「ん、これは迷ったかな?」
前後左右、見渡しても視界を占めるのは竹、竹、竹。
緑が八にその他が二、という風情の竹林の真ん中で、足を止めた夜智王は焦った風でもなく、ぽつりと呟いた。
ここは「迷いの竹林」
その名が示す通り、よほどに慣れたものでも無い限り道に迷うという、幻想郷でも屈指の難所である。
むろんそれは常人の話であって、妖怪である夜智王は空を駆ければそれで済むだけのことなのだが。
ふらりふらりと夜智王は竹林の中をうろつく。
本人は気にした風ではないが、竹林はざわついていた。
争いごとを厭う穏健派とはいえ、夜智王は「大妖怪」に分類される蛇妖である。
そんな物にテリトリー内を徘徊されれば、住人達が怯えるのも無理もない話であった。
「おい」
「ん?」
そんな夜智王を咎める者があった。
薄紅色の洋装に身を包み、頭部からは兎耳を生やした少女である。
「なんだてゐか……実に久しいな何百年振りだ?」
少女の名は因幡てゐ、見た目こそ幼いが、神話の昔から生きている幻想郷でも最年長の妖怪の一人、かの因幡の白兎。
幻想郷の兎(含む妖怪)を束ねる大親分である。
「熊みたいにうろうろすんのはやめておくれよ夜智王」
なんの用だよ?ここはあたしの縄張りだぞ。とじろりとてゐは夜智王を睨みつける。
「まぁまずは再会を祝して一献だ」
「あいかわらずだな、お前は……ちょっと先に拓けた場所があるよ」
てゐの案内で竹藪が拓けた、夜になれば月を眺めるのに都合の良さそうな広場に出る。
丁度いい具合の石が並んでおり、二人は向かいあって腰を下ろす。
夜智王は酒杯を二つ取りだし、一つをてゐに渡して酌をする。
手酌で自分の杯を満たすと「再会に」と乾杯をして一気に干す。
「うまい、いい酒だな」
「であろう?薩摩の芋焼酎だ」
「ふぅん?……んっんっ……ぷはぁ!おかわり!」
「おう、いい飲みっぷりだなぁ」
嬉しそうに夜智王は突き出された杯に酒を注ぐ。
蛇と兎、奇妙な取り合わせのささやかな酒宴が始まった。
「すっかり大事になったな」
「いいじゃないか楽しくて」
最初は二人だけだった酒席は気がつけば、騒ぎを聞き付けたてゐ配下の妖怪兎が一匹、二匹と増え。
玉兎……迷いの竹林にある月人の住まい「永遠亭」に住んでいる、月の兎も参加してのちょっとした宴会になったのだ。
愉快などんちゃん騒ぎが続き、妖怪兎も玉兎もすっかり酔い潰れて眠るなか、最初から呑んでいるはずの二人は変わらず酒を酌み交わし続けていた。
「う、や……やめ、う~ん……」
夜智王とてゐに散々セクハラされた玉兎が、夢でもセクハラされているのか?何やら寝苦しそうである。
そんな玉兎に膝枕を貸してやながら、時おり頭をなでてやっているてゐは「そういえば」と思い出したように夜智王に問うた。
「結局何しにきたんだっけ?」
「稗田の阿礼乙女、阿求が寝込んでな」
「ああ、あの娘か、良く有ることだね」
ウチの師匠がウキウキして往診に行ったよ。と意地悪そうに兎は笑う。
「尻に薬を突っ込まれたと愚痴を溢しておったぞ?」
「割りとサドっ気があるからなあの人も」
求聞史記(阿求の書いた幻想郷の紳士録的なモノ)に書かれた際の記述を、根にもっていたらしい。
「月の賢者殿も、存外に大人気無いな」
いい年をして……と夜智王が嘯くと「お前が言うな」とてゐがつっこみ、夜智王も「お主もな」と返す。
一瞬黙りこみ顔を見合わせ、次の刹那二人でカカ大笑する。
「あー可笑しい……それで?」
「ああ、大分元気になったのでな、何か精のつくものでも食わせてやろうと思うてな」
「兎鍋か」
阿求の好物である兎肉、兎鍋、それは二人共通の知人である阿求の前世、稗田阿礼の好物でもあった。
「ま、そういうことよ」
「九代目はいくつだ?」
「十と少しだな」
「……あと二十年も生きやしないんだな」
ひどく老成した、外見ににつかわしくない声音でゐのは言った。
「そうだな」
夜智王はなんでもないこと、当たり前のことように素っ気なく返す。
神代の昔から生きる二人の間に、重苦しい沈黙が落ちる。
「いいよ」
「良いのか?」
ここに棲む兎達は言わばてゐの眷属である。
「あいつなら、好きな物くらい腹一杯食わせてやってもいいかな」
老い先短い人生なんだからさ、とてゐは皮肉っぽい口調でいいながら、優しい笑みを浮かべた。
夜智王はあえて礼は言わず、黙っててゐの杯に酒を注ぐ。
ぐい、とそれを干した後、ややうろんげな瞳でていは夜智王を睨んで釘を刺す。
「ただし夜智王、お前はウチの子分達には手ぇだすんじゃないよ?」
「鈴仙は?」
「ダメにきまってるだろうが」
「おぬしは?」
「断る」
「ケチ臭いのぉ」
それが別れの言葉になった。
夜智王はひらひらと後ろ手に手を振りながら竹林へと消えていく。
てゐは黙ってそれを見送った後、はたと気がついた。
「あいつ……迷ってたんじゃなかったっけ?」
「いかん、格好つけんで道案内を頼むべきだったな」
まぁなんとかなるだろう。
いよいよとなれば飛んで脱出すれば良い。
暢気な夜智王の眼前に一軒家が現れた。
「うん?」
