第五十八話 心ではなく理性からの決別
その時起こった出来事を、この武道会会場にいる何人が理解できた事だろうか。
魔法の存在を知らぬ者には確実に不可能であった事だろう。
準決勝第二試合、クウネル対ネギ戦での事である。
仮契約カードを手にしたクウネルが、アーティファクトを呼び出した。
その直後、何処からともなく大量の本が現われ、彼の周りを螺旋状に浮かび上がった。
魔法の隠匿などという言葉は、遥か彼方であった事は間違いない。
「我が名はアルビレオ・イマ。サウザンドマスター……ナギ・スプリングフィールドの友人です。が、しかし。私の事は、クウネル・サンダースとお呼びください」
「は、はぁ」
試合開始直後、クウネルはアーティファクトらしき本を手に何事かをネギに語りかけていた。
「これで……私も十年来の友との約束を果たす事ができます」
そう言ったクウネルは、周囲で螺旋を描いていた本達の内の一つを手に取った。
片手で本を開いて風任せにページを捲り上げ、もう片方の手には栞が握られている。
とあるページに辿り着くと、栞を挟みこんで本を閉じた。
それら全ての行動は意味のある儀式なのか。
クウネルが栞を引き抜いた瞬間、栞が先端より青白い炎を浮かべて燃え始めた。
栞が燃える炎とは別に、クウネル自身が発光して光を周囲に解き放った。
「イノチノシヘン、つまりはそういう事か」
「クウネルさんのアーティファクトを知ってるんですか、エヴァ?」
「奴とも長い付き合いだからな。奴にとっては余り意味のないアーティファクトだが、かなりのレアモノだ。特定人物の性格、記憶、感情、肉体とあらゆる人格の完全再生が能力だ」
そこまでエヴァに説明されて、ムドもクウネルが何の目的でこの武道会に現れたのかを悟った。
能舞台上でもクウネルが、実技を用いて能力の説明に入っていた。
謎のおじさんから若かりし頃の詠春と、次々にその姿が移り変えその人固有の技を披露する。
それから一周するように、その姿がまたクウネル自身のものに戻っていく。
そして唖然とした表情のネギへと、クウネルは本来の目的を語った。
「十年前、我が友の一人からとある頼みを承りました。自分にもし何かあった時、まだ見ぬ息子に何か言葉を残したいと……」
ネギの心を揺さぶるのとは対照的に、ムドの心はどこかしらけた風が吹いていた。
六年前の繰り返し、ナギの意志ではないとはいえまたしてもネギが選ばれたのだ。
ああ、またかと運命もまた繰り返す事が好きなのだと呆れ果ててしまう。
「ムド、私達がいるから」
「ええ、大丈夫です。過去ばかりを見ている兄さんとは違いますよ」
隣にいたアーニャが心配そうに手を取ってくれたが、余裕の微笑を向ける。
全てはずっと前に受け入れた事であり、今さらの事であった。
ただ故人かもしれない人に、直ぐそこにあったネギとの決着が汚された気がしていた。
ネギもまた、クウネルの本来の目的に気がついたようである。
今から数秒後に訪れるであろう事象に、完全に心を奪われてしまっているようであった。
きっと仮に今ムドが突然悲鳴を上げても、振り向きさえしないかもしれない。
「本来ならば華々しく決勝戦でといきたいところでしたが、そこまで何もかも思い通りにはいきません。ではネギ君、心の準備はよろしいですか? 時間は十分、再生は一度限りです」
「まっ、待ってください。六年前、雪の日のアレはクウネルさんなんですか!?」
「六年前……私は何もしていません」
その証拠に古との試合中にさえムドに視線を向けて隙を作ったネギが、六年前を持ち出して叫んだ。
完全にムドは眼中になく、その瞳にはクウネルですらなく現れるであろう父へと向かっていた。
