-Rance-if もう一つの鬼畜王ルート
第二十二話 ~insanity~
――この世でもっとも暗き深い世界。
地上でそう呼ばれる場所に男は一人足を踏み入れていた。そこは奇妙なほど肌に温度を感じさせなかった。生温かさもなく、また肌寒さもない。
広さも漠然としたものだ。音を起こしても果てなき奥へと引き摺りこまれたように二度と返ってこない。何もかも感覚が不分明にも思えたが、ただ一つはっきりとしているものがある。この暗冥の空洞はまるで悪しきことごとをそこに閉じ込めたかのように重く濁った暗黒の気が一帯に淀んでいた。
歩を進める度、禍々しいものが纏わりつくその気配に男は少し疎ましげに顔を歪める。だが、すぐ表情は無くなった。
男の前には珍妙な形をした存在がいた。その怪人とも言うべき者はこの空間で特に何するでなく佇んでいる。
男がここに訪れた目的は彼だった。だから、次のやるべきことも決まっていた。
薄闇が駆逐されるように一瞬、白き光が走った。稲光。一拍遅れて激しい音がたつ。
凶刃が怪人の身に襲いかかっていた。だが、それは体に届く寸前で受け止められた。息つく暇なく再び、男から閃光が迸る。身構えることなく真正面から受けた赤い体表はしかしそれを通さず、あっさり弾いた。
明滅の刹那だけで男の姿は怪人の背後にあった。裏に回り込んで刃を振り下ろすも、怪人は素早く体を逃した。男の倍以上もある巨体にも関わらず、身のこなしが柔らかく、軽い。
怪人は軽快に旋転すると、穂先が螺旋状になっている槍をぶるんと横殴りに振るった。
男が重ねて繰り出していた剣の軌道と交差を起こす。ぶつかると同時、光が大きく弾ける。男は雷撃をばら撒きながら後方へ飛んで、距離を作った。攻撃の手は緩まない。連続で白光の矢を発しては浴びせていく。
もっとも、ことごとくが怪人の体に当たったそばから跳ね返された。傷はおろか衝撃すらまるで受け付けない。
雷の嵐をものともせず、怪人は突進を仕掛ける。巨躯を活かした攻勢。男は地を蹴って、一際大きい雷撃を落とした。
光の飛沫が舞う。怪人の頭上へと男は飛んでおり、脳天目掛け鋼の刃がひらめく。
衝突は起きなかった。脅威の瞬発力と柔軟性で怪人がスライディングするように上体を仰向けに変え、対空への迎撃態勢を見せたところで、男は攻撃を寸止め。電光に一時姿を眩ますと、怪人と身二つ分ずれた位置に着地。
両者は互いに振り向くのと全く同時に攻めうった。
男は雷撃の放射。怪人は槍の刺突。
速度も射程も男のほうが圧倒的に勝る。だが、雷はどれほど当てようとも怪人には通用しない。それはだからこれまでどおり電光と雷鳴で視界と聴力を一時的に奪うのみの効果にすぎない。
空間の明と暗とが入れ替わる時、やはり男は怪人のバックをとるよう回り込んでいた。光を隠れ蓑にしての不意打ち。それを当然のごとく先読みしていた怪人は槍で薙ぎ払う。
捌き得ぬカウンター。タイミングはどう見ても完璧だった。だというのに、そこには空気を裂く音以外生まれようとしなかった。違和感の正体は単純にして明快。――槍の柄が途中でぽっきりと折れてしまっていた。
雷は"怪人には"通用しない。
「!」
ほんの僅かな隙を縫って男は肉薄。その鼻先には、熱と微かに焦げ付いた臭いが掠む。
男の手が勢いよく怪人の眼窩に突っ込まれた。ざりざりと手の肉が削れるがかまいやしない。流れる血が泡立ち、はぜていく。
電気が男の手に一気に集う。カッと明かりがついたように赤い表皮全体が一気に白む。怪人が暴れる間もなく、乾いた破裂音が大きく響いた。
炸裂に飛び退くように男が素早く離脱する。
手応えを感じた男の拳はゆっくりと開かれ、指の隙間から細かい石や砂のようなものが零れおちていく。
怪人の目の周りはボロボロに砕け、そこからおびただしい亀裂が走っていた。無事なほうの片目は怒りを帯び、烈火のごとく揺れていた。濃密な殺気が充溢し、まるで巨大な真綿のような塊となって圧迫感を押し付けてくる。
