第九話 闇の福音による悪への囁き
お昼休み、お弁当を食べ終わったムドは、一枚の封書を懐から取り出した。
寮を出る前に、ネカネから渡された物であった。
その封書の表には、ムド君研修医最終課題と書かれている。
恐らくはネギはしずなから、アーニャもネカネから同じような封書を渡されていたはずだ。
少なくともネギが渡された事は本人から聞いており、課題内容が期末試験での二-Aの最下位脱出だという事も聞いていた。
どうやらあのクラス、身体能力を優先しすぎて頭の方はやはり残念な人が多いらしい。
それ以前に、勉強に対するやる気というものが欠けているのか。
既に何度も中身を見た封書を開き、中に納められている用紙を取り出す。
その用紙には学園長の名前と学園長印が押されており、課題が正当なものである事を示していた。
「期日の日にまでに、一人以上の生徒に心から感謝される事、か」
ネギのように担任を持たない以上、このようなアバウトな課題にならざるを得ないか。
いかに魔法の存在を隠しつつ、良い行いをして感謝されるか。
立派な魔法使いを目指す者に対する課題としては妥当な所だろう。
高畑のようなNGOで活動するにしても、魔法をおおっぴらに使用して活動しているわけではない。
あくまで魔法を隠しつつそれを行使して誰かに感謝される、そこがみそだ。
ムドの頭の中には、とある事をすれば感謝してくれそうな生徒には心当たりがあった。
ただ期日までに準備を整えられるかどうか。
先日、自分で持ち込んだノートパソコンを立ち上げようとした所で、ノックもなしに扉が開かれた。
「おい、紅茶をいれろ。それから午後はサボるからベッドを貸せ」
「失礼します、ムド先生」
開口一番、尊大な態度で我が侭を言ったのはエヴァンジェリンである。
その後ろから、表情こそ乏しいが申し訳ないと頭を下げた茶々丸が入ってきた。
立ち上げかけていたノートパソコンを閉じ、立ち上がった。
「あ、はい……少し、待ってください。ポットのお湯、あったかな?」
「なければないで、さっさと沸かせ」
あれから、エヴァンジェリンはあしげく保健室に通っていた。
と言っても、先程の言葉通り、サボりや紅茶の優先順位が限りなく高かったが。
もちろん一番は、ムドの顔を屈辱に歪める事である。
茶々丸も使ってムドの情報を集め、エヴァンジェリンの人生経験からほぼプロファイリングは終わっていた。
後はタイミングだけ。
中途半端は許されず、ネギよりも先にムドの心を折るぐらい徹底的にしなければならない。
クククと忍び笑いをしていたエヴァンジェリンは、何やら妙に嬉しそうに紅茶を用意するムドに気がついた。
「なにをそんなに嬉しそうにしている」
「嬉しいですよ。何が目的であろうと、私の所にお客が来るのは。これまでそんな事は、殆どありませんでしたから」
「おい以前も言ったが私が上で、貴様が下だ。上客である私を持て成すのは、貴様の義務だ」
「主を敬う下男だっています。例えそれが義務だとしても、どうぞ」
何時来ても真っ白なテーブルクロスの上に、エヴァンジェリン専用のティーカップにいれられた紅茶が置かれた。
最初にエヴァンジェリンが保健室を訪れてから、ムドが勝手に用意したものだ。
一応、茶々丸の分もあるがまだそれが使われた事はない。
ムドの言葉が比喩ではなく、少なからずエヴァンジェリンを慕っている事が分かる。
自ら自分を下男と称しながら、出来る限りの持て成しをしようとしていた。
さすがにここまで純な行動をされて、悪い気はしない。
改めて考えると、ガキにしてやられて仕返しなどとても誇りある悪とは言えない。
しかもしでかした張本人は、まったくその意識がないのだ。
「ん、まずまずだ」
