第七話 ネギ先生の新しい生活
ネギは当初、教員らしく昼食は職員室で取る事にしていた。
それが一番教師らしく、模範的な行動であり、当然であると思っていたからだ。
だがここ最近は変わってきていた。
夜の勉強会を通してより多く生徒と触れ合う事で、一緒にどうかと誘われる事が増えてきたのだ。
そのネギも今日だけは、保健室へとやって来てムドと一緒にお弁当をつついていた。
おかずの種類が豊富で、白い米粒が眩しい日本式、ネカネお手製のお弁当である。
ネカネが二-Aの料理上手の木乃香や、お料理研究会の四葉五月に日本料理を教えてもらった結果であった。
一度この素晴らしいお弁当を知ってしまったら、サンドイッチだけのお弁当など侘びしくて食べてはいられない。
時折、無性に恋しくなる時もあるが。
そのお弁当を箸で器用に挟みながら、ネギはやたらとムドをチラチラ見ながら口元に運ぶ。
そして、ふと何かに気がついたように、ムドへと尋ねてきた。
「お姉ちゃんも今朝はそうだったけど、なんだかムドご機嫌だね。良い事でもあったの?」
「そうですか? 自分では普通のつもりですけれど」
そんなつもりはないと答えても、うんうんと二回も頷かれてしまう。
実際、言葉とは裏腹に自覚も、その理由もあるのだが正直に言うわけにはいかない。
ネカネと心から通じ合い、本当の意味で主従となった事など。
ただそれで浮かれているものの、そこから先の行動に移すかはまだ決めかねていた。
「私は何時も通りですよ。それで兄さんは、今日急にどうしたんですか? 何時もは、二-Aの教室でお弁当を食べてるはずだと思いましたが?」
「うん、あのムドにお願いと言うか……明日菜さん達が、たまにはムドともお弁当を食べたいって言ってくれたんだ。それで、保健室で食べても良いか聞いてくれって頼まれたんだ」
「私と、ですか?」
「うん、駄目かな? 僕は賛成なんだけど」
ずっとムドの事を伺っていたのは、そういうわけらしい。
お昼休みは、体育の時間を除くと一番怪我人が出やすい時間帯である。
その為、ムドはこれまでネギのように職員室であったり、何処かの教室で同僚の先生や、生徒と一緒にお昼を食べる事はなかった。
例外としてはやはり、怪我をした生徒が仕方なく保健室でお昼をとった時ぐらいか。
それも滅多にあるわけでもなく、大抵は一人寂しくという奴である。
「そうですね、条件付きで良いなら。事前に連絡する事、怪我や具合の悪い生徒がいたり、出た時は途中でも退室する事、そんな所ですかね」
「うん、分かった。伝えておくね。あ、ムドの携帯電話の番号を教えても良い?」
あまり教師と生徒がプライベートで繋がるのは良くないと思えたが、ムドは保健の先生である。
生徒の成績や内申に直接関われるわけでもなく、問題はないだろう。
無闇やたらと教えて回らないならと、これまた条件付で頷こうとした時、保健室の扉がけたたましく開け放たれた。
早速、怪我人でも出たのか慌てず騒がず、席を立ったムドの瞳に飛び込んできたのは、泣きながら飛び込んできた亜子とまき絵であった。
「うわああーん、先生!」
「ムド先生、ここにネギ先生いる!?」
「はい?」
何故か保健室に来ておきながら、名指しされたネギがとりあえずの返事を返す。
ムドもまたぽかんとしていたが、二人の顔や手に小さいが数多い擦り傷を見つけてハッと我にかえる。
「こ、校内で暴行が……」
「見てください、この傷。助けてネギ先生!」
額に張ったばかりの絆創膏をつけた亜子が、手の甲の擦り傷を見せながらまき絵が訴えた。
訴えよりもまずは治療が先だと、ムドは戸棚へと救急箱を取りに向かった。
その為、暴行という言葉を聞いて、ネギの目の色が変わる瞬間を見逃してしまう。
気が早くも、話を聞く前に魔法の杖を強く握り締めているネギの姿を。
