すべての作業を終えた俺は額に浮かぶ汗をぬぐう。ただ喋っているように見えるが、催眠誘導は案外体力を使うものなのだ。特に精神的なプレッシャーはかなりある。一人一人に効くような文言は存在しない、人はそれぞれ優先しているものが違うのだ。だから、それを見つけ出してうまく組み込まないといけない。そして、其れを間違えば取り返しのつかないことにもなりかねない。今の作業は一世一代の大仕事だった。あとは、この少女が無事に家に帰った後、俺は公園で朝、少女が来るのを待つだけだ。後催眠が効いてくれればきっと来てくれるはずである。だが、もし来てくれなかったとすると、彼女の家に忍び込まないといけないかもしれない。それは出来れば避けたかった。この身の能力は一般人とさして代わらないのだから。こればかりは効いてくれるのを願うしかない。催眠術とは万能な魔法ではない。定期的に補強しないと直ぐに薄れてしまうし、本人がやりたがらないことを無理やりにやらせることなど出来ない。本人が"やってもいいかも"と思うように言葉巧みに誘導するのが精一杯なのだ。少女は眠ったまま親に引き渡され、目が覚めたのは家のベッドだろう。俺が誘導した言葉と食い違わないため、誘拐されたことは夢だと思って忘れているに違いない。周りから聞かされても、自分のこととは思わないはずだ。□□□□□□□□□□□□□□□□さて、その翌朝、俺はハリス中央公園へと来ていた。朝としか指定していないので、少女が来るとしていつ来るかは分からない。考えてみるに、誘拐された翌日に両親が外に出すとは思えないな…くそ、しくじったか。だが、この身は信じて待つしかない。結局この日は少女は来ず、待ち呆けることになる。だが、取り合えず一週間ほどは待ってみないといけない。それでもこないようならリスクを犯してでも家への侵入も考えねばならないだろう。だが、俺の心配をよそに三日後の朝、少女は公園に来てくれた。どうやらジョギングということでちゃんと走ってきたらしくだいぶ息が上がっている。少女はきょろきょろとベンチを探した後、ふらふらと近寄ってきてベンチに腰を下ろす。俺は、少女が休むベンチと背中合わせになっているベンチに座る。さて、作業を開始しないとな。俺はキーワードを唱え催眠状態に誘導すると、そのまま深度を深めるように誘導する。その状態で、前回行った後催眠の補強を行い、またこの公園に来るように暗示を入れる。今出来るのはこれぐらいだろう、後は自主的に体を鍛える様に誘導するぐらいだろうか。あとは、少女が念に目覚めるのを待たねばならないだろう。その後、俺は毎日のように件の公園へ出向いた。催眠はかけ続ければ強度が上がるが、序盤では丁寧にかけ直さなければ何らかのきっかけで解けてしまうことも有り得る。このジョギングによる邂逅がなくなってしまうと致命的であるため、出来る限り少女に接触せねばならなかった。そうやって、半年もたったとき、少女はとうとう念に目覚めた。もっとも、少女にその類の知識がないのだからその説明を理解するには苦労をしたのだが。その後、纏の精度を上げる"点"や、其れが安定したら、練、絶、凝などの応用技を思いつくように誘導する。ここでいきなり名前が浮かんできては不自然であり、催眠が解ける可能性があるため説明にはやはり苦労をさせられた。また、これらの訓練がとても楽しいものであるように誘導しておいた。これで、習得の効率は上がるだろう。それから幾らが時間がたち少女はついに練が出来るようになる。練が出来るようになったため、水見式をやらせてみたら強化系であるようだった。半ば予想してはいたが、これは僥倖だった。何故なら、戦闘を行うなら強化系はもっともバランスがいい。そして、さしたる特殊能力を開発せずとも十分な戦力になる。他の系統であれば特殊能力が無ければどうしても戦闘は辛いだろう、流石に催眠状態の誘導で其れを発現させる自信は無かった。そうそう、"強くなれば親は安心して幸せになれる"と刷り込んだのが効いたのか、少女は近所の道場に武術を習っているらしい。こういった自主的な動きは歓迎すべきだ。そんなこんなで少女に催眠をかけた時から2年ほど時間がたった。その頃には少女は親に気がねなく外出できるようになっており、催眠も安定してきたため俺が公園に出向くのは週一ぐらいで済むようになってきた。まぁ、ただでさえ、肉の塊から糞みたいな命令をこなさなければいけない身であったのでこれは正直助かった。そして、ある日、組織の情報収集を担当する俺に一つの情報が入ってきた。"凄腕のブラックリストハンターがこの町に滞在しているらしい。"俺はこれは好機だと思った。少女とこのハンターを合わせればきっと少女は強くなるだろう。もしかしたら、俺の計画にこのハンターを引き込むことも出来るかもしれない。そして、当初の計画よりもだいぶ早かったのだが、あの忌々しい肉の塊に少女の存在を知らせたのだ。あの汚らしい肉の塊は案の定食いついてきた。それはそうだろう、念能力的に将来有望で現在未熟、美しい容姿をしたミドルティーンの少女。この変態のストライクど真ん中だ。当然、肉の塊はつれて来いと命令する。命令には逆らえないが多少の恣意ぐらいは加えられる。つれてくる役になった熊は案の定、俺に情報を聞きに来た。そして俺は少女が居るであろう場所と、目立つのは避けるように近くの公園で交渉したほうがいいという情報をわたしたのだ。当然、その公園は件のハンターの散歩コースである。正直綱渡りにもほどがある誘導だった。熊が本当に指定した公園を舞台にするのか。