―第三章―
-Rance-if もう一つの鬼畜王ルート
第十六話 ~intuition~
-リーザス王ランスの私室-
久しぶりに気持ちの良い目覚めだった。
カーテンごしに降り注ぐ明るい日差しが清々しい朝の到来を告げる。
薄く瞼を開いた。ランスの眼前には乱れた白のシーツに半ば身体を埋めた存在がいる。すっぽり覆いかぶさっている毛布の下には何も纏ってない。彼女が僅かに身動ぎした際に覗いたのは誘うような肢体だった。
昨夜は自由都市併呑を祝してささやかな宴を催した。その後でランスは盛り上がったエネルギーを爆発させるべく女性を自分の私室まで連れてきた。ポルトガル攻略で新たな美女を何人も得て、より取り見取りで誰にするか迷うという贅沢な悩みがあったものの、「だ・れ・に・し・よ・う・か・な」でセスナ・ベンビールが見事当選した。そして、寝ている彼女と強引にベッドインしたのだ。
セスナは今もすうすうと寝息をたてている。無防備で隙だらけの表情が晒されていた。愛らしい寝顔だ。
ランスはもぞもぞ上体を起こすと、朝の空気を吸い込みながら身体をぐうっと伸ばした。
ぐうううぅぅぅぅ。
同時、室内に盛大な音が響いた。
セスナのイビキではない。発生源はランスのお腹だった。
たっぷりやって性欲解消、たっぷり寝て睡眠欲解消。となれば当然残りは食欲。ランスの体は常に欲望に正直で、素直に空腹を訴えていた。
「ふうむ。今、何時ごろだ」
「まもなく午前八時になります」
即座にメイドから返事が返ってくる。
ランスは頷くと、軽く瞼を擦って僅かに残っていた眠気を完全に払った。
「そうか。じゃあ朝メシの準備を頼むぞ。俺様はひとっぷろ浴びてくる」
「はい、御承知いたしました」
恭しく一礼を終えるとメイドがその後で言葉を一つ足した。
「それとランス王、筆頭侍女のマリスがお話したいことがあるそうです。都合のよろしい時にお呼び下さいと申しておりました」
「話? ああ、頼んでたやつの報告か。マリスは今何してるんだ?」
「現在は執務室にて事務仕事をしております」
「わかった。なら風呂場で聞こう。呼んできてくれ」
滑らかにベッドより出ると、上も下も何も覆わず露わのままで浴場へと向かった。
-大浴場-
水音が反響し、澄んだ音色を奏でる。
なみなみと湯が満たされた大きい箱が仄かな植物の香りと湯けむりをくゆらせていた。
肥沃なる大地を誇るリーザスは水資源が豊かだ。国内には森と大地に磨かれながら滾々と湧きでる上質な鉱泉が多くある。自慢の水は入浴といった文化にも活躍している。
傾けられた結桶から温水がランスの体に滑り降りる。柔らかな湯触り、肌を優しく撫でられるような感覚を味わう。温かさも魔法によって熱を水に伝えて加温されたそれはランスにとって丁度好い塩梅に調整されていた。
ランスは鼻歌交じりに、目の前の鏡を見た。曇り止めの施された鏡面にはくっきりと目鼻立ちの整った美丈夫が映っている。さらにそのすぐ後ろでは、マリスが掌に石鹸をのせ、それを両手で泡立てていた。
さりげなく自分の体をずらすことでマリスの全身が鏡にのるように調節する。
圧倒的。そう思えるだけの成熟した色気を放つ悩ましい姿態が視覚と脳を占拠した。
繊細に整い精緻を極めた美貌に陶然となる。彼女はやはり完璧な女だ。フェイスラインもボディラインも緩みなく、指先、足先に至るまで全てにおいて端麗だ。
美人は三日で飽きるなどと言われるがそれは本当に戯言だとランスはつくづく思う。そんなものブスが妬みから出した言葉か、ブスしか得られないブ男の負け惜しみの言葉か、もしくは本物の美人を知らない哀れな人間の言葉だろう。マリス・アマリリスという存在がそれをわかりやすく証明してくれる。
そもそも本物とは美の引き出しが無限大にあるものだ。
微かな湯気を自然に纏いて生みだされた隠と露の絶妙なコントラストが蠱惑さを増す。
潤沢を帯びる深緑の髪。ほんのり赤く色付く玉の肌。曲線の見事さを強調するように緩やかな弧の軌道を描きながら伝いゆく雫。何と言う婀娜っぽさか。
装い一つで新鮮な魅力をこうも見せつけてくれる。
鼻息が荒くなるのが隠しきれない。早々に理性が決壊したランスは振り返りしなに抱きつこうとした。
しかし、マリスはそれがわかっていたように、寸前でランスの額を抑えた。
「む、むぐ、こら、やらせろ」
「それは構いませんが、後にしましょう」
「後なんてバカなことはまかりとおらん! 軽い運動をした後、入浴が基本なのだぞ。やらせろ、今すぐにだ!」
「お気持ちはわかりますが、出来れば話をまず先に済ませておきたいのです。きっと王にとってストレスのたまるであろう内容ですので」
「……なに? ……どっちがダメだったんだ?」
「両方ともとても芳しいとは申せませんね」
マリスは改めてくしゅくしゅと音を立てながら、泡を作りだしていく。
「まず、キサラ・コプリ、レベッカ・コプリ両名に施された改造についてですが、現状元の体に戻すことは難しいです」
「どうあっても無理か?」
「ふくマン体質でなくすことは出来るかもしれませんが、少なくとも"無事"にすむものではありません。精神面、あるいは肉体面に影響が出るものと思って下さい」
「…………」
ふくマンシスターズなどとふさけた名前で売り出されていたが、このふくマンというのは最上級の具合の良さと幸福を男性に授ける奇跡の名器であり、それはセックスを売り物とする際にこの上ない価値を発揮する。大金を生む商売道具にするためだけにコプリ姉妹は人為的にそうした体質に改造されていたのだ。
実に胸糞悪く、何とかしてやりたいとは思っていたが、好き勝手に弄られた体はもう取り返しのつかないレベルになっている。
ランスの胸中にはやり場のない怒りが沸々と込み上げる。激しい苛立ちが募っていく。だが、それは長続きはしなかった。
そうした負の感情を全て承知しているようにマリスが手を尽くすからだ。
きめ細やかでクリーミィな泡がまぶされた手がランスの背中にソフトに触れる。上から下に円を描くように這っていく。
深い安らぎを与えるように穏やかに。
心をほぐしていくようにたおやかに。
筋肉の溝をしなやかな指が通り抜ける。手馴れた手つきで丹念に磨き上げていく。
背中を洗う中でわざとらしくない程度にマリスの体とランスの体が時折触れる。密着が安心感をまた広げた。
怒りが霧散し、気持ちが落ち着いていく。そして心の余裕が出来た頃合いにマリスが再び口を開いて次の報告に移った。
「それと、シャングリラの件ですが……」
「ん、まだ調べがつかんのか」
「様々な文献をあたってはいるのですが、いまいち信憑性に欠ける記述が多く、不明なところが多いのです」
