4年間の修行の中で最も苦労したのはやはり『発』の開発だ。
一通りの基礎をクリアした頃には自分に才能は無いと理解していたため、それを補う為にも強力な能力が必要だと思った。
無論、生き残る為にだ。
念能力者に目をつけられる事なんてめったに無いだろうが、如何せん私は多少誤解を受けやすい容姿をしている自覚がある。
喧嘩を売られたことは別にないんだけれど、保険をかけておくに越したことはないだろう。
◇ ◇ ◇
私は念の事を、〈身体能力〉+〈才能〉+〈努力〉+〈覚悟〉=《念の威力》であると勝手に認識している。
中でも心の強さ的なものが大きく影響しているのではないかと考えているのだ。ほら、心の力で技を出すガッシュみたいな感じ。……なんか違う?
――それならば、自分の弱点を、強さに変える事は出来ないだろうか?
『コンプレックスや弱点を乗り越えて創造した』という事実があれば、きっと創りだした念に影響がでてくる。思い入れが強いほど強力な能力になると聞くし。
私の弱みなんて、探せば探した分だけ出てくると思うけど、そこまですると流石に悲しくなるので止めておく。
それはともかく、戦闘とは全然関係ないが、私は『歌』だけは何よりも自信がない。
昔からボロクソに言われてきたし、私にとって最も根深いトラウマの原点でもある。
あの精神汚染レベルの歌声を念で強化したら人なんか余裕で気絶させられるかもね。てへぺろ。
………………。
………………………………………。
……アリじゃないか?
なんという発想の転換、マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる理論が当てはまるかもしれない。
私の考えにしては珍しく冴えている……、のか?
いやいやいやいや、よく考えてみてほしい。
あんな人様に聞かせられないような恥ずかしい代物を歌うの?私が?本気で?
想像してみた。大声で人前で歌う私。阿鼻叫喚の人々。死屍累々。
――――アウト。
正直、羞恥で死ねる気がする。
これ以上自分のトラウマを抉ってどうするつもりだ。黒歴史の重ね塗りみたいなものだぞ、それ。
いやいや、でも、威力だけは期待できそうだし、やっぱり……、……。
それから暫くの間、他の能力を考えてみたが、どうもしっくり来るものが思い浮かばなかった。
……やっぱり自分の直感に従った方が良いのだろうか。何となくだけど『これじゃないと駄目』って気がするし。
でも正直、かなりの抵抗感があるのですが。いや、その抵抗感こそが能力の要になる予定なんだけれども。
悩みに悩みぬいた結果、苦肉の策として一つの方法を考えた。
そう、コインである。
二択の問題を解決する最も優れた手段だ。某A級賞金首のメンバーも愛用している。
前に蔵の中で拾ったアンティーク物のコインを眺めてみると、表に鷹の模様があり裏には狼の模様が描いてある。
聞くところによると、先生が現役時代に報酬として貰ったらしい。
先生もすっかりコインの存在を忘れていたらしく、好きにしていいと言われたのでありがたく頂戴した。
先生は一度手に入れた物に関してあまり執着しない性質で、そんな代物が蔵の中にはいっぱい眠っている。
もしかしたら普通のジェニー硬貨よりはこちらの方が縁起がいいかもしれない。
そう思って、コインを握りしめた。
表なら却下、裏なら採用。
トスは一度きり。
一生を左右する大勝負だ。
目を瞑り、コインを弾き上げる―――
パシン、と手の甲の発する音がとても大きく聞こえた。
心臓が早鐘のように鳴っているのが分かる、……本当に私は感情を制御するのが下手だ。
目を開き、恐る恐る手を退けた。
結果は―――、
◇ ◇ ◇
狼の模様、要するに裏である。
――――この能力が、後に『不視可の災害』とまで呼ばれるとは夢にも思っていなかった。
◇ ◇ ◇
私の自身の思い入れが強いため……、悪い意味でだけど……、『歌声』を媒介とする事自体は簡単に出来た。
問題はどんな効果を付加させるかだ。
もともと歌声自体に問題があるため、癒しや治療等といった白魔法属性の効果は期待できない。悪化させかねないからだ。
ならば付加させるのは黒属性、たとえば『負の感情』などが一番いい筈だ。
だがしかし、私は今までそれなりに幸せに暮らしてきた為、『負の感情』と言うものに疎い。
理解しているといっても、精々ちっぽけな劣等感ぐらいが関の山だ。
流石にこれは自分ひとりでは解決できない、誰かに協力を頼めないだろうか?
