グリードアイランド。 ジン・フリークスらによって開発された、ハンター専用のゲーム。 そして、俺たちをこの世界へ誘った原因の、かたわれだ。 世に出回るその数、わずかに百本。さらに、先行プレイヤーや、バッテラ氏の存在が、入手難度を跳ね上げている。 おそらく、遊んでいるグリードアイランドの数は、十に満たない。 そのうちの一本が、いま、俺たちの元にある。「このゲームを、クリアして欲しい。さもなくば、それができる者に託して欲しい」 それが、所有者の依頼だった。 グリードアイランドを手に入れた彼は、親友のプロハンターにゲームを託した。友人は意気揚々とゲームの中に消えていき。 つい先日、変わり果てた姿で還ってきた。 友人の残した手記から、このゲームがどのようなものかを知った彼は、友人の最後の望み。グリードアイランドをクリアできる人物を、探していたのだ。 報酬は、前渡し。グリードアイランドの所有権と、友人の手記。「どうか、彼の手記を役立てて欲しい。そして、どうか、この人殺しのゲームを、打ち破って欲しい」 依頼内容は、こちらの目的と、完全に合致している。望外の条件だった。 だが。 想像する。 ツェズゲラをはじめとする、バッテラに雇われたハンターたち。 ゲンスルーたち爆弾魔。 それに、同胞たち。ことにシュウや海馬などの規格外。 彼らに対抗し得る実力が、今の俺にあるか? 答えは否。 こちらに来て数ヵ月。試合を除いた実戦経験というのは、実は二桁にも上らない。 自力以上に、圧倒的に経験が不足しているのだ。 ことに、念能力戦。いまだ、自分の念能力のポテンシャルすら、ろくに把握していない。 これでは、とてもグリードアイランドで生きていけない。 自分が何を出来るか。どこまでやれるか。それを知ることこそ、先決。 そこで、ふたたび天空闘技場を訪れることにしたのだ。 手軽に念能力戦を経験できる場所など、限られている。ここで、少しでも経験値を底上げするしかない。 二度目のチャレンジ。 百八十階からのスタートだった。 ツンデレは五十階から。無駄なく稼ぐつもりらしかった。ほんとにボディコン除霊師への道を走るつもりじゃないだろうな。「さあ。二ヶ月前、無敗のまま突如、天空闘技場から姿を消したアズマ選手! いよいよ真価を発揮するのか!? ここまで三戦して三勝のルーキー、アギト選手との対戦です!!」「おっしゃぁぁぁっ!!」 わずか二日後。二百階クラスの初対戦は、空手スタイルの武道家が相手だった。 どこの国だか知らないが、日の丸鉢巻に空手着。げじげじ眉毛の、暑苦しい男だ。 たぶん強化系。オーラ量はこちらがはるかに上。筋力は、おそらくあちらに分がある。“練”を体得しているところを見ると、最低限の念の修行はこなしているらしい。 実験にはもってこいだった。 「始め!」 開始の合図。同時にアギトがダッシュをかけてくる。 速い。 予測より二割増し。 だが、充分許容範囲内。相手のパンチも、充分視える。 紙一重。 相手の拳を躱す。そのまま真半身になり、鋭く、前へ踏み出す。 入れ替わる刹那。アギトの肩に触れた。 ――加速放題(レールガン)。 場外に吹き飛ばしてやるつもりで使った。 が。 発動しない。 一瞬の隙に、アギトの体が捩れる。 拙い! 身を折る。頭上を裏拳が吹き過ぎていった。 危ない。間一髪。 後方に跳んで距離をとる。 どうやら“練”のように、強いオーラを纏っている対象には発動できないらしい。「うおおおっ!!」 考える暇も与えてくれない。 気合声とともに、アギトが迫りくる。正拳突きを体ごとぶつけてくるアギト。 飛び越えるようにして躱した――瞬間。 アギトの体が旋回する。 考えるより早く、加速放題(レールガン)を発動。 