「藍、ちょっといい?」
「おかえりなさい紫様、突然飛び出されたので何事かと思いましたが――」
「夜智王が来たわ、あなた人里に出る時は気をつけないさいよ」
「や、夜智王ですって!」
「そうよあの厭らしい蛇よ」
「何処です!すぐに殺しましょう!いやだめだあれは殺せない…封印です封印しましょう」
普段の冷静沈着な様子をかなぐり捨ててわたわたする藍。
「ちょっと落ち着きなさいよ藍。どうしたの?」
「橙が万が一あの蛇に捕まったら…なぜ直ぐにその場で封印されなかったのですか紫様!あの蛇のせいで起きた惨事をお忘れなのですか」
藍の取り乱しようは、あれか例によって式にしている妖猫のせいか。
「落ち着きなさいよ藍。あれは確かに男女見境なしだけど幼女には手は出さないわ」
「100%ではありません!私の記憶する限り23件の例外があります」
ああああ橙が橙が、と藍はひたすらうろたえている。
「そんなに心配なら探しにいきなさいよ…さっきも言ったけどあんた自身も気を…聞いてないし」
一日の半分は寝て過す。
それが紫の習慣である、つまりもう眠いので後は放っておくことにした。
警告はしたし、殺せないという厄介な能力を別にすれば、純粋な妖力では、夜智王と藍はほぼ同クラスだ、なんとかするだろう。
いい加減藍は橙離れが必要だろう。そうでもしないと何時まで経っても橙が成長できない。
「あ、霊夢にも一応警告をしなきゃ」
ああ、自分も人のことは言えないな…
そんなことを考えながら紫は眠りに落ちた。
第一話
紫と別れた夜智王は、ぷらぷらと歩き始めた。
ここが幻想郷のどこともしれないが、幸い直ぐに道が見つかったので、道為りに進んでいくことにする。
とりあえず枝を倒し、先端が倒れた方へとだ。
「(さてどうするかな?とにかく酒と人肌が恋しい。鬼が居ないとなると山は天狗の巣窟か?)」
天狗はあまり好きではない。天狗は鳥妖とは少し違うのだが、まぁ蛇にしてみれば似たようなものだ。
蛇妖と鳥妖は仲が悪い。これは常識ともいえる。
インド神話のナーガを常食するガルーダのように。あるいは毒蛇をも喰らうゆえに信仰されるマハーマユリ(孔雀王)のように。
蛇にとって鳥は捕食者…天敵なのだ。
(某悪魔を召喚して使役するRPGでも龍系と鳥系の悪魔の合体相性が悪いのもそういう理由である。)
夜智王は蛇妖としてはかなり強い部類なので、木っ端天狗や烏天狗程度ならばどうということはないのだが。
「(人に化けて人里にでも行くか?しかしなぁ遊女はおらんだろうしなぁ)」
商売女は後腐れが無くて良い。
ただここの人里の規模を考えると…たぶん居ないだろう。
「(それに久々だ、うっかり死なれも困るしな)」
蛇妖である自分と交われば、相手は少なからず精気を吸われてしまう。
普段は問題なく制御できるが、長いこと封印されいていた今は、少々自身が無い。
そんなことで人を殺したとあっては紫の制裁が怖い。
「(さてどうする?河に行って河童でも釣るか?)」
それともいっそ地底に下りて鬼でも探すか、しかし地底は日の光が恋しくなる。
ままならぬものだ。
しかしこの道はいったい何処へ続いているのだろうか?
