現れたのは二体。甲殻の肌を持つ異形。 赤く巨大な複眼。鋭く研ぎ澄まされた四本の節足。いくつかの昆虫の特徴を併せ持つ、キメラアントの戦闘兵だった。「ロリ姫、最大威力でお願い」「応」 静かにつぶやいたツンデレに応え。 ロリ姫は、ツインテールを地面に打ち込み、その先にドリルを生み出した。 戦闘は、一瞬で決着がついた。 ロリ姫が最大威力で打ち込んだ二本のドリルが、戦闘兵の上半身を粉砕したのだ。 快勝。しかし、ツンデレは内心冷や汗ものだった。 原作を読んでいるツンデレは、“王”や、親衛隊、それに師団長クラスといった規格外について、知り過ぎている。 それが「キメラアント」という種そのものを過剰に恐れさせる結果となっていた。 ――落ち着いて。いまのは下級兵。ポックルですら倒してるんだから、勝てて当然。それでキメラアントを過小評価しちゃだめ。 冷や汗をかきながら、ツンデレは自分に言い聞かせた。 過大評価も、過小評価も、対象に正当な評価を与えられていないという意味では同じだ。見切りの甘さは、厳しい局面で致命傷になりかねない。「やりましたわね」 ハンカチで、切れた首筋を押さえながら。ミコは軽く興奮した様子で話しかけてきた。 入国時に、きらぎらしい身なりは、天然素材の簡素な衣服に改められている。 それでもお嬢様めいた雰囲気を出しているのは、生まれのせいだろうか。 駆け寄ってくるミコを尻目に、ツンデレは、上半身を失ったキメラアントを調べていた。「やられた」 不意に、ツンデレが言った。 ミコはきょとんと首をかしげる。「なにがですの?」「ミコさん。見て、これ」 ツンデレは、ミコに、キメラアントの前足を差し出した。 人で言えば手首から指先にかけての部分は、鋭く研ぎ澄まされ、刃のようになっている。「わたくしの念獣を斬ったのは、これですのね」「違うわ。よく見て、この腕。最初から尖ってたんじゃないみたい」 ツンデレは刃状になっている部分を指示した。 よく観察すれば、砥いで刃をつけたような形跡があった。刃の部分は、地肌とは、明らかに色が違う。細工をして間もないことを、ツンデレはそこから読み取っていた。「つまり、敵は別にいる、と?」「ええ、手の内を暴くために手駒を使い捨て、しかもそれを隠蔽するくらいには頭が回る、ね」 ツンデレは奥歯を鳴らした。 そこまで頭が回らず、むざむざと手の内をさらしてしまったのだ。「ミコさん、敵はどう出ると思う?」「ライオンさん――レオルみたいに、出直してくれたらありがたいのですけど」 ミコが言ったのは、原作でレオルがカイトを見て、戦うことをあきらめた場面があったからだ。 その場面は、ツンデレも覚えている。 だが、はたして彼女の実力で、敵に同じ決断を下せしめ得るだろうか。 おそらく否。と、ツンデレは観る。「ともかく、敵は来る、その心構えだけはしておこう?」 ミコと顔を合わせ、頷きあう。 合流するはずの仲間は、まだ来ない。 夜はまだこれからである。 カミトたちがリマ王国を出たのは、四日昼のことだった。 一行を乗せた装甲車両は、一直線に伸びたハイウェイを突っ走っていく。「くそっ! 出国に手間取っちまった! もっと飛ばせカミト!」「わかった、わかったから横で騒がないでよ!」 ばんばんとダッシュボードを揺らすシュウに、カミトが悲鳴を上げた。 ユウと相似形の、黒髪つり眼の美少女は、微妙におびえた目で、後部座席からそのようすを見ている。「なあ、え、と」「アズマ」「アズマ、なんであのひと、あんなに焦ってるんだ?」 そう尋ねたのは、彼女が細かい事情を知らされないままに連れて来られてしまったからだった。 むろん、ここに来るまでにも、そのあたりの事情について尋ねる時間は、十分にあった。 その時間を、そっくりさんは、自分の不幸を嘆く作業に費やしてしまっていたのだ。「簡単に言うとだな」 アズマは、いつも通りの仏頂面で答える。「俺らの留守中に、仲間が勝手にNGLに行った」「なんという自殺行為」「はしょり過ぎよ」 運転席からカミトの声が飛んできた。 たしかに、さきの説明では“なぜ”の部分が抜けていた。 アズマはあらためて答えた。「負傷しているうちに女王を倒そうとした同胞が、帰って来なくて、それを助けに行った仲間がいる。