第四十八話 麻帆良学園での最初の従者
麻帆良祭開催もついに一週間をきった最後の休日。
学生寮は休日にも関わらず閑散としており、静かなものである。
祭りの準備も大詰めで、殆どの生徒が部活やクラスの出し物の為に出払っているからだ。
ネギもまた自分のクラスの出し物の手伝い等に出ていた。
現在、寮長室にいるのはムドとアーニャの二人きりであった。
背中合わせで座布団の上に座りながら、それぞれ魔法関連の本を読んでいた。
「ムド、ちょっと良い?」
身近な人間の忙しさとは対照的に、まったりと過ごしていた二人のもとへとやって来たのはネカネであった。
手にはネギのものでもムドのものでもない大人サイズのスーツを持っていた。
「アーニャ、ごめんね。なんですか、姉さん」
「お使いに行って欲しいんだけど、大人の姿じゃないと駄目なの。だから、はい。あーん」
自分に持たれているアーニャに断りを入れてから立ち上がった。
恐らくは年齢詐称薬であろう丸薬が、ネカネの手により口の中に放り込まれた。
何か特殊な薬でもお店に取りに行って欲しいのか。
一体どんな用だと考えをめぐらせていると、年齢詐称薬の効果が現れ始めた。
ムドの体内で魔力が膨れ上がり、少しばかり体調が怪しく熱が出始める。
ただし、朝や夜のお勤めで何度も使用しているので、その程度は慣れたものであった。
「あれ、でもなんだか視界が何時も以上に」
「ム、ムド……それ、何歳ぐらいなの?」
唖然として持っていた本を取りこぼしたアーニャに指摘され、近くの姿見を覗き込んだ。
年の頃は三十手前、精悍な顔つきに無精ひげを生やした一人の男が映っていた。
髪の毛は短いままだが十五、六辺りでもボーイソプラノだった声の面影はない。
背丈も百七十は越えているようで、年齢よりもそちらに感激してしまった。
「多分、三十手前ぐらいの……」
「うふふ、成功ね。ちょっと手を入れて、年齢の引き上げ幅を大きくしてみたの。さあ、このスーツに着替えて」
「趣旨が見えてきた気がします。まあ、いいですけど」
「あー、明日菜ね。大方、デートした事がないから手頃な人がいないかネカネお姉ちゃんに泣きついたのね」
ムドとアーニャの言葉に、大正解とネカネも隠す気はさらさらなく答えていた。
「ただ明日菜ちゃんはムドが来るなんて思ってないから、サプライズよ。そうだ、ムド。今度、お姉ちゃんともその姿でデートしてね?」
「ああ、ずるいネカネお姉ちゃん。ムド、私は普通で良いからデートしなさいよね」
「デートは構いませんけど……まあ、いいや。私も楽しむ事にします」
ムドはスーツに着替えると、ポケットに財布とタバコを持って出かけた。
まだ未成年であるので吸うつもりはなく、ネカネが小道具として用意しておいてくれたものである。
ネカネから聞いた待ち合わせ場所は、学園からも近い場所にあるスターブックスであった。
そこを目指して祭りの準備で賑わう街中を歩いていく。
すると見覚えのある四人組が、道端で立ち止まってお喋りをしているのが見えた。
ギターケースを背負った亜子と、体操服を着たアキラにまき絵、裕奈であった。
亜子は分からないが、三人は部活の出し物の準備か何かの途中なのであろう。
話しかけようと近付くと、亜子がバランスを崩したように後ろによろめいた。
「荷物が割と重くて……って、わたた」
「あ、亜子危なっ」
裕奈達が手を伸ばすも届かず、ムドが一歩早く亜子の後ろへと回り込んだ。
ギターケースが思いのほか重く、グッとうめき声が上がってしまったがなんとか受け止める事に成功した。
「あ、亜子さん……だい、大丈夫。すみません、立って貰っても大丈夫ですか?」
「えっ、あ……はい。もしかして、ムド君?」
「一発で見抜いて貰えるとやっぱり嬉しいですね。その通りです。アキラさんに、まき絵さん。裕奈さんも、どうもです」
素早く立ち上がった亜子に見つめられてから尋ねられ、肯定を示すように頷いて笑みを浮かべた。
