体が震える……これは間違いなく恐怖……。
だけど、そんなことを感じている体がどこか遠くの出来事のように思えた。
それがちっぽけなものだとわかるぐらいにより優ったものに心を震わせられていた。
鮮やかな赤に塗りつぶされた世界で華麗に舞い踊る化生。
あたしはその純粋な力に引き寄せられ、瞳は囚われ、ただ陶然とした表情を浮かべていた
-Rance-if もう一つの鬼畜王ルート
第三話 ~submission~
心身ともに満足した万全の体調状態でマウネスの町を出たランスはそのままパラオ山脈の山道を進んでいた。
周りには鬱蒼と生い茂る森が広がっていて、木々や葉が光を遮り少しばかり薄暗い。急峻と言われるだけあり、とても大自然の中のハイキングといったような楽しさはない。
現在踏みしめている道と同じくランスの表情自身もひどく険しいものになっていった。
「ええい、もっとこう広くて平らな道はないのか」
イライラをぶつけるように近くに生える木を蹴飛ばす。
いくつかのルートはあったのだが、モンスターが少なく、またマウネスからヘルマンに最短でいけるというルートを選んだ結果がこれだった。
「俺様がこんなことをしなきゃならないのもシィルの所為だ! 全く、たかが奴隷のくせに主人に迷惑ばかりかけやがって! あいつが戻ったらたっぷりおしおきしてやるぞ」
忌々しげに呟いて、
「あれもやって……これも……それもいいかもな……ぐふ、ぐふふ」
桃色の考えを頭にいくつも巡らしていると途端に顔がいやらしく崩れた。
「むぅ、ムラムラしてきたぞ」
ランスは視線を真下に落とした。気づけば下半身にかかっている白い布の部分が雄雄しくそそり立っていた。
こんもりと盛り上がるそれをランスが指差す。
「むおぉっ!? こんなとこに第二のパラオ山が現れたぞっ」
「………………」
そよ吹く涼やかな谷風。頭上では木の葉が微かにそよぎ、さわさわと音をたてる。
「ふんっ!!」
ごつっ!!
拳と剣とが思いっきりぶつかりあって鈍い音が辺りに響いた。堪らずカオスが呻きをあげる。
「いだっ!?」
「ノーリアクションの罰だ」
ランスとしては渾身のジョークのつもりだったが、それを全く理解しない駄剣に鉄拳制裁を加えた。
不機嫌にふんふんと鼻息荒く山道を闊歩する。そしてその厳しい表情が難しい表情へと少しずつ変わりだした。
「しかしだな。こんな妄想ごときで俺様がここまで興奮してしまうとはおかしい……うぅむ、まさか最近女の子にサービスしとらんからか?」
「おいおい。昨日ウェイトレスの娘襲ってその前もその前の前も女を襲ってなかったか?」
「黙れ馬鹿剣! 俺様の無限のパワーを持つ無敵ハイパー兵器の前ではあの程度では足りないのだ」
ごつっ!!
