第四十四話 男の兄弟だから
陰鬱な気持ちを抱えたまま、アーニャは何も考えまいとモップを動かしていた。
寮の入り口から程近い、一階ホールでの事である。
大雨の外から帰って来た生徒達が靴や傘によって濡らしていくからであった。
本来は足拭きマット等を入り口から引くのだが、梅雨前なので用意が間に合わなかったのだ。
別にそれが面倒だからと思い、陰鬱な感情に囚われているわけではない。
立ち止まり、モップの柄を肩にかけて右手の甲を目の前に掲げる。
「ぐす」
薬指には何もない、半年以上毎日つけていたものが。
ムドから卒業記念に貰ったビーズの指輪。
それが寂しくて、大雨による天候以上に寒々しくて涙の雨水が追加される。
「うぅ、もうやだぁ……ムド、なんでよ。喧嘩するつもりなんか。ネギの相談なんか放っておけば良かった。でも私、悪くないもん。お母さん、お父さん……」
モップの柄に縋りながらしゃがみ込み、膝に顔を埋めて泣きはらす。
アレから毎日、唐突に感情が高ぶってはこの繰り返しだ。
普段はネカネが慰めてくれるが、今日はお出かけをしていていない。
この一階のホールにやってくるといえば、学校帰りの麻帆良女子中生だけだ。
その該当者が一人、大雨の中で傘を差して帰って来た。
「たく、梅雨でもねえのにざあざあ振りやがって。面倒なんだよ、ああ眠い。最近はブログも更新してねえからランキングは落ちるわ。嫌な事、ばっかりだ」
根性を振り絞り、膝に力を入れてアーニャは立ち上がった。
まだ心は全く立ち上がれてはいないが、自分は寮長なのだからと。
「あ、お帰り千雨。大変だったわね、こんな雨の中」
今できる精一杯の笑顔でそう言うと、何故か溜息を返された。
濡れた傘の水を振って飛ばしてからホールに入ってきた千雨がアーニャの頭を小突く。
「涙の跡、見えてんだよ。理由は聞かねえが、泣きたい時はどっかで隠れて泣け。どうせこの雨じゃあ、誰にも聞かれねえよ」
「ふぐぅ……千雨ぇ、会いたい。もう私が悪くて良いから。お母さんとお父さんにも会いたいけど、今はムドに会いたいの。ごめんなさいして、ビーズの指輪また貰いたいよぉ」
「て、ここで泣くな。私が泣かしたみたいじゃねえか。お前らガキは、本当にいつも!」
そう言いつつも足を止めてはアーニャの頭を撫でて慰める。
あの旅行以降、塞ぎこみがちなアーニャの理由を察して。
というか、あの旅行にいた面々の大半は、ムドとアーニャに何かがあった事を察していた。
もしかしたら、別れたのかもしれない事まで。
だからといって、二人が付き合っていたのかと聞かれると小首を傾げてしまうが。
早く泣き止めと千雨がうんざり半分、もう半分は本気で心配していると、唐突にアーニャが泣き止んだ。
本当に唐突に、まるで誰かに口でも塞がれたように。
「おい?」
「千雨、下がってて」
不自然な泣き止み方にアーニャを見下ろすと、震える手で体を押された。
一歩後ろによろめいた視界でみたアーニャは、歯を食い縛り可愛らしい顔の造形を崩してまで必死に、それこそ無理やり泣き止もうとしている。
あまりに不自然な行動に、千雨はアーニャの視線の先へと顔を向けた。
すると寮の入り口に、古びれたコートを纏った男が立っていた。
この大雨の中で傘もさしておらず全身ずぶ濡れ、さらに女子寮前にいてこちらを伺っていては不審者決定だ。
だが仮にも魔法使いであるアーニャが、ただの不審者相手に震えるはずがない。
いや、怖い事は怖いだろうが。
「帰りなさい、ここは女子寮よ。男子禁制、帰りなさい!」
「まさか、また。かよ……」
モップかなぐり捨て、公の場でアーニャが杖を取り出し構えて警告する。
あまりにも必死なかつ脅え交じりのその声を聞き、千雨はまたしても何かに巻き込まれた事を察した。
「それが仕事内容からも、それを聞くわけにもいかなくてね」
ずぶ濡れの男は、警告を前にしても悠然と雫滴るままにホールに足を踏み入れてきた。
アーニャが水気をふき取っていたホールに、無粋にも雨水を滴り落としながら。
そして同じく雨にずぶ濡れのハット帽子を脱ぎ、その素顔を晒す。
