそれは知恵の輪のごとく連なり、広がり、敵を包囲する巨大な円を描く。「ん?」「にゃ?」 モントゥトゥユピーとネフェルピトーの視線が円環を追う。 シャウアプフの切れ長の瞳が、鋭く光る。 王は不動。それを崩す凄味が、ライには足りない。 だが。 ──見てろ。凍りつかせてやる。 気合い一声。 念能力が発動する。 王たちを囲う円の内を、衝撃の波がうねりをあげて荒れ狂った。 王は平然とそれを受けている。 だがライは会心の笑みを浮かべた。「──む」 王の顔がわずか、歪んだ。 従者たちの顔色が変わった。 津波のごとき衝撃のうねりが、力を増したのだ。“鉄の処女(アイゼルネ・ユングフラウ)”は相手のオーラを取り込み、それに拮抗する衝撃波を吐きだす念能力だ。敵が強ければ強いほどその威力は高まる。 しかしあくまで拮抗。どれほど強くなろうと、衝撃は相手の肉体を侵すことはない。 だが、複数個体を包むこの最大展開状態は別。 王プラス直属護衛軍三体分。荒れ狂う衝撃波は個々の許容量をはるかに上回る。 耐えきれなくなった従者たちが次々と“堅”での防御に切り替える。 それすら衝撃波に換え、衝撃の嵐は層倍に膨れ上がる。 人間であれば、ライやブラボーですら一秒と耐えられぬ規模と威力。 キメラアントの王は、それをも嘲笑する。「ふ、は、はははははっ!」 王が声を上げて笑う。 そのオーラが爆発的に膨れ上がった。 ──“練”。 オーラが爆発する。 膨れ上がるオーラの支配圏は衝撃の波を侵し、七十七の円環に接した。 ライの顔色が変わる。 押し広げられた円環が悲鳴を上げ──消えた。 衝撃の波が収まる。 額に汗をにじませながら、ライは弱く舌打ちした。 王は無傷である。 同じ量の衝撃を受けた護衛軍の三人は、体のあちこちに傷みが見えた。服などはボロボロになっている。 護衛軍の一体、シャウアプフが切れ長の目をライに向けながら、王に歩み寄り、一礼した。「王、我々に──」 シャウアプフの顔が跳ねた。王が頬を打ったのだ。「興を殺ぐな」「──は。失礼いたしました」 シャウアプフは片膝をつき、頭を下げた。 それ無視し、王の瞳はブラボーたちに向けられる。 王の視線がポックルからツンデレ、ブラボー、ライへと移る。「1、2、3、4──」 王が振りあげた右腕から念弾が生じ、ライの右手にある小屋に突き刺さった。 重い音とともに小屋に風穴があいた。 破片が飛び散る。風通しの良くなったそこには、ミコとマツリが身を寄せ合うようにして身構えている。その背後ではポンズが震えていた。「5、6、7……ふむ、七匹か」 数えて、王は言った。「興が乗った。抵抗を許す。足掻いてみよ」「──ならば、足掻くとしよう」 王の言葉の熱が冷める間もなく、声を上げたのはブラボーだった。「怖じけずに前に出るか」 王は言う。 否。ブラボーにも恐怖はある。 だが。それを乗り越えて事を成せる。それこそが人の尊さだ。 海馬瀬戸の言葉である。ブラボーもそれを信じ、おのれのなすべきことを見定めている。 だからブラボーは迷わない。「なにを隠そうオレは──キメラアント退治の達人だ!」 襲いかかる恐怖を剄烈な意思で降し、ブラボーは大見得を切った。「ほう」 王が言った。 表情に変化はない。 ただ声音に意外の調子がある。 面と向かって屈さない人間にはじめて出会ったためだろう。「破ッ!」 ブラボーが地を蹴った。 その体が天に舞いあがる。「反転流星ブラボー脚!!」 見張り台を蹴って反転、ブラボーは王に向けて蹴りを放つ。 王は動かない。 