走る。ひたすら走る
これは現実なのだろうか
重い。重いはずなのに、軽い。
背に伝わる熱が低くなってる。
背に伝わる音が弱くなってる。
嫌になるくらいでっかい存在感なのに……薄くなってる。
まるでそれが消えていくようで。
それは、絶対駄目……。
そんなこと、認めない。
そんなこと、許さない。
だから、走る。ひたすらに。がむしゃらに。
-Rance-もう一つの鬼畜王ルート
第五話 ~scheme~
リーザス城、執務室。マリスはいつもの事務をしていると、室内に自分とは異なる人の気配を感じ取った。
顔を上げると忍者が一人、目の前に立っていた。いつもの赤い忍び装束がトレードマークの者ではない。もっと地味な黒と茶のスーツを着ている大人の女性だった。
彼女がここに何をしに現れたのかは予想がついた。マリスは仕事の手を止めて端的に報告を求める。
「それで、首尾はいかがなものでしょう?」
「上々♪ あなたの言ったとおり情報流したわよ。あちらさんは予想以上に食いついたわね」
「ランス殿はヘルマンではある意味有名人ですからね。おまけにゼス国であのパットン・ミスナルジと共にいたとこを目撃されましたから。へルマン上層部ではかなりの危険人物とみなされてるのでしょう」
「どうりで軍が血眼になって捕獲しようとするわけねえ。ま、私が酒に細工をしかけてアシストしたおかげで捕まったわけだけど」
女忍者は唇の端を上げて微笑む。
「ええ、おかげでヘルマン軍の方々にはいい足止めになってもらえたようです。彼に簡単にシィルさんの呪いを治してもらうわけにはいきませんからね……」
「ふーん。それでわざわざ軍に狙わせてヘルマンでの行動を制限したってこと?」
その問いにマリスはこくりと頷くことで、肯定を示した。
「で、後は牢獄から救出して、多大な恩を着せる、と?」
「そのことであの方が恩を感じるとはとても思えませんが、まずヘルマンへの強い恨みは確実に持つでしょうね。そしてカラーの森を求めたくとも自力でヘルマンに入り探索が難しいこともはっきりとしています。ならば、全てを解決するには我々リーザスの力に頼らざるを得ないはずです」
「……そんなにしてまで彼が欲しいの?」
そんなにという言い方に含まれるのは、嫌悪ではなく疑問。懐疑でなく興味からの質問のようだった。
「そうですね、非常に魅力的な男性ですよ」
どうしても必要な人物。それこそ喉から手が出るほどだとマリスは思う。何せ愛してやまない主君が心から求めているのだから。
「まあ、イイ男って言えばそうかもだけど……あたしのタイプとしてはもう少し年を重ねて渋みが出ると良いと思うんだけどねぇ」
「ふふ、子供っぽいのも彼の魅力の一つだと思いますけどね」
マリスは、冗談交じりに小さく微笑を刻んだ。
「ま、それはいいわ。彼がヘルマンに捕まるように影で支援するのは終わり。次の仕事は? 助けてここに連れて来るのは別の忍者の仕事なんでしょ」
私の方は? と問う女忍者。
「また、ヘルマンの忍者として――」
「間諜となって、こっちに情報を流せば良いのね」
「ええ、お願いしますね」
マリスは厚い封筒を机に置くと、女忍者の方に手で滑らせる。
それを受け取ると、女忍者はにんまりと笑みを零した。
「ふふ、報酬さえ貰えればあたしは何だって構わないけどね」
そう言って、ひらひらと手を振ると、女忍者はふっと影も残さず消えた。
室内にはマリスが一人が残る。しばらくして、そっと小さく息を吐いた。強張った身がわずかに緩んだように感じた。どうやら思っていたより緊張していたらしい。しかし、それも仕方のないことと苦笑する。
シィル不在という千載一遇の好機。かなみから報告を受け取ったあの時、マリスはどれほど神に感謝しただろう。あの瞬間から、ずっと一つの計画を描いていた。そしてことの準備は着実な進みを見せ、目的の達成は近い。もはやすぐ手に届きそうな位置にまである。
