地霊殿へと向かう地獄街道をてれてれと歩きながら夜智王は「さて今頃勇儀と春虎はしっぽりやっているだろうか?今度二人纏めてからかってやらねばなぁ。」
そんな質悪いことを考えてにやにやとしていた。
他人の色恋沙汰も大好きな蛇であった。
ふいに思い出したように口を開く。
「茨木童子は知らぬ……か、ばれておらんようだぞ?」
なぁ茨木……いや今は茨華仙か?
そう誰かにつぶやき、夜智王はくつくつと思いだし笑いをした。
◆
話はやや遡る。
すっかり秋も深まり、朝夕はとみに冷え込むようになった頃だった。
家でのんびりと拾ってきた外界の本(むろんエロ本)を読んでいた夜智王は、ふいに顔をあげるといそいそとエロ本を仕舞いこむ。
誰かが己の縄張りに入ったことに気がついたらしい。
「夜智王さんいますか!」
スパン!と縁側の障子戸を開けてやってきたのは守矢神社の風祝、東風谷早苗であった。
そろそろ寒いのではないか?と心配になるいつもの脇巫女装束に、今日はなにやら風呂敷を背負っていた。
唐草模様の風呂敷を江戸時代の旅人よろしく首に回して肩に担いでいるのだが、これが妙に可愛らしく、よく似合っていた。
「早苗殿、そこは玄関ではないぞ?」
「そんなことより夜智王さん、二三日泊めてください!」
は?何を世迷い言を。と夜智王はしぶい顔をする。
ふぅ、と重い溜息を吐くと「よいか早苗殿?」と切り出した。
「ワシのような輩の所に、年頃の娘が転がり込むなど、飢えた獣の鼻先に肉塊をぶらさげるようなものだぞ?」
「?」
小首を傾げる様も中々に可愛らしい。
どうやら理解していないようだった。
バックに諏訪子と神奈子が控えているせいだろう、この娘は夜智王が自分にちょっかいを出すなど微塵も思っていないらしい。
高慢ちきともとれる態度、鼻をきゅぅと摘んで「いひゃいひゃい」と可愛く鳴かせてやりたい気分になる。
だができない。
早苗に変なちょっかいを加えると、おそらく軽い接吻(額なり頬程度でも)しただけで神奈子が大蛇薙を抜いて斬り殺しにくるのが容易に想像できるからだ。
くわばらくわばら、と本来ならば神奈子にとっても苦い思い出のあるであろう、雷避けの呪文をつぶやきつつ、早苗を招き入れることにした。
「とりあえず立ち話もなんだ、茶を淹れるのでな、座って待たれよ」
きょろきょろと珍しそうに夜智王の塒を眺める早苗に、家探しをさせぬように釘を指して、夜智王は茶器をとりだして湯を沸かす。
「いつも思いますけど、夜智王さんのおうちは雰囲気がありますね」
「ボロいだけだぞ」
「いえ、バス遠足でいった白川郷の旧家みたいな感じです」
世界遺産ですよ!と早苗は息を巻く、いちいち仕草の可愛らしい少女である。
「ほれ、熱いので気をつけてな」
「頂きます……ハーブティーですか?これはたしか……」
「カミツレだよ」
いわゆるカモミールティーである。
「葡萄酒と一緒に飲むと中々面白いだ、バビロンの昔から薬草として飲まれとる」
まぁ薬効はないらしいがなと夜智王は言う。
ほぉほぉと聞きながら早苗は躊躇わず口をつける。
「美味しいです、ティーバッグのとは大分違いますね」
「さよか?茶請けに洒落たものはないが、柿でも食うか?」
「いいんですか?」
「構わんさ、こういう時の為に用意しておるのだからな」
厨から保存瓶を持ってきた夜智王が中で液体に浸かっていた柿を取り出す。
「少し渋いかもしれんぞ」
「大丈夫です」
瓶の蓋を外すとふわりと酒精の匂いが漂う。
一つ柿を取り出し、くるりと皮を向いて切り分け早苗に供する。
「いただきます」
小動物のようにシャリシャリと柿を食べ始めた早苗を眺めつつ、夜智王は柿酒の出来を確かめる様に一杯くみだしてちびちびと飲み始める。
「おいひいでふよひゃひひょうひゃん」
