目を覚ますと、病院のベッドで寝かされていた。 またぞろみんなに迷惑をかけたらしい。情けない話だった。「あ、アズマ」 そばについていてくれたのだろう。ツンデレのうれしそうな声が、上から降ってきた。「何日寝てた?」 寝返りを打って体を横にし、ツンデレを見上げながら尋ねる。 ツンデレの、猫を思わせる青い目が、柔らかく細められた。「丸一日よ。ヘンジャク先生と海馬は帰っちゃった」「……お礼、言いたかったのにな」「それが嫌だったんだと思うよ。とくにあの海馬は」 それはそうかもしれない。顔を横に向け、ふん、と鼻を鳴らす海馬が目に浮かぶようだ。「先生呼んでくるね」 そう言ってうれしそうに出ていったツンデレと入れ替わるように、部屋に入ってきたのはキャプテンブラボーだった。「おお。目が覚めたのか」 その声には気色が見えた。 先輩、の、はずである。しかし、どこから見てもキャプテンブラボーだ。ものすごい違和感があった。 ブラボーは、新たに椅子を引っ張り出してきて、枕元に腰を据えた。 互いに顔を合わせ、しばし無言になる。 言いたいこと、聞きたいこと、たくさんあった。だけど、思いが余って言葉にならない。「カイリ、すまない」 ブラボーは、いきなり頭を下げてきた。「どうしても、ゲームの中にお前の姿を残したかった。だからカイリを模したキャラクターを作ったのだが……まさかこうなるとは。すまなかった」「先輩」 苦渋をかみ締めて、再び頭を下げようとするブラボーを、手で制した。「あれが同胞狩りをやっていたのは、別の製作者(ブラン)に命じられてだろうし、その後は自分の意思でです。けっして先輩の責任じゃない」 この件で先輩を責めるつもりはなかったし、なにより俺のことを慮ってのことだと分かっていた。 俺の言葉に、ブラボーはうなずかない。 帽子を目深にかぶった彼の感情は、読めなかった。 でもまあ、そんなことより、聞きたいことがあったり。「ときに先輩」「なんだカイリ」「どうしてあれ(・・)が俺なんですか」 目が眇められているのが、自分でも分かる。 むちゃくちゃ納得いかない。やたらと目つき悪いし。無愛想だし。そもそも、根本的なところからして間違っていた。「やけに怖いぞカイリ」「当然です。返答いかんによって、これから先輩に対する態度を変えなくちゃいけないんですから」「む、そんなにおかしかったか? なるべく似せたつもりなのだが」 戸惑った様子のブラボーに、深い深いため息をつく。 まあ、そんなことだとは思ってたけど。なんと言うか、呆れるしかない。 この人、いままでずいぶんとイベントスルーしてきてるんだろうな。でもって押しの強くて執念深い、鎖でがんじがらめに束縛するような女にとっつかまるに違いない。そう思うと、哀れすらもよおす。「いや、もういいです。かなりどうでも」 思いっきり脱力して、ため息を吐いた。なんと言うか、怒る気すら失せた。 そこへ、パタパタと走りくる足音。「アズマ。来てもらったよー」 微妙な空気を吹き払うように、ツンデレが帰って来た。「帰る手段がある」 診察を終え、医者が去ってからしばらく。 おもむろにブラボーは言ってきた。「グリードアイランドのクリア特典。“挫折の弓”。これで十六回の“跳躍(リープ)”が可能だ」 その言葉に、俺とツンデレは顔を合わせる。 理解が追いついたとき、互いの面に歓喜の表情が浮かんでいた。「やったな、ツンデレ」「ええ、アズマ。これで還れるのね」 思わず、手を握りあう。 ――そう、これで、ツンデレを還せるのだ。「――ツンデレ“を”ってなに?」 いきなり、冷えた声が向けられた。気づけば、ツンデレの顔から表情が抜け落ちている。 あ。 致命的な失敗に気づいた。しまった。口に出していたのか。「あんた、ひょっとして、帰らないつもり?」「いや、べつに――」「――ちゃんとわたしの目を見て言って」 ツンデレの目が据わっている。とても誤魔化せそうになかった。「ツンデレ」「アズマが帰らなきゃ、わたしも帰らないから!」 