湯気と共に香る匂いを鼻で感じてから、紅茶に口をつけた。
香りと共に味を堪能して、少しばかり心を落ち着ける。
紅茶により熱せられた吐息を出し、対面の椅子に座ろうとしていたムドを見た。
相変わらず瞳の焦点が合っていないが、紅茶を飲むエヴァンジェリンを嬉しそうに見ている。
まるで親しい相手が、自分の仕事場に遊びに来てくれたように。
事実、ムドはそう思っているのだろう。
エヴァンジェリンが茶々丸に調べさせた結果、ムドは概ね予想通りの人生を送っていた。
田舎住まいの為、魔法学校以前の生活は、ほぼ闇の中であったが。
同じ魔法学校の生徒に殺され掛ける事、二回。
親類の姉であるネカネを協力者に作成したレポートが、勝手に教師の名で発表された事もあった。
書類上に浮かび上がらない大小の事件などはまだある事だろう。
「哀れな奴だよ、お前は」
小さなエヴァンジェリンの呟きは届かず、ムドは小首をかしげていた。
英雄サウザンドマスターの息子として生まれながら、魔法が使えない事ではない。
そのせいで、小さな功績さえ簡単には認められず、挙句同窓生に殺されかけた事でもない。
一番の不幸はそう、自分が光の道を歩けるかもしれないと思っている事である。
あるいは、麻帆良のこの空気がそう錯覚させてしまったのか。
「マスター、それにムド先生。先程から扉の前で、入室を躊躇している方がいます。恐らくは、アーニャさんかと」
「え、アーニャですか?」
突然、茶々丸から来訪者の名を告げられ、ムドが視線をさ迷わせた。
保健室の扉を見ては、視線をそらし、自ら扉を開けには行こうとしない。
現在、アーニャとはちょっとした喧嘩中で、しかも今はその原因であるエヴァンジェリンがいるのだ。
まるで浮気現場が恋人に見つかる直前のようである。
出来ればこのまま帰ってと心で願っていると、ふむと何やら思いついたようなエヴァンジェリンの声が聞こえた。
「おい、ひよっこ以下。貴様、テーブルの下に潜れ」
「潜れと言われても、何故ですか?」
「口答えをするな、急げ。それから茶々丸、そいつを部屋の中へ入れろ」
「分かりました、マスター」
ティーテーブルに敷かれたテーブルクロスは大きく、床に届きそうな程である。
確かにここに潜れば一時的に身を隠せるだろうが、意味がわからない。
それでも命令された茶々丸が扉へ向かったので、考えている暇もなかった。
エヴァンジェリンの意図が分からないまま、ティーテーブルの下へと避難する。
テーブルの裏側や支柱に頭をぶつけないように、最新の注意を払いながら。
「この前のように奉仕しろ」
「は?」
声に導かれて顔を上げれば、テーブルクロスから差し込まれるエヴァンジェリンの足が正面に見えた。
それどころか、黒のハイニーソックスに包まれた両足の奥、黒のフリル付きショーツまで見えている。
だが保健室の前にアーニャが来ているのに、正気の沙汰ではない。
そんな事は出来ないと、無言のまま何もせずにいると顔を強く蹴りつけられた。
「さっさとしろ、何度も上下関係を言わせるな。それと、膝以上にしたら今度こそ殺すぞ」
蹴られた顔をさらにぐりぐりと踏みにじられ、催促される。
無言の抵抗はまだ続けていたが、ついに茶々丸が保健室の扉を開けた。
「あ、アレ……あんた誰? 寮じゃ見ない顔だけど。ムド、先生はいないの?」
「私は寮生ではなく、実家通いです。初めまして、ネギ先生の生徒での一人である茶々丸です。ムド先生は現在、小用で外しておられます」
「ムドがいないのになんで……はッ、もしかしてあんたが!」
「確かアーニャと言ったな。どうだ、ムド先生が戻るまで談笑でも」
声だけしか聞こえない中で、アーニャと茶々丸のやり取りが届き、そこにエヴァンジェリンが割り込んだ。