すさまじい加速。一瞬気が遠くなる。 四肢を踏ん張るようにしてブレーキをかけ、リングの縁でやっと止まった。真横に飛んでたら、間違いなく場外だ。 自分への加速は、加減が難しい。 それにしても、正拳は囮か。見事に騙された。 リング中央ではアギトが舌打ちしている。空中で死に体になった獲物を逃した悔しさからだろう。 今度はこちらの番だ。 指を、アギトに向ける。 放出系の基本技。念弾。威力は念弾を収束することで、補う。常時“凝”に親しんでいた俺にうってつけの手段だ。 大きさはピストルの弾丸ほど。威力は、それでも戸板を貫通する程度。 上位者との戦いには、まだ使えないだろうが、こいつ相手なら、充分通用する。 と、思っていた。「きえええぇぃ!!」 気合一声。放った念弾は、アギトの拳に弾き飛ばされた。 気合声をあげた瞬間、オーラが膨れ上がっていた。なるほど。声でオーラを水増しする念能力か。攻防力移動もろくに出来ないのに、まさかそんな芸当ができるとは。「そんな小手先の業、この俺には通用しないぜ!」 拳を、こちらに向けてくるアギト。 誘っているのなら、もう一度くれてやるか。 指先に、オーラを集中する。 親指以外の、四本の指に。 それを見て、アギトの目が見開かれる。 両目両耳。オーラを常に分散集中していれば、この程度の芸当も、出来るようになる。 いまのところ、四つが限界だけど。 心で引き金を引き、撃つ。 並んで飛ぶ念弾。「うおおおおおおおっ!!」 アギトの声は、絶叫に近い。その分、膨れ上がるオーラも絶大。 並び飛ぶ三つの念弾全てを弾き飛ばされた。 三つ。 四つ目は、いまだ、我が指の中。 遅れて一発撃ってれば、たぶん当たったな。 アギトが、気の抜けたような顔になる。戦意喪失か。 じゃ、最後に実験だ。 足にオーラを集中して、跳ぶ。 わずか一歩で距離をつぶした。相手の懐の内。拳を振り下ろさんとする相手に、背を向ける態勢。 そこから。 ――加速放題(レールガン)。 止まったところから、体がもうひと伸び。ちょうど体当たりのかたちで、アギトにぶち当たった。 六十キロ強の人間砲弾。 為す術もなく、アギトは観客席まで吹っ飛んでいった。見れば、目を回している。「アギト選手失神KOとみなし!! 勝者アズマ選手ーっ!!」 まだ、いろいろと甘いとこあるな。 癖のない格下相手でよかった。 ま。接近戦のパワー不足も補えそうだし。こうやって経験を積んでいくしかないか。「で、たった十日で十戦?」 呆れたような、ツンデレの顔。「あんた、馬鹿でしょ」 なぜか、説教を喰らっていた。 やっぱあれか。試合が終わったあと、自分の部屋でぶっ倒れてたところを見つかったのが悪かったのか。 まあ、確かに。五戦を過ぎたくらいから体調おかしくなってきたし。体だるかったし。 それでも、そんな状態で戦う、いいシミュレーションになるかな、とか思ってたんだけど。 最後なんてギリッギリの判定勝ちだったしな。 念能力戦ってのは、やっぱり消耗するみたいだ。「まあ、何とか無事にこなせたんだから、いいじゃないか」「よくないわよ! 部屋行ったらいきなりあんた倒れてて。心臓止まるかと思ったわよ!」 やっぱりそれが拙かったらしい。「ま、しばらくは回復を待つさ。次はフロアマスターだしな」 そう言うと、呆れたような顔をされた。 その気持ちも、わからなくはない。 だが、フロアマスタークラスなら、間違いなく念能力者としても一流だ。仮想ゲンスルーとまではいかなくても、仮想ビノールトくらいには、なるだろう。 グリードアイランドに入る前に一度、それクラスの相手と戦っておきたかったのだ。「無茶しないでよ」 と、言われても。こっちはどれだけ無茶できるか知りたいんだけどな。 