心配していたが、案ずるより生むが易し。マッシュの加入を、シュウはすなおに喜んでくれた。 勝手に決めたことも全然気にしてない様で、俺はそっと胸を撫で下ろした。 マッシュを連れ、再びグリードアイランドに入ると、一直線にマサドラに向かう。 今の俺なら一日で駆け抜けることができる、と、思ったのだが、さすがに500キロの重りを抱えていては無茶な話で、岩石地帯の村で一泊し、次の日の昼ごろにマサドラに着いた。 マッシュも“ゲームの中”ということで最初は驚いていたものの、生来図太い性格らしく、途中出遭った怪物を見てよろこんでいた。 マサドラの宿でレット氏と落ち合い、マッシュとレット氏は互いに自己紹介。 互いに胡散臭げな目を向けていたのが印象的だった。「じゃあ、レットは穴掘りと念の基礎修行を、マッシュと組んでやってくれ。重りは自分で加減しといて」「はいっス」 マッシュの訓練をレット氏に任せ、俺は単独での修行に移る。マサドラから岩石地帯まで来るのに、今の二人なら1週間くらいで来れるだろうか。 その間に先に岩石地帯に赴き、とりあえず重りを100キロにして、付近の怪物達を倒す訓練を始める。 動きも鈍り、体力の消耗も半端ではない。重量装備をつけての狩りは、よりシビアに動作一つ一つの効率を追求しなくてはならない。 動きは最短、最速、最小限で。獲物の動きから、自分の行うべき動作を最短時間で割り出さなくてはならない。 もちろん念能力も積極的に使っていく。 求めるものはハイレベルな基礎能力ではなく、実戦で使える総合力。“ユウ”の経験を“俺”にフィードバックし、さらに実戦的に鍛え上げなければ、きっと仇には届かない。 7日後、レット氏達が岩石地帯にたどり着いた。気がつけば100キロの重りは、ほとんど苦にならなくなっていた。 修行場所を二人に明け渡して、穴掘りの道具をもらう。 今度は掘るのではない。重りを倍に増やして、先日掘ったトンネルを埋めていく。 トンネル掘りの逆だから同じような負荷かと思えば、これがかなりの重労働で、重りの負荷とあいまって初日は一山埋めることもできずに終わった。 マサドラにたどり着いたのは2週間後。そこからレット氏達の掘った穴を埋めながら戻り、10日後にやっと岩石地帯にたどり着いた。 ちょうどレット氏達も怪物狩りを終えたところらしく、岩石地帯にはカード化限度枚数を超えた怪物達が死屍累々と横たわっていた。 とりあえずレット氏達を探して歩き回ってみる。だが、いない。 それどころか付近一帯に微細なオーラすら感じられない。 ――いやな予感がする。 重りを外し、岩山の頂上に登ってあたりを見渡す。 何もない。 倒された怪物以外、そこには何もなかった。 だと言うのに、危機感はいや増す。「おや」 そこにいたのかい 声が、聞こえた。 その声が、俺を恐怖のどん底に着き落とした。 致命的な何かに捕らえられた。確信。「おいでなさい」 念の力ではない。魔的な力が働いたとしか思えない。俺は魅入られたように、声のする方へ向かった。 その先にいたものは、少年だった。 どこから用意したものか、椅子に腰をかけ、テーブルの上で両肘をついている。 年齢に似合わない、老成した雰囲気を持つ少年は、見徹すような目で、俺を射抜いた。「ゆ、ユウさん……」 その対面に座っているのはレット氏だった。 泣きそうな顔になりながら、レット氏はこちらを見てくる。「助けて下さいっス……俺、死にたくない……」 その手から、はらりとカードが落ちる。「キミの負けだよ、レットくん。罰ゲームを受けてもらおう」“悪魔の迷宮(ループ・ループ・ループ) ”「うわああああぁっ!!」 少年の言葉と同時。レット氏は、足元に出来た闇に飲まれていった。 それを、薄暗い笑みで見届ける少年の姿に、悪寒が消えない。「さて――」 少年は、ゆっくりとこちらに向きなおる。 なんとなく気付いた。 俺は、こいつが怖い。いや、俺だけじゃない。俺の中の“ユウ”もこいつを恐れている。 それが何故なのか、思い知った。 この禍々しいオーラはヒソカを見ているようで、年齢に見合わない装いは、ネットで調べたそのままじゃないか。 こいつこそ、“ユウ”の仇。 即ち、彼が悪魔紳士。「はじめまして。わたしの名はツェールという」 悪魔紳士、ツェールは静かに言った。「お嬢さん、ゲームをしないかね」 平然とした仕草に、吐き気をもよおすような異様なオーラが混じっている。 