薄暗い通路を歩き始めてから2時間。未だにまともな会話一つありません。
……気まずい、半端なく気まずい。
普通さぁ、こういう時って「君は何故ハンター試験を受けたんだ?」とかそんな感じの世間話が展開されるんじゃないの?
そんなに私って話しかけにくいかな? ……あ、話しかけにくいんですね、わかります。
私から話題を切り出すような雰囲気ではないし、どうしたものか……。
それに暗くて足場が悪いせいで、よく躓きそうになる。そのせいで一回クラピカに思いっきり派手にぶつかったしなぁ……。どんだけ鈍くさいんだろうか。
歩きながらもぐるぐる考えていると、ようやく扉のようなものが見つかった。
だがしかし、そう簡単には先に進めないらしい。開こうにも扉には鍵が掛かっていた。
《見ての通り、その扉には鍵が掛かっている。キミ達はモニターに映し出される3つの問題に一つでも答える事が出来れば先に進むことができる。もし、一つも正解する事が出来なかった場合、キミ達は此処で試験失格となる。
ただし! 答える事が出来るのはキミ達の片方だけだ。5分時間をやるので答える方を決めるといい》
……まさかのクイズ!? しかも全問不正解だと試験失格?
私は特に頭が悪い方ではないと自分では考えているが、今まで山籠りに近い生活をしてきたため一般常識的な事には滅法弱い。あ、あと流行とかも全然わからない。
――ここはクラピカに任せた方がいいだろう、絶対に彼の方が博識な筈だ。
「―――頼んでもいいかな?」
私じゃ無理です、という気持ちを言外に含ませて言ってみた。
初っ端から自分の役に立たなさっぷりを見せるのは本意ではないが、失格になるよりはずっといいだろう。
「……君がそれで良いのならば。この件は私が責任をもって引き受けよう」
クラピカはしっかりと私の目を見つめ返して、快い返事をしてくれた。
おおっ、流石ですクラピカさん。感謝します。
だがしかし、若干彼の顔色が悪い様な気がするが、たぶん気のせいだろう。
ていうか気のせいだと信じたい……。いくら分かっていたとはいえ、そこまで私の眼力は凶悪なのか?そうなのか?
《どうやら決まったようだな。それではモニターを見るといい》
スピーカーから聞こえてくる試験官の声に促されてモニターを見る。
『第一問:――――――』
◇ ◇ ◇
一発合格とか、クラピカさんマジ優秀。一緒だったのがレオリオとかじゃなくてホント良かった。いや、話したこともないんだけどね。
『アイジエン大陸南部に住む少数民族、トテルカ族が信仰する主神の伝承の礎となった自然現象を答えよ』
因みに答えは『日食』。うん、分かる訳ない。クラピカ凄いよ。
私は素直に感心していたが、今思い起こせばクラピカは原作でも考古学系の知識に長けていた。
そんな彼からしてみれば、今回の問題なんて簡単な部類に入るのだろう。
第一問目から余裕で正解した彼を、驚愕の視線で見つめていると、彼は照れたかのように顔を逸らしてこう言った。
「たまたま知っていた事柄が問題に出ただけだ。大した事ではない」
か、カッコいいな。優秀なのに驕らないっていうのはかなりポイントが高い。
それはともかくとして、『コイツ、役に立たないな』とか思われてはいないだろうか。それだけが不安である。
心に一抹の不安を抱きながらも、開いた扉の先に続いていた廊下を歩き続けた。
廊下しか無いのならば扉をつける意味なんてなかったんじゃないかと思ったが、そんなツッコミが出来る空気ではなかったので自重した。流石にそこまでKYではない。
「また扉のようだな」
ん? あ、ホントだ。
どうやら自分の思考の中にトリップしていたらしい。クラピカに扉の存在を言われるまで全然気が付かなかった。
扉の前にはまたしても貼り紙があり、そこにはこんな事が書いてあった。
【試練の間】
……何となくその名前で予想はついたけどね。
原作でゴン達が此処の囚人達と戦ったように、この先の部屋でも同じような試験をおこなうのだろう。
そう考えて、扉に手をかけた。
◇ ◇ ◇
「初めまして! 僕達は貴方達を試させていただく『試練官』という者です。どうぞよろしく」
「………」
ゴツイおっさんが待っているかと思いきや、部屋の中に居たのは10代中頃の少年の二人組だった。
一人は茶髪、もう一人は銀髪でチェックの柄をしたキャスケット帽を被っている。目深に被っているせいか、表情が窺えない。
因みに冒頭の台詞は銀髪の少年のものだ。もう一人の少年はジッと床を見つめている。
「試練官? 試験官ではないのか?」
クラピカが彼等に質問する。
確かに試練官なんて聞いた事のない言葉だ。もしかして原作にはあったのかもしれないけど、そこまで精度のいい記憶は生憎持ち合わせていない。
「僕らはその試験官に雇われているんですよ。
えっと、さっそく試験内容に入るのですが、――貴方達は僕らと1対1で戦ってもらいます。一勝一敗の場合は、勝った方同士が戦うことになります。
判りやすく言うなら、最後まで立っていた方のペアが勝ちって事ですね!