「食べながらしゃべるでないよ行儀の悪い……それで、何があったのだ」
「んっ……神奈子様と諏訪子様が大喧嘩中なんです、もう家の中の雰囲気が悪くて、私も仲裁しようと頑張ったんですがお二人とも聞く耳も持たずで」
トサカに来たので家出してやりました、不良少女です!と宣言し早苗はドヤ!と胸を張る。
いばるな、あと乳を見せつけるな揉みたくなる、と思いつつ、夜智王はやれやれと苦笑する。
「原因は」
「今朝の朝食が原因なんです、神奈子様が当番だったんですけど」
「なんだ兵糧丸でも出して諏訪子がちゃぶ台でもひっくり返したか?」
「違いますよ!ちゃんとした和風の朝ごはんでした!ごはんに卵焼きに焼き魚におみおつけに、あとおひたしですね」
「わかった、腐った豆など食えるか!と諏訪子がキレたのだろう?」
「水戸の人にケンカ売ってるんですが!?やめてください!」
茶化さないで聞いてください!と早苗が憤慨する。
激おこぷんぷん丸状態の早苗も中々可愛らしい。
「私が一番先に食べ終わったんです、一番少食ですので」
「それで?」
「私が『ごちそうさまでした』って言ったら諏訪子様が『はいお粗末さま』って言っちゃたんです、そしたら神奈子様が『作ったのは私だ』って……」
そのまま戦争に突入です……と早苗がうなだれる。
どこの嫁と姑だ、と夜智王は内心でツッコミを入れた。
「良くわかった」
「え?泊めてくれるんですか?あ、夜智王さんのお家に立派なお風呂が有るって聞いたんですけどさっそく借りても良いですか?」
「今からワシが二人を説教してくるから早苗殿も一緒に帰ろうな」
「えー、お風呂ー」
つまらなさそうに早苗がぶーたれる。
「だいたい、何故ワシの所だ?博麗神社でもよかろう?」
「霊夢さんあんまり相手してくれないんですもん……」
要するに早苗は二人がケンカにかまけて自分にかまってくれないのがつまらないのだろう。
そんなかまってちゃんを置いておく余裕は無い。
「だめだ」
「えー!夜智王さんのけちー!」
「ケチではない」
「じゃぁお風呂だけ!二時間だけでいいですからぁ!」
大方諏訪子あたりが早苗に自慢したのだろう、早苗も食い下がって譲らない。
仕方ない、と夜智王はそこだけ妥協した。
やった!と歓声を上げ早苗は風呂敷を掴むと風呂場へ向かう。
あの中身はどうやら着替えと入浴セットだったらしい。
ウチは銭湯か?入浴料として乳の一つも揉んでやろうか!
と思いつつ、神奈子が怖いでそれもできない夜智王は、飲み残しのカモミールティーを飲み干し心を落ち着けるのだった。
◆
「今日は厄日だの」
早苗が居ないこと事に気がついた二人はすっかり喧嘩を止めていた。
「二人が反省するまで家出します」という書き置きをみつけた神奈子がおろおろし。諏訪子が「ほっとけば?」とそんな神奈子に呆れているところへ、ひょっこり夜智王が早苗を伴ってやってきた。
風呂あがりのしっとりした早苗を見て神奈子が即着火した。
悪乗り気味に諏訪子も混ざって二人で弾幕、いやあれはもはや幕ではなく壁であろう、が飛んでくる。
ボコボコにされて吹っ飛んだ夜智王は這々の体で神社から逃げ出す。
匿って貰おうと文に所に寄った、そこでも一悶着あった。
笑い話としてコトの経緯を話したら、いきなり文のヤキモチが爆発した。
「早苗さんにまで毒牙に掛ける気ですか!やっぱり若い娘が良いんですか!?」
待て!落ち付け!と言ったが聞き入れられず噛み付かれた。
なんとか引き剥がしたが、夜智王に弾幕をぶつけながら文も包囲網に参加してきた。
ボロボロの身体を引きずり妖怪の山を逃げ惑い、ふと周囲を見渡せばすっかり道を見失っていた。。
しかも
「なんじゃ?遁甲陣か」
仙人、あるいは修行中の道士が使う、人避けの結界陣だ。
はて行者でも隠棲しておるのだろうか?