「やはり直接キナニ砂漠に軍を派遣してみたほうが早いか」
「それは賛成致しかねます。過去リーザスも含め数多くの国が黄金郷を求めて、軍を動かしたようですが、全てが失敗という結果に終わりました。正直、本当に伝説として囁かれる夢のような国があるか不確かである以上、無理に手を出さずにいたほうが良いと思われます」
「嫌だ。あそこはたくさんの美女たちがいるウハウハパラダイス。まだ見ぬ美女が俺様の到着を今か今かと待っておるのだ。早急に向かわねばならんだろ」
「美女ですか。確かにプルーペットが申してましたし、いくつかそういう記述も見かけましたが、どの人物の言葉もとても信用に足るものではないです」
「いいや、絶対いる。俺様の勘がそう告げている」
「ここで失敗すればただ兵を無駄に消耗するというだけでなく、確実に士気が下がります。今は全てにおいて微妙な時期なのです、どうかお考え直しを」
「…………」
しゃこしゃこと洗う音が響く。
依然として程良い力加減による快い刺激が続いていた。それらは確かにランスの怒りを抑える効果はもっていたが、しかしランスの欲望が抑えつけられるわけではない。
数秒思案すると、あることがランスの頭に閃いた。
「ふむ、良いことを思いついたぞ」
「なるべく部下の心労に良いほうでお願いしたいですね」
「冒険者を利用するというのはどうだ」
「冒険者、ですか?」
「そうだ。リーザス、自由都市にある全ての冒険者ギルドどもを焚きつけて俺様達の代わりにキナニ砂漠を冒険させるんだ。金目当て、名誉目当ての奴らが大勢ひっかかるようにあそこには凄いお宝があると大々的にアピールしてな」
「……なるほど。それならどれだけの人数が挑戦して死のうがこちらには大して不利益にはなりませんね。質の面ではいささか不確かではありますが、相応の数が集まる様に報酬を用意して巨大なクエストとして釣ればある程度の実力者も多く挑戦するかもしれません。情報に関してはギルドとマスコミを操作すれば何とでもなりそうですしね」
「参加者には適当に情報を送れる発信機をつけたアイテムを支給をする。これなら失敗しても情報だけは手に入るし、仮に成功した奴がいれば、そいつに関していくらでも対応がとれる。使い勝手の良い駒の出来上がりだ」
「何と言うべきか、本当にこういうことには頭がまわりますね」
「がはははは、そう褒めるな」
「わかりました。こちらでギルドに働きかけておきます」
「うむ、しっかり頼むぞ」
ランスはさりげなく手を後ろに回して、密着を深めているマリスの内腿を愛撫する。彼女の押し殺したような色っぽい息が項にかかった。
マリスの腕が絡みつくようにランスの前部に回されていく。独特の指使いで胸を、乳頭を丁重に洗っていく。
「それで最後にランス王、ポルトガルの処理に関してですが」
「それについてはコパンドンに全て任せようと思う」
「……コパンドン様に?」
マリスが手を優しく動かすたび、絹のような滑らかな質感が這いずる。心地よさに目を細めながらランスは自分の考えを話していった。
ポルトガルは質の良いうしの生息や広く整備された道路、多く集まる人口、企業といった商業によって発展繁栄した都市だ。それに唯一JAPANと繋がる天満橋もある。出来る限り早く経済を復活させてリーザスの要となってもらう必要があるので、それには商人であり類まれなる経営センスと都市運営経験をもったコパンドンこそが適任だろう。すでに彼女には話は通してあり、笑顔で胸を叩いて「うちに任しとき」という力強い返事をもらった。
そうしたことを伝えるとマリスは「なるほど」と頷いた。弾力に富んだ白い体が押しつけられていく。
「私に何の話もせず進めた辺りは少し文句をつけたくなりますが、判断そのものは悪くないと思います」
「俺様の采配は常に天才的だから当たり前だな」
「ポルトガルに変わって今後我々リーザスが交易を取り仕切るとしたら、JAPANとの関係は非常に重要になってきますね。隣国関係になった以上、互いの益の為になるべく友好関係を築かねばなりません。ヘルマンとの戦争での後ろの安全を確保する意味でも早く同盟を結んだ方がいいでしょう」
「ま、JAPAN国主は香ちゃんだし、その辺は難しく考えんでも簡単に決まると思うがな」
ランスは余裕綽々とした声音で言うと、つい今しがた思い出したように顔をあげて話を付けくわえた。
「ああ、そうだ、マリス。どっか物置でもいいからそこそこ広い空き部屋をひとつ用意しておいてくれ」
それ以上に全く詳細は述べることはしなかったが、マリスは全てを理解したように了承以外の言葉を返してきた。
「……シィルさんを置く場所ですか?」
その察しの良さにランスは内心で小さく舌打ちする。
全身に広がる石鹸の甘い匂いがここにきてやけに鼻に、つく。
既に二人の密着は隙間という概念を締め出すまでに至っていた。
「……ああ。JAPANと繋がったわけだし、こっちに運ぼうと思う。あんなもんいつまでも置いといたら香ちゃん達も邪魔くさいだろうし、あんまし迷惑かけんうちに引き取ってやらないとな」
ランスは鏡越しにマリスを見た。彼女の澄ました表情は相変わらず感情の機微が読みづらく謎めいた魅力が詰まっている。
しばらく見ていると鏡面に反射したマリスの視線とはっきりと合った。鮮やかな翠玉の瞳がこちらを絡みとって逃がさない。
「わかりました。ただ、一つだけお聞かせ下さい。何故そこまで彼女を救おうと……何故そこまで彼女に拘るのですか?」
「別に、こだわっとらん。奴隷を凍らせたままだと主人の俺様にとって格好つかんし、恥になるだろ。それに、あれだ。とりあえず美人と噂のカラーとやりたいからな。そのついでみたいなもんだ」
「ランス王――」
マリスの言葉はそれ以上音になることはなかった。
ランスは彼女の唇に自らの唇を被せるように押し付けて塞いだ。
話はもう十分。もうこれ以上交わす言などないはず。やわらかく蠢く唇を強引に包み込むと、押し倒す。
後は浴場の水音に卑猥な水音を絡ませていく響きだけしか二人の間に生まれなかった。
入浴と食事をさっぱりすっきり終えたランスは召使のサチコと身辺警護のチルディを伴って城内を漫ろ歩きしていた。
赤軍の兵舎に近い場所に差し掛かかったところで並々ならぬ気合いの声が耳に届いた。
気を引かれて練兵場を覗き込む。頬を熱気が打つ。四方を石造りの壁に囲われたそこは威勢の良い掛け声、金属のぶつかる烈しい音が満たしていた。
「ほう、戦が近いとあって中々精を出しとるじゃないか。感心感心」
汗みずくになって鍛錬に励む赤軍を眺めて、ランスは上機嫌に頷いた。