あ、それと試合の際には手錠を外す事ができるので安心してください」
よく喋る方の少年が試験内容を説明してくれた。
もう一人の方の少年は依然として下を向いている。
なんだか気になって観察を続けていると、少年が不意に顔を上げた。自然と目が合う。
私は何時もの如く目を逸らされるのだろうと思っていたのだが、少年の目は私から離れない。それどころか、――殺意に満ちた目でこちらを見つめてくる。
正直、驚いた。今まで生きてきた中でこんな反応をされたのは初めてだったからだ。
… …私、何かしたかなぁ? と、考えてはみるものの、この少年には全く見覚えが無い。
「それじゃあ、先鋒は僕が出ますね。ルーカス君もそれでいいよね?」
「……ああ」
過去の記憶を掘り起こしている内に、相手の方はもう決まってしまったようだ。
それと、私を睨んでいる少年の名前はルーカスと言うらしい。……やっぱり聞き覚えはないんだけどなぁ。
「私が先に出よう。どうやら、もう一人の青年は君と闘いたいようだからな」
クラピカがルーカスと呼ばれた少年に目線を投げながら、そう言った。
……確かに、彼の事は非常に気になる。何にせよ、一度話をしてみたい。
今回はクラピカの厚意に甘えるとしよう。
「あぁ、よろしく」
◇ ◇ ◇
第一試合。
クラピカ○ ― 試練官×
上記のようにクラピカが勝利した。
……とは言ってもこの表記の仕方はあまり正しくないのかもしれない。
何故ならば、試合開始から五分も経たないうちに試練官の方が『疲れたのでギブアップします』と言い出したからだ。
実力で言うならば、拮抗していたように思える。だが、何か違和感があった。上手くは言えないけど。
とりあえず言える事は、彼はここで手の内を見せるつもりは無かったという事だ。……もしかしたら彼はここの囚人ですらないかもしれないな。
彼の言葉にクラピカは若干不満そうにしていたが、その場は大人しく退いてくれた。
もしもここに居たのがゴンだったならこうも簡単にいかなかった事だろう。つくづくクラピカがペアで良かったと思う。
――それよりも次は私の番である。
その視線は未だ私を射殺すかのようにギラギラと輝いており、陰りを見せない。
こう言ってしまうとアレだが、私は人に恨まれるようなことをした記憶が無い。何時だって相手にしてきたのは犯罪者しかいなかったし。
――だとしたら、彼は一体何なのだろうか?
私は風船の紐をリングの端に結んでから、未だに私を睨み続ける少年が待つリングに上がった。流石にあれをつけたまま戦うつもりは無い。
それと部屋に入った際に確認したのだが、彼は念能力者ではないようだ。現に今だって纏を行っている様子はない。
だから普通に考えれば私が負ける事はないと思われる。……油断さえしなければだが。
「初めまして、だな。アンタの噂はよく聞いてるよ『エリス』さん?」
ルーカスは私を見て、嘲るようにそう言った。
やはり私の事を知っているらしい。自分が知らない人間に噂されているだなんてゾッとしなくもない。
……ていうか噂って? 私、そんなの一度も聞いたこと無いんだけど。
「それで? ――私に用でもあるのかな」
「……はっ、随分と余裕なんだな。その表情、今すぐ変えさせてやるよ!!」
怒声と共に繰り出された蹴りを避ける。え、試合開始の宣言もなくいきなりですか?
しかもよく見ると彼の靴には振り上げると刃が飛び出すように細工がしてあるようだ。だって銀色の物体がちらっと見えたし。
……しかも急所を狙う事を躊躇った様子もない。彼は確実に私を殺しに来ている。
「避けてんじゃねぇよ!!」
「………………」
……馬鹿か。避けるに決まってんじゃん。避けなかったら死ぬっつーの。
それに私はまだ死ぬ予定は無い。最低でも前世の倍は生きるつもりだ。
――その後、防戦一方と言えば聞こえは悪いが、私は彼に手を出せずにいた。
だってそうだろう? 流石の私だって、ここまで殺意をもたれている理由くらいは知りたい。
「くっ、いい気になりやがって。………何で、何でこんな奴に姉貴が殺されなきゃいけなかったんだ! くそっ!!」
攻撃を避け続ける私に痺れを切らしたのか、彼が不満を叫ぶ。
その言葉の中に、どうしても聞き逃せない内容があった。
「……姉貴?」
―――私が、彼の姉を殺した?
