第三十二話 エージェント朝倉
夕暮れ時、クラス単位でホテルに帰って来たムドは、とある人物の元へと急いだ。
昨晩に自分を友達と呼んでくれたフェイトを探す為ではない。
人目が多い場所では、中々話しかける切欠がなかった。
何しろこれまで親しくする機会もなく、今でも特に親しくもなかったからだ。
しかもネギとムドは教員扱いなので、夕食前にお風呂に入ってしまわなければならない。
「あ、千雨さん」
「げっ」
だからようやく廊下にて千雨を見つけた時には、嫌そうに振り返られても躊躇はなかった。
嫌われているというよりは、アキラの言葉から面倒臭がられているだけだろうが。
実際に、逃げればもっと面倒かと溜息をつきながら千雨が立ち止まってくれた。
そして後ろ手について来いと、手招かれ、他に生徒が見えない廊下の一番突き当りまで歩いていく。
そこで振り返った千雨が、突き当たりにある非常口の扉に背を預け、腕を組んだ状態で耳を傾けてくれた。
「で、何か用かよ。手短にしてくれよ。委員長にでも見つかれば面倒だからな」
「はい、手短に済ませます。亜子さんの件ですけれど、アキラさんに明かしましたので千雨さんは何も気になさらなくてもよくなりました」
「ふーん。まあ私がって、ちょっと待てガキ!」
面倒がなくなるならと流そうとした千雨であったが、失敗する。
むしろ逆に明かしてどうするとムドの頭を鷲づかみにしてきた。
「安心してください。大まかに真実を明かして、ほんの少しの嘘をついただけです。さすがに、肉体関係を認めてくれるとは思いませんし」
「つまり何か? 例えば魔法という驚きの真実で動揺させた隙に、本当に隠したい部分をごまかしたと。詐欺じゃねえか、明かしたとは言わねえよ!」
「あ、凄いですね千雨さん。その通りです。実は結構危なかったんですが、なんとかなりそうです。本当にご心配をおかけしました」
「いや、してねえよ。私を面倒に巻き込むなっつってんだ。もういい。お前と話してると頭痛いからあっちいけ」
どうにも余計に悩ませてしまったようだが、それはそれで構わなかった。
別に最初から言葉通り安心させる為に、知らせたかったわけではない。
余計な事はする必要がないと遠まわしに伝えたかったのだ。
アキラから聞いた千雨の性格上ありえないが、気を利かせたつもりで喋られてはぶち壊しになってしまう。
現状、良い方向に転がりそうなだけに、余計にである。
千雨もすっかり諦めたというか、呆れ果てた様子なので問題ない。
「さっきの、いやまさか……魔法なんて」
「え?」
千雨に手を上げてそれではと、足早に去ろうとしたところで耳に魔法という言葉が届いた。
まさか千雨との会話を聞かれていたのかと、咄嗟に振り返った。
そこで目の前が真っ暗になり、むにむにと心地良い感触のクッションに顔が突っ込んだ。
女性の甘い体臭と男には絶対にない感触を胸だと断定できる。
だがネカネに勝る事はないが、劣るとはいえない大きさの人物は多くはない。
ムドが衝突したのは、三班の部屋から出てきたばかりの和美であった。
千雨はそんな二人の後ろを、勝手にやってろとばかりにすり抜けて部屋に戻っていく。
「お……ムド先生。私の体はそんなに安くないよ?」
「和美さんですか。何か呟いてましたけど、どうかしましたか?」
埋めた胸の谷間から見上げても、額を突かれただけで終わってしまう。
その後もずっと胸の谷間から動かないでいたというのに、普通に話を続けられた。
おおらかなのは良い事だと、胸の谷間の感触を味わいながら会話を続ける。
「まあね。ネギ君って、最近古ちゃんから拳法習ってたよね」
「そうですね。拳法が嫌いな男の子はいないです。私も体が丈夫であったら、紳士の嗜みとして一つぐらいい収めたかったですね」
最後の台詞が同情を引いたのか、終いには谷間の中でぐりぐりと頭を撫でられた。
その間も拳法かと、ぶつぶつ呟いている。
どうやら千雨との会話ではなく、ネギが何かをしたのを見たらしい。
ただ確信に至らないという事は、決定的な瞬間をみたわけでもないようだ。
