ゴンがナックルを抱えて帰ってきた。 初対面ではあるものの、ユウは彼を知っている。 ゴンたちがキメラアントと戦うために越えねばならぬ壁である。 キメラアントを単純に害獣として討伐させない。 そんな理由でNGL行きを望むこのビーストハンターは、しかし、完全な武闘派。ゴンたちが一朝一夕でかなう相手ではない。 だが、ユウとビスケの支援でふたりの能力は、飛躍的に増している。 正味の能力なら、もうすでに五分近い。 ユウはそう観る。 ――でも。まだ当分、ゴンはナックルに勝てない。 ゴンには決定的に足りないものがあった。 それは。 ――実戦経験。 だった。 ゴンの発想力は並ではない。 五千を数えるナックルの戦歴から引き出される発想を、それは凌駕し得る。 だが、発想を下支えする能力が追いついていない。 ゲンスルーとの戦いで、攻撃に“流”が追いついていなかった。 これから行われるナックルとの戦いでも、オーラが足りずに勝ちを逃していた。 発想を実行に移すにあたって、それが自分に可能かどうか、分かっていないのだ。 ――実戦をこなして、そのあたりの甘さが抜ければ、とんでもない達人になるんじゃないか。 そんな予感を覚えずにはいられない。 ビスケが気に入るのもわかるというものだった。 そして。 ビスケが気に入ったもうひとりの人物が、目下ユウの悩みの種だった。 キルア・ゾルディック。 暗殺者一家、ゾルディック家に生まれ、サラブレットとして育てられた少年も、戦闘者として致命的な弱点を抱えている。 危険を冒せない。 格上を相手にするときには、生き残る前提で考えてしまう。 簡単には克服できない問題である。 だがユウは、それをたやすく解決する方法を知っている。 キルアの頭部には針が刺さっている。 それがキルアの思考を制御する。手に余る敵とは戦うなと、針がささやく。 キルアの兄が埋め込んだこの針を、取り除けばいいだけなのだ。 ――だけど、本当にそれでいいのか? ユウは思わずにはいられない。 習いは性である。 キルアの身に刻まれた教えは、針が抜けても、キルアを呪縛せずにはいられないだろう。 独力で呪いに抗い、克服する。 その過程なしに、ただ針を抜くことは、キルアにとって致命傷になりかねなかった。 とはいえ放置しておくのも問題である。 もし、ゴンがナックルに勝ってしまえば。 キルアが兄の呪縛を受けた状態ですらシュートを上回れば。 そのままのキルアをNGL入りさせてしまうことになるからだ。 現状ふたりの成長率を見れば、それは充分現実的な未来だった。 ユウの悩みを、ゴンやキルアは知らない。 寝る間のない修錬に、ただ基礎能力を上げていく。 外ではナックルと戦い、実戦経験を積み上げていく。 事態は追い立てられるように進んでいった。 六月九日、NGL国境に姿を現したのは五人のハンターだった。 キルアの頭部に、針はいまだ残っていた。 この前々日に、ユウとビスケは町を離れている。 ゴンたちが敗北した場合の、パームの怒りを恐れてのことだった。 ユウはその足でドーリ市に向かった。 市街中心部の総合病院に、ヘンジャクが占領する一室。 そこにあるノヴの念能力、“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”へとつつながる“扉”を使い、ブラボーたちが待機する集落へと戻るためだ。「おいっ! ゴンたち! ゴンたちの勝負はどうなったんだ!?」 部屋に入るとレオリオが押し倒すように詰め寄ってきた。「つーか、おい!? えらく痩せたな!! どうしたんだそれ!?」「……えーと」「慢性的な水分不足と疲労、それによる気力減衰から来る食欲不振の悪循環」 どちらに答えたものか、ユウが迷っていると、奥から声が飛んできた。 むろん部屋の主であるところの神医ヘンジャクである。「まったく。優れた素材を持ってるんだから、もすこし美容に気をつけろ。美人が台無しじゃないか」 ものすごくお前が言うな的な空気が漂った。 ヘンジャクの有無を言わせぬ勧めで栄養剤を打ってもらいながら、ユウは事情を話した。 