確かに私は人を殺した事がある。だけど相手は全て犯罪者だ。恨まれる由縁はない。
「あぁそうさ、アンタが殺したんだ。忘れたとは言わせないっ!!――三か月前、
――俺の姉貴、ルイーズをな」
三か月前。――ルイーズ。ああ、それならば覚えがある。
「君は『人喰いルイーズ』の弟か」
ルイーズ・ジャクソン。――通称『人喰いルイーズ』。
幼い少女ばかりを狙った凶悪な殺人鬼だ。
発見された彼女たちの遺体の一部が噛みちぎられたかのように無くなっていたためこの名が付いた。
犯人発覚後も街の警察が捕まえる事が出来なかったため、先生に白羽の矢が立ったのだ。だが先生はすでに引退した身だ。場所も家から5時間ほどでそう遠くなかったので、先生の代わりに私がルイーズの捕獲に行かされたのだ。
「その名前で姉貴を呼ぶんじゃねぇ!!」
そんな憎しみの篭った声を聞いて、何故だか私の心は逆に冷静になっていった。
―――これはつまり、復讐というやつか。
まさか自分が復讐の対象になるなんて今まで思ってもみなかった。いや、考えた事もなかった。
……ルーカス君の気持ちも解らなくはない。私だって家族は大事だから。
『人を殺せば怨まれる』
―――そんな事はとうの昔に分かっている。
仕方なかったなんて言うつもりはないし、表面上の謝罪なんてかえって失礼だ。
ルイーズ。確かに私が殺した。……ナイフを胸に突き刺して。
彼女は狡猾であったが、非念能力者だった。捕まえる事だけならば、酷く簡単だった。
いざという時は殺害も構わないと言われていたが、実際私に求められていたのは捕獲だけだった。
でも、それでも私は――――。
「被害者の中に、」
「は?」
「被害者の中に、警察幹部の娘が居たんだ」
「……だったらなんだって言うんだよ。暗殺でも命令されたっていうのか?」
ルーカスが攻撃の手を止める。いかにも苛立たしげな表情だ。
違う。そんなんじゃない。――その方が、どんなにマシだったか。
言うべきか、少しだけ迷った。
彼の為を思うのならば、このまま私を恨んでいた方が幸せなのかもしれない。
でも結局、――罪は罪でしかないのだから。
「――『達磨』って知ってる?」
「は?」
「アイジエン大陸の東の大陸の置物なんだけど、」
「いきなり何を言って――、」
「手足が無い人形みたいな物でね、」
「っ、いい加減にーー!!」
「上層部の連中は、ルイーズを捕まえたらソレと同じように加工してやると言っていた」
「……え?」
惚けた様にルーカスが固まる。
そんな彼を後目に、私は表情を変えずつづけた。
「手足を切り取って、傷口を塞いで、――寿命が尽きるまで永遠に見世物にして甚振ってやるって、そう言っていたんだ」
――誰だって、家族は大切だ。なら、その家族が無残にも殺されたらどうする。もし、それが大事な一人娘だったならば?
――常軌を逸した行動をとったとしても可笑しくはない。
でも、それはやり過ぎだと思った。――あろうことか私は加害者に同情してしまったのだ。
「私はただ、選んでもらっただけ。――その場で私に殺されるか、生きて地獄を見るか。彼女は前者を選んだ。それだけの事だよ」
「な、何だよそれ。――そんな話信じられるわけ、」
ルーカスは目に見えて狼狽している。頑なに否定しないところを見ると、どこかでそんな話があったと噂程度には聞いていたのかもしれない。
「なら、何で君は此処に居るんだ。此処に来るほどに重い罪でも犯したの? ……別に私への復讐の為だけじゃないんだろう? ――それとも、圧力でも掛けられたのかな。――君は、彼女の弟だからね」
ルイーズが死んでしまったから、その代わりの見せしめ。つまり都合のいい羊だったわけだ。
――それに、きっと私へのあてつけでもあるのだろう。どこで試験の情報を掴んだのか知らないが、性格が悪い。
――彼女の弟を復讐者に仕立て上げ、私に殺させる。二重の意味で嫌な嫌がらせだ。
「ルイーズが君にとってどんなに良い姉だったかは知らないけど、君の姉は殺人鬼だ。――人を殺せば恨まれる。それは君だってよく分かっているだろう?」
「――っ、でも!!」
「まぁそれでも、君は私に復讐する権利がある。――だが、それを受け入れる義務は私にはないよ」
彼の返事を待たずに、鳩尾に膝蹴りを叩き込んだ。……もちろん手加減はしている。
流石に念能力者ではない彼に対して強化された攻撃をするつもりは更々ない。
その場に倒れた彼を一瞥してリングを降りる。その足取りは、酷く重いものだった。
自分では割り切っているつもりでも、実際に殺した相手の遺族と対面すると、意外と堪えた。
―――そうか、こういうパターンもあるのか。
自分では親切でした事だと思っても、そうは取らない人間もいる。事柄が事柄だし仕方ないのかもしれないけど。
人を『殺す』。言葉にすると簡単なのに、その行為は柵が多すぎる。
クラピカは何か言いたげに私の方を見ているが、それを聞いてあげられるほど私の精神状態はよろしくない。
鬱々とそんな事を考えていると、帽子の少年が話し始めた。
「これで二勝なので貴方達の勝ちですね、おめでとうございます。もうすぐ左手にある扉が開きますので暫くお待ち下さい」
彼は倒れているルーカスを気にする様子もなく、相変わらずマイペースに説明をしている。
ふと、何故か彼に違和感を感じたので、すぐさま凝を開始する。
――、纏?