男は睥睨も殺気も心底つまらなそうに受けとめていた。ただ"遅い"、という感想しか浮かばなかった。もがくには油断や侮りの招く沼に浸かりすぎていた。だから、今更手遅れでしかない。
怪人の腹部にある紋様と空洞がおぼろげな輝きを纏う。強烈な光線がいくつも放たれた。
男もまた輝きを纏った。電気が全身を覆い、ついには雷そのものに呑まれると、迫りくる全てを迎え撃った。
辺りは白く塗り潰されるように光に包まれた。
広がった光がやがて闇に呑まれて沈んだ頃には、既に戦いにも決着がついていた。
怪人の頭には刃が深々と埋まっていた。
一条の雷光が走ると、剣は爆ぜるように破砕し、怪人の身体は粉々に飛び散る様に崩れ去った。
後にはしんとした静寂と赤い珠だけが残る。男は何の感慨もなしに無言で眺めると、それを拾って踵を返す。
目的は済んだ。だが、男にとって本当の目指す終点へはまだずっと遠かった。
「うおおぉぉぉぉどぉいうことだぁぁ!!」
まただ。
ケイブリスの悲嘆とも苛立ちともつかぬ声音が空気を大きく震わせている。
激情に駆られて、部下につくらせたカミーラ銅像を熱く抱擁すると、それは激しい音を立てながら砕け散った。確かこれで十二体目のはずだ。苛立っては壊して、落ち着いては作り直しをさせての繰り返しで部下の苦労に同情が禁じえない。
「レイはまだ戻ってこないのかあっ!!」
興奮の叫びとともに大量の唾が飛ぶ。
ばっちいもんを浴びないよう、メディウサはさっさと大きな柱の裏に退避していた。その影から、ケッセルリンクのほうへと顔を向けると、肩を竦めて首を横に振るう。
広間がどすんと縦に揺れた。
ケイブリスがドタバタギャーギャーと激しく暴れまわっている。
「カ……カカ、カミーラさん……う、うおおおおおおぉおおぉぉん」
ついには咽び泣きだした。
ケッセルリンクも、メディウサも眉根を寄せ、互いに視線をあわせた。
こうなるとともかく長い。そして、面倒くさい。まともに相手にしていられるはずもない。
しばらくさわらずほうっておくのが一番だ。
小さく息を吐いてケッセルリンクはさっさと本を手にした。読書は待ち時間つぶすには最適だ。読み終える頃にはちょうど落ち着くだけの時間をとれていることだろう。
本のタイトルは『おくびょうな王さま』。ひどく怖がりな王が、恐ろしいものを避けようとして見当外れな行動をとっていくというユーモラスな内容の童話だった。ケッセルリンクにとっては何度も読み返しをするほどのお気に入りでもある。
蹲る一人の王の姿が描かれた表紙を開き、ページをめくっていく。
――。
むかし、まだ人が大地に生まれてまもないころのことです。
ある大きな国にひとりの王さまがおりました。
王さまはものすごくえらくて、たくさんのものをもっています。
国でいちばんお金もちで、国でいちばん力もちで、そしてたくさんのブカにもかこまれていました。
でも、ひとつだけもってないものがありました。それはつよい心。
王さまはとってもおくびょうだったのです。
いたいことかなしいこと大きらい。つらいこともこわいことも大きらい。
いつもいやなことがおきやしないかとびくびくおどおどしていました。
たとえば、小さなムシでもみつければ一日中大さわぎ。
たとえば、日がしずんで少しでも暗くなるとこわくてわんわん泣いてしまいます。
たとえば、ゴハンのときも、食べものをなんどもなんどもなんどもしらべねばろくに口にもできず。
たとえば、ねるときも、目をつぶってはまわりが見えないことにたえられずすぐ目をひらいてしまい、なかなかねつけないほどでした。
だれかがそばで守っていてくれてなきゃこわくて、でも、だれかがそばにいるのもやっぱりこわくって。
ついには少しでもこわいものを遠ざけようと王さまはいちばんあんしんできる明るくてがんじょうな部屋にずっとひとり閉じこもりがちになってしまいました。