肝が冷えるような申し出を行う言葉と共に。
自分が隠れているティーテーブルへと、アーニャを誘うなど、ますます意味がわからない。
何故こんな事をするのか、この行為になんの意味があるのか。
混乱するムドの顔にはまだエヴァンジェリンの足による催促が続いていた。
「この紅茶の匂い……この子じゃなくて、あんたが。良いじゃな、受けて立つわよ」
来ないでというムドの願いも虚しく、アーニャが大きく足を踏みしめながら歩いてくる。
乱暴に引かれた椅子に飛びのり、エヴァンジェリンと同じようにテーブルクロスの中へ足が突っ込まれた。
姿が隠せられるとは言っても、二、三人用の小さなティーテーブルである。
万が一でもアーニャの足にぶつからないように避難すれば、当然ながらエヴァンジェリンの足にしがみ付くしかない。
「ふん、その気になったか」
「その気ってなによ」
足にしがみ付かれ、勘違いしたのか分かっていて言っているのか。
ただそれ以上なにもせずにいると、膝を顔に入れられた。
少なくとも、少なくともエヴァンジェリンの言う通りにすれば、蹴られる事はない。
わけがわからないままも、それだけは確信できた。
だが胸に湧き上がる罪悪感はいかんともしがたく、ごめんと心でアーニャへと振り向いて謝罪する。
そのつもりであったが、即座に振り返りなおした。
考えても見れば当然で、先程、今もだが前を見ればエヴァンジェリンのスカートの中が見えているのだ。
振り返れば当然、アーニャのスカートの中身が見えると言う事である。
フリルがありながらも大人っぽい黒のショーツとは違い、淡いピンクのジュニアショーツだが。
同じぐらいの背格好でありながらも、色気としては圧倒的にエヴァンジェリンのショーツが勝っている。
だが、アーニャはムドが大好きな女の子であった。
ネカネの乳首を吸った時より、エヴァンジェリンの割れ目をショーツ越しに舐めようとした時よりもカッと頭が熱くなる。
「で、あんた一体なんなの? そろそろ、お昼の授業が始まるわよね。行かなくて良いのかしら?」
「どうにも具合が悪いのだ、見逃せ。まだ冷めてないはずだ、飲んだらどうだ?」
「こいつ、ぬけぬけとムカつく…………あ、美味しい。普段はネカネお姉ちゃんか、ネギがいれるからムドのお手製なんて私でさえ飲めないのに」
「ああ、思い出したがそれはムド先生の飲みさしだったな」
意地悪くもエヴァンジェリンがそう呟いた直後、軽く吹き出したアーニャがむせ込んだ。
余程驚いたのか、むせ続けるアーニャを心配した茶々丸が、その背中をさする衣擦れの音が聞こえた。
そのアーニャの苦しそうな声に紛れ、エヴァンジェリンが言った。
「これが最後通牒だ。やれ」
さも楽しそうに、ムドにだけ聞こえるように。
まるで私はどちらでも構わないと言っているようでもあった。
そうなるとムドには選択権そのものがない。
紅茶を出して持て成すどころか、そのティーテーブルの下にいるなど今度こそ勘違いではすまなくなる。
呆れられるだけならまだしも、きっと二度と口を聞いてくれなくなるだろう。
捨てられる、大好きなアーニャに。
怖い、理不尽な暴力や処遇などよりも、よっぽど怖かった。
だからムドは、了承を伝えるようにエヴァンジェリンの膝に唇をつけた。
音が鳴らないように慎重に、吸い付き、舌を這わせる。
「こ、この……から、からかってるだけでしょ。か、間接キス……」
「いえ、ムド先生はつい今しがたまでその席にいらっしゃいました。一口だけですが」
「待って、言わないで。今心の整理をつけるから!」
「ククク、さてそのムド先生は何時に戻ってくるんだろうな」
