一眠りしてからにするかの。
華扇とのほろ苦い一夜を思い出し、ふと人肌が恋しくなった。
普通の蛇やどこぞのスキマ妖怪と違い、冬眠の習慣は無い夜智王だが、冬の冷気は不思議と眠気を誘う。
強い鬼の酒を一晩中痛飲したこともあって、いささか足元が覚束ない。
しかし一人寝は寂しい、どうしたものかと思案していると、望楼に人影を見つける。
「一人酒とは寂しいな」
「……」
一飛で望楼へと跳躍すると、人影……一匹の女郎蜘蛛に話しかける。
見知った顔ではない。
剛毛に覆われた蜘蛛そのままの下半と美しい女の上半身。
アンバランスな組み合わせはともすればグロテクスさを強調する。
この女郎蜘蛛が地底に追われたのは人型を完全に取れぬせいだったのかもしれない。
「名の有る蛇の君のお見受け致します……卑賤の身に何か」
硬い声音、夜智王はさて、と思案する。
「そんな大袈裟な身分ではないさ、ワシは夜智王、ただの蛇だよ」
「……」
「ここはそなたの棲み家か?一晩の宿を探しておってな」
「お戯れを……」
「うん?」
「貴方様なら他に相手をする女は幾らでもいらっしゃいますでしょう」
「まぁそんなに警戒してくれるな、一杯付き合って、ついでに軒先を貸してもらえればそれでかまわんのさ」
夜智王はどうにも、こういう女に弱かった。
別段急ぐ必要もない。
紫からの依頼は鬼達を大人しくさせておいた分で十分だろう。
迷惑そうな様子の少女に構わずその横に腰を下ろした。
博麗神社の一室。
霊夢のサポートとして集まった八雲紫、伊吹萃香、射命丸文、そして紫の式の藍。
「あいつは相変わらずだなぁ」
紫が開いたスキマの間に少女を口説いている夜智王が映る。
萃香は藍が用意した稲荷寿司をもきゅもきゅと頬張りながら呆れた口調で言う。
紫は地霊殿に突入した霊夢の補助に忙しいらしく、そのセリフを無視する。
一方で文と藍は見るからに不機嫌だ。
キシシ、と内心で萃香は笑う。
「(射命丸がこんなに悋気持ちとは意外だな……九尾は何か有ったクチか?チビの頃は夜智王しゃま夜智王しゃまと懐いていたのに)」
しかし紫の機嫌があまりよろしくないのは何故だ?
さすがに一晩床を共にした直後に他の女を口説かれれば機嫌も悪くなるのか?
萃香は思案する。
ああ、そうか、と得心した。
「金髪だな」
萃香のつぶやきに紫がピクンと反応した。
視線を萃香に向けると睨《ね》めつけてくる。
やはり図星か、と萃香はくつくつと笑う。
「伊吹殿さっきから何がそんなに可笑しいのです」
不審な様子の萃香に文が怒りを押し殺した声音で問うてくる。
ガキだな、と萃香は断じた。
「射命丸も九尾も意地を張ってると損するぞ……もっと自分の気持ちに素直になるこったな」
「どういう意味ですか」
「夜智王のことだよ」
「あの蛇がなんだというのです」
藍が自分は関係無いとばかりに声を張るが、それは到底「関係無い」態度ではない。
ぐいっと盃の酒を飲み干して萃香はやけに真面目そうな表情で二人に忠告する。
「あれに恋するってことはさ、底なし沼に足を突っ込むてことさ」
「……」
「だけどな、あたしらみたいな女にとって恋に溺れるってことは、つまり地獄の釜の蓋を開けるってことさ」
「何を言って……」
「良いから聞けよ……男と向こうをはって生きなきゃならない女にとって、恋心っては地獄だよ、まぁ今のお前らにはわからんかもな」
すっかり酔いも覚めた様子で語る萃香は、その幼い外観に反し、ひどく老成し、ひどく疲れた表情をしていた。
「あたしは山の四天王の一人、紫は妖怪の賢者、わかるか?その意味が」
文も藍も返答に詰まる。
勇儀の奴が夜智王を忌み嫌うのは、本能的なものだ、一見して幼女にしか見えない萃香以上に勇儀は鬼の四天王として一目置かれている。
と萃香は勝手に解釈していた。
「射命丸」
「なんでしょう」
「今はお前、気楽な立場だけど、太郎坊の爺さんあたりが引退すれば嫌でも上の役目が振られてくるじゃないか?」
ぎくり、と文は身を強ばらせる。萃香のいうことはあながち間違いではない。
文は天魔のお気に入りだ、それゆえ我侭が許され今は遊軍的な立ち位置にいる。
逆に言えば天魔は自分の側近として文を常に側に置きたいと思ってもいるのだ。
夜智王の一件で文に負い目があるので遠慮しているが、それがいつまでも続くか分からない。