とうぜん、ブカはみな、すごくこまりました。
大国の王がひきこもりの弱虫ではなさけなくて笑われてしまいます。
「王さま、どうかおへやからでてきてください」
「いやだいやだ」
ブカがなんとか外にでてくれるようになんどもおねがいしましたが、王さまはしかしぐずってけして出ようとしません。
雨の日も、風の日も、戦争の日も、おまつりの日も、いつもブカはしつこくたのみにいきましたが、やっぱりでてくれません。
「王さま、どうかおへやからでてきてください」
「いやだいやだ」
毎日のようにこのようなやりとりがお城できまってつづけられました。
でも、ある日、ぱたりとそれがやんでしまいました。
部屋にこもっていた王さまはブカがやっとあきらめたのかなと思いましたが、しばらくたつとまた、
「王さま、どうかおへやからでてきてください」
といつかのように声がかかりました。
ですが、なぜかその声はいままで来ていてモノとはまたべつのモノでした。
王さまはフシギに思って、といました。
「いつものあいつはどうした? なんであいつはさいきんになってカオを見せなくなったんだ?」
「王さま、カレはもう二度ときませんよ」
「なぜだ?」
「王さま、なぜならカレは死んでしまったのです」
「なんだと!?」
王さまはびっくりしました。
王さまはそれまで死というものをまったく知りませんでした。
生きものは命というものをもっていて、うしなってしまえば、もう二度ともどってはこないものだったのです。
死というものをはっきりと知ってしまってから、王さまはそれがいつの日か自分にもやってくることが何よりもこわくてこわくてたまらなくなりました。
たとえ、だれよりえらい王さまであっても、死はやってきます。
まえの王さまも、まえのまえの王さまにも死はおとずれていたのです。
王さまにとってそれは大変なことでした。
なにせ、こればっかりは閉じこもっていても、どうしようもありません。
死のきょうふにとりつかれてしまった王さまは、その日から、死からどうにかしてにげることばかりかんがえることになります。
それから、王さまは、てっていてきに死をひていすることにひっしになりました。
まず、王さまは身近なものに死をすべてきんじました。
死をそうきさせる表現ブツのキセイにかぎらず、じっさいの生きものの死そのものをいっさいゆるしませんでした。
ブカはみな、さいしょ、それをジョウダンのようにかんがえてましたが、おくびょうな王さまは本気でした。
「私に死をぜったい近づけるんじゃない! 私のまえで死なんておそろしいモノをはっせいさせればただじゃすまさんぞ!」
たちまち国ではさつじんがなくなりました。
ショケイもなくなりました。
そして、じゅみょうによる死も、病気による死もなくなりました。
国で死にそうなモノが見つかれば、すぐホゴされ、城へとつれていかれるのです。
王さまは、あらゆる手をつくして、かれらの命をながらえさせました。不死のじゅつをかんがえてはどんどん国民にほどこしていったのです。
長生きできることになった国民はといえば、みんな、おおよろこびしました。
おじいちゃん、おばあちゃんになっても死ぬしんぱいはいりません。
しかし、しあわせだったのもさいしょのころだけでした。
よくわからないクスリ、よくわからないおまじないなどをりようして命を一日一日を伸ばすたび、人びとの笑顔のかずはへっていきました。
いつまでも、いつまでも終わらない命はカレらが思っていたよりもよいものでなかったのです。
底がつきぬように水をつぎたすたび、リョウはへらずともナカミがどんどんうすまっていくかのようなあじけなさ。
人びとは少しづつ命のいみ、じぶんの生にぎもんをいだくようになりました。
けっしてつきることのない命。どんな手をつかってもだれひとりとして死をむかえることはできません。ムリヤリ生かされるじぶんとはほんとうに生きものなのだろうかとだれもがしんじられなくなってしまいました。