「え? え、ムド君? うわ、渋めの格好良さ。ちょっと歳離れ過ぎだけど」
「ちょっとムド君、裕奈にはまだ」
「でも仲良し四人組みで一人だけ仲間外れは可哀想じゃないですか。別に、従者にするつもりじゃありませんから、安心してください。でも、この格好ならアキラさんと並んでも不自然じゃないですよね」
「う、うん……釣り合いはとれっ、じゃない」
ついつい認めそうになった自分に、アキラは首を振って抗っていた。
「どういう事、ムド君って。なんで急に大人になってんの!?」
「実は、私達は魔法使いなんです。この姿も、魔法薬で少し変えました。裕奈さん以外、三人とも魔法の事は知ってますよ」
「え、なにそれマジで。なんでそんな面白そうな事を教えてくれなかったのさ! 薄情者、人でなし!」
「人でなし、教えなかっただけでそこまで!?」
軽率な行動こそアキラに窘められたが、魔法を知るだけでは危険でもなんでもない。
その証拠に、まき絵は一応はネギの従者だが修行もせずに普通の生活を送っている。
それに直近ではないとは言え元々、裕奈も従者にするつもりではあったのだ。
これも良い機会かと、ムドは反省の色なくアキラに答えてみせた。
するとやはり仲間外れが寂しかったのか、裕奈がまき絵やアキラを追い掛け回し始める。
「でもどうしたの。年齢詐称薬使っただけじゃ、ウチらと同じ年代が限界やったよね?」
「明日菜さんがどうにか高畑さんを学祭に誘えたので、練習の為にってところです。それじゃあ、待ち合わせがあるんで。気をつけて帰ってくださいね」
「待って、ムド君。ウチ、柿崎らとバンドするんやけどチケットあげるから見に来てな」
「絶対、行きますよ。亜子さんの晴れ舞台なら、なおさら」
差し出されたチケットを受け取ると、三人の視線がそれている事を良い事にムドは亜子の頬にキスをした。
少し不満そうなのは、頬だったからであろうか。
ただ一言、裕奈へのフォローをお願いしてムドは、待ち合わせの場所へと急いだ。
途中、何度か三-Aの生徒ともすれ違ったが、亜子以外は見抜かれる事もなかった。
他の従者とすれ違っていたのなら、また話は別だっただろうが。
そして陽気もさる事ながら、年齢詐称薬による熱によって汗ばみながらようやく待ち合わせの場所に辿り着いた。
「うぅ……やばい、ネカネさんに変な事を頼まなきゃ良かった。予行演習たって、知らない人とデートなんて」
スターブックスの店外、お店の壁に背を預ける格好で明日菜は待っていた。
髪型は普段通りのツインテールにカウベル付きの髪飾り。
ノースリーブのシャツに上着、プリーツスカートの上にベルトを斜め掛けにしている。
ネックレスを着けてミュールを履いているところを見ると、言葉で言うよりは気合が入っていた。
ただしそれでも頭を抱えながら、予行演習のデートを後悔しているようであった。
「お待たせ、明日菜君」
そんな明日菜へと近付き、意識して君付けを行いながらムドは頭に手を置いた。
「へっ……わ、あの……ネカネさんのお知り合いの、ムド?」
「あれ、明日菜さんまで一発で分かっちゃいました? でも、やっぱり嬉しいものがありますね。どうですか、結構大人っぽくなってるでしょう?」
「げっ、嘘。マジでムドなの。うわ、わっ……ちょっと格好良い、じゃなくて。なんでアンタが来てんのよ。その格好はなに!?」
「魔法薬のおかげです。地元じゃない上に、女子寮住まいの姉さんに丁度良い大人の男の人の知り合いがいるわけないじゃないですか。精々が瀬流彦先生ぐらいですか?」
墓穴を掘ったと、ますます明日菜は頭を抱え上げていた。
大人の知り合いなど高畑を除いてネカネしか知らず頼ったのだが、全くその通りであった。
しかもそれで魔法で姿を変えたムドが来るとは、想定外過ぎた。
無い知恵絞って、高畑を連れ出してくれたムドには頼るまいと、ネカネを頼ったのだ。
これでは、結局ムドを頼ってしまったようでさすがの明日菜も申し訳なく感じてしまう。
