俺がこの町に戻ってきてから大体一ヶ月ほどがたった。その間俺がやったとこは大まかに言って3つ、ヒルダのターゲットの情報を集め、義手の作成、ヴィヴィアンの催眠のアフターケアだ。ヒルダのターゲットの情報を集めるのはさして難しくも無い。「小人の囁き(フェアリーテール)」を使えば初対面でも口が滑りやすくなるし、多少頑固な相手でも「小人の打楽器(ホビット・パーカッション)」を併用すれば意外と喋る。なに、喋らなくても悪印象を持たれることは無いのだから通っていればそのうち話してくれるのだ。催眠まで誘導しなくても、この能力は対人において十分通用する。まぁ、情報を集める者と実際に動く者が別なのもプラスに働いているようだ。正直、ヒルダは目立つ。念がどうこうという以前に、造詣が整っている女性はまず男の目を引くし、彼女が纏っている覇気とでも言うものはなかなか人に忘れられない。実際、今までも情報を集める段階で、向こうに気づかれ逃亡されて面倒なことになったということがあるらしい。まぁ、取りあえず、俺はヒルダの役に立っているようで何よりだ。現在の俺の生活費はヒルダ持ちで有るからにして、役立たずの無駄飯ぐらいでは流石に申し訳ない。あとは、ヒルダが面倒くさがる書類関係の処理なんかも引き受けることになった。なに、もともとは事務屋だったのだ。この程度の書類の処理など負担でもない。次にやらねばならなかったのはヴィヴィアンのアフターケアだ。催眠とは解除すればそこで終わりというものではない。ヴィヴィアンの被催眠性は、もともとの素養に加え、長期にわたって定期的に行われていたため非常に高い。また、無意識化でカウンセリングの真似事をしていたのだから、それがなくなったことの反動も考えられる。ここに戻ってきたときに行ったのは、直接的な行動に結びつく条件誘発型の後催眠を解除しただけである。というか、それぐらいしか出来ない。俺がヴィヴィアンにかけた後催眠として一番大きいのが朝のジョギングだろう。当然、それに思考が行くような誘導は解いたが、多分ヴィヴィアンは止めないだろう。何故なら、それはすでに催眠の域を超えて習慣になってしまっているからだ。むしろ、それでストレスの発散を行ってると思われるのを催眠によって誘発された行動だからと禁止しては逆に問題がおきかねない。というわけでヴィヴィアンの催眠に関しては経過を見つつ対処療法的に当たるほか無く。取りあえず、最低でも一年ほどは様子を見る必要がある。ヒルダにそのことを話すと、案外あっさり了承し、その間はこの町を拠点とすることになった。ヒルダも、あと一年ほどはヴィヴィアンの様子を見ていたいらしい。すでに相当な実力を持っているヴィヴィアンだ。あと一年、ヒルダの元で心構えなどを習いつつ研鑽に励めば立派なハンターになることが出来るだろう。まぁ、彼女の場合その心構えが一番大きな問題である気はするのだが…。そうそう、これは余談だが解除した日に発生したと思われるヒルダ先生の授業だが……あまり、結果は芳しくなかったらしい。どういうことかといえば、別にそういった知識が無いわけでもないらしいのだ。だが、実感というか危機感というか、そういったものが欠けているため、不用意な言動に繋がるとのこと。目下、ヒルダ先生はそういった方面の情緒教育を母親を巻き込んで行っているらしい。正直、干渉しすぎではと思わなくも無いがヴィヴィアンも別段いやそうではないので構わないだろう。…実はその原因に心当たりが俺にはある。誘拐のときの記憶の封印のために行った誘導が影響している気がしないでもないのだ。男への恐怖をそのままにしていると、咄嗟のことで誘拐されたときの記憶が噴出しかねないためその対策を行ったのだ。これをヒルダに言うと理不尽に怒られそうなので言ってはいないが…今更あの記憶をリアルに思い出させるのもヴィヴィアンにとってもよくないことだろう。うん、まぁ、ヒルダ先生にはがんばって貰いたい。さて、最後に義手の作成だが…この町に帰ってきてヴィヴィアンの邸宅にお邪魔した帰りにそのような店に寄ったのだが、どうやら基本はオーダーメイドであるようだ。まぁ、考えてみれば手など個人差が大きいのだから既製品などでは不具合が大きくなるのだろう。この金もヒルダ持ちであるからにして、その後会ったときに相談したのだが、「好きにしなさい」と一言で終わった。流石にその一言で終わるほどの金額でもないのだが…彼女の金銭感覚はちょっとおかしい。それほどハンター稼業とやらは儲かるのであろうか?