白姫に引きずられ湯殿に放り込まれたさとりは、頭の天辺から足の指の爪先までぴかぴかに磨きあげられ。
もはや聞き入れられないと悟ったのか、ぐったりとした様子で白姫のされるがままになっていた。
「やはり御髪はもっと伸ばしておくべきでしたねぇ」
濡れ髪を乾いた布を何枚も使って水気を取る。
短目に揃えられたさとりの髪を櫛けずりながら、白姫はそんなことを言う。
「ねぇ白姫」
「わかっておりますよ、夜智王様が夜這いにも求婚に来たことでないことくらい、婆は承知してございます」
白姫の心を読んだのか?さとりは黙り込む。
「年甲斐もなくはしゃぐ婆に合わせて下さって、お優しい方……ですからさとり様」
「いや」
わざわざサトリの化け物に会いにくる物好きなどそうは居ない、得がたい好機であると説く白姫だが、さとりはにべもなく拒否の言葉を吐く。
「婆に孫を抱かせてくれるとお約束は反故でございますか」
「う……」
「子の生めない婆に幼い頃のさとり様はそう約束してくださったに……婆はそれだけを楽しみに生きて着たのにきたのに!」
ううっ、感極まったように泣き出す白姫。
嘘泣きではなかった、ただいささか自分に酔っているというか、自己暗示気味に泣き出したのがさとりには分かる。
分かるが……
「助けてこいし……」
こうなると手のつけられない白姫。
そんな白姫のあしらいが上手かった妹に助けを求めるさとりだった……
◆
「ヤチ様?」
たっぷりと半刻経った頃。
すでに時刻は深更、地上ならば冷たい夜気が忍び寄ってくる所だが、地霊殿は直下の灼熱地獄の“余熱”で暖かいくらいである。
冬中ここで過ごしたいのぉ、などと思いながら手酌で飲っていた夜智王のもとに白姫が帰ってきた。
「まぁまぁ、二人とも」
「疲れているのだろう、勘弁してやれ」
夜智王の膝を枕にお空とお燐が寝ている。
呆れた様子で二人をたたき起こそうする白姫を夜智王は止める。
「お空はともかく、お燐を上手に手懐けましたわね」
「火車には、わしの“穢れ”が心地よいのだろうさ」
並の月人ならば視認することすら厭うだろう、夜智王の纏う死穢は永く生きた証だ。
蛇の強い生命力は、穢れを呑み込み死を遠退ける、しかしそれゆえにその身が纏う死穢は強くなる。
火車のお燐にしてみれば、夜智王は生きている死体のように魅力的であるはずだ。
「その調子でさとり様もよろしくお願いいたしますわ」
「のぉ白姫、あまり主をいじめるものではないぞ」
「あら、人聞きの悪いおっしゃりようですこと」
ころころと白姫は笑う。
「年頃の娘をからかうのは母親の特権ですわ」
「ひどいのぉ」
「だってさとり様があんまりにもかわいいのですもの」
わからんでもないがなぁ、と半泣きで赤面するさとりを思い返せば、とても愛らしく、ついついそんなさとりが見たくていじわるしたくなる。
「(ま、それだけでもないか……)」
「にゃ……はうっ!ややや夜智王様!?ひっ!とんだ不調法を」
話し声で目を覚めたのだろう。お燐が慌てて飛び起き、夜智王は思考を中断する。
「気にするな、可愛らしい寝顔だったぞ」
お空が起きるから静かにな、とお燐の頭を撫でながらさとす。
「か、かわいい……にゃにをいってるんですかぁ」
ふにゃ、とした表情になったお燐だが、横でにやにやする白姫に気がつき、ううううと唸る。
「さて、すまんがお空を頼むl」
お燐にそっと膝からおろしたお空を託す。
幸せそうな寝顔の地獄烏は起きる気配もない。
待ちかねたように「こちらへ」先導する白姫、夜智王はではまたな、とお燐に笑いかけて部屋を去っていく。
「……さとり様、いいなぁ」
さとりが聞いたら泣きそうなことを思うお燐であった。
◆
「こちらです」
よろしなに、と声をかける白姫。
どうしたものか、と思いつつ夜智王は寝室に入ると、紗で囲われた寝所に布団お化けが一匹居るのが見えた。
さとりだろう、逃げ場のない彼女なりの、最後の抵抗だろうか。
くつくつと笑う夜智王。室内にはふわりと甘い香りが立ち込めている、媚香の類いだろうか?
