とあるビルの一室で2人の男女が話をしていた。男は大きな樫の机につき、机に詰まれた書類と格闘しているところだった。「で、あいつは如何なりそうなの?」「あいつ…とは?」「半月前に私が連れてきた男よ。」「ああ、彼か…、彼の扱いは非常に難しいね…。 なにせ、自由意志保存型の強制操作をあれだけ長期にわたってかけられ続けたなど前例がない。 いくら彼が罪を犯したといってもその罰を単純に彼に課すのは違うだろう?」男は、正面に置かれたソファーに座る紫の髪を束ねた女性に同意を求める。だが、その言葉はあっさりと流された。「その判断は私の仕事じゃないわ。で、あいつについて調べた経過はどうなってるの?」「滞りなく進んでいる様だね、全員が彼ほど協力的ならどれだけ仕事が楽になることか。 しかし、君が捕まえてきた犯人を気に掛けるなんて珍しいことがあったものだね。」男は手元の書類を引っ張り出し、目を通しながら答える。「引き渡すときにいったでしょう、私の弟子があいつに操作系の念を掛けられている可能性があるって。 それで気にならないほうがおかしいでしょうが。」「それは確かに。だが、問題は無さそうだ。 確かに彼の念は直接人を操れるほど力の強いものではないようだね。その弟子の子とやらも安心だろう。」「それが安心じゃないから困ってるんでしょうが…」その言葉に男は手元の書類から目を離し、女を見た。「それはどういう意味だい?」「確かにヴィヴィはあいつに操作されていたのよ。」「だが、彼にはその力はないのは確かだよ。」「あいつも自分でそういったわよ。 で、あいつが言うにはヴィヴィを操っていたのはなんと催眠術らしいのよ…。」女は首を振りながら苦々しく告げる。その言葉に男は虚をつかれたようだった。「…催眠術ってあれかい?コインと紐を使って眠くなるって言う…」「詳しくは知らないわよ。それこそあいつに聞いて頂戴。」「なんともはや…、それは確かに眉唾な話だな。」「でも、あいつにそれだけの念能力は無いのでしょう?だとすると信じざるを得ないわ。」「そうだね、確定するには記憶探索系の能力者に確認してもらわないといけないから、後半月はかかるが…。 十中八九間違いは無いだろう。 尋問、探査の担当をした者の報告書、そのすべての詐称可能性の項目が"問題あるようには見受けられない"だ。」男は書類を机の上の山に戻すと、首をすくめる。それを見た女はため息を付く。「となると、それをあいつ自身に解除してもらわないといけなくなるってわけ…」「なるほど、それでわざわざこんな部屋まで来て経過の確認に来たというわけだ。 しかし、それほど君が気に掛けるとは…、その弟子とは一体どれほどの子なんだろうね。」「確実にトップクラスのハンターになれるでしょうね。経験を詰めば私なんて直ぐ追い越すわ。」女は何処か嬉しそうにその少女のことについて話す。男はそんな女が意外だったのかつい口が滑った。「いやはや、君も丸くなったものだね。かつてはクイーンメイヴと呼ばれ…」男の言葉は不自然に途切れる。それを成したのは、女が男の首に巻きつけた念の鞭だった。「わたし…、今、何か不愉快な単語が聞こえた気がしたのだけど?」「い、いや、君の聞き間違いだろう?私は何も言ってないとも!」「そう、それなら良いわ。」その言葉と共に首に巻かれた鞭は解かれる。男はこわばった顔でその首をさすりながら話を続けた。「私はもうこの支部のトップなんだけどね…、君は相変わらずだね…。」「貴方の肩書きがどうなろうと、貴方が貴方であることは変わらないでしょうが。」「そういってくれるのが嬉しくもあり…、恐ろしくもあり…」「そんな話はいいのよ。いい加減話を戻しなさい。私はあいつの調査の報告を聞きに来たのよ。」女は男の話を遮り、話を本題へと戻す。男はそれに逆らわず再び書類を拾って読み始めた。「態度は従順、捜査にも協力的、倫理思考、人格的にも特に問題は見られない…と。 すごいね。10数年望まぬ支配で悪事をさせられてたとはとても思えない。凄い精神力だね。 これで支配されてたときの罪を問うのは流石に心苦しいな。」「あんたの心情なんて判決にはどうでもいいことでしょうが。」「何いってるんだ。ハンター協会は民間団体とは言え、国の裁判に意見書ぐらいは提出できるんだよ?」「それで、個人的志向で奴の罪を軽くするの?笑えない冗談だわ。」女は男に向かった馬鹿にしたような視線を向ける。だが、受けた男はさして痛痒を感じたようにも見えない。「さすがに個人的志向なんかじゃないさ。この来歴を見れば、ね… あと、操っていたボスという男の念能力の詳細が分かっているのも大きいね。」そういって男は女に持っていた書類を渡す。女はその書類に目を通し始めた。やがて、読み終わった女はその書類を机に返す。「なるほど…ね。で、結論としてはどうなるのよ。」「流石に無罪放免とは行かない。保護観察処分というところかな。 もっとも、それも記憶探索系の能力での裏づけと、社会常識、倫理意識あたりの更なる確認が必要となるけど。」「…でもそれじゃ、あいつ本人が納得しないでしょうね。」「なんだい?そういうタイプの人間なのかい?」「ま、一見した程度だけどね。 …まったく、知ってる世界が狭いからそういうことを考えるのよね。 分かったわ。保護観察処分になったら私が連れて行きましょう。 どうせ、一度はヴィヴィにかかってる操作を解きに連れて行かないといけないんだし、そのまま観察員を私がやれば問題ないでしょう?」女はため息交じりに提案する。「確かに、それ自体は問題ないだろうけどね。どうしてそれが彼が納得するのと話が繋がるのさ。」「あいつには懲役が確定したら絶対服従で雇うって話になってるのよ。表面だけを見れば変わらないから気づかないでしょ。」「…何だってまたそんな話になってるんだい?」「…ちょっと、弟子のおねだりに負けてね…。」その女の言葉に男は愕然とした。やがて気を取り直したのか話を続ける。「…、ほんとに丸くなったもんだね、君も。 それはさて置き、流石に気づかないのは無いんじゃないか? ハンター協会は影響力が強いとはいえ民間団体に過ぎないんだ。 それが単体で懲役刑を決めるなんて出来るはずが無いと分かるだろう? せめて一度は裁判所に連れて行くべきだと思うが…。」「そんなことして、目の前で判決読まれたらそれこそ誤魔化しようが無いでしょうが。 なんだか、相当な密室にいたらしくて変なところで世間知らずっぽいから多分誤魔化せるわ。」「…まぁ、好きにしたまえ、保護観察なら裁判所と書類のやり取りで処理できるからね。 しかし、なんだって君は彼をそんなに気に掛けるんだい?」その質問に女は弟子が言っていた言葉を思い出す。"…だってきっと、彼はきっと今まで散々苦しんだのだ。そんな人がいまさら幸せになれないなんて私はいやだ。"女は自分の弟子が言った言葉を口の中で呟いた。「ちょっと、弟子にほだされたのよ… …本当に私も丸くなったものね。」