第三十七話 愛を呟き広げる白い翼
封印の大岩は、真っ二つに割れてしまっていた。
リョウメンスクナノカミは、その大岩の卵から生まれ出でたかのようであった。
湖の中へと足を沈め、方膝を付くような形で物静かに何かを待っている。
岸辺から続く桟橋の先にある祭壇は、一部が真っ赤に染め上げられていた。
千草の怪我の度合いから、それは彼女の血によるものであろう。
その千草を裏切った二人、フェイトと月詠は祭壇の前にいた。
お互いに何かを囁き喋るようにしながら、リョウメンスクナノカミを見上げている。
さすがに遠すぎて声は聞こえず、もどかしい気持ちが募っていく。
遠くからは風にのって戦場の音が聞こえてくるから尚更だ。
「長、一体誰を待たれているのですか?」
「もう直ぐ、来たようです」
湖を囲む森の中、刹那達は大樹の幹にて身を隠していた。
敵の目前に迫りながらも、詠春より告げられた待ち人の為に待機を強いられている。
その待ち人が誰かは刹那もネギも聞かされてはいなかった。
だがその人が現れて直ぐに、はっと二人共息を飲んだ。
ネギ達が来た方角とは別に、戦場を迂回するかのような方角からその人は現れた。
「やあ、お待たせ刹那君、ネギ君。詠春さんも」
「お待ちしてましたよ、タカミチ君」
「お、長。待ち人というのは、最初から示し合わせて。ですが、高畑先生は東の者だからこそ見合わせてもらったのではなかったのですか!?」
「ええ、見合わせてもらいました。ただ土地に明るくない為、迷い込んでしまったみたいです。丁重に、案内いたしましょう。敵の喉下へと」
唇に人差し指を当てて刹那を落ち着かせつつ、詠春は悪戯が成功したように微笑んでいた。
「生徒ばかりを危険な目にあわせるわけにもいかないからね。東だ、西だという前にそれでは教師失格さ。そうだろ、ネギ先生?」
「しまった、その手があった。うぅ……また不用意に皆さんを、今度は戦場にまで引っ張り出しちゃった」
最良の手としては、ネギもそうするべきだったのかもしれない。
だが高畑とネギの両方共にいなくなれば、遅かれ早かれ誰かが飛び出した事だろう。
それで目が届かない場所に行かれるのも危険だ。
戦場に飛び込んでしまった明日菜達も、一丸となって戦っている間はむしろ安全であった。
他の神鳴流剣士や呪術師のフォローが受けられ、お互い同士もフォローし合える。
「さあ、後悔は後回しです。アレを見てください」
頭を抱えたネギの背中をぽんと叩きつつ、詠春がとあるものを指差した。
それはリョウメンスクナノカミであり、さらにいうならばその胸の辺りであった。
左胸、人でいうならば心臓部にも当たる部分である。
そこにムドが胎児のように体を丸めながら、埋め込まれるようにしていた。
「まずはタカミチ君についていき、フェイトと月詠の気をそらしてください。その間に隙をついて私がムド君とリョウメンスクナノカミとの繋がりを断ち切ります」
「斬魔剣二ノ太刀ですね。ムド様を傷つけず、リョウメンスクナノカミだけを斬ると」
「ええ、その通りです。タカミチ君も、任されてくれるかな?」
「もちろんですよ。ナギさんの代わりを務めてくれと言われるよりは、ずっと気が楽です。じゃあ、二人共少しついてきてくれるかな。ここから参上ってわけにもいかないからね」
高畑の言葉に言葉なく頷き、ネギも刹那もその後について移動を始めた。
最初にいた位置は、フェイト達の死角に入りやすいリョウメンスクナノカミの背後であった。
最も完全に背後に回ってはこちらからも見えなくなる為、程々にであったが。