「だっ!? ……黙っても喋っても殴られるという理不尽に耐える、なんて健気な儂……」
「ふん、下らない事で余計な時間潰しちまった。さっさとこんな辛気臭いところから本気で出るとするか」
気を取り直して、再び歩き出すランス。剣に八つ当りして少し気分が晴れたからか足取りがずっと軽やかだった。
ランスは冒険家を生業にしてだいぶ長い。冒険家とはギルドからの依頼をこなして生計をたてる職業であり、一般人が手に負えないような問題の解決をはかる専門家。危険を冒すなんて文字の通り大抵その内容は物騒で苛酷なものだ。それこそダンジョン探索やモンスター退治はざらで、当然腕っ節が強く求められるし、体力がなければ話にならない。こうした重装備での登山をしてなお平然としていられるのも普段から鍛えられているため。健脚であることは冒険者の第一の条件なのだ。
登り始めてからろくに休憩をとってはいなかったのだがまだまだ二本の足は元気なもの。舗装されてない赤土剥き出しの山道だろうと安定感を欠くことも無く、多少の勾配も苦にせずそのペースを落とすことはなかった。
しかし――
しばらくしてその歩みは止まった。
「……なんだ、てめぇら」
ランスが目を向ける山道の先にはいくつかの人の影が先を進ませないように立ち塞がっていた。
モンスターの姿ではない。明らかにならず者という言葉がふさわしいような風貌をした人間。彼らの手にはそれぞれ得物の刃が鈍く輝いていた。
ちらりと肩越しに振り返って後方の確認する。同じくならず者たちが来た道を戻れないように立っていた。また、周りの林からもぞろぞろと人影が動くのを察した。不穏な空気が辺りを漂う。
「囲まれとるぞ」
「ちっ。汚ねぇ面ばかり並べやがって」
心底不快げに吐き捨ててぐるりと囲む面々を睨みつける。
ランスは荷物を足下に下ろし、カオスの柄を握ると即座に剣を構えて臨戦態勢へと移行した。
「なるほどな。お前らがあの噂の盗賊とやらか」
昨日の店長の話を思い起こす。男たちがここパラオ山を根城としてる例の盗賊であろうことは見当がついていた。
おそらく近くに彼らのアジトがあり、ランスがその縄張りの深くに踏み込んだから目を付けられたというところだろう。
対し、ならず者たちは下卑た笑いを浮かべながらこたえる。
「ふへへ。ここからは通行止めだよ。運が悪かったな、ニイちゃん」
「おうおう、面白そうな剣も持ってんじゃねぇか、ちょっとそれ見せてくんねぇかな」
ランスの握る魔剣カオスは真っすぐ伸びる鋭い刀身に枝葉の切れ間より漏れ出る陽の光を反射させ、妖しい輝きを見せている。それを一瞥して鼻を鳴らした。
「こんな下品な剣は俺様もいらんから、渡してやったところで別に構わんのだが……」
「こらこら、何を言うんじゃ!」
「まあ剣自体は心底どうでもいい。だがなぁ……貴様ら、勿論覚悟は出来てるんだろうな?」
低い声を出し、ランスは凄みをきかせる。
盗賊たちは皆、心底おかしそうに鼻で笑っていた。それは圧倒的な数の優位性が明らかであるための余裕の表情。ランスの態度を虚勢と捉えていた。
「あぁん!? 覚悟だぁ? 何いってんだこいつ、馬鹿か?」
「ぎゃーはっははは、これだけの数を目にした恐怖で頭おかしくなっ……――がはぁ!?」
ヒュッと空気が鳴る音がし、それと同時に話していた盗賊の一人が口と首から血を噴出させた。そのままガクンと力なく地面にくずおれていく。まるで糸が切れたことで支えを失ってしまったマリオネットのようにひどくあっけなく。
ほんの少し前まで生きていた人間は物言わぬ死体へとその姿を変え、男の眠る緑草の絨毯が赤く染め上げられた。
盗賊たちがざわめく。
「なっ!?」
「てめえらのようなゴミみたいな男のために俺様の優雅な歩みが止められたんだ。ここでくたばる覚悟は当然出来てるんだろ?」
ニヤァっと口の端をつり上げて不敵な笑みを浮かべるランス。握る剣からは、今しがた斬り捨てた盗賊の血がぼたぼたと滴り落ちていた。
「くっ、こいつ……おい! やっちまうぞ!!」
「がははははは! 愚か者め、死ねーー!」
数の上ではどう考えても圧倒的に不利。それでもランスは余裕の表情を全く崩すことはなかった。
臆することなく真正面から盗賊の群れに突っ込んでいく。スピード全開の突進。盗賊はあっけないほど接近を許してようやく武器を動かした。ランスからしてみればその反応はあまりに鈍すぎる。
襲ってきた敵の斬撃のことごとくをカオスで軽く受け流すと、そのまま華麗に反撃に転じた。
「ラーンスアタタタターーック!」
振り下ろしたカオスが地につく刹那、衝撃が迸る。視界が白く弾け飛んだ。
地も抉れるランスの凶悪な一振りの威力に盗賊達は総崩れとなった。
さらに残りの戦意も刈り取るように容赦なく、躊躇なくランスは追い討ちをかけるべく動く。
「さっさとくたばれ雑魚が! らーんすイナズマ回転切り!」
ザシュ!