流星が王の胸元に突き刺さった。 王の体が膝元まで地にめり込んだ。 しかし王は揺るがない。歯をむき出しにして哂っている。「それが全力か──痒いわ」 つぎの瞬間、ブラボーの体は上空に吹き飛ばされていた。 尾の一撃である。 ブラボーアイを以てしても影しかとらえられぬ一撃。 それはたやすくブラボーの命を奪う──はずだった。「ブラボー!」 ライの悲鳴に応えるように、ブラボーは宙で反転し、ツンデレの横に降り立った。一瞬だけ、膝が折れた。 無事である。外傷も見られない。 むろん仕掛けはある。 防弾、防刃装備。ユウとともに非正規にNGL入りした青年、レットが身につけていたそれを、ブラボーは譲り受けて装備しているのだ。 触れたものの性能を強化するブラボーの念能力、“最大強化(パワーブースター)”により強化されたそれにより、ブラボーは王の一撃に耐えたのだ。「ふん」 王は地から足を引き抜き、つばを吐いた。 尾の一撃に合わせて、ブラボーは王の顔面に蹴りを入れていたのだ。「殺すつもりで殴った。それを餌ごときに受けられ、あまつさえ反撃さえ受けるとはな」「どんな気持ちだ?」「……ふん。食前の運動程度には、楽しめそうだ」「それは……ブラボーだ!」 ふたたび王とブラボーは対峙する。 言うまでもなくブラボーが圧倒的に劣勢。 でありながら、誰もそこに飛び入ろうとしない。 ロリ姫はそれを咎めない。 下手な横槍は、王の興を殺ぎかねない。 王の酔狂の上に成り立つ仮初の拮抗であることを、彼女は理解していた。 ──どうしたのロリ姫。いつもみたいに行けって言ってくれないの? 心で問うたのはツンデレである。 面には不敵な表情が浮かんでいる。 ──わたしは行くわよ……信じてるから。仲間を、アズマを、ロリ姫を、ミコちゃんたちを。そしてみんなが信じてくれている、わたしを! 震える手を握りしめ、ツンデレが歩を進めた。 ロリ姫は笑った。「応。我ら一心一体(・・・・)。おぬしが信じる道を、共に歩まん!」 ブラボーのとなりに、ツンデレは歩み入った。 時を同じくして逆側に並んだのは、虹色髪の幼き少女。「まったく。こんな状況でも見捨てられないなんて。すっかり伝染(うつ)っちまったかね」 苦笑交じりにライがつぶやき、三者が並ぶ。 ブラボーは止めない。 彼ひとりでは王を足止めすることさえできない。 脇腹の痛みに耐えながら、ブラボーはその事実を受け止めた。 だから、三人で止める。 覚悟は三人の思いを同じくしていた。 王が笑う。その従者たちは王命に従い動かない。「来ぬのか」 王が促した。 応じてひとりが、歩を進めた。ツンデレである。 髪止めに仕立てられていたキメラアントの甲殻が、ロリ姫の力でドリルと化す。 腕組を崩さぬまま、王が動いた。 尾の一撃。鞭のようにしなうそれを、ツンデレは受け止めた。「ほう?」 王が目を開いた。 試すような攻撃は、ブラボーへの一撃より格段に遅い。 だがそれでも、体勢すら崩さずに受けられるものではない。 物理衝撃を、オーラで相殺する念能力。 むろんツンデレのオーラで、王の大気すら震わせる一撃に耐えられるものではない。王のオーラで、王の攻撃を相殺したのだ。 この能力も万能ではない。 能力を使える範囲は、両手のみ。 受け損なえば、待っているのは死しかない。 それを覚悟して。ツンデレは王の前から逃げない。 ──ならば。攻撃の手を緩めるは妾の役目よ。 不規則な軌道を描いて、ドリルが舞う。「ブラボー!」「応っ!」 ライが投げた円環に合わせ、ブラボーが走る。 