白髪の髪や髭を蓄えた初老辺りであり、頬もこけて精悍な顔つきである。
その精悍な顔に柔和な笑顔を浮かべ、アーニャに語りかけた。
「こんにちわ、お嬢さん。私はヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマン伯爵。伯爵などとは言っているが、没落貴族でね。今はしがない雇われの身だよ」
「伯爵、貴族って何時の時代の」
「千雨、アイツを見ちゃ駄目。特に目は、普通じゃない」
「おやおや、震えているのに気丈な。君がアンナ・ユーリエウナ・ココロウァ君だね。親しみを込めてアーニャ君と呼ばせてもらおう」
柔和な笑顔は変わらず、脱いだハット帽子を胸に当ててヘルマンが頭を下げる。
「さて、クライアントが調べた結果、君はムド・スプリングフィールドに求愛されているようだね。ここは一つ、悪魔らしく君を囚われの姫君として利用させてもらうよ」
「誰が、アンタなんかに。ムドには指一本、契約代こ……あ」
「おい、なに固まってんだよ。なんかするんじゃなかったのかよ!」
「煩いわね、千雨はいいから逃げなさい。悪魔なのよ、この。ごめん!」
つい癖で、ムドから魔力を貰おうとして、契約解除されていた事を思い出す。
あまりにも余計な動揺しながらもアーニャは、咄嗟に千雨を突き飛ばした。
理由は半分以上が勘で、足元が何時の間にか水浸しであったからだ。
先程まで自分が、モップで水気を拭いていたというのに。
その判断は間違ってはいなかったようで、水浸しの水が盛り上がり小さな女の子の姿で襲いかかってきた。
「た、戦いの歌!」
「へえ、割と高等な魔法知ってるじゃねえカ」
ショートヘアーに小さなツインテールを施した水性の魔物が、手を針のように伸ばしてきた。
体をかわしピッと頬に鋭利な手を掠らせつつ、魔物の腹を打ち付け弾き飛ばす。
元来、アーニャは後ろで砲台役をするより前に出て戦う気質だ。
ただムドのパーティの役柄的に、砲台の方が護衛も兼ねられる為、後衛にいたに過ぎない。
さらには初手には間に合わなかったが、得意属性である炎を拳に重ね掛けする。
今はムドの事で泣いている場合ではないと、アーニャの髪と同じ赤い色の炎が猛々しく舞い上がった。
「おお、やべえ。ヘルマンの旦那、アタシの苦手なタイプだ」
「そのようだね。君とは小瓶に六年、閉じ込められた仲だ。仕事仲間でもある、下がっていたまえ」
女の子の魔物を警戒しつつ、進み出て身構えたヘルマンに相対する。
アーニャも目の前の悪魔に勝てない事は、薄々感づいていた。
せめて水性の魔物一匹ならなんとかなったものの、二人相手となるとできるのは時間稼ぎ。
一般人でもある千雨がいる事を考えると、何よりもそれを優先して助けを待つ。
ネギ達かネカネ、もしくはエヴァンジェリンのような強力な魔法使いを。
それと、もう一人大好きな相手を思い出し、
「なんでまた、私が何をしたって言うんだよ。助けてくれよ、ムド先生」
「え?」
思わぬ千雨の台詞に、迂闊にも後ろに振り返ってしまった。
千雨がよりにもよって、何故病弱で通っているムドに助けを請うのか。
「惜しい、実に惜しい。ソレさえなければ、君の思惑通り時間稼ぎぐらいはできたものを」
「しまっ」
「悪魔パンチ」
ヘルマンの拳が唸り、轟音が聞こえるより先に慌てて振り返り直そうとしたアーニャの視界がブレる。
一体自分が何をされたのか理解できないままに、アーニャの意識は消し飛んでいた。
エヴァンジェリンの家を追い出されたネギは、楓の傘に入れて貰いながら寮への帰途についていた。
この大雨ではあの人払いがされた森も使えない。
ネギ一人ならば良いが、女の子である楓らをずぶ濡れにするわけにもいかなかった。
風邪でもひかれては、明日からの学校にも支障が出てしまう。
修行時間を考えても、エヴァンジェリン宅に寄った今からでは十分に取れない。
それにあの森は元々、こんな場所があるとムドが教えてくれたのだ。
別荘とは違い、使うなと言われてはいないが、使って良いものか迷う。
そして改めて気付く、ムドが居なければ何処で修行すれば良いかも分からない事に。