少女がそれについてくるのか。戦闘が終わる前に件のハンターはそこを通るのか。挙げてみれば幾らでも不安要素はある。だが、無事に少女とハンターは邂逅を果たす。そしてそのままそのハンターは少女の教師役として少女の家に収まった。俺はその結果に狂喜する。予想以上の成果である。きっと少女はハンターからの教えを受けて今までの比で無い速度で成長するだろう。其れが速ければ速いほど、あの肉の塊の寿命が短くなるのだ。俺は週一の少女との邂逅で念の習得状況を確認しつつ、肉の塊の癇癪を抑えつつ、熊、スティック、ペインの3人があの家の周辺を探索しないように情報を操作し続けた。俺は念を使えない一般組員からの情報の吸い上げ、分析を担当していたのだからそれぐらいの操作は余裕である。肉の癇癪を抑えるのは大変だったし、その犠牲になった少女たちには申し訳ないと心を痛めたが、計画はとめられない。やがて少女の成長が十分だと判断した俺はとうとう計画を実行段階へ移したのだ。若干少女たちの家の近くを3人に探索させると、案の定焦ったのか打って出ることにしたようだった。俺は予め少女に対して、この町を離れるのではなく打倒する方向へ思考を誘導していたのだが、正直これは大変な作業だった。親友の存在や、この町や家や、家庭なんかをすべて使って何とか誘導に成功したのだ。とはいえ、実際に起こったときにどのような行動を取るかは少女しだい。私は祈るしかない。果たして少女は対決を選び、そして熊との戦いが起こった。後から聞くところによれば、戦ったのはほとんどハンターであるらしい。正直、熊はうちの能力者で一番強いだろう。後の2人は能力がばれてしまえば一蹴されてしまう程度だ。熊が死んだことに一抹の寂しさを感じる。彼は、俺と同じくあの肉の塊に逆らえないことを嘆いていた同士だったのだから。また、熊からあの肉の塊の念について聞いたらしい。私は奴の能力に関して少女に伝えることは出来ない。能力で縛られているからだ。あの熊がどうやってその楔を解き放ったのかは分からないが、安心して逝けたようだと思い少し羨ましく思ったりもした。少女は熊を自分の拳で殺したことにひどく罪悪感を持っていてショックをうけて居るようだった。私は催眠術と心理学の知識を駆使し、カウンセリングを行う。少女にここでリタイアしてもらっては困るからだ。熊を下した少女たちは、次にスティックとペインを探すことにしたようだ。作戦としては順当だろう。次の邂逅で見つからないという事を聞いて一計案じることにする。少女にとある喫茶店を教え、探索中に行くように誘導する。そして、大の甘党であるスティックにその喫茶店の甘味が絶品であると伝えただけだ。果たして少女たちはスティック、ペインと邂逅し、翌日には衝突した。結果は少女たちが勝利する。まぁ、熊を倒したのだから順当な結果ではあるのだが。とうとう、少女たちはあの忌々しい肉の塊の所にまでたどり着いた。俺はもう直ぐ自由になれるのだ!□□□□□□□□□□□□□□□□俺がアジトの地下で物資の整理をしていたとき、上の建物で爆音がとどろいた。何がどうなっているのか分からないが、多分少女たちがアジトを襲撃したのだろう。本来ならば俺も迎撃に向かわねばならないのだろうが、俺はあいにく戦闘員として認識されていない。幸いにして、あの肉の塊に自分を守れといった命令は受けていないのだ。このまま、地下で襲撃をやりすごせばいいだろう。新たな命令が来る前に、片を付けてくれると助かるのだが…しばらくの間、俺の頭の上では激しい物音が繰り返される。なかなか壮絶な戦いをしているようだ。しばらくして、不意に物音が止まる。その直前から奴の攻撃手段である銃器が火を噴く音が鳴るようになっており、俺は其れゆえ不安でたまらなかった。もしかして、少女たちは返り討ちにされてしまったのではないかと。奴の能力「自室の警備(ホームセキュリティー)」は範囲を限定するならほぼ無敵だ。自室と設定した空間に有る生物と他人のオーラに包まれたもの意外はほぼ無条件で操ることが可能になる。当然、室内での攻撃の威力は強化され、ただの弾丸が強力な威力になりさえする。そしてその弾丸を自由に操ることが出来るのだ。もし、不用意に足を踏み入れているならば即座に蜂の巣にされるだろう。俺は不安でいっぱいになる。ここまで来て計画が頓挫するなど冗談じゃない。俺は階段を上がって確認をしたくなるが、其れを堪える。もし肉の塊が健在で新たな命令をされるなど真っ平だからだ。呼ばれれば直ぐ行かなければならないが、自分から伺いに行く義理など欠片も無い。現状の把握が終わるまではここでおとなしくしておくのが一番だろう。果たして其れは正解だった。また頭上からは何かが壊される音が響いてくる。そして、その音が途切れたとき、自分を縛っていたものが消えていくのを感じる。そう、彼女たちはやってくれたのだ!俺はとうとう自由になったのだ!俺は狂喜し乱舞する。あの忌々しい肉の塊が死んだことが何よりもうれしい。むしろ自分の解放よりもそちらのほうが喜びが強いかも知れない。奴の下でさんざん糞みたいなことをされて来たし、しても来た。それも今日で終わりなのだ!俺にはこれから輝かしい未来が待っているに違いない。弱いとはいえ、仮にも念能力をもつ身、生活していくだけなら困らないだろう。そうだ、ハンター試験を受けるのもいいだろう。あのライセンスさえあれば一生安泰である。俺は念願が叶って浮かれに浮かれていた。そして、地下室の入り口が開かれたのに気づかなかった。