NGLの中央を占める、森林地帯。その東のはしに、人が倒れている。 ツンデレたちである。白虎のキメラアントとの邂逅のあと、それまでの連戦による疲労も手伝いって、彼女たちは倒れこむように眠り込んだのだ。 ツンデレが再び目を覚ました時、すでに日は西に傾いていた。「目が覚めたか」 重たい頭を押さえるツンデレに、声をかけたのはロリ姫だった。 皆が眠るなか、彼女はひとり、見張りをしていたのだ。 ふんぞり返る幼い少女に礼を言うと、ツンデレはあたりを見回した。 ひと眠りしても、まだ神経が尖っている。敵の気配はない。すくなくとも、しもうしばらくはキメラアントの襲撃がないことを、ツンデレは確信した。 ミコとマツリは、と、ツンデレが見ると、まだ眠り続けていた。 倒れたときには折り重なっていたのが、川の字にされていた。ロリ姫の気遣いだろう。ツンデレの腹が微妙に満ちていたのは、気遣いとはまた別だろうが。 静かに寝息を立てるふたりを見ながら、ツンデレは考える。 ミコは、まあ、寝かせておけばいい。 昨夜からの戦いで、心身ともに消耗しているのだ。 だが、マツリはそう言うわけにもいかない。 ツンデレやミコなどよりよほど消耗している彼女を見れば、寝かせておいてやりたくもある。だがその前に、いろいろと聞いておかなくてはならなかった。 とくに、先行したほかのふたりの行方は、いまだわからない。 だが、マツリは起きなかった。 ゆすっても、声をかけても、うなり声ひとつ上げない。 深い眠り。それを強いた激戦を思い、ふと、ツンデレは不安に駆られた。「あのひとなら、大丈夫だとは思うけど」 胸をよぎる不吉な予感を押さえつけて、ツンデレは空を見上げた。 おなじ空を、泥と糞で練り固めた奇形の砦から見上げる者があった。 鳥類の翼を持つ甲虫だ。女王に許されて、コルトという名をもつようになった。「コルト、なにを憂いでいる」「ペギー」 名を呼ばれて、コルトは振り返った。ペンギンの姿を持つキメラアントが、そこにいる。「カマーロの師団がやられた。壊滅にちかい。部隊長も含めてな」「なんと」 ペギーが驚きの声を上げた。 当然である。いままで、下級兵の死亡すら、数えるほどしか例がなかったのだ。部隊長クラスが、それも複数やられるなど、ただ事ではない。「あそこの師団は、カマーロががっちりと統制を取っていたからな。それが災いしたのかもしれない」「何者にやられたのだ?」「わからん」 コルトは目を伏せて、吐き出した。苛立ちが滲んでいる。 ペギーが首をひねる。「斥候に現場を確認させていないのか?」「ああ。いま、あの近辺に兵を派遣することは禁じられている。“キツネ”様じきじきにな」「なんと」 ペギーが声を上げた。 キメラアントのヒエラルキーの中で、女王のをぞいて現在最上位にあるのが、“最古の三人”である。彼らはそれぞれ独自の師団を持ちながら、それぞれほかの師団を指揮する、軍団長の権限を分け持っている。 その中で、名を持たぬ白虎のキメラアントは、コルトやペギーと近い思想を持つ、女王至上主義者だ。 キツネは、どちらかと言えばハギャやザザンに近い、おのれの快楽を優先するタイプである。コルトがあまり好きになれないタイプだった。 最後の一人にいたっては、おのれの師団すら放擲している。さすがに女王の餌の調達を怠ることはないが、コルトからみれば言語道断である。「手柄を独占するため、か? ふむ、あの方らしいといえば、らしいが……」 ペギーが難しい顔になった。 どうもきな臭いにおいが抜けない。「とにかく、警戒が必要だ。とくにいま、女王様は王を生む大事な時期だからな。これ以上の損害を出すわけにはいかないんだ」 雑念を振り払うように、コルトが言った。それのみが大事とでもいうような口調だった。 事実、人間調達には、手はいくらあっても足りないのだ。失った手足は、自分たちの精勤で補うしかなかった。 コルトは忙しい。それでも、漠然とした不安が、視線を彼方に向かわせる。 雨は、しばらく振りそうになかった。 夜半になって、キメラアントがふたたびツンデレたちを襲った。 規模は十体前後の一部隊。昨夜ツンデレたちを狙ったキメラアントに間違いない。 ミコはこの時すでに目を覚ましてる。 マツリは昏々と、眠り続けていた。自然、彼女を守りながら戦うことになる。 苦戦した。 当然だ。相手は毒を持っている。ツンデレたちは、一撃も喰らえない。