「考えても見れば、エヴァンジェリンの別荘を使う前のあの森も、魔法生徒との対戦も全部、ムド先生の手引きだったアル」
全く同じ事を考えていたように、古が呟いた。
「せやな。エヴァちゃんの件はちょっとやり過ぎやったけど、結果的にネギ君の為になっとるし。その為に、エヴァちゃんの足を舐めたって」
「ですが、為になれば何をしても良いわけではありません。口で言えば済んだ事とてあったはずです」
「だがあの時のネギ坊主は自信過剰になっていて危険な常態であった事は確かでござる。武の道では、師が弟子に力で教える事は多々あるでござるよ」
「私も覚えがあるアル。アレがなければ、今の私はなかったアル。けど、ムド先生はネギ坊主の師でもなんでもないアル」
当時を知らないあやかとハルナは、若干話に踏み込めないでいた。
ただあやかはネギと同じく、愛らしい少年であるムドの反対意見が述べられない。
ネギの従者ではあるが、愛らしい少年全ての味方でもあるからだ。
そしてハルナは、まだ戦いを経験した事がない為、ある意味半端な気持ちの持ち主であった。
別荘で修行ができなくとも、アーティファクトがあればそれなりに楽しめる。
「僕は、ムドを切り捨てたつもりなんてありませんでした。でも何時か父さんを探しに行く事は悪い事なんでしょうか?」
「それが微妙なところでござるよ」
素直に疑問を零したネギの頭に楓が手を置いて言った。
「確かに、現時点で父上殿を探しに向かうのは兄としての本分を捨て、ムド先生を切り捨てたも同然でござる。だが、これが十年後、二十年後はどうでござるか?」
「今のネギ先生とムド先生が手を取り合ってても可愛いけど、二十歳や三十歳のおっさんがキモイよねえ。いや、私らの業界ではありだけどね? むしろ、ご褒美?」
「いやぁ、愛らしい少年であるネギ先生とムド先生が。なりませんは、お二方は一生このまま愛らしく!」
「いいんちょさん……パルも何言ってるですか。ですが、その通りでもあるです。お体の事はありますが、ムド先生も一人の男性です。何時か、兄や姉の手を離れて自立すべきです」
現状ではムドが正しく聞こえても、条件が変われば正しくなくなる。
楓達がネギの従者である事を踏まえても、どちらが完全に間違っているとは言えない。
ケースバイケース、もっと言うならばどちらもお互いに頼り過ぎなのだ。
「とりあえずもう一回、今度は落ち着いてムド君と話してみような。兄弟なんやから、喧嘩はあかんえ。仲良うせな」
「すみません、木乃香さん。僕達の喧嘩に刹那さんまで巻き込んで」
「……ええって、その代わり」
自覚できた憂い顔を笑顔で、木乃香は包み隠してしまう。
直ぐに傘を逆側に傾けて自分も楓の傘の下にもぐりこみ、木乃香はネギに後ろから抱きついた。
「またエッチな事、しよな?」
そのまま耳元に唇を寄せて、二人だけの小さな秘密を呟く。
ネギも当時の事を思い出して激しく赤面し、俯きながら小さく頷いた。
背中に感じる木乃香の胸の感触を受けて、ピコリと小さく立ち始めてもいる。
「木乃香さん、抜け駆けは許しませんわ。そうですわ、冷えてしまったネギ先生のお体を、お風呂で私の愛と共に暖めて差し上げますわ」
「お、なんだか始まっちゃったね。よし、夕映。アンタも加わりな。体格的には一番相性ばっちりなんだからさ」
「待つです、パル。皆さんも折角傘をさしてきたのにずぶ濡れに」
「ネギ坊主を婿に迎え入れるのは我が古家アル。その挑戦、受けて立つアル!」
結局は楓以外、皆が傘を放り出してネギの争奪戦を開始していた。
ほんの少しはネギを元気付けるつもりもあるだろうが、割と皆本気であった。
きゃあきゃあと雨を良い事に大声ではしゃぎながら、うら若い乙女の肉体でネギを押しくら饅頭する。
嬉し恥ずかしながらネギにも笑顔が戻った瞬間、
「むっ、あれは……」
「え、あっ!」
はしゃぎながらも見えてきた寮を眺めて楓が呟き、次いでネギも気付いた。
やや下校時刻からは外れているが、寮の一階には人影が全く見当たらない。
まるで人払いでも仕掛けられているような人影のなさである。