そのうち中には私を死なせてくれ、私をころしてくれなんていうものたちがつぎつぎと出てきました。
王さまはおこりました。
そして、死にたいだなんておろかでわけのわからないことを言う口をきけないようにしました。
さらに、死なないものたちがじぶんにはむかってきたとしたらこわいので、なにも出来ないように力をうばっては固くしばりつけようとかんがえました。
王さまはどんどんまわりのものたちを死ねないけど動けもしないものにかえていったのです。その後も死がよってこないようにずっとずっと見はられました。
命がただあるだけのカタマリを満足そうにながめる王さま。
ブカのひとりがそれをみて「王さまはクルっておられる」ともらしました。
それを聞いても、王さまはまともに相手しません。
王さまはおのれがキョウ人であるとはとても思ってませんでした。
もしもおのれがキョウ人であるなら、こんなにいろいろなことをいちいち気になんかするはずありません。
いまの王さまにとってキョウ人とは死のきょうふを全く感じられない異じょうなニンゲンのことで、それはとてもうらやましいことでした。
「ああ、このきょうふ……感じられなくなるほどいっそクルえてしまえたらいいのに――」
――。
話に没頭しつつあったが、ふと、辺りの違和感にケッセルリンクは気づいた。
いやに静かだ。いつの間にか騒音がぴたりと止んでいる。
もうケイブリスの気が済んだのだろうか。しかし、それにしては随分と早い気がした。
視線をちらりとケイブリスのほうへと寄越すと、いまだ暴れまわっている。だというのに、音だけが自分の役目を忘れてしまったかのように果たしてない。
本にしおりを挟んで閉じる。耳を澄ます中で、ケッセルリンクはおもむろに背後を振り向いた。
魔人の城に、それも魔人が三人いるこの空間へと堂々と踏み込んでくるものがいた。その外見は少年のように線が細く背丈も小さい。だが、当然のように、見た目で推し量れる只人であろうはずがない。
「久しいな、パイアール。"これ"は、君の仕業か」
「ああ、久々に訪れてみたら誰かさんがあまりにうるさかったもんですからね。サイレンスの魔法を応用してこの場の一部ノイズをキャンセルさせてもらいましたよ」
白の前髪から覗く切れ長の瞳は才気走りながらもどこか高慢で不遜な色を含んでいる。幼さと不釣り合いで、小生意気と受け取られかねないが、それだけの『時』と『実力』が重ねられたぶ厚い実態が裏に潜んでいる。
パイアールはケッセルリンクの隣に並んだ。
「この様子だと、どうやらまだカミーラが戻ってきてないみたいだけど、レイはたいした成果を出せてないのかい?」
「まだな」
「遅いね。たかだか、人間の国にいって魔人を探すだけのもの。そんな手古摺る様なこととはとても思えないけど」
「そうそう単純にいくまい。人間も魔人のカミーラたちを撃退したのだ。レイもそれだけ慎重にならざるをえないのだろう」
「ああ、それそれ、僕としては弱っていたとはいえあのカミーラを人間が打ち破ったというのが結構驚きだよ。その方法ってなんだったかケッセルリンクはしってます? またぞろ魔導兵器でもだしてきたとか?」
「いや、それに関してはもう割れているが、どうやら魔剣カオスを使ったものがいたらしい」
「まけん……? ああ、魔剣ね」
パイアールの高音の声はあからさまに興味を失ったように沈んだ。
「まだそんな前時代の野蛮な道具に頼って戦ってたんだ。ほんと進歩しないねえ」
歪めた唇に侮蔑をのせる。素直なほど内の感情が外に繋がるところだけはわかりやすく幼かった。
「……逆に君の方は研究になにか進展があったのかね?」
珍しく饒舌で、また、こうして城に顔を出していることからも、おそらく一定の成果がでてるのであろうことは簡単に当たりがつく。あえてケッセルリンクが問うてみると、果たしてパイアールはまたしても唇を歪めてみせた。今度は不敵に。
