「恐ろしいな。空を飛ぶというのは」 ブラボーは言った。 仁王立ちで腕を組み、象徴たる防護服の裾は、風にはためいている。 空を切る青眼の白龍の上である。 地上数百メートル。落ちれば即死の高さだ。でありながら、龍から振り落とされれば、ブラボーには、なすすべがない。 その実感が、ブラボーにさきの言葉を言わせたのだ。 ともに乗る白いコートの青年――海馬瀬人が、鼻を鳴らして言った。「自らの力で飛ばぬからだ。鳥は飛ぶことを恐れん」 真理である。 人は、自力では飛べない。それを感覚で知っている。だから、人は高所を恐れるのだ。「だが、人は飛べる。プロペラを回し、ジェットエンジンを吹かし、大空を我がものとするすべを有している。それを含めて、人の力だ」 視線を虚空に定め、誇り高き決闘者の姿を写す青年は、告げる。「恐怖は、生物の本能が告げる、おのれの限界だ。 しかし、ブラボー、わが同胞よ。人は、それを超えてゆけるのだ」 断じた。 人は飛べぬ。だから恐怖する。だが、そこで止まっていては、人類が空に舞う日はけっして訪れなかっただろう。 人は恐怖を、種が持つ能力の、限界を超えることができる。それこそが、人の強さなのだ。 実感を込めて、ブラボーはうなずいた。 それができるだけ、彼は見てきた。人が恐怖に抗い、前に進むさまを。「――だが、手に翼をつけて羽ばたくような真似をしても、人は飛べぬ。 もし、貴様が独力であの地を守ろうとしていれば、オレは貴様を嘲笑していた」「なりふり構っていられない。それだけだ」 ブラボーは静かに答えた。 海馬の表情が緩んだ。「褒めているんだ。素直に受けろ。おまえ、こちらに来てから数段は柄を上げたぞ。それを考えれば、こんなファンタジーも、貴様にとっては、悪くはなかった」「社長」「と……どうもおまえと話していると、素の人格が強くなる――ふん、凡骨決闘者から、すこしはマシになったようだな!」「言い直さなくても」「まあ、良しとしておけ。こちらの人格に身を預けるのも、これでなかなか楽しいのだ」 ふたりを乗せて、白き竜は飛ぶ。 背中から照らされる夕焼けの彼方に、目的地はもう見えていた。 五月四日、夕刻。 カピトリーノの丘。その頂上に、白き竜は舞い降りた。 町には一般市民も住んでいる。そこへ巨竜が舞い降りたのだから、ちょっとした騒ぎになってしまった。 群衆は、青眼の白龍のすがたを遠巻きにして見ている。好奇と恐れが半ばといった様子だ。 鼻を鳴らすと、海馬が闘技盤からカードを抜き払った。 青眼の姿がかき消えた。「待ちかねたよブラボーくん!」 ざわめいた群衆のなかから、銀髪の美青年が飛び出してきた。 セツナである。「セツナ、どうかしたのか」 その慌てた様子に、ブラボーはいぶかって尋ねた。 待ちかねたように、セツナがブラボー不在中の出来事を説明する。 電脳ネットサイト“Greed Island Online”の管理人、ソル率いるコミュニティーが、同盟を申し込んできたこと。 そこから使える人材を漁りに、ブラボーの連れである鎖使いの青年、カミトたちがリマ王国へ向かったこと。 カミトが伴ってきた同胞ふたりを連れて、セツナの仲間、マツリがNGLに向かったこと。 ツンデレたちがそれを追って行ったこと。 話を聞き終えて、ブラボーは決然と言った。「助けに行こう。社長、連続だが、飛べるか?」「NGLに着いたあと、しばらくは動けんだろうがな」 ふん、と、海馬が、鼻を鳴らしたその時。 カピトリーノの丘に、装甲車が飛来した。 さすがのブラボーも面食らう。 装甲車は勢いを減じながらも止まることなく、地面を転がって行き、裏返しになって止まった。 しばらくして。 ずるずると、中にいた者たちが、這い出てきた。「あいたたた、アズマくん、無茶し過ぎよ」「時間が惜しかったんだ。我慢してくれ」 運転席側から出てきたのは、カミトとアズマのふたり。 奥から、アズマに続いてもうひとり、這いでてきた。その姿に、ブラボーは眼を見張った。「いたたた、ひどい目に遭った」 尻に手をあてて呻く少女の姿は、かつて、ブラボーが深く傷つけてしまった少女のものだったのだ。「ユウ!?」「――じゃねーよ。他人の空似だ」 驚くブラボーに声をかけたのは、助手席側から這い出たシュウである。「シュウ。カミト……お前」「……ええ。“外”に出て、助けを求めた。ユウちゃんも、ミコも、レットくんも、わたしが引き込んだわ」 カミトは、ブラボーの目をまっすぐに見据え、言った。 