リマ王国南部、ワウラ地方。 その最大都市に近接する形で、ごく小さな集落があった。 電脳ネットサイト“Greed Island Online”の管理人、ソルが同胞とともに造ったコミュニティである。 同胞であるセツナたちが、同じようにカピトリーノに造った集落よりも、はるかに規模が小さい。 ――一般人が少ないからだろう。 アズマは推察した。 同胞たちだけの、閉鎖的なコミュニティなのだ。それが結局、集落の発展を阻害している。 とはいえ、プロハンターの多さゆえだろう。軍部から受ける恩恵は絶大だった。 五、六十戸ほどの小さな集落に、外国への通信施設からネットまで完備されている。 アズマはそこに、いびつさを感じずにはいられなかった。 ――セツナたちのほうが、よほど健全な街づくりをしている。 商店ひとつない、田畑もない。住宅の集合体でしかない土地を眺めながら、アズマはそう思った。 五月三日も半ばを過ぎたころ、アズマたちは集落の中央にある広場までやってきた。ソルたちに、同胞を紹介してもらうためだ。 迎えに現れたのは、ソルたちの仲間だった。 といっても、ふたりしかいない。 長身長髪でガタイのいい軍服姿の青年と、中肉中背で凡庸な顔立ちの青年だった。「ダークだ」 ソルに紹介され、軍服姿の青年が、面倒くさそうに長髪をかきあげながら、仏塔面で名乗った。 ソルに同行していた黒髪の優男、レフとは仲が良くないらしい。目が合った瞬間、双方がそっぽを向きあった。 かなり早くからソルと行動を共にしていたらしく、ソルは「昔からの仲間だ」と紹介した。「よっ! ご機嫌ようだね御苦労さん!」 と、太平楽に笑顔を見せたのは、もうひとりの同胞だ。 中肉中背の、これと言って特徴のない男である。同胞としては珍しい、没個性な造作だが、不思議と存在感があった。 アズマたちがさらに衝撃を受けたのは、その名前だ。「ああああ」 これが彼の名前だった。「呼びにくいから、オレ様はアフォーと呼んでる」「“あ”が四つであふぉー。“阿呆”っぽくてあれだけど、本名よりましだってね、はっはっは」 ダークの補足説明に、“アフォー”はかんらかんらと笑う。まさに文字通り阿呆呼ばわりされているのだが、気づいていないらしい。 アズマたちは満場一致で、彼を馬鹿のカテゴリに入れた。 このふたりと、ソルの言によれば、家に引きこもっている人間がひとり、ほかに五、六人が国外で活動しているらしい。 集落には、五十人ほどの同胞がいる。その中でキメラアントと戦うため、立ち上がったのはたったそれだけだった。 その事実に、アズマは言いようのない、いらだちを感じざるを得なかった。 原因を、正確に理解していたのはシュウである。「このコミュニティーの大半が Greed Island Online 利用者――違うか?」 問いただしたシュウに、ソルが返したのは肯定の言葉。 それが理由だった。 自らはなにもも為そうとせず、“どうやったら安全かつ楽に、現実への脱出手段を確保できるか”などといった話題を、掲示板でぐだぐだ話しているような連中である。 最近はそれすらせずに、掲示板本来の用途など無視して、現実世界の益体もない話題で盛り上がっている。 それを知っているカミトが、眉をしかめた。 欲しい念能力の持ち主が、そんな“使えない”人間だったらと想像してしまったのである。極めて実現性の高い想像だった。 ――これは駄目だ。 三々五々、広場に集まってきた同胞たちの目を見て、アズマは直感的に彼らを切り捨てた。 目が生きていない。 成人年齢に達している人間も少なくないにもかかわらず、一様に表情が幼い。 容姿は天性によるところが大きいが、表情は心が作るものだ。自己抑制に欠いた、浮ついた表情を隠しもしないでは、中身の質が知れるというものだった。 