幻想郷の地理などまったく覚えていない夜智王はただ道為りに進んでいるが、辺りの雰囲気がだんだんと寂しくなっていることに、遅まきながら気づく。
道がある以上はこの先には何かがあるはずなのだが…
空を飛べばいいのだろう。出来ないわけではないのだが、好き好んで飛ぶ、ということもない。
「(さて、これはあれか迷子という奴か?)」
まぁ別にいいか。
焦るでも無く、夜智王は道を進んでいく。
何か目的があるわけでもなし。
人と違い空腹で倒れることない。
大抵の妖怪ならば負けることもない。
迷子になろうと困る事はないのだ。
長く生きた妖怪なので、無為に時間を使うことは別段苦痛でもない。
そう思った瞬間
「あら?」
耳に心地よい美声が聞こえた瞬間、背筋に悪寒が走った。
「あらあらあら?」
声と共に、背後に強力な妖気を感じる。
どちらかといえば感覚が鋭い方である自分の背後を、こうも容易く。
しかもこの妖気には覚えがある。
「久しいの幽香」
「なにやら見覚えのある蛇だと思ったわ、やっぱりあんたね夜智王」
振り返ればそこに美女が居た。
風見幽香
昔馴染みの妖怪だった。
夜智王は本能的戦闘態勢に入った。
これは“そういう”女なのだ。
しかし、それをみて幽香がくすりと笑う。
「何あんた?びびってるの?」
何かが彼女の笑いのツボに入ったのか、こらえ切れぬように笑い出す。
昔の幽香しか知らぬ夜智王はぽかーんとバカ面をさらすしかない。
それがまた幽香の笑うを誘ったようで、ばしんばしんと夜智王を叩きながら幽香が笑い続ける。
「のう本気で痛いからやめてくれんか」
「だってあんた、完全に後ろ取られてんのに、戦闘態勢に入るまで何秒掛かってんのよ?ばかじゃない?死ぬの?」
言葉も無い。さすがに百年近く封印されると色々鈍っているのだろう、自分ではイマイチわからんのだが。
「お前さん、随分丸くなったな」
「格下相手に本気を出すほどガキでは無くなったわね」
年月は偉大だ。
しみじみと夜智王は思った。
「いつ幻想郷に来たのよ」
「つい一刻程前だよ、さっそくスキマが注意に来た」
さてどうしたものか?
この女は怖いが美人だし出るところは出てるし、引っ込むべき所は引っ込んでるし、強い妖怪だから多少精気を吸われたって死にやしない。
まさに一晩のお相手にはうってつけなのだが…
前回はそれで酷い目にあった。
大分丸くなったようだが…妖怪ってのはそうそう本質が変わるもんじゃない。
「あんたは相変わらずねぇ?」
考えていることがばればれだ。
コワイコワイ、やはりダメだ。
「私は自分よりよわっちいのに抱かれるのはゴメンよ、雑魚っぽいのがうつるでしょ」
ワシは病気か何かか?と思ったが、口にはしないで置く。
「まぁ良いわ、珍しい花の種が手に入って機嫌がいいから見逃してあげる、さっさと消えないさい」
ふむ、つまりなんだこの先はやはり人里なのか?
聞きたいが。
何がきっかけでこの女のご機嫌が麗しく無くなる可能性もある、ここはさっさと退散しよう。
「まぁなんだ、一人寝が寂しい時と夏の夜の寝苦しい時は呼んでくれ」
それでもセールストークを止められんのは蛇の性、困ったもんである。
「間に合ってるわ」
幸い何もされず幽香とは別れることが出来た。まことに僥倖だった。
幽香と別れて半刻(一時間)も歩いただろうか。
遠目に妙なものが見えた。
「(洋館?はて以前には無かった気がするな…しかし血の様に真っ赤とは良い趣味ではないか)」
興味が沸いた。
夜智王は遠目に見える洋館へと飛んだ。
館の手前十丈(30m)程手前で地面に降りる。
近くで見るとかなり立派な洋館だと解かる、手入れが行き届いている所を見ると誰かが住んでいるのだろう。
こんな人里離れた場所だ、無論只者ではないだろう。
「(西洋渡りの妖かの…さて別嬪ならばいいのだが)」
立派な門扉を見やれば、そこに門番が…寝ていた。