私はいま、家の庭の芝生に寝転び空を見上げている。今日もとってもよく晴れていて、暑い一日になりそうだ。最近、ヒルダさんはブラックリストハンターとしての仕事を再開したので、私との訓練もたまにやる程度になってしまった。私はヒルダさんが居ないときも1人で必死に訓練しているのだけど、今まで一本も取れたことが無い…。そろそろ私も念を覚えて結構経つのだし、本格的に訓練を始めて半年も過ぎのだ。多少はいい勝負が出来てもいいんじゃないかと思うんだけどな…。ヒルダさんが「第三の手(フィアー・タッチ)」を使わないで肉弾戦のみだったらそれなりにいい勝負になるのだけど、使われた場合は遠距離からの攻撃を捌くだけで精一杯。熊さんがやったみたいにダメージ覚悟で突っ込もうにも、彼ほどのタフネスが無い私ではどうしようもない。近づきさえすればどうにかなるのだけど…。ちなみに、いまやっていたのは能力有りだったので、私が一方的に叩かれていただけだった。くそー、いつか鞭を持ったヒルダさんに一撃を入れるのが私の目標だ!というわけで、私は疲労で芝生の上に仰向けになって空を見上げ、荒い息をついているわけだ。鞭を持ったまま近づいてきたヒルダさんを私は寝転がったまま仰ぎ見る。「なかなかの時間耐えられるようになったわね。」「でも、今回もヒルダさんに近づけもしませんでした…。」「そりゃね、私も貴方に近づかれるのは嫌だもの。 それに貴方の行動は読みやすいのよ。もう少し虚実を混ぜることを覚えたほうがいいわね。」「虚実?ですか?」「そうね…。簡単に言えばフェイントってところかしら。 こちらに突っ込んでこようとする気配が分かりやすいのよ。待ち構えられてるところに奇襲じみた攻撃をするなんて自殺行為よ?」うーん。ヒルダさんの言ってる意味は分かるけど、具体的にどうすればいいのかさっぱり分からない…。言葉をそのまま受け取るなら、突っ込もうとして止めたりとかすればいいってことなのかな?「えっと、突っ込む構えをしてやめたりすればいいんですか?」「まぁ、それだけじゃないけど…。まぁ、貴方の場合は性格的にも向かないわよね…。 そっか、そろそろそっちもちゃんと鍛えないといけないわね…。」何気なく呟くヒルダさんの言葉に私は震え上がる。もしかして、訓練がさらに厳しくなるのだろうか…?最近は自主訓練が多くなってきたのですこし楽にはなってきたのだけど、訓練を開始した直後辺りはとても厳しかった。あの頃の悪夢が脳裏をよぎる。そのままヒルダさんを見ている気力が無くなった私は首を横に向ける。私の目に飛び込んできたのは綺麗に刈り揃えられている芝生の絨毯だ。だけど、その綺麗な絨毯も先ほどの私とヒルダさんの訓練で見事に荒らされている。きっと明日来る予定の庭師さんがいつもどおり肩を落とす姿が容易に想像できて申し訳ない気分になる。芝生といえば、昨日は芝生が綺麗な公園をルルと一緒に新しい服を着て散歩したのだ。昨日、ルルと行ったお買い物は楽しかったなぁ。ルルはあんまり自分の服は買わないのだけど、昨日は私が連れまわしていろいろ着せて楽しんだのだ!ルルは身長のことを言われると怒るぐらい小さいことを気にしているのだけど、それゆえかわいい。それをいうともっと怒るので心の中にしまっておくのだけど。「ちょっとヴィヴィ、聞いてるの?」そんな、ヒルダさんの声で現実逃避から連れ戻された私は、再びヒルダさんの方に首を向ける。ヒルダさんは手に持った鞭を垂れ下げて、腰に手をやり不機嫌そうな顔をしていた。これは不味い、と私は直感で感じる。なんだか、長いお説教が待ってそうな気配を感じるのだ!確かに注意を逸らしていた私が悪いのだけど、疲れたからだで長いお説教を貰うのは出来れば逃げたい。私は何とか話を逸らそうと、ヒルダさんのほうを見て、一つだけ話題を思いついた。「あ!そうだ、ヒルダさん!私ヒルダさんに聞きたいことがあったんです!」「どうしたのよ、いきなり。」ヒルダさんは怪訝な顔をしているが、怒っては居なさそう。私はこれ幸いと話を繋げる。「前から思ってたんですけど、その「第三の手(フィアー・タッチ)」って人を気絶させることが出来るんですよね?」「まぁ、念使いには効かないけどね。それがどうしたのよ?」「いえ、何でそんな機能をつけたのかなって…」「あら、失礼ね。結構重宝するのよ? 賞金首なんかを追っているとね、市街地で戦うことや人質を取られることって少なくないのよ。 そういうときに安全に一般人を排除できるのって助かるの。パニックを起こした人間ほど邪魔なものは無いわよ?」「へー、じゃあ、どうやってるんですか?」「また変の事を気にするのねぇ…。まぁ、そんな大した事じゃないし教えてあげましょう。」そういってヒルダさんは目を細めて私を見てくる。不味い。たぶん私の思惑はばれている…。「簡単なことよ、鞭で巻いた人の体を操作して、脳にいく血液を制限してるのよ。 もっとも、変化系の私ではその手の操作をするのは苦手でね。一般人相手にしか効かないって訳。」