「さて、私もいろいろやることがあります。これからが大変ですね」
大変と言葉には出していたが、しかし全く心は苦痛を感じていなかった。むしろ口許は思わず綻んでしまうほど自然楽しげなものになっていた。
「リア様、もう少しです。もう少しで貴女のお望みが叶います……」
万感の想いを籠めて呟く。マリスは瞳を天に向けて仰ぐと、それからゆっくりと瞼を閉じた。
かつて大陸の中央部にボルゴという都市があった。それは高い山と砂漠に挟まれた非常に劣悪な環境の街だった。
人が住み、生活していくのに厳しい場所。当然進んで人が集まって形成したわけではない。虐げられた部族が追いやられたことでここに集落を作ったのが始まりだった。
強制退去。隔離。しかし、なおもボルゴの人々への迫害は止まることはなかった。細々とでも平穏に暮らすことすら許されず、下賤の身はより優秀な者に管理、支配されるべきと、今度は人々が家畜、奴隷として扱われていき……そしてその都市は、彼らを管理するための場へと変わっていった。
人々は、その管理に縛られ、逃げることも許されず、強制使役での体の酷使や無意味な虐殺でその数を減らし、終に死に絶えた。
それでも、彼らの作った都市だけは生き続けた。”檻”としてなおも残って生き続いている。
そう、檻である。
かつて、そこに閉じ込め続けたその強力な管理体制と堅牢な囲いは、永遠に繋ぎ止めるための檻。
逃がれることを不可能とする地。囚われたもの全てが、ここで命を亡くし、最期を迎える。かつてがそうであったように……。
そしていつからかこの地は、そこが”最期”と、『Z』という名で呼ばれるようになった。
草鞋を履いた足が地をしっかり踏みしめる。藁が渇いた音をたてた。
「ここがボルゴZ……」
特別な感慨は込められていない。
見当かなみはマリスから出された新しい指示により、ここヘルマンの牢獄都市へと来ていた。
ボルゴZ。ヘルマンの囚人や捕虜を閉じ込めるための施設。多くの犯罪者が収容されている。
唯一の入り口である門は、鋼鉄の扉で固く閉ざされており、全てを拒絶するかのような壁が都市を覆い囲むように大きく存在している。
都市と名がつくが居住区域など一切存在しない。代わりにあるのは、収容区域。さらにその収容者を強制労働させる労働区域。そしてそれらを管理する管理部と兵舎のある管理区域。これらの三つの区域でここ牢獄都市は構成されていた。
時刻は深夜。都市内を薄闇が満たしているが、その闇を切り裂くように投光照明が強力な光を放っている。
かなみはそれらの光を避けながら、その身を闇に紛れさせていく。高く聳える監視塔の目を掻い潜ると、収容区域の中でも特に死刑や無期などの重犯罪者を拘禁している獄舎、特別棟へと潜入した。
ぬめるような空気、不快な異臭に迎えられる。奇妙な染みや人の手で付けることが出来るのかと思うような強い力でひっかいた爪痕が残る壁など明らかに異様さを漂わせる内部。かなみの前には石造りの回廊が長々と伸びていた。
(意外に中は手薄ね……)
と、思っているそばからかなみの瞳はわずかな光を捉えた。
警備兵士の見回りのようだった。
かなみは陰に素早く身を隠し、やり過ごす。息を潜め、気を抑え、存在を薄くし、周りと同化する。
兵士は、侵入者が潜んでいることに全く気づくことなく、明かりを床に滑らせると、硬い床の上をそのまま進んでいった。
遠ざかる足音に耳を傾けつつ、壁から僅かに顔を覗かせて相手が通り過ぎたのを確認すると、ほっと息を吐く。
(もう、大丈夫ね)
壁から身を出し、再び歩き出そうとするかなみ。
するとその時、遠ざかったはずの足音が、何故か近くに聞こえていた。
「いけね、今日の俺の巡回ルート一つ手前だったな」
(えぇぇーーーー!? 何でそうなんのよ?)