唯一のネギの心配をクウネルは否定し、彼を中心に光が立ち上る。
風が渦巻き砂埃を巻き上げ、光と共にその姿を完全に周囲の観客から押し隠す。
その砂埃と光の中から真っ白な鳩が、一斉に飛び立ち砂埃を払っていった。
光が止み、砂埃が払われた次の瞬間、そこに現れたのはクウネルではない。
脱がれたフードの中から見えた髪はネギと同じ赤髪。
端整な顔立ちに微笑を浮かべながら今気付いたように、彼の息子へとはっきりと笑いかけた。
「よぉ、お前がネギか?」
「と……う、さん」
そう彼の息子であるネギにだけにだ。
「父さん!」
この時ムドは、涙をぽろぽろと零しながら駆け寄るネギを眺めていた。
十分限定で会えた父親ではなく、何時でも会いたい時に会えるネギを。
駆け寄ったネギがデコピンで弾き返されても、ただネギを見ていた。
「あれがネギとムドの……それでムド、どうするの?」
「どうもしませんよ。親子の感動の再会に水をさす必要はないでしょう?」
「本当にそれで構わないの?」
「姉さんまで、忘れたんですか? 見たでしょう、私の記憶を。父さんにとって、私はいないんですよ。兄さんの近所のお友達、間に入ったら無粋以外の何者でもありません」
やや表情が固くなった自覚がありつつ、微笑んで見せて言葉を返す。
「ムド君、アキラのおっぱいなら好きなだけ触ってもええんよ?」
「亜子……ムド君、無理はしないで」
「ムド様、私の胸でよければ」
「こらこら、アンタ達。いくらなんでも白昼堂々というか、ムドを察しなさいよ」
アーニャやネカネのみならず、亜子やアキラ、明日菜に刹那と次々に心配される。
「遺言、か。つまりは己に何かある事を悟っていたのか。通りで、私の呪いを放置するはずだ。それとも、ムドのようにすっかり忘れていたか」
「あれがムドはんのお父上ですかあ。最強の魔法使い、どんな斬れ味がしますやろか」
例外なのはナギを恨んでいるエヴァンジェリンと、指を咥えている月詠か。
一応、乱入しないように駄目ですよとばかりに、ムドは二人の服の裾を掴んでおいた。
「稽古をつけてやるぜ、ネギ」
ムドが心配される間に、能舞台上では話が進んでいたようだ。
ネギを弄くり飽き、話題も特になさそうなナギが手っ取り早くそれを選ぶ。
改めて話し合うのが照れくさいのだろうか。
息子を見る微笑ではなく、やや挑発的な笑みを持って身構えた。
「少しはやれるんだろ。俺がお前にしてやれるのはこれぐらいだ。来な」
「ハイッ、父さん」
ナギに稽古をと緊張していたネギもまた、笑みを浮かべて身構えた。
きっとその頭の中にはナギの事しかない事だろう。
ムドの事はもちろん、この武道会に超の思惑が絡んでしまっている事も。
挙句、反対側の選手控え席でハラハラと見守っている木乃香ら、従者の事でさえ。
やはりネギとムドの生き方は、水と油なのかもしれなかった。
「すみません、皆。折角、貴重な麻帆良祭の時間を削って貰ったのに無駄になりそうです」
「坊やの性格なら、精根尽き果てるまでこの準決勝に注ぎ込むだろうな。なんだか、私まで白けてしまったがお前達は一応見ておけよ。世界の頂点の力を」
「ムドとネギ先生の父親ってそんなに凄いわけ? エヴァちゃんがそう言うんだから、そうなんだろうけど。優男でそうは見えない、げっ」
途中で明日菜が言葉を止めたのは、それなりの理由があった。
瞬動術で間を詰めて放たれたネギの拳を、ナギが軽々と受け止めたからだ。
ただの拳ではなく、豊富なネギの魔力を精一杯こめた一撃なのにである。
続いて放たれた膝の一撃も、冷や汗一つ浮かべずむしろ笑みを浮かべたままで。
