第三十四話 初めての友達の裏切り
修学旅行三日目の朝食後、豪華景品と称した仮契約カードが和美より贈呈された。
その相手はムドが狙ったとおりのあやか、そしてハルナである。
和美との初めてにムドが没頭する間に、ハルナまで滑り込んだらしい。
とりあえず、なってしまったものは仕方がなかった。
魔法を明かすかどうかはまた別として、候補として残しておくのも悪くはない。
「い、一生の宝物ですわ。ネギ先生と、ネギ先生との輝かしい思い出が鮮やかに脳裏に蘇りますわ!」
「へー、これが豪華景品か」
「あー、見して見して!」
委員長が受け取った仮契約カードを手にくるくると回り、取り損ねた裕奈や鳴滝姉妹が寄ってくる。
一方のハルナも、仮契約カードを唇に添えて昨晩の濃厚なキスに想いをはせた。
ただ直ぐに親友の剣呑な瞳に気付いて、ふと昨晩の夕映の行動を思い出してニヤニヤと笑う。
「先行き輝かしい美少年との一晩の逢瀬、いやあ修学旅行らしいね。て、安心しなって夕映。とっちゃう気はないからさ。昨日も実は全然関係ない場所に案内してたっしょ?」
「ちが、違うです。修学旅行とはいえ本人の許可もなくあのような暴挙を!」
「途中で夕映がいきなり消えちゃって、屋根裏突き破ったら丁度ネギ先生の部屋の上ってできすぎだったけど。いやまさか夕映がね。でもまあ、ネギ先生は頭が良くて紳士的だし。身長も釣り合いとれてるからお似合いじゃない? 応援するよ?」
「だから違うです。私は委員長さんとパルがネギ先生と仮契もがっ!」
うりうりと頬を突かれ、つい滑らせかけた夕映の口を楓が塞いだ。
「どうどう、夕映殿。ハルナ殿、しばしお借りするでござるよ」
そのまま夕映を担ぐようにして、楓は朝食をとっていた大広間から逃げていく。
行き先はロビーの一角であり、そこには頭を抱えたネギがいた。
他には古や木乃香に、明日菜と刹那、そして頭にたんこぶをつけたムドであった。
ちなみにたんこぶは、明日菜に叱られてできたものである。
「もう、本当にどうするのよ。こんな時に、厄介ごとを増やして。今日で最後なのに」
「修学旅行の最終日は明後日ですけど、何かあったんですか?」
「うっ、なんでもないわよ」
ムドには木乃香の誘拐未遂の事は秘密にしているつもりなので、明日菜が言葉に詰まる。
ただその様子は少し普通ではなく、ムドに見つめられて徐々に赤面していった。
そのうちに耐え切れないようにそっぽをむいて、肩を震わせた。
(凄い、あの明日菜さんが私を見て赤面してくれました。刹那、お手柄です)
(いえ、私は何故かオナニーの仕方について泣きつかれてお教えしただけです。手ほどきする最中に契約代行させてムド様を意識させましたけど)
(朝のお勤め時は半信半疑でしたが、本当にお手柄です。夜は刹那をメインに皆で愛し合いましょう。リクエストを考えて置いてください)
(では皆に四肢を無理やり組み伏せられた状態で、ムド様に後ろから突かれたく存じます!)