此処は刑務所の筈だ。もしも彼が念能力者ならば脱獄なんて簡単に出来るだろう。
……いや、そもそもこの部屋に着いたときに彼らは手錠をしていなかった。普通だったら私達が着いたときに試験官が手錠を外すはずだ。しかもこの部屋のどこにも手錠らしきものは見当たらない。
――疑いだせばきりがない。
「説明をしてもらおうか。――君が、仕掛け人か?」
少年に向かって一歩踏み出し、袖に隠してあったナイフを向けながら言う。
どういうつもりか知らないけど、ルーカスを連れてきたのは十中八九コイツだろう。どの遺族に頼まれたかは知らないが、あまりにも性質が悪い。
そんな私の言葉に目を丸くしたかと思うと、彼はお腹を抱えて笑い出した。
「あははっ、よく分かりましたね。――僕がこの話に噛んでるって」
少年は悪びれもせずにそう言ってのけた。
その姿はまるで無邪気な少年のようにしか見えない。だからこそ、彼の心理が全然わからない。
「――隠すつもりもなかった。そうだろう?」
そもそも、隠し通すつもりならばもっと上手くやるはずだ。最後の最後に念能力者であるという事をばらしたりなんかしない。
「僕は仲介をしただけなんですけどね。まぁこの仕事を受けたのには他にも理由があるんですけど、まぁ、貴女の反応が見れただけで成果は十分と言ったところでしょう。『彼』もきっと喜びます」
「彼?」
「おっと、いけない。すいませんがこれ以上は禁則事項なので。扉ももう開いたようですし、僕はここで失礼しますね」
そう言うと、彼は気絶しているルーカスを引きずるようにして右手にある扉から出ようとした。恐らくあの右の扉が試験官の所へ繋がっているのだと思う。
「ちょっと、まだ質問が――」
私が彼を呼びとめようとしたその時、彼が振り返った。
「僕の名前はアキト。――神崎アキトです。近いうちにまた会いましょうね。ああそれと、――――その風船、くれぐれも割らないように。まだ、その時じゃないですから」
そう言い残すと、彼はさっさと扉の先へと走っていってしまった。取りつくしまもない。
……神崎アキト。聞いたことの無い名前だが、何となく彼の正体の予測はついた。
―――私と同じ、転生者。
やっぱりミルキ以外にも存在していたのか。……近いうちに、と言っていたし、今回の接触にもなんらかの意図があるんだろうけど、今の状況ではなんとも判断できない。
「知り合いなのか?」
今まで蚊帳の外だったクラピカが、居心地悪そうにしながら質問してきた。
……ゴメン、すっかり忘れてた。
知り合いか……。どうなんだろう、実際。私が忘れているだけでもしかしたら会ったことがあるのかもしれない。
「――いや、知らない人だよ」
取りあえずはそう答えておく事にした。間違ってはいないし。
◇ ◇ ◇
「……エリス。君は、《復讐》をどう考えている?」
試練の間から出て数分後。考え込むようにしていたクラピカが、そんな質問を投げかけてきた。
……復讐か。さっきまで《復讐》という名の行為で殺されそうになっていた私に対してそんな重い質問をしてくるなんて……。でも、中々へヴィな質問だな。
「それは、『する事』について? それとも『定義』について聞いてるの?」
「――いや、『される事』についてだ」
……うわ、その質問はえげつない。クラピカってもしかしなくても私の事が嫌いなんじゃないだろうか。別にいいんだけどさぁ。
「個人の自由じゃないかな。復讐されるって事は、それだけの事をしたって事なんだし。でも加害者側だってただではやられないだろうけど。――むしろ、やり返すつもりで相対するだろうね。誰だって、死にたくはないだろうから」
「被害者に、何の非が無かったとしてもか」
「それを問う事に意味はないよ。加害者が罪悪感を持っていない限りは、ね。――そもそも人間っていう生き物は、みんな自分が一番可愛いんだ。『殺してやる!』→『はい、わかりました』なんてなるわけがない」
それにクラピカが何故そんな事を聞いてきたのかは解らないが、私は彼の考えている《復讐》に対する答えを持っていない。
正直なところ、《復讐》なんてある程度の正当性があれば実行しても全然問題ないんじゃないかとさえ思ってる。あくまでも周りに迷惑を掛けなければの話だが。
それで返り討ちにされるようならば、それまでだろう。ようは勝てばいいだけだ。勝てば官軍、負ければ賊軍。弱肉強食で分りやすいじゃないか。
だがしかし、結局のところ私がクラピカに何を言ったとしても『何も知らないくせに偉そうな事を言っている』という状態になりかねない。
だって私は今まで一度も、彼のように『身を焦がす程の憎悪』を抱いた事など無いのだから。
きっとクラピカは一般論の回答なんて求めていないだろうし、私は当たり障りの無い答しか考える事が出来ない。
「復讐は誰も報われない」とか「正当性があるのならば、それは正しい」とか、上辺だけの返答ならばいくらでも考えつくが、そんなのはかえって失礼だ。
クラピカはそんな私の理論に眉をしかめると、唐突に語り出した。
「私は、とある一族の生き残りだ。4年前に同胞を皆殺しにした盗賊グループ、『幻影旅団』を捕まえる為にハンターを志望した。
……それが間違っているとは思わない、絶対に!!」
……いや、だからそれを何故私に言うのだろうか。正直、困る。私別に間違ってるなんて言ってないし。
さっきだって迷いに迷って答えたのに、さらに返答の難易度を上げないで欲しい。会話は苦手なんだ。
緋色の瞳に見つめられながら、思考する。
――クラピカが言ってほしい事を言うのは簡単だ。
『君は間違っていない』『それは正しい行為だ』『同胞達もきっと報われる』、その類の言葉を言えばいい。でも、それじゃあ駄目だろう。何より私の上っ面の言葉が彼に響くとは思えない。
「私に何を問うたところで、君はもう自分の中で答えを出している筈だ。――今さら正しいか間違っているかなんて、本当はどうでもいいんだろう? ――やりたければやったらいいよ。結局は後で後悔するかしないかのどちらかなんだからさ」
以前、先生にこれと似たような事を言われた。今でもその言葉は私の心に深く根付いている。
要約すると、『私には関係ないから好きにしたら?』という感じになるが、細かい事は気にしてはいけない。
まぁ要約はともかく、かなりカッコつけしいな台詞だな、これ。なんか恥ずかしい。
内心ドキドキしながらクラピカの様子を伺うと、私の予想に反して彼はきょとんとした顔をしてこちらを見ていた。
……え、何で?別におかしい事は言ってないと思うけど。
「……何?」
「いや、そんな風に言われるとは思っていなかったからな。少し、驚いてしまって……」
クラピカ、お前……。私の事をどんな風に思っていたんだ?
