五月五日の朝日を、エストこと他称ツンデレは、眼をしばたたかせて迎えた。 ツンデレもミコも、昨晩は一睡もしていない。キメラアントによる断続的な襲撃のためだ。 部隊数にして四、数にして四十三体。 それだけ相手にして、手傷はほとんど負わなかった。毒を警戒したためだ。 キメラアントの神経毒は、喰らえば一瞬にして行動の自由を奪われる。それゆえ、神経質なまでに敵の攻撃を避けたのだ。 だが、それゆえ、消耗は激しかった。 精神的にも、体力的にも、そしてオーラも、見る間に摩り下ろされていった。 襲撃が途絶えても、神経が休まることはない。 敵がいつ攻撃を仕掛けてくるか、わからないからだ。 キメラアントの死臭や体液の臭いが新たな敵を呼び寄せることを嫌って、戦闘のたび、場所も移してきた。 むろん仲間にはわかるよう、ひそかにメッセージを残している。 ほぼ二時間おきの攻撃が四度、敵は襲ってきた。五度目は、まだない。 最後の襲撃から、すでに三時間は経過している。 ひょっとして、すでに攻撃は中断されているのかもしれない。 だが。 ――わたしたちにそう思わせるために、間を置いているのかもしれない。 そんな可能性が、ちらとでも頭をかすめれば、落ち着いて休めるわけがない。 極力体を動かさず、オーラの消費を抑え、回復を図る。それしかなかった。 四大行のひとつに、“絶”がある。 体から自然と放出されるオーラを、完全に断つ技術だ。 ツンデレたちは、回復力を高めるためにこれを使っていた。 だが、“絶”は、思わぬ効果をも、もたらした。 オーラという外皮が剥がれたせいだろうか。 神経が見えざる触手と化して、体の外にまで飛び出ている。そんな妙な感覚に、ツンデレは囚われていた。 遠くで、風にしなう草から、羽虫が飛びあがった気配すら、いまのツンデレには知覚できた。 ツンデレは、原作を思い出す。 天空闘技場で、ゴンが独楽使いのギドとの戦いで見せた、“絶”。 目の精孔すら閉じた、オーラにたいして完全に無防備な状態で、どうして多方向からの敵の攻撃を避け続けることができたのか。 ――視るんじゃない。感じてるんだ。 それを、ツンデレは身にしみて理解した。 日が昇りきってほどなく。 ツンデレは、はるか遠くにオーラを捉えた。 ――静かで、力強い。でも、どこか哀しい。 そんなオーラだ。 仲間のものではない。 先行した仲間たちの中で、もっともオーラが大きいのは、黒づくめの暗殺者少女、ユウである。感じたオーラは、それよりもはるかに大きい。 オーラの主は、まっすぐこちらに近づいてくる。 原因に気づくまでに、さほど時間を要しなかった。 風が変わっていた。 ほぼ無風とはいえ、厳密には風上に立っている。嗅覚に優れた動物なら、これを逃すはずがなかった。 ツンデレはこれをキメラアントと断じた。 原作通りならばこの時期、念を覚えたキメラなど、いるはずがない。 しかし、同胞による介入があったのだ。最悪の可能性は、否定できなかった。 ――場所を変える? ダメ、逃げるには遅すぎる。 ツンデレは、地面ごと草を握りこんだ。 戦うしかなかった。 二分の怯えを、八分の勇気で抑え込んで、ツンデレは腹を決めた。「ミコさん」「……はい」 ミコの声には、強い覚悟があった。ツンデレの意図を汲んだ、力強い返事だ。 彼女の目もとには隈ができていた。 ――わたしも、ひどい顔になってるんだろうな。 そんなことを考えながら、ツンデレは戦いに向け、集中する。“絶”は、まだ解かない。 ほんの僅かでも、オーラを回復するためだ。 それからいくらも経たぬうち。 巨大なオーラの主が姿を現した。 速やかに、ツンデレは臨戦態勢に移った。 やはりキメラアントである。 白き大虎だ。巨躯である。ツンデレが、ツインテールを真上に延ばして、まだ届かない。 その威容より、ツンデレの目を引いたのは、この白虎が背負っている人間だった。 気絶しているらしい。後頭部が見える。そこから、長い耳が飛び出していた。「マツリさん!?」 ツンデレとミコの声が重なる。 同胞であるエルフの少女、マツリだった。 白虎の目が、鈍い驚きをともなって開かれた。