念話でのあまりの即答に、さすがのムドもちょっと引いたが了承する。
愛の形は本当に色々だと、悟っていなければやっていられない。
「ムド、お願いだからもう一度説明してくれる?」
「兄さんが昨日の夕方に車に轢かれそうな猫を助けましたよね。それで和美さんが魔法の存在を疑っていたんです。露天風呂に入ってきたのも、カマを駆けに来たそうです」
抱えていた頭を上げて、ムドに説明を求めてきたネギに事の敬意を改めて説明していく。
事の根本原因はネギのせいにしてだ。
これでムドはネギの失態をフォローしようとした事になって罪は免れる。
もちろん、仮契約についてもそれらしい言い訳は考えてあった。
「きちんと事情を説明したら、仮契約したら秘密にしてくれると言われたので和美さんと仮契約したんですが……エヴァンジェリンさんに魔法陣を書いてもらったらホテルが丸ごと包まれてしまったみたいで」
「同時進行で進んでいた和美さんのおふざけに重なったんだ。ああ、どうして僕昨日はあんなにも簡単に眠っちゃったんだろう」
「ネギ坊主、悩んでいても仕方がないアル。いいんちょやハルナには、妬けるアルけど。肝心なのはこれからアル!」
「そうやて。あと今日一日、そうすれば高畑先生が来てくれるんやろ。頑張らへんとな」
古や木乃香に背中を叩かれては元気を取り戻し、ネギが立ち上がる。
「そうですね、今はもっと目の前の問題を。ムドは、今日の予定は?」
「当初の予定は姉さんとアーニャとでシネマ村に向かう予定でしたけれど、また兄さんのクラスの人達の面倒ですか? まあお仕事ですから、文句は言いませんが」
「ううん、今日はいいや。皆、昨日の夜は大はしゃぎだったみたいだし少し落ち着くかもしれないから」
ある程度覚悟はしていたのだが、突然ネギがそんな事を言い出した。
一体どうするつもりなのか気にはなったが、大丈夫だと笑顔を向けられてしまった。
事情を知らないと思われているので、強くは食い下がれない。
そこでムドは仮契約カードを使った念話で刹那に中継を頼みつつ、席を立って下がる。
そのムドが皆の視界から消えていくのを待ってから、刹那が頼まれた通り尋ねた。
「ネギ先生、一体どうされるおつもりですか?」
「僕らも木乃香さんを連れて関西呪術協会の総本山に向かいます。そこで逸早く、タカミチと合流すればムド達の安全もより早く確保できます」
「せっちゃん、ウチの家がその総本山とかやったんやろ? ウチからもお父様に、あの千草って人らを捕まえて貰うよう言ってみるえ」
「分かりました。私が総本山までご案内します」
刹那の了承に、お願いしますとネギが頭を下げた。
五班の班員には、本当に事情を知らないのどかとハルナがいた。
だが元々五班は三日目の自由行動は特に行き先を決めてはいなかったので、やりようはいくらでもあった。
一度何処かのテーマパークへと入園してはぐれたふりをしたのだ。
それも各員が一人ないし、二人ずつ。
合流には時間がかかりそうだという事にして、のどかとハルナを抜きに合流し直す。
楓と古はもっと簡単で、行きたいところがあると班員に述べてきただけであった。
そして今、ネギと木乃香、そして刹那と明日菜は関西呪術協会の総本山前にいた。
鳥居から続く石段の向こうは竹林へと続いており、トンネルのようにその中を更に重なるように鳥居が続いている。
鳥居のトンネルを抜けるせいか、風がおどろおどろしい音を奏でていた。
「うわー、なんか出そうね」
「ウチ、小さい頃はこの鳥居が苦手やったな。あんま、山から下りてくる事もあらへんかったけど」
関西呪術協会の総本山、つまりは実家を指して木乃香が意外な台詞を呟く。
それを聞いて昔を思い出したのか、ふと刹那も表情が緩んでいた。
だが直ぐに表情を引き締めると、これまでなんの妨害もなかった事に不信感を抱きながらネギに尋ねる。
「ネギ先生、楓や古、夕映さんはついてこれていますか?」