今のネギがそうそうヘマをするとも思えないし、せいぜいが人間的に無茶な動きをした程度だろう。
「ん、分かった。ところで、ムド先生はこれからお風呂じゃなかったっけ? 急いだ方が良いよ。それとも、時間が押して女子生徒とすれ違うの期待してる?」
「和美さんが一番に来てくれるのなら、考えてみます」
「おうおう言うね、その歳で中々のエロさ。けど、言う相手は選びなよ。私らの年頃は、常に勘違いしながら生きてるようなもんだからね」
「分かりました、今度アーニャに言ってみます」
そう言うと頑張れとばかりにぽんっと後頭部を叩かれる。
小さくサービスと呟かれ、いっそう胸の谷間に押し込まれてから、解放された。
もっとも解放もなにも、最初は事故でもそれ以降はムドから進んで挟まっていたのだが。
とりあえず、現状は何もしなさそうなので保留が良いだろう。
下手に藪を突いて蛇を出す事もない。
だが一応と、ムドはネギに何があったのか尋ねてみる事にした。
昨日と同じく、ネギと共に露天風呂に来たのだが、お湯に浸かった時の声が違った。
体にお湯の温かさが染み入るものではなく、体に溜まった疲れが滲み出たような溜息だ。
今日の予定は奈良であり、木乃香の誘拐に関する事件はなかったはず。
ならば何故、ネギがそんな疲れた声を出さねばならなかったのか。
やはり夕方に朝倉が見てしまった件と関係ありそうだと、ムドは尋ねた。
「兄さん、お疲れ様。なんだか普通じゃない疲れ方だけど、やっぱり三班も同時に気に掛けるのは大変だったんですか?」
「あ、違うよ。そっちじゃなくて……」
お湯に口元辺りまで沈み、少し話すのを躊躇するような素振りをネギが見せる。
一体何をやらかしたのか、辛抱強く待っているとネギがお湯の中から浮上した。
「夕方にホテルの外で子猫がワゴン自動車に轢かれそうだったんだ」
「まさか、それでつい使ってしまったですか?」
「そうなんだけど、使ったのは戦いの歌で。子猫を抱きかかえて、ワゴン自動車の表面を転がって衝撃を逃がしてからぽーんと飛ばされて着地したのを朝倉さんに見られたんだ」
「兄さん、着々と人外の域に……ですが微妙なところですね」
その光景を見て、和美は魔法を連想しながらも拳法ではと揺れていたのか。
しかもその程度ならば麻帆良では常に起きている。
エヴァンジェリンの修行を受ける前の古や楓だって、それぐらいはできたはずだ。
特に気にするまでもなかったなと、ネギに微笑みかけた。
「兄さん、大丈夫ですよ。古さんや楓さんでも、同じ事ができますし。和美さんも改めて騒ぎ立てようとはしないでしょう」
「うん、朝倉さんは報道部みたいだから、目新しいもの以外には反応薄いとおもうし」
じゃあ問題なしだと、兄弟そろってはふうと吐息を吐き出す。
ネギも木乃香の護衛は折り返し地点となった為、もう一踏ん張りといったところだろう。
刹那からの報告では、ネギは武人として成長しており、先を見た戦いができないとあった。
それを不安に思ったらしいが、むしろそれはムドの願った通りである。
ネギは先を見据えて戦う必要はない。
何一つ考える事なくムドが敵だと定めた相手を逐次、粉砕していけば良いのだ。
でなければ、いずれネギとムドの想いにズレが生じ、お互いに不幸な事になってしまう。
しばらく、あーとかうーしか声が出ない中で、露天風呂の入り口の引き戸がカラリと引かれた。
初日と同じパターンであれば刹那なのだが、もちろん違った。
「あら、ネギ先生にムド先生」
入ってきたのは、タオルを全身に巻いたしずなであった。
「し、しずな先生!?」
「今日もお疲れ様。お背中流しましょうか?」
「い……いえ、結構。わ、本当にあの……近付かないで下さい!」
湯船の縁に立て膝で座ったしずなの申し出に、極端な拒否の姿勢をネギが見せていた。
両手を湯船に突っ込み屈みこんでいる様子から、立ってしまったのだろう。
未だに抜かずに精力を溜め込んでいるせいか、反応しやすくなっているらしい。
それはそれとして、ムドは立て膝の奥が見えそうで見えないと冷静に眺めていた。