「亜子さん、まき絵さん詳しい話を聞かせてください」
「ネ、ネギ先生? あの……私達がバレーボールで遊んでたら聖ウルスラ女子高等学校の人達が来て」
「それで難癖つけてきて、どきなさいって。まだ裕奈やアキラがそこで頑張ってて」
「そうですか、年上の人達が後から来たのに勝手に」
ネギの様子にまるで脅えるように亜子とまき絵が、言葉に詰まりながら説明する。
「ムド、亜子さんとまき絵さんの治療をお願い。僕は、裕奈さん達を助けに行きます」
「兄さん? あ、兄さん待って!」
ムドの言葉すら届いていないかのように、ネギは一目散に駆け出していた。
魔法で身体強化さえかけて、その手に杖を持ち廊下を駆け抜けていく。
表情もネギらしからぬ険しいもので、ムドは何か嫌な予感がしてならなかった。
「とりあえず、二人とも怪我を見せてください」
「ウチはもう絆創膏張ったから、まき絵をお願いします」
「ひりひりするよぉ。部活に影響しなきゃいいけど……」
「亜子さんもしっかり消毒しないと駄目です。まき絵さんの後は、亜子さんの怪我も」
まき絵の手の甲に、消毒薬を脱脂綿でちょいちょいとつけた。
今度はひりひりではなく、染みると涙目になるまき絵の治療を心を鬼にして続ける。
同時に痛かっただろうなと、思いながら絆創膏を貼り付けた時、頭の中で全てが繋がった。
電流が走るように脳内のシナプスが繋がり、記憶が呼び覚まされていく。
何故自分がそれに気づかず、ネギが先に気付いて怒りをあらわにしたのか。
全く本当に、麻帆良学園都市に来てから、一時の平穏に浸って気が抜けていると自身を叱りたくなってきた。
「治療が終わったら、私をそこに案内してください。兄さんが心配です!」
「急に……でも、そうやよね。ついネギ先生を呼びに来ちゃったけど、高校生を相手にするのは難しいよね」
「あ、私はもう良いから亜子次治療して貰って。痛いことは痛いけど、部活とか弟との喧嘩で慣れてるから」
「だったら、ウチも後でええよ。ムド先生、行こか」
本来ならば治療を途中で切り上げるなどあってはならない事だが、目を瞑りお願いしますと頼み込む。
「お願いします、私も出来るだけ走りますので」
ムドは自分でネギの心に楔を打ち込んでおきながら、半ば忘れかけていた。
完全に成功したわけではなかったので仕方ないが、今のネギは暴行や虐めに過敏なのだ。
亜子の校内で暴行がという言葉に、完全にスイッチが入ってしまったかもしれなかった。
穏便に済ませられれば良いが、相手が下手に屁理屈をこねたりすれば魔法すら行使しかねない。
ネギが生徒に魔法を使ったなんて知れたら、大問題である。
ムドはこれから酷使するであろう胸の前を手で握り閉めながら、先を行く亜子とまき絵の後をついて走り始めた。
聖ウルスラ女子高等学校の女子生徒に囲まれ、アキラは裕奈を庇うような位置取りで立っていた。
亜子とまき絵だけはどうにか逃がす事が出来たが、代わりに裕奈と共に逃げ遅れてしまった。
そもそも逃げる必要はないのだが、難癖を付けられた時点で理屈は通じない。
どうにか逃げたいが、背を向けた瞬間を狙われるのは明らかだ。
何しろつい先程まで自分達が遊んでいたバレーボールを取り上げ、聖ウルスラ女子高等学校の生徒の一人がこちらを軽んじるような笑みを浮かべているのだから。
だが何時までも言葉を発しず、逃げ出さない割りに下手に出る事の無いアキラと裕奈の態度に業を煮やしたようだ。
バレーボールを高く放り投げ、タイミングを合わせるように跳んだ。
「それっ、女子高生アタック!」
ネーミングセンスは兎も角として、やけに楽しそうな声と共にバレーボールが打ち放たれた。
女の子の成長は比較的早いと言っても、やはり高校生と中学生では体力が違う。
クラスの中でも、運動神経が良い方に入るアキラでさえも、反応仕切れなかった。