間違えんじゃないわよ、ばかぁ、と内心涙目で悪態をつくも既に遅い。
兵士の持つ探照灯の明かりがかなみの姿を捉えていた。
「ん? おい! そこにいるのは誰だっ!?」
(くっ、しょうがないわね)
仲間を呼ばれる前に対処することを考え、素早く動く。かなみの足は床を鋭く蹴った。
かなみは一瞬で背後に回りこむと、口を押さえ、絶妙な力加減で首を締め上げて兵士を倒す。そして、倒れた兵士を誰の目にもつかないように柱の陰へと引きずり込んだ。
(これで取り敢えずよし、と)
一先ず何とかなり、安堵するが、このままのんびりはしていられない。
巡回の兵士が一人消えたことは時間が経てば、わかってしまう。一刻も無駄に出来ないとかなみは先を急ぐことにした。警戒しながら、柱から柱へ駆けて行く。内部の道順はスパイからの情報で全て把握しているため迷いはない。
そしてやっと目的の独房がある監房北ブロックに辿り着いた。
(そういえば、何であいつ捕まってんのかしら)
ここに来てかなみの脳裏に疑問が浮かんだ。
仕事の内容はここに捕まっているとある男の救出。しかしその救出対象が何故捕まっているのかまでは聞いていなかった。というか本当に何故と思うほど捕まっているという事実がにわかには信じられないものがある。普通ならば捕まることなど考えられないのだから。
その男が犯罪なんてしない清廉潔白な人物であるからとかいうものではない。むしろ逆で、強姦事件を数え切れないほど起こし、犯罪の中でも特に重いはずの強盗殺人も平気でこなす男。
捕まっておかしくない。おかしくはないが、捕まるわけがない。脅迫をして犯罪のもみ消しだってするし、仮に街の警察組織が動いたとしてもその程度の組織では返り討ちにあう。故に捕まるはずがない。おまけに悪運だって馬鹿みたいに強い。
そう、簡単に捕まるようなら、自分はこんなに苦労しないだろうとかなみは思う。
(でも……まあ、あいつだって一応人間だし、たまにはドジ踏むことぐらいあるわよね)
そんなことを考えるとかなみは思わず、くすりときた。ここで、ちょっとした悪戯心が頭を擡げてくる。
いつも馬鹿にされたりいじわるされているんだ。今日は逆にこっちが馬鹿にしてあげよう、と。たまには、それくらいしても罰は当たらないだろう。
いつぞやは自分がヘマをして捕まってるとこを見られたこともあった。だから今度はこちらの番。
自分が助け出し、相手が顔を真っ赤にしてすごく悔しがる絵がかなみの頭に浮かぶ。
しかし――
その予想図は大きく裏切られる形となった。
「ランス……」
「……か、なみ……?」
目的の独房に着いてみて、かなみの表情は瞬時に凍りついた。目にしたのは、悔しがる姿でも恥ずかしがる姿でもない。傷つき、ひどくやつれたランスの姿であった。
「ランス!」
思わず悲鳴を上げ、駆け寄る。近くに寄ったことで、よりはっきりした。その闇に慣れた忍びの瞳の所為で、薄暗い中でもまざまざと見せ付けられたのだ。
ランスの全身は無数の傷に覆われていた。硬いもので殴られたであろう痣や鞭のようなもので叩かれたであろう蚯蚓腫れまで出来ていた。
あまりの惨たらしい有様に普通ならとても正視するのに忍びない。
(ひどい……なんでこんな……)
「…………あ……う……」
「!! 待ってて、今すぐ開けるから」
扉の鍵を開け、中に入る。
「しっかりして!」
かなみはランスの上体をゆっくり起こし、今手持ちの世色癌を確認する。
袋には一粒しか入っていなかったが、ないよりマシと思うしかなかった。
「世色癌よ。ほら、ランス、口開いて」
「…………く、ち……うつし……」
辛うじて搾り出された一言はランスらしい言葉だった。それだけにやや落ち着きを取りもどすことができる。
「あ、あほな事言わないで、ほら」
かなみはランスの顔を上げ、口を開かせると世色癌を口内にいれる。こくりと喉が鳴り、ランスが飲んだことを確認する。
顔色は、全く変わらないがそれでも本人は少し楽になったのか、立ち上がろうと腰を上げようとする。しかし、ランスの体は急によろめいてしまい、かなみはそれを慌てて支える。
ランスから苦鳴が洩れた。
「く……くそう……」
「ちょっと! 大丈夫!?」
「……う、るせぇ……よ……忍び、込んで……きて……るんだから、静か、にしろ……よ」
「だ、だって」