そのうえ動き回ることもできないのだ。足かせをつけて戦うようなものだった。「いったん退きましょう!」「うむ!」 下級兵を袖ではたき倒しながら、ミコが叫んだ。 暴れまわる二本のドリルの繰り手、ロリ姫もそれに同意する。 だが、ツンデレは、はねつけた。「駄目よ! ふつうの人を巻き込んじゃう!」 このあたりの森は、すでにキメラアントの領域だと思ったほうがいい。 ならば逃げるのは後方、平野部しかない。 そこには一般の集落も、当然、ある。 巻き込むわけにはいかなかった。純粋なNGLの信望者には、キメラアントに対抗する手段などないのだ。「それはっ! ダメですっ!」 叫びながら、ミコはザリガニ型戦闘兵の巨大な鋏をしゃがみこんで避け、ミドルキックを放った。 同時にロリ姫のドリルが、部隊長を射抜き、それが最後。 あたりにはバラバラになったキメラアントの死骸しか残っていない。 ふう、と、息をついて、ツンデレはミコの言葉を受けた。「ええ。それはやっちゃいけない。だから――」「だから?」「ここらで――反撃しましょう」 言って、ツンデレは笑う。不敵な笑みだった。 それからしばらく後、ツンデレたちは闇の領域に足を踏み入れた。 木々の合間から見えるほのかな月明かりと、鍛えた念による感覚だけを頼りとして、少女たちは奥へと向かっていく。 当然のように襲撃があった。 襲ってきたキメラアントたちは、闇を苦にしなかった。 苦戦は必定。だが、ツンデレたちはあえて正面から立ち向かった。 ツンデレはおのれの拳で戦った。 マツリを背中に抱え、防御をロリ姫にまかせて、容赦なく敵陣に突っ込んでいく。 ミコも駆けた。静々と進むようでいて、ツンデレにぴたりと張り付いている。 五体のキメラが、一瞬にしてけし飛んだ。 反転して、ツンデレは追ってきた戦闘兵を、唐竹に割って捨てる。そのあいだにミコは、上から襲ってきた一体を葬っている。 体力の配分など考えない、暴走に近い攻撃。ふたつの暴風が、敵勢を散らす。 だが、闇はやはりキメラアントに利した。 木々を縫って伸びてきた毒の尾を、ロリ姫のドリルが止めた、瞬間。尾の先から飛んできた毒針が、ツンデレの太ももに突き刺さったのだ。 ツンデレは声もなくその場に倒れた。「小娘!」「ツンデレさん!」 ロリ姫とミコが叫ぶ。 動揺が、手元を狂わせた。 対峙していたキメラアントと相討つように、ミコも毒の牙に掠ってしまったのだ。 ツンデレと重なるようにして、ミコも倒れた。 唯一生き残った、毒の尾を持つ昆虫型の戦闘兵が、ふたりに近づく。 ツンデレたちが動かないことを確認すると、戦闘兵は虚空に頭を向けた。 しばし時間をおいて森の奥から、一体のキメラアントが現れた。刃状の鎌をもつ、巨大なカマキリだった。 カマキリは様子をうかがうように、倒れたツンデレたちに近づいていく。 巨大な複眼が、少女の顔にもっとも近づいた、その時。 ドリルが、音もなく高速回転を再開した。 飛び退ろうとするカマキリより、なお速く――ドリルはキメラアントの頭部を粉砕した。 返す刃で生き残った戦闘兵を葬ったドリルは、しばらくすると回転運動を止めた。 最後の力を振り絞ってのことだったのか、キメラアントの毒を甘く見たのか。 脅威が去って、それでもキメラの死臭漂うそこに倒れたままでいる少女たち。 それを確認したように、ゆっくりと。 数体のキメラアントが姿を現した。先頭に立つのは、カマキリの姿を持つキメラアントだ。 さきほどのカマキリよりは、二回り以上小さい。ジーンズの、腰の部分だけ除いたものを履いている。 師団長、カマーロである。 動かなくなったツンデレたちにも油断せず、自分とよく似たキメラを偽の師団長に仕立て上げ、様子を見させたのだ。 カマーロは、ツンデレを危険と判断したのだろう。 部下に命じてツンデレの背からマツリを引きはがすと、ツインテールの少女に、躊躇なく右腕を振り下ろした。 蟷螂の斧が地面を深くえぐる。鮮血が飛び散った。 ――否。 飛び散ったのはツンデレそのもの。 カマーロの鎌が彼女を切り裂く直前に、ツンデレは火に炙られたロウのように溶けた。 この瞬間、カマーロの意識は、完全に虚となった。 そしてそれは、ツンデレが胃をひきつらせながら待ちわびた瞬間だった。 ドリルが、土中から生えた。 モーター音を立てて高速回転するそれは、カマーロの胴に突き刺さり、なお回り続ける。 手足を四裂させ胴を破られ、残った頭部でカマーロは見た。 