と、その中の一人がランスの存在に一早く気付いて声をあげて駆けよってきた。
「あ、王様、おはようございます!」
「おう、メナド。やってるな」
ランスの目の前にやってきたメナドは踵を鳴らして背筋を伸ばした姿勢をとった。
活発な印象を与えるショートカット。少し大き目の瞳はどこまでも真っすぐ前を見据えているようだ。
小柄ではあるが剣で鍛えたであろうしなやかで粘り強い体つきを持っていて、親しみ深さと独特の鋭さを同居させた彼女はどこか狩猟わんわんを彷彿させる。
そんなメナドの立ち姿は人一倍美にうるさいランスの瞳にも十分魅力的に映っていた。それだけにかなり気分良く対応した。
「お前のことは最年少で赤軍の副将にまで昇進した期待の若きエースと呼ばれてると聞いている。俺様も期待してる。頑張れよ」
「はい!」
元気溢れる返事が弾けた。
と、メナドはそこで深呼吸して「あの」と続けた。そして彼女に似合わず緊張したように身を固めると、先ほどから一転、声のトーンを落としておずおずと話しだした。
「王様……その、厚かましいお願いなんですけど、本当出来ればでいいんです」
「どうした? 好きに言え」
「ぼくの剣を王様に直接見てもらいたいんです。手合わせしていただけませんか」
「手合わせ? そんなお願いでいいのか? まあ、時間も十分あるし、別にかまわんぞ」
「本当ですか!? やったっ!」
今度はわかりやすいぐらいに表情がぱっと明るくなる。
そうした素直な感情表出は非常に好ましいと思えた。快活さに引っ張られるようにランスも口許を緩めていると、
「それならば私も一つお願いしたいな」
涼やかな声が聞こえた。そちらを見向くと汗で首筋に張り付く髪を払いながら近づいてくる一人の女性がいた。赤の甲冑でなく大陸では珍しい大袖を身に纏っている。
「何だ、戦姫もここにいたのか」
「体を動かさねばすぐ鈍ってよくない。だからこうしてJAPANにも名を轟かす赤軍の鍛錬に参加させてもらっていたのだ。それで、どうだ? 私とも手合わせしてくれるか?」
「君は相変わらずだな……。まあ、俺様としては相手してもいいぞ。その後俺様のこっちの相手もしてくれるならな」
「はは。貴方も変わらずだ。本気でやり合ってなお体力が有り余るのであれば、好きにしていい」
愉しげに語る戦姫。綻んだ口の合間からは微かな笑声が漏れ出る。
「キング!」
と、またまた声が掛かった。
三度目だったことよりも今度は男のものだったので、ランスの体がやや反応悪く億劫そうに振り向いた。
「……リックか。もう体の方は無事なのか」
少し前、シーザーとの戦闘でリックは重傷とまでいかなくともそれなりの傷を体に負ってしまった。そのためしばしの間、自宅で療養中だったはずだ。
「はい。今日復帰しました。今はリーザスにとって重要な時期ですからね。一軍の将がいつまでも休んでいられませんよ」
「そうか」
ランスとしてはもうそこで会話を打ち切りたかったのだが。リックは逆に弾むような調子で会話を続けようとする。
「キング、私も手合わせをお願いしてもよろし――」
「ダメだ」
「いでしょう……え?」
「ダメだ」
一刀両断。すっぱりとにべもない拒絶の言葉と冷たい態度で切り伏せる。
「俺様は非常に忙しい身なのだ。メナドと戦姫で丁度ぎりぎり。先着二名まで。もう定員は閉め切った」
「そ、そうですか。それなら仕方ありません」
リックはわかりやすいぐらいにがっくり肩を落とした。どよどよどんより雲が漂っている。
「あれ?」と声が上がったのはサチコから。彼女は小首を傾げると、
「王さま、さっき今日はすごく暇だから散歩するってお城をぶらぶらしてた――」
すぱこーん!
余計なことを口にしようとしたサチコの頭はランスによって思いっきりはたかれた。
「いたっ! な、なにするんですか、王さま!?」
「うるさい。無駄口叩いている暇があったら、お前も鍛練してろ。せっかくそんな馬鹿でかい盾を持ってるんだ。ここで少しでもそれを使えるよう訓練しようとかそういうことは考えんのか」
「そんな、鍛えるなんて無理ですよ。私は一般人で才能も全くないですし」
「そんなものわかりきってるが、お前今のままじゃ本当なんの役にも立ってないしな。無駄飯食いと言っていいだろ」
「無駄飯食い!?」
「ここで死ぬ気で頑張れば、ただの役立たずから弾避けくらいにはランクアップ出来るだろ」
「弾避け!?」
「チルディ、警護を主任務とする親衛隊は確か盾の扱いにも長けていたよな。こいつに基礎だけでも叩きこんでやれんか?」
「仰る通り親衛隊は盾の扱いも覚えますが、しかし私は盾よりもこっちの剣の方がずっと得意でして……」
「む、そうなのか。だったら、レイラさんを呼んで来るか。彼女は盾の扱いも相当熟練していたからな」
「お、お待ちになってくださいませ、ランスさま! 私は剣の方が得意とは申しましたが、何も盾を扱えないといったことは申しておりません。無論基礎も抑えておりますし、上に立つ者として後輩の育成にも尽力してますので、教えることにも決して支障はございませんわ。是非私めにお任せ下さい。期待に応えて、彼女を最高のガードにしてみせます!」
涼やかな目元に物凄い力がこもっている。チルディはサチコの腕をがしりと掴むと「こちらですわ」と奥へと引き摺っていった。
「……別にガードにしろとは言ってないが……まあいいか」
なったらなったでいいし、ならなくても別にいい。ぶっちゃけどうでもよい。
サチコのことはほっておくとして取りあえずメナドの相手をするべくランスも広い闘技スペースのほうへと移っていった。
軽い準備運動もとってなかったが、それでも十分であると相対した。二人の間は三メートルほどの距離が開いている。
静かに息を吸って、模範的とも思える基本の型に忠実な構えをメナドがとった。油断ないしっかりとした腰つきで実践されており、隙が少ない。
対してランスは自然体でいた。下げられた手には聖刀日光が刃を逆にして握られている。
「……ランス王。峰を使うくらいならいっそ摸造刀なりを使った方がずっと扱いやすいと思うのですが」
手元から日光が控え目な口調でランスに言った。しかしランスは首を横に振るう。
「いやいや、日光さんの方がいいぞ。握り心地が段違いだしな」
掌で日光の柄をにぎにぎとする。柄糸は柔らかくサラサラとしており、手に馴染む。まるで女性の上質な髪を撫でているような心地だ。
「……ん……あ、ランス王、来ますよ」
「む」
ランスは意識を前方に向ける。
メナドの前髪が跳ねた。一息で踏み込んで来る。
「たああっ!」
判断も、それに伴う動作も思い切りがよく、速い。
(まあ……俺様ほどではないんだが!)