「ええ、勿論。ケイブリスはあの調子ですし……まあ、仮にまともな状態でもどうせ僕の言ってることの半分も理解出来ないでしょうから、ケッセルリンクが聞いておいてください」
パイアールが懐からガラスケースを取りだした。中には、一般的な機械のイメージとかけ離れた、それこそただの黒い小さな石ころにしか見えないものが一つあるだけ。
ケッセルリンクは軽く眉を顰めた。見た目にはとてもなんの研究成果かわからないのもそうだが、なぜだか既視感というか懐かしい印象を微かにそこから受けた。
「それは……?」
「これは魔王城の一部です」
「なに?」
「正確にはレプリカというか、僕が再現したもの。あなたならこれがどれだけ恐ろしいものか誰より理解できますよね?」
「……」
驚愕に見開かれたケッセルリンクの目はその石ころから離れようとしなかった。
魔王城。"それ"がどういうものかは知っている。それは決して"ありえるはずのない存在"だった。
魔王の城塞とは言うが、そもそもにして魔王とは地上で並ぶもの無く、まさに頂点に君臨するもの。その腕こそが最高の守りを誇り、その足でたつ大地全てが支配する領域であり、その身こそが権力のしるしを現す。だから、"城なんて建造物を必要とする発想に普通は行きつくわけがない"のだ。
成立するはずがない。なのに成立している。生みだしてしまった"異端"がかつていた。
「僕が魔人になったときには既に当たり前のようにあれがあったわけだけど、ずっと不思議でならなかったよ。なんで魔王が城なんてものを欲する必要があったのか。いったい誰がなんのためにつくったのかってね。だから、数千年もかけて研究してきたんだ。しかし、まさかあれが――」
そのとき、ふとパイアールの語る口がつぐまれた。彼の手元へと忍び寄る影がある。蛇だ。
鎌首をもたげ、頭が割れているかのように大口をあけた格好でガラスケースめがけて伸びてくる。
パイアールは滑る様に飛びすさった。その動きで空気が微かに波立つと揺らぎをみせた。
浮かぶ波紋から赤色の光線が飛びだし、パイアールの周囲を薙いだ。
無様な呻きも上げられず蛇の頭が激しく飛び散る。
だが、息つく間もなく再生をはたし、潰された首がそこからまた生える。それがもうひと伸びすると、ケースを咥えられて、かっさらわれた。
パイアールは舌打ちして、険呑な目を蛇の主へと向けた。
「へえ~? これがあのスラルがつくったお城の一部だって言うわけ? どうみてもただのその辺の石ころにしか見えないじゃないの」
掠め取ったガラスケースを何食わぬ顔で受け取ったメディウサは、不審そうに眉を寄せつつ、眇めた瞳は値踏みするように動かしていく。
「おや? 魔王城が誰のものかって知ってるんだ」
「はん。知るも何も、あんな壁に頼ろうとするなんて惰弱で臆病気質な人間出身の魔王ぐらいに決まってるでしょ? あんたをつくったナイチサより前の魔王は確認される中で三人――初代はまるいもの、二代目はドラゴン、三代目は人間。誰がなんて考えなくてもわかるわよ、そんぐらい」
「なるほど、実に粗雑で乱暴な推論とも呼べぬ稚拙な思考だけど、外れちゃいないね。確かに、丸いものやドラゴンの時代には今定義される城と呼べるようなものなんて存在しなかった。居住施設ぐらいはあったようだけど、それはいたって簡素なもので『城塞』のように複雑で、防衛という概念をもりこむようになったのはやはり力が弱く手先が器用な人間種族の登場からであって、スラルが魔物の世界にその技術を導入したってわけだ。そして、あのスラルは城を――」
「あー、御託はもういいから。で、こんなものがいったいなんの役に立つのさ?」
「スラル期を生きてもないし、あの城の真価についても僅かも知らぬ君に詳しいこと教えてもしょうがないから、この研究成果による非常にわかりやすいメリットだけかいつまんで話そうか」