「ええ、常に仮契約カードの念話で連絡はとりあってます」
相手が狙いの木乃香を連れた本体を囮に、別途楓達は後ろから尾行しているのである。
折角、相手に隠した戦力だからと、ネギがそう提案したのだ。
「ここまで来れば安心だとは思いますが、最後まで気を抜かずに行きましょう」
「そうですね。お嬢様、お手を。ご実家へ参りましょう」
「こんな時やけど、せっちゃんと帰ってこれて良かったわ。明日菜も行こか」
「どうか、誰も襲ってきませんように」
危険云々もあるが、今はまだ契約代行をしたくないと願いながら明日菜が呟いた。
緊急時にこそ躊躇するつもりはないが、やはり平時ではそう思わざるを得ない。
何しろあの快感が、子宮から広がるいやらしいモノだと知ってしまったからだ。
そして意識すればする程、契約代行時にムドの匂いや存在感を感じてしまう。
しばらくは、ムドの顔をまともに見れそうにもない。
しかも、快感だと気付いても処理の仕方が分からず、結局昨晩刹那に泣きついてしまった。
うら若い乙女が友達にオナニーの仕方を教えてくれなど、どれ程恥ずかしい事か。
「やっぱり、帰ったらもう一度殴っとこ」
「明日菜さん、私達が戦えるのはムド先生のおかげなのですから。大丈夫です」
石段を上り、その先に続く鳥居のトンネルの中で、刹那が明日菜の手を握った。
一瞬で昨晩の手ほどきの光景が脳裏に蘇った明日菜が、顔を赤く火照らせた。
ホテルの外にある小さな庭園の茂みの中、少し冷える風が吹く中で握られた手を大事なところに導かれていく。
人生初めてのオナニーが、外でしかも友達に手伝ってもらったのだ。
「あー、明日菜ずるいえ。ウチもせっちゃんと手繋ぎたい」
「そ、そうよね。やっぱり一番強い刹那さんが木乃香を預かるべきよね。よし、木乃香の事は任せたわ、刹那さん!」
ぱっと刹那からぎこちなく手を放した明日菜が、唐突に駆け出す。
先頭にて注意深く歩いていたネギをも追い越し、脱兎の如く逃げ出した。
変な明日菜と木乃香が笑い、刹那も少しだけ頬に朱をさして微笑む。
だが余り離れすぎるのも危ないと駆け足で追いかけようとした矢先に、明日菜が戻ってきた。
何かに気付いたように、赤らんでいた顔を青ざめさせながら。
「ちょっと、なんか様子が変よ。外から眺めて鳥居が長いのは分かってたけどほら、見て」
そう言って明日菜が指差したのは鳥居のトンネルが続く先だ。
合わせ鏡の中に迷い込んでしまったかのように、何処までも何処までも続いている。
ここに来た事がないネギは直ぐにピンとこなかったが、刹那や木乃香は違った。
この鳥居のトンネルを何度も通った事があり、木乃香の実家への距離感も知っていた。
なのに言われて見れば、鳥居の先を眺めてもその距離感が全く分からない。
「まさか、ここで総本山の目と鼻の先で!?」
「あっはっはっは、まさにそのまさやですえ。灯台下暗しや。それに無間方処の呪法、これで逃げ場はあらしまへんえ!」
刹那が驚きの声を上げた瞬間、数メートル先の鳥居の上から声がする。
聞き覚えのある声の主は、直ぐにネギ達の目の前に現れた。
鬼蜘蛛と呼ばれる強固な体を持つ式神の上に立ちながら、鳥居の上から落ちてきたのだ。
しかも鬼蜘蛛は一匹だけではなく、わさわさと四方八方から現れてくる。
「待ち伏せ、しかもこれだけの式神を最初から」
「明日菜さんは木乃香さんのガードをお願いします。ただし、無理はしないで。この程度なら、僕と刹那さんだけでも」
「おっと、俺らを忘れてもらったら困るで。言ったやろ、またやろうやってな」
「先輩、また会えましたえ。ウチ、強い女の子が大好きですわ」
ネギが指示を出したそばから、右手に小太郎が左手に月詠が現れた。
「一昨日は油断したけれど、小太郎はんと月詠はんに加えてこれだけ鬼蜘蛛がおれば完璧ですえ。さあ、観念して木乃香お嬢様を渡してもらいましょか」
「俺はこういう数に頼るのは好かんけど、その姉ちゃん捕まえた後は好きに戦ってええって言われとるからな。赤毛のお前や、さっさと姉ちゃん渡してんか」