襲いかかって来た刃が自分の体に触れる前にさっさと退避する。
短く飛んで着地。ランスは、日光の切っ先を僅かに上げた。
(さあて、どう攻めてやろうかな)
ランスは目を眇める。メナドの目を中心に見ながら視界に彼女の全身を捉える。
(おっぱいは……鎧に覆われている……。外に出てるのは太腿か腋だが……そこをせめるか……いや、いっきに抱きついて唇を奪うのも悪くないかもしれない)
頭の中にあるのはいかに事故を装いつつどうセクハラするかだ。
無論のこと手合わせに勝つこともきちんと考えている。
メナドを華麗に下した後、
『ふ、まだまだだなメナド』
『すごいです。流石は超スーパーエリート天才剣士としてその名を轟かせている王様です。ぼくなんか全然歯が立ちませんでした』
『ふ、メナドも決して悪くはなかったぞ。そうだな、よければこの無敵最強の俺様が手取り足とり腰取り指導してやろうか』
『きゃあ、王様素敵抱いて!』
そして夜の個人レッスンへ……というところまで青写真があったりする。
手合わせを申し込まれた時から、メナドと親密な関係になるのに利用する良いチャンスだと思いついたのだ。
(くくく、まずは攻める隙をつくる)
ランスは日光を無造作に振り上げた。
メナドは身構えて、そこから動かない。警戒しているのか。
だが、ランスにとってみれば、相手が仕掛けてこようが、受けに回ろうが、どちらでも良かった。
ただ相手目掛けて力任せに振り下ろす。
メナドは軽やかに回避に移った。空を切った日光の刀身がそのまま地面へと思い切り叩きつけられる。豪快な破砕音。床に敷き詰められていた石畳が砕けて大小様々な欠片が飛散した。舞い上がった大量の礫が視界を奪う。
ランスはにやりと口端を上げた。
(くくく……今だっ!)
身を沈めると、すかさず右手をメナドの体へと伸ばす。
その時――
ぷすり。
ランスの指先に鋭い痛みが走った。
「みぎゃあああああああっ!?」
絶叫が喉の奥から外に勢いよく迸った。
反射的に手を引っこめる。
(な、なな何が起きた!?)
ランスは目を白黒させる。
慌てて自分の手を確認してみると、そこには細い針のついた矢が刺さっていた。
(ふ、吹き矢だあ!?)
一瞬暗殺者に仕掛けられたのかと思ったが、そうした殺意は感じられはしなかった。毒も塗っていない。
とすると、いきつく相手は絞られてくる。
おそらくそこから放たれたであろう天井をちらりと見上げてみた。石と石の間、ほんの僅かばかり隙間が出来ている。そこにこちらを睨むように見ている人物がいるのを発見した。ランスもまた目を怒らして睨み返した。
「(かなみ、いったいどういうつもりだ!)」
「(どさくさにまぎれてメナドに手を出そうとしたからよ、バカ)」
「(なにいっ! それのどこが悪いんだ!)」
「(どこもかしこも全部悪い! 非常に不本意だけど、メナドはあんたに憧れてて、真剣勝負を望んでんだから、変な真似せずにきちんと手合わせしてあげなさい!)」
「(だから真剣に取り組んでるだろうが! 真面目に俺様とメナドの仲を進展させようとしてるんだ、こっちは!)」
「(ああもう、あんったはほんっとに何でそう……! ともかく! また妙なことしようとしたら同じ目にあわすから)」
「(ほほう。きさま……あとでどうなるかちゃあんとわかっていってんだろうなあ……)」
「(う……ぐ、わかってるわよ。嫌だけど、でも、私は、まだ我慢出来るから。だから、お願いだからメナドには酷いことしないであげて)」
切実にかなみが訴える。
ランスは笑う。そして舌を出した。べんべろべー。
「(~~~~っ。あ、あ、あんたってやつはっ! ぜっったい邪魔してやる!)」
かなみがわなわなと震える。頬を膨らませ、筒を咥えた。
ランスは鼻で笑って見せる。
(かなみごときが俺様を止めるとは笑わせやがる。なめるなよ、必ず、ここでメナドをモノにしてやるぜ)
口を歪めて瞳をぎらつかせる。
ランス対かなみの戦いの火蓋が切られた。
――。
十分後。
(何故だ……)
ランスは壁際で沈み込んでいた。右手には針の山が出来上がっている。
結局、あの後一度としてメナドの体に手が触れることはなかった。
最後の方などしきりにフェイントも交えて本気で仕掛けていったのにエロにいくタイミングが完全に読まれているかのようにかなみに阻まれた。これは一体どういうことか。
ランスの描いた青写真は粉々に砕けて、代わりにかなみの思惑通りの手合わせが演出された。
メナドは心底うれしそうに爽やかな笑顔と汗をきらきらさせて感謝を述べていった。だが、ランスの望んだものはそんなものでないのだ。欲しかったのはもっと大人な個人レッスンの時間なのだ。
(というか、日光さんも俺様のことさりげなく邪魔してきただろ)
(彼女は己の剣技を伸ばすべく純粋にランス王との戦いを望んでいました。きちんとそれに応えてあげないといけませんよ。おいたはほどほどに)
まるで年上のお姉さんに優しく窘められるような感覚で日光に諭されてしまった。
(くそくそ、つまらん。つまらーんぞ!)