「やっぱり、いいわ。ぶっつけ本番で、高畑先生に挑んでみるわ。悪かったわね」
「ここまで来て、それはないですよ」
手を挙げて去ろうとした明日菜の手を、逆にムドは握り締めて止める。
そのまま手を引いて胸の中に誘い込むと、急接近に頬を染める明日菜を見下ろした。
「良いじゃないですか。私は単純にデートを楽しみます。明日菜さんは、明日菜さんで楽しむか、練習だとでも思ってくれれば?」
「私、ムドに甘え過ぎてない?」
「私なしでは生きられないぐらい、依存してくれて良いですよ。だから、行きませんか?」
さすがにそれは嫌だとでも言うように、胸元を軽く殴られ明日菜が離れる。
「でも考えても見れば、事情を知ってるアンタ以上の適任もいないわね。その見た目、限定だけどね」
ただし、ムドの今の姿の有用性だけは認め、そう明日菜が呟いた。
そこでムドは改めて明日菜の手を握り直して、歩き出していく。
本音を言うならば、恋人繋ぎをしたかったが握り直す間に逃げられる気がする。
それに今はこれで十分だと自分でも納得し、行く当てを探して辺りを見渡した。
何しろムドにとっては緊急のデートであり、下調べ他は一切行ってはいないのだ。
普通ならば何処へ行こうか迷うところだが、現在は麻帆良祭の準備期間である。
一足早く屋台が出ていたりと、縁日が行われているのと変わらない状態であった。
手始めに話題作りと時間稼ぎの為に、アイスクリームの屋台に立ち寄り、二人分購入する。
「私が出すわよ。付き合わせてるの私だし」
「明日菜君、見た目を考えてください。三十手前の私が、中学生に出させたら変でしょう?」
「あ、そっか。でも……」
「それにこれでも社会人ですよ。自由にできるお金は、それなりに持ってます」
財布を出そうとした明日菜を止めて、ムドが代金を払って二つアイスクリームを受け取った。
そのうち一つを明日菜に渡すと同時に、意味もなく微笑みかける。
あからさまに顔に朱をさして動揺する明日菜の様子が、面白い。
「毎度あり。妹の引率も大変だね、兄ちゃん。学祭当日も、よろしくな」
「な、誰が妹よ!」
「明日菜君……おじさん、この子は私の恋人ですよ。可愛いでしょ?」
「おう、そいつは失敬。上手い事、若い子を射止めやがって。嬢ちゃん、詫びの印だ。持ってけ、泥棒」
詫びの印に持ってけ泥棒とはこれいかに。
妹呼ばわりされて怒ろうとしていた明日菜のアイスに、一段追加された。
ムドに制止され、サービスまで受けては明日菜も、踏み留まらざるを得ない。
「あ、ありがと。って、誰が恋人よ。今日のは予行演習なんだからね!」
「あれ、急に耳が遠く。都合の悪い事は聞こえなく……さあ、次行きますよ」
「わわわ、待ちなさいよ。二段になってバランス、落ちる」
サクサクと先へ進むムドに引っ張られ、明日菜はてんやわんやで怒るどころではなくなった。
そしていっそ落とすぐらいならと、追加された二段目をいっきにぱくついた。
キンッと冷たい刺激がこめかみを刺激していき、立ち止まる。
必死に口の中のアイスを溶かし、飲んでいく中で刺激は続いていたがそれら全てを飲み込んだ。
すっかり冷やされた吐息を出して、一息ついたところで口元をハンカチで拭われた。
「動かないで、明日菜君。アイス、ついてます。はい、これで大丈夫です」
「恥ずかし、デート中にアイス口につけて拭かれて……アイスは駄目ね。当日は、買わないでおこう。食べ物は基本、一口サイズ」
「いえ、本当なら直接舐めて上げたかったので、上級テクニックとしてはアリじゃないですか?」
「舐めてたら、殴ってたわよ。本当に上級だし。それにしてもムド、アンタの思考回路は紳士を明らかに踏み越えてるわよ!」
明日菜に指摘されたが、それはある意味仕方の無いことであった。
実はムドも普通のデートなどはした事がなく、それを飛び越えてベッドの上で勝負してきた。
どうしても思考が即座に、ベッドの上に結びつくような考え方になってしまうのだ。
