「さすがに、鬼の酒はキクなぁ」
「なら降参したら、ろーなんらい」
「お主こそ、呂律が怪しくなってきたではないかぁ」
「……どっちも大概ですよ」
夜が明けてもなお、両者一歩も譲らず夜智王と勇儀の飲み比べは続いていた。
あれ程騒がしかった広場も、気が付けば随分と静かになっていた。
見物の鬼達は、乱闘の末倒れる者。
二人に釣られて大いに痛飲し、そのまま寝てしまう者。
ちゃっかりと夜智王の分身としけこむ者。
ただ審判役の陸奥だけが、ろくに酒も呑まず律儀に二人に酌をし続けている。
「たらたらと呑むにゃ蛇」
「味わってのまねば損であろが」
酌をされるとぐいっと一気に飲み干す勇儀。対照的に夜智王はゆっくりと味わうように杯を空にする。
いずれにせよ、いかな鬼といえど若干“引く”ような量を二人は飲み込んでいた。
「はいはい喧嘩しないでくださいね」
酒瓶を持ち上げ、僅かに残った酒を夜智王と勇儀に酌をする。
それでその瓶は空になった。
さっさと勇儀は飲み干し、夜智王は杯に零れてきた酒虫を「うん?お主美人だな?ワシの所にこんか?」と口説き始める。
どうやら相当に酔っているらしかった。
「おーい、寝てないで次の瓶もってこいやー」
声を掛けられた鬼が、うつ伏せのままふるふると手を振る。
「おい、まさか……」
「もーねーぞー、旧都中の酒、すっからけつだ」
「おい陸奥、次!!」
ざわっと陸奥の背筋に悪寒が走る。
「さ、酒が切れました、姐さん」
「あんらって?」
「酒が……もう無いそうです」
「ないぃ?」
「ですので勝負は引き分けということで……ひっ!」
ふざけんなぁ!と叫んだ勇儀は陸奥を締め上げて振り回す。
ぎゃぁぁぁぁ!と悲鳴を上げ陸奥は目を回す。
「最後の一杯が、名残惜しいが、それ故にまた格別よなぁ」
ぐいっと夜智王が杯を干す。
勇儀は陸奥を放り捨て、ぎろりと夜智王を睨む。
目を回した陸奥を哀れに思ってか、夜智王はまた一枚鱗を美女に変化させて陸奥を介抱させる。
「ないものは仕方あるまいなぁ?」
その時だった、夜智王の杯でぴちぴちしていた酒虫がふるふると震えだす。
「おいおい無理をするでないよ」
いいえ!と言いたげにドヤ顔を決めた酒虫の体からジワリと酒が染み出し、夜智王の杯を満たす。
「これは実に旨そうだなぁ」
のんびりとそう言い、感謝の接吻を酒虫にする夜智王。
照れくさそうに酒虫がふるふると鰭を振るわせる。
言うまでも無いが、この酒虫、雌らしい。
「では、頂くとするか」
「待ちな!」
勝手に一杯多く呑もうとする夜智王に勇儀が飛び掛る。
酒器が飛び、酒虫も飛ぶ。
「うわぁ……」
地面に叩き付けれそうになった酒虫を、なんとか復活した陸奥が受け止めながら、感嘆の声を漏らす。
飛び掛ってきた勇儀を難なく受け止めた夜智王は、その体を抱きしめながら、勇儀の唇を奪っていた。
「んっ……こくっ……ふぁ……やっ……んんんっ!」
艶っぽい声を勇儀が漏らす。
彼女の唇を割った夜智王は、口内に含んでいた酒を口移しで飲ましているのだ。
明らかに含んでいる量よりも多い酒が延々と勇儀の口内へと注ぎ込まれる。
「やめっ……ちゅ……うんっ……こくっ……ふぁぁ」
極上の甘露のような酒が注がれ、否応なしに飲み込む度、勇儀の体から力が抜けてゆく。
がくがくと膝が笑い、崩れ落ちそうになる体を必死に叱咤するが、言うことを聞いてくれない。