俺の言葉をさえぎるように、ツンデレは叫んだ。 そう言うと思ってたから、黙ってたんだ。「ツンデレ。そんなこと言うもんじゃない。むこうにいる親とか、友達はどうする」「そんなのどうでもいい!」 かんしゃくを起こしたように、言葉が叩きつけられる。 ツンデレはこちらを見据えて、握りあった手を砕かんばかりに握りこんできた。「ここに来た時、決めたの。こっちで“エスト”として生きようって。 アズマと会って戻ろうと思って、でもやっぱり戻りたくなかった。だけど、アズマがいるなら、アズマが還るならいっしょに還ってもいいと思ってた。アズマが帰らないなら、わたしも帰らない。あんな嘘っぱちの関係の中になんか、帰りたくない!」 顔を真っ赤にして、目に涙すらためて。ツンデレは叫びながらかぶりをふった。 ツンデレの想いは、正直涙が出るほどうれしい。でも、俺は、決してそれを肯定することはできなかった。「ツンデレ。正直、俺は帰りたい」「なら!」「でも、俺は帰れないんだ」 俺はついに、身の上を話すことを決意した。「ツンデレ、むこうの俺は、病気なんだ」 深く息を吐いてから、口を開く。 ツンデレは息をのむ。「余命一年。そう言われたのが、三年も前の話だ。治る見込みはない。発作も、いつ起きるか分からない。俺はそんな体だったんだ」 そのあいだ、病院を転々として、医者が変わるたび、荒んでいった。いまの医者にかかるまで、ずいぶんと手をかけたものだ。「親は、痩せたよ。ずっと、覚悟のさせっぱなしだった。それでも、俺は生きつづけて、削られつづけるあの人たちを、見ていられなかった」 あの人たちのことを思うと、いまでも心が締め付けられる。 だけど、だからこそ。わずかな余命を抱えて還ることは、できなかった。「俺は、戻れない。あの人たちを、俺から解放したいんだ」 そう、決意して。自ら命を終わらせる決意をして。その前に、最後に先輩が完成させたゲームに名前だけでも残しておきたくなって――こちらの世界に来てしまったのだ。「ツンデレは、俺とは違う。おまえには、時間があるじゃないか」 俺は、言った。切なる願いを込めて。「ツンデレ、頼む。俺が生きられなかった未来を。むこうの時を、生きてくれ」「知らない! 馬鹿!」 目に星が散った。走っていくツンデレの目から、涙の粒がこぼれていた。「……いいのか?」 静かに押し黙っていたブラボーが口を開いた。「いいんです。もともとそのつもりだったんだから」 言ってしまった以上、決別に近い別れになるのは覚悟のうえだった。 それでも、やはり、心が痛い。 ふいに、めまいを覚え、額を手で押さえる。「まだ体が本調子ではないのだろう。眠っておけ」 その様子を心配したのか、半ば無理やりにベッドに押さえつけられた。「俺は、彼女と少し話してこよう」 俺を寝かしつけると、ブラボーはそう言って席を立った。 その日の夜。病院自体が眠る真夜中のころ。ブロンドのツインテールを揺らして、彼女は忍び込んできた。 暗がりの中でも、それが誰だかわかった。「ロリ姫か」「うむ」 半身を起こして確認すると、ツンデレの体を操る彼女は、首を上下させた。「小娘は、還る」 椅子を探り当て、その上に座ると、ロリ姫は言ってきた。「お主の言葉と、あの丈夫(おとこ)の説諭が効いた様じゃ」「そうか」 その言葉に、安堵の息を落とした。 先輩が、説得してくれたらしい。いつまでも、世話をかけてしまう。「じゃが、まあ、あの様子ではな。別れも言えそうに無い。止む無く体を借りて来たと言う訳じゃ」 ツンデレは、よほど怒っているらしい。 当然だろう。仲間のような顔をして、ずっと旅をしてきて――肝心なことを黙っていたのだから。「ロリ姫は、なにも言わないんだな。俺が帰らないことに」「おぬしが決めたことじゃ」 ロリ姫は目を伏せて、静かに答えた。「それに、事情が事情じゃ。思いとどまらせる心算(つもり)は無いわ。 じゃが、ひとつ聞きたい。この世界で生きるお主の横に、ツンデレが居ってはいかんのか?」