周囲に仕掛けられた道を惑わす仕掛けだな、と分析する。
興味の湧いたのと、追手から逃げるために、夜智王はするりと陣に潜り込む。
「ふぅん、中々入り組んでおるな」
昔知り合いの仙人に習ったことのあるのでなんとかなるが、でなければ侵入は難しいだろう。
例外はスキマ、あとは距離を操る小町辺りもイケルだろうか。
一定の作法に則り、するすると夜智王は陣図を攻略してゆく。
僅かな隙間に忍び込む蛇のように、深く深く。
「誰だ!」
後少しで陣を抜けるだろうか、といった所で厳しい誰何の声が突き刺さる。
おそらくこの陣を引いた仙道が夜智王の侵入に気づいたのだろう。
ついと夜智王は声の主に視線を向ける。
大陸風っぽい衣服を身に纏い、やや短めの桃色の頭髪を2つお団子にしていた。
片腕が何故か包帯でぐるぐる巻になっており、ひどく痛々しく見える。
声でわかっていたが女である。
きゅぅと夜智王の視線が道服を押し上げる胸部、いや乳房に向かう。
「(うむ、いいな、実に良い乳だ)」
たっぷりとした量といい柔らかそうに揺れる様といい、実にうまそうな巨乳であった。
「おい、貴様聞いてい……ひっ!」
何故か声の主が怯えたような短い悲鳴を漏らした。
「(はてこの乳、どこかで見た、いや存分に揉みしだいた記憶があるな)」
そうだ、この乳は。
「お主、茨木か」
「ち、ちがうわ!」
お前なんて知らない!怯えたように叫ぶ仙姑の顔にようやく焦点を合わす。
絶妙な曲線を描く頬、紅を引いているわけでもないのに鮮やかな赤で彩られた唇、紅い瞳、少し垂れ気味の眦が色っぽい印象を与える。
間違いない、山の四天王の一人、茨木童子だ。
片腕が包帯なのも合点いった、あの鬼は渡辺綱に片腕を切り落とされ以来隻腕である。
「嘘を吐くとは鬼らしくもない」
「きゃぁ!」
するりと、電光石火で茨木童子の背後に回った夜智王はきゅっと彼女を抱きしめる。
細い腰を左腕を回して捕まえ、右手でシニョンキャップへと掛ける。
「だ、だめ!とらないで!」
「どうしてだ?ん?」
聞き入れず夜智王はひょいとシニョンキャップを取る、そこにあったのは、わずかに根本だけが残る短い角だった。
「いつ見ても痛ましいなそなたの角は」
「や、やめて夜智王だめ!ひぅ!」
ちゅっとその角に夜智王が口づけするとびくりと茨木童子は身を震わせた。
「相変わらず角が弱いのだな」
「いや、やめて、そこだけはだめなの!あっ!」
再度角に口付けし、こんどはぺろりと舐める。
痛ましい角の疵痕を癒すかのように、ぺろりぺろりと夜智王は舌を這わす。
その度びくびくと茨木童子は身を痙攣させ、色っぽい喘ぎ声を漏らす。
ガクガクと膝の笑い始めた彼女を支えるように腹部に腕を回せば、むにゅりと心地良い感触と質量が腕に当たる。
この抱き心地、官能的な喘ぎ声、間違いなく茨木童子である。
「やめて……やちおぉ」
「すまんすまん、久しぶりにそなたに逢って、ちと興奮しすぎたな」
ひょいと崩れ落ちる寸前の茨木童子を身体を姫抱きにして夜智王は、茨木童子の庵らしき大陸風の家屋に勝手に侵入する。
「ちゃんと褥でしよう」
「ばか!何いってるのよ!」
「ダメか?」
「当たり前よぉぉぉぉ!」
茨木童子の悲鳴が妖怪の山に木霊した。
◆
「よりにもよってあの蛇にばれるなんて……」
茨木童子、今は茨華仙と号する仙姑、茨木華扇は憂いの濃い嘆息を漏らす。
関係を迫る夜智王をなんとか追い返した翌日、冷静になってはたと気がついた。
どこぞの宴会で、酒好きの夜智王と、かつての仲間、伊吹童子こと伊吹萃香がばったりあったらどうなるかを。
この二人は妙に仲が良い。
当然酒を酌み交わし、四方山話に花を咲かせるだろう、その場で夜智王がぽろりと華扇の話をしたら……
