キメラアント。 HUNTER×HUNTER を知る者なら、誰もが知っているであろう。ハンター歴2001年に世界を襲った、未曽有の災禍の原因だ。 そう話せば、たいていの学者は失笑するだろう。本来、キメラアントは女王蟻でも体長10cmほどでしかないのだ。摂食交配により、生態系に影響を与えることはあっても、人間にとっての脅威はたかが知れている。 だが、それが人間大であればどうか。 人間大の昆虫という時点で、すでに脅威ではあるが、それに加えてキメラアントは摂食交配によって、他種の動物の特性をも備えている。昆虫や獣、魚はもとより、人間の特性――高い知能すら、備えるに至ったキメラアントでは? おそらく、大災害になる。 対抗できるのは、高い殺傷力を持つ重火器か、それに匹敵する実力をもったハンターしかないだろう。 そんな怪物となぜ、戦わなければならないかを述べるには、まずセツナとその仲間たちに関して説明する必要がある。 セツナとその仲間たちは、数少ない、グリードアイランドをプレイすることに成功したプレイヤーである。 だが、最初に無理をしてマサドラにたどり着いてしまったおかげで、行きも帰りもつかない、いわゆる“詰んだ”状態になってしまった。 似たようなプレイヤーもいるもので、セツナたちはそんなプレイヤーを集めて、やっとのことで港から脱出することに成功したのだ。 その後、グリードアイランド攻略、ひいては現実への帰還を半ばあきらめたセツナたちは、自分たち、あるいはその同胞にとっての安住の地を作ろうと思い立った。 といっても、新しく土地を開発するには、いろいろと煩瑣な手続きがいる。未開の地を開拓するにも、文明の利器に慣れ親しんだセツナたちは、パソコンや家電製品を手放すことなどできなかった。 そこで選んだのが、ヨルビアン大陸東部特別開発地区。文明圏の至近にありながら、害獣などの“地形や環境以外の要因”において、開発が止まっている地域だった。 定住希望者には、国からさまざまな恩恵がくだる。通信、発電施設の無償給付もその中に入っていた。 セツナは十数人の同胞を引連れて、ここに集落を作った。 腐っても念能力者の集団である。害獣や外敵と戦うには十分すぎるほどの技量を持っていた。 人が住めるようになったと知ると、ぽつぽつと移住してくるものが現れはじめた。 同胞でない者が集落に住みつくことに、セツナたちは最初いい顔をしなかった。だが、共に苦労を重ね、開発を進めていくうち、しだいにそんな垣根もなくなっていった。 一年もしないうちに、集落は千人規模になった。セツナたちはこの地に骨をうずめる気になっていた。 だが、気づいてしまった。この土地の条件、そして、近い将来起こるであろうキメラアントによる災厄のことを。 外部に情報の漏れない、ということに関して、この特別開発地区は問題なく当てはまる。この土地にキメラアントが現れる確率は、非常に高いといえた。 だからと言って、いまさら土地を捨てることなどできない。 同胞以外の者はどう言ってもこの土地を動かないだろうし、なによりセツナたちも、自らが開発したこの土地を愛するようになっていたのだ。 だから、彼らは戦うことを決意した。 未熟な腕を鍛えて、外敵に備えようと。 だが、その中の数人が、暴挙に出た。 女王を、いまのうちに殺す。 負傷している女王なら、自分たち程度の実力でもなんとかなると、そう言って。 そして、彼らは帰ってこなかった。 どうなったのかは明白だった。 セツナは苦悩し、窮した。 彼らを止められなかった悔恨、そしてキメラアント禍に、最大級の爆弾を投じてしまった責任、間近に迫った災厄に。 そのあげく、藁にもすがる気持ちで、セツナはブラボーを頼ったのだ。 セツナの事情については、ユウもカミトを介して知っている。 馬鹿なことだ、とは、ユウは思わない。 きっと、飛び出して行った彼らにとって、その町は、かけがえのない、大切なものだったのだ。彼らは、町を守るために命をかけた。結果が最悪だからといって、その想いまで、誰が笑えようか。 だから、ユウは彼らを助けることに迷いはない。セツナという名前には、非常に引っかかりを覚えていたが。 ともあれ。「まずはカミトと合流しないとな」 ユウはつぶやいた。 