少し時間は掛かってしまうが、祭壇への桟橋がある正面へと回り込んだ。
そこから高畑の合図を待って、ネギと刹那が両サイドを固める形で森を抜けた。
フェイト達がこちらへと気付くのも構わず、堂々と桟橋へと足をかけて歩いていく。
高畑は片手をポケットに突っ込みながら、もう片方の手を挙げて言った。
「やあ、月明かりがどうにも眩しく誘われて、こんなところまで来てしまったよ。相席をしても構わないかな?」
「その月明かりが眩し過ぎたようだ。まさか、君が釣れてしまうなんて。高畑・T・タカミチ。君に用はないんだけどね」
「おや、そうかい。なら君の狙いはネギ君かな?」
高畑とフェイトのやり取りに、ネギが唇を噛み締める。
「その通りさ、君の父親。ナギ・スプリングフィールドには色々と因縁があってね。君が僕らの障害になりうるか、試しに来たのさ」
「だから安心しておくれやす。あの鬼さん達には特に麻帆良のお嬢さん方は殺すなと厳命してありますえ。ウチはそれでは面白ないんですけど……主の命ですえ、もう焦らすのがお好きな人ですえ」
「何故、そこでムド様を見上げる。汚らわしい視線を向けるな!」
「ああん、連れないところは相変わらず。ではこれ、なんだと思います?」
月詠がゴスロリ調のワンピースの胸から、一枚のカードを取り出してみせた。
高畑すらも身構えたそれは、仮契約カードであった。
毒気を抜かれ、それがどうしたと思った次の瞬間、刹那がその仮契約カードにあってはいけないものを見て激昂する。
「貴様、何故貴様が。貴様のような奴がぁッ!」
「うふふ、あははは心地良い殺気ですえ。契約代行、ムドの従者月詠」
まだ事情を飲み込めない高畑とネギの目の前から、刹那がその姿を消した。
瞬動術にてフェイトには目もくれずに、建御雷の剣を手に月詠へと斬りかかった。
フェイトも刹那には興味がないように刹那を素通りさせる。
高笑いしながら月詠が小太刀と短刀を構えるも、建御雷の威力には耐えられなかったようだ。
一瞬にして破壊され、大きく割れていた封印の大岩へと華奢な体を押し付けられていた。
そのまま潰れてしまえとばかりに力任せに。
「言え、貴様。ムド様に何をした!」
「可愛かったですえ。ウチの中に精液を吐き出すたびに子犬のように悲鳴を上げられて。もっとも、あっちの方はお馬はんやけど。ふふ、これでウチと先輩は竿姉妹ですえ」
「他の人はまだ良い。あの方を愛しておられる。だが、ムド様を利用しようとした一味の貴様が手にして良い力ではない。これ以上、あの方を汚すな!」
「けほっ……さすがマゾな先輩は程々に苦しい場所を心得ておりますえ。けど、ウチはどちらかというとサドですえ。来たれ」
そう月詠が言い放ち、仮契約カードが二本の小太刀に変化する。
その次の瞬間、月詠のの姿が霞みの如く消え去ってしまった。
彼女を押し潰そうとしていた建御雷は、割れていた封印の大岩をさらに砕いて止まる。
「こちらですえ、先輩」
「なっ!?」
たった今まで目の前にいたはずの月詠が、刹那の背後に現れた。
考えるまでもなくアーティファクトの力だが、理屈が分からない。
刹那の建御雷のように純粋なパワーではなく、もっとトリッキーな何かだ。
身を捩り、小太刀が届く紙一重を見極めてかわし、魔力を充填させ建御雷をふるうがまたしても月詠の姿が消えていた。
斬り裂いたのは空気ばかりで、亡霊でも相手にしているかのようである。
そして次に聞こえた足音は、刹那が一部砕いたばかりの封印の大岩の上からであった。
「これがウチとムドはんとの愛の結晶、その力ですえ」