その中にあれの連れもいる」「なるほど」「外見はおまえにそっくりだな」「そっくりさんかよ!?」 と、そっくりさんが声を上げた。 彼女にとっては不倶戴天というか、一方的に厄介事を押しつけ続けてくれた相手である。「またなんてとこ行ってるんだよそっくりさん今度はキメラアントの恨み買うつもりかよそれでまた俺の方にしわ寄せ来るのかよっ! ヤバイ、ヤバイ、ありえねー!」「静かにしてね」「すみません」 騒ぐそっくりさんを鎖が縛った。カミトである。鎖には尋常でないオーラが込められていた。 そっくりさんは即座に頭を下げた。 そのためらいのなさに、アズマが「すばらしい」と、称賛の声を上げた。 先行したユウが心配で焦るシュウが、カミトをせかす。 カミトがストレスをためる。 そっくりさんがうっかり刺激してそのはけ口となる。 アズマは見てるだけ。 という、見事な循環が成立している。「で、そっくりさん」「名前で呼べよ」「聞いてないぞ」「ニセットだよ」「……ニセか」「やめろ! 俺をニセモノっぽく呼ぶな!」「あんまりハンタになじまない名前だよな」「それはあんたもだろ!? なんだよアズマって! レベルEのミキヒサかよ! 目つき悪くて仏頂面だけど!」「……おお?」「いまさら気づいたのかよ!?」 ポンと手を打つアズマに、そっくりさん――ニセットが突っ込んだ。「で、ニセ」「だから略すな!」「ニセユウ?」「確信した! 悪意があると、いま確信してしまった!」「まあ、いいじゃないか。ニセ、ソルたちのコミュニティーについて、どれくらい知っている?」「あくまでそれで通す気かよ……そんなに詳しくない。 ダークさんに連れられて、二日しか経ってないからな。あの国に迷い込んで、不法入国とかで軍警察にしょっ引かれるところを、あのひとに助けられたんだ」 しれっと定着させようとするアズマに、ニセ嬢は半眼で答えた。 さりげなく不幸っぷりをさらす彼女である。 そのあたりを軽やかにスルーして、アズマは勝手にうなずいている。「そうか、それじゃあ、あそこの内情にはそれほど詳しくないか」「まあ、ひと通りはって感じだけど? なんか気になるのか?」「いや、なんであの連中は、わざわざ足手まといを集めているのか、気になってな。勘ぐろうと思えば、いくらでも勘ぐれるからな」 アズマが引っかかっているのはそれだった。 コミュニティーに所属していて、しかもキメラアント対策にまったく寄与していないあの連中を、彼はかけらも評価していない。 まったくの善意にせよ、なにか底意があるにせよ、アズマには理解できない行為である。 不信と言うほど明確ではないが、アズマはそこに違和感を覚えていた。 ニセ嬢が、ちっちっち、と指を左右させる。「わかってないな、アズマ。リーダーのソルさんは、完膚なきまでにお人好しなんだぜ? あそこでちょっと話を聞いただけでもお人好しエピソードが山ほどだ」「……個人ではそうなのかもしれないがな」 アズマは、口をへの字にして応じる。「集団の頭となれば、そんな我儘が通せるものかな。あれはほとんどボランティアの領域だぞ? ソルはそれでよくても、連れている人間は違うだろう? 実力もある、頭も回る人間なら、それに逆意を持ってもおかしくない。 だが、それもなさそうだった」 アズマはリマ王国で出会ったソルの仲間たちを思い出す。 誰もが、ソルをリーダーとして立てていた。すくなくとも、あからさまに二心を抱いている者はいなかった。 それがアズマには腑に落ちない。「あー、たしかにダークさんは愚痴ってたな。 でもあの人も、口は悪いけど本質的にお人好しっぽいし、そもそも、昔っからの仲間らしいんだよ。グリードアイランド攻略に取り組んでた」「そうなのか?」 アズマは驚きの声を上げた。 同胞たちの情報共有サイト、“Greed Island Online”について、アズマはそれほど詳しくない。だが、それでも、住人を見ればその質が知れる。 そこの管理人が、命の危険にかかわるような、グリードアイランド攻略に乗り出していたことは、アズマにとって、かなり意外だった。 住民を見てしまったせいで、知らずに評価を下げてしまっていたのだ。「ああ、聞いた話だけどな。