膝の立て方もそうだが、タオルが特に邪魔だと思ったところで違和感が脳裏をかける。
「ムド先生、どうされました? 先にお背中流しましょうか?」
「ええ、是非お願いします」
ネギの抗議は手で制し、湯船の縁にいるしずならしき人物の前に立った。
そしておもむろにタオルに包まれた胸の谷間に顔を埋めた。
慌てたネギに肩を掴まれ、即座に引き剥がされてしまったが。
「ちょっと、ムド!」
「兄さん、お尻に当たってるものをまずなんとかしてください。兄弟とはいえ、さすがに……」
「ひぃん、なんだか最近こんなんばっかだよ!」
「え……ムド先生、今のは」
ネギの事はそっとしておいてくださいと視線で頼み、改めてしずなに良く似ている人の前に立って言った。
「和美さんですよね。露天風呂にバスタオル巻いてはいる日本人はいませんよ。それに、胸の感触や大きさが同じでした。サービスし過ぎでしたね」
「な、なんの事ですか。私はしずな」
「しずな先生のバストサイズは九十九ですよ? バストサイズが八十八の朝倉和美さん。何なら体重やもろもろの個人情報を漏らしましょうか?」
「言われてみれば、少し小さいような。え、朝倉さんなんですか?」
少し冷静さを取り戻したネギが、和美の胸を見て言ってはいけない事を言ってしまった。
例えサイズ的にどんなに自信があろうと、比較対象と比べられ小さいと言われて気にしないはずが無い。
案の定、和美はショックを受けたように一歩下がっていた。
「バレたんなら仕方がない。ある時は巨乳教師。またある時は突撃レポーター。その正体は、三-A、三番の朝倉和美よッ!」
ウィッグと伊達眼鏡、特殊メイクをさっと外し、和美がその正体をさらした。
「とりあえず、浸かりませんか?」
「ムド先生、もうちょっとリアクションくれない? 二度もおっぱい触らせてあげたでしょ」
「はいはい、露天風呂で騒いだりバスタオルを巻くのは禁止です」
「こら、それはさすがにアウトだって!」
ムドがバスタオルを掴んで引っ張ると、文句を言いながらも和美がお湯の中に入った。
もちろん、多少湯船にタオルが浸かってしまったが、完全に脱がせておいた。
それからさらにムドは、中腰なネギの肩を押してお湯に浸からせる。
一言、注意を付け加えて。
「兄さんも、女性の前でぽんぽんおっ立てるの禁止です」
「ム、ムド言っちゃ駄目。朝倉さんが!」
「え、なになに。ついにネギ君も大人になっちゃったわけ? いやあ、ごめんね。和美さんの艶姿を見て立っちゃうなんて。思いもよらず、良いネタ仕入れちゃった」
「だ、誰にも言わないで下さい。僕ちょっと変な病気で!」
必死なネギを見てマジでと、和美が視線で尋ねてきた。
本気で自分に何が起こっているのか分かってないと、頷き返す。
「やばい、和美さんちょっと興奮しちゃった。十歳だから当然かもしれないけど、こういう純な少年は汚したくなっちゃうね」
「それだったら、てっとりばやく和美さんが兄さんの筆卸しをしてくれませんか? 良い人が周りにいるのに兄さん奥手で」
「保健医だけあって、やっぱりイケるねムド先生。んー、情報次第では手でするぐらいまでなら良いけどね。和美さんこれでも処女だし」
「無理強いはしませんけど。兄さん、どうしても戻らないならもう上がった方が良いですよ。私は少し、和美さんにお話がありますから」
小さく消え入りそうな声と共にネギは頷き、お湯からあがろうとしたところで和美の視線に気付いた。
顎に手を掛けて、紅顔の美少年の一物はアレかと注視している。
ますます赤くなって股間を押さえたネギは、ムドが和美からとりあげたバスタタオルに目をつけた。
それを手にとって勃起した股間を隠すと、一目散に脱衣所へと駆け抜けていった。
あの様子ならば、もう二度と露天風呂には戻ってこないだろう。
それなら遠慮はいらないと、ムドはお湯の中で移動を始めた。
和美の股の間に滑り込み、体を反転させると三-Aでも第四位の威力を誇る胸に後頭部を預ける。
思った通り拒絶はなく、ぽふりと頭の上に手を置かれた。