口元のアイスをキスで舐めたら殴られるだろうと思ったからしなかったが、これが他の従者相手なら舐めていた。
さらに言うならば、人前でさえなければ今頃はベッドの中で絡み合っている。
「それになんかさっきから、ムカつくと思ったら。止めてよね、その明日菜君って。高畑先生に対抗してるか分からないけど、どんな姿でもムドはムドよ。普段通りでいなさいよ」
「対抗してるつもりはなかったですけど、こういう呼び方が好きなのかなって思っただけです。嫌なら普通に呼びますよ、明日菜」
「そう、それで……ランク、上がってるじゃない! アンタ、さっきから妙に私を子供扱いしてない? 呼び方以上に、ムカつく!」
「守ってくれてる時は、凄く大人っぽいのに。こういう私生活では実際、子供っぽいですからね。そのギャップがまた、可愛いですけど」
ネクタイを掴み、凄まれるが見下ろした明日菜の後頭部をぽんぽんと叩いて受け流す。
あまり立ち止まっているのも周りからは邪魔であるし、折角のアイスが溶けてしまう。
まだ少し怒りが収まらない様子の明日菜を促がし、ムドは手を取り歩き出した。
色々な出店や麻帆良祭当日の催しの準備等を見て周っていると、明日菜の怒りもどこへやら。
そして龍宮神社の前を通りがかると、石段を上った先の境内が妙に賑やかな事に気が付いた。
どうやら麻帆良祭に先駆けて本当に縁日を行っているらしい。
はっぴを着た子供や捻り鉢巻のおじさん等、祭りに縁のある格好の人が通り過ぎていく。
屋台の良い匂いに混じり、がやがやと人が大勢集まった賑やかな声が流れてきていた。
「明日菜、少し見て行きませんか?」
「はあ、その呼び方もう諦めたわ。考えても見れば、アンタ従者の子を全員呼び捨てだし。良いわよ、あちこち歩き回ったし落ち着いて歩きましょう」
境内を真っ直ぐ伸びる石畳の両脇には、隙間も無いほどに屋台が並んでいる。
これまでは実際に稼動していない屋台も見られたが、ここは全てが何かしら売り物をしていた。
ジュースにベビーカステラ、綿飴にたこ焼きと定番屋台がずらりとあった。
「なんだか学生が改めて出すまでもない感じですね」
「そうでもないわよ。麻帆良は広いから、学生が出さないときっとお店が足りないわ」
「あ、射的がありますね。少しやってみませんか?」
「へえ、面白そうね」
ここでもムドが射的屋のおじさんにお金を払ったが、明日菜はもう何も言わなかった。
割とそれが当然であるかのように、ムドが受け取った射的の銃をさらに受け取る。
こういう場合もレディーファーストを忘れないムドであったが、あえて先に銃を両手で構えた。
特定の景品を見定め、引き金を引くとコルクの銃弾が飛び出していった。
だが見当違いな場所に飛んだコルクの銃弾は、景品を支える棚の床部分に当たって跳ね返る。
「あれ?」
「下手ねえ、全然外れてるじゃない。大丈夫なの?」
二発、三発と続けても射線の修正は容易ではなく、十発あった銃弾が次々に消えていく。
「残り一発、格好良いところ見せなさいよ」
明日菜の言う通り、残り一発となったところで気楽にいけとばかりに肩を叩かれた。
格好良い悪いもあったが、明日菜の手により気合は十分に入った。
熱で滲む視界を無理やり気合でねじ伏せ、はっきりと狙い続けていた景品を視界に捉える。
普段年齢詐称薬を飲んだ後は、直ぐに魔力を発散していたが今日は違う。
明日菜のデートに付き添い、思った以上に熱が出てきていたのだ。
その熱すらもねじ伏せるように集中して、銃口を狙い定めて棚の上の景品を睨みつけた。
(こいつ、なに射的ぐらいでマジに……うぅ、やっぱりちょっと格好良いかも)
人知れず心を高鳴らせていた明日菜を他所に、ムドは最後の一発の引き金を引いた。
見事、景品の中心を打ち抜いたが一発では棚から落とすには至らなかった。
一度はぐらりと傾いたものの、棚から落ちる一歩手前で止まってしまう。
「あぁ……失敗、ですか」
「ははは、妹に格好良いところ見せれなくて残念だったな兄ちゃん」