圧迫感に、息が詰まる。「……レットを、どうしたんだ」 かろうじて、それだけ声に出せた。 レットに、おそらくマッシュも、こいつにやられた。だが、やられてどうなったのか、わからなかった。「ああ、ここに居た男達か。彼らなら、わたしの迷路の中だよ。まだ元気に動き回っている」「……迷路?」「わたしの念能力だよ。ゲームの敗者を闇に叩き落とす、ね」 そう言ってツェールは椅子にかけていたステッキを軽く叩いた。 闇のゲーム。そんな言葉が連想された。 あの二人は、自らそんなゲームをするようなタイプではない。 マッシュは強くなることしか頭にないし、レット氏は、あの通り気の小さい男である。おそらく、実力を見せ付けられ、無理やりゲームをさせられたのだろう。「知り合いならちょうどいい。ゲームをしよう。君が勝てば二人を助けてあげようじゃないか」 気を落ち着かせる。 正面から戦っても敵わないのはわかっている。なら、この勝負は、ある意味渡りに綱じゃないか。「――ゲームの内容は?」「君にもわかりやすいように単純にやろう。使うのはカード、互いに1から10と、ジャック、クイーン、キングの13枚を持ち、一枚ずつ場に出して数字の大小で勝敗を決める。ジャックは11、クイーンは12、キングは13として扱う。もちろん数字が大きいほど強い。ただし、エースはキングに勝つ。勝ったほうは双方のカードを得点として手にいれ、13回戦った結果、より多くの点を得た方が勝者だ」 言う間に、カードが配られてくる。「もちろん、敗者には罰ゲームを受けてもらう」 そう言って、ツェールは一枚目のカードをテーブルの上に置いた。 このカード一枚一枚が、俺の命を握っている。そう思うと、身がすくむ。 まず、様子見に“7”を出す。 ツェールはゆっくりとカードを裏返す。 “2”だった。 とりあえずの勝ちに、安堵する。 だが、この勝負、出せるカードは一種の数字につき一回と定められている以上、数字の差が少ないほどいい勝ち方になる。そういう意味では、この勝ちは、微妙かも知れない。 次に俺が出したのは“3”相手が持つ中で、“A”以外では最弱のカードだ。 ツェールが出してきたのは“3”。引き分けだ、これは、どちらの得点にもならない。 3回戦、俺が出したのは、負けを覚悟で“2”。ツェールが出して来たのは“A”だった。「ふむ、こんなものかね」 ツェールは淡々とつぶやいた。「では、本番といこうかね」 あくまで淡々と言った言葉に、異様な気配を感じた。 その4回戦、俺は“8”を出した。ツェールは“9”で、向こうの勝ちとなった。 一点差の負け。一番拙い負け方だ。 5回戦。俺のカードは“11”、ツェールが出してきたカードは“12”。 連続で、一点差負け。しかも大きな数字でだ。 冷や汗が流れる。 まさか狙って一点差にしているわけではないだろうが、完全に思考の方向性を読まれている。 続く6回戦も、“4”対“5”。一点差で負けた。「――もちろん気付いていると思うが、これは念能力の類ではないよ」 わかっている。こんな勝負を挑んだ以上、俺は常に“凝”で相手を見張っている。 こいつが何かをやった形跡など、何もない。 だとしたら、これは純粋な実力。 間違いない。ツェールは完全にこちらの思考を読んでいる。念を抜きにして、だ。 おそらく最初の三回の勝負。向こうは最初から勝負を捨て、俺のカードの出し方から俺の本質。勝負の場で顔を出す心理の指向性を量っていたのだ。 しかも、これで得点はこちらが12点に対しツェールが49点と、大幅に負け越した。 拙い! 焦燥が身を苛む。 必勝を期して望んだ7回戦、こちらのカードは最強の“13”。 だが、相手のカードがめくられた時、俺は血の気が引いた。“4”相手に残された、最弱のカードだ。 完全に読まれた。まるで、こちらの思考を追ったかのように正確極まりない。 これが、差だと言うのか。 こんな単純なゲームで、ここまで差をつけられるものだろうか。「どうかしたのかね」「う……う」 少年ながら、ツェールの全てを見透かすような目。それが、たまらなく恐ろしい。「レイズやアモンから聞いたのとは大分違うな。気丈なお嬢さんと聞いていたのだが」「なっ!?」 言葉が、衝撃となって俺を襲った。レイズという名は、あの吸血鬼もどきが口に出していた。