まあ、怒られそうだから言わないでおこう。 うっかり口にも出さないぞ、と。「ツンデレ、明日あたり、外出ないか?」 ふと、思いついて口にする。「え?」 ツンデレの口が、ぽかんと開いた。そんなに意外なんだろうか。「ここのところ戦い詰めだったからな。休みがてら、久しぶりに遊ぼうか」「え、それってでー」「小娘、顔が真っ赤じゃぞ?」 ツンデレが、凍った。 ロリ姫、いまお前よけいな事言ったっぽいぞ。「う、うるさいわね。勘違いしないでよね。仕方がないからつきあってあげるだけなんだからね!」 なぜ矛先がロリ姫でなく俺に向かうのか。まあ、見事にツンデレだった。 翌日。街まで出て、買い物することになった。特に必要なものがあるわけではないが、見て回るだけでも、楽しいものだ。 ツンデレは上機嫌だ。 しかし、たまに髪が不自然に動くのは、どうにかならないものだろうか。 今日のところは省エネモードで、ロリ姫の姿も見えない。 ツンデレが、たまに空中に向かって喋っている姿が、妙に痛々しい。 そうか。一般人から見たら、こんなにイタい光景だったのか。今後人目は気にしよう。 と。そんな感じで街中をぶらついていると、知った顔を見つけた。 ぼさぼさの金髪。引き締まった眉。目だけが、妙に冷たい。天空闘技場で出合った同胞、シュウだった。確か、今はフロアマスターになっているはずだ。 思わず目で追ううち、シュウは脇道に入っていく。 何かあったのだろうか。妙に怖い顔つきだった。 しばし考えて。「――ツンデレ、向こうへ行くぞ」 後をつけることにした。 シュウに気づかれないよう、慎重に追う。道が、どんどん細く、寂びれていく。 いったいどこへ向かっているのだろうか。「ねえ、さっきから、なんか人通り寂しいんだけど」 ツンデレが、不安と期待の入り混じった妙な顔で、尋ねてきた。 そういえば、ろくに説明してる暇もなかった。 まあ、決して楽しいことにはならないと思うけど。「――おい」 唐突に、シュウは足を止めた。 慌てて自販機の影に隠れ――棒立ちでいたツンデレの手を引っぱる。 文句は、口を塞いで封殺。 よし、おとなしくなった。「そこにいる奴。ウザイんだけど。出て来いよ。こっちはイラついてんだ」 妙にざらついた、シュウの声だった。 おとなしく出て行くか。 足を踏み出しかけて。「――ひぇひぇ」 どこからか聞こえてきた笑い声に、踏みとどまった。「この俺様の気配に気づくとは大ぃしたもんだ」 いきなり。地面から染み出すように、男が現れた。 隠れていたとか、そんなレベルじゃない。間違いなく、いなかった。「五月蝿い。ウザイ。いま急いでんだよ」 シュウのオーラが跳ね上がる。 凄い。同胞とは思えないオーラ量。あの海馬に迫る勢いだ。「とっとと消えろ! 正義の拳(ジャスティスフィスト)ぉ!!」 速い。 言葉と同時に、拳はすでに男の体を貫いていた。 すさまじいオーラ。すさまじい威力。あれがシュウの必殺技か。 だが。 体を貫かれたまま、男の口が三日月を形作った。 死んでいない――血が出ていない。 念能力!「ひぇひぇ。体を液体と化ぁす念能力、上善如水(ミズガミ)」 男は、言った。 同時に、男の輪郭が崩れた。透明なシーツをかぶせたように、シュウの腕からぶら下がる液状のものは、とても人間とは思えない。「このジェルにぃ、打撃はぁ効かんよ」 大蛇のように。シュウの腕を、液状のものが巻き登っていく。「そう」 シュウが、腕を振るった。 いや、見えたのは腕を振り上げたところと振り下ろしたところ。 まるで瞬間移動のようだった。 その勢いに、液体と化した男――ジェルは、吹き飛ばされて壁のシミと化した。 だが。 巻き戻しのように、壁からジェルが染み出てくる。