「やっぱりムド先生は、経験者でしょ。思春期が始まってないはずないし。服の上からならまだしも、直にでも取り乱さないなんて」
「経験はそれなりにあります。ただ個人的な話の前に、和美さんが何をしにきたか聞きたいです」
「ほら、廊下でネギ先生が拳法やってるって聞いたでしょ。実は夕方に猫を助けようとしてネギ先生がワゴンに轢かれたのにピンピンしてたの。車の表面をゴロゴロってね」
「それで、魔法みたいと思ったと」
そういう事と言った和美に頭を撫でられる。
グリグリとやや強めで、その度に胸の谷間に沈んでいく。
「自分でも馬鹿みたいだとは思ったんだけど。まあ、修学旅行だしね。羽目外してカマかけにきたの。失敗したけど、ムド先生のせいで」
「私、胸には少し煩いですよ。和美さんって報道部ですよね。クラスの生徒の丸秘個人情報なんかも詳しいですか?」
「まあね、私にかかればクラスメート全員丸裸。麻帆良のパパラッチは伊達じゃないよ」
それが何処まで信憑性があるかはさておき、三-Aの生徒の情報は欲しかった。
身体データや成績など大人視点での情報はいくらでも手に入るが、生徒の視点のデータは難しい。
それにそういったデータは時に、大人が集めたデータを凌駕する事もある。
現在、ネギの従者は古と楓の前衛二人に、夕映と木乃香の後衛攻守治癒コンビだ。
修学旅行から帰れば、エヴァンジェリンの修行も本格化し、さらに強くなるだろう。
となると後から従者を加入した場合には、どうしても埋めがたい差が出てくる。
そう考えた場合に、この修学旅行中にもう二、三人ぐらいネギの従者を増やしておいた方が良い。
確か、ネギの歓迎会の時も報道レポーターとして皆を代表して質問された事があった。
つまりそれは情報を扱う事で、ある程度は三-Aを動かす事ができるという事だ。
「和美さん、同盟を組みませんか?」
「同盟、どういう事?」
「和美さんが知りたがっている兄さんの情報は、とても危険なものです。仮にこれを公表したら、兄さんは国に強制送還。私や姉さん、アーニャも例外ではありません」
「え、マジで……アレってそんなに不味いもんだったの? 実はネギ先生のスーツは、国が極秘で開発していた高性能パワードスーツとか」
あの魔法が戦いの歌であった事を思うと、当たらずとも遠からずといったところか。
ただ和美の想像力の豊かさには、一種感心さえ覚えてしまった。
「違いますが、似たようなものです。和美さんがコレを他の誰にも公表しない事を条件に、教えようと思います。本当に公表しないでくださいね。和美さんを処理しなきゃならなくなるので」
「何度も脅さなくても大丈夫。ネギ先生がいないと、悲恋に泣くクラスメートが数人いるからね。情を忘れちゃ、レポーターなんてただの迷惑な知りたがりよ?」
ムドが思っていたより、和美は良い女であったらしい。
今ここでようやくムドの一物が和美の肢体に反応して膨張し始めた。
ただし、報道部に入っている事からも分かる通り、一番は真実の探求だろう。
ムドとその従者である仲間を愛し、その他を切り捨てるような事はしなさそうだ。
だからこその同盟、情報と情報を提供しあうだけの間柄。
仮契約するかどうかはまだ分からないが、同盟ならいざという時は記憶を消してしまえば良い。
「和美さんの想像通り、兄さんは魔法使いです。姉さんやアーニャも。麻帆良学園の上層部は魔法世界の組織です」
「お、なんか巨悪の匂いがしそうな感じ?」
「まあ古来より元老院なんて名の付く組織はそうでしょうね。私も詳しくは知りませんが。話は身近なところから、しましょうか」
ずっと頭を撫でてくれていた和美の手をとり、勃起した一物を触れさせる。
最初はそれが何か信じられず指先がピクリと反射的に動き、やがて確認するように握り始めた。
愛撫ではない故に、逆にそれがぎこちない愛撫のようで小さく呻いてしまった。
そのせいか、耳元に掛かっていた和美の吐息が少し熱を帯びて大きくなっていた。
「嘘、十歳にしては大きすぎない? それも完全にムケちゃってる。これも魔法の力で?」