すなわち、こいつは“同胞狩り”の仲間ということになる。「“同胞狩り”の仲間なのか!? 旅団員が何故!?」「―――簡単な事、わたしも仲間だからだよ」「そんなはずはない! “旅団員”なんて設定にできるはずがない!」 そう、そんなことは不可能だ。 初期設定で、原作に深く関わる人物、あるいは強い影響力を持つ人物の血縁、恩人、友人などに設定することは、禁止されていたのだ。「もちろん、本来ならばその通り。だが、わたしは特別でね。こんな設定でも可能なのだよ」 言葉のニュアンスに、思考を刺激するものがあった。。「改造? いや、違う……開発者」 間違いない。発表間も無いβ版のゲームをそこまでいじれる者など限られている。「その通り。まあこうなっては同じ“被害者”だがね」 ツェールは、悪びれもせずに答えた。「そんな……あんたがプレイヤーキャラなら、なんで俺の仇なんかに設定されているんだ」「ほう? いや、なるほど。設定の穴を埋めるために同じプレイヤーキャラが使われた、ということか。興味深いね」 ――なるほど。“ユウ”に設定以上の記憶、経験が付与されていたように、ほかでも同じようなことが起こっていた、と言うことか。「だが、お嬢さん。今はそんな事を考えている暇じゃないだろう?」 そう、衝撃的過ぎて現状を忘れかけていた。 今は、負ければ必死の闇のゲームの最中なのだ。 だが今のは、頭を冷やすいい機会になった。おかげで少し冷静になれた。 手札を見直す。A”5”6”9”10”12” 相手の手札は6”7”8”10”11”13”である。 こちらの5”6”より低い数字が相手の手札にない以上、この二枚は死に札だ。 これで、きれいに負けなくてはならない。11”や13”の時に合わせられれば理想的……なんだが。 ―――違う。 ひらめきが走る。 天啓と言ってもいい。とにかく、俺の中の何かが、俺の考えを否定した。 だから、考える。この直感を逃すわけにはいかない。 考えるべきは自分の都合でなく、相手の心理。俺は今、負け札の処理を考えた。 こんなものいつまでも抱えてはおきたくない。そんな、負の思考。 相手はそこを突いてくる。 ――だったら、それに噛みついてやる。 ツェールの目を見る。今度は、怖くなかった。“わたし”は、カードを一枚場に伏せる。 相手のカードは“6”、わたしのカードは“6”引き分けだ。 続く9回戦、相手のカードは“10”、わたしのカードも“10”だ。 嘘のように完全に読みどおり。こちらの勝ち札をなるべく消費せず、相手の勝ち札を減らす。 だが、いまだこちらが圧倒的に不利。 こちらの手札“A”“5”“9”“12”に対し、相手は“7”“8”“11”“13”。こちらの“5”が完全に死に札だと言う事を考えれば、勝ち様がないように見える。 だが、仮に先の読みで相手の“6”“10”に勝ち札を被せれば残るのは“A”“5”“6”“10”。点数のアドバンテージ以上に死に札がのしかかってきて、勝ち筋が細く危うい物になるだろう。 続く10回戦、相手は“8”これに“9”を被せて、勝利をもぎ取る。 46対49。得点的には追いついた。 ツェールの顔色が変わる。 たぶん、彼はまだ気付いていない。 心理を読みきった“俺”から、“わたし”に、相手が切り替わっている事を。 たぶん、ツェールの読みは絶対。 読みとは違った札を出してくる相手に、彼は困惑している。 だから、ここでツェールは勝ちがほしい。数字的なアドバンテージを取りたい。必勝の“13”を出したいところだろうが、まだこちらには“A”が残っている。 だからこそ、この場面で出すのは“7”。“A”“5”の2枚に勝ち、負けたとしても相手の唯一の勝ち札を使わせる必勝のカード。 だから、こちらは“5”を出した。負け札にして、相手を地獄に引きずり込む魔の札。46対62、点数差は16。だが、そんなものは関係ない。 次に出す札で、勝敗は決してしまうのだから。こちらの手札は“A”“12”、相手の手札は“11”“13”。どちらを出しても勝率は5分5分。この状況に来て、わたしの“A”は勝ち札に化けた。 ツェールは信じられるだろうか。こちらに“12”がある状態で、“11”の強さを。 できない。 相手の心理傾向を量るために弱い札を使い、強い札を温存するツェールでは、この状況で、“11”の強さを信じることはできない。 