完全に見切ってしまい、余裕を持って逆にカウンターを放った。
腹に一発それで体が浮き無防備となったネギのこめかみに鋭い一撃を加える。
「え、なに。ウチ、全然見えへんかった!」
「お腹に一発それから顔、ネギ先生反応できてない」
「凄い、アキラさんはアレが見えているのですか。まさに、その通りです。私達の中でまともに戦えるのは、エヴァンジェリンさんぐらいでしょう」
目にも止まらないナギの動きに亜子が驚き、アキラが若干眼を細めながら追う。
後衛と前衛の違いこそあれ、アキラの優秀な瞳に刹那が感嘆していた。
一方こめかみを殴られたネギは、能舞台の板張りに叩きつけられる前に体勢を整えようとする。
だがその暇さえ与えないようにナギの無詠唱の光の矢が襲いかかった。
無詠唱とはいえ、その光の矢はネギを殴る前に発動していたものだ。
あまりにも攻撃の手が速く、ネギは逃げ惑う事で精一杯であった。
続く無詠唱の光の矢を避け続けて、一瞬そのサンドバッグ一歩手前から抜け出した。
僅かな攻撃の隙間を瞬動術で潜り抜けてナギの背後へ。
そこからさらに百八十度反転しての瞬動術だ。
ナギの背後からお返しとばかりに無詠唱の光の矢を拳に装填して撃ち貫く。
「甘いな、坊や。読み足りないぞ」
エヴァンジェリンの呟きの通りであった。
ナギが拳をいなして軌道を変え、勢いが弱まったところでその手首を握り締めた。
正真正銘、零距離からの雷の魔法でネギの体が放電で瞬き反り返る。
火傷とその痛みにふらついたネギへとナギは手を緩めない。
クウネルが事前に言った通り、何もしてやれなかった代わりに何かを残すように。
ネギのローブの襟首を掴み取っては頭上高く放り投げた。
遥か上空、十数メートルからさらに上っていくネギを、軽々と瞬動術で追い抜いてしまう。
「瞬動術って十メートルが限界ではなかったでしたっけ?」
「あくまでそれは、一般的な距離ですえ。距離は人それぞれですし、長距離用の瞬動術と同じ術でも色々ありますえ」
ムドの純粋な疑問に答えたのは、月詠であった。
要するに、ナギの技術が人並み外れた桁違いという事である。
重力を無視して真上に瞬動術を行ってさえ、常人の倍以上の距離を稼げるのだ。
今のネギが全く相手にならないのだから、それも当然か。
ネギを頭上で待ち構えたナギが繰り飛ばし、昔からのルールなのか無詠唱の雷の魔法を放った。
魔法の射手にも見えるが、一発の大きさがネギをまるまる飲み込める程に大きい。
「これネギ先生、死んだんじゃない?」
そんな明日菜の呟きを前に、ネギが粘った。
杖がないと浮遊術が使えない為、魔法の射手を放った反動で射線から抜け出した。
片腕こそ撃ち抜かれたが、ネギは八割方回避する事に成功する。
ナギが放った魔法はそのまま彼方へと向かい、図書館島のある湖へと着弾してしまった。
ムド達からは見えなかったが、大飛沫が天高く舞ったのだけは見る事が出来た。
「もう魔法の秘匿も何もあったものじゃないです」
さすがにもう、ムドの手には余る展開となってきた。
頭を捻り、無理をすればまだ取り返す事は自体はできるかもしれない。
だが今のムドにとっては父よりもネギよりも、友達であるフェイトが大事である。
さらにそれ以上に従者が、自分が大切なのだ。
折角、超が自分を無視してくれているのに、自分からその気を引きたくはなかった。
変に関わると、地下図書館の時のように勘違いから殺されるかもしれない。
心の中でムドがサジを投げるなかでも、試合は続いていた。
六年前にナギから貰った杖をその手に呼び寄せ、ネギが若かりし頃の父に立ち向かった。
