夜明けとともに、彼らは行動を開始した。 集落を出立したのは、アズマ、シュウ、マツリの三人だった。 いまだ行方の知れないふたりの同胞、その居場所を探すためだった。 ブラボーも同行を望んでいたが、それは叶わなかった。 キメラアントとの戦いで、毒と負傷に倒れた少女たちは、まだ動かせない。虹色の幼い少女、ライは強力な念能力者だが、彼女ひとりでは、さすがにふたりの負傷者を守ることはおぼつかない。 それに本来残る側にいるべきツンデレの相方、アズマは、念能力を必要とされて捜索組に加わっている。 彼に頼まれては、ブラボーも残らざるを得なかった。 アズマたち三人が目的地に着いたのは、昼を回ったころだった。 岩山を掘り抜いて造られた穴居群。 NGLの裏の顔。呑むドラッグ“D2”の製造工場だ。 それを見上げる近さにある森の中に、惨劇の残滓はあった。 血の臭いがまだ漂うそこで、アズマが発見したのは、折れたナイフの破片だった。 仏頂面のまま、アズマはそれを尊き物のごとく両手で掬いあげ、静かに念を施した。 ナイフは音もなく浮き上がり、宙をニ、三度さまようと、森の奥へと滑るように飛んでいった。 ――“返し屋(センドバッカー)”。 ナイフの破片は持ち主のもとへ戻る。 鈍く輝く鉄片の導きに従い、エルフの少女マツリと、ナイフの持ち主、ユウの親友であるシュウが、さきを争うようにして駆けだした。 ポックルに拾われたレットが目を覚ましたのは、この前日。五月六日、朝のことだった。 目を覚ました彼は、自分が置かれた状況を把握できなかった。 長期の睡眠と、それを強いた極限までの疲労が、頭の働きを鈍くしていた。 そんな状態の彼の前に、ポックルとポンズがいたのだ。 夢か、幻の類だと勘違いしてしまったのも無理はない。 女の甲高い悲鳴が上がった。 正気を取り戻したレットのほほには、拳と紅葉のあとが張り付いていた。 口をへの字にして腕を組むポックルに、レットは事情を語った。 森林地帯中央――名目上自然保護区として立ち入り禁止になっている地域は、すでにキメラアントの巣となっていること。 キメラアントとの戦闘のすえ、仲間とはぐれてしまったこと。「戻って援けを呼んだほうがいいっスよ。あんたたちじゃあ、このさき出てくる強力なキメラトは戦えないっス」 言うべきか迷いながら、レットは結局忠告した。 不安はある。 忠告した結果、話の流れが変わってしまったら。 ひょっとすれば、取り返しのつかない結果を生んでしまうかもしれない。 だが、レットは死地に赴こうとする彼らを、見過ごすことができなかった。 その気持ちが、必ずしも伝わったわけではない。 ポックルとレットは初対面であり、信頼は、むしろマイナスである。 だが、ポックルには、レットの強さがわかる。 病み上がりの身でなお、ポックルより強いオーラ。それが、彼に決断させた。「ポンズ、連絡を取っているハンターたちに、警告を。バルダたちは至急戻って、協会に事情を話してくれ」「ポックル」「逃げようってんじゃない。が、どうやらオレたちには荷が重いらしい。 この事件との関わりかたを、考え直すべきだろう」 話し合うポックルたちをながめながら、レットは、これでいいと思った。 最悪の結末を知っていて、それを見過ごす。 そんなことができる人間を、レットはヒーローだと認めない。 そして、“レット”はヒーローでなくてはならないのだ。 決断は、しかし遅すぎた。 レットは知る由もないが、軍団を指揮するキツネにより、NGL中央部を占める森林地帯の東部には、キメラアントたちは侵入できない。 その分各師団はほかの三方に手を伸ばしていたのだ。 その触手に、ポックルたちは既に触れていた。 最初に現れたのは戦闘兵だった。 女王に近い、それゆえ旧式の、言葉も操れぬ下級兵。 ポックルの“虹色弓箭(レインボウ)”を頭部に受けたこの蟻は、死の直前に、部隊長に向かって思念を送っていた。 応じて現れたのは、蜘蛛の特色を色濃く受け継いだ、人頭蜘身のキメラアント――パイクだった。 つづいてキメラアントの一部隊が、地を滑るように駆けてくる。 冒涜的な異形の群れの襲来に、バルダが悲鳴をあげた。 その声に誘われるように、人頭の蜘蛛蟻が、尻から粘糸を吐き出した。 絡めとられ、釣り上げられるバルダ。 人の頭に備わった凶悪な牙が、彼の頭部をかみ砕く、直前。 パイクの首が跳ね上がった。 レットだった。 粘糸にがんじがらめにされたバルダを小脇に抱え、パイクからむしり取りざまに蹴りを喰らわせたのだ。 だが、病み上がりのレットでは、パイクに致命傷を与えることはできない。「任せろ!!」 それを分かっていたようなタイミングで、ポックルが追い撃った。 ――“虹色弓箭(レインボウ)”。 オーラにさまざまな特性をつけ、矢として飛ばす、放出系の念能力だ。 このとき放った“橙”の矢は、速度特化。最速の一箭を、しかしパイクはのけぞりながらつかみ取った。「なっ!?」 驚くポックル。 だが、レットは驚かない。驚くはずがない。 