高速の回転と同時に繰り出す鋭い斬撃にまた一人盗賊はその数を減らす。
ランスは集団に対する戦いは十分心得ていた。複数による同時攻撃や背後からの攻撃、弓による遠距離からの攻撃をされても手近な盗賊の体を盾にすることで攻防を同時に済ます。
ランスが見せつけた力や同士討ちに恐れて少しでも隙を作った者がいればそれを即座に狙い、胴体を切り裂き、喉元を突き刺し、数を確実に減らす。そしてまた一人、また一人と剣を振るう度、どんどんと盗賊の死体が山道に積みあがっていった。
数十人はいたであろう盗賊団であったが既に見るも堪えない有様に変わっていた。
対してランスは無傷。かすり傷どころか一筋の汗すらどこにもなかった。精々マントに土ぼこりがついたぐらいだろう。ランスは悠然とそれを翻すことで払う。
まさに圧倒的なまでの次元の違いがある。その信じがたい光景に盗賊の頭と思われる男はひどく慄く。
「ば、馬鹿な……こんな……」
「馬鹿はてめぇだ。カスみたい実力の奴がいくらも集まったところで無敵の俺様が負けるわけがない。レベル差もわきまえずに歯向かったことを死んでから後悔するんだな」
ランスはぽんぽんと剣の腹で手を叩きながら、ゆっくりと男との距離を詰めていく。
「ひぃ!? ……ま、待て、待ってくれ! わ、悪かった。み、見逃してくれねぇか? 金っ! 金もやるぞ?」
盗賊の首領は情けなくも頭を垂れ、命乞いをしてきた。自分に迫り来るはっきりとした死の恐怖を理解し、怯え震えてその顔もすっかり青白くなっている。
ランスはその醜態に失笑した。構わず剣を向けようとしたところで、
「そうだっ! お、女だってやるぞ、活きの良い若い女性だ!」
「……女だと?」
ピクリとランスの眉が思わず大きくあがる。聞き捨てるには少々惜しいと剣を止め、話の先を促した。
「あ、あぁ……そ、そこにいる俺の娘なんだがな」
頭目が集団の一人を震える指で差す。
「!!」
その先では女が自分を売った頭目を強く睨みつけていた。
「ん? ああ、女もいたのか」
「ど、どうだい? 頼むよ、このとおりだ、旦那、見逃してくれよ」
「ふっ」
「へ、へへっ」
ランスの零した笑顔にこれは好感触を得たと踏んだのか、愛想よく笑う頭目。
だが、ランスはさらに笑みを深くすると剣を振り上げた。
「へはあっ!?」
唖然とした顔が映った。それに狙いを定めて叩きつぶすように振り下ろす。
その寸前で、
「がはっ!!」
頭目が盛大に血を噴いた。
ランスは思わず手を止める。眉根を寄せ、頭目の体を見ると、胸から刃物の切っ先が少し飛び出ていた。
ずるり、と前のめりに倒れる頭目の後ろに先程の娘が血濡れの短剣を握っていた。
「ソ、ソウル……」
誰かが茫然と呟いた。
ランスは行き場がなくなった剣の切っ先を徐に死体に近づけるとごんごんとつっつく。
「うわ、こいつ娘に殺されてやーがんの」
無様な最期に大笑いしていると、周囲にどよめきが波のように広がっていた。
「お頭が死んだぞー!!」
「もうおしまいだー! 死にたくないー!」
叫びと悲鳴が上がり、わずかに残っていた盗賊達は蜘蛛の子をちらすようにわらわらと逃げていった。
ランスはそうして逃走していく男たちにはかけらも気に留めなかった。一番重要な娘がまだその場で佇んだままだったからだ。
「君は逃げんでいいのか?」
「どうせ逃げてもムダだってわかってるからね……。頭は死んだ。団員はほとんど死傷。盗賊団をやって生きていくしか能がないのにその盗賊団が続けられないんだからどちにしろ早いか遅いかで結局死ぬだけだよ。あたし達はもう終わりなんだ」