そこにいるのはホールにたたずむ一人の男らしき人影であった。
女子寮にいるだけで不審者確定だが、雰囲気を察して馬鹿騒ぎは急速に沈静化する。
そして男がこちらに気付き振り返った時、状況は真の意味で確定した。
「おや、これはこれは。懐かしい顔が一人、この仕事を請けたかいがあったというものだ」
「言付ける相手も見つからなかったし、丁度良いんじゃねえカ」
「良い考えですヨ」
「くたびれもうけ……」
男のそばには小さな女の子の姿が三つ。
だが注目すべきは彼女らではなく、男が抱えていた少女であった。
遠目と雨のせいで細部までは見えないが、アーニャと千雨である。
「アーニャ!」
「ネギ坊主、不用意に飛び込んではいかんでござる!」
楓の制止の声も遅く、既にネギは駆け出していた。
「きゃあっ!」
「しまったアル!」
突然あがった悲鳴は、駆け出したネギの背後からであった。
引き止めようと飛び出した楓もしかり。
振り返った先では、男のそばにいたはずの少女達が木乃香達にからみついていた。
奇妙にもその体を軟体動物の様に伸ばし、主に足に絡み付いてまさに足止めしている。
普段なら、特に古がそんな不覚をとる事はない。
だが直前までネギの争奪戦で揉みくちゃになっていた為、満足に反応も出来なかったのだ。
近接に弱い木乃香らと一緒にまとめて束縛され、囚われてしまっていた。
とんぼ返り、踵を返そうとしたネギを見て、再び楓が叫んだ。
「ネギ坊主、飛ぶでござる!」
「くっ!」
閃光が、女子寮のホールの中から迸った。
太陽の光のように雨粒さえも消し飛ばしてしまいそうな、圧倒的な光である。
即座に退避を選んだのも、何処かで安心していたのかもしれない。
木乃香達を拘束する水性の魔物がいて、殺傷能力のある攻撃が来るはずがないと。
だがそんなネギの判断は甘く、現実は無情にも木乃香達を飲み込んでいった。
光が衝突する直前で、魔物達は雨水の水溜りの中に消えたからだ。
「こ、木乃香さん、古さん、皆さぐぅ……」
「ネギ坊主!」
地に足をついて直ぐに駆け寄ろうとしたネギが、腕を押さえてよろめいた。
楓はとある理由から一時仲間に見切りをつけて、ネギに駆け寄って支える。
「馬鹿ですネ。避けると決めたら避けないといけませんヨ」
「中途半端な事をするからダ。ヘルマンの旦那の石化は強力だゼ。徐々に広がるゼ」
「ばーか」
水の中から再び現れた魔物の言う通り、仲間を信頼するか、自分が守るか決断はしっかりとするべきであった。
敵の攻撃を勝手に予測し、中途半端な行動を行った結果がこれだ。
木乃香達は折り重なるようにして石に変えられ、ネギは左手の甲から徐々に石化が進行していた。
ビキビキとひび割れながら進む石化の進行に、多大な苦痛が襲いかかる。
だがまだ倒れるわけにはいかないと、楓に支えられながら立ち上がった。
遠い過去に見覚えのある光を放った相手を、迎えうつ為に。
「石化で時間制限がついたのも都合が良い。私の仕事はあくまで、ムド君だからね」
「どうしてムドを、まさか……また。アーニャを、千雨さんも。二人を放せ!」
「いやいや、女性は常にお姫様に憧れるものでね。この子の小さな夢を叶えてあげるつもりだけだよ。では学園中央の巨木の下にあるステージで待つよ。ムド君にもそう伝えてくれたまえ」
「待て!」
ヘルマンが水性の魔物である三匹の女の子を連れて、水の中へと消えた。
転移魔法、恐らくは言葉通り指定された世界樹の広場へであろう。
急ぎ追いかけようとしたネギは、広がる石化の痛みにより膝をついてしまった。
気持ちとは裏腹に、それ程までの苦痛を伴なうのだ。
「いかん、無闇に動いては腕が折れでもしたら」
「大丈夫です、楓さん。石化の状態で折れてもくっ付く事はあります。だから今は……」
「兄さん、無事ですか!?」
なんとしてもアーニャを助けにと立ち上がろうとした前に、ムドが現れた。
寮のホールからエヴァンジェリン達、従者を伴なって現れたのは転移魔法の為か。
「ちょっと、木乃香達が。銅像、こんなもみくちゃの銅像があるか!」
「やばいじゃん、超やばそうな感じ。こりゃ、私の出番はなさそうだね」