「小太郎はん、そないやったら抵抗してもろた方が力一杯戦ってもらえますえ。ウチとしては刹那先輩には全力で抗って欲しいですえ」
「おお、よう考えたらそうやんけ。やっぱ、断れ赤毛。それで俺とガチンコ勝負や!」
相変わらずバラバラのチームワークを前に、千草が明らかに苛立っている様子であった。
小太郎や月詠を完全に扱いかねており、本当に首謀者なのかどうかも怪しいところだ。
ただ数をかさにきているのに、首謀者が出てこないはずもない。
どちらにせよ、総本山を目の前にしているのならば連行するのも容易いはず。
何やら揉め出しそうな雰囲気の千草達を前に、ネギは三枚の仮契約カードを取り出した。
「召喚、ネギの従者。長瀬楓、古菲、綾瀬夕映!」
数には数を、後方で控えていた三人を一気に呼び出した。
ネギの手前と両脇に仮契約カードが魔法陣を描き、三人の姿を浮かび上がらせる。
三人とも状況は把握しているようで、楓はクナイを、古は神珍鉄自在棍を、夕映は杖を手にしていた。
「小太郎君は僕が相手をします。刹那さんは月詠さんを。楓さんと古さんは鬼蜘蛛を、夕映さんバックアップお願いします」
「はいです。フォア・ゾ・クラティカ・ソクラティカ、光の精霊十一柱。集い来たりて、敵を射て。魔法の射手、光の十一矢!」
「なっ、まだ仲間がおったんか!?」
千草の驚きの声は、夕映が方々に放った光の矢の着弾音にかき消されていた。
もうもうと土煙が上がる中で、それぞれがネギの指示通りに敵へと向かう。
余裕と侮った中で敵の増援が現れ、油断したであろう千草達へと。
「クナイではちと、心もとないでござるな。しからば、アデアット。口寄せ、十字手裏剣」
口寄せで寮の自室のクローゼットから巨大な十字手裏剣を呼び出し、鬼蜘蛛達へと投げつける。
えげつない程に高速に回転した十字の刃が、二、三匹の鬼蜘蛛を纏めて斬り刻んでいく。
強固な防御力を誇るはずの鬼蜘蛛をまるで紙のように粉砕していった。
だが古も楓に負けてはいない。
エヴァンジェリンに扱いきれていないと指摘されてから、修行の毎日。
特に気の扱いと筋力強化に努め、神珍鉄自在棍を自在に振り回す。
「楓に負けてられないアル。修行の成果、それを見せるのは今をおいて他にないアル!」
だが何もかもを力任せにするのではない。
円を描く足さばきで体重移動をし、神珍鉄自在棍の重さをも利用して立ち回る。
その動きも加えて鬼蜘蛛を叩けば、硬い甲羅をも粉砕して体を切断してしまう。
二人に掛かれば多少の数など、ないも同然であった。
「はっ、図らずも俺らの願った通りやんけ。赤毛、いっちょ男らしくタイマンと行こうや」
「赤毛じゃない。ネギ、ネギ・スプリングフィールドだ。戦いの歌!」
夕映に加え、木乃香までもが魔法の射手をばら撒く中で、ネギと小太郎が拳を交える。
多少、小太郎の心意気に引きずられたのかネギも真正面から立ち向かっていた。
一進一退に拳を打ちあい、僅かな距離でも開けば魔法の射手を連発していく。
溜まらず小太郎が気で生み出した狗神で迎撃する。
「へっ、やっぱり俺の見込んだ通りや。楽しいやんけ、そう思わへんかネギ」
「楽しいもんか。木乃香さんを誘拐するような人に加担する君がいくら強くても。僕はちっとも楽しくない、君を尊敬できない。してやるもんか!」
一発、たった一発だがネギが激昂に任せて小太郎の頬に拳を打ち込んだ。
「チッ……言ってくれるやんけ、胸糞悪いわ、温室育ちが!」
「温室にだって、耐えられない人間はいる。大事なのは、自分が生まれた世界でどう生きるか。君より体が弱くても、君より強い人間を僕は知ってる!」
ネギと小太郎が本気の殴り合いにもつれ込んだ頃、刹那もまた月詠と相対していた。
契約代行により遠く離れたムドの魔力を受け、右手に夕凪を左手に建卸雷を右手に握る。
「先輩、遊びましょう。気持ち良く、斬り合いながら共に果ててしまいましょう」