ランスは足も震え、支え無しでは今にも崩れ落ちそうだった。それを手助けするべくかなみは、腕を肩に回し、体を支えようとする。
しかしながら、
(お、重い)
小柄のかなみには成人男性としてそこそこの体格をもつランスの全体重を支えるのは少々酷なものがあった。それでも自分が弱音を吐いて良い場でないことはわかっている。懸命にランスの体を支えようと力を入れた。
「……おい……」
「こ、これぐらい平気よ、あんたが心配しなくても……JAPANで修行してレベル上がって、筋力も結構ついたから」
そうして心配させまいと努めて明るい口調で言う。だが、ランスは首をゆっくり振った。
「ち、がう……音……がする……誰、か……ここ、来やがるぞ」
「え?」
言われて耳を澄ませてみると、確かにこちらに駆けてくるような音を捉えた。それも一つや二つではない。
「……くっ……お前が……大、声だす……から」
「うっ」
「ど、うすん……だ?」
「大丈夫よ、マリス様から何かあったときの為にって帰り木を貸してもらったから、これですぐリーザスの街に転移出来るわ」
「……そ、うか、流石……マリス、頼り……になる女、だ」
(どうせ私は頼りにならない忍者よ)
「……拗ね……てる、暇は……ない、さっ……さと帰る、ぞ…………うっ」
ランスが呻く。それを見て、今の状況を思い出したかなみはあたふたとしながら急ぎ帰り木を懐から出して使用する。
帰り木から溢れる魔力が二人を包み空間が歪むと、二人の姿はその場から消え去った。
-医務室-
「それで……無事、なんですね?」
「はい~。傷の手当ては終わりましたし、体力も休めば戻ります。とりあえずしばらく安静ですね~」
担当医がにこやかな笑みを浮かべ、説明する。その間延びした声は不安を取り除き、安らぎを広げてくれた。かなみの口から安堵の溜息が漏れでた。
ベッドの上に目を向けると、ランスが包帯だらけで痛々しい姿ではあったが、すやすやと静かな寝息をたてて寝ている。
「そりゃそうよね。こいつなんて殺しても死なないような奴だもん」
ここまでくるといつもの憎まれ口も自然とでてくるようになった。
こんこんこん。
その時、控えめなノックが聞こえてきた。ワンテンポ遅れて女医が返事をだす。
「どうぞ~」
「失礼します」
扉を開けて入ってきたのは、マリス・アマリリスであった。かなみはベッドから離れて、マリスに近寄る。
「マリス様」
「ランス殿の容態は?」
「あ、先生の話だともう大丈夫だそうですよ」
それを聞いたマリスが女医の方へ顔を向けて改めて確かめると、彼女は「はい~」と笑顔で頷いてみせる。マリスの表情の固さが少し和らいだ。
「それを聞いて安心しました」
「あ、そうだ。リア様にランスが来たこと知らせたほうが良いですよね。私、行ってきます」
かなみは、すぐさま主君へとこれを報告すべく退出しようとする。一早く知らせてあげないと不味いことになるだろうと簡単に予測できるからだ。
しかし、マリスがそれを制した。
「かなみ、待ちなさい。それはしなくて構いません」
「え? どうしてです?」
かなみはきょとんと目を瞬かせ、疑問を投げかける。
「ランス殿のこのような姿を見せたらそれこそ深いショックを受けかねません……完治してからお伝えしたほうがよりよいでしょう」
「そ、それもそうですね。こればかりはリア様のために黙っておいたほうがいいかもしれませんね」
ランスの姿を眺めてかなみは納得する。リアがこの様を見て気絶してしまう姿が容易に想像出来る。そうでなかったとしてもこれを成した者を殺すためだけに戦争をふっかけるぐらいしそうなものだ。
「とりあえず、ランス殿は誰かの目につかぬよう他の部屋に移し、絶対安静ということで面会謝絶としましょう。かなみも他の方に情報が漏れないよう注意してください」
「あ、えっと……はい」
かなみは素直に頷くと、部屋を辞去した。
――それは本当に一瞬だった為に気のせいだったのかもしれない。
かなみがドアを閉じるその寸前、僅かな隙間の向こうに見えたマリスの口許はうっすらと笑みを浮かべているようだった。
そして、そのまま誰にも知られないようランスが特別な個室に移されて一週間の時間が流れた。
ランスは、そこでようやく目を覚ました。完治とまではいかないが、傷もほぼ消え、顔色も随分とよくなっていた。