「いや」 短く、答える。 本音を言うと、そばにいてほしかった。どんなに居心地が良かったとしても、この世界は俺にとって異郷だ。そんなところに、一人で取り残されることを思うと、ぞっとする。「だけど、俺のわがままで。ツンデレの、むこうの世界での可能性を摘むなんて、絶対にやっちゃいけないんだ」「アズマ……」「俺にも、夢があった。だけど、病でそれをあきらめざるを得なかった。むこうの世界で俺に残された作業は、死ぬことだけだった。 ツンデレには、俺にはない未来がある。なんでもできるし、なんにでもなれる」「……そうじゃな」 ロリ姫は、ツンデレの体でため息をつく。体まで沈みこみそうな、深いため息だった。「おぬしも妾と同類であったか。ツンデレに、己には無い未来を見て居った」「ああ」 ロリ姫も。すでに死霊となった彼女も、同じだったのだろう。 ふいに、ロリ姫は、おのれとツンデレの面に笑顔をつくった。「じゃが。妾はお主の先にも、同じものを見て居る。これまでも、そして、これからもな」 そう言うと、ロリ姫は席を立った。 部屋を出て行く前に、ロリ姫は肩越しに声をかけてきた。「ではな」 短すぎる、別れの言葉だった。 次の日、ツンデレはブラボーと去っていった。 よほど腹に据えかねたらしい。別れの挨拶もなかった。「さて、これからどうするかな」 回復の早さに対する驚きとともに退院のお墨付きをもらい、病院を出て。天を見上げながら、ひとりごちた。 一番の目標が達成されてしまって、正直、どうすればいいのかわからなかった。 ひとりの寂しさを紛らわせるように、自然と故郷に足が向いた。 故郷と言ってもぴんと来ない。ここ数年来、自宅など見た記憶も無いのだが、むこうの世界の家こそ故郷として心に刻み付けられていた。 なにより、ツンデレのいないこの地を故郷とは思えなかった。 とはいえ、自宅へ近づくにつれ、懐かしさがつのる。 自宅の扉を開けると、いきなりツンデレが仁王立ちで待ち構えていた。 それは、わずか一年半前の出来事だった。 苦笑を浮かべながら、家の敷地に入った。 ずいぶんと空けていたせいだろう。自宅はうらぶれた雰囲気をかもし出している。「ただいま」 誰もいるはずがないのだが、とりあえず習慣として口にする。「おそいっ!」 だが、ないはずの答えが返ってきた。 実家の扉を開くと、少女が仁王立ちになっていた。 金髪碧眼。猫を思わせるつり目にツインテール。なぜか某女子高の制服。 ツンデレが、なぜか、そこにいた。 驚きのあまり、しばらく声も出なかった。「……還ったんじゃなかったのか」「ええ。還ったわよ?」 かろうじて出た言葉に、ツンデレは笑顔で答える。「還って、また戻って来たの。家族といるより、わたしはアズマと居たい。だから、周りにケリつけて、戻ってきた。なんか文句ある?」 挑むように、ツンデレは口の端を吊り上げた。 素晴らしすぎて声もない。「妾も居るぞ」 もそりと、髪が動いた。 ロリ姫が、ツンデレの頭から顔を出してきた。「ロリ姫」「言ったじゃろう? 妾の在る意味は、お主等じゃと。お主等の旅が終わらぬのに、どうして成仏できよう」 その笑顔に、不覚にも涙腺が緩む。「お前ら……」「文句は言わせないわよ。修行での三本勝負、勝ったときの願いがまだだったわよね。“また、三人で、旅すること”……ずーっとね!」 文句なんて、あるはずがない。ある、はずがなかった。「もちろん拒否権はないわよ。いやだって言っても、一生、連れまわしてやるんだから!」 ツンデレの笑顔に、笑顔を重ね、空を仰ぐ。 ツンデレが、そしてロリ姫がいるだけで、こんなにも空がやさしく見える。みんながいれば、俺はなんでもできる。なんにでもなれる。 未来は、ここにあった。「……しかし」 素直にこちらに笑顔を向けてくるツンデレを見て、あらためて思う。「ツンデレがツンデレでなくなったら、俺はツンデレの事をどう呼べばいいんだろう」「名前で呼べぇーっ!!」 晴れた空、ツンデレの叫び声がおおきくこだました。