第四次試験――二日目。
毒の影響でまだ寝込んでいるロックは、水場の近くの雨露が凌げる茂みに横たえた。
明らかに衰弱しているロックであったが、症状も安定に向っている。
プレートは三枚とも俺が持っているので、この状態で放置しても他の受験生に狙われる事もないだろう。
そうして後顧の憂いも絶ち、俺は目的である奇数のプレート奪取の為に単独行動を開始した。
”絶”で気配を絶ったまま、獣のように四足に近い低い姿勢で森を駆ける。
肉体が躍動するような解放感はモンスターハンター見習で秘境を走り回っていた頃と同じだ。
俺は”狩るもの”だ。決して”狩られるもの”じゃあない。
狩る対象を求めて島を駆けまわること30分あまり。
見つけた獲物は……何の警戒心もなく丘のように盛り上がった土の上に潜んでいた。
せっかくやる気を出したというのに、こうも隙だらけだと気が抜けてしまう。
……とはいえ、獲物は獲物だ。
さて、どう襲撃してやろうかと舌なめずりしていたが、その獲物の視線の先にいるのは……やばい!
即座に危険信号を発した俺とは異なり、獲物は両肘を地につけて、今正に狙撃しようと銃を構えている。
タイミングを慎重に計り、息を吸って吐いて、三度目に息を吸い終わった瞬間に――。
「やめとけ」
「!?」
俺はうつぶせた女性の隣に立って声をかけた。
オールバックにした髪を後ろでまとめ、一筋だけ垂れた長い前髪。
顔立ちは整っているが、目は黒いサングラスで隠れているのでその表情は窺えない。
上着にジャケットを着ていて、下はこげ茶色のズボンという職業軍人のような出で立ちである。
「何故だ?」
彼女……スパーは突然横に立っていた俺に、動揺した様子を微塵も見せずに問いかけてきた。
狙撃が得意で単独行動を取るという理由で「俺と協力体制をとらないか?」という提案を断った女性だ。決して俺本人が嫌われている訳ではない、と思いたい。
「あんたに気づいてる。撃っても当たらないよ」
「……」
「なぁ、そうだろ? ギタラクルさんよ?」
二百メートルは先にいたスパーの標的である針頭の男は、普通なら聞こえないような声に反応してグルリと首を回した。
頭を前後左右にカタカタと揺らし、顔だけ後ろに向いたまま近づいてくる様子はホラー以外のなにものでもない。
やがて、十メートル程度離れた位置で立ち止まると、視線をこちらに向けて声を発した。
「邪魔しないでくれない?」
声は見た目よりもずっと若い。
見た目通りの年齢ではない……いや、むしろ見た目が偽装なんだけどね。他の誰も気づいていないが、俺はそれを知識として知っている。
「銃を撃ったら、殺そうとしてただろ?」
「さぁ?」
「見逃してやってくれない、イルミさん?」
「誰それ?」
即答で問い返してくるギタラクルことイルミ。
流石はゾルディックの名を持つ暗殺者一家の長男。簡単に尻尾は掴ませてはくれない。
「知ってるさ。イルミ=ゾル……」
すっとぼけるギタラクルに、確信となるファミリーネームを告げようとした、その時――。
バァン! キッ、キンッ!