読みの鋭さこそ恐るべきものがあるが、どこか“安全”を抱えていなければ勝負できない。“罰ゲーム”と言う恫喝の元でしか強者たり得ない。それが、ツェール……いや、“その中身”の正体だ。 いくらツェールの設定が最強でも、操っているのはプレイヤーに過ぎない。 その齟齬が、“わたし”のつけ目。 ツェールの“13”に対し、“わたし”のカードは“A”。最弱のカードが、勝負を決めた。 「ぐっ」 勝負が決まり、ツェールはテーブルに突っ伏した。 その瞬間。虚空から憔悴しきった様子のレット氏とマッシュが落ちてきた。二人は、生還できて気が緩んだのだろう、崩れるように気絶した。 よかった。こんな所で仲間を失っていたら、一生後悔していただろう。 「―――ぐぎぎぎぃ」 奇声に驚き、振り返る。 ツェールが、何かに耐えるように歯を食いしばっていた。 見れば、ツェールから放たれていた禍々しいオーラ。それが全て彼のステッキへ吸い込まれていく。 何が起こっているのかわからなかった。だが、これはツェールがゲームに負けたことに起因している。それだけはわかった。 後に残されたのは痩せこけた子供の亡骸。対してステッキの方は、禍々しいオーラを発している。 たぶん、ステッキの方が本体。そんな設定なのだろう。怨“念”の宿ったステッキが“悪魔紳士”と呼ばれる存在を作り出したのだ。 改造までして造り出したキャラクター。最後は、設定に足を引っ張られたのだ。 わたしは、渾身の念を込めてステッキを踏みつける。 ステッキは、乾いた音を立て、二つに折れた。 子供の遺体が、オーラに包まれて消えうせる。グリードアイランドのゲームオーバー。 わたしは、仇を討った。 そして、仇を討ってしまった“わたし”は、何かどうでもよくなって、地面に倒れ込んだ。 ――夢は見ない。 呪いから、解放されたから。 わたしを縛る言葉は、もう無い。 ――夢は見ない。 復讐以外に、何もなかったから。 それがなくなった今、何をしていいのかわからない。 ――夢は見ない。 そう教えられたから。 師に叩き込まれた希望的観測を許さぬ思考法が、わたしに告げる。 オマエハモウ、ヒツヨウナイ――と。 だから―――誰かが告げる。 わたしは、あなたでいい。あなたであることが、わたしの全て。 そう言われて、相手が“ユウ”だと気付いた。「―――!」 声にならない声を上げて目を覚ます。 辺りを見回すと、倒れた時のままの光景――気絶している男共を含めてそのままだった。 違和感がある。違和感、と言うより、過剰にしっくりする感じ。“なじむ”という表現が、より近いように思う。 “俺”の部分と“ユウ”の部分が分かれていた以前より、より混じりこみ、渾然として区別がつかない。 要するに、“ユウ”の部分が、完全に俺のものになってしまったのだ。 だが、それは俺にも影響があるわけで、俺はわたしでもある。そんな変な状態になっている。 まあ、急いですべきことも無くなってしまったし、少しはゆっくりできるだろうし。 何か、一気に緩んだ。 俺、今まで結構テンパってたんだな。 ぶっ倒れている二人を見ながら、ふと、この世界を見て回るのもいいかな、と思った。 目を覚ましたレット氏とマッシュにとりあえずグリードアイランドから出る事を告げる。 マッシュは、ここはいい修行になるから、しばらく残りたいと申し出た。 強くなることに貪欲なのはこっちとしてもありがたかった。レット氏にも、微妙にいい影響を与えてるみたいだし。 マッシュの言葉を聞いたからか、レット氏も、ここでできる事をやってみたいっス、などと言ってきたので、とりあえず魔法カードの買い込みを頼んだ。 今のうちに注目されても拙いので、指定ポケットのカードを集めるのは後回しにした方がいいだろう。あんまり動き回って危険な奴に会っても困るだろうし。「――じゃあ、また戻ってくるまで」 そう、二人に別れを告げ、港からグリードアイランドを出る。 その場でシュウに電話をかけ、一言。仇を討った、そう言うと、シュウは我が事のように喜んでくれた。「でな、ちょっとガス抜きしようと思ってな。いろんな所、行ってみようと思うんだ」 そう言った俺の言葉から何か感じたのか、電話の向こうでシュウのため息が聞こえてきた。「行く前にオレんとこ顔出せよ」「ああ」 大きく頷いて電話を切ると、空を見て歩き出した。 初めてまともに見たこの世界の空は、途方もなく大きく見えた。