石化された木乃香達を明日菜が発見し、ずぶ濡れになるのも構わず飛び出してくる。
「アキラちゃん、手伝って。皆を私の研究室に、例え永久石化でも直後なら治せる自信があるわ」
「分かった。来たれ、金剛手甲」
「エヴァと刹那、それから月詠以外は姉さんを手伝ってください。楓さん、申し訳ないですが護衛の為に貴方も残ってください」
二度目の仮契約により、再度手に入れた仮契約カードをアキラが掲げる。
その腕に装着した金剛手甲で腕力を強化して、木乃香達五人分の重さがある石像を持ち上げた。
「しからば、ネギ坊主も」
一緒に治療をと楓は連れて行こうとしたが、それはネギ自身に止められた。
「楓さん、主として命令します。皆さんの護衛を。まだ他に敵がいないとも限りません。僕はアーニャと千雨さんを助けに向かいます」
「当然です。立派な魔法使いを目指す人が、片手を石化されたぐらいで退場されてたまりますか。命を掛けて、アーニャと千雨さんを助けてもらいます」
「いいのか、本当に?」
そうムドに尋ねたのは、エヴァンジェリンであった。
だが何もネギと協力云々がではない。
仮契約を解除し、縁を切ったはずのアーニャをムドが助けに行く事がだ。
人質の安全度外視ならば、エヴァンジェリン一人でも十分こと足りる。
それ以前に、学園長室にいるであろう高畑に一報入れるだけでも良い。
そもそも助けに行く理由がないはずである。
「落ち着かなかったんです」
だから身勝手な感情に従者を巻き込んだ責任の為に、ムドは自分の気持ちを吐露した。
「悪魔の襲来を聞かされてからずっと。理屈じゃないんです。頭では全部、正解が分かってる。放っておけば良い、関係ない。だって、好きじゃないって気付いたから!」
野犬に苛められた子犬が、守ってくれた強い子犬に懐いた程度。
今までのムドの感情は、そんな単純な理由から生まれた事でしかなかった。
懐いたまま大きくなって、それがそのまま恋愛感情に発展しただけ。
始まりがそもそも勘違いであり、それが大きくなっても勘違いは勘違いだ。
そう気付いた事で、ムドはより強い成犬や姉の犬に守ってもらうよう尻尾を振った。
実は強くもなんともなかった子犬を切り捨て、新たな庇護の下で愛を育む。
そんな正解を選んで、これからは全てを明かしてより庇護を得るはずであった。
「危険がそばにあるのは構わない。だけどその時にアーニャが隣にいないと落ち着かない。私がじゃなくて、アーニャが危ないのが落ち着かない。実際、アーニャが浚われて、胸が張り裂けそうなんです。叫んでる間にも、助けにいきたい!」
「それで良いとおもいます、ムド様。理屈なんかではありません。私とムド様の出会いも最悪なものでした。けれど、今では誰よりも貴方を愛していると自負します」
「ウチは恋やら愛はよくわかりませんえ。最初は先輩から寝取るつもりで、お近づきになって。逆にこまされて、けれど幸せですえ。悪魔が斬れるかもしれませんし」
「理屈でない事は確かだな。私とて、半ば強引に手篭めにされたからな。それでもお前を愛している。ならお前がアーニャを助けたいというなら、手伝うまでだ」
整理仕切れなかった感情の吐露を認められ、ムドは涙ながらに微笑んだ。
そして腕を押さえながら立っているネギの前に立った。
今はより安全にアーニャを救い出す為にも、ネギ程度の戦力ですら惜しい。
決別を告げた直後という事もあり、その頭を迷う事なく下げた。
「兄さん、大好きなアーニャを助ける為に強力してください」
「うん、もちろんだよ。だけど、エヴァンジェリンさんの別荘使って良いかな? 修行をつけてもらうのは諦めるからさ」
「さすがに強か過ぎますが、私は構いませんよ」
「あう……痛い、本当に今腕が痛いんだって」
悪戯っぽく笑ったネギを前に、ムドは差し出していた手の平を拳に変えて頬にぐりぐり差し込んだ。
ほんの僅かな和解を表面上で行いながら、ムドは片手をポケットに突っ込みあるものに触れた。
『月詠、それに皆も。相手の目的が私である以上、兄さんの事も知っているはずです。状況次第では、月詠に兄さんを背中から斬ってもらいます』