これではたとえ目的の念能力を持つ者がいたとしても、まともに機能しない、どころか“腐ったリンゴ”になりかねない。 早々にやる気を失ったアズマだが、さりとて集まった人間を帰すこともためらわれた。 そんなとき、広場の奥のほうで騒ぎが起こった。 見れば、数人の同胞が、ひとりの少女を追いかけまわしている。 その姿を見て。「ユウ?」「ユウちゃん?」 アズマとカミトが、そろって声をあげた。 追い回されている少女の容貌は、仲間である暗殺者の少女、ユウそのものだったのだ。「――じゃねーよ」 即座に否定したのはシュウだった。 ユウの容姿からプロポーションまで完全に理解しているシュウは、逃げ回る彼女とユウのあいだに、若干の差異を見出していた。特に、胸回りがユウより大きいことは、見逃しようがない。 そしてなにより。「だからオレはユウじゃないって言ってんだろぉぉぉ!!」 本人が全力で主張していた。 ユウのそっくりさんは、追いかけられながら、アズマやソルがいる場所まで駆け抜けて来た。 間にいた数十人の隙間をきれいに抜けて。 その際、希薄になった彼女のオーラが爆発的に広がったことを、アズマは知覚した。「ダークさん助けてっ!」 あっという間に、そっくりさんは黒髪ロンゲの軍服男、ダークの後ろに回り込んだ。 追いついてきた男たちが、ダークの前で立ち止まった。 ダークが頭をかいた。体全体で“面倒だ”と主張している。「あー、キミたち。どんな因縁があるのかしらねぇが、こいつを迎え入れたのはオレ様でな。厄介事は――」「うるさい! あんたはかんけーないだろ!」 ダークのこめかみに青筋だ浮かんだ。 ぼそりと、ダークが何事かつぶやいたかと思うと、つぎの瞬間には男たちは地面に叩きつけられていた。 倒れた男たちの頭に、ダークの軍靴が無造作に乗っかる。「あのさー。オレ様にナニため口聞いちゃってんの? そんなに偉いんですかテメー様は。 あ? 食物連鎖の最底辺からやり直してみっか?」「ううすみません……」 淡々とした口調だが、それがかえって恐ろしい。 哀れ、男たちは完膚なきまでにへこまされた。「ああ。でたよダーク様のオレ様節……」「あいつらも馬鹿だな、ダーク様に逆らうなんて」 そんな声が漏れ聞こえてくるのをとらえて、アズマは彼の性格を理解した。 「で? てめーらなんでコイツ追いかけてたの? 事情によっちゃ五分の四殺しのところを四分の三殺しにまけてやっても、まあ、いいんだが」「それってほとんど変わら――うれしいなぁ! ほんとなら全殺しにされても文句言えないのにそこまで情けをかけていただけるなんて! さすがダーク様!」 感涙とは明らかに違うものを流しながら叫ぶ姿は、さすがに哀れをもよおした。 男たちの事情というのはほかでもない。ハンター試験で落とされた逆恨みだった。 むろん、ユウに対しての逆恨みである。そっくりさんとは関係ない話だ。 そっくりさんのほうはあくまでユウとは別人だと主張する。 だが、瓜二つの姿だ。男たちが嘘だとはねのけるのも、また、しかたない。「そいつ、ユウじゃないぜ。ユウはオレの連れだから」 堂々めぐりのやり取りにうんざりしたのだろう。シュウが口をはさんだ。 その言葉に、男たちの目の色が変わる。 「てめえ、あの女の――」 彼らは言葉を最後まで口にすることができなかった。 シュウの、酷薄な視線に気づいたのだ。「口のきき方に気をつけたほうがいいぜ」 言いながら、シュウは手前に居た哀れな男を踏みつけた。「うっかり死にたくないだろ?」 後頭部に言葉を落としたが、男が最後まで聞くことはなかった。 シュウの見せた途方もない量のオーラに、気あたりを起こして気絶したのだ。 ほかの男たちも、勢いあまって集まっていた同胞まで、気あたりで倒れていく。 残ったのはアズマたちと、コミュニティーの主要メンバー、それにそっくりさんのみだ。