十分という制限こそあれ、一秒でも長くこの時間が続くようにと何度落とされても諦めない。
本当に限界の限界まで力を振り絞り、そして最後にネギは落ちた。
「ワン……ツー!」
シンと静まり返った会場内にて、和美のカウントコールだけが虚しく響いていた。
能舞台上でネギは大の字に倒れながら、ナギに見下ろされている。
ただしその顔に悔しさというものは欠片もなく、微笑を浮かべていた。
「よく持たせたな、ネギ」
「へへ」
ムドが考え事をしている間に、感動の場面は続く。
「あー、しかしなんだ。アレだ、ほら。浮遊術がねえとハイレベルじゃキツイぜ。せめて虚空瞬動ぐらいできないとな。俺がお前くらいの頃はどっちもできてたぜ」
「やっぱり、父さんは強いや。やっぱり、僕が思ってた通りの父さんです」
「ハハッ、そいつあ良かった」
「テン、カウントテン。クウネル・サンダース選手の勝利!」
和美の勝利宣言により、静まり返っていた会場に観客の歓声が戻ってきた。
今日一日の中で一番大きく、まるでこの試合が決勝戦であるかのような。
その歓声の中でネギはナギに手を貸されて立ち上がった。
「もう時間だぜ、ネギ」
「あっ。と……父さん、ちょっと待ってください」
たった今思い出したように、能舞台上からネギが選手控え席にいたムドを手招いた。
「ムド、行くの?」
「意固地になる必要もないですからね。大丈夫です」
アーニャに大丈夫と笑いかけてから、能舞台上へと向かっていった。
まだ鳴り止まぬ歓声の中、それをざわめきに変えながら歩く。
そして負けてしまった事や、父を独り占めした事で済まなそうなネギの隣に並び立つ。
最初にしたのは、にっこりと笑ってナギへと手を差し出す事であった。
「始めまして、ナギ・スプリングフィールドさん。ネギ君のお友達の、ムド・ユーリエウナ・ココロウァです。聞き覚えありませんか?」
えっという顔をしたネギは無視して、ムドはナギにそう問いかけた。
「おー、近所のな。そういやあそこの家も結婚したの俺と同じぐらいか」
「ええ、ネギ君とは魔法学校からずっと一緒の幼馴染です。お会いできて光栄です」
突然の友達宣言に、ネギは混乱しきりで上手く言葉を放つ事すらできないようであった。
それで良い、ネギには真実を知って貰わなければならない。
決勝戦で戦う事で決着が付けられなくなった以上、今この場で決着をつける。
六年前に一体何があったのか、ムドが父親であるナギに何を感じていたのか知って貰う事で。
ネギは一目で息子だと認識されたが、ナギはムドを目の前で見ても子供だと認識していない。
それこそが、ネギとの決着を付けるための最高の証拠となる。
「短い挨拶ですが、これで失礼させてもらいます。残り短い時間は、親子でお使いください」
もうこれで十分だと、ムドはネギが何かを言う前に踵を返した。
ネギが何を言うかは全てシミュレート済みで、何を言われても言い返す自信はある。
既にナギはムドの事をネギがどうしても紹介したかった友達だと認識しているはずだ。
だからこそ、ナギが自分にこう問いかける事は予想外であった。
「無愛想でへそ曲がりは、間違いなくあいつの遺伝だな。俺が惚れた女にそっくりな息子を見間違えるとでも思ったのか?」
「え?」
まさか、本当にまさかの一言に思わずムドは振り返ってしまった。
そして振り返った瞬間、ぽふりと頭に何かが置かれた感触がしていた。
短く刈り込んだ金髪の上から、大きな手の平で撫で付けられる。
一番良く似ていたのは、高畑が頭を撫でてくれた時か。
魔法学校の校長も良くしてくれたが、節くれだった手とはやはり違った。