「何故不機嫌なんだ」
ぷくっと頬を膨らませ不満そうに、二本の小太刀を手に月詠が見せびらかしている。
刀身こそ鈍い銀色であるが鞘から柄、握りに至るまで全て白い。
本人同様に不気味なアーティファクトだと、刹那は身構えてから気付いた。
時間を稼いでくれという長の言葉を無視して、月詠に斬りかかってしまった事に。
まだリョウメンスクナノカミは動いてはいないが、どう転ぶかさっと背筋が凍りつく。
「月詠さん、ふざけるのはそのぐらいにしてくれないか。こっちに戻ってくれ」
「はーい、すみませんえ」
間延びした声で月詠が返事をすると、小太刀の一本を振るった。
何もない空中に切れ込みが生まれ、その中へと月詠が飛び込んだ。
次にフェイトの真横に唐突に刃物の切っ先が現れ、空間に切れ込みを入れ始めた。
空間を斬り裂き、繋げ移動するそれが月詠のアーティファクト、次元刀であった。
ただし、人を斬る事以外には興味がなかったので少し不満だっただけだ。
「しょっと、お待たせしましたぁ」
「彼女はどうも生真面目な性格らしい。勝手な事はあまりしないでくれるかな?」
フェイトの言葉にまたしても間延びした返事で月詠が答えた。
そして刹那もまた、封印の大岩を蹴って大きく跳躍すると高畑やネギの隣に戻った。
「申し訳ありませんでした、少々取り乱しました」
「君も気をつけて、何を言われたのかは聞こえなかったけれど、大丈夫だね?」
「はい……」
月詠と竿姉妹になった等と言えるはずもなく、ニコニコしている月詠とは対照的に歯噛み悔しがっていた。
「では改めて続けようか。といっても、簡単さ。最近は成長速度が著しいと聞いたからね」
今度はフェイトがその場から姿を消し、真後ろへと回り込んだ。
高畑は兎も角、突然の事でネギは対処しきれずその頬にフェイトの拳が突かれた。
即座に高畑がポケットに突っ込んでいた手を射合い抜きの要領で解き放った。
音速を超える衝撃破を左右でそれぞれ一度ずつ。
初見で見破られた事はまずないこの拳を、見切られた。
いや、捉えてはいたはずなのだがフェイトの代わりに水の幻影が吹き飛んだ。
「試しておこうと思ったのさ。ムド君も、リョウメンスクナノカミもただの撒き餌」
まだネギが吹き飛んでいる状況の中で、フェイトが驚愕に目を見開いている高畑の隣に現れた。
だが高畑もこの程度の驚愕にはなれているとばかりに、体を捌いてフェイトの拳をいなす。
それから再び居合い拳を放ち、フェイトを後退させた。
全てが瞬きするような一瞬での交錯であり、フェイトと高畑が距離を置いてようやく吹き飛ばされていたネギが湖に落ちる。
その瞬間に意識を取り戻し、杖の浮遊術を発動させて足場にすると水に濡れる事だけは回避した。
ただし、二秒近くは瞳の焦点が合ってはおらず、脳が揺れていたようだ。
「くっ、まだまだ」
「予想以上にタフだね。結構本気で打ち込んだんだけど」
「前に、もっと凄いパンチで殴られた事があるからね。それのおかげだよ。でなきゃ、気絶してた」
余裕という程でもないが、顔を振って切れた唇の血を拭いながらニヤリとネギが笑う。
「なら、もう少し手合わせ願おうか」
「ネギ君、この子は見た目以上に強い。卑怯かもしれないけれど、二人掛かりだ」
「悔しいですけど、分かりました」
杖から跳躍し、ネギは桟橋の上にて高畑と並び身構えた。
「そっちの子は刹那君、君に任せたよ。その子のアーティファクトに気をつけて。効果は単純だけど厄介だ。だけど制約もあるはずだ。例えば次元の狭間には一瞬しかいられない、移動範囲に限度があるとかね」