平静に言うが、足元に横たわる死体には憎々しげな視線を向けた。
「でもどうせ終わるんなら、その前にせめてあたしの嫌いなコイツくらいはあたしの手で殺して終わらしたかった」
「ふーーん」
短剣を持った手をだらりと下げたまま抵抗するそぶりもない娘。その全身をランスはまじまじと眺めていた。
少し華奢で肌にはいくつもの小さな傷が残っている。血色もあまり良くなく、健康的とはとても言いがたい。おそらくその育った環境のためだろう。
髪はボサボサで着ている服もボロボロ。確かにぱっと見の見てくれはお世辞にも良いとは言い難い。だが、ランスはその顔に注目した。輪郭も造形も悪くはなく、むしろよく整っている部類。それもランスの美的感覚に十分叶うほどのものだった。
死体になってさらに醜悪な顔を晒している頭目と比べて見ても血が繋がっているものとはとても思えない。娘というのはきっと何かの間違いだろう。
(まあ、野暮ったさはある。だが、この手の娘はもっと外見を気にさせればぜんぜんいけるはずだ)
脳内会議で合格の判定が下される。
――となれば彼女をどうやっておいしくいただこうか。
肝心要な議題に自動的にシフトし、思考を巡らしていると、
「ま、待ってください!」
不意に呼びかけられた。目の前の娘の声ではない。一人の男がランスと娘の間に割って入る形で現れた。
ランスはぎょっと目を見開く。ずっと娘にばかり気をとられていたので、いまだ他の盗賊が残っているとは思いもしなかった。
思わずカオスを握り直すが、いきなり男は膝を折って、がばりと額を地につかんばかりに低くした。
「あ、兄貴!?」
(……兄貴?)
娘の叫び声にカオスを持つ手を少し緩ます。
男は足元で平伏したまま懇願してきた。
「お願い、です。ソウルだけは、どうか助けてやってくれませんか」
その声はひどく震えたものだった。
「こんなこと、頼むのは筋違いだっていうのはわかってます。でも、ソウルは、妹は、親父や俺に巻き込まれてこんなことをしてるだけなんです。生きるため、なんて言い訳にもなりませんが、ともかく、本当に悪いのはこんな環境においやって、こんな生き方を強いた親父や俺で。だから、ソウルだけは何とか許してやってはくれませんか、何とか助けてやってはくれませんか。殺すのならこの俺を。俺が何でもします。俺ならどんな目にあってもかまいませんから」
とにかく頭を低くして声をはり上げる。
「兄貴、あたしは……」
「頼みますっ! どうか! どうか……!!」
ほとんど地面に顔をこすりつけていた。
ランスは無言で、ただ無造作にそれを見下ろしていた。
正直なところ今の言葉に心に響くようなところはほとんどなかった。そんな理屈がまかり通って許されることなんて甘いとすら思っている。
ただ――。
(しかし、兄妹、か)
一つの事実が頭に引っ掛かっていた。そのことから自然にJAPANで出会ったとある兄妹のことが脳裏に思い起こされた。
団子作りが得意で最期まで妹を想い魔人と闘い続けた親友。
その小さな背に国を背負い兄の想いに応えようとした妹分。
改めて目の前の兄妹を見やる。
妹はランスと男と交互に視線をやってはハラハラとした様子で、それでも固唾を飲んでじっと見守っていた。何か言おうとして、それでも噤んで。双眸は不安や動揺で激しく揺れていた。ここでもしもランスが男にじゃあさっさとお前が死ねと言ったら果たしてどう思うだろうか。
兄の方は変わらず土下座を保っている。完全に見せる形となっているその背中からは覚悟と必死さが滲んできていた。ここまで身を呈するあたりよほど妹が大切なのだろう。