ダメージは、皆無。 拙い。 こいつ、シュウとは相性最悪だ。「ひぇひぇ。お前の相棒もぉ、レイズにぃ焼き殺されているころだ。おとなしく観念するがぁいい」 その言葉に、シュウの顔が蒼白になる。 恐れではない。怒りによって。「あいつに指一本触れてみろ」 シュウのオーラが、さらに跳ね上がった。「お前ら全員、どんな手を使っても。ぶち殺してやる」 殺気が固形化したようなオーラだ。 おそらく。どれほど修行しようと、これほどの殺気を纏うことはできない。 もう少し見ていたい。 その誘惑を振り払い、足を踏み出す。 同じように、ツンデレが並ぶ。事情は理解できなくとも、この状況で、黙っていられるわけがない。髪の毛も、激しくドリルだ。「行け!」 おもいきり、声を投げかけた。「あんたは」 俺の顔を覚えていたらしい。シュウの片眉が跳ね上がる。「急いでるんだろう? 行けよ。こいつは俺らに任せて」 シュウは、しばらく俺とジェルを見比べる。 数瞬。だが、その間に彼はどれほどの思考をめぐらせたのか。「済まない」 迷いを振りきった面持ちで、シュウは駆けていった。 それを見送って。「ひぇひぇ」 くるりと。ジェルの顔がこちらに回る。「いいのかぁ。あの男がいればぁ、あるいは勝機はぁあったかもしれねぇぜ?」「いいに決まってるさ」 自然、口の端がつりあがる。 確かに。 ジェルの実力は、俺より上。加えて体調は、平時の三十パーセントって所だ。 だが、それでも。 俺とツンデレが組めば、勝てない相手じゃない。 なあ、と、ツンデレに視線を送る。目が合った。以心伝心。それだけで、作戦が伝わる。 ――いまの人のこと、あとでちゃんと教えてもらうから。 余計なことまで、伝わってきた。 ともあれ。 自販機のそばに設置されている空き缶入れを引っつかむ。 ――加速放題(レールガン)。 中身の空き缶を、まとめて加速。 手加減なし。高速で打ち出される空き缶の群れ。範囲威力とも、申し分ない。 空き缶のつるべ打ちに、液体人間はふたたび壁に張り付いた。「ひぇひぇ。俺様にぃ打撃はぁきかねえよ」 ジェルの、余裕の笑みを覆い隠すように。 二房の髪が、宙を踊る。 ツンデレだ。 オーラが、白い。相手のオーラを粉砕する、ツンデレの拳が、液状の体を、確かに打った。 一瞬。ジェルの肌が、生身の質感に戻る。 それに重ねるように。寸分たがわぬ場所に念弾を打ち込んだ。「ぎいいぃぃ!?」 金属をこすり合わせたような悲鳴が、上がった。 威力自体はさほどでもないはずだが、ジェルは痛みにのた打ち回っている。 ひょっとして、痛みに慣れていないのか。「いてぇ、いてぇよぅ!」 のたうち回るジェルの体が、地面に染みこんでいく。 念弾を打ち込んだが、遅かった。あとには、染みひとつ残っていない。「畜生ぅ。お前らぁ絶対殺してやるからなぁ」 声だけが、響いてくる。 さすがに、手の出しようがない。やがて気配も、消えた。 思わず、ため息を吐く。「なんだったの? あれ」「わからん」 聞いてくるツンデレだが、答えようがない。 いったい何者なのだろうか。確かなのはシュウと敵対しているということだけだ。 そして俺たちとも。 なんだか厄介事を背負ってしまった気がする。「まあ、今日のところはもう出ないだろうさ。行こうか、ツンデレ」 きびすを返す。「ちょ、いったい何なのよ――待ってよアズマ! うるさいわよロリ姫!」 ツンデレの声を背中で聞きながら。 考えていたのはシュウのことだった。 あいつは、強い。肉体(からだ)も、精神(こころ)も。 何より、あの殺気。 ――試してみたい。 自分が、あいつを相手に、どこまでやれるのか。 あいつらに、どこまで迫れるのか。 掌が、妙に湿っている。 知らず、拳を握りこんでいた。