何よりも、今こうして撫で付けてくれている手が、一番気持ち良いと意図せず心に浮かぶ。
「まさか、双子たあ思わなかったぜ。はは、全く似てねえでやんの」
さすがのムドも、いささか混乱し始めてしまった。
六年前、確かにナギはムドを見ても自分の子供であると気付かなかったのだ。
だというのに何故か目の前の、まだ生まれた自分達を知らないナギが気付いたのか。
直前にスプリングフィールドではなくアーニャの性を使ったというのに。
ムドの嘘を易々と看破し、こうしてナギはムドの頭を撫で付けていた。
「悪いな、何かやれるもんでもあれば良いんだが。所詮、幻だからな」
「あーっ!」
ごそごそと服の中をあさるナギを見て、何故かネギが大きな声をあげた。
「ぼ、僕……この光景、そうだ忘れてた。六年前、ムドにも何かって父さんが懐を探してて、それを何処かに落っことしたって。そのまま時間がないとかで!」
ネギが無意識に補正をかけていた記憶から真実を導き出して、叫んでいた。
だがそれでも、ムドの記憶とは異なっている部分があった。
ムドの記憶の中ではナギが自分の名を呟いて、形見を探すところなどない。
一体どちらが正しいのか、お互いの記憶の食い違いにムドが待ったをかけた。
「ちょっと待ってください、兄さん。父さんは私が目の前にいても気付かず、お前はネギの友達かって。それで兄さんにだけ杖を渡して」
「え、嘘。そう言えば、あの後で父さんが落とした手記を探し回ったけどなくて。後でなんでかムドが持ってたからちゃんと貰ってたんだって」
「アレはあの後で私が丘の上で拾ったんですよ。兄さんがさも二人共父さんから貰ったと勘違いしていたので、合わせてあげていたんですよ!」
「だったらどうして言ってくれなかったのさ。て言うか、あれ以来僕ずっと手記持ってるし。返す、直ぐに返すから!」
他の一切が目に入らないように、ムドとネギが食い違う記憶に対し意見をぶつける。
どうやら二人共に、記憶を勝手に補正していたらしく真実は本物のナギしか分からないらしい。
話がやや脱線しかけた時、止めたのは二人の父親であるナギであった。
極普通の父親らしく、小うるさい二匹の子鬼の上に平等に拳を落として見せた。
「お前ら、この若くして英雄となった偉大かつ超クールな天才アンド最強無敵のお父様を無視してんじゃねえよ」
どうも二人にハブにされて寂しかったようだ。
一応はその言葉に嘘はないのだが、無意味に胸を張っては二人を見下ろしていた。
「まあ、なんにせよ仲良くやってるみたいで安心したぜ。たく、お前らのせいで本当に時間なくなっちまった」
「父さん……」
「所詮は幻でしょう。兄さんは貴方を探すつもりらしいので、親子ごっこはそれからでも間に合うのでは?」
「お前、本当アイツにそっくりだな。ひねくれ過ぎだぞ」
ナギに呆れられ、再び二人揃って頭を撫でられた。
そのナギの姿が現実に止め切れなくなった事を表すように、光がちらつき始める。
頭の上に乗せられた手の感触も薄れ始め、消え始めているのが分かった。
「ネギ、俺の跡を追うのはそこそこにして止めておけよ。いいか、お前はお前自身になりな」
「う、あ……」
「ムド、お前は好きに生きろ。お前の母さんの分まで、まあお前の方はとっくに勝手に生きてる目をしてるから余計なお世話だろうけどな」
「十分、不自由してますよ。まあ、貴方に会えた事を小指の爪の先ぐらいは喜んであげますよ」
ペチリと鼻先にデコピンされたが、その指が鼻の頭をすり抜けていった。
本当に限界の時間らしい。
ダメージ一つ受けなかったはずの鼻が、何故かツンと痛んだ。
「じゃあな、何時までも兄弟仲良くしろよ」