(……あの妹馬鹿もこんな感じになるんだろうな)
妹を真に想う心。面影が重なって内心で苦笑が浮かぶ。
もっとも、目の前のものは見当違いの行動であって、多少冷やかさも感じなくはなかった。そもそも美女認定したからには粗末な扱いをするつもりは毛頭ない。ましてはその命を奪うなんて勘違いも甚だしい。
ランスは小さく息を吐くと、緩慢な動きで剣を鞘へと収めた。
チンと金属音が立ち、男の肩がびくりと反応する。
「おい、顔を上げろ」
男は応じて、そろりと面を上げる。
栗色の髪に青い瞳、そして荒くれにも関わらず目鼻も整った顔立ち。確かにどことなく妹に似ていた。
「別にお前ごときの命を奪ったところで弱っち過ぎて経験値の足しにもならねえし、なんの得もねえ」
それに下手なことをして妹に臍を曲げられるのも不都合と言えば不都合。ランスは胸中でさらに付けくわえる。
男の表情に漂っていた悲壮感が少し和らいだが、またすぐ引き締まる。
「い、妹は?」
「あほ。別に殺しゃしねえし、ひどい扱いもしないでやるよ。それぐらい察しとけ」
「あ……ありがとうございます!」
まるで泣きそうな叫び。何度も礼を繰り返して男は低く頭を下げる。
ランスはそれをどうでもよさげに見下ろした後、首を動かして、森、それから空に視線を巡らすと、
「そうだな、取りあえずはお前らが利用してる隠れ家に俺様を案内しろ」
「え? うちらのアジトですか?」
「てめえらに邪魔されたせいでこっちは予定が大いに遅れたんだ。これ以上日が落ちてくればモンスターどもが活発になってきやがって少々面倒になる。山で一夜すごす場所が必要だ。……いっとくが嘘や変な真似すれば即刻殺すからな。大人しく案内しろ」
「わ、わかりました。アジトはこっちです。足元に気をつけてくださいよ」
男は慌てて立ちあがると、先導して森の中深くに入っていった。
ランスが兄妹に案内されてたどり着いたのは木造りの山荘だった。おそらく規模と位置を考えればリーザスの貴人あたりが所有していた別荘だろう。
その室内に入っていくと、前後左右もわからないほど視界が闇に覆われた。
山の夜は早く、すでに日が沈みきっている。辺りはすっかり夜のとばりに包まれており、当然電灯もない山中は朧げな月の明かりが枝と葉の隙間を縫い、頼りなく照らすのみ。外からも光がろくに入らず、明かり一つついてない中は当然真っ暗な状態だ。
「カオス、さっさとぴかっと光れ」
「いや、儂、ただの魔剣ですからそんな機能ありませんよ?」
「ちっ、まったく使えん奴だ。おい、この家は電気つかんのか?」
「すいません。ここのはずっと切れたまんまなんです。少しばかり待っててください」
夜目がきくのか、ただ住み慣れているのか男が暗闇の家の中をするすると歩いていく。次々と部屋の各所に設置された燭台に灯りがつけられていった。
ようやく光が与えられ、闇が少し払われる。ぼんやりとであるが、各々の顔がわかるぐらいにはなっていた。
ランスは空間をぐるりと見回して、呻いた。
「きったねえところだな、おい……」
「ほぼ男所帯で、掃除なんかもしないのばっかりですからね」
壁は傷だらけで塗装もそこかしこがはげてしまっている。薄汚れた床にはいろんなものが散乱しており、おまけになんだかよくわからないムシまで這っていた。
「うげ、よくこんなとこに住んでられるな」
「俺達にとっちゃ、雨露と魔物をしのげればそれで天国ですし」
いろんなものを端っこに寄せてスペースを作っていく。