「誰が貴様などの剣で……私を果てさせられるのは、あの方の剣だけだ!」
まずっと、ついつい本音が出てしまった刹那であったが、幸運にもそれを聞いていたのは月詠だけであった。
「きーっ、悔しいですえ。先輩にそんな良い人がおったなんて。そや、いっそそのお方を殺してッ」
何処からともなく取り出した白いハンカチを噛み締めての月詠の一言は、タブーであった。
前置きもなく、刹那が建卸雷にムドの魔力を充填し、石の剣を雷の剣へと変換させた。
持ち主である刹那以外が触れればたちどころに感電するであろうその剣を、振り下ろす。
鳥居を破壊し、竹林を燃やし、石畳までも月詠ごと砕いていこうとする。
大きなクレーターができる程の一撃によってできた土煙の中から、月詠が飛び出してきた。
普通ならば人を飲み込む魔を逆に飲み込み、瞳の輝きを三日月型に割った状態でだ。
「うふふ、やっぱり思った通りですえ。先輩こそ、ウチと斬りあうお人に相応しい。共に奈落の底まで落ちていきましょう」
「殺す、あの方を害する者は全て殺す。貴様の骸を奈落の底に叩き落としてやる!」
刹那もまた魔を逆に飲み込み、月詠が繰り出した刃と鍔迫り合いを繰り広げていった。
そんな乱戦状態で、誰も彼もが全力を尽くす中で、ポツンと取り残された者がいた。
ハリセンバージョンの破魔の剣を手に、木乃香と夕映のそばにいた明日菜である。
「魔法の射手、光の十一矢です!」
「ウチも、魔法の射手、光の十三矢やえ!」
「えっ、あ……えっと」
鬼蜘蛛は殆ど楓と古が粉砕しており、夕映と木乃香の魔法の射手の弾幕を前に近付く事すらできないでいる。
木乃香のガードをと指示はされたものの、殆ど必要ないようなものだ。
かと言って、ネギや刹那の戦いに加わる事などもっての他であった。
(やば、どうしよう。なんか私もの凄く役立たず。一昨日の夜はもう少し、楓ちゃんやくーちゃんがいなかったからだけなのかな)
破魔の剣を胸に抱いてちょっと凹んでいると、ある者が目に映った。
「ひぃっ、なんやこいつら。お嬢様まで西洋魔術を使えるやなんて聞いてまへんえ」
今にも紙に返りそうな鬼蜘蛛の影で、頭を抱えて襲い来る光の矢の嵐に耐えている千草だ。
一応は倒されるそばから鬼蜘蛛を召喚してはいるが、楓と古が倒す速度の方が速い。
とはいえ、後衛の呪術師が護衛もつけずにあたふたしているように明日菜には見える。
ピコンと、普段はめぐりの悪い頭がこの時ばかりは働いてくれた。
働いてしまったと言うべきか。
「木乃香、夕映ちゃん。二人共護衛がいなくても少しぐらい大丈夫だよね?」
「少々の事なら、ですが何をするつもりですか?」
「明日菜?」
「そっか、ならちょっとあのお猿のお姉さんを捕まえてくるわ」
一瞬、明日菜が何を言ったのか理解できずに木乃香も夕映も目が点になっていた。
そして制止の声を上げるよりも早く、明日菜が瞬動術で飛び出していった。
既に仮契約カードにてムドの魔力を受けとり済みである。
魔力により光の帯を生み出しつつ、乱戦の中を駆け抜けていく。
「チッ、甘いで姉ちゃん!」
「先輩、ちょっと失礼しますえ」
言動は幼く我が侭でも、プロはプロだ。
好敵手と定めた目の前の相手を振り切り、小太郎と月詠が明日菜の目の前に立ちふさがった。
「えっ」
嘘と言って欲しそうな明日菜の呟きが漏れ、目の前で小太郎が拳を、月詠が刃を煌かせる。
「明日菜さん!」
ネギだけでなく、刹那達が自分の名を呼ぶ声が轟音轟く中でやけにはっきり聞こえた。
そして不意に、自分が死ぬんじゃないかと理解する。
千草を叩きのめすつもりで振りかぶった破魔の剣は大振りだ。
とても小太郎の拳の迎撃には間に合わず、拳を受けて立ち止まれば月詠の刃の餌食であった。
二人共、もはや明日菜ですら普通の中学生とは認識していない。
プロと呼ばれた二人が、プロを相手にするつもりで得物を振り上げている。
(アレこれ私、本当に死んじゃわない?)