「うわぁ、バッチリですえ。さすが元赤き翼の高畑はん。その通りですえ。あとウチの次元刀は片方ずつで入りと出るが対になっとります。では、殺しあいましょうか刹那先輩」
「たいした自信だ。後悔させてやるぞ、月詠。貴様は私のムド様を尽く汚してくれた。仲間のもとへと引きずり出して、地獄を見せてやる」
それぞれが身構え、張り詰める緊張感に桜吹雪でさえ間合いに入るのを嫌うように流れていった。
誰が一番最初に動くか、誰しもが何かしらの切欠をまっていた。
そしてそれは誰の予想にもない形で唐突に訪れる。
刹那が砕いたはずの大岩が、この緊張に耐え切れなかったように崩れ落ちた。
大小様々な瓦礫となって湖面に波紋と波間を生み出していく、それが発端となった。
ネギが真っ先に飛び出し、拳打の嵐をフェイトに浴びせ、その背後から高畑が居合い拳を撃ち放つ。
それら全てをいなし、弾くフェイトの動きに目を剥きながらも手や体は止めない。
そして刹那もまた建御雷に魔力を最充填させて、月詠と打ち合った。
瞬間移動による速さの月詠と一撃の力の勝る刹那と、能力がミスマッチな斬り結びである。
やや月詠の次元を超える動きに翻弄されがちだが、耐え抜いていた。
フェイトの目がネギや高畑に、月詠の目が刹那に留まり集中し始める。
その時を狙い、ついに詠春が動いた。
隠れていた森の中から飛び出し、湖の縁にて跳躍し、封印の大岩にてもう一度跳躍。
かつては自分の愛刀だった夕凪を手に、ムドを目掛けて振りかぶった。
「神鳴流奥義、斬魔剣二ノたッ」
その瞬間、詠春は見たものは金色に輝く壁であった。
これまでずっと沈黙を保っていたリョウメンスクナノカミが、その巨体から信じられない素早い動きを見せた。
詠春の存在に気付き、自我を持って自ら動くように。
湖の中で立ち上がり、振り向き様に詠春へと向けて拳を放ったのだ。
不意をついたつもりが完全につかれてしまい、詠春の姿は吹き飛ばされるままに木々をなぎ倒しながら森の中へと消えていった。
一方その頃、居残り組となっていた和美は、全てを渡鴉の人見で見ていた。
皆がいた時程には重苦しくはなく、だが人がいなくなった事で寂しくなった一室でだ。
現在この場にいるのは、和美と一緒にノートパソコンで映像を見ている夏美。
それから私は関係ないとばかりに座布団を頭に被り、パンツが見えるのも構わずお尻を突き出した格好で伏せている千雨。
それからエヴァンジェリンと茶々ゼロは好き勝手に飲み食いしており、茶々丸がそのお世話をしている。
何しろ関西呪術協会の面々は、自分達に構っている暇がないからだ。
猫の手も借りたいという程に、部屋の外側は騒がしく、慌しい様子をかもし出していた。
「ねえ、今さ……アキラが私の亜子とか言わなかった? え、どういう事?」
「んー、村上の想像通りでないの。百合な関係、那波と村上みたいな」
「ちづ姉と私はそんなんじゃないよ!」
「いやあ、同級生同士でそんな関係でもない限り、姉とは呼ばないっしょ。なあちうたん」
夏美をからかいつつ、和美が千雨に話をふるも被っていた座布団を投げつけられた。
「うるせえ、私にふるんじゃねえよ。こちとら、全うな人間なんだよ。父親の偉業がどうたら、そのせいで弟は誘拐だ、生贄で化け物召喚だ。頭が沸いてんじゃねえのか!」
「座布団投げなくても、長谷川さん怖いよ。それに、私も夢だって言いたいけど、ほらあれ本当にいるし。って、そう言えばちづ姉がいない」
「ああ、那波さんなら手伝ってくるって、炊き出しの手伝いにいったよ。別にこっちはお客なのにさ」