兄妹はそこに直に腰を下ろしたが、ランスには躊躇われた。正直ダンジョンの土の上のがまだ座れる。
ボロッちいクッションもどきも提示されはしたのだが、あまりに饐えた臭いを発するので丁重に蹴飛ばす。結局立ったままとなった。
「そういや、お前らの名前まだ聞いとらんかったな」
「あたしはソウル。ソウル・レス」
「俺はバウンド・レスって言います。俺達二人ともヘルマンの寒村の生まれです」
「……大方食うに困ってあんなことしてたってところか。それにしたって、襲うヤツくらいはきちんと選ぶべきだったな。なんせお前らが身の程知らずにも襲い掛かった相手はリーザス、ゼス、JAPANの救国の英雄にして世界最強の名を天下に轟かせるエリート冒険者ランス様なんだからな」
ランスは傲然と言い放つ。特に一番強調して、それこそ自慢げに訴えたのは『救国の英雄』や『世界最強』『エリート』というフレーズだったのだが、バウンドが聞きとめたのは一番後ろの部分だった。
「冒険者……」
小さく呟くと突然がたりと身を乗り出してきた。
「あの! 俺らもお伴として一緒につれていってもらえませんか」
「はあ?」
「荷物持ちだろうが、なんだって言われればどんな雑用もこなしますから」
どうも冒険そのものに興味関心があるわけではなく、下働きであろうとまともに生きられることを望んでいるようであった。確かにこのまま無力な兄妹二人だけで生きていくのは厳しく辛いはず。
襲い掛かった相手に世話になろうと言うのは良い根性をしてるが、向こうにとっては生きるか死ぬかの問題でなりふりかまっていられないのだろう。
しかし、ランスは素っ気なく首を振った。
「いらん。どうせ足手まといになるだけだ」
「決してそうならないよう頑張りますから」
「はっ、口だけじゃな。それに具体的に俺にメリットが見られん。そもそもお前らはなんか役立つ特技とかあんのか?」
ランスがそう訊ねてみると、兄妹が顔を見合わせて
「スリとか、置引とか、ひったくりとか……」
と言うもんだから、思わず呆れた溜め息が出てきた。
「そんなんのどこに冒険に役立つ要素があるんだ? コソコソ盗むんじゃなくて同業者をぶっ殺すことで経験値ごと金も荷物も奪うのが冒険の基本なんだ」
「いや、それぶっちゃけ心の友だけの常識でしょ――」
剣が口を挟んだ瞬間、ランスの指が思わず滑った。図らずも、そう図らずも向かった先にカオスの両目があったために勢いよく突き刺さってしまった。
ぐさり。生々しい音が響く。
「ぬぐうおぉおぉぉぉぉーーーー!? 目が! 目がぁっ!?」
剣は断末魔の叫びのような悲鳴を上げ、のた打ち回った。それを無視してランスは話を続ける。
「まあともかく、俺様の下につきたいのなら最低でも、炊事洗濯はこなせて、冒険に必要なマッピングや回復魔法もでき、夜のお世話もぬかりないぐらいじゃないとなあ、最低でも」
「夜のお世話ぐらいなら……」
ソウルのその呟きはグッとくるものがありはしたがそれだけだった。別にヤルだけならば、すぐ済ませることも出来るし、わざわざつれていく必要性はないのだ。
進んで望みを聞きいれることもないし、捨て置いて特に困ることは無い。ただ、未だバウンドは食い下がろうとする意志を見せていた。何せ死活問題。おそらく言葉でどれだけ断っても、聞きいれようとはしないだろう。しぶとく請うてくるのは目に見えてる。
ランスはゆっくりとした動きで密かにカオスの柄を握った。
「……お?」と興味深げな声が柄のほうから漏れでる。