「これの知人か。なら、マツリを頼む」 言って、白虎がひょいとマツリを投げてきた。 飛んできたマツリの小柄な体を、ツンデレはあわてて受け止めた。 気絶している。 外傷、毒痕はない。単純に、オーラの過剰消費によるものと観て取れた。 それを確認して、ツンデレは白虎に問うた。「あなた、何者? ――いえ」 わかりきった事実だ。確認するまでもない。 ツンデレは質問を改めた。「あなた、マツリの仲間でしょ?」「前世(むかし)はな。いまは、ふふ、敵かも知れぬ」 白虎が、歯を剥き出しにして言った。 人間であった頃の記憶よりも、キメラとしての性に、より強く縛られている。 ツンデレはそう見た。「忠告しておく。このまま立ち去れ。女王に仇なす者は、たとえ同胞であろうと――殺す」 オーラではない。その、意志を込めた言葉だけで、ツンデレは威竦んだ。 オーラが、膨れ上がった。暴力的な圧力。ツンデレは思わずたたらを踏んだ。「帰る気は……ありませんの?」 かろうじて口を開いたミコの問い。 応える白虎の声音に揺るぎはない。「我が故郷は、女王の御許、ただひとつ」 断言だった。 ツンデレは、NGLに来た目的の一つが、ついえたことを知った。 この白虎はすでにマツリたちの仲間ではなく、キメラアントだった。「力づくでも、とは、悔しいけど、言えないようね」 額に汗をにじませ、ツンデレが言った。 次元が違う。そのことを、否応なしに痛感させられていた。「やめておけ。いまの私の“暗然銷魂功”に隙はない」 同胞の記憶を宿したキメラアントは、そう言って背を向けた。 厭うような調子だった。「それから、カマーロは退いたぞ。すこし前だ。まだ、あきらめてはいないようだったが。いまのうちに帰れ」 途中、足を止めて、白虎が忠告してきた。「カマーロ?」「師団長のひとりだ」 ツンデレの疑問に律義に応えて、今度こそ、白虎は去って行った。 後姿を見送ってから、ツンデレは集中の糸がふつりと切れる音を聞いた。 ツンデレは、そのまま地面に倒れこんだ。ミコもそれに折り重なる。「おい、小娘共! 確(しっか)りせぬか!」 ロリ姫の声が、虚空に響いた。 NGLを、おおざっぱに正方形に描いたとする。 北部から弧を描く形で、平野が東部に向かって伸びている。 北東部は山地である。そこから南に向けて、島をほぼ両断する形で、巨大な河川が流れている。これがNGLと、東のロカリオ共和国を隔てる国境である。 平野部に包まれるように、NGLの中心付近は森林地帯となっている。 国土の三十%超にもなる、この広大な森林地帯は、海に近づくにつれ漸減し、岩と砂がそれにとってかわる。 沿岸付近は完全な岩石地帯である。 ポックルが、キメラアントの生息地帯としてあたりをつけたのは、中央の森林地帯だった。 キメラアントの生態を考えても、“巣”を造るのに適しているここが、もっとも怪しい。 前日は平野部で野営して、五月五日未明から、ポックルたちは探索を開始した。 調査を始めたのは、森林地帯の北部からだった。 東部から調査を始めたハンターが多かったので、調査起点をずらしたのだ。 探索を始めて数時間。 蜂使いの少女、ポンズの“蜂のネットワーク”が、行き倒れの男を発見した。 現地人ではない。ポックルたちの目にも、それは一目でわかった。 なんと彼は、この人工物を危忌するNGLで、防刃繊維のジャケットなどを着こんでいたのだ。 男は昏倒していた。 念を納めたポックルには、それが、オーラを極限まで酷使した結果だとわかった。「どうする?」 ポンズが尋ねた。 一見して不法入国者である。関わり合いになりたくはない。 行き倒れているのも、いずれ自業自得だろう。 見殺しにすることに抵抗はないが、この念能力者をここまで疲弊させたのは、はたして何者なのか。 ポックルが気にかかっていたのは、そこだった。 しばし沈思して、そして彼は決断した。「バルダ、こいつを頼む。目覚めるのを待って話を聞きたいが、そうも言っていられないようだ」 連れのひとりに男を預け、ポックルは森の奥を見た。 ――なにか、途方もないことが、起こりつつある。 嫌な予感が、喉元に張り付いていた。