そう呟いたエヴァンジェリンが、ムドに舐めさせている足を伸ばしてきた。
元々場所が狭く、ムドがしがみ付くようにしていたせいで、容易にそこへと届く。
「グッ……」
エヴァンジェリンのつま先が、スーツのズボンの上からムドの股間を弄った。
足の指先で突き、ズボンの中の一物をすくい上げるようにし、足の甲で竿の裏筋を撫で上げる。
アーニャがそこにいる緊張から、縮み上がっていたそれが、足の裏という異端の場所で弄くられ反応し出してしまう。
その足の指先に負けじと、ムドも舌を這わせていった。
アーニャが直ぐそこにいる罪悪感は依然として持ち合わせている。
だが、何かに集中していなければとても耐えられはしなかった。
例えそれが、アーニャに対する気持ちとは全く逆の事柄だとしても。
懸命にエヴァンジェリンの膝を、ハイニーソックスをずり落としたすねやふくらはぎに奉仕を続ける。
「アーニャ……アーニャがそこに」
大好きな少女の名前を呟きながら、全く別人の足に奉仕をおこない続ける。
現実逃避からか、段々とムドも思考が麻痺してきてしまう。
最初は聖域を汚すのを避けるように目をそらしたはずの背後へ、チラチラと視線を向けていた。
来客用スリッパからのびる白のミニソックス、そこから伸びる素足を辿った終着点。
局部だけでなく、尻から腰の下までまるまる包み込む淡いピンクのジュニアショーツである。
「それで、ムド先生には何か用だったのか?」
「別になんでも良いでしょ。たく……誰のせいで、ムドとぎくしゃくしてると思ってるのよ。折角、課題を貰ったのにかこつけて来たのに。最悪だわ」
「最悪、だそうだ。確かに、最悪だな」
アーニャから、仲直りの為に来てくれた。
その事実が、ムドを逃避から呼び起こし、現実を突きつける。
エヴァンジェリンに奉仕する自分を、アーニャのショーツを見て興奮する自分を。
辛い、これならまだ魔法学校の時のように暴行された方が明らかにマシであった。
だというのに、エヴァンジェリンの足を舐める舌が止まらない、刺激される一物は完全に勃起している。
明らかにムドは、エヴァンジェリンから快楽を与えられ、さらに得ようとしていた。
「そう硬い態度をとるな。カチカチだぞ」
今までずっと片足の指先でムドの一物を弄んでいたエヴァンジェリンが、足をもう一本追加した。
少しだけ椅子の上から体勢を崩し、伸ばした両足の裏で挟み込むようにしごく。
「あんた、なんか顔が赤いわよ。もしかして、本当に体調が……」
「なに紅茶を飲んで体が温まっただけだ。しかし、本当に上手いな。舌の転がり方が違う」
「え、なにその表現……聞いた事ないんだけど」
「いずれ、大人になれば分かる。これはこれで、良いものだ」
まるでアーニャに今ムドが何をしているか教えるような言葉の連続に、冷や汗が止まらない。
エヴァンジェリン自身、舌先や一物からムドの反応を感じ、楽しんでいるようであった。
恐らくは早く終わってくれとムドが震えている事も悟っているのだろう。
足の裏で独楽を回すように、一物へのしごきは強くなってきていた。
「何よ、大人ぶって。見た目は私と変わらないじゃない。ちゃんと食べてるの?」
「きさ…………まあ、良い。しかし、今度飲む時は、ミルクが欲しい所だな」
「え、私アレは駄目。甘くなりすぎて、紅茶の味も何もなくなっちゃうじゃない」
「そうか、ミルクは嫌いか。残念だ、本当にな」
ムドの限界を察したのか、ミルクを強調しながらエヴァンジェリンが足の裏をすりつぶした。
痛みすら伴なうそれを与えられ、無理やり射精させられたムドが後頭部をティーテーブルの支柱にぶつけてしまった。
「きゃッ」
大きくガタンと揺れるティーテーブル。