「私の師匠の受け売りだよ。―――『深淵の魔女』、名前くらいは知っているんじゃないか?」
マリアさんは業界の中では有名人だと思う。クラピカならばもしかしたら知っているかも知れない。
「あの『ブラッディ・マリア』の弟子だと!?」
……おおっ、そっちの通り名を知っているとは思わなかった。
ついでに言ってしまうと、『ブラッディ・マリア』とは先生の通り名の一つだ。
他にも色々あるが、此処では割愛しておく。
あくまでも他称であるので、先生が重度の厨二病というわけではない。ここ重要。
先生は中でも最初に言った『深淵の魔女』という表現を気に入っているらしく、よく「自分は魔女だ」と言っている。だがしかし、それに「ホントにその通りですね」と返すと怒られる、理不尽だ。
「あの魔女の弟子か……。なるほど、どうりで」
……何を納得したのかは知らないが、碌なもんじゃないと思う。
その後、何かおかしな化学反応が起こったのか、ちょこちょこクラピカと普通の話が出来るようになった。
さっきまでの声を出したら負けみたいな空気が嘘の様に和やか――あくまでも先程に比べたらだが――になった。
それから道に仕掛けられた罠をかわしつつ、着実に下に降りていった。
後は特筆すべき所が無かったので省略する。
最後の扉を開け、大広間に出る。何人か先客がいたが、極力そっちの方向には視線を向けないようにした。ヒソカ怖い。
『―――220番エリス、404番クラピカ。三次試験通過、所要時間14時間38分』
―――三次試験通過、やっと折り返し地点ってとこか。
まだミルキも双子も降りてきてないみたいだし、ゆっくりと待つ事にしますか。
◇ ◇ ◇
クラピカは現状に早くも疲弊していた。
最初の部屋から出て、未だに会話は皆無。途中に仕掛けられていた罠さえ、言葉で言えばいいのに軽く突き飛ばされて回避させられた。いや、感謝はしているのだが、何というか素直に喜べない。……そんなに私がパートナーなのが嫌なのだろうか。
先程のクイズでは事なきを得たが、もしあの場で全問不正解などという事をしてしまっていたらと思うと、背筋が凍る。
「……また扉のようだな」
長く続いた廊下の先にまた扉が見えた。正直な所、試験の一環だと分かってはいるのだが、無言で廊下を歩き続けるよりかはずっとマシである。
扉には【試練の間】とプレートが掛かっている。どうやらこの先には廊下ではなく部屋になっているようだ、罠ではないといいのだが……。
エリスは私の呟きに軽く頷くと、躊躇いもせずに扉に手をかけた。その行為に躊躇いは一切見受けられない。
……彼女にとっては罠なんて何の意味も成さないのかもしれないな。
◇ ◇ ◇
「疲れたのでギブアップしますね。ああ疲れた」
私の対戦相手の試練官は、そんなふざけた事を言って試合を放棄した。
相手は飄々としていて、とても全力を出しているとは思えなかった。
馬鹿にされているのかと不満に思ったが、これは試験なのだと自分を納得させた。私の勝ちという事になるならば、文句を言う必要性はないだろう。
そう思い直してリングの方を見れば、もうすでに次の試練官とエリスがリングに上がっていた。
一先ずは彼女の健闘を祈る事にしよう、……心配は要らないと思うがな。
どうやらあの茶髪の試練官は彼女に並々ならぬ敵意を持っているらしく、先程も開始の宣言もなくいきなりエリスに蹴りかかった。……しかも靴に暗器が仕込んであるようだ。
一方エリスは、最低限の動きで攻撃を交わし相手を翻弄している。
足取りの一つ一つに関しても計算し尽されていて、戦っている相手が当たると思っただろう攻撃もギリギリの所で避けている。
……あの相手のルーカスという少年も、あれでは報われないな。
決して彼は弱いわけではない。――ただ、エリスとのレベルが違いすぎるだけだ。
「くっ、いい気になりやがって。………何で、何でこんな奴に姉貴が殺されなきゃいけなかったんだ! くそっ!!」
「……姉貴?」
その時、初めてエリスの表情が変わった。
いや、変わったというよりは寧ろ『眉を寄せた』程度の変化だったが、いつも無表情の彼女に比べたら大きな変化である。
「あぁそうさ、アンタが殺したんだ。忘れたとは言わせないっ!!――三か月前、
――俺の姉貴、ルイーズをな」
その言葉に、エリスが納得したかのように頷く。
「君は『人喰いルイーズ』の弟か」
『人喰いルイーズ』
聞いた事ある。
とある街の郊外で一人の少女の死体が発見された。――その死体の一部が、噛み千切られたかのように無くなっていたという。
その最初の殺人から同様の事件が今までに47件。最近は話を聞かなくなったと思っていたが、そうか、既に死んでいたのか。
……彼の心情的に考えれば身内を殺されたのだから、《復讐》を実行する気持ちは分からなくもない。だが、恐らくだが非は彼の姉にある。
……私は、彼の行為を否定する事は出来ない。そして、彼女を否定する事も出来ない。
その時、攻撃を避けているだけだったエリスに変化があった。
『――『達磨』って知ってる?』
それは、話を聞くだけでも、気分が悪くなりそうだった。
負の連鎖は、終わらない。一体、悪かったのは誰だったのだろう。
いや、一番悪いのはルイーズだ。そこから全てが始まった。エリスが彼女を殺したのは、あくまでも優しさなのだろう。だからと言って、その警官が悪かったわけでも無い。――ならば、ルーカスは?