「そうすればお前、天狗の社会で夜智王と付き合い続けるのは難しいぞ?」
「そんなのこと、あなたに言われなくても解っています!」
「なら、いいけどな……九尾も、早めに仲直りしておけよ、後できっと後悔するぞ」
そう言って萃香は紫に視線を向ける。紫は霊夢に何やら話しかけており、完全に無視を決め込む。
藍は主人と夜智王の間に何があったのか、とざわりと心乱される。
「昔……まだ都が飛鳥に有った頃だな、夜智王が人間の女の子供を拾ってきたことがあった」
こ汚いガキだったよ、見るからにまずそうだった、なにせ目が完全に死んでいた。
萃香は懐かしそうに遠くを見るように過去に思いを馳せる。
口汚く罵りながらも、その口調には慈愛が溢れていた。
「よっぽど酷い目に有っただろうな、夜智王を含めて誰にも懐かなかった」
それでも夜智王は人里の外れのボロ屋でその少女を育て始めた。
「少しずつだけどそのガキは夜智王に心を開きはじめた」
白濁した金剛石の原石をゆっくりと丹念に研磨するように、夜智王は少女を磨きあげた。
気がつけば小汚いガキは、白皙の美貌を持つ美少女になっていた。
ようやく自分に懐いた少女を夜智王は掌中の珠のように慈しみ育て始めた。
あの夜智王が父親のまね事を始めたというので皆物見高く見物に言った。
当時からモテた夜智王と擬似夫婦が出来ると幾人かの女達が押しかけたが、ついぞその子供はそういった女達には懐かなかった。
「不思議とあたしと紫には懐いていたよ、たぶんこの髪のせいだろうね」
渡来人の血を引いていたせいだからか、最初は藁束かと思っていた少女の髪は美しい金髪だったのだ。
その金髪もまた少女が他者に心を閉ざした原因だったのだろう。
少女は紫と萃香を「姉様」と呼び慕ったのだ。
「……その子はどうなったんですか?」
「死んだよ、流行病でぽっくり逝った」
人間だからな、と萃香はあっさりした口調で言う。
「萃香」
紫が冷たい声で止めろ、と警告する。
構わず萃香は続けた。
「夜智王の心の一部をごっそり抉り取って地獄へ落ちて逝ったよ……人間が怖い生き物だって、あたしは初めて知ったよ」
そう名前はユキと言ったか。
古い記憶を思い出す。
名は体を表すというがその通りだった。雪の様に儚く、そして容易く命を奪う苛烈さを秘めた少女だった。
苦い思い出を噛みしめるように萃香は杯に注いだ酒を飲み干す。
紫も苦虫を噛み潰したような表情だ。
「っ!」
我慢の限界だったのだろう、文が部屋を飛び出した、直接夜智王に聞きに行くつもりなのかもしれない。
残された藍も「失礼します」と断り部屋を退出する。
「お節介ね」
「先達として一言助言してやろうと思ってな」
「良く言うわ……」
「はは、お見通しか、というかあの馬鹿どうしたんだ一体?」
変わらない、と萃香は夜智王を評したが、それは嘘だった。
萃香の目には今の夜智王はかつてとは比べられないほどに弱って見えた。
あの精強な蛇妖は一体どこに消えたのか。
原因は分かっている、妖怪とは精神に依存する生き物である。
あの己の心にヤスリ掛けるような生き方を止めない生き物が弱るのは必然だろう。
「知らないわよあんな馬鹿のことなんて……さっさと野垂れ死ねばいいのよ、忌々しい」
「ツンデレが過ぎると損するぞ紫」
「なによツンデレって」
「お前みたいな女のことだそうだ」
もっと気楽に付き合えよあの蛇とは、あたしみたいにな。
そう言って萃香は稲荷寿司を口に放り込む。
「あの馬鹿は便利なんだ、あたしだって女なんだからたまには男に甘えたい時もある」
あいつなら丁度いいのさ、だから死なれちゃ困る。
そう独白し萃香は酒を干す。
夜智王の救いになれない自分が少し恨めしかった。
お久しぶりの作者です。
ほぼ一年ぶりですね、ほんとに申し訳ないです。
昨年末に倒れた家人の件はなんとかこんとかやっているのですが
趣味のTRPGでコンベンションの主催やったり
友人の冬コミ原稿のお手伝いしたり。
微妙にこっちまで手がでない。
しかも何やらワケあり気な萃香の過去話に浮気しちゃったりして
もうgdgdでした。(本編完結後に、古代編と合わせて酒呑童子編として陽の目をみせてあげたいです・・・)
はい、いいわけです。
一応、この後さとりとの邂逅で地霊殿が終わり、プロット通りならば
起承転結でいうところの転の章に突入します。
する、はず。