「完全に生まれつきです。それに私は魔法使いではありません。生まれつきの疾患により魔力を放出する事ができません。普段の高熱もそのせいなんです」
「でも、最近は具合が良いとか聞いてるけど……」
「魔法使いの世界には従者というものがあるんですが。その人達に体を重ねる事で魔力を抜いてもらっているんです。ちなみに、六人中の四人で二人はなにも知りません」
経験があると実際に聞かされていたし、そう思っていたがさすがに四人もいたとは思いもよらなかったらしい。
未だに一物に触れていた和美の手が硬直し、恐る恐る離れていった。
自分が一体何に触れていたのか、改めて考えさせられたからだろうか。
貞操の危機も同時に感じたのか、足を閉じようとするがそこにはムドがいるので閉められない。
落ち着いてくれとばかりに膝から太もも辺りをなでる。
「私は相手の同意がなければ何もしません。そこで大事なのは、先程も出てきた従者。魔法使いのパートナーです」
「まさか七人目を探してくれとか? さすがに貞操が関わると、安易な事はねえ」
「いえ、探すのは兄さんの従者候補です。兄さんは古さんと楓さん、それから夕映さんと木乃香さんと契約しています。一応まき絵さんもですが、こちらは除外で」
股間を勃起させただけで取り乱すネギの従者ならと、和美は思ったらしい。
ムドの従者を探すよりは大丈夫かと、考え込み始めた。
個人的にはもっと魔法については知りたいし、自分の住んでいる学園都市についても同様だ。
だがそれには現状、ムドの協力は不可欠。
何しろ長年住んでいた和美がこれまでずっと、魔法に気付かず生活してきたのだから。
普通の方法では調べられない事は明白。
それに先程ムドは公表した場合に和美を処理しなければと危なそうな発言をしていた。
教えてくれる情報源があるのに、あえて危険な方法を取るべきではないかと結論付ける。
「よし、分かった。同盟成立だね」
熟考の末、そう呟いた和美を前にムドはありがとうございますと呟いて、胸の谷間に後頭部をさらに沈めた。
少々長話が過ぎたお風呂から上がり、浴衣に着替えて再びお風呂の暖簾前で和美と待ち合わせる。
夕食までは短い時間しかないが、ネギの従者を増やす算段と情報提供の為だ。
お風呂で溜め込んだ熱を手の平による団扇で扇ぎ、仮契約はどうしようと考える。
できれば愛してくれる人と契約をしていきたいが、現状では明日菜の気持ちが他所へ向っていた。
いずれこちらへ向けるつもりではあるものの、それなら和美としても問題はないか。
だが同盟決裂時の契約破棄時にアーニャや明日菜にどう説明するかが、面倒でもある。
(無理やりは、本当懲りましたし。刹那さんは結果オーライでしたけど。最近、また考え方が甘くなっます)
悪に染まってまで、何かを成し遂げたり命の心配をしなくて済むようになったからだ。
特にエヴァンジェリンが従者になってくれた事が限りなく大きい。
その安心感が、甘さや余裕を呼んでいると分かってはいても、制御する事が難しい。
(大怪我に繋がらない内に、気合入れなおしましょう。修学旅行が終わってからでも)
自分の甘さに気付きながら、今すぐに直そうと思わないのが既に重症であった。
それに気付かないまま放置したムドに声を掛ける者がいた。
「ムド君」
手を挙げて振りながら、アキラの手を引っ張り歩いてくる亜子であった。
どうやら仲直りは済んだようだが、アキラが向けるムドへの視線はまだ少し厳しい。
なにしろアキラにした説明が説明だ。
亜子の傷も魔法世界の薬で消してあげた事については、素直に感謝された。
だがその感謝も長続きはしなかった。
魔力の疾患を持つムドに亜子が協力して、キスにより魔力を抜いていた事にしたのだ。
実際はもっと先まで行っているのだが、その辺りが妥当である。
結果、アキラからすれば亜子の良心にムドが付け込んだように思えた事だろう。
ただ時々瞳が揺らぐのは、ムドの病弱の理由をちゃんと知ったからか。
「亜子さん、それにアキラさんも。どうかされましたか?」