しっかりと夜智王が抱きとめているせいで崩れ落ちることは無かったが、ようやく夜智王が口を離す頃には、すっかり勇儀は脱力しきっていた。
「はぁ……はぁ……蛇、貴様ぁ」
「懐かしい味であろう?」
「この脱力と……痺れは、はぁ…くぅ」
恨み言を吐く勇儀を一旦無視し、夜智王は陸奥に話しかける。
「陸奥や」
「なんです?」
「一杯だが、星熊が多く呑んだ。よって勝負は星熊の勝ち。で良いかな?」
「……試合に負けて、勝負に勝った、という感じですな」
「ははは、そうだな」
「では。呑み比べは勇儀姐さんの勝ち。ということで」
「おう、審判ご苦労であったな」
勇儀はお持ち帰りさせてもらうぞ。と言って夜智王は広場を去ってゆく。
「さて陸奥様。こちらも楽しみましょうか?」
「え……?」
「ろくろく飲みもせずに審判してくれたお礼ですわ」
「や、それは、賄賂でしょ?困る……ちょっと乳押し付けないで、あっ!」
「ワシはお主のような誠実な男が大好物なのだ……知っておったか?」
「やめ、そこ握っちゃらめぇ!」
「こんなに固くして、ふふふ」
いやぁぁぁぁぁ!と陸奥の悲鳴が旧都にこだまするのであった。
「ほれ水だ」
楼閣に戻り、適当な部屋の寝床に勇儀を寝かせた夜智王は、よく冷えた水を含むとまた口移しで勇儀に飲ます。
「や……めぇ、ろぉ」
「飲まねば辛いばかりだぞ?何せあれは鬼毒酒だ」
鬼にとって毒となる酒。
それを夜智王は体内に飼っていた。
「ひきょう……ものぉ」
「あのまま続けても勝負はつかんし。勝ちを譲ろうにもそなたは諾とは言わんだろう?」
ならば、これしか手はなかったのさ。と夜智王は悪い笑顔で言う。
「だが実に楽しい一時であったよ」
「ちくしょう」
「ははは。お主が勝ったのに悔しそうにするなや星熊。さてワシがここに来た切っ掛けから話すとするかぁ」
「な…に?」
「別に聞かれて困る訳でも無いしな」
そう言って、自分も水を飲みながら夜智王は地底に赴いた理由を話し始めた。
「……」
「と、まぁそんなわけだ」
「スキマの思惑に、まんまと乗せられた」
悔しそうに勇儀が吐き捨てる。
早くも回復し始めた勇儀は随分としかっりとした口調でぶちぶちと紫の悪口を吐き始める。
「まぁそうだな。鬼達はほぼ戦闘不能。これで巫女殿も色々とやりやすかろうて」
「博麗の巫女……当代はどうだい?」
「ああ、実に可愛らしいぞ。やや乳は小さ目だがな」
「そんな話は聞いて無いよ!」
ぶんっ!と勇儀の拳が夜智王を襲うが、ひょいと蛇は避ける。
まだまだ回復しきってはいないようだった。
「特に脇がな」
「強いのか聞いてるんだよ!」
「ははは。すまんすまん、そうさな……強いな多分歴代最強ではないか?」
「へぇ……」
「そろそろここらに辿りつくだろう、どうだ?一戦挑んで見るか?」
まだ勇儀が本調子でないことを承知で夜智王は唆す。
「……酒をくれ、このさいお前の持ってる甘いのでも構わん」
むくりと起き上がった勇儀が盃を突き出す。
「ほぉ」
「この程度の毒だ、酒で洗い流す」
「はっはっは。実に星熊らしいな!」
夜智王はお気に入りの甘い酒を取り出し酌をする。
ぐいっとそれを煽った勇儀は立ち上がる。
「ほら案内しな」
「しかしお主との会話は色気が足らんなぁ」
やれやれといった風情で夜智王は肩を竦める。
空を見やれば、紅白の巫女と白黒の魔法使いがこちらに向かっているのが見えた。