その言葉を最後に、ついに二人の目の前からナギはその姿を消していった。
目の前にいるのは紛れもなくクウネルその人である。
二人の頭の上に残る余韻が少しでも残るよう、素早く手を放して微笑みかけてきていた。
感極まったようにネギは父を呼びながら涙を零し、ムドも少なからず鼻を鳴らす。
思わぬ衝撃的事実、六年前ナギがムドに気付かなかったのは事実であった。
ただしムドの事を忘れていたわけではなく、確かにあの手記を渡そうとしてくれていたのだ。
「あの手記、アンチョコも来るべきにして私の手元に来たんでしょうか」
今までずっとそんな馬鹿なと鼻で笑っていた考えが、今は素直に胸にはまり込む。
思い起こせば数え切れない程の悪魔と戦い、さすがのナギも負傷していた。
いまやその記憶も、本当に正しいのかは分からないが。
血が目に入って、目の前ぐらいしか殆ど見えていなかったのか。
それとも、同年代の子供二人のうち、ネカネがムドだけを抱きしめ守ろうとしたからこそ弟と考えてしまったのか。
理由は色々考えられるが、ナギはネギだけでなくちゃんとムドも助けに来た。
記憶は所詮記憶であり、自分の都合の良いように改竄されてしまうらしい。
魔法で他人に見せた記憶も、その時には既に自分自身で改竄された都合の良い記憶なのだ。
幼い頃に胸の奥に突きこまれた杭がとれ、すっきりとした心持ちであった。
「ただまあ、それはそれ。これはこれなんですけどね。和美、マイクください」
「え、なに。決勝戦前にマイクパフォーマンス?」
「まあ、そんなところです」
しゃくりあげているネギを尻目に、ムドは和美からマイクを手渡してもらった。
ぽんぽんとマイクの頭を叩いて音が入っている事を確認して口元に置く。
鳴り止まぬ拍手に歓声、大勢の観客を前にムドは簡潔に呟いた。
「持病の癪がアレなので、決勝戦を棄権します」
準決勝の親子対決で盛り上がり感動の嵐が拭いていた会場内が、水をうったように静寂に包み込まれた。
次の決勝戦をムドが棄権したのだ。
後一勝で手に届くはずの一千万をあっさりと捨ててしまった。
その事実に観客達が気づいた時、静寂という名の薄氷はあっさりと壊された。
悲鳴にブーイング、体を心配する者と様々な声がムドに向けて投げられ大騒ぎである。
ただそんな事はムドの知った事ではなく、和美にマイクを返す。
「後は頼みます、和美。今回ばかりは精神的に疲れ果てました」
「仕方ないね、ムド君にはもう無意味な武道会だし。せめての途中棄権ながら二位の健闘者に祝福のキッス」
和美から頬にキスを受けて、ムドは能舞台上から去ろうと来た道を戻り出す。
そんなムドへと声を掛けたのは、当然の事ながらネギであった。
「ムド、どうして。だって折角ここまで頑張って」
「私が誰の為に頑張ったと思ってるんですか?」
ムドもまた何を当たり前の事を聞いているのかと不思議そうに尋ね返した。
「兄さんが一度で良いから私と戦ってみたい。その願いを聞いて、私は病弱な体に鞭を打ち、試合の度に高熱で苦しみながらも決勝戦を目指しました」
「あう、その……ごめん」
「理解しているのなら結構です。兄さんは私との約束よりも、目の前の仮初めの父さんを取った。だから私とは二度と戦う機会はない」
「だって父さんに勝つなんて……」
「武道会というルールの中なら不可能じゃないですよ。そもそもクウネルさんは最初に十数分しか時間がないといいました。本当に私と戦いたければ、十数分逃げればよかった」
それで多少なりとも、ナギから飽きられようとムドとは戦えた。
本当にムドと戦いたいのならそうするべきだった。
