「客、ですか?」
「ええ、古い知人が仕事でこの近くに来るらしくて。折角だから夕飯に招待したのよ。ああそうだわ、他の二人にこの事を伝えておいてね。私は街まで二人を迎えに行かなきゃいけないの。夕飯には間に合うと思うから二人分多く作っておいてもらえる?」
とある日の昼下がり、先生がいきなり《客が来る》と言い出した。
先生の奇行にはもう慣れたが、この家にお客さんが来るなんて始めての事かもしれない。
そもそも先生の知人という事はそれなりにクレバーな経歴を持っているに違いない。
先生は基本的に平凡な人間に興味を持たないからだ。流石先生、格が違う。
……お客さんとやらが常識人である事を願うばかりだ。
とにかく二人にこの事を伝えなくてはいけない。この時間ならばアリアとシンクは裏の森に居るだろう。
ある程度の夕飯の仕込みを終わらせた私は、少しの不安を抱えつつ森に足を運んだ。
◇ ◇ ◇
組み手をしている二人を呼び止め、事情を話す。
お客が来るという事を伝えると、二人はもの凄く嫌そうな顔をした。
「客? 何それ、全然聞いてないんだけど」
……私もさっき言われたばっかりなんだけどなぁ。そんなに不機嫌な声をだされてもこっちが困る。
先生の行動が急なのは今に始まった事じゃないし、仕方ないだろう。
先生は今そのお客さんを迎えに行ってるから、もう既に来る事は確実みたいだし。
別に皆で和やかに談笑するってわけじゃないし、そこまで気にする必要もないと思うけど……。あくまで先生のお客なんだから。
「……でも、知らない人と会うの、嫌です」
アリアが泣きそうな表情をしながら言った。
……アリアは人見知りが激しいからなぁ。
でも大丈夫だよ、一応先生の知人なんだからそれなりの礼儀くらいは弁えていると思う。
それでも不安なら私かシンクに頼ればいいし。
どうしても会いたくないなら部屋から出ないでもいいと思う、先生もそれ位はきっと考慮してくれるはず。
やはり面倒なことになったと軽くため息を吐くと、その事を見咎めたシンクが責める様な目で私を見てきた。
「エリスはどうするつもり?」
納得いかないといった風にシンクが聞いてくる。
どうするって……、先生に言われたらお茶くらい用意するかもしれないけど、積極的に何かをしようとは考えてない。別にお客には興味無いしね。
そんな意味合いの事を言うと、またシンクに溜息を吐かれた。
……何か変な事を言ってしまったのだろうか?
「僕も一緒にいるよ、何かあったら面倒だし」
「アリアも、います」
呆れた顔をしたシンクと、不満げな様子のアリアがそう言った。
――もしかして心配してくれているのだろうか? この面子で一応私は最年少なわけだし。
「ありがとう」
これからは気を付けるようにするね、といった意味合いでお礼を言った。
先生の客ってだけで際物確定だからね。確かに普通だったら警戒して当然なのかもしれない。私の危機管理能力が鈍っていたのだろう。気を付けなくちゃ。
◇ ◇ ◇
家の中に戻っていったエリスを見て、シンクは大きなため息を吐いた。
その大半はこれから来るという《客》に対するモノだったが、残りはエリスに対してだ。
―――あの、お人よし。
見た目からの印象と異なり、彼女は存外まともな人間だ。10年以上一緒にいた僕だからこそ、その事が理解できる。
初めて会った時の印象はそれはもう最悪だった。
―――今までに見たこともないような《オカシイ》奴。
こちらを視ているくせに何も映していないかのような瞳、人形の様に変わらない表情、恐ろしく冷たく響く声色、……それら全てが僕にとっては忌避の対象だった。
それなのにアリアが直ぐにエリスに懐いたのは、やはり僕よりも先に彼女の優しさを見抜いていたからなのかもしれない。人としてよりも獣に近い彼女だからこそ、それが解ったのだろう。
エリスはとても不思議な奴で、僕がどれだけ拒絶の態度をとっても嫌な顔一つしないで僕に話しかけてきた。大抵はいつもの無表情だったけれど。
……まぁそれから色々あって今みたいな関係になった。この関係にあえて名前を付けるとするならば、『家族』というが相応しいのかもしれない。
昔の僕が今の姿を見たら『家族ごっこだなんて馬鹿らしい』と嘲笑するだろう。というよりも、今でさえ自分はかなり滑稽な事をしていると思っている。
でも僕はそれなりにこの生温い関係を気に入ってたりもする。
変わっていくのも悪くはない。――そう思えるようになってきたから。