暫く考えた後、こういったものは年長者の方が詳しいと思い付いたので早速先生に相談してみる事にした。
◇ ◇ ◇
「つまり、貴方は『この世全ての闇』を識りたいと言うのね」
この世すべての闇……?随分と回りくどい言い方をするなぁ、そういう言い回しは先生らしいといえばらしいけど。あえて中二っぽいとは言わないでおく。
―――まぁ、簡単に言えばそんな感じです。
そんな事を言うと、先生は呆れたようにため息を吐き出した。
……そんなに変な事を言ってしまったのだろうか?そうでもないと思うのだけれど。
「後悔はないのね?」
珍しく真面目な表情で先生は言った。
私から聞いているのだし、何を後悔するというのだろうか?
少しばかり嫌な予感がしたのだが、自分から話を振った手前、深く突っ込むのはためらいがある。
なので私は意味もよく分からないままに、先生の問いに頷いた。
「……いいわ。何処でそんな情報を仕入れて来たのかは分からないけど、その気概だけは買いましょう。……十中八九いい様にはならないだろうけど、私を恨まないでちょうだいね。
―――さぁ、魅せてあげる。真の絶望を」
言い切ると同時に先生の『念』が発動した。
淀み無い一連の動作に、私は瞬き一つする事が出来なかった。
それだけの実力差が彼女と私の間には存在したのだ。
そんな事を考えた一瞬の内に、――――――私は先生が具現した『箱』に呑み込まれた。
◇ ◇ ◇
赤黒い闇が広がり続ける空間。
其処はまるで、地獄のような―――いや、地獄そのものだった。
痛い、
痛い、痛い、痛い、苦しい、何で私が、死にたい、痛い、痛い、悲しい、痛い、辛い、嫌だ、痛い、どうして、痛い、痛い、憎い、痛い、苦しい、殺せ、痛い、痛い、ごめんなさい、痛い、哀しい、痛い、嫌だ、何かしたなら謝るから、痛い、苦しい、ごめんなさい、痛い、助けて、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい―――
絶え間なく頭の中に鳴り響く誰かの声。それがまぎれもない自分の声だと気づくまで、そう時間はかからなかった。
そう思う間にも、絶え間なくあらゆる暴虐の記録が私の中を通り抜ける。
――裏切り、忘却、詐欺、殺人、人食、虐待、拷問、圧死、縊死、煙死、横死、怪死、餓死、塊死、窮死、狂死、苦死、刑死、経死、獄死、惨死、慙死、愁死、殉死、焼死、震死、水死、衰死、戦死、窒死、忠死、墜死、溺死、凍死、毒死、徒死、頓死、敗死、爆死、刎死、憤死、斃死、変死、悶死、扼死、轢死、浪死、この世全ての闇の体現。
それはまさに、『この世全ての闇』だった。
ありとあらゆる不幸の具現化。
私が知ろうとしていなかった、世界の裏側。
――――その情報を全て脳に直接叩き込まれる。
私って、何だっけ?
そんな些細な疑問すらかき消す程の、圧倒的な嫌悪と虚無感。
此処には何もなく、此処には全てがあった。
苦しくて、悲しくて、痛くて、辛い。
底の視えない常闇が私の事を呼んでいる、―――堕ちてしまえば楽になれると。
それは、悪魔のように甘い誘惑だった。
あぁ、この暗くて深い闇に呑まれてしまいたい。
そうすれば、きっと楽になれる。
―――この地獄から解放される。
それなのに、とっくに諦めてもいいはずなのに、そう思うと胸が疼くのは何故だろう。
不意に、見知らぬ少女の笑い声が聞こえてきた。ああ、うるさい。何なんだ一体。
―――本当に諦めていいの?