身構え、レシーブの体勢に入るも体がバレーボールの速さについて来れない。
一瞬諦め、何処か変な所を怪我しませんようにと願った瞬間、風のように速く小さな影がアキラとバレーボールの間に割り込んできた。
「あ、危ない!」
「ちょッ!」
危険を叫んだのはアキラの後ろにいた裕奈であり、その次に嘘だという意味を込めて聖ウルスラ女子高等学校の生徒が声を上げた。
何しろアキラの前に躍り出てきたのは、数えで十歳の子供先生、ネギであったからだ。
高校生が思い切り打ち出したボールをどうこう出来るはずもなく、下手をすれば大怪我を負ってしまう。
誰もが肝を冷やし、起こるであろう惨劇から目をそらした時、それは起きた。
「風楯」
杖を振り上げ小さく呟いたネギが、いとも容易く打ち出されたバレーボールを手の平で受け止めたのだ。
「アキラさん、それに裕奈さん怪我はありませんか?」
「大丈夫、先生が助けて……」
「ていうか、今のどうやったの。ネギ君、凄……」
普通ならば奇跡以外の何者でもない光景をさらりと流し、ネギが二人へと振り返って尋ねた。
アキラと裕奈も、驚きに胸を弾ませながらお礼を言おうとして、口ごもる。
今までに見たことも無い、ネギの表情を見たせいだ。
子供子供とクラスの生徒から弄ばれている時や、最近かなり打ち解け真面目に授業を行う時とも違う。
見ていて底冷えするような暗い表情であった。
「あんたは……」
「ちょっと、皆来なよ!」
そのネギの様子に気付かず、聖ウルスラ女子高等学校の生徒が無事を確認し、興味を持ち出した。
小さな子供ながらスーツを着たその姿に琴線でも触れたのか、今度はネギだけを取り囲もうとし始める。
「可愛い、十歳の先生だッ」
だがその聖ウルスラ女子高等学校の生徒たちの勢いを、ネギは杖の一振りで黙らせた。
杖の先端を突きつけるようにして。
「謝ってください。僕の生徒、亜子さんやまき絵さん、それにアキラさんや裕奈さんに」
可愛さ余って憎さ百倍といった所か。
思わぬネギの反抗に、聖ウルスラ女子高等学校の生徒達が目の色を変えた。
ネギもまた大人の魅力が分からない一人として、見下ろすように胸を張る。
「坊や、お子ちゃまの中等部が大人の高等部に逆らって良いわけがないの。子供は子供らしく、隅で遊んでいるのが似合ってるわ」
「謝る気はないんですね?」
「あるわけないじゃない。どうして私達が謝らなくてはいけないのかしら。教えてください、先生」
「言っても分からない人に教えても無駄です。貴方達みたいな人が……ラス・テル マ・スキル マギステル」
何も知らなかった自分、何も出来なかった自分を思い出させられる。
卒業式のあの日、誰一人弁明せず目をそらすだけに終わらせた人々。
その後、ネギの知る限りでもムドへと謝罪に訪れた者はおらず、そればかりか出来損ないに関わるなとまで言われた事もあった。
だから言っても分からない人には、同じ力で押し通す。
「ちょっと貴方達!」
別の場所から投げかけられた言葉に、裕奈やアキラを含め、聖ウルスラ女子高等学校の生徒達も一斉に視線を奪われた。
叫んだのは、話を聞きつけてやってきた明日菜とあやかであった。
標的を変え、聖ウルスラ女子高等学校の生徒がいざ言葉を放とうとした時にネギの詠唱は完了した。
「風花 武装解除!」
魔力を帯びた風が、ネギの杖から放たれ吹き荒れる。
つむじ風のように渦巻き、聖ウルスラ女子高等学校の生徒達を巻き上げた。
突然の事に加え、自分達に何が起こっているのか分からないまま悲鳴が上がった。
それでも気丈に身を乗り出し、聖ウルスラ女子高等学校の生徒の一人が前へと飛び出した。
「ついに現れたわね、神楽坂明日菜に雪広あやか。中等部の癖に色々でしゃばって有名らしいけど」
「え、えーッ! なんで脱ぐの、勇ましい言葉はなんだったの。ぬ、脱げ女!」