「ああ、くそ。割とまともな部類だと思ってた那波の奴も、無駄に順応性が高いでやんの」
夏美がリョウメンスクナノカミを指差した事で、千雨が座布団を取り返してまた引きこもる。
精神的にかなりまいってきているようだ。
無理もないとは和美自身思うが、耐えてもらわなければならない。
千雨の体質の事は和美もムドから聞いているが、一生付き合わなければならない問題だ。
他人は手助けぐらいはできるものの、最後は自分で解決してもらわなければならない。
(そう、手助けはできるんだよね。まったく、年長者のくせに意地はっちゃって)
和美が居残り組になったのは元より戦う力がない事もあったが、一番の理由はエヴァンジェリンだ。
正直なところ、この戦いのキーマンはエヴァンジェリンだ。
渡鴉の人見で見ている限り、普通の鬼達は遠からず掃討できそうな感じで、明日菜達もがんばっている。
だがボスとして君臨するあの鬼神が倒せる保障などは、何処にもない。
ネギやムドの父であるサウザンドマスターなる偉人と、若き日の詠春がいてこそ封印できたらしいではないか。
毎日先生として魔法使いとして頑張っているものの、ネギは偉人と呼ぶにはまだはやい。
詠春も今は年老いており、何処までその力が当てにできるか分からなかった。
「うー、私も落ち着かないな。ちづ姉を見習って、なんか手伝ってくる」
「おい村上、早まるな。帰って来い、数少ない常識人!」
「あーい、行ってらっしゃい」
必死な千雨は思考の外に置いて、生返事を返しながら和美は考える。
何故、エヴァンジェリンは直ぐにムドを助けにいかなかったのだろう。
易々と敵に掴まったムドに呆れ果てた、それとも利用された事にか。
しかし一度や二度敵に騙されたからといって、ムドと体を重ねる快楽をもうよいと諦められるとは思わない。
まだ一度しか和美は経験していなかったが、今でもあの経験は鮮明に思い出せ、股の間が切なくなる程だ。
エヴァンジェリンの居残りは、一時の感情的なものではないと思える。
だから少し、試してみるつもりで声を大きくして慌てて見せた。
「あっ、アレ? ちょ、マジで!」
「おい、和美なにがあった!」
「あー、なんでもない。ちょっと映像が途切れかけただけ」
「ケケケ、何慌テテンダカ。行カナイト決メタクセニ、オタオタシテンジャネーヨ。御主人、アタッ」
すると思った通り、気のないふりをしていたエヴァンジェリンが立ち上がっていた。
そして何でもないと伝えると、あからさまにホッとした様子で座り直す。
日本酒を注いだ杯をあおり、茶々ゼロにからかわれては蹴飛ばしている。
やはりその様子からまだムドに惚れている事が分かり、斬り捨てた様子は見られない。
助けには行きたいだろうに、何故行かないのか。
(ここは新聞記者の腕の見せどころだね)
やれやれと和美は逆にエヴァンジェリンに呆れながら、尋ねた。
「ねえ、エヴァちゃん。そろそろさあ」
「なんだ、馴れ馴れしいぞ。私は飲むので忙しい」
「けどそろそろ体が疼いてこないの? 私はムド君に処女膜破られてから一日だけど、さっきから結構来てるんだよね」
「て、何爆弾発言かましてやがる。おい、何ガキ相手に修学旅行での一夜を体験してんだお前は!」
座布団被って震えている割には、逐一突っ込んでくる千雨を鬱陶しく思いながら流す。
「なら一人でオナニーでもしてろ。私はもう、知らん」
「けど、あの太いので奥までごりごりされた時の幸福感は、一人じゃ得られないって。かと言って他の男もね。美少年なのにデカイってギャップもたまらないわ」