華扇は故あって己が仙人をしていることを、かつての仲間に知られたくないのだ。
そうなる前に夜智王に口止めを頼まなくてならない、夜智王は女の頼み事を無碍にするような性格ではないし。
案外に義理堅い所があるので、約束の類はきっちり守る、華扇の事が蛇の口から漏れることは無くなる。
だが、あの性悪から「ただ」で約束をとりつけるのは、結果的にかえって高くつくことを、経験上華扇は良く解っていた。
そして、弱みを夜智王に握られるのも嫌だ。
一日思い悩んだ末、華扇は寝込みを襲って「口止め料」の押し売りをすることにした。
安い女の様で嫌だが、どうせそのうち言いくるめられて一夜を共にすることになるのだ、こちらが主導権を握っているほうが幾ばくかマシというものである。
そう自分に言い聞かせながら、重い足取りで華扇は夜智王の庵へと歩を進める。
明後日には朔に入るだろうか、華扇は闇に沈む山中を気配を消して夜智王の庵を目指す。
すると闇の中にぽつん灯りが見えてきた。
しまった、まだ寝ていなかったのか、華扇は日を改めようかと悩んだが、あまり猶予も無い。
夜智王は縁側にいるようだった。
呼吸すら押し殺し、慎重に庵に忍び寄ると、木立に身を隠しながら夜智王を盗み見る。
頼りない下弦の月の光の下、夜智王は酒を呑んでいた。いつものことだ、しかし――
傍らに用意された酒器は二組、夜智王はそこにいない誰かと静かに酒を酌み交わしていた。
その表情を見て、華扇は己の間の悪さを呪った。
「華扇?よぉ来たの、少々物悲しい月見酒だが、一杯付き合わんか?」
木立の間の闇から現れた華扇を見て、珍しい客人の訪れに夜智王は愉しげに声をかけた。
しかし華扇は返す言葉に詰まる。
「夜智王……あなた……」
「どうした?辛気臭い面をして、美人が台無しではないか」
陽気な口調、変わらぬ笑みに纏わり付く翳。
一度ならず見た光景だった。
喪失の悲しみに、慟哭することすらできず、空虚な笑みを浮かべる夜智王の姿は見る者の心を抉る。
「あなたは本当に変わらないわね」
はぁ、と嘆息し夜智王の隣に座った華扇は、ぐいと無理やりその頭をひっぱり、己の膝に乗せる。
少々面食らった様子の夜智王の頭を、まるで幼子をあやすように、そっと撫でる。
ずるい男だ、普段はあんなに憎らしいのに、こうやって時々無防備になるその姿は、女の母性を酷く刺激する。
「誰か死んだのね」
「さて」
「吐けば少し楽になるわよ、こら」
ふとももを撫で回そうとした夜智王の手の甲をぎゅっとつねる。
痛い痛い、と大げさに痛がる夜智王は、寂しげに見える笑みのまま、ぽつりぽつり零し始めた。
「長崎の出島にあった遊郭に馴染みの花魁がおってな」
今から二百年近く昔の話である。
「笹雪というてなぁ。苦界に生きとるのが何かの冗談のような、明るく、愛らしい女子だったよ」
その花魁が死ぬ間際に「あなたの子供です」と託した娘が、今朝死んだ。
「あなたの娘」
「であれば良かったがな」
己の罪を告白するように、夜智王は苦い声で話を続ける。
「笹雪が瘡毒(梅毒)に罹ったのに気が付いたのは一年ぶりに遊びに行った時だった」
上海租界で一年程遊んだ帰りに寄った時だった。
「当時は不治の病でな、一度罹ればいずれ、鼻が欠け、四肢が腐り落ち、脳に毒が回って狂い死ぬ」
いけない、と知りつつ夜智王は笹雪に己の血で作った薬を飲ませた。
尋常ならざる生命力も持つ夜智王の血である、大抵の病は癒える。
しかし
「わかっていた、それがあの娘の寿命を大きく縮めることはな」
古い蛇の血は人間にはやはり劇毒なのだ、それでも夜智王は愛した女が梅毒で惨めに死んでゆくのを見たくなかった。
「エゴ、という奴だな」
血を与えた夜の逢瀬を最後に夜智王は笹雪の元へ通うのを止めた。