雰囲気はあるが、さとりが可哀想なので夜智王は香炉を部屋の外へと追い出し、緩やかに上下している布団お化けに近寄る。
「さとり殿?」
返事が無い。
「かわいそうに」
そっと布団を剥がすと、せっかくの化粧を涙で崩した、だが愛らしいさとりの寝顔が現れる。
半刻白姫に弄り倒された疲労もあったのだろう、布団をかぶって恐怖に震えながら半べそかいているうちに眠りに落ちてしまったのだろう。
よしよしと幼子をあやすように頭を撫でてやると、くすぐったそうにさとりは身をよじる。
「白姫の気持ちもわからんでもないがなぁ」
起きているときの憂いの濃い無表情とは対照的な無垢な寝顔。
例え羞恥に染まる赤面でもいい、半べその泣き顔でもいい。
この少女の心を動かし破顔させるためならばなんでもする。
吾が愛し子と慈しんだ少女ならば、なおさらだろう。
「こんな格好では寝違えてしまうぞ?」
乱れた髪を整えるようにさとりの頭を撫でる。
くしゃり、とさとりの寝顔が歪む。
「おや」
酢でも飲んだような顔、嫌な夢でもみているのだろうか?
「夢違えが必要かな?」
◆
「わぁ!」
さとり様きれい!と歓声を上げたお空がさとりに駆け寄った。
袿に裳を身に纏い、薄絹のベールで顔を隠したさとりが、白姫の先導で現れる。
「本当におきれいですさとり様」
「あ、ありがとうお燐」
落ち着いた口調とうらはらにお燐の目もまたキラキラと輝きを帯びていた。
妖であろうが人のであろうが、年頃の少女だということだろう。
一方のさとりは、誉めそやされるのも恥ずかしいのだろう。
ベールからかいまみえる顔は、薄化粧をしているにも関わらず、あざかやな朱色に染まっていた。
まとわりついて衣装に触ろうとするお空の耳をつかんで止めた白姫が「いかがですか?」と得意げな表情を夜智王に投げかけてくる。
「実に愛らしい、三国一の花嫁姿だな」
「まぁ夜智王様、そんな月並みな」
「だが、言葉に出さずともさとり殿には通じるであろう?」
夜智王はそう言ってさとりに笑みを向ける、ぼんっ!と首筋まで真っ赤になったさとりがさっとお燐の後ろに隠れる。
「まぁまぁまぁ」
わが意を得たり、と喜色満面で白姫は顔をほころばせると。
「さて、ではおじゃま虫は退散いたしますね」
待って。
そうさとりは言おうとした。
しかし、声が出ない。
眼前に夜智王の顔が有る。近い。
更に近づく。
金縛りにあったように身体が動かない。
どうして?
パニックになるさとり、そんなさとりを夜智王を抱き寄せ、唇が--
「さとり殿?さとり殿?大丈夫か?」
「やち……おう?」
「怖い夢を見られたかな?」
夢?
そうだ、先刻の光景は夢だ。
「夢違えが必要かな?」
「平気……」
心配そうな表情の夜智王こそが悪夢の原因である。
自分の格好を思い出したさとりは布団をもそもそと羽織、きゅっと夜智王を睨む。
「もう眠くは無いかな?」
「そうね、あまり」
では、と夜智王は酒器を差し出した。
「さとり殿も一杯やらぬか?」
自分の隣の円座をぽんぽんと叩いて座るように促す。
「……」
その円座をひっぱって少し離れた所に腰を下ろすさとり。
布団を引きずってみっともないことこの上ない。それでもぎゅっとしっかり布団を握って防御を固める。
まるで穿山甲だな、と思いつつ夜智王はまず自分の酒器を満たす。
「そんなに離れては酌ができんなぁ」
仕方ない。と言わんばかりの微笑を浮かべ、夜智王がさとりの隣へ移動する。
ずるずると衣装を引きずりながらさとりが逃げる。
夜智王が追う。
逃げる、追う、逃げる、追う、逃げる、追う。
「さとり殿」
「やだ、こっちこないで」
ぷるぷると震えるさとりは、いやいやと首を振る。
「わしはおかしなことをしようとは思っておらんぞ?」
心を読めばわかるはずだ、だが。
「……」
さとりは今にも泣き出しそうだ。
「そういえば第三の眼はどうされた」
先ほどの寝姿を垣間見た時に感じた違和感。
さとりの胸元にはその力の源たる第三の眼が無い。
「白姫が……必要無いからって」
この怯えようはそのせいか、と夜智王は合点がいった。
「まぁ、確かに最中の男の考えていることなどは単純だからな。心など読まずとも顔を見れば分かるが」
かぁぁ、とさとりが首筋まで真っ赤に染まる。