「まぁそれでも、君は私に復讐する権利がある。――だが、それを受け入れる義務は私にはないよ」
彼女は、まるで他人事とでも言いたげにそう言った。
『人を殺せば、恨まれる』それは、確かに真理である。
私は蜘蛛を捕えたい。そのために相手の生死は問わないつもりだ。
それを間違っているとは思っていない。奴らはそれだけの事をしてきたのだ。でも、――。
――彼女に話を聞いてみたい。そう思った。
◇ ◇ ◇
もう一人の試練官は、何やら複雑な事情で此処にいるらしい。話が断片的過ぎてイマイチ理解が追いつかないが、要するに彼女の敵という事なおだろうか。
「知り合いなのか?」
「――いや、知らない人だよ」
彼女はいつもと変わらぬ無表情で、そう言ってのけた。どうやら詳しく話すつもりはないらしい。どうせ問い詰めたところで返事は帰ってこないだろう。
◇ ◇ ◇
手錠を付け直し、廊下を歩きつづける。
ジャラジャラと金属が擦れあう音と、二人分の足音が、静かな道に響いている。
……こうまでも単調な景色が続くと、否応もなく先ほどの試験の事を考えてしまう。
『人を殺せば恨まれる』
……何故だろうか、どうしてもこの言葉が耳に焼き付いて離れない。
もしも、旅団の連中にも大切な人達が居て、今度はその人たちが私を殺しに来るとするならば、――――私がしようとしている事は一体何だというのか。
……そんな事は断じて許す事が出来ない、認められない。
―――認めてしまえば、私は自分を保てる自信がない。
「……エリス。君は、《復讐》をどう考えている?」
だからこそ彼女に確認したかった。
間違えているのは私なのか、それとも彼女の考えなのかを。
私の問いに、彼女は少しだけ考えるような素振りを見せ、口を開いた。
「それは、『する事』について?それとも『定義』について聞いてるの?」
「――いや、『される事』についてだ」
そう言った瞬間、彼女は少し困ったかのように眉を下げた。……無理もない。先ほどまでの出来事を考えれば当然だ。普通の人間だったら怒りだしてもおかしくはない。
だからこそ、今しか聞けないと思った。きっと、今この瞬間しか話す機会は訪れない。そう直感が告げている。
エリスは視線だけを横に向け、少し考え込むような仕草を見せると、淡々と饒舌に話し始めた。
「個人の自由じゃないかな。復讐されるって事は、それだけの事をしたって事なんだし。でも加害者側だってただではやられないだろうけど。――むしろ、やり返すつもりで相対するだろうね。誰だって、死にたくはないだろうから」
つまりは、『復讐にきても構わないが、返り討ちにする』という事だろうか。
「被害者に、何の非が無かったとしてもか」
「それを問う事に意味はないよ。加害者が罪悪感を持っていない限りは、ね。――そもそも人間っていう生き物は、みんな自分が一番可愛いんだ。『殺してやる!』→『はい、わかりました』なんてなるわけがない」
そんな事、――そんな事は私にだって分かっている。あの悪逆非道の集団が、罪悪感なんて抱くわけがない。
そんな奴らが復讐を甘んじて受け入れる事なんてないと分かっている。
むしろ彼らにとっては、自身を害そうとする存在――つまり私の事だが――の方が『悪』なのだろう。
分かっている。でも、言葉は止まらなかった。
――蜘蛛を捕まえる。もしくは殺す。そして、同胞の眼をこの手に取り戻す。それだけが生き残った私に出来る唯一の贖罪だから。
私は間違ってなんかいない。あいつ等はまぎれもなく『悪』だ。たとえ私がやらなくても、いつかは今までのツケを払う時が来るのだろう。だが、奴らの存在に終止符を打つのは、出来る事なら私でありたい。
―――幻影旅団は必ず私の手で滅ぼしてみせる。その為ならば何を犠牲にしても構わない。
たとえ誰になんと言われようともこの思いだけは曲げるつもりはない。
だから、――どうかこれ以上私の信念を揺らがせないで欲しい。
詰まる所、私はただ肯定してほしかっただけなのだと思う。『お前は正しい』と、そう言ってほしかった。彼女にも、きっとその浅はかな考えは読まれていたと思う。
――だが、彼女はそこまで優しい人間じゃない。いっその事バッサリと否定されてしまった方が気が楽になるのかもしれない。
「私に何を問うたところで、君はもう自分の中で答えを出している筈だ。――今さら正しいか間違っているかなんて、本当はどうでもいいんだろう?――やりたければやったらいいよ。結局は後で後悔するかしないかのどちらかなんだからさ」
エリスが、淡々と語る。
――私の答え。
……なんだ、そうか。ああ、確かにその通りだ。結局は最後は私次第なのだろう。
例えこの燻る思いの糧が憎しみであろうとも、私はもう止まるつもりは無い。
後悔なんて、村に帰ったあの日に死ぬほどした。あれ以上の後悔なんて、これから先する事は無いだろう。
あぁ、そうだ。私はそんな簡単な事も見失いかけていたのか。
私はあの日の誓いを忘れない。なら、きっとそれでいいのだろう。たとえ他人に責められようがそんな事知った事ではない。
―――私が私を肯定する限り、心は曲げない。
心の中の霧が晴れたかのような爽快感があった。
それと同時に、少しの驚きが生まれる。――まさか、こんなにも真摯に話に付き合ってくれるとは思っていなかった。
声音自体は淡々としていたが、決して投げやりではなく真剣に考えてくれていた。……最初にあんなにも失礼な質問をしたというのにだ。