ま、元からの性格だけは変わらなかったけど。
それに前々から思ってはいたけど、エリスは厄介事に巻き込まれやすい。
本人は気が付いていないかもしれないが。
先生が連れてくる客がまともな人間の筈が無いじゃないか。少しは学習すればいいのに。
自分から厄介事に首を突っ込むだなんて本当に何を考えてるんだか。
……考えた上での対応の場合もあり得る。
その上で大丈夫だと判断したのなら僕からいう事はなにもない。後で骨は拾ってあげよう。
最低でも食事を終えるくらいまでは付き合ってもいいけれど、それ以上の時間を縛られるのはゴメンだ。
どうせその後のアリアに対するフォローは僕がしなくちゃいけないんだろうし。
……アリアが長時間よく知りもしない他人と一緒に居られるわけがない。
今までの経験上はっきりと断言できる。
前に皆で街に行った時は大変だった。――人ごみで彼女が恐慌状態になって暴れ出したのだ。
もちろんその時の外出はそれでお開きになった。
―――昔から彼等はアリアに対して甘い。
その理由は分かっている。
先生は薄々気づいてるかもしれないが、エリスはおそらく気づいていないだろう。
もちろん本人であるアリアも。
―――アリアには強力な念が掛けられている。
その事実がはっきりと分かったのは、僕が発を完成させた時だった。僕の能力に関して詳しく話すつもりは無いが、探査目的の念だと言っておく。
彼女に掛けられた念の効果は、《アリアに対して、庇護欲や親愛などといった感情を強制的に抱かせる》といった物だ。目に見えないフェロモンを常に放っている、と言った方が解りやすいかもしれない。
個人差があるのか僕にはあまり効かなかったみたいだけど。
今となっては念の影響ではなく、彼らは自らの意思で彼女を大切に思っているのかもしれないが、最初に抱いた感情は少なからず念によって引き起こされたものだ。
誰がどんな目的で彼女にこんな念を掛けたのかは分からないが、おそらく彼女を想っての事だろう。
―――そんな風に誰かに想われているアリアが羨ましい。
ほんの少しだけ、そう思ってしまった。……くだらない感傷だ。
そんな能力があるから、多分これから来る《客》にアリアがどうにかされる事はないと思う。あくまでも推測なので断言はできないけど。
「シンク、どうしたの?」
自分の思考に没頭していた僕を変に思ったのか、アリアが話しかけてきた。
普段は鈍いくせにこういう時にかぎって鋭い勘をしている、これが野生のなせる技なのかもしれない。
「……おまえさ、ホントに会うつもり? 大丈夫なわけ?」
正直心配と言うよりも問題を起こされたりすると皺寄せが僕に来るので、それだけは避けたいという思いの方が強い。
「だって、エリスが…」
「アイツだって引き際が分からないほど馬鹿じゃないし、放っておいても平気だと思うけど」
確かにエリスも心配だが、彼女はそれなりに処世術を知っているので大した問題はないと思っている。あくまでもそれなりのレベルだが。
まぁ時々僕らにも想像がつかない事をしでかすけれど、……今回は平気だろう。
「だってアリア、エリスのお姉ちゃんだもん」
だから心配だ、と言う彼女に対して僕は本日3回目になる溜息を吐いた。
「見た目だけで判断するなら、アリアの方が妹みたいだけどね」
「……シンクのいじわる」
口を尖らせて、拗ねたようにアリアが言った。
全く、これで僕より年上というのだから笑えない。――本当に、頼りない姉である。
「はぁ、分かったよ。好きにしたらいいさ。でも何かあったら僕に言う事、いいね?」
「うん、わかった」
嬉しそうに答える彼女を見て、少しだけ癒された気分になってしまった。
―――僕も相当毒されてるなぁ。そう考えて一人苦笑する。
その後、食事の席から逃げ出したアリアを追いかけて、本日4度目になる溜息を吐く事になるのはご愛嬌というものだろう。
アリアに掛けられている念詳細
『天使への祝福(スイート・パヒューム)』
アリアに対して、庇護欲や親愛などといったプラス感情を強制的に抱かせる能力。
アリアの養い親(大きな獅子にちかい獣)がハンターに殺される直前に彼女に掛けた念。
死者の念なので効果が倍増している。
生物全てに対し発動する。
制約と誓約
・対象によって効果にバラつきがある。
・対象を選ぶ事は出来ない。
・除念はほぼ不可能
後書き
アリアは究極の愛され異質。寧ろ彼女の方がスペック的に主人公に相応し(ry