アイジエン大陸、カキン国の奥地。開発の手も届かない秘境である。周囲100km以内には、人工的な建造物など、なにひとつない。 気候が違うためだろう。周りに茂る樹木も、見慣れたものとはすこし違う。だからだろう。ユウは自分が遭難した気分になった。 ――見えないから、そんな気分になるんだ。 と、思い立って、ユウは跳び上がった。 オーラを足に集中した蹴りは、ユウの体をはるか上方に運ぶ。 途中、枯れた立木の幹に足をかけ、さらに上へ。一瞬のうちに、ユウは立木の梢の上に片足立ちで立っていた。「うわ」 ユウは歓声を上げた。見渡す限りの緑。その中に、島のように岩山が生えている。人の手によるものなど、ひとつもない。はるか遠くの空をゆく鳥も、どこかから聞こえる獣の鳴き声も、ユウの知らぬ種類のものだ。“凝”をせずとも、肌で感じられる、この巨大な森に住まう多くの命。 遭難気分は、吹き飛んでいた。巨大な大地の営みに圧倒される思いで、ユウはしばらくのあいだ、魅入っていた。「……と、こうしている場合じゃない。え、と、最寄りの交通機関は……飛行船があればいいんだけどなぁ」 言いながら携帯をいじくるユウの目に、ふと異質なものが飛び込んできた。 ユウからみて左手奥、ラクダを伏せたような形の岩山のすそ野から、煙が立ち上り始めたのだ。 無論、ユウにはその原因に心当たりがあった。「キャンプタイガーだ!」 思考が大自然モードに入っていたユウは、歓声を上げた。 その拍子。 足場になっていた木の梢が、ぽきりと折れた。「――っと」 ユウはあわてず、トンボを切って地面に降り立った。「うわ、ちょっと鈍ってるかも」 以前であればやりようのないヘマに、ユウは頭をかいた。 体が鈍っているわけではない。だが、仮にも一か月、現実の体で過ごしていたのだ。感覚のズレは、拭いがたく、あった。「ちょっと気合い入れて鍛えなおさないとな」 つぶやきながら、ユウは携帯の操作を再開する。 東に120kmほど行けば、飛行船の発着場にぶち当たるようだった。「東……なんだ、さっきの方角じゃないか。ついでにキャンプタイガー見に行こう」 とてもついでとは思えぬ表情で、ユウは木の間を縫って駆けだした。 ユウは、自分が「うかつちゃん」呼ばわりされる由縁を分かっていない。「キャンプタイ……が?」 岩山のふもとまでたどり着いたとき、そこでユウが見たものは、キャンプタイガーなどではなかった。 目深にかぶった帽子、そこから流れる、たっぷり腰まである長髪。長身細身の、非常に見覚えのある男が、そこにいた。 カイトである。 ひとりで食事の支度をしているのは、およそジャンケンで負けたからに違いなかった。「ん? ほかのグループの人間か?」 むろん、ユウが口を開けて見ていることに気付かない彼ではない。 カイトは視線もくれず、背中越しに声を投げかけてきた。 どうやらユウのことを、この地域を調査しているほかのグループのメンバーだと勘違いしたようだった。 そんなことはどうでもいい。ユウは一刻も早くこの場から立ち去りたかった。「いえ、まあ、そんなところで。それじゃあ、失礼しますね」 機械仕掛けのようにぎくしゃくと手足を動かして、カイトに背を向ける。 隠していても視て取れる実力とオーラに、体が縮こまってしまっているのだ。「まて」「はいっ?」 できる限り自然に、かつ全速で離脱しようとしていたユウは、呼び止められて飛び上がった。「飯の準備ができたところだ。一緒にどうだ? じきに連れも帰ってくる」 意外な提案に動転する頭で、ユウは計算した。 この時期であれば、確実にゴンとキルアが合流している。ハンター試験がらみで、ユウはふたりと出会っていた。 この時点で関わっても、これといって害はないに違いない。とはいえ、ユウは、主人公と接触することに、かなり遠慮がある。 加えて、こちらの事情を説明するのも厄介だった。「すみません。こっちでも、連れを待たせているので」 嘘にならないように気をつけながら、ユウは断わりを入れ、その場を立ち去った。 ほどなくして。「カイト! オレ新種見つけたよ!!」「うー、見つけた動物の数だったらぜってー勝ってたのに」 デジカメを振り回してはしゃぐゴンと、くやしそうにうなるキルアを先頭に、カイトの仲間たちがぞろぞろと帰ってきた。