その状況とは二つ、ネギが無謀なスタンドプレイに走った場合か、アーニャの喉元に敵の手が掛かった場合。
今何より優先すべきは、アーニャの命。
いきなりネギが月詠に斬られれば、ムドとてビックリする、敵ならなおさら。
それだけの隙とこの戦力ならば、アーニャの安全はかなり保障される事だろう。
『うふふ、愛する人の兄弟が斬れるやなんて……だから、ムドはん好きやわ。その後で、ムドはんがどんな顔でうちにおめこするのか、今から濡れてしまいますえ』
『その場合、私とエヴァンジェリンさんは、見向きもせずにアーニャさんを救出ですね』
『まあ、それは最終手段だろうが。幼馴染を助ける為に散れれば、坊やも本望だろう。どうせ、坊やの従者も目撃者もいない。言い訳はなんとでもなるさ』
望んでその命を奪うつもりもないが、アーニャの命とは比べ物にならない。
念話の後で、小さく頷いた三人を見て、ムドはお願いします、そしてありがとうと念話で呟いた。
ヘルマンが指定したのは、世界樹の広場にある学祭用の特設ステージであった。
そのステージ上にてアーニャは囚われの身となっていた。
お姫様らしく純白のドレスを着せられ腕を水の縄に繋がれ、半ば宙釣りの格好である。
同じく囚われの千雨も、アーニャと背中合わせに色違いの水色のドレスを着させられていた。
二人共、姿同様に理由は異なれど、絶望という意味では同じ表情であった。
「帰りてえ、何も知らなかった頃に。我慢するからよ、不満をネットにぶつけて済んでた頃に。なんで私ばっかり……」
「ふむ、程よい表情だ。演出家の出番がないぐらいだよ」
「何を演出するのよ」
「もちろん、囚われの姫君を助けにきて無様に這いつくばる王子様かね。聞いてるよ、彼は才能の欠片もないらしいね。正直、興味はネギ君の方にこそあるのだが」
ヘルマンは言った、ムドを連れ去るのがクライアントの依頼だと。
確かに這いつくばるという意味では、ムド以上の適任は他に見つからないだろう。
「ムドなら来ないわよ」
「おや、何故かね。調査では、ムド君は君にかなりご執心だとあったがね」
自分で言い出しておいて、グッとアーニャは奥歯を食い縛った。
水の縄で締め付けられた右腕、手の平の先には何もない。
雨にぬれるばかりで、ビーズの指輪が、仮契約以前に貰った証がないのだ。
悪魔に囚われた恐怖よりも、その虚しさが勝り涙が零れた。
千雨に負けず劣らず涙を零しては震え、背中からお互いの心情を伝え合う。
「だがそう思っていたのは、君だけのようだ。ようこそ、ムド君」
「え……なんで」
背中越しに呟いたヘルマンが声で指した相手を、アーニャは見上げた。
同時にムドの名を呟いて千雨がヒクリと涙を止めて振り返っても気にならない。
ステージを囲むように扇状に広がる観客席の上から、ムドが一人で歩いてきたのだ。
混乱する頭は、千雨を助けに来たのかとまで勘ぐってしまう。
だがそれでも構わなかった、ついででも。
あのムドが一人で危険をかえりみずと思ったところでハッとする。
「馬鹿、一人できて何を考えてるのよ。何の為に、強い従者一杯集めたの。こんな時の、そもそもなんで……千雨を」
「ムド先生、私もう駄目だ。助けて貰っても、きっと駄目だ」
「もう少しの辛抱ですよ、千雨さん。それにアーニャも。助けに来ました。アーニャを愛しているから」
「だ、だって仮契約。私の事、好きじゃなくなってだから!」
ムドは叫ぶアーニャに微笑み返し、それでも足を進めていた。
観客席の階段を一歩一歩、アーニャと千雨の前にヘルマンが立ちふさがっていようと。
「ようこそ、ムド君。クライアントは君の魔力にご執心のようだよ。もっとも、私は自分の才さえ満足に扱えない君にはほとほと興味はないのだが」
「ああ、兄さんなら今頃、ネカネ姉さんの治療を受けてますよ。何せ、将来は立派な魔法使いになる人です。貴方程度に関わって将来を駄目にする理由はありません」
「私程度と来たか。君自身が試してみるかね?」
「止めて、ムドは掠っただけでも。分かったから、もう来ないで。逃げて、ムド!」
