世界は未知と神秘であふれている。 あまたのハンターが挑み、解き明かしても謎は尽きない。 理知と論理の昇華であるはずの科学の領域すら、時にそれは侵入ってくる。“電波を渡る歌姫”と呼ばれる存在がある。 公共の電波を気まぐれにジャックする正体不明の歌姫である。 きわめて迷惑な存在ではあるが、歌は本物である。技法こそ見るものはないが、人の心を打たずにはいられない切実たる歌声に、いまでは放送関係者も彼女の出現をむしろ心待ちにしている。 その正体が、念能力の暴走により、他者に干渉はおろか認識すらされなくなったひとりの少女だと知っているものは、あまりにも少ない。“歌姫”――シスターメイはいま、NGLにいた。 銀髪の美女である。震えがくるほど奥行きの深い瞳は印象的ではあるが、それよりもまず、シスターとメイドさんをごちゃまぜ(・・・・・)にしたようなその格好に目がいくだろう。 彼女がNGLを訪れた理由は単純である。 キメラアントの“痕跡”を見るためだ。 おのれの念能力“ガラス越しの風景(スタンドアローン)”、他者に干渉する能力を放棄することにより、ほかの誰からも干渉されない。 極限まで強まったこの能力は、シスターメイを孤独の世界に放り込んだ。 無機物だけの、ただ諸物が淡々とめぐる世界を生きる彼女は、そんなわずかな娯楽すら、求めずにはいられなかった。 キメラアントの巣を発見した彼女は、誰もいない巣をふらふらと歩き回った。 とりあえず女王の部屋らしきところを発見し、巣の南側から抜け出て、もう一度戻ろうとした、そのとき。 シスターメイの耳を、命の息吹が叩いた。 気がつけば、まわりはキメラアントだらけ。 わけもわからず、彼女は超逃げた。 追手を完全に振り切ってから、ようやく彼女は、まわりの生物が見える不思議に気づいた。「あれ? これって超ラッキー?」 彼女はかるくのたまったが、望外の幸運であることは言うまでもない。“ガラス越しの世界(スタンドアローン)”により外界に干渉する術を失った彼女に、対象を取る形での“除念”は意味を成さない。 ただ、あくまでもそれは念能力によるもの。空間にたいする、しかもより強力な“除念”には、無効化される。 しかしそれは、アズマたちがこの一年、鉄の草鞋をすり潰すようにして探しても、見つけることが出来なかった能力であった。 だが、稀有の幸運の残照ゆえか、シスターメイは奇妙な邂逅を果たす。 ネテロ、モラウ、ノヴ。 キメラアント討伐に向かっていた三人と、彼女は出会った。「なんと!? ネテロとモラウ&眼鏡!?」 シスターメイは叫んだ。 身体に直接危害を加えられる心配のなかった彼女は危機管理意識が低い。 心の声をストレートに口にしていた。 その一言で察したネテロが、ふむ、と口髭をしごく。「おまえさんも異郷の人かね?」「チョイ待ちっ!!」 ネテロに手のひらを向け、シスターメイは深く深く考え込む。「モラウ×眼鏡――いや、眼鏡の鬼畜攻めも……あーいっそふたりまとめてネテロにっ!! やばっ! みwなwぎwっwてwきwたwww」 鼻息が荒く、シスターメイが叫ぶ。 彼女の言葉に、わからないなりに不穏なものを感じた三人だが、止めることはできなかった。 話を聞かない。手も触れられない。 そんな彼女を止める手段などありはしない。 結局無視してさきを急ごうとしても、微妙について来ながら妄想を垂れ流す。 回避不可能の精神攻撃である。「ワシ、ちょっとくらいこいつを痛い目にあわせても罰は当たらんと思うんじゃが」 至極疲れたようにネテロが言った。「まったくだ」「同感です」“監獄ロック(スモーキージェイル)”と“四次元マンション(ハイドアンドシーク)”で、それぞれ彼女を隔離しそこなったモラウとノヴがため息をついた。 一時間近く経ってから、ようやくシスターメイは我にかえった。 彼女が三人に簡単な経緯を話すと、モラウが頭を抱えた。「ウソだろ? あの曲歌ってたのてめえかよ……CD買っちまったよ」「ファン? わたしのファン?」 