レオリオは、時に真剣にうなずきながら、時に笑いながら相槌を打つ。ユウとしても話しやすい相手だった。「しかし、なんであのクソオヤジはこんな七面倒くさいことをしてるんだ?」 横で聞いていたヘンジャクが首をかしげた。「ヘンジャクさん。前から思ってたけど、会長のことクソオヤジ(・・・)って」 ユウが尋ねると、ヘンジャクは苦り切った顔になった。「あのクソオヤジが生まれる遥か前から“ヘンジャク”は存在しているんだけどな……初対面の時に年下で、しかもとんでもない借りを作っちまってな。以来頭が上がんないんだよ」 いろいろと気になる言葉が含まれていたが、突っ込みがたい雰囲気だった。「そうそう、最初の話だ。あのノヴやモラウはともかく、その弟子たちより腕の立つハンターくらい、いくらでも融通利かせられるだろうに、なんでわざわざ馬鹿弟子の友人を鍛えるみたいな面倒な真似をするんだろうな」「それは」 言いかけて、ユウは止めた。 副会長や審査委員会に足かせをはめられていても、ネテロならばナックルやシュート以上のハンターを都合できるのかもしれない。 しかし。ナックルやパーム、それにゴン。 彼ら以上に強烈な動機を持って自体に当ろうとするハンターは存在するだろうか。 キメラアントのために、師匠のために、そして恩人のために。 彼らは命をかけられる。 その覚悟をこそ、ネテロは求めているのかもしれない。 ユウはそう思う。 敵は、老いたりとはいえハンター最強をほこるネテロ会長より、強いのだから。 そして、ユウ自身も。 ヘンジャクの疑問から生じた問いに、答えなくてはならない。 ――俺は、仲間のためなら、命をかけられる。 ユウの覚悟の定めどころはそこだった。 仲間、とはシュウであり、ミコであり、アズマやマツリたちである。 キメラアントとなったパイフルらは含まれていない。それゆえ、積極的にキメラアントを攻めることを、ユウは考えていない。 だが、ここに至ってユウに迷いが生じている。 原因はゴンとキルアである。 ひと月近い時間をともにしたふたりの少年たちを、ユウは知らず、仲間のように感じていた。 ゴンたちのNGL入国と同日。 キメラアントを狩る存在を追っていた白虎のキメラアント、パイフルは、煙に遭遇した。 霧状に森を覆うそれをみて、パイフルは確信する。 これこそが、キメラアント消失の原因であると。 ほどなくして、パイフルの体は煙の中に沈み消えた。 出たさきは、キメラアントにとっての地獄だった。 封鎖された“箱”のなかには、同胞の躯が乱雑に転がっている。 窓もない。扉もない。逃げ場のないそこに、この地獄を現出させた元凶がいた。 人間の老体、とは思わなかった。 パイフルの目に映った彼は、地獄を我が物顔に睥睨する悪鬼羅刹。 噴き上がる恐怖を抑え込み、白き大虎は静かに構えた。 その身からオーラが奔出する。念能力“暗然悄魂功”の悲壮を加えたオーラは、渦を巻いて層倍に膨れ上がる。「ほっほう」 鬼が声を上げた。 強者に対した、それは喜びの声か。纏うオーラは、理不尽なまでに練磨されている。 拳と拳が噛み合った。 一合にして、敵わぬことを知った。 それでも、パイフルは往く。 狂風を巻いて吹き荒れる鋭い爪は、しかし敵には当たらない。 受ける拳は、一合ごとになお重くなっていく。 五体で拳を受けぬ場所はなく、鋼の強度を誇る獣毛は千々に乱れた。 それでも、パイフルは退かない。 この悪鬼が、女王にとって最大の脅威であることは、疑いようがなかった。 ならばせめて、腕の一本、目玉一個でも、地獄の道連れにすることが、パイフルの使命だった。 パイフルは構えた。 命を差し出す特攻に移るための構え。 その覚悟に、鬼は応えた。鬼の掌が、胸の前で静かに合わさる。「私は、パイフル」 白き大虎は、敵将に向かってそうするように、名乗りを上げた。「女王軍軍団長代行、パイフルだっ!」 白い巨体は紫電のごとく敵に襲いかかる。 鬼は無情に答えた。「そうかね。わしはただのジジイじゃよ」 その背後に、パイフルは仏を見た。