けっして、ブラボーには許せない行為だった。「カミト」 ブラボーは腕を振り上げ、そして下ろした。 カミトを責める資格など、自分にはない。ブラボーはそう思っている。 カミトにとってそれは、殴られるよりはるかに堪えた。「カミトを責めるのはお門違いだぜ、ブラボー」 ふたりの間に割り込んだのはシュウである。「オレたちは自分の意思で来たんだ。カミトに言いくるめられたとでも思ってるのなら、それは侮辱だぜ? なあ、キャプテンブラボー」 重い空気を吹き飛ばすように、金髪の少年は不敵に笑った。 アズマも、驚いていた。 当然のようにブラボーの傍ら立つ、海馬瀬人の姿にである。 独善、不適、唯我独尊。 アズマは海馬をそう評価していた。「海馬」「ふん、凡骨か」 むしろ楽しそうに、海馬は鼻を鳴らした。 アズマは口元をゆるめた。不思議と、気持ちが通じていた。 その横で、ユウのそっくりさん、ニセットは、キャプテンブラボーと海馬瀬人が並び立つというカオスに目を回している。 ここに変態仮面が混じれば、なお混乱していたことだろうが、幸いにして変態仮面は巡回中である。 取り巻いていた野次馬たちは、三々五々と帰っていった。 やってきた奇人たちがセツナの仲間だとわかったからだ。 それだけ信頼されている、ということもあるし、変人扱いされている、ということでもあった。 丘の頂から野次馬の姿がすっかり消えたころ。 カピトリーノの空を、ふたたび青眼の白龍が舞った。 同乗したのは、シュウ、アズマ、ブラボーの三人だ。 カミトは残った。 青眼が満員になったこともあったが、おもに不測の事態に備えるためだ。セツナと変態仮面では、やはり不安が残るので、仕方がなかった。「安心して頂戴。ここは、なにがあってもわたしが守るから」 そう言ってほほ笑むカミトに見送られ、ブラボーたちはNGLに向かった。 途中、ブラボーは先行したメンバーを確認する。 話がライに及んだとき、ブラボーは思った。 ――ああ、あの少女も来てくれたのか(・・・・・・・・・・・・)、と。 ドナ川に沿って、どこまでも続く公道。 夕闇の帳が下りる中、南東に向かって、黒のセダン車が走っていた。 乗っているのは、男女のふたり連れである。 ひとりは二十代後半の女だ。 着飾っていれば十分美人の範疇に入るのだろうが、化粧っ気もなく、白衣を着崩した姿は、だらしない印象しか与えない。 もうひとり。運転しているのは、二十歳前後の男だ。 若干くたびれた黒のブランドスーツを着こみ、丸いサングラスを鼻にのせている。「よう、ヘンジャク師匠」 男が、助手席に座る女性を横目で見やった。 そのさい焦点が、白衣を突き上げるような、おおきな胸にあることを、女――ヘンジャクは知っている。「なんだ? 不祥の弟子」 そう返されて、男の顔が不機嫌に歪んだ。「おまえなぁ、学校休んでまで師匠のお供してるかわいい弟子に向かって、そりゃねぇだろ」「なにを言ってるんだ。この不世出の神医、ヘンジャクの神技的医術を間近で見られるんだぞ? それ以上の勉強が、あると思うか?」 ヘンジャクは断言した。微塵のてらいもない。掛け値なしに事実なのだから、よけい性質が悪かった。 さらに、その事実を学長につきつけて、彼の不在を無理やり公欠扱いさせてしまうのだからすさまじい。 「まったく。成績の割に実技だけは完璧なおかげで、ただでさえエリートさまから妬み買ってるっつーのに」「お前はこの神医ヘンジャクの弟子なのだ。恨み妬みは買って当然だ」 ぼやく男に、ヘンジャクはしたり顔で言う。「だが、レオリオ。わたしがお前に与えてやれるものは、それを補って余りある。技術に名声、コネクション、それに“念”もな」 ヘンジャクは笑った。 性別をはなから捨てたようなところがある彼女だが、こんな時だけはきちんと女に見えるのだから始末に悪い。「あ!? そういやアンタ、思いっきり騙してたろ、“纏”を“念”だって! 仲間の前でハジかいちまったじゃねぇか!」「あれは、最後まで教えてたら、受験に差し障りが出ていたからだ」 思い出したように叫んだ男――レオリオに、ヘンジャクは半眼で答えた。 医学関連の知識に関しては、及第以上のレオリオだが、他は壊滅的だった。合格したのは奇跡に近い。 そんなレオリオに、返す言葉など、あろうはずがない。「ああ、レオリオ、ここで左に折れてくれ。ネテロのクソ親父に押しつけられた雑用の前に、恩人に会っておきたいんだ」