「ええい、盛り狂った雌犬が煩い。それぐらい私だって知っている。私の方が貴様よりずっと前から、ムドの精液を下でも上でも飲んできたんだ!」
「お前ら、頼むから腹上死でもしてくれ……マジ死んでくれ」
立ち上がって叫んだエヴァンジェリンは、自分で飲み明かした酒瓶に躓いていた。
酒に弱いという話はさすがに聞いた事はないが、ウジウジ飲んでいて回ってしまったのだろうか。
「茶々ゼロちゃん、それに茶々丸ちゃんも。エヴァちゃんって悪酔いする人?」
「いえ、何時もは平然としておられます。私もこういったパターンは初めてです」
「憶エトケ、妹ヨ。御主人ハ、感情ガ高ブッテイル時ニ飲ムト悪酔イスル。笑イ上戸ダッタリ、パターンハソノ時々ダ」
「煩いぞ、貴様ら。私は、私は……怖いんだよ」
そう呟いた途端、あのエヴァンジェリンがぼろぼろと涙を零し始めた。
今日は泣き上戸かと冷静に呟けたのは、茶々ゼロ一人だけだ。
和美や千雨は本気で驚き、茶々丸でさえオロオロとどうしてよいか分からずにいた。
口調は尊大ながら、零れ落ちる涙を両手で拭う完全無欠の美少女がそこにいたからだ。
「最初は、愛して貰えるか分からず脅えた。だがそれを乗り越えたら次の恐怖が待っていた」
零れ落ちる涙を諦め、自身を抱きしめながらエヴァンジェリンは呟き続ける。
「愛されれば愛される程、それを失うのが怖いなんて思いもしなかった。なのに奴は馬鹿みたいに敵に騙され、弱者である事さえ忘れて。私のせいか、私が従者になったからか!」
「いや、違うでしょ。普通に気がぬけてたみたいだし」
「奴のような弱者が生き延びるには、悪に染まるしかないんだ。だから私は心を鬼にして、分かるか。私のこの苦悩が!」
「でもさ、でもさ。これ見なってエヴァちゃん」
もう既に、泣き上戸なのか怒り上戸なのかも分からなくなっていた。
そのエヴァンジェリンの目の前に、和美がノートパソコンを持ち上げて見せる。
そこに流されているのは、和美が渡鴉の人見から取得していた映像であった。
一つ、また一つと別撮りにしておいた映像を見せていく。
するとエヴァンジェリンも次第に、興味を引かれたのかかぶりつくように見始めた。
「おい、これはどういう事だ。何故、鬼達が明日菜達を攻撃する時だけ手を抜いている?」
「そうなんだって。楓ちゃん達は結構本気で攻撃されてるのにさ。おかしいよね?」
例えば刃物を持つ鬼はムドの従者が相手の時だけ峰を返していたりするのだ。
「まさか、私が坊やを襲った時と同じく、これも奴の仕業なのか? ええい、考えても仕方あるまい。ムドを迎えにいくぞ、茶々ゼロ。それに茶々丸も来い!」
酔った足取りながら、疑問を解決すべくエヴァンジェリンは影の中へと潜行し始めた。
詠春の斬魔剣二ノ太刀が不発に終わってからは、状況が悪くなる一方であった。
まさかの一撃により、詠春は大ダメージを受けて完全ノックアウト。
吹き飛ばされていった森の中から出てくる気配が一向にない。
その安否を確認しにいく暇すらなかった。
作戦が根底から覆らされ、急遽高畑が一人でリョウメンスクナノカミの相手をするも、当然居合い拳は効かない。
いくら神速の拳といえど、身の丈五十メートルを超えるリョウメンスクナノカミ相手では豆鉄砲も良いところだ。
ならばと奥の手である咸卦法、気と魔力の合一を使い身体能力を大幅にあげる。
さらに居合い拳の上位版である豪殺居合い拳を放つも、足止めにすらならずにいた。
何せリョウメンスクナノカミは、四本の腕を単純に拳として使うだけで豪殺居合い拳と相殺しあうのだ。