想像してしまったのだろう。円座でばしばしと夜智王を殴り始める。
「ばか!えっち!きらい!」
「すまん、すまん、ほれさとり殿落ち着かれよ」
サトリにしてみれば、相対する者の心の声が見えないのは、五感を塞がれたに等しいのだろう。
情緒不安定になるのもしかたがないことだった。
夜智王は涙目で暴れるさとりの腕をそっと掴むと、手を取り握る。
「や……ぁ!」
「ほれ、掌に意識を向けられよ」
「あ?……え?」
手のひらから、じんわりと暖かな感情が伝わってくる。
「何、これ」
「こうして直に触れていれば、ある程度心は伝わるであろ」
片腕でさとりを抱き寄せ、幼子をあやすようによしよしと頭を撫でる。
「良く、知っているのね」
「まぁ無駄に長生きしておるのでな」
懐かしむような、セピア色の感情とともに、薄ぼんやりと、女の姿が見えた。
恐らくかつて夜智王が会ったことのあるサトリ、それもただならぬ関係だったのだろう。
さとりは、胸の奥にもやっとした感情を覚えた。
この色は知っている、やきもち、という奴だ。
嫉妬という程に強くはないが、ひどく、面白くない。
「どうされた可愛い顔をされて」
ぶすっとむくれた顔になったさとりを夜智王がからかう。
「別に」
「やきもちかな?」
「違うわ」
「まぁではそういうことにしておこう」
ひょい、と夜智王はさとりを抱き上げる。
きゃぁ、と可愛らしい悲鳴をあげたさとりはとっさに夜智王にしがみついた。
男としては細めだが、それでも小柄なさとりにしてみれば逞しい男の胸に抱かれ、どくんどくんと心臓が高鳴る。
「や、夜智王、やだ」
「さとり殿は軽いな、好き嫌いが多いのではないか?」
偏食はいかんぞ?と酒ばかりの蛇が言う。
「……えっちなことしないの?」
重ねあわせた手から伝わってくる感情によこしまなモノが無い。
「それは三日夜目にしようかと思うが、どうかな?」
「っ!」
ぎゅっと瞳をつぶり顔を真っ赤にしたさとりがばしばしと夜智王を叩く。
「痛い痛い!……ほんにさとり殿は幼子の様に無垢で、とても愛らしいな」
「恥ずかしい事言うのやめて」
「ふふ、さて今宵は添い寝で我慢しておこうかな
ここは暖かくて良い。夜智王はぱたぱたと暴れるさとりを抱きかかえ寝所に向かう。
「冬の間はここに居候したいのぉ」
「だめよ……」
「一冬あればさとり殿の頑なな心も溶かせるだろうしなぁ」
明日の朝になったら絶対に追い出す。
さとりはそう決める。
だが、今晩だけは、この寒がりな蛇を温めてあげてもあげよう。
きゅっと重ねた手を握り返す。
「ほんにさとり殿は優しい良い女子だな」
「追い出されたくなかった、もう黙って」
あなたの考えていることは全部わかるんだから、そう言わんばかりにさとりは手に力を込める。
まいったなぁ、という顔をした夜智王は不意打ち気味にさとりの頬に接吻をした。
「おやすみ、さとり殿」
「っ~~~」
おやすみなさい夜智王。
消え入りそうな小声でさとりはそう呟くのだった。
一つの布団で身を寄せ合い、手を握り合って眠る夜智王とさとり。
穏やかな寝顔で夢を見るを二人。
僅かに差し込む月明かりだけの室内。
少女が一人。何の感情もこもっていない瞳で、二人の寝顔を覗きこむような至近距離でじっと見つめている。
胸元には瞳を閉じた「第三の眼」
さとりの妹、古明地こいし。
他者の気配に敏感な夜智王にも気づかせず、少女はずっとその部屋に居た。
寒気すら感じるような、奇妙な光景。
唐突にこいしは軽やかな足取りで部屋を去る。
「変な人」
言うまでもなく夜智王のことだろう。
どう“変”なのか、それはこいしにしか解らない。
まぁ別にいいけど、とこいしは断じた。
お姉ちゃんにも優しくしてくれてるし、そんなに悪い人じゃない。
と
だが
どこかで“見た”ことある気がする。
どこだったかなぁ?
だがこいしはそれ以上深く考えることはなかった。
それよりも今は地上の方に興味が有る。
博麗の巫女、白黒の魔法使い、山の神、弾幕ごっこ。
こいしの心はそちらに向き、夜智王のことなどどうでも良かったのだ。
とりあえず生きております。
なるべくお早めに続きも。
頑張ります。
閑話を挟んで地霊殿編は終了。
一応プロット上は起承転結の転の章に入ります。