いい加減うっとうしく感じつつもあり別にここで切り捨ててしまっても良い。いちいちつきあってはいられないし、始末すればそれだけで終わる。これ以上面倒くさいことも無く一番てっとりばやく済む方法だ。単純にして明快な解答を頭は知っている。
だがしかし、ランスは自然と手を緩め、そっと離した。
ただ本能のまま動くこの体が妹の目の前で大切な兄を奪うという行為をとることをどうにも拒否していた。だから、頭にぱっと浮かんだ選択肢は次善とも呼べるものだった。悄然たる様子を見せる妹を眺めながら、自身の考えをまとめていく。
(生かすことは問題じゃないが、俺様に迷惑がかからないような形ならいい……例えばそう、いっそ別の誰かにこいつらの世話を押し付けてしまえばどうだ? そうすればなんら手間はかからず、損がないはずだ)
自分が面倒を見るのは嫌だが、誰かが代わりにやってくれるなら助かる。候補を探って一人良さそうな人物に当たりがついた。
「おい。お前ら、なんでもやるっていったな」
「ええ、最底辺で泥を啜るようにして生きてきた俺らです。生きるためだったらどんなことだってやれますよ」
「だったら、リーザスに行って働くといい。あそこはヘルマンと違って豊かだし、職もいっぱいあるはずだろ」
「……それは、出来たらこんな苦労しませんよ。働く以前に俺らみたいなのはどこの雇用者もお断りでしょう」
「ま、盗みに手を染めるぐらいだから、芸も学もないのはわかる。さらに犯罪者のおまけまで付いてたら確かにどこも敬遠するわな。だから、コネだ。特別に俺様がとりなしてやる」
背嚢の口を開けると中を弄る。そして取りだしたのは、紙とペン。殴り書きで認めるとそれをソウルに手渡した。
「これをリーザス城までもっていけ」
「これって?」
「リア宛の手紙だ。お前らに職の世話しろって書いてある」
ランスが白羽の矢を立てたのは、リーザス女王のリア・パラパラ・リーザスだった。まず世話を押し付けても何とか出来るだけの力を持っているのは論ずるまでも無い。また、頼みを無碍に断る真似もしないはずで、むしろ最大に手を尽くしてくれるだろうという確信もあり、条件としてはまさに好適と言えた。
破格と呼べるその計らいを受けて、しかしソウルの反応は薄かった。どうもリアという名がピンとこないのか、首を傾げていた。おそらく渡された紙の意味もまともにわかってない。
代わりに声を上げたのはバウンド。リーザス女王の名やランスの言葉の意味も正確に理解したうえで愕然と手紙を凝視していた。
「リ、リアって確かリーザスのトップの名と同じじゃ……!?」
「ああ。あいつならお前ら二人ぐらい職につかすなんて大した問題じゃないだろ」
「いや、そうでしょうけど……でも……」
「何だ? 疑ってやがんのか」
「その……受け取ってもらえるんですか?」
「ふん。門番かなんかに俺様からの手紙を預かってるって言や、マリス辺りにまず渡る。そしたら必ずリアも目にする。あいつは俺様の言うことは何でもいうことを聞くから読んだ内容のとおりやる」
「女王が、何でもいうことを聞く……ですか?」
「……お前、今この俺様が適当なこと言ってさっきから下につこうとあまりにしつこいお前らをあしらおうとしてるだけとか失礼なこと考えただろ」
「い、いえ、まさか! ……ふぐっ!?」
バウンドが冷や汗を垂らしながら首を振っているとその顔面に銀色の塊がいくつもぶつかった。それが床に落ちた際に鳴ったごとりという音が重量を感じさせる。当然痛いだろうし、直に受け止めた鼻は真っ赤だ。バウンドは鼻を摩りながらぶつけられたものを拾い上げた。
「か、缶詰?」