暢気な思考であったが、数ヶ月ぶりに触れた死の淵であった。
現実から目をそらすように視界がブレ、記憶にないはずの光景が走馬灯として流れる。
スーツを着た男の人、タバコの匂い、同じ死の淵にいながら向けられる男臭い笑み。
幸せになりな、その一言が明日菜のあらゆるモノを加速させた。
「ウゲェッ」
瞬動術に入ったまま伸ばした足が、リーチの差から小太郎の鳩尾に入った。
その時に捻った体の回転は止まらず、半ば月詠に背を向ける形でしゃがみ込んだ。
薙ぎ払われた月詠の刃は頭上を通過し、体を起こすと同時にすれ違った月詠の背中を破魔の剣のハリセンバージョンで強打した。
「きゃんっ!」
子犬のような悲鳴を聞き流しつつ、再び瞬動術に入る。
「鬼蜘蛛達、あの小娘を」
本物の蜘蛛らしく大きな胴体で華麗に跳ねて飛び掛ってきた鬼蜘蛛を、破魔の剣で消し去っていく。
そして最後に、千草の額に思い切り破魔の剣を叩きつけ、明日菜の加速が消えた。
「えっ……アレ、また私なんか。誰か、高畑先生に似てたような。はっ、まさか愛の力。もしかして私ってば両想い。愛の力で召し取ったり!」
とりあえず勢いで気絶した千草を足蹴にしつつ宣言した明日菜を前に、誰しもがぽかんと口を開いて言葉もない状態であった。
お手洗いの個室にて携帯電話を掛けていたムドは、ネギが無事に総本山へと辿りついた事を知った。
もちろん、明日菜の危うい活躍により敵を一網打尽にできた事もだ。
それを事細やかに教えてくれたのは、通話相手の和美である。
何故和美が知っているのかというと、彼女のアーティファクトのおかげであった。
渡鴉の人見というスパイゴーレムを使って、和美本人が一部始終を見ていた。
本来は私有地などには入れないのだが、渡鴉の人見の一体を刹那が持ち込んでくれていたのだ。
「てなわけで、もう大丈夫そうだね。ムド君の愛しい和美さんからの報告終わり」
「ええ、ありがとうございました。愛してますよ」
「全く、完全にたらしこまれちゃったね。私も愛してるよ、じゃね」
多少照れてはいたが、今までにない軽いノリで愛していると言われ通話が切られた。
今までの従者にはない肩の力を抜いた関係は、嫌いではない。
もっとも、体の相性はネカネの次ぐらいに良かった。
それにアーティファクトも、情報収集の為にはかなり重宝する物だ。
元々その気はなかったのだが、和美は愛する価値のある良い従者であった。
「さて、今日を合わせて残り三日。落ち着いて、楽しみましょう」
呟き個室を出ると、手を洗ってからトイレを後にする。
現在、ムドはネカネやアーニャ、それから刹那を抜いた六班であるエヴァンジェリンと茶々丸、そしてザジとシネマ村に来ていた。
日本文化を知るにはやや偏った場所だが、神社仏閣は二日目までに周りまくったので食傷気味でもあった。
亜子やアキラのいる四班も今日は、大阪の方へ足を伸ばしているはずだ。
やはり考えることはだいたい皆一緒のようで、今日もまた神社仏閣へと向かった班は皆無である。
「お待たせしました。あ、もう注文したもの来てたんですね」
「長かったわね。まさか、体調悪いの隠して我慢してたとかないわよね?」
店内のお手洗いから戻った先は、御茶屋の店先にあるベンチであった。
そのベンチにはエヴァンジェリンが、このお店に期待と豪語させた品が置かれていた。
水戸黄門でお馴染みの印籠の形をした印籠焼きである。
餡子とカスタードお好みの中身を選べる、言ってしまえば形以外は何処にでもある和菓子であった。
町娘の赤い着物姿に仮装したアーニャの横に座りそれに手を伸ばそうとすると、ハンカチで額の汗を拭かれる。
そのまま近付いていた顔をさらに近づけ、コツンとおでこを当てて熱を計られた。
「んー、多分熱は……」
だがその様子を見ていたネカネに突っ込まれ、即座に離れることとなった。
「もう、アーニャってばムドに触りたいならそう言えば良いのに」
「変な事を言わないでよネカネお姉ちゃん。別に、触りたいとか。触りたい、けど……はい、熱はない。うん、大丈夫!」
「あたっ」
照れ隠しにムドの額をペチンと叩いてから、アーニャは印籠焼きに噛み付いた。
ムドも自分の分のお皿を膝の上に置き、お皿がなくなった分だけアーニャに寄り座ってから食べ始めた。
「ん、普通に美味しいですね」
「馬鹿者、普通とはなんだ普通とは。本物と同じ大きさ、同じ家紋に文様、見事な造形だ素晴らしい」