「もったいつけないで、さっさとおし」
メディウサは毛先をくるくる弄りつつ、鋭く睨みつける。威圧を含んだ振る舞いはいかにも人を従わせるのに慣れた高飛車なお嬢様。
促しに対し、パイアールは手を高く掲げた。怪訝に細められたメディウサの蛇眼がそこに注視する。その手にはいつの間にか黒い石が握られていた。
ガラスケースの中身はと言えば、消えてしまっている。転送されたのだ。
「――簡単に言えば、魔王城はいまや丸裸同然。僕たちはあの城の中を自由に転移して出入りすることができるようになったんだよ」
「……なんですって?」
「聖魔教団はもとより、たとえレッドアイやケッセルリンクほどの魔法の使い手であっても、どうやってもあの魔王城に直接転移できないことは君でも知ってるだろう? 当たり前だけどそんなやすやすと侵入できるならそもそも僕らにとって城の意味なんてないしね。つまり魔人でさえ無視できないほどの特殊な防衛のシステムが魔王城にはあったわけだけど、そのシステムが僕の手によって理解された以上、もうそんな壁あってないようなものになったのさ」
「ふーん……あ、ってことは……つーまーり、直接乗り込んで、ホーネットたちを可愛がってやれちゃうわけぇ?」
メディウサはぺろりと舌をだすと、唇に滑らせ湿していく。
涼しい顔でパイアールは頷いた。
「そうなるね。もうちまちまやらずとも、一気に蹴りをつけることができるよ」
「 」
「……ん?」
突然、辺りにどこからか強風が吹きよせてきた。
しかし、ここは屋内であるし、窓も開いてはいなかった。では、何故なのか――といちいち頭を働かせるまでもない。発生源はケイブリス以外ない。
ようやく正気を取り戻したのだろう、何かしゃべりながらこちらへとでかい図体を近づけてくる。しかし、
「 」
口はせわしなく動いているようだが、先ほどからまったくもって伝わらない。
いまだに音を消す効果がかかっているのだろう。
「ケーちゃん、おくちパクパクしてな~にがしたいの~?」
くくっとメディウサが喉を鳴らして笑う。
ケイブリスは苛立ったように地団太を踏むが、軽い音すらいっこうにたたない。もっとも、鼻息やら手足を動かすたびに巻き起こる風やらが激しさを増していき、うっとしいこと極まりないのだが。
ケッセルリンクは溜め息をつくと、
「……パイアール、消音を解いてやれ」
「えぇ? 別にこのままでもいいと思うけど、しょうがないなあ」
ぱちんと指を鳴らす。
直後、どしんと腹に響く音が復活する。
「パイアール、てめえぇ、よくも俺様にふざけた真似をっ!」
「いいんですか?」
「あぁん?」
「いえね、こんなとこでいちいち怒っているような暇があるならいいんですけど、きっと救出を待ってる姫君はいまこのときでさえも泣いているかもしれませんよ。ああ、おいたわしや」
「はっ!? そうだ。カ……カカ、カミーラさんが、お、俺様のことをいまかいまかと信じて待ってくださってる、こんなことしてる場合じゃねえ! はやく魔王城にいって、ホーネットをけちょんけちょんにして、そんでもって人間領侵攻だ!」
「いちおう、容易に魔王城を突破できるようになったってところぐらいはきっちり聞いてくれていたんですかね」
「えへうぇ、カッ、カミーラさん、ぼくちゃん魔物の王になって全軍を率いてすぐお迎えにあがりますからね。ぐへ、ぐへげへ」
「……いやはや、ほんと、羨ましいくらい単純で幸せそうな生物だよ」
やれやれと首を振って、パイアールは前髪をかきあげる。
「でも、残念だね、ケイブリス。いますぐ全軍を魔王城に送りこむのは無理なんだよ」
「なっ、なんだとお? どおいうこっちゃ、てめえ、嘘つきやがったのか」
「違いますよ。あそこに敷かれているのは並でない転移妨害システムだから破るにしてもどうしたってそれなりの下準備を要するんです。だから、いますぐは物理的に無理だということを理解して下さい。でも、その用意さえできれば、全軍を一瞬で運び込めます」