まぁ、取りあえず私は気にしないことにして、せっかくオーダーメイドなのだからと少し注文を付けてみた。といっても、間接が普通の腕と変わらないように動くものをといっただけだが。注文を受けた側に動力も無いのに関節をつけて如何するのかと首をひねられたのだが、そこは取りあえず誤魔化し押し切った。流石に不思議な力で動かすんですというわけにもいかない。その義手が先日完成し、俺の手元に来たのだがやはり請求書はなかなかの金額を示してあった。それをヒルダに渡したのだが、そのときの答えは「そんなことでいちいち手を煩わせないで頂戴。」というものだった。彼女の金銭感覚に諦めを覚える一件だったが、それに利を得ている俺が口を出す問題でもないだろう。現在はその出来上がった腕に神字を刻んでいる最中である。刻む文字自体はすでに別紙に概要を書き出してあり、後はそれを只管刻むだけだ。作業も半ばを超え、基幹となる部分は刻み終えたため、後はこの義手にオーラが込めやすいように只管開いた場所に文字を刻んでいくだけだ。基幹となる部分は歪みが有ればオーラの通りが悪くなるため気を使って刻んでいたが、この部分はそこまで神経を使わなくてもいい。すでに夕方を過ぎ辺りが暗くなっている時間だが、今日中には書き終わるだろう。俺が作業に入ろうと筆と彫刻刀を手元に寄せると、不意に玄関のチャイムが鳴る。どうやら来客のようだ。今俺が借りているこの部屋に来る客など片手で足りるほどもいないが、今夜会う予定など無かったはずだが…いや、こちらの予定など気にしてこない相手が1人いるが、その場合は俺はもっぱら呼び出されるほうで、向こうから来ることなどないといえる。取りあえず、心当たりの無い俺は引き寄せたばかり道具を再度脇に寄せ、玄関へと向い戸を開ける。果たして、そこに立っていたのは、いつも俺が呼びつけられる相手であるところのヒルダだった。その予想外の人物に俺は少し面食らう。「こんばんわ、ウォル。」「ああ、こんばんわ、ヒルダ。どうした、君がここに来るとは珍しいじゃないか。」「別に、ちょっと話があるだけよ。」「だが、いつもは俺を呼び出すだろう?」「貴方が義手の請求書を持ってきたんじゃない。 多分、作業してるんだろうって気を使ってあげたのに。その言い草とは酷いわね。」俺はその言葉に若干のショックを受ける。基本的にヒルダは俺のことなど気にも留めてないと思っていたのだから。ヒルダはそんな俺を特に気にせず部屋に入ってくる。「あ、ああ、それはすまないな。」「まぁ、いいわ。…、相変わらず狭い部屋ね。」「あいにくと貧乏性でね。あんまり広いと逆に落ち着かないんだ。」一見嫌味とも取れるヒルダの言葉だが、彼女にその気が無いのは明白だ。なぜなら、この部屋の家賃もヒルダが払っているのだから。だから彼女は純粋にもっと大きいところにすればいいのにと思っているだけ。実際、部屋を決めるときにもそういわれたしな。「あっそ。貴方がいいならそれでいいけどね。 あら、これが例の義手?もう結構書いてあるじゃない。 …このミミズがのたくった様な字はなに? こんなの見たこと無いのだけど。」「ああ、それか。それは筆記体で書いてるからだな。 文字と文字が連なるからオーラを特定の方向に流したいときには重宝する。」俺は一応説明するが、案の定ヒルダは聞き流した。「ふーん、で、あとどれぐらいで出来るのよ?」「そうだな。今日、明日というところかな。」「そう、なら、今日中にやりなさい。明日からまた仕事が入ったわ。」「それは構わないが…。話というのはそれか?」「ええ、どうやらこの町に賞金首が入ったらしいわ。」「そいつは珍しいな。その情報は協会から?」「そうよ。私が動くほどの相手じゃないらしいけど、一番近くて今はフリーだから私に白羽の矢がたったって訳ね。」「なら、俺はそいつの潜伏先なりの動向を調べればいいわけだな。」「ええ、賞金首の詳細については自分で協会に問い合わせなさい。情報を回すようには言ってあるわ。」「了解した。」俺は短く言葉を返す。そんな俺にヒルダは付け足すように声を掛ける。「ああ、そうそう、直接的な危険度は低い相手のようだからそんなに急がなくてもいいわよ。」そういってヒルダは部屋から出て行った。明日までに腕を仕上げろといったり急がなくてもいいといったりどっちに従えばいいのやら…まぁ、早く動くに越したことは無いだろう。さし当たって義手の完成を急ぐことにして、俺は先ほど追いやった道具を再び引き寄せたのだった。