「もう突っ込まない、突っ込まないわよ」
ここでも妹扱いされた明日菜は、そう自分に言い聞かせながら銃身にコルクを詰める。
何やら酷く残念がっているムドを尻目に、銃口をとある景品に向けた。
溜息と同時に、引き金を引く。
ムドをからかうように笑っている射的屋のおじさんの目の前で、見事にそれは命中する。
ずっとムドが狙い続けていた、猫なのかリスなのか分からない小さな人形へと。
棚の奥に移動して、若干狙いづらくなっていたにもかかわらずだ。
「頭を使わない事なら、私は得意なのよね」
「なさけない兄ちゃんの代わりに嬢ちゃんが射止めたか。ほら、景品だ」
射的屋のおじさんの言葉に少しイラつきつつ、明日菜はヌイグルミを受け取った。
それをそのまま落ち込んでいたムドの目の前に差し出した。
「どうせ、アーニャちゃんの為でしょ。私はいくらでも取れるから、あげるわ」
「いえ、初デートの記念にって渡せたら良かったんですけど。それじゃあ、共同作業記念という事で、明日菜さん受け取ってください」
渡したヌイグルミが、そのまま明日菜の手元に見事に返って来た。
一瞬、何を言われたか分からずヌイグルミとムドを、何度も見比べる。
そして理解した瞬間には、相手がムドにも関わらず大いに赤面してしまった。
なにしろ射的屋のおじさんはもちろん、明日菜が一発で景品を落とした事で少し注目を集めていたのだ。
その中での突然の言葉と行為に、二人へと好奇の視線が集中するのは必死。
「おじさん、残り九発は適当な子供にも撃たせてあげて。行くわよ、ムド!」
「勿体無いですよ、良いんですか?」
「この、馬鹿。いいから来るの!」
人ごみに紛れるように明日菜がムドの手を引き、逃げ出した。
龍宮神社の近くの公園の芝生にある木陰の下で、ムドは明日菜に膝枕されていた。
その額の上には水で冷やされた明日菜のハンカチが置かれている。
射的屋から逃げ出した後で、突然ムドが力尽きたように転んだのが原因であった。
そこで既に体が高熱を発している事が、明日菜にばれてしまったのだ。
一先ず殴られる事は無かったが、さらに腕を引かれてここまで連れて来られていた。
「まったく、辛いなら辛いって言いなさいよね。突然倒れたら、びっくりするじゃない」
「いえ、まだ平気だとは思ってたんです。それに、楽しい時間をアレで終わらせたくはなかったので」
「別に、何時でも付き合ってあげるわよ。あ……」
思わずといった感じで明日菜が口を押さえた。
自分の言葉が信じられないように、だが改めて否定する事はなかった。
明日菜自身、途中から予行演習ではなく普通にデートしていた気になっていたからだ。
ムドが言ったように、間違いなく楽しい時間であった。
「ここで言うのは卑怯な気がしますけど……私では駄目ですか? 高畑さんみたいに強くなくて、寧ろ手間をかけさせますけど。絶対大事にしますから」
「その姿はちょっと好みだし、楽しかったわ。アンタが皆に手を出した事情も踏まえて、良いかなって思ったりもする。けどさ」
好感触な言葉ながらも、最後の言葉の後にムドの希望が砕かれる。
それを覚悟した上で、ムドは明日菜の膝から頭を離して向かい合った。
「私がこの学園に来たばっかりの頃……まだ小さかった私を、高畑先生がしばらく面倒見てくれてたんだ。ほら、私他に頼れる人いないし」
「知ってます。生活費の他全てを学園長に出してもらっていて、それを返済する為にバイトを頑張っている事も」
「全然、返せてないけどね。それでこの髪飾り……」
明日菜が髪よりカウベル付きの髪飾りを外して、見せてくれた。
改めて目の前で見ると、塗装がところどころ剥がれているのが見える。
購入してから随分と経っているようだ。
「その頃、高畑先生が私にくれたの。先生からの最初で最後のプレゼント」
「そうだったんですか」
「私まだ子供だったし。まあ……その時、何か勘違いしちゃったのかな」