無理やり与えられた射精の快楽と、行き場なくトランクスの中が精液だらけになる嫌悪感。
そのどちらに浸る事も出来ず、ムドは体を抱きしめながら撃ち震えていた。
もうお終いだと、アーニャがティーテーブルの下を覗き込むまで幾ばくもないと。
「すまんな、足を組み替えようとしたんだが当たってしまった」
「もう、気をつけなさいよね……って、なんで私があんたなんかと暢気にお茶しておしゃべりしなきゃいけないのよ!」
「私がそうしたかったからさ。まあ、悪くない時間だった」
「ああ、もう。なんかムカつく。その余裕の態度、あんたみたいなすかした女に絶対ムドは渡さないから!」
その台詞の直後、アーニャが椅子を倒しながら立ち上がった。
「い、今のなし。私は何も言ってない。私は……もう帰る!」
余程慌てていたのか、一度蹴躓いてどてりと膝を付きながら、アーニャは保健室を飛び出していった。
恐らくは、戻ってこないだろう。
保健室に残されたのは、満足そうに忍び笑いをするエヴァンジェリンと、何も言わずずっと立っていた茶々丸。
そして、俯いたままのそのそと、ティーテーブルの下から這い出てきたムドである。
必死に顔を見せないと伏せながら、エヴァンジェリンの前に立つ。
その姿で一番ムドの心情を表しているのは、握りこまれた拳であった。
「どうした? さっさと着替えるなり、なんなりしたらどうだ。気持ち悪くないのか? 青臭い匂いがこちらまで漂ってくるぞ」
「うっ、ぐぅ……」
「マスター、さすがに……」
「動くな、茶々丸。何を慌てる事がある」
エヴァンジェリンを庇おうとした茶々丸が、その本人の言葉により制される。
あくまでエヴァンジェリンは態度を変えない。
すっかり冷えてしまった紅茶でさえ、楽しそうに口をつけていた。
ムドが抱く感情が分からないはずがないのに、伏せられた顔が、握りこまれた拳が何を意味するのか分からないはずがないのに。
一頻り遊んだ玩具から興味をなくし、箱の片隅に放置したまま忘れてしまう子供のような態度だ。
半年振りとも言える屈辱、いや以前はネギの心に楔を打ち込む目的があった。
意味も分からないまま、ただただ相手の楽しみの為だけに虐げられたのは記憶にすらない。
「う、がああああッ!」
ムドは無我夢中で握りこんでいた拳を振り上げた。
振り上げた拳の勢いにつられ揺さぶられ、持ち上げられた顔から涙が飛沫となって飛び散る。
食い縛った歯が砕け散りそうな程に、肩と腰を回して拳にさらに力を込める。
専用のティーカップを手に、それでもまだ態度を変えないエヴァンジェリンへとその拳を振るった。
鋭さも重さもない、鍛えた跡が一切ないその拳は、エヴァンジェリンの手の平に易々と止められた。
上段から打ち下ろされた拳の勢いを利用するように、引かれ、差し出されたエヴァンジェリンの足にすくわれる。
怒り心頭でありながら、笑ってしまいそうな程に、簡単にムドの体は高く宙を舞った。
今日のエヴァンジェリンからは、殆ど魔力を感じない状態であったにも関わらずだ。
そして、狙いすましたかのようにパイプベッドの上に、背中から落ちた。
「グハッ、う……」
「まさか、本当に自分が弱者である事さえ忘れて殴りかかってくるとはな。予想以上の効果だったな」
大の字に転がされた胸の上に、エヴァンジェリンが跨ってきた。
暴れようとする腕は膝に押さえつけられ、留めに額に人差し指を置かれる。
完全に身動きを封じられた状態で、エヴァンジェリンが満足そうにムドの顔を覗き込んだ。
「なんだ貴様、泣いているのか? たかだか、好いた女の前でイかされただけで。その程度、受け流せないぐらいで、良く辛酸を舐めてきたと言えたものだ」
「痛ッ、アーニャは……アーニャは関係ないだろうが!」