「それだけあれば二日はもつだろ。お前らは明日の朝一にでもここを下ってリーザスへ向かえ。余計なことをしなけりゃ二、三日で城につくだろ。いっとくが拒否は許さんぞ」
「ふ、二日っ!? というか俺達ヘルマン出身でリーザスの地理は全然わかんな……ふががっ」
今度はバウンドの鼻の穴に丸めた紙が思いっきりつっこまれる。やや古ぼけた感じのするそれはリーザス国の地図だった。
「で、まだ文句はあるのか?」
ランスが睨みつけるとバウンドは無言でふるふると首を横に振った。それを見届け満足げに頷く。
「よし。ソウルもいいな?」
ソウルの方を向くが、返答はすぐには返ってこなかった。彼女は手紙とランスと視線を行き交わせて見比べている。その表情は若干不服そうに見えた。
「……出来ればあたしはこっちなんかよりもついていきたいんだけど」
「む」
「おい、ソウル……」
ランスとバウンドの表情がそれぞれ微妙なものを示す。しかしソウルは構わず続ける。
「だってさ、命を助けてもらうなんてことまでしてもらったんだから、やっぱり出来ればその義理立てを側でしたいよ。あたしを妹分にしてもらうことはダメかな。確かに冒険のこととかはよくわからないけど、一生懸命勉強してくからさ」
「……」
ランスはソウルをしばし見つめる。
(職にありついてまともな生活をすりゃきっとこいつは今よりずっと良い感じになるだろう。どうせやるなら肉付きも肌の色つやも良いにこしたことないし、一番おいしい状態にもっていったところで頂くほうがきっといい。だから今は敢えて手放すという考えもあったんだが……。だが、よくよく考えたら、ここで女を外してしまったら、俺様はまた馬鹿剣なんかと二人(?)旅というおかしなことになるんじゃないのか。ぐぐ……いや……けど、やっぱめんどうだし。かといって捨てるのも……。むむむ……むむ……)
うんうん唸って一頻り黙考した末、結局苦しげにではあるものの首肯をした。未来の女も確かに重要だが、現在の女もまた切実な問題である。
「まあ……いいだろう」
「ほんと!?」
「ただし、使えんと判断すれば即刻リーザスに送りつけるからな」
「絶対ランス兄の役に立てるようしてみせるよ」
「でしたら、俺も兄貴と……ごっ!?」
「男はいらん」
同じようなことを言おうとしたバウンドの顔にランスは背嚢を投げつけて遮る。
重い荷物を押し付けることで軽くなった肩をぐるぐると回すと、玄関へと向かった。それを見てソウルが疑問の声をあげた。
「あれ? どこへ行くの?」
「外でキャンプする。こんなとこじゃとてもじゃないが飯を食えんし、寝れんからな。それにキャンプは冒険の基本だ。テントの張り方をここでさっさと覚えてもらうぞ」
ソウルは頷くと、伸びていたバウンドを起こしにかかる。そして兄妹二人がかりで月明かりを頼りに、テントの準備に取り掛かった。おそらくはじめてやるであろう作業。組み立てる手付きは当然慣れておらず、やはりもたつき、悪戦苦闘していた。
それを眺めながらランスが側の木に寄りかかると、腰に佩いたカオスが徐に口を開いた。
「なんか随分珍しいことをしたよなあ。いつもの相棒のパターンだったら女はやるだけやって捨てそうなもんなのに。ここまで世話してやるなんてな。おまけに男を生かしてやってるなんて普通じゃ考えられん判断だ」
「お前なんかには一生わからない高尚な考えによる行動だ」
「高尚な考えか」
「高尚な考えだ」
「ま、わしとしてはシィル嬢ちゃんの代わりにやっとった殴られ役を他にやってもらえるのならそれで万々歳だがな」
軽口を叩くカオス。
ランスは鼻を鳴らす。そしてとりあえず一発殴っておいた。