累々と横たわる部下たちの死体。その下から、ツインテールの少女が姿を現すさまを。 ――図られていたのは、己か。 キメラアントであった短い命の最後に、カマーロは驚きとともに、淡く笑った。 人を、だまし続けてきた人生だ。その自分が、逆にだまされるとは。 そこまで考えて、カマーロはふと、首をひねった。 ――だまし続けてきた? 誰を? そもそも、自分は、何者なのだ? 人であったころの記憶に混乱しながら、カマーロの意識は闇に沈んでいく。 ――カマーロサマ ハ ヤラレマシタ。 部下たちの断末魔とともに、いずこかへ向けたテレパシーを、最後の瞬間に聞いた。「ふう」 ツンデレは闇の中に息を落とした。 足元には、キメラアントの死骸が転がっている。なかには、まだ手足が動いているものもあった。それが土や立木を叩く音は、死臭にもましてツンデレに不快を与える。「やりましたわね」 耳をやさしくなでるような声が、足もとから聞こえてきた。 ミコである。 ゆっくりを身を起こすしぐさに、毒の影響は見られない。 当然だ。彼女は服の下に、マツリが着ていた防弾ベストを着込んでいた。はじめから毒など喰らっていなかったのだ。 毒を食らって倒れたツンデレは、彼女の念獣である。本物は乱戦のうちに土中に紛れ込み、“絶”で気配を絶っていた。 死角の多い森の中だらこそ、また、体臭をキメラの死臭で誤魔化せたからこそ、それができた。 敵の師団長がカマーロ――絵面だけでも原作に登場していた個体だったことも、幸いだった。「マツリさんはほんとに動けないから、ひやひやしたけどね」 眠って動かないマツリに、毒で動けなくする以上のことはしてこないだろう。 キメラアントたちが師団長の元、完璧に統制されていたからこそ、そう確信していたツンデレだが、実際はどう動くかわからない。ツンデレは飛び出したくなる気持ちを抑えるのに苦労した。 あれだけの戦闘があっても、マツリはまだ眠り続けている。 図太いというより、体がそれを欲しているからなのだろうが、気楽なものだと、ツンデレは思う。「でも、じりじり追い詰められるより、危ない橋でも一気に勝負を決めるほうが、性にあってましたわ」「わたしも」 ミコの言葉に、ツンデレは苦笑しながら同意した。 ツンデレは元来、表裏のない性格である。心の裏など考えないし、他人のそれも推し量らない。 ある種美質なのだろうが、それだけに、人をだますことに慣れていない。 ミコも似たようなもので、ロリ姫の添削がなければ、敵の師団長、カマーロの注文に、きれいにはまっていたかもしれなかった。「こんな時、アズマがいればなぁ」 慣れない思考で消耗したためだろう。ツンデレはしみじみとため息をついた。 実感と、それ以上の信頼がこもった言葉に、ミコが首を傾る。「そういえば、ツンデレさんはアズマさんと恋人さんなんですの?」「にゃっ!?」 いきなり言われて、ツンデレは妙な声を上げた。「そそそそそんなわけないでしょいったいなにがなにやら」「嫌いなんですか?」「そんなわけないでしょ!」「じゃあ、好きなんですね?」「うううー」 見事に返答を誘導され、ツンデレは真っ赤になってうなる。 好意は否定するつもりはないが、他人から言われると、恥ずかしさが先に立つものだ。「変な勘違いしないで! アズマとは、別にそう言うのじゃないんだから!」 ツンデレは思わず、そう叫んでしまった。 強がりめ、と、ロリ姫がつぶやく。 それを見て、ミコが、しみじみとうなずいた。「なるほど、ツンデレなんですね」「……ねえ、ミコちゃん? 前々々からすっごく気になってたんだけど――“ツンデレ”って、なに?」 非常にいまさらな質問だったが、問われて答えないミコではない。“ツンデレ”について、懇切丁寧な説明が、ツンデレに対してなされた。 感心深げだったツンデレの顔が、しだいに赤くなっていく。話を聞き終えたとき、ツンデレは顔を真っ赤にして叫んだ。「あ、あ、あ、あ、アズマぁーっ!!?」 羞恥を振り払うように、ツンデレは腕をばたばたと振りまわす。「殴る殴る殴る、絶対殴るぅーっ!」「どうしたんですか、ツンデレさん?」 首を傾げるミコ。 あらためて呼ばれると、同胞の前、公の場所はおろか天空闘技場でそう呼びたたえられていたことまで、芋づる式に思い出される。「お願いミコちゃんツンデレって呼ばないでぇーっ!」 身もだえしながら、ツンデレは悲鳴を上げた。