黙ったままだった私を不思議に思ったのか、エリスが訝しげに話しかけてきた。
「……何?」
「いや、そんな風に言われるとは思っていなかったからな。少し、驚いてしまって……」
そう答えた後、小さくため息を吐いていたのが何故か印象的だった。
それからの道のりではまだまだぎこちないながらも、彼女の師の話や次の試験の予想、世間話などをしながらのんびり進んだ。
主に私が話し役で彼女が聞き役であった事は言うまでもないと思うが、よく喋るゴン達と行動していた私にとっては中々新鮮な感覚だった。
そもそも彼女の師匠である『マリア』というハンターは、賞金首ハンターの第一人者で、引退した後も『最優』の代名詞として語られるほどの人物だ。
だが、そんな彼女に欠点はある。仕事は恐ろしいほどに正確。物腰も丁寧。――なのに悪名だけが目立っているのだ。
一緒に仕事をすると、全ての賞金を総取りされる。ターゲット以外の周辺人物も根こそぎ粛清される。等々。
その噂の出所の多くは同業者のハンターかららしいので、半分は天才に対するやっかみなのだと思う。
だが後の残り半分は、エリス曰く、――愉快犯な性格が起因しているそうだ。多くは語らなかったが、深くは聞かない方がいいだろう。お互いの為にも。
話をしてみてようやく分かったのだが、彼女は別に会話を嫌っている訳でもないらしい。どんな話を振っても、言葉数は少ないが嫌がりもせずに返答してくれる。いや、変な話題を振っている訳ではないが。
――なんだか、思っていたよりもずっとまともな性格をしている。
こう言っては何だか失礼なのだが、あまりにも第一印象が悪すぎた。
未だに視線が合うと僅かな忌避感は感じるが、最初の比ではない。きっと安全だと分かっているからだろう。
ここでこうして一緒の道を歩いていなければ、私はずっと彼女の事を誤解したままだったのだろう。そう思うとすこし申し訳ない気分になる。彼女だって何をしたわけでも無いのに忌避されるのは気分が悪いだろう。
「、エリス」
「何?」
「すまなかったな、色々」
「…………?」
エリスは意味が解らないとでも言いたげに首を傾げる。表情はまったくと言っていいほど変わらないのに、その仕草は割と雄弁だ。
その事に何だか可笑しくなってしまい、少し笑った。
そんな私の様子を不思議そうに見つめつつも、彼女さらに首を傾げたのだった。
『―――220番エリス、404番クラピカ。三次試験通過、所要時間14時間38分』
何はともあれ、私の三次試験は恙なく終了した。
――後はゴン達が降りてくるのを待つだけだ。
◇ ◇ ◇
帽子を目深に被った少年が、右手に人を引きずりながらテクテクと廊下を歩いて行く。
引きずられている方の少年は全身を石畳で擦られているのに、まったく起きる様子もない。よほど深く意識が沈んでしまっているのだろう。
――さぁて、どうしたものでしょうか。
少年は試験官室に続く道にある個室に、ルーカスを引きずりながら入った。
うーん、ここまで酷い扱いをしても起きないなんて、ホントに彼って図太い性格してるんですねぇ。
そもそもエリスさんに物怖じせずに立ち向かえたってだけで、格闘技をかじっただけの一般人にしては上出来な部類に入るのだろう。
単に実力差が理解できない馬鹿なだけかもしれないけど。
彼が自然に起きるのを待っても良かったのだけれど、時間が勿体無いので強制的に覚醒してもらう事にした。
古典的にバケツで水を掛けるなんていいかもしれない。
「えいっ」
バシャリと並々と注がれた水をルーカス君に浴びせる。水が濁っているのはご愛嬌といったところだ。
「う、うわぁ、ぐっ、げほっ、げほ。……い、いきなり何するんだアンタは!!」
ゲホゲホと水を吐き出しながら、ルーカスが僕の事を睨み付ける。
思いっきり顔を狙ったので、気管に水が入ったようだ。むせている姿が少々憐れかもしれない。
それにしても、思っていたよりも反応が薄くてつまらなかった。
もっと、こう、キレのある突っ込みとかを期待していたんだけれど、どうやら見込み違いだったようだ。
「起きました? いやぁ、ルーカス君ってば一発で気絶しちゃってびっくりしちゃいましたよ。死んだのかと思って冷や冷やしました」
「気絶? ……そうか、俺は負けたのか」
「まぁ実力差が有り過ぎましたからね。どうしようもないでしょう」
僕がそう言うとルーカス君は悔しそうに唇をかみ締めた。
果 たしてそれが復讐の失敗による悔恨なのか、自身が何も知らなかった事による後悔なのかは僕には分からない。
「……アンタは、」
「はい?」
「アンタは知ってたのか。――アイツが姉貴を殺した本当の理由を」
神妙な顔をしてルーカスが問いかける。
ふむふむなるほど。なんだ、――そんな事か。
「もちろん知っていましたよ? クライアントから事前にその件に関しては説明されていましたし」
「ならどうしてっ……!!」
「君に説明しなかったか、ですか? ――言う必要性が無かったからですよ」
ルーカスの驚愕した表情を気にも留めず、にっこりと笑って告げる。
そもそも君の役割は、無様にも彼女に挑んで殺される事だったというのに。
エリスの温情――いや、甘さかな?――によって生き残ってしまった。困った、これではクライアントの意向に反する。
「ルーカス君。僕は基本的に仕事には忠実なんです」
そう言って、一歩づつ彼に近づいて行く。