勘違いとは行っているものの、髪飾りを前に微笑む明日菜には微塵の後悔も見られなかった。
むしろこれまでのデートの中で、一番魅力的な笑顔さえ浮かべている。
ちくりと、ムドはその笑顔を前に胸が痛むのを感じた。
明日菜の一番魅力的な笑顔を引き出せるのは、未だ高畑にしかできないからだ。
はっきりと悔しいと感じたが、明日菜の気持ちに共感できる部分は少なからずあった。
「勘違いでも、恋は恋です。私も、魔法学校で苛められた時に助けてくれたアーニャに、恋しました。子犬が懐いた程度の幼い勘違いでも、恋に成長すればそれは恋です」
「アーニャちゃんに対しては割りとまともな理由があったんだ。アレ、それを言うならムドが私の事まで好きっていう理由って」
「地底図書館で守ってくれたからです。死の恐怖に負けず、ずっと看病もしてくれましたし。だからあの時は、高畑さんとの仲を応援するって言った事を心底、後悔してました」
「アンタ、頭が良いくせに馬鹿みたいに惚れっぽいのね。あんまり、あちこちの子に惚れて皆を焦らせるんじゃないわよ。あと、悪い女には気をつける事」
こつんと頭を叩かれたが、暴露当初の嫌悪は微塵も見られなかった。
ある程度、認めてはくれているのだろう。
高畑の件は悔しい事この上ないが、それはあくまで明日菜の気持ちである。
明日菜が欲しいが、その気持ちを捻じ曲げてまではまだ手にしたくない。
結果がどうあれ、ムドの従者でいてくれる事は間違いないのだ。
「少しは楽になった? それなら、ご飯でも食べにいかない? 私、お腹空いちゃった」
「ええ、ご飯を食べるのなら大丈夫です。超包子は前に、行ったばかりですし」
「それなら世界樹前に良い店があるって聞いた事があるわ。下見がてら、行きましょう」
そうはっきりと明日菜が下見と口にしたからには、デートは予行演習に格下げか。
少々残念に思いながら並び立つと、明日菜の方から手を握ってくれた。
恋人繋ぎでこそなかったが、明日菜からという点が重要であった。
嬉しくなって歩調が速くならないよう、気をつけて歩いていく。
「デートも良いですけど、告白までちゃんと考えてますか? 良かったらその練習も付き合いますよ」
「いや、さすがにそこまでは自分でなんとかするわよ。今度こそ」
「いっそ練習じゃなくても、私は何時でも好きな時に告白しますよ」
「ムドからされても意味ないでしょ。それ、アンタがしたいだけでしょうが」
少しは大人らしく動揺せずに、さらりとかわされてしまった。
当初、動揺しまくっていた事を考えると、デート慣れはしてくれたのだろう。
「あ、ほらあのお店だと思う。北……なんとか料理、そこそこ込んでそうだし」
「北欧料理、イグドラシルですか。あれ?」
「ん?」
世界樹前広場からも近い立地のお店は、オープンカフェもあるお店であった。
そこには女学生を中心に時にカップルと中々の賑わいを見せている。
現在、麻帆良祭の準備に忙しい学生の事を考えると、その時間を惜しんで足を運ぶ価値があるらしい。
ただそのオープンカフェの一角に、とある人物を見つけたムドが声をあげた。
釣られて明日菜もそちらを見てしまい、歩みを止めて立ち止まってしまった。
「あれ」
焦りを含んだその声は、視線の先の光景を見ての動揺を表していた。
オープンカフェの一角、小さなテーブルに隣り合うように座る高畑としずなであった。
学内の食堂ならまだしも、ここは完全に学外。
次期学園長と一教員がわざわざ人気カフェに来てまで、仕事の話ではあるまい。
しかも高畑がタバコを吸おうとして直ぐに、そのタバコを取り上げ火を消すしずな手際が慣れている。
これでばったり偶々という線も消えた。
「明日菜!」
楽しいデートの余韻さえも吹き飛んだ様子で、明日菜が駆け出した。
明日菜の名を呼び、追いかけるムドの脳裏には己の勝利が過ぎった。
高畑がずっと明日菜の気持ちに気付かなかったのは、想い人がいたからだ。
これで自動的に、賭けは終了して明日菜は正真正銘ムドのものとなる。