たかが似せて作っただけの和菓子を片手に、力説されてしまったが。
「あらあら、そんな事を言ってずっと食べずに見てるだけで。早く食べないと、置いて行っちゃうわよ?」
「うむ、これから食べようとしたのだ。これからな」
「マスター、その食すのが勿体無いという憐憫の表情。さすがです」
「ケケケ、刀デ斬リ合ウシーンハ面白エノハ認メルガ。重症ダナコリャ」
これから食べると言いつつも、エヴァンジェリンは印籠焼きを前に微動だにしない。
そんな間抜けなマスターを茶々丸は映像保存し、茶々ゼロは呆れていた。
一方既に食べ終えていたザジは、指先に止めた小鳥にお皿の食べかすを与えている。
本当にのんびりと、ムドも印籠焼きを片手に緑茶をすすった。
「うぅ、結構大きかったからお腹一杯。まだ時間かかりそうだけど、食べ終わったらどうするの? 私、折角だから写真撮りたいな。ムドもその時はちゃんと着替えて」
「袴は動き辛そうなので遠慮しましたけど、そういう理由なら構いませんよ」
「ほらネカネお姉ちゃん、ムドもそう言ってるし。二人きりでも撮りたいし」
「はいはい、エヴァンジェリンさんが食べきったらいきましょうか」
後半小さく呟いたアーニャの言葉を拾い上げ、頭を撫でてやりながらネカネが了承した。
ただ今ようやくエヴァンジェリンが印籠焼きにかぶりつき、自分の歯型がついたそれを見て涙ぐんでいるところだ。
この調子だと、まだ三十分近くはかかるだろうか。
やや頬を膨らませたアーニャを、ムドも落ち着いてと手を握って宥める。
そんな時だった。
「あれ?」
お店の正面にある古めかしい木造家屋が隣り合う隙間から、向こう側の通りが見える。
そこを見知った少年の人影が通り過ぎたようにムドには見えた。
昨日、暇を見つけてはホテルを探し、結局見つけられなかったフェイトだ。
思わず立ち上がり、ふらふらと足が勝手に探しに行こうと歩き出してしまった。
「ちょっと、ムド。何処行くのよ。トイレなら中でしょ?」
「ホテルで会った子が向こうの通りを、ちょっと見てきます」
「あまり一人で遠くに行っちゃ駄目よ。直ぐに戻ってきなさいね」
大丈夫だからとアーニャに答えると、ネカネに更に注意を重ねられる。
それでも少しはと認められ、家屋と家屋の隙間を通って向こう側の通りへと出た。
すぐさま人の流れを確認して、先ほど見かけた白髪と濃紺の学生服の男の子を捜す。
既に見かけてから一分以上は経っている。
目的地を持って歩いているのなら、人ごみの中へ消えていてもおかしくはない。
急げと、今を逃せば次は何時になるか分からないと辺りを見渡し、直ぐそこの角を曲がる白髪頭を見かけた。
一瞬の躊躇、あまり離れるなというネカネの注意が浮かんだが、追いかける事を選んだ。
「フェイト君!」
姿が見えなくなった後で呼んでも無意味であり、急ぎ追いかける。
「あれ、あの馬鹿ガキ……体弱いくせに何走ってんだ?」
とある少女に走っている姿を見咎められても、気付かずにフェイトを探す。
通りを曲がり、狭い軒先が続く道を進み、何やらお城の裏手、石垣の真下に出る。
そこにフェイトは待ち構えていたかのようにムドを待っていた。
人通りの少ない、この場所を選んだかのように。
「やあ、ムド君。実は少し困った事になったんだ。君の力が必要なんだ。助けて、くれるかい?」
「僕の? フェイト君、君は何を言って!?」
一歩踏み出した足元に、水溜りができていた。
この二、三日、少なくとも京都へ来てからは雨粒一つ落ちなかったはずなのに。
そして次の瞬間には、ムドはその水の中から伸びた手に引きずり込まれ、消えていった。
続いてフェイトもまた、水溜りに足を踏み入れ数センチも深みのないはずのそこへ沈んでいく。
「おいおい、マジかよ。私にどうしろってんだよ」
たった一人の目撃者を残し、ムドとフェイトは水の中へと消えていった。
-後書き-
ども、えなりんです。
前回、レズ祭りでしたが、実は明日菜と刹那も微妙にレズってたw
明日菜も徐々に、道を踏み外し始めています。
そしてムドはきちんとフラグを回収。
迂闊にも自分から従者の傍を離れて、誘拐。
気が抜けてる、気が抜けてると修学旅行開始頃から書いてましたが、このためでした。
木乃香から囚われのお姫様役とっちゃうとか、斬新でないでしょうか?
それでは次回は水曜です。