「あのね、アキラがムド君に話があるんだって。ほら、アキラ」
「う、うん……ムド先生。私は」
戸惑い、躊躇するようにアキラは胸元に手を置いていた。
ムドを見たり、後ろの亜子へと振り返ったりどうにも落ち着かない様子だ。
「私は、まだムド先生の事を許せたわけじゃない。やっぱり、こんなのおかしい。ムド先生はアーニャちゃんが好きで、亜子はムド先生が好きで」
「確かにお互いに気持ちがすれ違っているのに、私は亜子さんと恋人のような事をしています。目的が、治療行為であっても」
「ムド先生はその……亜子とキスしないと、体が辛いんですよね?」
「ええ、そうですね。最近はそのおかげで毎日微熱程度で過ごせていますが……止めれば、低くて三十八度まずいと四十度近く出てしまいますね」
だいたい、アキラが抱いている葛藤が見えてきた。
その後ろにいる亜子も、ムドへと親友が加わってくれる事を喜ぶ満面の笑みを浮かべている。
アキラはおそらく、自分が代わりにと言いに来たのだろう。
「だったら、私がムド先生とキスします。亜子には、もう説明して納得してもらいました。私だったら、ムド先生をただの子供だと見られるから」
「亜子さんは、亜子さんはそれで本当に納得したんですか?」
「うん、ウチ……ほんまにムド先生の事を好きやから。好きやからこそ、ずるずる行ったらあかんて。アキラに言われて、そうかもって思ったんよ」
治療行為とはいえ何度も唇を合わせてきたのにと、ショックを受けた風を装い亜子に尋ねる。
そして亜子も、打ち合わせ通りに合わせてくれた。
まさに断腸の思い、淡い恋心を振り切る少女の振りであった。
何しろムドと亜子の関係の大部分は、夜のお勤めなので、昼間にイチャつけなくても関係ない。
「キスすれば良いだけではありません。私の従者として仮契約してもらわなければなりません」
「それも聞いた。戦ったりする自信はないけど、頑張る」
「分かりました。こちらこそ、お願いします。それと亜子さんの事ですが、仮契約の破棄には手順が要りますのでしばらくはそのままです。もちろん、キスはしません」
一瞬、アキラが躊躇ったがキスはしないと聞かされほっとしていた。
しかし、親友の為とはいえここまで言えるものだろうか。
潔癖な女子中学生が、治療の為とはいえ親友の代わりに自分がなどと。
その好意は親友である亜子にしか向いていないが、自分にも向けさせたくなる。
アキラは本当に、情の深い良い女であった。
「えっと、それじゃあ今なら脱衣所に誰もいませんので来て貰えますか?」
辺りに誰もいない事を確認しながら、男湯の暖簾の向こう側を指差す。
「亜子、ごめんね。私が我が侭言ったばかりに。でも、辛いだけだと思うから」
「ううん、こっちこそ。だってアキラまだ」
「大丈夫、ムド先生はまだ小さいからノーカウント」
それが本心かどうかは、亜子に見せまいと背中に回した両手が示している。
手の平をギュッと握りこんで、震えを押し殺していた。
そんなアキラを先導して、先程出てきたばかりの男湯の脱衣所に舞い戻った。
途中、ポケットの中の仮契約カードに手を触れ、亜子へと念話を飛ばす。
(亜子さん、そのうち女湯から和美さんが出てくるのでアキラさんと私が仮契約する事を教えてください。そして、合図したら踏み込んでください)
(うん、分かった。あんな、ムド君。アキラは本当に初めてやから、優しくしたってな。ウチ、早くアキラと二人で先生を愛したいんよ)
気が早いなと思いつつも分かりましたと念話を返信してから振り返った。
ムドから二、三歩ぐらいの距離を開けた離れた場所にアキラはいた。
その距離はお互いの心の距離であり、アキラからの拒絶の心でもあっただろう。
亜子にノーカウントだと微笑んで見せたなごりは欠片も見えず、少し青ざめてさえいる。
何しろファーストキスだ。
しかも好いた相手ですらなく、親友の茨の恋を諦めさせるだけの冷めたキス。
「アキラさん」
そうムドが声をかけただけで、ビクリと一歩下がられた。