ものすごく落ち込んでいるモラウに、シスターメイは天然で追い打ちをかけている。「事情はわかりました……これっぽっちも分かりたくないですが」 眼鏡を正しながら、ノヴがこぼした。「ま、せっかく“巣”の位置を探ってくれたんじゃ。案内を頼もうかの」 ネテロはシスターに向けて言った。 女王の死までおよそひと月。 ネテロはそれを“外”よりもたらされた情報で知っている。 期間を目いっぱい使いきって、王誕生を阻むつもりのネテロだったが、行動開始が速いに越したこともなかった。 なによりも彼女なら、捕まって“敵”となる気遣いもなかった。「いいですとも!」 シスターメイは元気よく返事した。 こののち、拠点を確保したネテロたちはすぐさま行動を開始した。“探り”を入れる必要のないゆえに、敵戦力を徐々に削る、その速度も速かった。 NGL自治国の隣国、ロカリオ共和国の都市、クゥエン市。 NGLをでたユウが滞在しているのは市街地にある宿の一室である。 部屋の中には、パンツ一丁で血まみれの子供二人がぶっ倒れている。「児童虐待だ」 ユウは、つぶやきを聞き付けたビスケに殴られた。「バカなこと言ってるんじゃないの! ほら、治療!」 頭をさすりながら、ユウは倒れたふたりに触手を伸ばす。 その先から滴り落ちた粘液が、下着を溶かしながら傷を癒していく。 ものの数分のうちに、負傷はあらかた癒えた。 なお倒れたままのふたりに向け、ビスケが念能力を発動させる。 ――まじかるエステ。桃色吐息(ピアノマッサージ)。 クッキィちゃんによるオーラのローションを使ったマッサージは、わずか三十分で八時間の睡眠に匹敵する休息効果を得ることができるのだ。「高い負荷がかかると、筋組織の一部は破損してしまう。 人体ってのは良くしたもんでね、丸二日ほどかけてこれを回復させちゃうんだわさ。破損前より太く、強く、ね。超回復って呼ばれる現象よ」 マッサージに身をゆだねるゴンたちを見やりながら、ビスケは説明を続ける。「あんたの力があれば、筋肉を削って回復してが超速で回せるわさ」「ご機嫌なところ恐縮だけど、粘液は無限じゃないです……ていうか、俺からもナニか出てるっぽいです」 スポーツドリンクで水分を補給しながら、いくぶんげっそりとしたユウは弱く抗議した。「唾液かなにか?」「せめて体液とか……いや、もういいです」 突っ込み返す気力もうせていた。 ゴンたちが“練”の継続三時間を突破するまで、この苦行は続く。 その頃にはユウの体重は、同体型のモデル並みに落ちていた。 心労の種が増えた。 白虎のキメラアント。キメラアント軍団長代行、パイフルはため息をついた。 新しく生まれた女王直属親衛隊、シャウアプフ――のことではない。 同じく親衛隊のネフェルピトーのことでもない。 むしろ最近は部下を鍛える“素材”を提供してくれたりと、気まぐれなりに役立ってくれている。 キメラアントの個体が減っている。 いまパイフルの頭を悩ませているのはこれだった。 とくに、東向きに遠征した師団の傷みが激しい。 手口は判を押したように同じだった。 さきに師団長が消え、それから配下たちが消えていく。 明確な意図を感じるそれは、彼らの敵、人間の手によるものに違いなかった。 近々ではチオーナ隊とウェルフィン隊が、部隊長ごと消えている。 到底看過できる状況ではない。 「代行どの、どうされますかな?」 ともに頭を突き合わせて考えているのは参謀のペギーと、女王への忠誠厚く、頭も回るコルトである。「消えたタイプはほとんどが奔放型――師団長が部下を好きに泳がせているタイプか」 パイフルはつぶやいた。 忠告したところで耳を傾ける奴らではない。 はいはいうなずいておいて聞き流すに違いなかった。「逆に泳がせて網を張るか?」「ふむ」 コルトの意見を聞いて、パイフルはしばし考え込み。首を横に振った。「これ以上の犠牲は女王の食料調達に支障をきたす。さいわい、城内のことは軍団長のふたりに任せられる。ここは――私が出よう」 パイフルは静かに宣言した。