ランスは仏頂面で唇を尖らす。
まったくもって面白くなかったが、それに加えて不愉快なことがもう一つあった。
メナドはランスと剣を交えた後、部下のもとに戻っていった。副将として再び指導にあたっているわけだが、その様子を観察する中でやたらとメナドに接触する一人の男がいることに気付いたのだ。
「あの男は何なのだ。先ほどからメナドの奴にべたべたしおって」
なにかメナドも楽しげなのが苛々を加速させる。
ランスとしてはぶちぶちと独り言をいっているつもりだったが、
「相手の方はザラック殿ですね。確かメナド副将とは恋仲ですわ」
背後からそれにこたえる声が聞こえた。振り向くといつの間にかチルディが警護のポジションに戻っている。
「なんだ、訓練はもう終わったのか? 随分と早いじゃないか」
「いえ、本格的な訓練はもう少し先にしたほうがよさそうですわ」
チルディは肩をすくめて流し目で横を見た。ランスもそれを追いかけるように視線を動かしていくと、死んだように床に倒れて息を喘がせているサチコがいた。
「まず基礎体力が足りませんから」
「ああ、そう……」
ランスは話と視線をメナドと男に戻した。
「んで、あいつとメナドが恋人っていうのは本当なのか?」
「はい。割と有名ですね。メナド副将は私に次ぐ若手実力派女性剣士ですし、ザラック殿もそれなりに注目されている方ですから、カップルとしてはよく知られているほうかと思います」
「男のほうも有名なのか?」
「赤軍エリート隊員で顔もよいときてるので、少なくとも女性ばかりの親衛隊ではよく話題になりますね」
「なんだと、まさかお前まであんな奴がいいとか言ったりしないだろうな」
「いえ。私は自分より強い男性にしか興味ありませんから。いくら精強で知られる赤軍の隊士と言えど、彼は実力的にはまだまだですわ」
「強い男性? ほう! とするとやっぱり世界最強の俺様が好きということか。だろうな、それで正解だぞ、がははは」
下降気味だった機嫌が少し持ち直す。
やはり美女が俺様に惚れるのは当然のことなのだ。ランスはそこで冷静に考える。
――この世にランス以上のいい男は存在しない。つまり美女や可愛い子はランスと付き合う以外の選択肢が存在しない。よってメナドがあんな男と付き合っているのは明らかに間違ったことである――全く穴のない完璧な論法だ。真理に辿りついたランスは強く頷くと、
「おい、リック!」
リックを呼び付けた。彼は少し離れた場所で戦姫と何やら熱く語り合っていたところだった。軍事に通じる上、戦闘狂同士とあって戦談議に花を咲かせていたのかもしれない。さすがに王からの呼び出しとあって話を即時中断すると、こちらに急いで駆けてきた。
「どうかいたしましたか、キング」
「あれを見ろ」
ランスはくいと顎でメナド達を指し示した。リックの視線は一度そちらに行ってから疑問符をのせてランスのもとに戻って来た。
「メナドとザラックがどうかしましたか?」
「どうかしましたかではない。部隊内恋愛などどう考えても支障が出るだろ。おまけに副将と隊員の恋愛だぞ。問題大有りだ。何であんなことを許している。即刻別れさせろ」
「……ほんと口では実に鹿爪らしいこと仰いますわね」
側でチルディが呆れたように息を漏らすのが聞こえた。
リックは困ったように身じろぐ。忠の字が記されたヘルメットが小さく揺す振れる。
「そう仰られましても、我が軍では恋愛は禁じていませんし、それにメナド副官は、そうしたことに関しては公平で信用に足る人物と私は思っています。今のところ他の部下からも特に不満を受けていませんが」
「今問題が起きていなければいいというもんではないだろ。あいつはきっと、メナドを利用して甘い汁をすすろうとする真性クズに違いない。今の内別れさせないと直にその正体を表して取り返しのつかないことが起こるぞ。赤軍と未来のエースのためにはすぐに別れさせた方がいい」
「キング、さすがに憶測で物を言うのはよろしくありませんよ。ザラックは私が見る限り、まじめな隊士です」
「それはそいつが上官の前だといい子ぶる狡猾なやつだからだろ、騙されとるんだ、貴様も!」
「ランスさま、もうその辺にしておきませんか? メナド副将も幸せそうですし、邪魔立てはよくありませんわ。それに別に良いではありませんか。メナド副将に手を出さずともランスさまにはリアさまを含め沢山の美しい女性が側におりましょう」
チルディが淑やかな挙措で遮る。
しかし、ランスは己の完璧な論法が展開されている以上抗い続ける。
「俺様はメナドのこと思って言っているんだ。あんな男では彼女が不幸になってしまうぞ。メナドを幸せに出来るのは俺様だけ――」
喋っている途中でむんずと掴まれた。戦姫だ。
「もういいだろう。そんなことに力を使うより、私との手合わせに力を注いでくれ。ほら、行くぞ」
「むがー! みとめーん! 美女も可愛い子も全部俺様のもんなのにー!」
なおも粘り強く主張するが、誰も相手しない。ランスの体は戦姫に力ずくで引き摺られていく。声がドップラー効果を効かせてむなしく響きわたるだけだった。
◇
かつて大陸の中央部にはキナニ川と呼ばれる巨大な河川があった。
キナニは中央大地の豊かさの象徴であった。定期的に川が増水することによって上流から運ばれてくる泥土が肥沃な土地を生む。流域には穀倉地帯が形成された。
しかし、中央大地は様々な勢力に囲まれ、開放的な土地であったためにその豊かさを巡って多くの侵略にさらされる場所でもあった。
そうした人の争いが激化していった末、キナニはその繁栄に終止符を打つことになる。
GI816年。やはりキナニが原因で勃発したゼスヘルマン戦争。度重なる侵略の問題に頭を痛めていたゼス国王に国内の預言者がある助言をした。それはキナニとは人類の戦乱と混沌を生む為に作られた忌まわしく呪われた土地であり、消滅させるのが人類の未来のためになるというもの。病的なまでに預言者を信仰していた当時のゼス国王はその言葉に従った。安寧秩序の為、河谷に集住する民と土地を犠牲にすることが決められた。
完全に滅ぼすという目的の為、禁呪という禁断の手段まで講じられ、中央大地はありとあらゆるものが砂と化した。キナニの繁栄は影も形も消え、誰にとっても攻める魅力のないただの広大な砂地となったのだ。
それが一般的にキナニ砂漠という地名で呼ばれるようになったのは、やはり最も有名だったキナニ川からとられたからである。だがしかし、その意味合いは少し後に変わることになった。砂漠地帯の中心にオアシスが発生したのだ。それはつまりそこに水源があることを意味する。かつて恵みを与えたキナニの偉大なる川は決して死んでいなかったのだ。