そんな僕の様子を不気味に思ったのか、彼は地べたに座り込んだまま後ずさろうとするが、残念。後ろはもう壁しかない。
「な、何を、」
「これは仕事ですから。だから僕は悪くないんです。だって僕はクライアントの意向を忠実に再現しているだけなんですから。……まぁ今回はちょっと見誤りましたけど、概ねは成功ですよね。あとはやり残したことを実行するだけですし。何度も言いますけど、これは仕事なんです。僕だって好きでこんな事をするわけでないんです。仕事なんです。仕事なんですよ。ねぇ、聞いてます?」
くるくると右手でナイフを弄びながら、すっかり怯えきったルーカスに顔を近づけて話続ける。
そんな僕の様子に、耐えきれないと言った風にルーカスが口を開く。
「……く、」
「え、何ですか?聞こえませんよ?」
「……お、お前はっ、――く、狂ってる!!」
……あは。
「そりゃあそうでしょうとも。だって僕は――『気狂い帽子屋』なんですから」
◇ ◇ ◇
心臓に突き刺したナイフを静かに抜き取る。ふう、仕事とはいえ人を殺すのは胸が痛むなぁ。あはは、嘘だけど。
「それにしても、エリスさんってば大分まともな人間でしたね。意外です」
もし、エリスさんがあまりにも目に余るようだったら、あの人の意見なんか無視して再起不能にしてやろうかと思ってたけど、存外好感の持てる人間だった。
冷めたような目をしてる癖に、人を見下す様な様子は一切ない。強いて言うなら興味が無いと言った方が正しいのかもしれないけど。
そして、言う言葉は飾り気もなく、全て本心から来るものだった。犯罪者に情をかけるところも、甘いというより逆に人間らしくて好ましい。
今までに会った事のないタイプの人間だった。
僕が今まで接触してきた、所謂『転生者』と言われる人たちは誰も彼もみんな傲慢だった。
原作知識やチートな念や、旅団のメンバー入りやら己が欲望のままに動く輩が多すぎる。
口では『原作を変えてはいけない』とか言いながら、結局原作に干渉して自分のいい様に作り変えようとする輩もいた。ホントに矛盾している。
――大した努力もしていない癖に、思い上がらないでほしいものだ。
そんな奴らに真っ向から勝負を挑んで、見事勝った時の彼らの呆然とした顔は胸を空くものがある。
だから、変化を受け入れない邪魔な『転生者(キャスト)』には早々に退場してもらう事にしている。
派手に活動している人間には恨みがつきものだ。だから、僕はその恨みを晴らすお手伝いを仕事にしている訳だ。
誰だって生理的に受け付けない人間がいる。僕にとっては多くの転生者がそれに当てはまるというだけの事。
こればかりは生まれ付いての考え方なので今更変える事は出来ない。
まぁそれを利用して仕事を受けている訳だから、人生って分からない。
もちろん自分の事を棚に上げてるのは承知の上だ。なので、僕はいつ何処で誰に殺されても文句は言えないと思っている。まぁ、そんなのは当然の事なんだろうけど。
それにクライアントに頼まれた件以外にも、別件で依頼があったんだっけ。そもそも此処にすんなりと入り込めたのは『彼』の御蔭だし。やはり持つべきものは協会にコネがある知人だな。まぁ正直彼の事はあまり得意ではないのだけれど。
「―――エリスさんも可哀そうに。あんな男に執着されるなんて」
何の因縁があるのかは知らないが、あの『風船』を渡したところを見ると相当入れ込んでいるらしい。
正直な所、彼女の側には『ミルキ』も居るし、あの人には勝ち目なんて無いんじゃないの? とも思う。だが、彼女の事を語る彼がとても幸せそうで――まぁ見ていて気分が悪いが――放っておこうと思う。
予定調和の物語なんてつまらない。
どんでん返しがあるのならば、これからも観察を続けるのも悪くないだろう。
僕はそんな事を思いながら、試験官のリッポーに連絡を取る為、専用のトランシーバーを取り出した。
「あ、リッポーさんですか? 僕の用事はもう終わったので帰りますね。ご協力ありがとうございました」
『そうか。…例の件はどうなっている?』
「あぁ、彼でしたら僕の独断で処分させてもらいました。別に構わなかったですよね?」
『構わない。……それと、この件は他の連中には内密に頼む』
「あはは、分かってますよ。いくら上から指示とはいえ、個人の復讐に手を貸しただなんて世間に知られたら貴方の評価が下がりますからね。じゃ、僕はこれで失礼します」
リッポーが何か言っていた気がしたが、強制的にトランシーバーの電源をオフにした。正直これ以上話していても何の利益にもならないし。
会長の権限が強いハンター試験への介入は流石に骨が折れたと、あの人は語っていた。
実際は彼ではなく、彼の兄の方が大変だったんだろうけど。あの人の兄もハンター協会のお偉いさんの癖に結構えげつない所があるからなぁ。
どんな酷い手段を使ったのか気になるところだ。まぁ僕には関係ないけど。
「――次は天空闘技場にでも行きましょうか」
あそこは転生者達のメッカだし、それらしき人物も何人かいるみたい。そういう奴等は《見れば》分かる。
―――願わくば、彼らがまともな人間でありますように。
僕だって好きで殺しをしている訳じゃない。あくまでも『仕事』の内なだけだ。たまに依頼以上の事もするけど。
僕は『仕事』以外では人を殺さない。いや、殺せないと言った方が正しいかな。まぁそんな事今はどうでもいいわけだけど。
クスクスと小さく笑いながら、僕は遠い天空闘技場に思いを馳せた。