前者はスパーが放った銃声。後者は直後に飛来した針を俺の双剣が打ち落とした音。
銃を撃ったスパーは驚愕の表情で固まっている。撃った瞬間に彼女に飛来した針は、俺が撃ち落とさなかった確実にその顔を貫いていたであろう。
不意を打ったつもりの銃弾をギタラクルは軽々と避け、顔と体が完全にこちらに向けて戦闘体勢に移行している。
右手を持ち上げ、中指を中心に尖らせる貫手のような形。その先端に新たに五本の針が、ニョキッと何処からともなく現れる。
「邪魔するなら殺すよ?」
強烈な殺意を感じるのに、声には何の感情も籠められていない。
俺が全力で戦っても勝てると相手ではないだろう。
その実力差を悟った俺は、一枚のプレートをギタルクルに向って放り投げる。
「そいつで勘弁してよ。俺もあんたと戦うつもりはない」
自信のあらわれでもあるが、まるで隠す気はない左胸には301番のプレートが見える。
俺が投げたプレートをギタラクルは受け取り、くるりと引っ繰り返して「80番」と呟いた。
つまり、これで奴は奇数と偶数の二枚のプレートを集めるという合格条件を満たしたという訳だ。
「貴様っ!?」
表情が固まったままのスパーが、抗議の混じった声を上げる。
会話中に銃弾を放つという勝手な事をしてくれたので、ポケットに隠していたスパーのプレートをスリ取ってギタラクルに差し出したのだ。
「どう見てもあんたは実力不足だ。命あっての物種なんだから、ここは退いた方がいい」
ぐりんぐりんと目玉を動かしているギタラクルが何を考えているのか、さっぱり思考は読めない。
一見するとただの異常者だが、その正体が一流の暗殺者である事を知っているだけに例えスパーと共闘しても勝ち目は薄いだろう。
これで見逃してくれなければ、ギタラクルの狙いを俺に引き付けて全力で逃げる。
今期のハンター試験において最も気をつけねばならないのはヒソカだが、その次は確実にこいつだ。
ゾルディック家の名を持つ暗殺者、その天性の暗殺者イルミが変装した姿であるギタラクル。
「ふーん、プレートくれるなら殺さないであげてもいいよ。仕事じゃないからね」
相手は仕事を重視する暗殺者。それだけに人を殺す事を何とも思っていないが、楽しみの為だけに自分から人を殺すヒソカのような戦闘狂とは異なる所だ。
プレートを手に入れるという第一の目的が達せられたので、見逃してくれるらしい。
だが、実力差を感じ取れないがスパーは、自分のプレートを奪われたままでは納得してくれないだろう。
「仕事、ね……ゾルディック家の人は仕事熱心だね」
「ゾ、ゾルディック!?」
手持ちの情報を晒すという危険な行為ではあるが、その甲斐もあってスパーは今度こそ驚きと恐怖が混じった声を上げた。
感情を押し殺したようなクールな態度も良いが、大人の女性がちょっと怯えた表情をしているのは実に良い。
って、勿論S的な思考ではなく、守ってあげたくなるってことだぞ?
「あんたが狙ってたのはかの有名な暗殺者一家だよ。その名前は当然知ってるよな。あんたも同類だろ?」
「……」
額に汗を浮かべてスパーは押し黙る。その沈黙こそが答えであった。
俺が睨んだ通り、彼女もイルミと同じく暗殺を請け負う仕事を専門にしているようだ。
「……私はあなた達の気まぐれに助けられたのね」
「いやいや、俺は女性の味方だから、気まぐれなんかじゃないよ!」
消沈するスパーを励まそうと戯けてみるが、クールな女性にはあまり効果が薄いようだ。
「うるさいから、どっか行ってくれない?」
「了解、っと。行こうか」
「ああ……」
顔色の悪いスパーを気遣うように肩とかをそっと抱いてみるが、特に拒絶するような様子はない。
って、セクハラしてる訳ではなく、放心しているようなので支えが必要だと思っただけだ。本当だからね!
