「ねぇ、眼鏡」「ノヴです。シスターメイ」「眼鏡の念能力ってフラットなものであればどこにでも“扉”作れるよね? それで思いついたんだけど」「なぜ、オレの念能力を詳細に把握しているのかは知りませんが……って聞いていませんね畜生」「“神字”――オーラを込めて書くことで、物とか空間自体に特定の効果を持たせるやつね。あれで、“練”すると接着力を失う箱とか見たことあるんだけどね。それ、紙で出来ない?」「……ふむ。貴女の言わんとしていることはわかりました。つまり、“扉”をつくった紙を折りたたみ、“神字”で接着、“練”に反応して開くように細工する。それをキメラアントの巣に送り込み、奇襲をかけると?」「Exactly(その通りでございます)!」 シスターメイは格好をつけて一礼した。「はぁ。それで、それをどうやって巣に運び込むんですか?」「え? あ、そりわ……私がぱーっと潜入して」「はっきり言いましょう」「はい?」「あなたの技量と、そのハデな頭と格好では、潜入は不可能です」「デスヨネ!」 と、彼女の案を却下したノヴだが、発想自体は否定しなかった。 考えてみる価値はある、と思ったが、彼はそれを言葉にはしなかった。 シスターメイが調子に乗ることは目に見えていたからである。 ともあれ、ノヴはシスターメイの話をそのままネテロに持っていった。 作戦はネテロたちによって補強されたのち、仏頂面の黒少年アズマと、ノヴの弟子パームの参入により、よりリスクを抑えたものに仕上がった。 ――“返し屋(センドバッカー)”。 物品をその所有者へと送り返す、アズマの念能力。 漂着した女王の体の一部に念能力を施せば、必ず女王のもとへと届く。 これに“神字”を施した紙をくくりつけ、目的の場所でオーラに反応させて広げる。 タイミングを計るのは、パーム。 瞳に写した対象の姿をを水晶玉に示す彼女の念能力があれば、紙の行方は確実に追える。 そして巣の間取りから女王の部屋までは、シスターメイがすべて把握していた。 残る問題はただひとつ。 この紙を、どうやって無事に送り届けるかである。 いかにキメラアントといえど、紙が巣の中をふらふら漂っていれば怪しむ。 それを避けるには、どうすればいいか。 その答えが、ナックル、シュートによる正面からの攻撃と、シュウ、ユウによる逆方面からの奇襲。 二重のおとりで敵を引きつけた隙に、紙はひそやかに巣に侵入し――目的地に到達した。 女王の間の、出入り口。“神字”の接着が解け、紙が一気に広がる。 最初に現れたのはネテロだった。 それにノヴ、モラウが続く。 女王の間に入った瞬間、モラウが手に持つ巨大パイプをふかし、煙を吐き出す。それは部屋中を覆い尽くすと、何物にも負けぬ鉄壁の監獄と化した。 ――“監獄ロック(スモーキージェイル)”。 モラウが持つ念能力の応用技だ。 女王の間は閉鎖された。 だが、彼らはすぐに気づいた。 自分たちが、遅すぎたことに。 女王の間はキメラアントの残骸が散らばっていた。 数体のキメラアントが放心したように立ち尽くしており、彼らに囲まれるようにして、胎を破られた女王は息も絶え絶えに天井を仰いでいた。「こりゃあ」 モラウの声は硬い。 修正した予想より、さらに速い。考えうる最悪のケース。「見ての通りだ。女王に子を産むちから(・・・)はない。ここに居る我々は降伏する。どうか女王を――助けてくれ」 表情を見せず、コルトは声を落とした。 ゴンとキルアは、ネテロたちとは逆方向に駆けた。 彼らが救うべきはゴンの恩人、カイト。当たるべき敵は護衛軍のひとり、ネフェルピトーである。 ゴンの指先には二本の髪の毛が括りつけられている。 それぞれカイトとネフェルピトーのものだ。彼らが戦った場所で採取したものである。 髪にはアズマの“返し屋(センドバッカー)”がかけられており、それぞれの目標をまっすぐにさしている。 ゴンは唐突に足を止めた。 二本の髪が、それぞれ別の方向を指したからだ。 いや、ただそれだけならば、ゴンは迷いなく敵のほうへ走る。ゴンとて己がなすべきことは分かっている。 だが、ネフェルピトーの髪は外、それもはるか彼方をさしていた。 追いついたキルアは後ろから覗き込んで、一瞬で事態を把握した。 どのような理由か、ネフェルピトーは外へ出ている。 戻ろうにもすでに女王の間は“監獄ロック(スモーキージェイル)”で閉じられている。あらかじめ渡された紙の“扉”で脱出する手はずになっていた。 であれば。 ゴンは迷いなく走り出した。 