なぜなら――レットはそうなることを知っている。 口から血をにじませながら、パイクは丸い瞳をぎょろりと向けてくる。 緊張と、殺気が肌を焼く。 敵の殺意には、同量の食欲が交じっている。人とは異質な心の働きをする、狡猾獰猛な獣に囲まれ。 ポンズやバルダなどは、なすすべもなく悲鳴を上げている。 この状況で、レットはにやりと笑う。 笑えるほどに、条件は整っていた。「変――身!!」 両の拳を交差させ、レットは叫んだ。 赤いスーツがレットの体を覆う。 オーラが、吹きあがった。 ――“強化着装(チェンジレッド)”。 相手が強く、多勢であり、自分以外の誰かがピンチになっている。 ふざけてるとしか思えない条件の元でのみ使える、レットの念能力。 だが、だからこそ効果は大きい。フィジカルスペックとオーラを、軒並み数倍に引き上げてくれるのだ。 能力発動時のレットの戦闘能力は、ブラボーに匹敵する。「な、なんだべ!?」 目を見開く異形の蜘蛛に向かい、レットは渾身の力を込めて地を蹴った。「レッド――キーック!!」 声とともにオーラが吹きあがり、足先に集中する。 紅のオーラが強く強く猛る。 だがそれが、逆にパイクから、攻撃を受けるという選択肢を奪った。 八本の手足を地につけて、パイクはすべてを放り出して逃げだした。 兵隊長を欠いたキメラアントの群れは、しかし、逃げ散ることはなかった。 もともと統率のとれていない蟻たちは、猛り狂って襲いかかってきた。「――ポックルさん!!」 レットとポックルが目でうなづきあう。 ふたりの手で、キメラアントが葬られるのに、三分とかからなかった。「ポックルさん。退いてくださいっス」 戦いが終わって。 この地にとどまる危険が、みなの胸に染み渡った頃合を見て、レットは言った。「あんたはどうするんだ」 肩で息をしながら、尋ねたのはポックルだ。 レットは眉を引き締めて言った。「俺は、助けなきゃいけない人がいるんスよ」 ともに戦ううち、はぐれたエルフの少女、マツリのことである。 彼女もまた、いまだこの地にとどまっていることを、レットは確信している。「……オレも行こう」「ポックル!」 バルダが悲鳴をあげた。「バルダ、ダルパ、ポンズ。お前たちは国境まで引いて、協会に連絡と、ハンターにつなぎを」「――わたしは残るよ」 ひとり首を横に振ったのは、ポンズだった。「ポンズ」「探し人がいるなら、蜂に探してもらうほうが早い。それくらいは役に立たせてよ」 ポンズが口元に微笑を浮かべる。 ポックルは真面目腐った顔でこくりとうなずいた。 バルダとダルパはいち早く国境まで退いた。 残る三人は、蜂使いの少女、ポンズの蜂を頼りに、生き残りの探索を始める。 真南に向かった彼らだったが、途中、蜂の知らせを受けて南東に進路を変えた。 つきあたったのは、小さな集落だった。 ぽつぽつと建つ木造りの家。その一軒から出てきた人物を見て、レットは思わず声をあげた。「ブラボーさん!!」「レット!!」 白銀の防護服――ではなく、それに似たコートを纏う、長身の男が歓声を上げた。 再会を果たしたレットたちが腰を落ち着けるひまもなく、今度は全員が驚きの声を上げる出来事があった。 ポックルやポンズにとっては懐かしい顔であり、ほかの皆にとっては偶像と言ってもいい存在。 ゴン、キルア、それにカイトが、この集落を訪れたのだ。 彼らの来訪は、異邦人たちの記憶よりも、数日は早かった。 けが人がいる家を避けて、別棟に集まったのは、カイトたち三人とポックルにポンズ、レット、ライ、それにブラボーの八人である。 ライはなぜかオールバックの大男の姿になっている。 ゴンが、鼻をひくつかせ、首をかしげていた。 さておき、ブラボーはおのれの持つ情報をカイトに伝えた。 キメラアントの数のおおよそと、その凶暴さ。敵の中に、念能力を持つ強力な個体が存在すること。 ポックルも自分の知る情報を言い添えた。北部の状況は、彼のほうが詳しい。 事情をあらかた聞き終えて。「なるほど」 カイトがうなずいた。 念能力を使う、極めて強力な異種生命体。その危険性を、彼は十分認識しているはずだ。 それでいて、表情からみて取れるのは、恐れでも危機でもないく――ある種の喜びだった。 カイトの表情を見て、ブラボーは漠然とした不安を感じた。 強者がいる。 それと戦う。 ハンターの業のようなものだ。 ――だが、その業がカイトを殺す。 ブラボーだけでなく、ライもレットもそれをよく知っている。 話を終えてすぐ、カイトたちは集落を発っていった。 ひとつだけ、ブラボーは忠告した。「敵は、君が考えているよりも――はるかに強い」 行くな、とも、逃げろ、とも、ブラボーは言わなかった。 ジン・フリークスを師に持つ一流のハンターに対する、それは冒涜でしかないからだ。 それよりすこし前、キメラアントの陣営に動きがあった。 キツネの名で出されていた、森林地帯東部への進入禁止令が解かれたのだ。 コルトが数名の部下を引き連れ、さっそく様子をうかがいに出た。 流れは、確実に加速している。