「ちょっと待った。ナルミだっけ?」
「ああ、そうだけど? ところでナルミとイルミって似てるよな?」
「キルに俺の事話したら殺すからね」
超絶スルーでした。
しかし、まぁ笑い転げるイルミとか想像出来ないしな。
「分かった。これまでも話していないし、今後も絶対に話さない」
「なら、行っていいよ」
スパーを連れ立って、ギタラクルの前から去る。
奴もキルアの連れという認識を俺に抱いている以上には興味はなかったのだろう。
ヒソカみたいなのに興味を持たれてしまった俺にとって、これ以上のやっかい事はご免被りたい。
「教えてくれ。私には何が足りない?」
「まずは笑顔かな?」
やはり、女性には笑顔が似合うと思う。
「……死ぬか?」
「ごめんなさい」
怒りを押し殺した低い声で言われ、オレは土下座して許しを請う。
「何をしている?」
が、ジャポン人でもないと土下座の意味は分からない事に気づいた。
「ジャポン流許しを乞う秘儀ですが?」
「そうか……で、真面目に答えてもらおう」
スパーが聞きたかったのは、客観的な自分の戦力評価だろう。
おそらく狙撃主としては優秀であった彼女が、今回の試験においては容易く機先を封じられてしまった。
「そうだな。狙撃に自信があるのは結構だが、殺気を隠そうともしていないのは致命的だ。気配は分かりにくかったが、殺気ですぐにどこにいるか分かった」
ギタラクルを狙っている彼女は、撃つ前からその強い殺気を発していた。
イルミのような暗殺者にとって、殺気ほど慣れ親しんだものはないだろう。視認出来ない場所に潜もうとも、イルミはすぐに殺気に気づいたはずだ。
「それと声をかけるまで、俺に気づきもしなかっただろう? 射的じゃないんだから狙撃に集中していても、少しは周りに目を向けた方がいい。その上で正確な射撃が出来ないなら、常に危険と隣り合わせのハンターには向かないよ」
集中している最中に周囲に気を配る、というのは一見矛盾しているように思えるが、性質の違いだろう。
一つの事に集中する事と、多数に向けて集中することは全く別物だ。だが、どちらか一方に掛かりっきりになってはならない。そのバランスが大事という事だ。
「後は相手の力量を読めるぐらいにならないとな……はっきり言って俺が間に入らなけりゃ、死んでたぞ」
「だが、私は……ハンターにならなければならないのだ」
血がにじむ程に口を噛みしめて告げるスパー。
彼女が決死の覚悟を持ってハンター試験に挑んだのは確かだろう。その理由までは分からないが、ここまで残った受験生達も思いは同じなはずだ。
俺に倒された糸目の武術家も、俺を出し抜いた蛇使いのバーボンもだ。
「誰もがそうだ。だが、無理して近道を進むよりも、回り道を探したほうがいい時もある。俺の国に急がば回れ、って格言がある」
「私をお前の仲間に……いや、つまらない事を言った。忘れてくれ」
「ん、何か言ったか?」
己の利を優先した提案をしかけた自身を恥じ入るスパー。
ここは敢えて聞こえない振りをしてやるのがマナーというものだ。
「何でもない。私は今年は諦めるとしよう。だが、来年……いや、いつか再び試験を受けくる」
「健闘を祈ってるよ」
「ナルミだったか? 私の代わりに試験を合格してくれ」
「勿論、そのつもりだ」
スパーはサングラスを外して、笑顔で握手を求めて来た。
切れ長の瞳に、わずかに浮かんだ微笑。想像通りの美人さんである!
ほんまあんな針頭に殺されずに良かった。
「道具に頼り切っていてはダメということだな」
スパーのサングラスは暗視ゴーグルと、狙撃用の銃と直結した照準機能を持っているらしい。
どうりで集中している時に隙だらけだったはずだ。便利な道具ではあるが、それに頼り切っていては鍛えられる物も鍛えられない。
スパーはそのままスタート地点に引き返して、リタイアを宣言するとの事だった。
相手が悪かったと言うべきだが、彼女の実力不足であるのは事実だ。修行を積んでからまた試験に挑んでほしいものだ。
さーて、美人さんと約束したからには、俺もここで失格になる訳には行かなくなった。
サバイバルも既に二日目。
残りは五日はあるが、先は長いようで短い。
─────
今回はちょっと蛇足かもしれない一日です。
後の展開的にイルミと出会って貰いたかったので、どうせならと言う事でスパーを登場してもらいました。
脇役キャラに焦点を当てて長くなってしまった第四次試験ですが次回で終了です。
通過者は原作より三名程多くなります。まぁ、予想通りですかね。