「ん、貴様……ああ、そうだな関係ない。だが無関係だからと言って手を出さない理由にはならない。やはりな、貴様が受けてきた辛酸は生温い」
一瞬、ムドの言葉使いの変化に眉を動かし、特に気にせず続ける。
エヴァンジェリンは後ろに手を伸ばし、ぬるぬると滑るズボンの下腹部をさすった。
「今まで貴様は、自分自身にしか差別を受けた事はあるまい。被害は全て自身に集束し、親しい者、あのアーニャとかいう娘だな。奴などにまで被害が及んだ事がない」
「及んで、溜まるか。アーニャには、関係ない」
「それが、貴様が歪み切らない、煮え切らない原因だ。迂闊にも、この私が惑わされたわけだ。今の貴様は、何もかもがブレているのだからな」
「俺が、ブレて……私が」
ほんの少しの自覚と共に、抵抗を薄めながら尋ね返す。
「貴様、このまま自分が幸せになれると勘違いしてやいないか?」
その自覚を突かれ、抵抗が消える。
「自分の行動を正当化する言動が、その証拠だ。哀れな弱者が強者に庇護を請う事は否定せん。獣の世界でさえ、弱い雌は、尻軽にも強い雄になびく。自然の摂理だ。だが貴様は自分が弱者である事を理解し、強者の庇護を求めながらそれを美化している」
分かるかと、痛みを伴なうほどに一物を握りつぶされた。
射精直後で敏感になっている場所だけにうめき声が口からもれるが、歯を食い縛る。
正しい、エヴァンジェリンが正しいからだ。
薄々感づいてはいた。
自分の行動の正当化、美化までは気付いていなかったが、幸せになれるかもと思っていた事は本当だ。
だから魔法学校での生活の時よりも、行動が鈍っていた。
ネギの魔法の修行よりも、先生としての魔法に関係ない一時的な修行を優先して手伝った。
他にもネギがまだ未完成でありながら、その間の埋め合わせにもなる強い従者を得る事を躊躇してしまっていた。
「立派な魔法使いになれるとぼうやを信じている。立派な魔法使いをただの力の象徴として使うのはまだ分かる。だが、ぼうやを信じているとはなんだ? 貴様はぼうやを利用し、時には盾にしてまで平穏が欲しいのだろう?」
「欲しいです。アーニャと結婚して、魔法の関係ない静かな所で暮らしたい。姉さんも一緒に、アーニャの両親だって……」
「弱者なりの慎ましい夢だな。ならば、もっと歪み悪に染まれ。手の平の僅かな宝を守る為に、まず貴様が全てを切り捨てろ。ぼうやに切り捨てさせる前に、まず貴様がな」
「兄さんよりも先に、まず私が」
ムドの確認するような呟きに、そうだ良い子だとばかりに握りつぶしていた一物をエヴァンジェリンが撫でる。
良い子だと、飲み込みの良い子の頭を撫でるように。
「貴様が本当の辛酸を知らなかったのは、ある意味幸運だったな。遠い昔、私を吸血鬼だと知らず、一切れのパンとミルクを与えた人間がいた。どうなったと思う?」
あれほど楽しげにムドを見下ろしていたエヴァンジェリンの瞳が、一瞬だけ静けさを取り戻し揺れる。
僅かな感情こそ見せてはいるが、それこそが達観を得た者が見せる瞳であった。
本当の意味で仕方がないと、諦めにも似た感情で過去の事実を認めている。
怒りでも哀しみでもなく、ただただそういう事があったと思い出す程度の感情の揺れだ。
「吸血鬼の仲間だと言って、殺された」
「そうだ、無知から来る行動であろうと悪に近付けばそいつは悪だ。そして、貴様も悪だ。英雄の息子でありながら、魔力も気も使えない。生まれついての悪だ」
「悪である私の傍にいるアーニャや姉さんも……いつか、殺される」
「正義は、光は闇を照らし消す事しかできない。闇に染まれ、ムド・スプリングフィールド。生まれついての悪である貴様が救われるには、より強大な悪になるしかない」