幼い少女の声が私のすぐそばで囁く。
こんなに苦しいんだ。諦めたとしても誰も責めたりなんかしない。
―――逃げるの?
逃げられるなら、逃げたい。辛いのはもう嫌なんだ。
―――意気地無し。
ずっと昔からそうやって色んな事を諦めてきたんだ。今更性格なんて変わらない。
……変えられない。
―――そんな変われない《自分》が大嫌いな癖に。
……そうだよ、私は私が大嫌いだ。生まれ変わっても何も変わりやしない、ダメな奴。これじゃあいつまで経っても臆病者のままじゃないか。
少しぐらい強くなった気でいたって、中身が成長しなきゃなんの意味もないんだよ。わかってる、わかってる、わかってるんだよそんな当たり前の事はっ!!
―――それなら足掻いてみなよ、このまま終わるなんて面白くないでしょう?
……格好悪いよなぁ、私って。
何時だって苦しい事を避けて、逃げる事だけを考えて、自分自身を無理矢理納得させて……、本当に逃げてばかりだ。
あーあ、この期に及んで自分を嫌いになるなんて本当に笑えない。
そりゃあ私は天才なんかじゃないし、最強にもなれない。
それでも、――私にだって捨てられないプライドくらいあるんだよ!!
妬ましくて悔しくて泣きたいくらいに苦しいけど、私だって一度くらいは胸をはって自分を誇りたい。これでいいのだと、笑ってみたい。
自分が嫌いで他人が嫌いで、人の目が怖くて仕方がなかった。
いつも自分を哀れんでばかりで、他人の事なんか省みようとすらしなかった。
自分の事だけで手一杯なのだと、そんな言い訳をして免罪符を得たような気になって……。
それでも誰かに自分を認めてほしくて、愛してほしくて……、――なんて傲慢だったのだろうか。
誰よりも自分が自分を認めやらなきゃいけなかったのに、それすらしようとしなかった。
いつだって目を背けるだけで、私は何一つ『弱さ』と向き合おうとなんてしなかった。
何が『自分の弱さを認めよう』だ。なんて馬鹿な事を言っていたのだろうか、とんだお笑い種だ。……つくづく愚かしい。
どんなに辛い時も、友人たちはこんなめんどくさい私の側に居てくれた。先輩はいつも、わかりづらかったけど、私を気遣ってくれた。私の言いたいことを正しく理解してくれた。
私は、一人なんかじゃなかった。
そして、今の私にはちゃんと帰る場所がある。大好きな『家族』。誰よりも、何よりも優先すべき私の愛する人達。
――――だから。
たとえいくら苦しくても、いくら怖くても、逃げたくって堪らなくても、『帰る場所』があるならば、
――私は『闇』になんか堕ちない。
私には大切な人達がいる、曲げたくない想いがある。あと一歩踏み出すのに必要なのはほんの一握りの勇気だ。
そんな事を考えながら、小さく苦笑する。
……なんだ、まだ笑う余裕が私にはあるじゃないか。
―――それならここは、まだまだ地獄と言うには生温いな。
それに、今日の夕飯はシンクが作るシチューなんだ。
朝から密かに楽しみにしていたんだから、こんな闇なんかに呑まれて食べ損なうなんて絶対に嫌だ。
いつものテーブルにアリアがいてシンクがいて先生がいて―――私がいる。
そんなささやかで、何よりも幸せな日常を失いたくなんかない。
こんな『絶望』なんて、私が愛する『希望』に比べたら大したことなんて無い。
―――早く、ここから出なきゃ。
此処から出るためにどんな苦悩が待ち構えていようとも、もう絶対に逃げたりなんてしない。
必要だと言うのならば、カミサマとだって戦ってやる。
誰であろうと、何であろうと、誠心誠意真っ向から叩き潰してやる。
ああ、もう何にも怖くなんかない。
――――それが君の答え?
ああそうだ。
――――私は『家』に帰るんだ。
そう思った瞬間、景色が変わった。
「そう、それでいいのよ。――私の『アリス』」
最後に、そう誰かが言った気がした。