「おーっほっほっほ、貧相な体をさらしてネギ先生を誘惑しようとしても無駄ですわ。ネギ先生に相応しいのはやはり、母性溢れる私のような完璧な乙女」
「なにを言ってるの?」
まだ自分に何が起こったのか聖ウルスラ女子高等学校の生徒の一人は目を点にしていた。
だがつむじ風が終わってもなお、背後から上がる複数の悲鳴に振り返り、ようやく察する事になった。
明日菜の言う通り、脱げていたのだ。
ブラジャーとショーツだけを器用に残して、彼女を含めたクラスメイト全員の制服が脱げていた。
肝心の制服は、つむじ風に運ばれ遠くに飛んでいくのが見えた。
「英子、制服が、早く追いかけないと!」
「ィッ、イヤー……こんな屈辱、覚えてなさい。ビビ、しぃ私の制服もお願い!」
半裸の集団が一目を忍ぶ余裕もないまま、飛ばされていく制服を追いかけていった。
「よ、良く分かんないけど……ちょっと同情するわ。真昼間に半裸で、一体なんなの?」
「きっと天罰ですわ。この雪広あやか率いる二-Aにちょっかいを掛けようとした」
「二度と来るな。来たら、また脱げるぞ!」
「でも結局、なんだったんだろ」
あやか以外、ふに落ちないと言った顔で去っていく聖ウルスラ女子高等学校の面々を見送っていた。
難癖付けられて脅され、挙句に勝手に脱いで去っていく。
これら一連の行動を理解しろという方が無理だ。
ただ一つだけ分かっている事は、ネギが教師として守ってくれたと言う事だ。
突然脱げたのは意味不明だが、その直前にネギがアキラを庇ってくれた。
飛びこんできた時の表情は、結構怖かったが。
「先生、改めてありがとう。嬉しかった」
「いえ、僕は当然の事をしたまでです。前は、何も出来なかったから……」
「ん? 折角勝ったのに元気ないよネギ先生。もう直ぐ、授業始まっちゃうから行こう」
アキラが頭を撫で、裕奈が何やら落ち込むネギの背中を押した。
「裕奈、アキラ。あっちで絡んできた人達が半裸で走ってたけど、一体何がどうなったん?」
そして、教室へ戻ろうとするネギ達の前に治療を終えた亜子とまき絵が戻ってきた。
急につむじ風が起きて脱げたと簡潔に説明され、やはり首を傾げる亜子とまき絵。
細かい事は良いじゃないかと裕奈に促がされ、ネギと共に教室へと帰っていく。
その様子をムドは、高畑と共に少し離れた場所から見ていた。
「んー、僕らの出番は見事になかったね。まあ、少しやりすぎの感もあるけれど、良い薬にはなるかな」
「はあ、はあ……アレがベストだと私は、思い、ます。言葉では、抑えられない人は」
「ムド君、無理はしない方が良いよ。僕も別に、ネギ君を罰そうと思っているわけじゃないから。それだけは安心して」
走ってきたせいか、胸を抑えながら荒く息をするムドを見て、高畑が吸っていたタバコの火を消した。
そんな小さな気遣いに、息が整ってもいないのにぺこりと頭をさげる。
「ただ、気になるのはネギ君のあの様子だよ。本気で攻撃魔法を使うんじゃないかと冷や冷やしたよ」
「同じくです。兄さんは……私が魔法学校で苛められていた事を、さらにそれを知らなかった事を気にしてますから」
自分がそう仕向けた事はおくびにも出さずに、いけしゃあしゃあとムドは言ってのけた。
「やっぱり原因は、君の体質かい?」
「随分と苛められました。人って本当に、弱者が好きですよね」
「君からすれば、僕でさえ才能の塊に見えるんだろうね。何も言えないよ」
「いえ、私は高畑さんの事は好きです。生まれ持ったハンデに屈せず、乗り越えたんですから。NGOでの実績よりもそちらを尊敬します」
普段そちらを褒められる事は少ないのか、高畑は照れたように火の消えたタバコを咥えていた。
直ぐに自分で火を消していた事を思い出し、まいったなと頭をかく。