それを平然と受けながら、王の攻撃はツンデレに集中する。 攻撃は次第に速く強くなっていく。 ツンデレの額に異常な量の汗が浮かぶ。 不意に王が腰を落とした。このときはじめて、王は腕組を解いた。 つぎの瞬間、ブラボーの姿が消えた。 王は拳撃を打ち終えた体勢になっている。 家が爆ぜた。それを成したのは、砲弾と化したブラボー。 ブラボーは自らが作った瓦礫に埋もれ、動く気配がない。空気が凍てついた。 ライが円環を具現化する。 虹色少女がつぎの行動に移るよりより先に、王の尾が動いた。 ツンデレはそれを左手で受け。右手で止め。王の攻撃軌道に入ったドリルが砕かれた。 王が再び、拳を構える。 血が舞った。 ツンデレは鮮血に染まって、茫然となる。 心臓を貫かれている。 同胞であるエルフの少女、マツリが。 彼女が一瞬にしてツンデレと入れ替わったわけではない。 ツンデレの危機に走ったマツリは、間に合わぬと確信してとっさに竹簡を投げ、ツンデレを引き寄せようとした。 それに不快の表情を浮かべた王が、尾の一撃をマツリに送ったのだ。 胸を打ち抜かれて、マツリはその場にくずおれた。 ツンデレが悲鳴交じりにマツリの名を叫んだ。「順番が変わったか」 王がつぶやく。 血泡を吹くエルフの少女を、王の尾が引き寄せる。 王の口が開く。 それがマツリのやわらかい肉を食む、寸前。 王の体が吹き飛んだ。「あ、ああ」 信じられないものを見るように、ツンデレが目を見開いた。 王と入れ替わるようにツンデレの前に立ったのは、触手を背負う、黒づくめの暗殺者少女。「ユウ!?」 少女は答えない。その背から伸びる八本の触手は、王から延びるあらゆる力を遮るように、広がっていた。 王が起きあがった。ほとんど同時に地面から煙が湧きだした。 足元を白く染める煙の波の中、怒りをたたえた凄絶な瞳が、ユウを射抜く。 はじかれるように、ユウの背から触手が消えた。 重大な喪失感とともに、ユウは心の中で目を閉じた。 ユウは静かに、王と対峙する。 発するオーラは、そのありように反して高ぶっている。 舌打ちしながら、遅れて“扉”から出てきたシュウが並んだ。そこから一歩も動かないと言うように、シュウが腰を落とし、構える。 静かな怒りと不動の覚悟。そのありようは別でありながら、ひどく似て見えた。 その間にも、煙は流れる。 このとき王はなにを思い、これを見ていたのだろう。 自分を足蹴にしたこの不遜な女を喰らうことに気を取られたのか、それとも、おのれの不可侵を疑わなかったが故の、慢心だったのかもしれない。 煙の正体に気づいたのは、ネフェルピトーだった。 キメラアントを狩る謎の存在。 それが放った、人でなく獣でもない存在と同質のオーラを、ネフェルピトーは煙に見た。「王!」 だが遅い。 発した声が王の心を揺さぶるよりはやく、煙は一斉に昇り、鋼に勝る硬度を持つ檻と化した。 ──“監獄ロック(スモーキージェイル)”。 煙の檻はそばにいた仲間を的確に避け、王と護衛軍だけを閉じ込めた。 パームの目は、ユウやシュウを通してあたりの状況を的確に把握している。それゆえの精密操作。 煙の発生地点から、二つの影が飛び出した。 ノヴが地面に二か所のサインを描くと、煙は地曳網のようにそこへ引きずられていく。 途中煙の檻は激しく歪んだが、鉄の硬さと煙の空疎さを兼ね備える“監獄ロック(スモーキージェイル)”は単純な腕力では絶対に破れない。「さて」 広大な室内に煙が押し寄せてくるさまを見ながら、ネテロは言った。「各個撃破といこうかね」