キナニが逞しかったのか、禁呪が不完全だったのか、はたまた神の慈悲があったのか、それは不明だ。しかし、キナニの水はひっそりとであるが、確かにこのキナニ砂漠に息づいていた。再び豊かさを取り戻すように。
さて、そのオアシスであるが、実のところ最初に発見したのは人間ではなかった。では、誰だったかと言えば、ハニーである。人間が見向きもしない土地となって寄りつかなくなった土地にひょっこり現れたハニーたちが秘密の遊び場としたのがオアシスの都の始まりだった。
「ここがぼくたちの理想郷だ、わー」と、ハニーらの楽園がつくられ、彼らはそこをシャングリラと名付けた。シャングリラで悠々自適に暮らしていく中で、キナニの恵みか、そこの環境がよほど彼らにあっていたのか、突然変異のゴールデンハニーが多く発生するようになる。まさにハニーの黄金時代が築かれた。だが、盛者必衰は世の常。ハニーの絶頂も長くは続かなかった。最終的に彼らは眼鏡っ子に関する喧嘩が原因で勝手に滅んでしまったのだ。そうして大量のゴールデンハニーの死体が埋まることになったオアシスの楽園は莫大な金を産出する土地となった。キナニの黄金郷の誕生だった。
「うっさんくせー伝説だ」
ランスは鼻で笑うとたった一言で片づけた。
表紙にシャングリラ伝説と書かれた本をぱたんと畳んで放り投げると、玉座の側で控えるマリスを見た。
「まあ、ハニーがどうとかそんなことはどうでもいいんだ。美人のねーちゃんさえいればな。んで、今のとこパシリくんたちの調査はどんな按配だ?」
「現時点で14組ほどの冒険者が挑戦しましたが、まともな成功者はいませんね。今も続々と挑まんとする人は出てはいますが、あまり期待できそうもありません」
「それだけ苛酷なとこなのか、ただ単に冒険者どもが雑魚なのかよくわからんな」
「中にはある程度名の知れた冒険者もいたので前者と思いますが、やはり直接体験したものにどういう場所だったか聞いてみるのが一番ですね」
「ほう? 全滅というわけでなく一応生き残れたやつがいたのか?」
「一名ではありますが、何とか逃げ帰った者がいたそうです。謁見の間に呼びますか?」
「ふん。俺様直々に話を聞いてやろうじゃないか。連れてこい」
椅子に踏ん反り返って、命令を出す。
しばらくして謁見の間に現れたのは若い女の冒険者だった。長いきざはしを挟んだ先で跪いて頭を垂れているのでその顔はよくわからなかったが、遠目に見た感じでも、雰囲気からしても間違いなく美人だとランスの勘が告げていた。
果たして「面を上げろ」の声とともにこちらを見向いた顔立ちは綺麗に整っていた。しかし、ランスはその容貌をどこかで見たような既視感を感じていた。首を捻ってまじまじと見つめる。
「あれっ? お前は……?」
「あーっ!」と声を上げたのは女冒険者。
「あああ、あんた、ゼスのレイプ魔っ!!」
その物言いで既視感の正体をはっきり掴む。彼女は以前ゼスで仕事をした際に出会った同業者だ。
「レイプ魔とは失敬な。君に世の中の厳しさを教えた人生の師だろう。感謝してほしいくらいだ」
ランスは眉間に皺を寄せて言う。
「何が感謝よ。あんたのせいで私の大切な……大切な……ううぅ」
「ねえ、そこのあなた」
その時、全く温度を感じさせない低い声がランスの隣から飛んできた。
「今あなたのいる場所がどこか、あなたを相手している者がどういう立場の人間か、ちゃんと理解している?」
女冒険者はひっと喉からひきつった悲鳴をあげる。顔面を蒼白にして、かわいそうなくらい縮こまって平伏した。
それを満足そうに見下ろすリア。ランスはそんな彼女の高くなっている鼻をつまんだ。
「おい、リア、いちいちそんなんせんでいい」
「ぶー。だってだって」
「まあいい。ともかく、シャングリラの話だ」
ランスは、肝心な話にもっていった。
女冒険者――シトモネ・チャッピー――からキナニ砂漠のことについて聞いていく。
やはりというか、数多く冒険を経験した熟練者にとっても、探索は容易にはいかないらしかった。目印になるものが全くなく、方向を見失いやすいこと。また、風で刻一刻と地形が変わり、正しい道がわからないこと。そして、それを理解した上でなお進もうとしても流砂という存在が行く手を阻む。これが気づかぬうちに足元に現れ、人間を引き摺りこんでいく。それで多くの冒険者が命を落としたというものだった。
「冒険者が進む先々に突発的に出現して飲み込んでいく流砂ねえ……。明らかに普通じゃないな」
ランスは眉を寄せた。
「そこまでいくとただの厳しい自然現象に阻まれているというより、何者かが邪魔する意志をもって手を加えていると考えるのが妥当だろうな。そして、進むことをそれだけして阻むっていうことはつまりどうあっても進ませたくない、守りたいだけの何かがあることの証拠だ。どうやらキナニ砂漠にはそれだけの何かがあるのも間違いないようだぞ」
「伝説ではシャングリラは大地の女神の加護を受けた地などと言われてますが、あながち冗談じゃすまなくなってきましたね。仮にそれらが偶然でなく、何者かが故意に引き起こしているのだとしたら、それはつまりあの地域全体を操れるだけの強大な力を持っている存在が守っているということになるのですからね」
マリスが苦い表情をして呟く。
「こうなると絶対シャングリラにはいかなきゃならんな」
「こうなれば絶対シャングリラに行くのはよしたほうがよいでしょうね」
ランスとマリスが同時に言って、同時に顔を見合わせる。
ゆらりとランスの目が細まる。ぴくりとマリスの片眉があがる。
「マリス、わかってるのか? あそこには間違いなく、ものすごいものが隠されていると確証出来たんだぞ。無視できるか」
「ランス王、理解してますか? あそこには間違いなく、物凄い力を持った何者かが潜んでいると察知出来たのですよ。相手にせぬべきです」
頑とした響きが固くぶつかる。
ランスは玉座に背を預け、見下ろす。マリスは背筋をピンと伸ばし、見上げる。
譲る気がないのはどちらも一緒のようだった。しかし、二人の間にははっきりとした力関係がある。ランスは自分が持つ最高の切り札を切った。
「シャングリラへ行く。俺様が決定したことだ。これは王命だ。逆らうな」
その言葉にマリスは沈黙する。観念したように目を閉じて、ふぅと小さく息を吐いた。王の言葉は絶対の力を持つ。