その間も言葉通りムドから惜しみない尊敬の眼差しを向けられ、視線をさ迷わせる。
そして、何かを思い出したようにあっと声をあげ、ムドを見下ろし言った。
「そうそう、もし時間があればネギ君のクラスのエヴァを尋ねてみると良い。僕の力の使い方は師匠から教えて貰ったんだけど、実質的な稽古はエヴァだからね。何か君の為になる意見をくれるかもしれないよ」
「エヴァ……エヴァンジェリンさんですか。高畑さんに稽古をって、彼女はやっぱり本物なんですか?」
「そう、悪名高い闇の福音。とは言っても、悪い子じゃない。実際に話してみるのが一番良いよ」
それじゃあねと立ち去る高畑を見送りながら、プロフィールを思い出す。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、吸血鬼の真祖である最強の魔法使い。
悪名に事欠かないその人物が、高畑に戦い方を教えたとは良い情報だ。
何故そんな人物がこの学園で中学生をしているかは分からないが、ネギの師匠問題が解決するかもしれない。
悪の魔法使いであれば、何もかも善意で学園側の人間に協力するような事はないだろう。
張本人が最も危険と言う考えもなくはないが、高畑を鍛えた実績がある以上は期待できる。
早速、尋ねてみようと一先ずムドは、無人のままになっている保健室へと戻っていった。
保健室の扉に外出中の札を下げて直ぐにまた、出て行こうとしたのだが、ムドはすっかり忘れていた。
自分とネギは昼食中であった事を。
ネギが先に片付けだけしに来てくれていたようで、お弁当箱が出しっぱなしという事はなかった。
ただムドは食べるのが遅く、まだ半分も食べていなかったので昼食を再開。
それが悪かった。
常に具合が悪いくせに、先程はネギを追いかけて走ってしまい、気持ち悪くなってしまったのだ。
頑張って食べはしたのだが、結局その後一時間近く、動く事が出来なかった。
直ぐにエヴァンジェリンのもとへと行くのは諦め、五限目が終わるのを大人しく待つ。
そして、五限目終了のチャイムと共に、のそのそと動き出す。
二-Aの教室へと向けて廊下を歩き、途中の階段で何故か上から明日菜達が降りてきた。
汗をタオルで拭っており、体操服を着ている事から屋上で体育か何かであったのだろう。
「あー、楽しかった。お昼には高等部の人を追い返せたし、お昼は一限レクリエーションだし。最高ね。アレ?」
「あはは、ご機嫌やな明日菜。ネギ君も一緒に遊べて良かったえ。あー、ムド君や」
「どうも、実は……あの、明日菜さんどうかしましたか?」
「なんか何時もは赤い顔してるけどなんだか今日は少し青白いわよ。大丈夫?」
ぐいっと顔を近づけられ、顔色を見ると同時にうかがわれる。
やっぱり走ったのが効いているのか、大丈夫ですよと短く答えておく。
明日菜と木乃香が立ち止まる間も、二-Aの生徒がすれ違いながら声を掛けてきていた。
それら一つ一つに答えながら、目的の人物を探すが見当たらなかった。
「エヴァンジェリンさんを探しているんです。彼女のアレルギーの事でちょっと、見ませんでしたか?」
「レクリエーションの間はちょくちょく見たけど、まだ屋上なんじゃない?」
「エヴァちゃんは、授業サボる事も多いえ。今日はええ天気で以外に気温も高いし、このままお昼寝しとるかもしれへんな」
「そうですか、それでは屋上に行ってみます」
サボりが多いと聞かされ、まさか嫌々通っているのか。
考えていても答えは出ないので、屋上へ向かってみる事にする。
だがそのまま階段に足を掛けようとして立ち止まり、明日菜に声を掛けた。
「明日菜さん、どうも今日は高畑先生が出張から帰って来てるみたいですよ」
「え、本当!?」
今丁度立ち去ろうとしていた明日菜が、貴重な情報を耳にしてぐるりと振り返った。