庵と呼ぶには若干苦しいあばら小屋である。
「おう、これはいいな」
夜も深まり冷えてきた、夜露と夜気をしのぐのに使うには丁度良い。
夜智王はそう決めて小屋に足を向ける。
無論誰かの住処だとは考えもしない。
だが
「誰だ!」
縁側から屋内にあがろうとした蛇に鋭い誰何の声が飛んできた。
おや?と聞き覚えのある声に夜智王は首を傾げる。
はて、この声は誰であったか。
思案しているとガラリと雨戸が開く。
そこから現れた一人の美少女に「ほぉ」と夜智王は感嘆の声をあげた。
白磁のように白い肌、色素の薄い髪、赤い瞳。
細い頤、切れ長の眦、通った鼻梁。
ひどく美しい少女であった。
警戒していたのだろう、つり上げられた瞳が夜智王を認め、はっと見開かれる。
ぽぉっと右手に灯されていた炎をくしゃりと握りつぶす。
「夜智王……」
「今宵は懐かしい顔にばかり合うのぉ……久しいな妹紅。相変わらずそなたは美しいな」
「当たり前だろう馬鹿蛇」
面と向かっての賞賛を少女……藤原妹紅は素っ気なく返す。
不老不死である彼女が「変わる」ことは無いのだ。
「ワシは外面だけを美しいと言っとるのではないぞ?」
「はいはい、ありがとさん。お前も変わらないな」
やや呆れた様子から見るに、二人はそれなりに親しい仲であるようだった。
「ここは妹紅の住処か?」
「そうだよ……なんだよそのは」
「辺鄙な所に、物好きだと思ってな」
「余計なお世話だよ!お前こそ、その“辺鄙”な所になんの用だよ?」
「それはな……」
かくかくしかじか、と夜智王は事情を説明する。
「そういうことか……」
「すっかり迷ってしまってのぉ、もう遅いし、一晩泊めてくれんかの?」
「泊まるだけか?」
「先刻まで兎達と宴会しておったので、妹紅とはまた明日呑むとしよう」
「あたしと呑むのは確定事項なのか」
「土間の隅で良いから貸してくれんかの」
「……まぁ、いいか」
いつまでも立ち話をなんだしね、と呟き妹紅は夜智王を家にあげる。
独り暮らしの女子の家である、わくわくしながら室内を見渡した夜智王は思わずもらした。
「なんじゃこれは」
「なんだよ、ボロくて悪かったね」
「そうではなくて……畳は?」
「無いよ」
「……そなた寝具は?」
「無い」
「なんと……」
ガランとした屋内には家財道具の類いは見当たらず、ひどく殺風景で、人が住んでいるようには見えなかった。
わずかに着替えが納めてあるとおぼしき長持ちがぽつんと片隅に無造作に置かれていた。
「なんだよ」
「……これでは冷えて眠れん」
使われた形跡のない囲炉裏に火を入れ、壺中天から毛皮の敷物や寝具を取り出してせっせと夜智王は寝床の準備を始める。
その様子をぼぉと妹紅は壁にもたれて眺めている。
「まぁこんな所か」
「ちゃんと持って帰れよ」
「何か言ったか?」
「……はぁ」
聞こえていないわけがないというのに、愁いの濃い嘆息をする妹紅。
どうせこの蛇のことだ敷物も寝具も置いていくつもりだろう。
お節介が煩わしい、だが、嫌ではない。
感情などとうに枯れ果てたと思っていたのに何故だろう。
思い浮かぶのは人里で寺子屋を営む、お節介な友人の顔。
物思いは唐突に中断された。
ぐい、と夜智王が妹紅を抱き寄せたからだ。
「なんだよ」
「寒くて敵わんのでな、少し熱を分けてくれ」
やめろよ、と思いながらも妹紅は夜智王を振り払えなかった。
「お前、相変わらずだな」
「そなたは変わったな、慧音殿のおかげかな?」
「そう、かもな」
「今のそなたの方がわしは好きだな、とても、愛らしい」
誰にだってそう言うくせに、そう思いながらも、妹紅は夜智王の腕に抱かれる心地よさについつい身を委ねてしまった。
最初の出会いは最悪だった。
自分が一番荒れていた頃、手当たり次第に妖怪を殺して回っていた頃。
完全に正気を失った夜智王と戦い、破れ、乱暴された。
「初めて会った時の事、覚えているか?」
「忘れるわけなかろう……正直、忘れてしまいたいがな。妹紅のおかげで正気に戻れた、今でも感謝しておるよ」
二度目の出会いも最悪だった。
生きることに疲れはて、心が死にかけていた頃、場末の女郎屋でただ腐れ落ちていく寸前、夜智王に救われた。
人里離れた山奥で、暗示を掛けられて、夫婦として数年過ごした。
妹紅としては、忘却してしまいたい過去である。当時の自分を思い出すと、頭を抱えてごろごろと悶転がる事が偶に有るくらいだ。
今、こうして自分が在るのは、あの数年のおかげなのは事実だ。
視線が絡む、そっと夜智王が妹紅の細いおとがいに触れる。
くい、と上を向かされ、妹紅は「こいつ本当に口吸が好きだな」と呆れる。
呆れながらも作法として目を閉じて、唇を夜智王に向ける。
夜智王の唇と妹紅の唇が触れる、寸前。
ガラリと、誰何も泣く戸が開けられた。
「妹紅、居る?」
無礼な闖入者、長い黒髪の美少女は、次の瞬間が表情を凍りつかせた。
あけましておめでとうございます。
旧年中は、長く休載が続き申し訳ありませんでした。
一応お話も折り返し地点にたどり着きましたので、今年は、頑張りたい所存です。