「……わかりました。しかし、道なき砂漠と流砂、そして正体不明の砂漠の守り手といった問題をどうクリアするおつもりですか?」
「ふーむ、そうだなあ……」
ランスは手を顎に添えて一つ撫でた。
思案を巡らしていく。勘とひらめきこそがランスに進むべき道を与える。
そして数秒して、「よし」と手を軽く打ちならした。
「とりあえずマリアと、あとサテラを呼んでくれ」
-来水美樹の私室-
美樹の警護についていたラ・ハウゼルはある異変に気付いた。
だだっ広い室内では美樹がお菓子をつまみ、サテラが粘土をこねていて、シーザーがそれを見守って、そしてつい最近復活した健太郎が何やら無生物とコミュニケーションを試みている。一見すれば、わかのわからない行動をとっている健太郎が異変であることに思えるが、彼はもともと"そういう人物"であり、以前会った時からそれを知っているハウゼルはそれが異変であるとは認識していない。
ハウゼルが違和感を感じたのはサテラだった。彼女は粘土をこねている。それ自体は確かにいつものことだが、何故かやたらとそわそわとしているのだ。集中してないためか、手元の粘土は先ほどからろくに形をなす気配がない。こんなことは普段ではありえないことだった。彼女が魔人に成ったころから今の今までで初めてのことかもしれない。それだけに気になって本人に訊ねようという気になった。
「ねえ、どうかしたの? サテラ」
「…………」
「サテラ?」
二度目の呼びかけでようやくはっとサテラの顔が向いた。やはりいつもの彼女と違う。
「珍しくぼうっとしてどうしたの?」
しかし、サテラは答えない。意味無く手の中の粘土をこねこねして弄っているだけ。
「話したくないのなら、いいんだけど」
同僚だから友人だからといって何でもかんでも踏み込んでいいものでないし、逆にそういう関係だから話せないようなこともあるだろう。ハウゼルは気にはなったが無理に聞きだすような真似はしなかった。
やがてサテラの手が止まった。彼女の口が言うか言うまいかの逡巡の動きをする。そしてぽつりとだが、呟いた。近くだからこそかろうじて聞こえる声量。その内容は「……今さっきランスから呼び出しがきた」というものだった。
たったそれだけの言葉だったがハウゼルは得心する。ランスからの呼び出し。様子が少し変だった原因はつまりは"そういうこと"だからだ。理解すると同時、後悔もした。これは聞くべきでなかった。というよりサテラもサテラで口になどせず心の中に留めておいてほしかった。
こういう時、どういう言葉を返せばいいのか困る。散々言葉に迷った挙句「そうなの」という無難な相槌を返した。それ以上会話は流れない。二人の間を長い沈黙が流れた。何とも言えない微妙な空気が辺りを漂う。とても落ち着かない。
流石に耐えきれなくなり、自分から聞いてしまったこともあったのでハウゼルが別の話題を振って空気を変えようとした時、サテラがまた口を開いた。
「ハウゼルは、その、もう、ランスとえ……エッチなことしたんだろ?」
空気が変わるどころか、おかしな方向にねじ曲がった。何と彼女は"この話題"を続けるつもりでいるらしい。
またしてもハウゼルは返答に窮した。質問が質問だ。いや、正確に言えば、これは訊ねているというよりも確認の意味でいった言葉だろう。サテラはその答えに関してはもう知ってはいるのだ。だから、さらに続けた。
「どんなん、だったんだ?」
ハウゼルは魔人として千年以上生きる中でともかく逃げ出したいという気持ちに駆られたのはこれが初めてだった。
「どんなって言われても……」
ハウゼルの頭に王の姿とあの時の情事が強く呼び起こされた。頬の熱くなる思いがするが、何とかそれ以上表情に出さないように制する。そんな顔を同僚に見られたくはないのだ。
ある意味でケイブリス派の魔人以上ともいえる強敵が現れてどう対応すべきか考えあぐねていると、
「嫌な、感じだったのか……?」
こちらが上手く答えられないのをサテラはネガティブな意味合いで捉えたらしい。
ハウゼルはサテラを見た。彼女の瞳の色が深い。真剣さや不安といったものを湛えて真っすぐ見つめてきている。緊張、恐れ……決してそれを情けないとは思わない。ハウゼルも彼女が漠然と抱いているだろう気持ちはよくわかるからだ。だからこそ多少の気恥ずかしさは押し込めて真摯に答えることにした。
「そうね……嫌かと聞かれたら、少なくともそうしたものは私は感じることはなかったけど……」
考える間を十分空けた末、
「不思議な感じだったわ」
不思議。いささか抽象的だが、ハウゼルにとってはこの言葉があの時の情事を言い表す全てだ。
ハウゼルにとってあれは初めてのことだった。しかし、だからと言って決して何も知らなかったというわけではなかった。行為をするのは確かに初めてでも、知識はあったのだ。というより、人間のセックスというのを直に見た経験が幾度かある。脳裏に焼き付いているのは柵の中に押し込められた人間の男女の群れが暗い瞳に絶望を滲ませ、歪んだ笑みを浮かべて、絶望の嘆きを喘いで、狂ったようにまぐわう光景。思い出すのも忌まわしい記憶だ。それがあっただけに、それが唯一の人間のセックスに対する知識であったが故にランスに体を求められた時は実は内心で恐ろしくもあった。そうしたイメージにまずひびが入ったのは姉との行為が告白されたことによってだ。姉がそういう行為を平気でしていたことと、自分の体を訪れた快楽の正体を知らされた時はだから本当に衝撃だった。本能としての性的な意識からくる羞恥と経験としての性的な意識からくる恐怖がせめぎ合った。恐怖が完全に崩れさったのは、実際に行為をした時だ。暗さの欠片のない本当に楽しそうなランスの表情も痺れるような心地も何もかもが驚きの連続だった。
ただただ新鮮だった。その新しい感覚の訪れは戸惑いよりもむしろ好ましさを感じた。なにせハウゼルをはじめとして魔人という種族は寿命がなく、途方もない時間を過ごしていく。何百年も生きれば、そうそう新しい発見などなく、退屈な時間が過ぎていくだけ。この先も縛された上で果てなく続く怠惰と惰性の生の道しかない。故に、多くの魔人は退屈を持てあまし、それと戦い、常に刺激を欲している。ケイブリス派の魔人がシンプルに暴れられる世界を望むように魔人というのは元来そうした生物なのは否定できない事実でもある。