「それって…、簡単に殺せちゃうんじゃないですか?」「まぁ、そうね…。もともと、気絶と殺害は紙一重だしね。 でも、私の能力で死ぬことはほぼありえないわ。ただの人間にもオーラは有るのよ。 そんな命のかかった状態だと無意識の防御で私の操作程度じゃ抵抗されちゃうわ。 それでも、正しく血流を阻害するとほぼ一瞬で気絶まで持っていけるからね。 十分使い物になるって訳よ。」ヒルダさんの説明を聞いていたけど、少し難しくて理解にてこずる。とりあえず、あの効果で人を殺すことは不可能だってのは分かった。「でも、何でわざわざそんな事をするんですか?」「わざわざってあんたねぇ…。 …そうね。じゃあ、逆に聞くけど貴方だったら人を安全に気絶させようとするなら如何するの?」「え!私ですか!?えーとですね…。」いきなり質問を返され私は四苦八苦する。うーん、気絶させるために如何するか…。私は取りあえず、よくテレビとかでやっている方法を挙げてみることにする。「えーと、薬品を嗅がせるとか…。ほら良くあるじゃないですか、クロロ…何でしたっけ?」「クロロホルム?」「そう、それです!」「ダウト。それじゃ人は気絶しないわ。 相当量吸い込ませないと気絶しないから、しみこませたハンカチを口に当てるだけじゃとても無理。 そもそも、あんな劇薬を気絶するほど吸い込んだら臓器に異常が出るわよ。 ついでに言うなら、あの劇薬は肌につくと荒れてひどいことになるわよ。」私がひねり出した案はあっさり却下される。「スタンガンを使うとか…。」「スタンガンじゃ人は気絶しないわ。強烈な痛みによって行動不能になるだけね。 保護しようとする一般人にそんなこと出来ないでしょう?」「えーと、じゃあ、頭や首筋を叩いたり、お腹を殴ったり?」「確かにそれで気絶させることは不可能じゃないけど、貴方は絶対にやら無いようにね。」「え、何でですか?」「さっきいったでしょう、気絶と殺害は紙一重よ。相当うまくやらないと相手を殺しちゃうわ。 頭や顎を叩くのは脳震盪をさせるんでしょうけど、長時間気絶するほどの重度の脳震盪なんて脳に障害が残りかねない。 首筋を叩くのなんてもってのほか。素人が真似したら洒落にならないわよ。 お腹を殴るのも、呼吸の隙間を狙って呼吸困難にさせるものだけど相当な苦痛を与えるわね。 これもやっぱりうまくやらないと体にダメージが残るわ。」なんだか話が凄く物騒なことになってきた気がする。確かに、安全のために気絶させるのにそれで殺してしまったら意味が無いどころの話じゃないし…。「相手にダメージを与えずに無力化するのって案外難しいものなのよ? その点、前戦った銃使いの男の能力は便利よね。私は痛いのは嫌だけど。」「あの、銃弾に当たったらとっても痛いってあれですか?」「そう、それよ。あれをゴム弾あたりで運用すればほぼ副作用無く無傷で鎮圧が出来るわね。 ハンター協会で更生してきたら、案外活躍するかもね。」へー、そういえばあの2人は今頃如何しているのだろうか?少し気になったけど、私は取りあえず棚に上げる。「なら、私が安全に人を気絶させようとするには如何したらいいんですか?」「そうね、一番一般的なのが、柔術でいうところの絞め技ね。うまく絞めれば数十秒で落とせるわ。」「え、でもヒルダさんはその方法で一瞬なんですよね?」「私の場合は操作によるものだから椎骨動脈も阻害するからね。絞め技じゃ内頸動脈しか阻害できないのよ。」「え、えーと?」「別に名前なんてどうでもいいわ。取りあえず私のは普通に絞めるよりも効率がいいってこと。」「は、はぁ…」なんだか難しい単語が出てきてよく分からなかった…。しかし、そもそも私が習っているのはフルコン系の格闘技なので絞め技は習っていないのだ。「でも、私、絞め技なんて分からないんですけど…。」「そうねぇ…。まぁ、これは裏技みたいなものだけど一ついいのがあるわ。」「どんなのですか?」「相手の首筋にオーラを纏った手を当ててね、相手のオーラの流れを阻害するのよ。 まさに、文字通り”気を絶つ”って方法ね。もっとも、これも念使いには効かないけどね。」なるほど、確かにそれなら私にも出来そう。相手のオーラの流れを阻害するってのがいまいち分からないけど…。「それは危なくないんですか?」「そうね、物理的には何の障害も起こしてないのに意識だけが落ちる感じだから下手な打撃を与えるよりはいいでしょうね。 ただし、気絶すると無意識に行う受身すらしなくなるから、そのまま倒れて怪我する可能性があるわ。 貴方にそんな機会が来るとは思えないけど、やるならちゃんと支えなさいよ。」確かに、ここまで聞いておいてなんだけど、私がこの知識を使うことは無さそうである。まぁ、本来の目的であるヒルダさんの意識を逸らすことが出来たのだから…「さて、話は終わったことだし。いろんなことに意識を飛ばしちゃう貴方は特別な訓練が必要みたいね。」とてもいい笑顔でヒルダさんは私にそう宣告してくる。うん、私の思惑はやっぱりばれていたようだった…。