風の噂に笹雪が倒れた、と聞き「ああ寿命が来たか」と知り夜智王は「いっそ攫って、食ってしまおうか」そんな気持ちで会いにいった。
笹雪は変わらず美しかった、しかしその顔にははっきりと死相が浮かんでいた。
不義理をした男を責めることも無く、笹雪は夜の相手を出来ぬことをしきりに詫びた。
その時託されたのが生まれたばかりの一人娘だった。
わたしとあなたの娘です、そう笑って言う笹雪に蛇はただ笑みを返すしかなかった。
一目で分かった、赤子が人にあらざるモノだと。この子を産み落とすために笹雪は命を賭したのだと。
金髪に碧眼の娘を黙って蛇が受け取ると、安心したのか?眠るように穏やかに笹雪は逝った。
夜智王の血の影響なのか?娘は二親が人間であるにも関わらず「半妖」として生まれ落ちた、生まれついての生成り。
人の世では生きれぬ娘の為、越後の片田舎に隠れ住むようにしながら、夜智王は娘を育てることにした。
そこまで聞いて華扇は呆れた様子ではぁと嘆息する。
「あなた、本当に光源氏のまね事が好きなのね」
「どちらかというと「マイ・フェア・レディ」だったがな」
瞬く間に時は流れ、娘は美しく育ち、夜智王に恋をした。
多少は抵抗した夜智王も最後には折れ、愛しあうようになった。
その後、維新の動乱が日ノ本全土を巻き込み、戦乱を避けるため夜智王は娘を幻想郷に避難させた、それが長い別れとなった。
夜智王は外界で封印され、百年の時が流れたのだ。
秋口に幻想郷に戻って後、それとなく行方を探していたのだった。
「ようやく先日見つけた時には、しわくちゃの媼になっておってな……散々叱られたよ、色々と苦労もしたらしい」
だが度量の大きな伴侶を得て、子にも恵まれ、孫や曾孫に囲まれて娘は幸せそうだった。
「心の深い所まで他人を入れすぎるのよあなたは……」
「そうか?」
「前にも言ったわよね……もう少し距離を適切に保ちなさいって、ほとんどの者はあなたより先に逝くわよ?」
情が深いのはこの蛇の数少ない美点だが、それゆえに別れの度に夜智王の心は深い傷を負う。
精神が主体である妖怪にとって、心が深く傷つくことは酷く危険なことである。
「慣れたよ。その証拠に涙一筋流れやせん」
ばか、と華扇はつぶやき、そっと夜智王の頭を抱きしめる。
それは既に夜智王の心が壊れ始めている証拠なのだ。
「なんだ、慰めてくれるのか?」
先日はあんなに嫌がったくせに、と夜智王は笑う。
「こんな時、黙ってあんたを慰めてやれるは私くらいでしょう?」
「それもそうだな」
夜智王は苦笑した。
華扇と夜智王の関係は、奇しくも華扇の言った「適切な距離」を保ったものだ。
男女の仲では有る、閨を共にし、情を交わしたことはけして少なくない。
だが、互いに愛し合うという程に深い関係ではない、無論肉体関係だけの爛れた関係でもない。
恋人というには遠く、友人と呼ぶに近しい。
だから華扇は他の女を想って傷ついた夜智王を、なんのわだかまりも無く抱きしめてやれる。
そんな華扇ゆえに、夜智王もまた気兼ねなくその胸に甘えることができる。
「こうやってあなたに恩を売れるしね」
本心なのだろう、おどけた口調のわりに真剣な目で華扇は言う。
「酷いのぉ」
いささか傷ついたのだろうか?拗ねた口調でそう言いながらも「恩に着るよ」と零した夜智王は、華扇をそっと押し倒した。
「おはよう華扇」
昨日はありがとうな。なんのてらいもなく夜智王は感謝の言葉を紡ぐ。
微睡みから抜けだしたばかりの華扇は、はぁと溜息を吐いた。
「……我ながら、ちょっと都合の良い女すぎる気がするわ」
いささか自己嫌悪の混じった声で華扇は嘆く。
普段が普段だけに、この蛇が弱みを見せると妙に甘くなってしまうのだ。
ああやって嘆く夜智王を慰めてやったのは何度目だろう?