そっくりさんは、半分腰を抜かしていたが。 あまりに不甲斐無い光景だった。 「どうする? これ」「ああ――うん。仕方ないね。ちょっと介抱してくるよ」 あきれ混じりの横目を流したカミトに、コミュニティーのリーダーであるソルは苦笑しながら歩いて行った。「こりゃ延期かな」「なに言ってんだ」 ため息をついたアズマに、言葉を返したのはシュウだった。 にやりと笑いながら、向ける身線の先には、地面にへたり込んだそっくりさんがいる。「欲しかった能力者、ここに居るじゃないか。多少骨もあるようだし」「へ?」 と、そっくりさんが頓狂な声を上げる。 事情を説明して。「大丈夫だ。比較的危険度が少ないポジションだ。あんたならやれる」「無理無理無理ーっ! 買いかぶりだーっ!」「そうそう。わたしが守ってあげるから大丈夫よ」「言いながらなんで俺を鎖で縛ってんだよ説得力ねーよっ!」「大丈夫だ。オレを信じてついて来い」「言いながらオーラで恫喝しないでほしいんですけどー!?」 と、こんな経緯を経て。 半時間後には、そっくりさんを伴って帰路に着く、少年たちの姿があった。 国境を越えるまでの間、そっくりさんは五十一回、「不幸だ」とつぶやいた。 闇の中、縦横に走る光線。 交点に、星が浮かんでいる。星の色は二色。赤と青。 それを、ひとりの少女がながめていた。 闇に溶けるような黒髪の主だ。肌は白く、顔立ちも美しい。 少女は光の格子に浮かぶ星の群れを、じっと見据えている。そこからなにかを汲み取ろうというように。 少女の前には、碁盤が据えられていた。 碁笥は黒白両方とも彼女の手元にある。 虚空の星を見据えながら、少女はゆっくりと、白石を盤上に置いた。 パチリと、乾いた音がした。 対局は半ばまで進められている。 一見して黒が優勢だった。中央から左辺、そして上辺にまで伸びる石は、“生き”が確定している。 それとつながろうとしている下辺の黒一団は、浮き上がって団子石にされながらも、中央の陣地につながりそうである。 そこから左下の隅に、黒石が手を伸ばしている。 左下は完全に白の陣地となっており、その中に取り込まれた黒二子を助けだすことは難しいだろう。 白は、難しい。大きいのは左下の隅のみで、右辺の陣地は細かい。ほかの戦場でも白は押され気味だった。 と、突然、闇の世界に光が差し込んだ。 扉が開いたのだ、と、少女は理解した。 同時に、宙にあった星がかき消えた。 入ってきたのは、しかし闇色の男だった。一見して華奢な、黒髪の優男だ。「ミホシ」「……レフ。いきなり扉を開けないでください。集中が切れました」 ミホシと呼ばれた少女は、無表情のまま青年を非難した。 ふん、と、鼻を鳴らして。黒髪の青年――レフが、盤上に目をやった。「帰って来るまでの間に“種”が発動した。状況が動いたと読んだのだが――ほう。キメラに突っ込んだか」 下辺の団子石、そしてそこから延びる黒石を見やりながら、レフは薄い唇に冷たい笑みを浮かべた。「助けに飛んだ一子が見事に攻めの対象だな。下手に繋ごうとすれば、大石まで逝きそうだ」「そうさせたのは貴方です」 ミホシは短く切るように言った。 非難の色は見られない。ただ、事実を述べるような口調だ。「あそこに、まとまった戦力があると邪魔だからな。 位置も悪い。下手するとキメラが来てくれない(・・・・・・)かもしれない。あちらには最小限の防衛ラインで我慢してもらわないと、な」「だから、NGLに向かうように仕向けた」「私の念能力でな。悪いと思うか?」 悪びれた様子もなくレフが言った。 ミホシは首を横に振る。「これも、ソルのためですから」「そうだ。ソルができないことをやるのが、私やダークの役目だ。すべては――」「――我らの理想郷を、造るため」 ミホシは静かに言葉を継いだ。 レフが薄い笑いを浮かべた。