「魔法陣書きますから。下がっていて、十分に下がられてますね」
「あっ、これは……」
「ただの治療行為ですよ」
あくまで治療行為だと呟きながら、脱衣所の床にチョークで魔法陣を描く。
仮契約の魔法陣はその図柄そのものが意味を持つので、ムドにも十分扱える。
なにしろ書くだけなのだ。
ゆっくり、時間を掛けて描き、その魔法陣の中にムドが立った。
「魔法陣の中に」
返答はなく、アキラは無言のままムドの前に立った。
百三十センチのムドと、百七十五センチのアキラだと首が痛いぐらいだ。
ムドが背伸びをしても全く届かない事に気付いたのか、アキラが自分から膝立ちとなった。
それでも若干アキラが高いぐらいだが、キスをするには申し分ない。
「覚悟は良いですか?」
「うん、これしかないから」
アキラのそんな言葉に反応したかのように、仮契約の魔法陣が輝き始めた。
魔法陣からの光に照らされ、ふっとアキラの強張っていた表情が少し揺らいだ。
その瞬間を逃さず、ムドはアキラの両頬に手を添える。
指先が触れた瞬間にピクッと反応されたが、以降は拒絶するような動きはなかった。
ただそれでもムドを直視できなかったらしい。
きつく瞳を閉じ、長いまつげは震え、それが伝染するように長いポニーテールが揺れている。
そんなアキラの唇に、ムドは静かに唇を寄せた。
「んっ……」
唇を押し付けるだけの大人しいキス。
ますます仮契約の魔法陣の光が強まる中で、ムドは自分の唇でアキラの唇を押し上げた。
突然の事にアキラが抵抗するが、ファーストキスに混乱しているのか力はない。
それを良い事にムドは僅かに開いた唇の間に舌を滑り込ませ、アキラの歯を舌先で舐めた。
当然の事ながらアキラは舌から逃げようと口を開き、まんまと侵入を許してしまった。
「ぅっん」
アキラの口内を蹂躙し、迎撃に出向いた舌を取り込み絡めあう。
顎先に溜まった唾液を舌ですくい上げ、舌同士でネチャネチャと音を立てる。
もちろんアキラは抵抗しようと試みてはいるが、経験が違う。
ムドは四人の女性と性的関係を持ち、毎晩毎朝ほとんど欠かさず経験を積み重ね続けていた。
一方のアキラは情こそ深いが、今ここでのキスが始めてなのだ。
膝を地面に付けてさえも背丈の小さい相手に、キスだけで弄ばれてしまっていた。
体の力は完全に抜け落ち、縋ろうと伸ばした手がムドの浴衣を肌蹴させ、そのまま押し倒す。
割としたたかに後頭部を打ち付けたムドであったが、頃合かと仮契約カードに片手を伸ばした。
「アキラ、今大きな音がッ!?」
「へえ、これが仮契約って奴。濃厚過ぎ……ちょっとやばくない?」
合図を聞いて飛び込んできた亜子と和美が見たのは、ムドを押し倒してもキスを続けるアキラであった。
そしてアキラもまた、亜子に見られた事で激しく動揺していた。
「いやぁ……」
一度は亜子を見る為に開いた瞳をきつく閉じ、瞼の間から涙が滲み出る。
亜子の為だと割り切ってキスに及び、今自分が何をしているのか。
(私、最低だ。亜子の目の前で、亜子の好きな人と。親友の好きな人を押し倒して、キスしてる。どうして止めないの、亜子に違うって。言わないと)
アキラの葛藤も虚しく、経験不足を突かれて体がいう事を聞かない。
唇を通して力が奪われたように、体に力が全くはいらなかった。
押し倒されて苦しいとムドがもがけば、胸が押し潰されては形を変えた。
さらにムドの立てられた膝が股間に当たり、恥ずかしい事をした時の記憶と快楽が脳裏に蘇る。
親友の好きな人と親友の目の前でと、衝撃的なファーストキスの動揺も手伝ってショーツに小さな染みが広がっていった。
(そんば場合じゃ……でも、気持ちいい。ぁっ……)
自分を見下ろす亜子と何故か和美、組み伏せられているムド。
全ては仕組まれた事でありながら、それに気付けなかったアキラは深くはまり込んでいく。
そして瞼の間から滲み出ていた涙が零れ落ち、やがて嗚咽を漏らし始めた。
-後書き-
ども、えなりんです。
朝倉のおっぱい祭り。
あと蜘蛛の糸にからめとられていくアキラでした。
それでは次回は水曜です。