つまり、ネギはムドと戦うよりも、父親であるナギと戦う事を選んだのだ。
「別に責めているわけではありません。兄さんは私よりも、父さんの方が大事。今となっては、私もそうですし。縁がありませんでしたね」
「父さんに背中を見せるなんて……そうだ。後で、後で戦ろうよ。僕、少し休めば直ぐに戦えるから」
そんなネギの縋るような言葉に、ムドは少なくはない力で拳を握り締めていた。
ネギにとってムドの本気とはそんなに安いものだったのか。
そんな軽々しくまた後でなんて言葉はありえない、絶対にだ。
直前にナギから、兄弟仲良くしろよと言われていなければ殴り掛かっていた事だろう。
ナギとの戦いでネギが精根尽き果てていようとだ。
あまりのイラつきに心が揺さぶられては、頭が加熱されたように熱くなる。
「今は……何を言っても喧嘩になりそうです。だから、これだけにしておきます」
折角、長年抱いていた父への誤解がとけたのに、やはりネギはネギであった。
魔法が使えず病弱なムドを理解しようとしてはくれない。
挙句の果てにはムドの中にありもしない戦う才能を見い出し、戦わせようとする。
もはや気が狂っているとしかムドには思えなかった。
あくまでムドの主観だが、魔法が使え強いムドという幻影ごと抹殺したがっているような。
「兄さん、もう私に拘るのは止めてください。私はとうに、兄さんを頼るのは止めました。お互い自立して、この先は異なる道を進みましょう」
「あ、待ってよムド!」
簡潔にそれだけを告げて、ムドはこれ以上ネギが馬鹿な事を言う前に去っていった。
もしもこの先、ネギがムドに拘る事があれば、父の言葉を破り縁すら断ち切る決心をしながら。
尻餅をついたままムドを見送るネギへと、クウネルがその手をさしだした。
ただしフードの奥に隠されたその顔に、珍しく笑顔は見えない。
深刻にも見える表情で、立ち上がらせたネギを見下ろして言った。
「ネギ君、彼の言う事は一理あります。君は、ナギに跡を追うなと言われたにも関わらずに、追うつもりですね?」
「父さんを追うことが、そんなにいけない事なんですか?」
「いえ、その是非を問うつもりは全く。ただ、君がナギに近付けば近付く程、余計な人達が注目します。そして自然と平穏を望むムド君まで注目を浴びてしまいます」
「僕がムドを危険に……魔法学校でも、そうだった。僕はムドが苛められている事も知らず、魔法の勉強に明け暮れていた」
魔法学校という小さな世界での出来事が、いずれはもっと大きな規模で起きるかも知れないという事だ。
ネギはまだその規模が具体的に掴めてはいなかったが。
クウネルは世界規模にまで大きくなるであろう事を、少なからず予見していた。
何しろ一度、それは起きてしまっている。
六年前、ネギとムドがいた村を大量の悪魔が襲った件であった。
二人の母親の影響が余計な力をおびき寄せ、無力な二人へと襲いかかったのだ。
ようやく理解に至り動揺するネギの頭をくしゃりと撫で付けたクウネルは思う。
「これは禁句でしょうが、君達は双子で生まれるべきではなかった。特に二人が目指す生き方が正反対であるのなら、なおさらに」
もちろんその呟きは声が潜められており、ネギに届く事はなかった。
-後書き-
ども、えなりんです。
今回は殆ど原作通り。
ただラスト部分は非常に重要な部分でもありました。
ネギとムドの対決は、当たり前の様にお流れ。
だけどムドはきっちりナギを父と認めて、和解(?)
ちなみに二人の記憶の食い違いは、どちらも間違いでした。
現時点で十歳、そこからさらに幼少期なんでね。
では次回からまた学園祭編に戻ります。
次は水曜の投稿です。