ヘルマンがプライドを傷つけられたように、拳を身構えファイティングポーズをとった。
一瞬でアーニャの意識を刈り取ったあの神速の豪腕だ。
魔力障壁一つはれないムドが受ければ、交通事故にあったも同然である。
それでもムドは、歩みを止めない。
真っ直ぐ、ただ真っ直ぐにアーニャを目指して一歩ずつ進む。
「絶対、助けます」
「やってみたまえ!」
ムドが階段を降りきり、ステージ前の僅かなスペースに足をついた。
それと同時に、ヘルマンが動く。
大げさにではなく身構えた状態から、僅かに肩がピクリとだ。
視界にそれを納めていたムドは、視力を捨てるように瞳を閉じて僅かに身を沈ませた。
小さな雨粒に翻弄される気流が僅かに感じられる。
その気流を乱す暴風を感じられた瞬間、瞳を見開いて両手を前に差し出した。
障壁のない手の平は風に切り裂かれ皮がめくれ、血が噴出していく。
血の気が僅かながらに失われる半面、危機を感じてムドの体内にて急速に魔力が溜まり始める。
「うがぁぁっ!」
「なんと!」
熱と苦痛を声で吹き飛ばし、ムドは暴風を上方へ僅かにいなし、前のめりに肩から倒れこんでかわした。
はずみで側頭部を地面に打ちつけ、衝撃で小さく出血する。
「今だ、兄さん。刹那、月詠!」
嘔吐したい気分をねじ伏せ、驚愕したヘルマンを前にムドが叫んだ。
「魔法の射手光の一矢、桜花崩拳!」
「神鳴流奥義、斬魔剣!」
「神鳴流奥義、二刀連撃斬魔剣」
ネギがステージ上方から、刹那と月詠がステージサイドの客席上段から飛び込んだ。
ムド一人で現れたのは最初から囮であった。
いくらアーニャを愛している事を再確認しても、ムドは自分を知っている。
だからこそ、自分一人を最初からかなぐり捨て囮にさえ利用したのだ。
「ふははは、我が身さえも囮とは見上げたものだ。だが、まだ甘い!」
豪快に笑い声を上げたヘルマンが、後方上部から迫るネギをまず殴り上げた。
飛ぶ拳撃によるリーチを生かし、ネギの拳が届く前にだ。
そして神鳴流剣士である刹那と月詠、合わせて三つの飛ぶ斬撃を鮮やかなフットワークで身かわしていった。
さらに接近を試みる二人に対してもうろたえず、刹那の顎を蹴り上げ、月詠の二刀を掴み上げて腹に膝を入れた。
三方向からの同時攻撃、ネギが石化の影響で一歩早かった事もあり連携が不完全。
石化の影響がなかろうと、ネギという異物があれば連携は困難だ。
「アタシらも忘れてもらっちゃ困るゼ」
「四対四なら誰が最初に死ぬかは明白ですヨ」
「殺すなヨ、目的は捕縛」
それぞれ吹き飛ばされたネギ達に水性の魔物が襲いかかる。
その数は三匹、楓からの情報に差異はない。
一対一の状態に持ち込まれ、倒れたままのムドががら空きであった。
しかもこの大雨の中では彼女らが圧倒的に有利であり、手間取る事は否めない。
それに加え、ネギは左腕を石化されており、今やそれは肩にまで上ってきていた。
「ぐぅぁっ!」
だがそこまでは予想通り。
護衛の一人もいないムドを見下ろしながら、大将格であるヘルマンが一歩を踏み出した。
それを見据え、ムドは傷だらけの手で地面を支えて、高熱を発する体をおして立ち上がった。
おぼつかない足で、ヘルマンを回りこむようにステージ脇を目掛け走る。
「惜しい、実に惜しい。己を苛む程の魔力に侵されながら、私の拳をいなすとは。実に世界は歪んでいる。私と同じく、才能が潰えるのを好むと見える!」
老紳士を気取った姿を一瞬で変えたヘルマンが卵型ののっぺりとした口をあけた。
口内で灯火をあげるのは、光の塊である。
その姿は、つい先程までムドが従者らに見せていた記憶の中にあった。
ネギやムドの村を襲った悪魔の一人、その悪魔を見てムドが唇の端を釣り上げる。
数秒後には石化の光が襲ってくるはずも、勝利の笑みを浮かべていた。
三匹の魔物は全て押さえ、ヘルマンもまた己の本性をむき出しにムドへ振り向いている。
つまり、完全に人質から意識がそれた。
「さあ、兄に勝っていたはずの才覚を取り戻してみせたまえ。ムド・スプリングフィールド!」
「アルワケネエダロ、コノガキニ!」