喜ぶべき事実、なのに逃げるように走り去る明日菜の背中を見ていると素直に喜べない。
足の速さが違うので、どんどんその背中が小さくなると不安さえ覚えてしまう。
「くそ、気持ち悪……止まって、ください」
まだ距離は走っていないとは言え、もとよりムドの体調は良くはなかった。
ますます熱が上がり、吐き気さえもよおしたがこみ上げるものを飲み込んで走る。
そしてムドの願いが届いたのか、世界樹の広場の一番上。
麻帆良学園都市が一望できる手すりの前で、明日菜がようやく立ち止まる。
一瞬、勢いで身投げをしやしないかとも思ったが、立ち止まっただけであった。
「明日菜……はぁ、はぁ。ぐっ、明日菜?」
「ごめん、体調悪いのに走らせて。でも放っておいていいわよ。賭けは私の負けでいいから。私、ムドを好きになる。それに元々、私ってさ」
振り返る事なく、負けを認めた明日菜が寂しそうに呟いた。
「馬鹿だし、乱暴だし。友達そんな多くないし」
「明日菜」
「性格的にもあんま人に好かれる方じゃないし、高畑先生も」
「明日菜!」
それ以上は言わせないと、ムドは息を整える間も惜しんで明日菜を振り向かせる。
肩に手を置いて強引に振り向かせ、そのまま抱きしめた。
「ムド、今晩……いいわよ。貴方のものになってあげる。ほら、愛するより愛されるほうがなんちゃらって、そんな感じじゃない」
湧き上がる不安は的中し、明日菜は諦めの気持ちからそう呟いていた。
抱きしめるムドに答えるように、明日菜が重そうに持ち上げた両腕を背中に回す。
その直前で、ムドは一度明日菜を胸元から引き剥がした。
まさか拒まれるとは思わず、目を丸くする明日菜の目を見つめ、頬を叩く。
ペチンではなくパシンと、はっきりと音が響くぐらいに強くだ。
「それで、私が喜ぶと本気で思ったんですか? 捨て鉢な状態で私に転ばれても、嬉しくともなんともないですよ!」
「ごめん、私……どうして良いか、分からなくて」
「明日菜、私は明日菜が好きです。大好きです。貴方は誰が好きですか? 相手の事は関係ありません。誰が好きですか?」
「私、高畑先生が好き。やっぱり、好きだよぉ……」
叩かれた頬に手を当てながら涙を零す明日菜を、改めてムドは抱きしめた。
それで良いと、胸の中で泣く明日菜の頭を撫で付ける。
今はまだ高畑を想い最高の笑顔を浮かべた明日菜から、同じ笑顔をムドは引き出せない。
むしろ、今の状態で抱いても昼間の時の笑顔さえおそらくは引き出せないだろう。
「私、嫌な女の子だ。高畑先生から逃げようとして、その先がムドで。賭けの相手なのに、一杯手伝ってくれたムドに逃げようとして」
「私の事は今はいいです。明日菜は、自分の事だけを考えてください。正直、上手く行く可能性は零ですが、それでもきちんと高畑さんに伝えてください」
「うん、私……告白する、学祭で。駄目もとだけど、きっちり気持ちの整理をつけてくる。だから、ごめん。もう少しだけ、甘えさせて。頑張るから、私頑張るから」
「応援はできませんけど、明日菜が頑張るところをちゃんと見てます。明日菜を愛しているから」
抱きしめあい密着する体から、愛しているの言葉で震えるのが分かった。
元々涙ながらに震えてはいたが、一際大きくだ。
だがそれでも明日菜はその言葉を受け入れるように、深くムドに抱きついて来る。
ムドもそんな明日菜を支えるように、二人でしばらくの間は抱き合っていた。
-後書き-
ども、えなりんです。
今さらムドが紳士ぶっても、やっぱり茶番くさいw
あのまま明日菜を手篭めにしなかった理由は、次回に出てきます。
その理由もやっぱりろくでなしな感じです。
あと今回のお話で一番やりたかった事。
ムドが射的で全弾外す。
というか、オリ主が、ですか。
気合いれても駄目なものは駄目。
別に万能じゃなくても良いじゃんと、おおげさですね。
最終話まで二十話きってました。
六十七話までもうしばらく、おつきあいください。
それでは次回は水曜日です。