「じゃあ、いますぐ取り掛かれ。そして、さっさと終わらせろ」
「まあ、やることそのものは向こうの城内に僕のつくったマシン――ある装置を仕掛けてもらうだけなので、さほど時間がかかるわけでもありませんから安心してください」
「なんでいそりゃ、転移して城に行きゃあ、そんなもんぱぱっと済むことじゃねえか……」
「……」
「ん、んん? ……って、その転移がそもそもできないんじゃねえか! おい、どうやって、中に侵入してその『ましーん』とかいうのを向こうのやつらにバレずに置いてくんだ」
「僕たちが無理に動けば、確実にホーネットは気付きますし、かといってその辺の魔物の実力では侵入に心もとない。だから、催眠、操心に長けたワーグをつかいます。具体的には、魔王城に出入りするホーネット派の魔物を数匹洗脳してこちらの手駒として、工作員になってもらうんですよ。表向き味方なら、城の出入りは僕らより遥かに楽ですし」
「なるほど、よし、ならその通りさっさと取り掛かれ」
語気と鼻息を強くするケイブリス。パイアールは半眼の眼差しを左右に動かした。
「……で、肝心のワーグはいったいどこなの? この城にはいないんですか?」
「ぬ?」
ケイブリスは慌てて首を巡らして、それからメディウサを見た。
「あたし? 少なくとも、ここのところ見てないわよ」
メディウサは首を振る。
ケイブリスは、次にケッセルリンクのほうを見る。
「あいにくと私も同じく最近はワーグと会っていない」
ケッセルリンクも首を振る。
ケイブリスは、またパイアールのほうを見る。
「だから、僕は知らないってば」
ケイブリスは唸り声をもらした。
「くっ、ワーグのやつめ、また勝手にどこか出かけていきやがったのか。誰も行き先に心当たりはないのか!?」
「さすがにわからんな。おそらくいつものように遊びにいったのだろうが」
「ふわふわとどこにでも行く子だからねぇ」
「遊び疲れて帰ってくるのを待つのが無難かな」
パイアールが呑気に呟くと、ケイブリスは拳を床に思いっきり叩きつけた。
「ええい! そんな悠長なこと言ってられるか! 魔人領全土をくまなく探せ! 全魔物に命令を飛ばせ! ワーグを連れて来いと!」
「待て、ケイブリス。下手に魔物を領内で大量に動かせば、ホーネット派が必ず不審に思う。いらぬ警戒を煽ることになるぞ」
ケッセルリンクは冷静に諌めようとするが、
「うっさい、うっさい。人間界に取り残されたカミーラさんを思うと、心が痛くていてもたってもいられないんだ。なんとしてでも一秒でも早く、魔人領を統一し、救出に向かうっ……! そのためにワーグが必要ならこの俺様がそっこうで見つけだしてやる! うおおおおおおっ!!」
聞きいれる相手が完全に落ち着きを失っているのだからどうしようもない。
まるで馬鹿丸出しの子供のように言い捨て、さっそくどたどたと出ていってしまう。
残った三人はそれぞれ顔を見合わせた。
「……あーあ、ホントわかってないね。こんなことしたら、むしろ逆効果。彼女の性格ならまず間違いなく全力で隠れようとするよ……それこそ『かくれんぼ』を楽しむようにね」
「ああ、ワーグならばそうだろうな。最低の手だ」
「どうせ、言ってもケーちゃんは聞かないでしょ、ムダムダ」
メディウサは手でお腹を抱え、パイアールは指先でこめかみをぐりぐりとし、ケッセルリンクは本の角で額をかいた。
その日から、ケイブリス派では大規模なワーグ捜索が始まった。
――案の定、ワーグはその日見つからなかった。
ケッセルリンクがようやく自分の屋敷へと戻って来たのは、もうとっぷりと日が暮れた頃だった。
身も心も安らぎを求め、だから、自室に足が向かったのはやはり自然のことだった。
燭台の灯火が仄かな明かりを投げかける中、棺とそれに寄り添うようかのようにほっそりとした人影が浮かんでいる。