「はい、先程のお昼休みに高等部の人と揉めて兄さんが割り込んだ時に、いざとなれば仲裁に入れるように見守ってました。兄さんが上手く納めてくれたので、そのまま帰りましたけど」
「あ、危なかった……何時もみたいに飛び蹴りとかしなくて良かった。サンキュー、ムド先生。今日はちゃんと部活行こう、高畑先生が来るかも!」
「良かったな、明日菜。ほなバイバイ、ムド君」
クルクル回りながら喜ぶ明日菜と、木乃香に手を振って分かれる。
喜んでもらえて何よりだとこちらまで笑みが浮かぶが、どうにも体が重い。
エヴァンジェリンと話が出来た後にでも、悪いがネカネに魔力を抜いてもらおうと決める。
階段の手すりを掴み、足に加え腕の力も使って屋上まで上がっていく。
途中から二-Aの生徒とすれ違う事もなくなり、ネギにもすれ違う事はなかった。
階段の途中の別の廊下から職員室へと向かったのか。
結構な苦労を重ねて、ムドはようやく屋上へとたどり着くことが出来た。
それから頑丈で重い扉を押して屋上に出ると、冷たい風が一気に屋内へと流れ込んだ。
突風にも似たその風に耐えぬいた次の瞬間、眼前には学校の敷地周辺が全て眺められる良い景色が広がった。
普通の魔法使いであるならば、これ以上の景色を簡単に見られるのだが、ムドにはこれでも十分高い部類に入る。
「麻帆良学園都市か……ただの学園都市なら、もう少し感動出来たんですが」
胸には確かな感動が湧き上がっているのだが、魔法が絡むとそれがどうにも薄くなる。
そもそも力を知らなければ、純粋に高い場所だと喜べただろう。
力ある人ならば、ここより高い場所を目指す事ができた。
だがムドは、力を知りながらもより高みを目指す事はできず、満足する事もできない。
「と、そんな事を考えにきたわけでは……」
慌てて脳裏に浮かんだ考えを捨て、辺りを見渡す。
吹き抜ける風そのものは冷たいが、年頃の女性が汗を流した熱気のようなものが僅かに残っていた。
ただそれは残っていただけで、見渡した限りには誰の姿も見つける事ができなかった。
二-Aの生徒とは全員すれ違い、エヴァンジェリンとはすれ違っていないはずなのだが。
「見落としたか、それとも兄さんと同じで別の廊下から歩いていったか」
兎に角、はっきりしたのはエヴァンジェリンがここにいないと言う事であった。
思わず溜息をつくと、首の動きに合わせて体がよろめいた。
どうやら思った以上に疲労しているようで、青いと言われた顔が熱を帯び始める。
これは早々にネカネに魔力を抜いてもらう必要があるかもしれない。
保健室に戻って、出直そうとムドは屋上を後にしてその扉を閉めた。
その扉の上にある屋上から、ムドを見下ろす二対の瞳がある事に気付かないまま。
「まずい、気持ち悪いです。急がないと……」
手すりに体重を預け、階段を降りていく。
その時、ゆっくりと降ろしたはずの足が、見事に階段を踏み外していた。
思った以上に体調が悪く、視界が不鮮明になっていたせいだろう。
ふいに訪れた落下に手すりを強く握って体を支える事が遅れてしまった。
浮遊感を感じ、背筋に冷たいものがこみ上げる。
自分が一体どうなるのか、複雑な事を思考する事も出来ず、ただ落ちるとだけ思った。
その時、階段の上から伸びた一本の腕が、ムドの首根っこを掴んで引き止めた。
人にあるまじき力と、血の通わない冷たい肌を持つ鋼鉄の腕である。
その腕がムドを支え、抱きかかえてくれた。
「ご無事ですか、ムド先生。足元にはお気をつけ下さい」
「貴方は確か……茶々、丸さん?」
相手の顔は殆ど見えなかったが、グリーンの特徴的な髪の色が誰かを教えてくれていた。
「おい、茶々丸。私の断りなく余計な事は……ぼうやと同じ子供先生? 貴様、誰だ。私はぼうやの他にも魔法使いのひよこがいるなど聞いていないぞ」