“氷炎の”ソルと“コマンド”ダークって言えば、有名なチームだったらしいし。うわさじゃたったふたりで、グリードアイランドをクリアしたとか……眉唾だけど」「クリアしたなら、いまだにこっちの世界には、居るわけないだろうしな」 アズマは相槌を打った。 しかし、噂には真実が含まれている。 グリードアイランドをクリアした。そう言われて納得されるだけの実力が、あのふたりには、あるということだ。 しかし。 アズマは微妙な顔になる。「“氷炎”とか、“コマンド”とか……」「いや、笑い話じゃなくて、ほんとにその異名で通ってるらしいんだよ。もちろん他称でな」 自分で二つ名を広めたわけではない、ということである。「と、なると……その中二ったらしい二つ名は、呼ばれてる人間の特性――念能力と深く関わっているのかもしれないな。“氷炎”……温度操作っぽいが」「“コマンド”とかは、外見からっぽいけどな。ダークさん、元リマ王国の軍人らしいし」「なるほど。リマ王国にコミュニティを作れたのは、そういう理由もあったわけか」 アズマは納得したようにうなずいた。 軍服はコスプレではなかったのだ。「ああ。それで、レフがコミュニティー成立前、ミホシやアホ殿その他のやつらは、成立時からのメンバーだ」「くわしいな」「だれかさんのおかげで、危機管理に、ものすごく敏感になっちゃってな。自分が腰据えてるところの内情は、知っておかないと落ち着かないんだよ。 聞いて回り過ぎて、あいつらに追いかけまわされる羽目になったんだけど」 ニセ嬢はうんざりした顔になった。 ユウと間違われて追いかけられたことを思い出したのだろう。「にしても、あんた、俺のどこを買ってくれたんだ?」 ため息をひとつ吐くと、ニセ嬢が、不意に訊ねてきた。 彼女の実力は、同胞の中でも中クラス程度だ。ユウと間違われ、追いかけまわされてきたおかげで、“Greed Island Online”の連中よりはよほど鍛えられているが、それでもキメラアントはおろか、グリードアイランド攻略さえ、おぼつかない。「念能力だ」 アズマは即答した。 ニセ嬢がうろんげな顔を、アズマに向けた。「俺、あんたに能力見せてないよな?」「見たよ。コミュニティーで一度、な」 アズマは当然のように言った。「追いかけられて、障害になった人の群れを縫って走ったとき、一瞬オーラが広がった。おそらく、避ける空間を立体的に把握するために、オーラを拡げたんだろうが、あれは“円”と呼ぶには希薄すぎた。 十中八九、オーラを拡散させる、操作系か変化系に属する能力。オーラ量と拡散率から、最大展開規模は数キロ四方に及ぶ――と、見たが?」「え、え――え? そこまでわかっちゃうの? ――変態?」「いや、普通に常識程度の観察力だと思うが。前にいるふたりも、そう考えたから即断したんだろうし」「……ありえねー」 アズマにとっては当然のことでも、ニセ嬢にとっては、そうではなかったらしい。 少女は小声でつぶやいた。茫然を通り越して悟達の様だ。 命を削るような戦いを繰り返してきたアズマと、それを避けてきた彼女の違いだろう。「ほとんど正解だよ。オーラの粗密を操る――それが俺の能力だ。思いきり拡散して、レーダーみたいなことも、やろうと思えばできる。俺にやらせたいのはそれなんだな?」「ああ。だから、キメラアントと戦うといっても、ニセは町の中心に陣取ってもらう形になる。あらかじめ決めておけば、オーラの粗密を使ったサインで、ある程度の情報伝達は可能だからな。 危険度に関しては、もっとも低い場所だろう。護衛もつく。だから安心していい」「そ、そうなのか」 アズマの言葉を聞いて、ニセ嬢が安堵の息を吐き出した。 と。 ふと、気づいたように、彼女はアズマの様子をうかがい見た。「って……ひょっとして、安心させてくれたのか?」 おずおずと、ニセ嬢が尋ねる。 アズマは口元をわずかにほころばせ、彼女の頭をポンとたたいた。「話をろくに聞かないで、キメラと戦うってだけで無駄に怖がってたみたいだからな」 そう言うと、アズマは背もたれに体重を預けた。「アズマくんがニセちゃんを口説いているようです」「これはぜひツンデレに報告すべき」 前の席のふたりは、やたらと荒んでいた。