開口一番に「腹減った」と言い、今は一週間分の食事を取り戻すかのように食べることに没頭している。
「マリス、メシの御代わりだ」
「はい、畏まりました……どうぞ」
部屋にはランスと給仕のためにいるマリスの二人だけだった。
「うむ。はぐはぐむしゃむしゃ」
ランスは差し出されたお皿を受け取ると、次から次へと乱暴にその大きく開いた口へとかきこんでいく。
マナーも気品もあったものではないが、マリスはそれを見ても特に気にすることはなかった。
「ふう、やっと一息ついたな」
ランスは皿の山の前にナイフとフォークを置いた。
「もう十分でしょうか?」
「ああ」
「そうですか、それでは食事はこれで終わりということで、お話の方を伺っても宜しいでしょうか」
「話……か、しかし思い出すだけで腸が煮えくり返るな」
ランスは、ヘルマンに行くと、そこでいきなり訳の分からない理由で軍隊に襲撃され、牢獄に連れていかれた話をした。多分に脚色はあったのだが、全ての事実を把握しているマリスにとっては話が嘘でも真でもどちらでも対応に変わりはなかった。
「……なるほど、こちらはランス殿が捕まったという情報が向こうに潜ませている忍びからいきなり届いたものですから驚きましたよ」
「そうか、だからお前がかなみを助けに寄越したのか」
「はい。何とか救出できたようで幸いです」
「……おい、マリス、ついでだ。……リーザスの全兵力を俺様に貸せ」
「…………それは、どうされるおつもりで?」
「決まってる。あそこまで俺に屈辱を与えやがったのだ、ヘルマンという国そのものを滅ぼさなきゃとてもじゃないが腹の虫がおさまらん」
決意と闘志に溢れたランスの瞳はひどくギラついていた。
しかし、マリスはその視線を真っすぐ受けても首を小さく振って、承服しなかった。
「なるほど……ですが、それは無理な話ですね」
「な!? どういうことだ?」
自分の望みが一言の下に斬り捨てられたことで、ランスはかすかにいらだちの混じった声になった。怒りを帯びた眼光を浴びてもなお、マリスは冷静さを崩すことなく言葉を返す。
「流石に私的な事情で我が軍を振り回すわけにはいきませんから」
「おい、JAPANの時は貸しただろ」
「確かに、援軍は送りましたが、裏で自由に動かせる忍者部隊と軍として確立していない砲兵部隊を動かしただけです。親衛隊ですら隊の半分以下を動かすのにも大分無理をしたんです。こちらの主力であるリーザス正規軍を個人に貸せるはずがありません」
「ちっ、なら……」
「ゼスもまた同じでしょう。正規軍たる四将軍の率いる部隊はおそらく動かせません。仮に動いたとしても現在のゼスではあの軍事帝国ヘルマンを破ることは不可能でしょう。そういった意味では疲弊しきったJAPANも同じと言えますね」
「………………」
淡々と告げられていく事実にランスは唇を強くかみしめ、渋い顔になる。マリスはそれを静かに眺めていた。
沈黙が場を支配し、どれくらいたったであろうか。
そろそろ頃合いだと、マリスはゆっくりと口を開いた。一つの道を、一つの救いをランスへと与えるために。
「でも」
唇をそっと動かして、紡ぐ。
「もし、ランス殿がリーザスの王であれば、軍の統帥権を手にすれば、リーザス軍をお好きに動かすことも可能です……」
「……マリス?」
「ランス殿、リア様と結婚して下さい。リーザスの王になれば、貴方の望むもの、全てが手に入るでしょう」
冷えた空気を震わす。
その言葉は、蛇。禁断の果実を手にするよう唆す、誘い惑わす蛇である。
ランスへとからみつかせ、じわじわとしめつけ、思考を痺れさす。
「………………」
「貴方の願いの全てはそれでかないます」
「………………」
「……リーザス全てが貴方のものに、貴方の力に」
甘く、甘く囁く。それこそが至上であるように。甘美な残響を耳朶に広げていく。それこそが至極であるように。
そして、ランスは――
「………っ………………わかった」
果実を、手にした。
「!」
「俺様は王になる。リアと……け、結婚してやる」
「………………」
「そしてヘルマンをぶっつぶす!」
そう宣言してランスはいつもの高笑いをした。
新しい王の誕生。マリスはその王の前に跪いた。
(リア様……良かった、これで……)
垂れた頭。その表側では歪んだ喜悦だけが浮かんでいた。
第一章終わり