数えようとして華扇は止めた、意味の無いことだ。
夜智王は華扇だからああやって慰めを求めるのだから。
「そんなことはないさ、そなた佳い女だよ」
「あなたにかかれば、大抵の女は「可愛い」か「佳い女」でしょうが」
「そなたは特別佳い女さ」
「はいはい、ありがと」
愛しているわけではない、だがこの蛇が弱さを見せてくれるこの関係が、こそばゆく、また密かに誇らしい。
華扇は照れ隠しのようにそっぽを向いて、赤くなった顔を見せないようにする。
さすがに夜智王もそんな気分ではなかったのか、昨夜は抱き合って一夜過ごしただけである。
だから気が付かなかった、すっかり夜智王の表情からは暗い翳は消え、いつもの「意地悪な」笑みが浮かべられていることに。
「礼をせんとな」
「ああ……じゃぁお願いがあるのだけど、私が茨木童子だってこと、内緒にしておいて欲しいのよ」
特に萃香とか昔の仲間には、と華扇は続ける。
「わかった」
「……理由は聞かないの?」
「佳い女には秘密があるのだ」
「ばか……」
「……しかしその程度では足らんな」
ぎく、と華扇の表情が強張る。
「じゅ、十分よ?」
「遠慮するな」
「嫌がってるのよ!」
「悲しいことを言わんでくれや」
「ちょ、こら!やっ……んっ……ふぁぁ…」
ぎゅっと華扇を抱きしめると、夜着の袷を開き、まろびでた豊かな丘にそっと触れる。
昨夜の余韻の残る躰は敏感で男の愛撫に素直に反応を返す。
肢体を震せる華扇を労わる様に、ゆっくりと、撫でるように乳房を愛撫する。
「昔より少し小さくなったな、仙人修行のせいで痩せたからか?」
「何を、言ってるのよ……やめ…て……胸…はぁ」
「しかしそのぶんハリがある、これは堪らんなぁ」
「やぁ、やちおう、やめてぇ」
「房中術の修行とまいろうか、華仙殿♪」
愉しげに言いながら、夜智王が華扇の胸元に顔を寄せてくる。
「調子に……乗るなっ!」
ばしん!といい音を立てて華扇の平手打ちが夜智王の額を強打する。
ずるり、と夜智王が崩れ落ち、ぼすんと華扇の胸元に顔を落とすと、びくびくと体を痙攣させる。
「なんふぁ、ほれは、へひふうひのふふぁ?(なんじゃ、これは、蛇封じの符か?)」
「しゃ、しゃべるな!く、ひぅっ!くす、くぐったい!」
夜智王の言うとおり、その額には符が一枚貼られている、こんなこともあろう、と華扇が用意しておいた蛇封じの符である。
胸元でもにょもにょとしゃべくる夜智王を、なんとか引き剥がした華扇は、荒い息を整えつつ、着衣の乱れを直す。
「まったく!油断も隙もない」
「おーい、華扇さんや、剥がしてくれ」
「嫌よ」
ばっさりと切って捨てた華扇は動けない夜智王を無視し、昨夜脱ぎ捨てた衣服を抱えると浴場へと向かう。
「お風呂借りて帰るわ」
「わしは純粋にそなたにお礼をしたかったのだけだというに……」
「いりません」
べー、と子供のような真似し、華扇は居間を出る。
「じゃ、またね、夜智王」
「またな、華扇」
一矢報いた華扇の晴れ晴れとした笑みに、後で仕返しをしてやるぞという不敵な笑みを返す夜智王だった。
ご無沙汰しております。
作者でございます。
原稿が遅れた原因の六割は艦これなのですが、残り三割が
精神的にキツイ事情でありましてまったく原稿が進みませんでした。
当初の予定ではえっちぃシーンも予定していたのですが
現在精神的にちょっとそっち系を書ける状況になく。
とはいえこれ以上空けるのも申し訳なく、書き終えていた部分に若干書き足して
所謂朝チュンの状態で投稿させて頂きます。
申し訳ない限りです。
おいおいリハビリを続けて、なんとか復帰できたら、と思っています。