接近戦での大砲の撃ち合いである。
それも巨人と小人との大砲の撃ち合いに、轟音が絶えず鳴り響き、山々にこだましていく。
そんな近年稀に見る緊張感の中で、さすがの高畑もタバコ一本吸う暇さえなかった。
今はまだ互角に打ち合ってはいるものの、じり貧なのは否めない。
巨人と小人では、同じ威力の攻撃が繰り出せはしても根本的な体力が段違いなのだ。
そしてフェイトに一人で立ち向かう事になったネギも、同様である。
もはや顔が原型を留めない程に腫れ上がり、笑う膝に苦労しながらなんとか立っていた。
さらに拳法の構えを取っていられる事自体が、不思議なぐらいであった。
「君のそのタフネスは驚愕に値するよ。だが、まだ僕を煩わせる程じゃない」
「ま、まだ……僕は負けて、ない」
高畑とリョウメンスクナノカミが互角に打ちあう度に起こる湖の波にさえ、飲み込まれそうな程に弱い足取りであった。
余裕の表情でフェイトは大きくネギから視線をそらし、こちらもまた互角に斬り合う刹那と月詠を見上げた。
与えた傷の数では月詠が多いが、与えた傷の深さは刹那の方が上だ。
とはいっても、どちらも致命傷となるような傷を受けた様子はない。
「ここらが潮時だね。ネギ君、君は僕の障害足り得ない。それが分かっただけでも十分だ。ムド君は、大人しく返すよ。もう用は済んだからね」
「もう、用が済んだ? 物みたいに…・・・ムドを、物みたいに言うな!」
これが最後の攻防とばかりに、ネギが最後の力を振り絞って踏み込んだ。
突き出した右の拳をいなされる、それは予測していた。
受け流されがら空きのわき腹に繰り出された拳を直前でかわし、背中の上を滑らせる。
それでも肉が抉られるような衝撃を受けたが、息を止めて耐えぬく。
背中を拳が駆け抜けた事で得られた摩擦を利用し、突き出した腕を曲げて後頭部を肘で狙う。
だがそれさえ見抜かれ、体ごと頭をさげたフェイトに足元をすくわれた。
「良い、攻防だった。けど、これまでッ!」
気が付けばフェイトは両腕を交差するようにして、ネギの蹴りを防いでいた。
足を払われる事さえ読んでと驚かされ、動きが止まった時にはムドは目の前であった。
皮肉にも、フェイトが蹴りを受け止めた為に、ネギの体がなかったはずの浮遊時間を手に入れたのだ。
ボコボコに腫れ上がったネギの顔が、笑みを浮かべる。
繰り出された最後の一撃は、フェイトの顎を狙い、すくい上げる様に放たれる。
はずであった。
だがその時は、訪れはしなかった。
数センチを残して、白目を剥いたネギが桟橋の上に倒れこんだのだ。
フェイトに与えたのは、怪我にすらならない一筋の冷や汗の雫のみ。
「息をつく間のない攻防、君がもう少し体の大きな大人だったら入っていたね。その覚悟、賞賛に値するよ」
少しでも動きの無駄を省き、フェイトの動きについていこうとした結果がこれであった。
息をつく間もではなく、最初から息を捨てた捨て身の攻撃。
だがその捨て身こそが、ネギの後一歩を奪う結果となってしまっていた。
本心から賞賛に値するとネギを起こそうとしたフェイトの腕が、影から伸びた腕に捕まえられる。
「何をグダグダやっている」
とっさに身を引こうにも、腕は振りほどけない程の力で掴まれてしまっていた。
「ひっく……私のムドを、返さんかッ!」
一瞬、その拳を受ける前にネギがいったフェイト以上の拳という言葉を思い出した。
全力で力を防御に傾け、備えておいて正解であった。
腕をつかまれる程の密着状態では、防御の結界魔法もそれ程有効ではない。
頬に拳が突きいれられ、視界がぶれる。