「おかえりなさいませ」
うやうやしく礼をとって迎え入れたのは、一人のメイド。
手慣れたように外套を受け取りつつ、彼女はすぐ主人の顔色からなにかを察したようだった。
「随分とお疲れのようですね? すぐお茶を用意致しますわ」
「すまない、自分では顔に出してないつもりだったが、そう見えてしまったかい? 存外にケイブリスのお守がこたえたのかな」
「はい。しかし、どうもそればかりでないご様子。もしや、他になにかもっと面白くないことがございましたか?」
「ふ……君にはかなわないな」
男として隠そうとする胸の内をこうも簡単に見透かされるのは立つ瀬がなく、汗顔の至りだが、この目の前の女性に限ってはそう思わせない。
淀みのない手付きでまもなく紅茶の用意が整えられた。
華やかに香るカップに手を伸ばしかけるが、一旦、制した。
メイドが角砂糖をひとつ摘む。その手も指先も白く、一度として外にでたことがない、深窓を思わせるほど、ただ白く。そこから零れおちた砂糖が赤い液面に沈み、溶けていく。
ケッセルリンクは髭をなでつけながら、彼女の白皙の横顔をじっと見つめた。
「実はな」
「はい」
「パイアールがあの魔王城――スラルの築いた城を攻略する糸口を掴んだそうだ」
「まあ」
メイドは楚々とした挙措で口許に手をあてる。
「なるほど、それでひどくご機嫌がよろしくないのですね」
納得したような彼女の様子をケッセルリンクはカップを手に取りながら訝しく思った。
「……意外だな」
「なにがでしょう?」
メイドは不思議そうに首を傾げる。
ケッセルリンクは静かに一口含むとカップをソーサーに置いた。
「いや、なに、これを聞けばショックと言うか、きっと君は私以上に怒りや戸惑いを感じると思ったのだが、なんだかむしろ喜んでいるというか、存外にすがすがしい表情をしているものだから」
問いながらも、その実ケッセルリンクはなんとなくわかっていた。なにをおもい、なにをかんがえているのか誰より知っているつもりだから。
メイドは小さく頷くと、胸に手をあて、白百合の花のような笑みを湛えてみせる。
「ほんの一部とはいえ主人の領域に他の誰かが踏み込むことを許せず、怒りを感じなさる貴方様の敬愛ぶりの変わりなさが私には誇らしくて」
それにと付け加えて軽く屈みこむ。
「ふふ。むしろ安心しましたわ。だって、誰にも攻略できない完璧な機能をもつもの、そんなものが存在なんてしてしまったらとっても恐ろしいことと思いませんか?」
無垢な瞳が上目にのぞいてくる。
思わず微苦笑を零すケッセルリンク。
「相変わらずきみのそれは、なんというべきか、重度の病気のようだよ」
「まあ、ひどい。でも、これが私ですもの。きっと、死んでもなおりませんのでしょうね」
くすりと悪戯っぽく口許を綻ばす。
ケッセルリンクもまた笑った。
「ふ。まったくだ」
――王さまは、おくびょうでした。
死ぬのがこわくてたまりませんでした。
なんとか死をとおざけようとしました。
いろんなことをしました。なんでもやりました。
さいごは神さまにいのりさえしました。
それでもずっと不安でした。
おくびょうだから、もしかしたらをかんがえずにはいられません。
おくびょうだから、カンゼンな生に自信がありません。
どれだけ力をつくそうと、なにかあればやっぱり死んでしまうかもしれない。
だから、王さまはこうかんがえたのです。
「死……死んだらわたしはどうなるのだ。命がうしなわれてしまえば、もう二度と取りもどせない……? いや……いや、いいや、そうだ! たといこの身に死がおとずれても、ほんのひとときのことにしてしまえばいい。夜ねむりについてふたたび朝に目がさめるように。死んでもまたすぐ生きかえるようにすればよいのだ。なんども、なんども、なんどでも! これなら安心してシネル!!」
――。
裏表紙には、表紙と同様に蹲る王様。しかし、その表情だけは違って満面の笑みに見えた。