既に抵抗を止めていたムドの上から、静かにエヴァンジェリンが降りた。
すっかり冷めた紅茶で乾いた喉を潤し、振り返る。
茫然と、自分の両手を見つめているムドの姿を。
今はエヴァンジェリンの言葉を必死に心で噛み砕き、染みこませているのだろう。
額より流れる汗が目に入ってさえ、微動だにしない。
「坊やの件だが、貴様が決めろ。何時、どのようなタイミングでその心を折るか。引き金は貴様が引くんだ。帰るぞ、茶々丸」
「え、ですが……」
「決めるのは、ひよっこ以下だ。二度は言わん、帰るぞ」
「はい、マスター。失礼します、ムド先生」
エヴァンジェリンと茶々丸が退室した後もしばらくの間は、ムドはパイプベッドの上から動く事はなかった。
トランクスの中で冷え切った精液が生乾きになるまで。
だがようやく動き出したとしても、その動きは機敏とはとても言えなかった。
焦点の合わない瞳をさらに濁らせ、まずは汚れたトランクスを脱いでゴミ箱に捨てる。
べとべとに濡れていた一物も処理し、トランクスのない状態でスーツに足を通す。
それからデスクに座ると、ムドは起動しているノートパソコンからネットに繋げた。
ワールドワイドウェブではなく、まほネットの方だ。
参照するページは、魔法医療に関する薬剤のページである。
保健の先生を修行として課されただけあって、ムドの薬に関する知識はかなりのものだ。
まほネットでも最新の魔法医薬は良く参照しており、常に新しい物には目を通している。
その魔法薬の中で、使えそうなものがある事を憶えていた。
魔法世界では割と普通の薬であるが、現実世界では実現できない効用があった。
それを上手く使えば、手っ取り早く一人、従者を増やす事が出来る。
「あった……」
目的の物を見つけると、早速その薬を速達で注文する。
さらに別のページへと向かい、別途もう一品注文して同じ速達を選択した。
速達とは言っても魔法世界からなので、早くても三日はかかるが十分だ。
二品の魔法薬の注文を終えたムドは、デスクの上の内線電話を手に取った。
確認した時間は、丁度五限目が終わった休み時間であり、大きな問題ない。
軽く声を出し、動揺が表に出ない事を確認してから放送室への内線番号をプッシュし、コールを待つ。
「はい、麻帆良女子中学校の放送室です」
「お疲れ様です。保健医のムドです」
内線を取った放送部員に対し、定型の挨拶をして本題に入る。
「二-Aの保健委員、和泉亜子さんを呼び出してもらえますか。場所は保健室で、委員の仕事で用があると」
「二-Aの保健委員の和泉亜子さんですね。了解しました。しばらくお待ちください」
「お願いします」
内線の受話器を置くと同時に、両手が振るえ熱の割りに大量の汗が出てくる。
特別好きでも嫌いでもない、ただの知り合いを己の意思で、勝手でこちら側に引きずり込む。
もちろん、今すぐではなくある程度の自由意志はある。
だが亜子にとって選択肢などないも同然だ。
ネカネを従者にした時と同じく、相手の心の隙をついて、騙して。
今にも吐きそうになる気持ちを押し殺して、ムドはただ静かに呼び出しの放送が掛かるのを待った。
-後書き-
ども、えなりんです。
よくエヴァはオリ主の境遇に共感する事があるが、甘いと思う。
不幸自慢でエヴァに勝てる人は本当に少ないと思います。
人権なんて言葉すらなかった頃に、迫害された人ですし。
まあ、それはさておき。
エヴァの一喝で、ムドが従者獲得に動き始めました。
最初の犠牲者は、最後に放送で呼び出した亜子です。
勘の良い人は、何故亜子なのかわかりますね?
さて、次回からは本格的に図書館島編です。
それでは次回は土曜の投稿です。