体の外ではなく、内部が破壊されていく感触は壮絶なものだ。
水切りの石のように自分の体が湖の上を滑り、跳ね飛ばされていった。
何度目か荒れ狂う湖面の上を跳ねてようやく体勢を整えたその時、胸に小さな刃が突き刺さる。
「月詠さ……」
「うふふ、ウチはフェイトはんについたなんて一言も言ってまへんえ」
「月詠、貴様一体どういうつもりだ」
「どうもこうもあらしまへん。逆らったら、殺されそうやったから従った振りをしてただけどすえ。こんなお人は、えーい」
自分が戦っていた相手の凶行に、刹那が叫ぶも聞く耳を持ってはいない。
そのまま左胸を突き刺した小太刀を引き抜き、月詠がフェイトを湖の中へと蹴り落とした。
そしてゆっくり沈んでいくのを待たずして、高畑とリョウメンスクナノカミが揺るがす湖の底へと波に飲まれて消えていった。
「なんだか良くわからんが、タカミチ。生きているか?」
「エヴァ……まさか、飲んで。くっ、話しかけないでくれるかい。豪殺居合い拳の撃ち合いなんて、息が詰まりそうだ」
さすがに少し高畑もまいってきているようであった。
確かにリョウメンスクナノカミの拳が何度も自分に向けられる様子は、心臓が止まりそうな事であろう。
眼鏡の隙間から零れ落ちる汗が、まるで涙のようでもある。
だがエヴァンジェリンは非情にも、高畑に現状維持を伝えた。
「よーし、そのまま押さえておけ。刹那、さっさとムドをリョウメンスクナノカミから切り離せ。そしたら、私がデカイのを撃つ!」
「しかし、私などの斬魔剣でムド様の戒めを解けるとは」
「いいからやれ。安心しろ、下手をうってムドが死ねばまず私が貴様を殺してやる。年老いた詠春では無理だ。だが貴様は元の才覚に加え、ムドの魔力まで使えるのだ。できないわけがないだろう!」
「私自身の才覚と、ムド様の魔力。ここでムド様を失うぐらいなら」
幸いにしてネギは気絶しており、ここにいるのは刹那の事情を知る者ばかり。
だから一度踏ん切りをつければ、背中の翼を解放する事に戸惑いはなかった。
人と烏族との間に生まれ、忌み子だと嫌われた真っ白な翼。
その翼をはためかせ、刹那は高畑とリョウメンスクナノカミが作り出す拳の弾幕の間をぬう様に飛んだ。
恐怖は確かにあったが、ムドを失う恐怖に比べたらどうということはない。
リョウメンスクナノカミは、こちらが目に入っていないように執拗に高畑を狙っていた。
その隙をついて、刹那は建御雷の剣を構える。
「神鳴流奥義、斬魔剣!」
結果、見事にリョウメンスクナノカミの左胸を斬り裂いた。
「ほな、ウチもですえ。神鳴流奥義、斬魔けーん」
「貴様、月詠!」
刹那のつけた傷とで十字を描く様に、月詠が次元間移動で現れ斬り裂いった。
その傷の隙間から異物が追い出されるように、ムドの体が零れ落ちてきた。
ムドをどちらが受け取るのか、片手で刃を鍔競り合いながら結局片腕ずつ支え合って退避する。
「リク・ラク、ラ・ラック、ライラック。契約に従い、我に従え、氷の女王。来れ、とこしえのやみ。えいえんのひょうが!」
ムドを取り合う少女たちを忌々しく思いながらも、エヴァンジェリンの必殺の魔法が炸裂した。
-あとがき-
ども、えなりんです。
これで本当にムドが誘拐されてたら、ネギ君まじ主人公。
弟を道具扱いされて本気で怒ったり、
また強大な敵に及ばずも冷や汗かかせたりと。
一方、本当の主人公は台詞すらもない始末。
しかも黒幕っちゃー、黒幕的立場。
いつか凄い酷い目にあう事でしょう。
さて、次回は千雨に少しだけスポット当たるよ。
それでは次回は土曜日です。