いま、彼がなすべきことは、ひとつしか残されていなかった。 キルアもゴンの思考を追って、あとに続いた。 あのキメラアントはどこへ行ったのか。生じた疑問をその場に残して。 カイトはすぐに見つかった。 階層をひとつ下った東の間。探すに困難はない。 だが、それからが、ゴンにとっての地獄だった。 カイトは。 うつろな瞳で。 意味のないうなり声を上げて。 そこに、いた。 ゴンの瞳から光が消えた。「カイト」 声が震えている。「大丈夫……もう、大丈夫だよ」 ゴンはゆっくりとカイトに歩み寄り。 横薙ぎに払われた拳でふっ飛ばされた。「ゴンっ!?」「――っ、平気」 口から血を滲ませて、ゴンは立ち上がる。「だから、キルア。手は、出さないで」 そしてきっぱりと、加勢を拒絶した。 カイトの攻撃は機械的だ。 そこに人の意思は感じられない。 だから、ゴンはすぐに気づいた。カイトがどうなってしまったか(・・・・・・・・・・)。「あの時以来だね。カイトに殴られるの」 幼いころ、ゴンはキツネグマの縄張りに入り込み、自業自得のように襲われて。そこをカイトに助けられた。殴られたのはその時のこと。「あれは痛かったなあ」 静かに。殴られながらも、ゴンは歩みを止めない。 あまりに単調な攻撃。 ゴンが憧れさえしたカイトの身のこなしは、無惨に奪われている。 ゴンはおのれの罪を、体に刻みつけるように、攻撃を喰らい続けた。「ゴン!」「来るなッ!」 キルアに向けて、ゴンは手を振り払った。「邪魔したら。オレはキルアを許さない」 言いながら、ゴンの瞳はカイトを捉えて離さない。 その、カイトの手に。 唐突に、抽象化されたピエロが現れた。『ヒャッハー! 皮肉な相手だなデクノボウ!』 気狂いピエロが悲しく騒ぐ。『ドゥルルルルルルル――2!』 それは、カイトの腕で鎌状に変化し。 振るわれた。 キルアは、とっさに跳んだ。 ゴンは、避けない。 真空の刃が、泥と糞で固められた土壁を裂いた。 その、内側で。 ゴンは、カイトに、抱きついた。「ごめんね、カイト。オレ達のせいでこんな……」 ゴンの声は涙に濡れている。「少し……休んでいいよ。後はオレ達に任せて」 カイトは動きを止めた。 ゴンの言葉によって、ではない。もっと過酷で凄惨な現実による産物。 ゴンの目にはたしかに映った。 カイトを残酷に操る、人形繰りの姿が。「これが」 ゴンは見て悟った。 カイトが、だれに操られているか。 人形繰りから感じる禍々しいオーラは、忘れられるものではない。 ネフェルピトー。猫の特徴を持つ強力なキメラアント。 それが、カイトをこんなありさまにした張本人だった。「カイト」 ゴンの瞳が、怒りに燃えあがる。 カイトの有様を、しっかりと目に焼き付けて、ゴンは言った。「オレが、絶対に、元に戻すから」 ゴンの手が、ふたたびカイトの胸に触れる。 瞬間。 ゴンは真横に吹き飛ばされた。「ゴンっ!?」 壁に打ち付けられたゴンを気遣う暇もない。 カイトは、次にキルアを狙った。「――!?」 鋭い差し足に、キルアは身を低くして迎えう―― ――逃ゲロ。 呪縛が、顔を出した。 カイトの拳を腹に食らい、キルアの体は壁際に吹き飛ばされた。 それを追うカイト。 キルアは腰を浮かし。 ふたりのあいだに、ゴンが割って入った。「カイト」 カイトの拳を真っ向から受け止めて。「ごめん。オレ、バカだから、どうしたらいいかわからないけど。 カイトが止まらないのなら。オレは……オレがカイトを止めなくちゃいけない」 心の震えを押さえて、宣言した。 ゴンのその姿を後ろから見せられて、キルアはたまらなくなった。 ゴンは友達だ。 友達が苦しんでいるのに、キルアは何もできない。 体が動かない。カイトという脅威を前に、体が逃げろと全力で叫ぶ。 ――イヤだ! キルアは心の中で叫んだ。 ゴンは、キルアの、生まれて初めての友達なのだ。 それを見捨てて逃げられるはずがない。 だが、体は動かない。 逃げられないならせめて目をつけられぬようにと体は不動を命じる。 ――動け、動けよ! なんで動けないんだよ! 見ろよ! ゴンがやばいんだよ! ゴンじゃあのカイトにも勝てるわけないじゃん! 見殺しにする気かよ! 動け! 動けっ! キルアは呪縛に抗う。 だが、都合のいい奇跡など起きない。「おお? お前、たしかあの時のガキじゃねぇか」 起きたのは奇跡ではなく運命の悪意。 翼腕を持つ耳長のキメラアント、ラモットが、東の間の入り口に姿をあらわした。 ――逃ゲロ。 声がささやく。 身が凍る。 その様子を見て、ラモットの顔が喜悦に歪む。 ――逃ゲロ逃ゲロ。 声がささやく。 ラモットが残忍な表情を浮かべ、近づいてくる。 後ろにはゴンがいる。恩人を相手に、悲壮な戦いを続けるゴンが。 ――オレの大事な……友達。 ――逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ。「うあああああああああっ!!」 咆哮。 助けを求める悲鳴ではなく、抗うための。 脳が痛む。 声が響く。 その、元凶を。キルアは。根元から――抉り抜いた。 「はは……やられた……」 キルアの手には、呪縛の源がある。 親指ほどの長さの、ごく細い針。「イルミの野郎、こんなもん刺し込んでやがった。オレの脳(アタマ)ん中にさ」「なに言ってやがる。イカレタか?」「わからなくていいよ。お前はここで――死ぬんだから」 言ったときには行動は終わっている。 ラモットの頭部はえぐり取られ、すでにキルアの手の中にあった。 おそらく、ラモットは自分がどうして死んだかも分かっていない。 キルアはラモットの頭を、その場で握りつぶした。「はは、すげーすっきりしてる。脳みそ引き抜いて冷たい水でジャブジャブ洗ったみてー」 奇跡は起きない。 起こるのは必然のみである。 だが、必然を起こすのは人の意志なのだ。『ドゥルルルル――3!』“気狂いピエロ(クレイジースロット)”は棍棒と化す。 手繰り回す風切り音は重く、鈍い。 死の音を振りまきながら、カイトが得物を振りかぶる。 カイトが具現化する武器は固有の特性を持つ。 武器の性質がわからぬ以上、ただガードするわけにはいかない。 ゴンの選択は、回避。 速度の差は先読みで埋める。 多少複雑になったとはいえ、カイトの動きは機械的で至極読みやすい。 避けるだけならば、けっして無理ではない。 だが、ゴンが望んでいるのはそれ以上。 カイトを止める。 そのためには、ただ避けるだけでは足りない。 通そうとする無理のツケは、すぐさまゴンの体に跳ね返ってきた。 数度の被弾に骨格がきしむ。 いずれゴンが地に倒れ伏すことになるのは確実だった。 破綻はついに訪れた。 ゴンの膝が、意志とは関わらず“く”の字に折れる。 体勢の崩れたそこに、カイトの棍棒が、微塵の容赦もなく振り下ろされた。 だが。 棍棒がゴンの体に触れることはなかった。 ゴンと、棍棒のあいだに、一本の手がある。それが致命の一撃を阻んだのだ。 棍棒の柄を掴む手には血管が走っている。 棍棒は万力に挟まれたようにビクともしない。 カイトが武器を手放して跳び退った。残された棍棒は宙にかき消える。 初めて、手の主はゴンを振り返った。 銀髪の少年は顔に陰のない苦笑を浮かべた。 ほかならぬゴンが、邪魔立てに眉を怒らせていたからだ。「意地張んなよ。お前ひとりじゃカイトを止めらんねーよ」「キルア、オレは」「だから」 みなまで言わせず、キルアは笑う。「お前でもカイトを止められる、そんな方法を考えてやるよ」 表情には遠慮も迷いもない。 どこか吹っ切れた様子の少年に、ゴンははっきりと――うなずいた。『ドゥルルルル――7』 カイトがふたたび"気狂いピエロ(クレイジースロット)”を具現化する。 形状は、刀。 ゴンにとっては懐かしい形だった。 細部は違えど、はじめて出会ったときに彼が持っていた刀と酷似している。「懐かしいね。何年か前に戻ったみたいだ」 ゴンは、まっすぐな目で、カイトを射抜く。 透明で、真摯な瞳。 「オレ、あれからまた、強くなったよ。カイトを――助けるために」 身を、沈ませる。「見てて」 ジャン、ケン。 静かに吐いた言葉とは裏腹に、暴風のごときオーラが立ち昇る。 体を傾け、飛び込んでくるカイト。 その制空圏に踏み込みながら。 脅威的な動体視力で切っ先を見切り。 最小限の移動のみで致命傷を避け。 肩から血をほとばしらせながら。「グー!!」 拳を、撃ち込んだ。 カイトの体はきしみをあげながら吹っ飛ぶ。 そのさきには、キルアが待ち構えていた。 両手のあいだには、おおきな紙切れが揺れている。 ノヴが“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”の“扉”を作った紙が。 とぷん(・・・)と音を立て、カイトの姿は紙の中へ潜り消えた。“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”の念空間に、カイトを隔離する。 それがキルアの考えた作戦だった。「押忍っ!!」 ゴンは顔を伏せたまま、消えたカイトに一礼した。