ランスと、そしてランスとしたHはまさに刺激の塊と言ってよかった。あそこまで心を動かされたの久しぶりのことだ。全てが未知で、それだけに不思議な印象ばかり。抱きしめられることがあんなに熱く、温かく、柔らかく、固く、優しく、激しく、逞しく、穏やかで、快いものであるなんて知らなかった。ハウゼルは今思い返してみても、やはり言葉には言い表せないと思った。
「……よくわからないな」
サテラが難しそうな表情でつぶやいた。やはり漠然とし過ぎて掴めなかったのだろう。
「そうね。サテラに一番わかりやすく伝えるとするなら、たぶん、あなたがランス王と接しているときに得られる感覚とそう変わらないと思う。より強いか弱いかの問題で、結局はあれもコミュニケーションの一種だろうから」
「? サテラがランスと接しているときに得られる感覚?」
サテラは過去を振りかえって、しかしピンとくるものがないのか、ますます謎が深まっているという感じだった。
「変なやつだくらいしか思わないが……」
(それが、おかしなことなんだけどね)
魔人が人間の個にたいして意識を向ける。考える。悩む。印象を持つ。どれも異常なことだ。サテラが魔人として新生したときより側でずっと見てきたからこそ彼女に起きた小さな変化がわかる。思えば、丁度人間領に行って戻って来た時ぐらいから彼女の表情は生き生きしていた。あの時は、仲間が減った事と、失態を取り返す為に頑張っているだけだと思っていたが、そうではないのだ。ハウゼルは察した。ただ、とうの本人はそのことをまだ気付くに至ってはいないようだ。
「まあ、少なくともそんなに怖れる必要はないってことだから安心して」
「む。サテラは別に怖れてなんかないぞ」
サテラはむっと頬を膨らませる。
「そう」とハウゼルは小さく笑みを口許に刻んで頷いた。
「ほら、あんまり待たせても悪いから、そろそろ行った方がいいんじゃない?」
「ん、そうだな。ランスは馬鹿で短気だからな。ちょっと遅れたらまた下らないこと言われかねないし、もう行くとする」
意気込むように腰を上げる。彼女は「魔人の誇りを見せつけてくる」とまるで戦いに出かけてくるような口ぶりで言い残すと、緋色の髪をぶんぶん揺らしながら部屋を出ていった。
いったいどう見せつけるのかよくわからないが、サテラなりの決意の仕方なのだろうと納得して、ハウゼルはさらに笑みを深めながらそれを見送った。
-謁見の間-
「なんだ、それは」
落胆やら、愕然やら、不満やら、安堵やら、苛立ちやら湧き上がる諸々の思い全てがその一言に集約された。
覚悟を決めてランスのとこにのりこんだサテラだったが、現在は憮然たる面持ちでいた。
「だから言ってるだろ? シャングリラに行くからそこにお前にもついて来て欲しいって」
ランスが傲然と言う。頬杖ついて高く足を組んで、本当に偉そうな風情だ。それがサテラの神経を逆なでする。
「そんなことのために、そんな下らないことのためにわざわざこの忙しいサテラをここに呼んだのか?」
サテラは睨むような視線とひどく無愛想な口調で応じた。
「忙しいってどうせ美樹ちゃんの部屋で粘土こねていただけだろ。暇なんだからついて来い」
「断る。何でサテラがそんなことしなきゃならないんだ。自分だけで行けばいいだろ。用件はそれで終わりか? なら、もう帰らせてもらうからな」
サテラは言い捨ててさっさと踵を返す。玉座から伸びる赤い絨毯を荒々しく踏みつけながら出ていこうとした。が、
「俺様に負けたのだーれだ」
サテラは足を止めた。止めざるをえない。
「む、むぐぐぐ……」
強く歯噛みして呻きを漏らした。
ランスの表情は勝ち誇る様ににやついている。
「サ、サテラには、美樹様の警護任務があるんだ。レイも逃げたまま行方不明だし、またいつケイブリス派の魔人が来るかわからない状況だ。サテラが離れてもしものことがあったらお前にも都合が悪いだろ」
小やかな抵抗はしてみるものの、
「ハウゼルちゃんがいて、健太郎のやつも復活したから少なくとも魔人二人が側についているわけだろ。別にそんなに長い間離れるわけじゃないし、それで大丈夫だろ。何かあったならば、すぐ戻ればいい」
「む、ぐ」
「よし、決まりだな」
ふふんと御機嫌の笑みを浮かべるランスに押し切られてしまう。
結局、勝敗を持ちだされては不承不承に受けるしかなかった。
むすりと不機嫌に頬を膨らませるサテラ。未だ胸はいらいら、もやもやとしている。
ハウゼルの言っていたランスと接しているときに得られる感覚はサテラにはやっぱりよくわからなかった。
-チューリップ研究所-
まるで戦争でも起こった後のようだった。熱や鉄と油の臭いが辺りを包む中、床には工具や鉄材が無残に散らばっており、何人もの研究員たちがぐったり倒れこんでいる。
「……とりあえず頼まれたもの完成したわよ」
「それはいいが……マリア……お前ひっでえ顔だな」
ランスはかなり引き気味に言った。
目の前には幽鬼……ではなく、マリアがいる。眼鏡の下の虚ろな目には巨大なクマが出来ており、リボンもない髪は乱れに乱れ、頬が痩けた上に肌の血色は悪いというマリア(?)と呼びたくなるような存在ではあったが。
「こっちは徹夜も徹夜よ……あなたから出された無茶な要望にこたえるために、ね……」
「そ、そうか……ま、まあ御苦労だった。後で飯も睡眠も好きなだけとってくれ」
「そうさせてもらう。出発は明日の朝でしょ?」
「うむ。明朝シャングリラに向かう」
「でも、大丈夫なの?」
欠伸をこらえた表情でマリアが訊ねる。
「何がだ?」
「だって、ヘルマンとの間の緊張が高まっている中で王様が国から離れて探索に出かけるなんて」
「ヘルマンなんざもう死んだも同然だろ。反乱勢力が怖くてろくに兵を送りこめないんだからな。むしろ、こっちに攻め込む気ならはやく動いてほしいぐらいだ。そのほうがさっさと片付いて楽だ」
「えー……?」
マリアはランスから隣のマリスへと視線をスライドさせる。そこでようやく「そうね」とゆっくり頷いた。
「マリスさんが何も言わない……なら、大丈夫か」
「なんだその俺様に対する露骨に失礼な言動は……」
「私にとってはヘルマンなどよりも未知のシャングリラのほうがよっぽど心配ですが……」
マリスが憂える声音で呟く。ランスはその肩を大きく叩いた。彼女から向けられる視線を不敵に受け止める。
「案ずるな。"これ"が完成した以上、シャングリラもまたもう攻略したも同然だ」
ぽんと手をついてそれを撫でる。
「道なき砂漠? 流砂? それが何だ。俺様には関係ない。何せ――」
にやりと笑って、視線をゆっくりもち上げる。
巨大な鋼の影。まっすぐ左右に伸びた翼。そしてプロペラ。
「――空から行くんだからな」