光が迸った瞬間、観客席上段から再び小さな影が飛び出していった。
石化の光に飲み込まれそうなムドを、その奔流から救い出す。
まだ仲間がとヘルマンが驚く暇もなく、その胸を小さく細い腕が貫いていた。
「ぐふっ……まさか、最強種である君さえ。彼の」
「そういう事だ。見上げた男だろう? 愛する者の為に、貴様の意識が人質から離れるようずっと囮を務めたのだ。少し、妬けるがな」
先にアーニャと千雨の縄を断ち切ったエヴァンジェリンが、ヘルマンの胸を貫いたのだ。
ほぼそれと同時に、刹那と月詠が水性の魔物の核を斬り裂き、遅れてネギも打ち倒していた。
倒れこむヘルマンには目もくれず、刹那の手を借りてムドは立ち上がった。
ふらつく足で時折転びながらもなんとか歩み、駆け寄ってくるアーニャを強く抱きしめた。
「私なりのやり方で、助けにきました」
「馬鹿、手もこんなに怪我して。嬉しかったけど、来てくれて嬉しかったけど。危ない事はしないでよ。心配するじゃない!」
「もう、隠し事は全て止めます。やっぱり好きだから、全部話します。嫌といわれても、何度でも説得します。分かって貰えるまで、何度でも」
「説明して、私が納得するまで。納得したい。私も好きなの、大好きなのよ!」
皆の前で恥ずかしい告白をしあう二人を他所に、若干苦笑していたが。
ネギが胸に穴の空いた状態で仰向けに寝ているヘルマンの前に立った。
ヘルマンは全身をエヴァンジェリンの魔力の糸で押さえられ、右手と左手をそれぞれ刹那と月詠の刀で貫かれ貼り付けにされていた。
さらには首元には茶々ゼロがナイフを置いて、まさに死に体。
どう見てもチェックメイトな状態であり、ネギは正面から尋ねてみた。
「ヘルマンさん、貴方は……ぐっ」
「君の想像通りだよ、ネギ君。はやく治療してもらいたまえ、そのままでは君の村の人達と同じ命運だよ」
「京都で私がリョウメンスクナノカミの生贄にされた情報を某組織が知って、使えると思ったみたいです。まあ、二番煎じの生贄でしょうが」
「おやおや、その様子では私のクライアントの詳細まで知っているようだね。その通り、私の任務は呪われた子であるムド君をさらい、光の子であるネギ君の様子を観察する事だった」
どういう事だと顔を険しくするネギの肩にムドは手を置いた。
「兄さんが知る必要はないよ。敵の方は知り合いに処理してもらうから。それに他人がどう思おうと私達は普通の兄弟です。それで良いじゃないですか」
「そうよ、周りなんて放っておけば良いわ。どうせ下らない理由よ。無駄に頭を悩ます前に、魔法の腕でも磨けば良いのよ」
「うん、そうかもしれない。僕らは僕らだ。父さんの子供で、ムドとは兄弟で」
「ふははは、問題は母親なのだがね。いや、楽しかったよ。しかし、本当に人間は面白い。立場が逆転した君達も一度、見てみたいものだ」
ニヤリと笑いながら、ヘルマンはそう呟いて特にネギを見上げていた。
最後の最後まで引っ掻き回そうとするその根性には、呆れ果てる。
だからもう良いよとばかりに、ムドは腕を振り下ろした。
ただしアーニャの顔を胸に押し付けるようにして、その目と耳を塞いでから。
雨音に混ざり口汚い初老の男の姿をした悪魔の断末魔が響く。
四肢を切断され首を切り落とされ、最後には氷漬けにされて塵に返って行った。
-後書き-
ども、えなりんです。
本来なら中盤の、ムドからのネギを斬れ指令はありませんでした。
投稿の数時間前に、急遽加えました。
あの念話がないと、力のないムドがアーニャの為に命を張った。
なんかムドが格好良くなっちゃうじゃないですか。
違う、奴はろくでなしです。
命張ってるようにみえて、何時でも兄弟を犠牲にする事を考えてた。
そんなクズっぷりを追加したかったんです。
それにしても片腕が石化してて良かったねネギ。
ソレがなかったらスタンドプレイに走って、月詠に斬られてたw
最後に、ヘルマンはかませ犬では終わらない。
悪魔らしく自分を滅する事になった兄弟に呪いを残していきました。
キーワードは彼の最後の台詞の、本当に最後。
これが最終話まで響いてきます。
それでは、次回は水曜日です。