「マスター、この方はネギ先生の弟。ムド・スプリングフィールド先生です」
「坊やに弟がいただと? 爺め、なんの思惑があって……ん、なんだか死にそうに見えるんだが」
「検温を開始します……現在三十九度六分、大人でさえ歩けない程の熱が出ています」
何をどう測ったのかは分からなかったが、実際の熱量を聞かされて余計に体が辛くなってきた。
今にも瞼が落ちて気絶してしまいそうだが、今落ちるわけには行かなかった。
焦点が合わないどころか、虚ろになり始める瞳で茶々丸とは別にいる人物へと視線を落とす。
やけに背の低い、ウェーブの掛かった金髪の少女。
予め知っておいたプロフィールから、身体的特徴が合致するので彼女がエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルで間違いない。
「放っておけば死ぬか……仕方ない、保健室に連れて行くぞ。放り込んでおけば、保健医がなんとかするだろう」
「いえマスターこの方が保健の先生です。よって治療出来る方がいません」
「ああ、面倒臭い奴だな。爺も何を考えてこんな馬鹿みたいな奴ばかり」
「あの……」
エヴァンジェリンが良く見えないため、伸ばした手をさ迷わせながら呟いた。
「血を、吸って……もらえま、せんか。それで、治ります」
「はあ? 貴様は、私を馬鹿にしているのか?」
「ただの魔力、酔いなんです。だから、血を……それか、姉さんを呼んで」
魔力酔いと言われ、これまで呆れ果てていたエヴァンジェリンの瞳が鋭く変化した。
通常、魔法使いが魔力酔いをする事はない。
フグやコブラが自分の毒でしなないように、体がきちんと魔力要領を把握しているからだ。
起きるとすれば、魔力酔いした本人以外の第三者がいた場合である。
小さな傷に対し、強大な魔力で過剰に治癒されたり、主が従者に過剰に魔力を供給したりと。
だが今この場には、ムド以外には茶々丸かエヴァンジェリンしかいない。
それに第三者がいたとすれば、ムドをこの場に放置するはずもないはず。
「おい、茶々丸。その坊やを階段に座らせろ」
「分かりました」
エヴァンジェリンの命を受け、茶々丸が階段の上にムドを座らせた。
とてもムドだけではその体重を支えられず、転がり落ちてしまうので茶々丸が後ろから支える。
それでもくたりと首だけは傾いており、寧ろエヴァンジェリンにとっては好都合であった。
「まさか奴の息子の方から血を吸ってくれとはな、遠慮なく吸わせて貰うぞ」
「うッ……」
もはや影しか見えない視界の中で、誰かが近付いてくるのが見えた。
そしてプツリと首筋に何かが刺さった。
ムドの体の中を巡り巡って暴れていた魔力が、ほんの少し抜かれていく。
そう、ほんの少しだけ。
エヴァンジェリンは一口にも達しない量の血を飲んだだけで、その牙をムドの首筋から外していた。
それだけのみならず、何かに驚いたように飛び退り、あやうく階段を転げ落ちそうな所を茶々丸の腕に掴まれ助かった。
「マスター?」
「げほッ、なんだコイツ……表面上は魔力を一切感じないくせに。まずい、むせた。こんな濃い魔力を含んだ血など、コホッ飲んだ事ない」
「ムド先生の体温が三十九度五分に低下。マスター続きを」
「待て少しずつ吸わせろ。むせて死ぬ。味は最高だが、濃すぎるんだ」
後を引く美味に誘惑されるが、一気に飲めば喉越しの衝撃にむせ返る。
相反する感情に支配され、一体何なんだコイツはと若干の怒りを交えながら再びエヴァンジェリンはムドの首筋に噛み付いた。
-後書き-
ども、えなりんです。
微妙な原作剥離、ネギが自分の意志で脱がせた。
あれ、変わってなくね?
そして階段でこけて死にそうになるムド。
何回死にかければ気が済むんだ。
あとエヴァ登場。
ムドの血を飲んでむせた。
なんとか水曜中に間に合った。
次回は土曜の投稿です。