第二十八話 女難の相
早々に気を抜き過ぎていた事を猛省したムドは、千雨の説教の後は大人しくしていた。
すっかり元気になった亜子が、皆とゲームに興じるのを確認してから座席に着く。
再びネカネやアーニャの間に座り、共に観光マップを眺め始める。
鼻をすんすんと動かして亜子の匂いやわずかな性臭を嗅ぎ付けたネカネに、こっそり抓られたりもしたが。
他の車両よりも一際騒がしい三-Aの面々を乗せた新幹線は、順調に京都を目指していた。
やがて十二時に配られたお弁当を食べ終わり、お茶を飲みながら一服する頃に到着する。
新幹線ひかりが京都駅に着いて、最初の向かい先は定番の清水寺であった。
観光バスに揺られ二十分程度、他にも修学旅行生や観光客が入り混じるそこに降り立つ。
まずは入り口の仁王門を抜けて、数多いお堂や次なる門を抜けつつ本堂を目指す。
余りにも有名な清水の舞台があるお堂が、本堂である。
「京都ーォ!」
「これが噂の飛び降りるアレ」
「誰か飛び降りれッ!」
そこが教室だろうが新幹線だろうが、国宝のお堂だろうが三-Aは変わらない。
桜子が拳を突き上げては叫び、裕奈の言葉を発端として風花が舞台の向こうの空を指差した。
委員長であるあやかの注意もなんのその。
あまりの騒がしさに辟易した様子の千雨が印象的で、目が合うとこっち見るなとばかりに睨まれてしまった。
お前も私を悩ます一員だとばかりに。
「ここが清水寺の本堂。いわゆる、清水の舞台ですね」
麻帆良で買いだめしておいた代わったパックジュースを飲みながら夕映が呟いた。
そればかりか、そもそも何故舞台なのか。
その舞台の正規の使用方法である本尊の観音様へ能を見せる事などを説明し始める。
他には清水の舞台から飛び降りるという言葉の実データまで話してくれた。
「ガイドみたいでありがたいけど、なんでそんなに詳しいの!?」
「夕映は神社仏閣仏像マニアだからね」
「ああ、この肌触り……」
「そう、意外に夕映も残念な人だったのね」
アーニャの疑問の声に、ハルナがこういう奴なのとばかりに説明してくれた。
その夕映は説明に一区切りすると、突然に舞台の端へと歩いていく。
柵の丸太に頬ずりする様子を見て、やはり麻帆良の人だったと友達の新たな一面にアーニャが慄く。
「す、素晴らしい……これが清水の舞台。京の都が一望できるとは、なんと贅沢な」
「マスター、そんな身を乗り出されては危険です」
「ケケケ、ソノママ落ッコチチマエ。ソレデ少シハ、目ガ覚メルダロウゼ」
そしてもう一人、エヴァンジェリンもパンフレットをくしゃくしゃに握り締めながら感動していた。
瞳に何かうっすら光るモノさえ見えた気がしたが、見間違いではないかもしれない。
後ろから支えてくれている茶々丸の腕や、茶々ゼロの辛辣な言葉に気付いた様子もなかったのだから。
ただ気持ちは分からなくもない。
西洋人からすれば、京都の街は本当に不思議な雰囲気の建物が多いのだ。
アジアの一角でありながら、似ているようで似ていない静寂という言葉が良く似合う。
観光客で人が溢れて賑やかなのに静寂を感じる。
まるで周囲の音という音が周りの木々や石に染みこみとけていくような。
全くもっておかしな場所であった。
「そうそう、ここから先に進むと恋占いで女性に大人気の地主神社が……はっ!」
「え」
「恋占い!?」
何故か自分自身の台詞で気付いた夕映に続き、まき絵やあやかが色めき立つ。
もちろん、そんな少数で終わるはずがなく恋占いという言葉が独り歩きする。
どうやら京都の静寂も、女子中学生の恋への願望は静められないらしい。
まき絵や鳴滝姉妹がネギの背を押し、その後をまけてなるかとあやかが追い、夕映もそそくさと追っていく。
ネギを中心に、恋占いと聞いた木乃香や古、楓と従者の面々も追いかける。
その中を逆行するように、人を探しながら明日菜がムドへ歩み寄ってきた。
「明日菜さんは、行かないんですか?」
「ムドこそ……私は、高畑先生を探してんの。折角の修学旅行なんだから、距離が遠のく前にせめて何か思い出を。そうだ。あんた、高畑先生が何処にいるか知らない?」
「あー……」
一生懸命探していたらしく、春の陽気も手伝って明日菜はうっすら汗をかいている。
もっと早く教えておくべきだったかと、ムドはネカネと顔を見合わせた。
「高畑先生は魔法関係で京都駅から別行動ですよ」
「え、そ……そんな、私の努力って一体……」
「ほら、明日菜ちゃん汗。チャンスはまだあるんだから、今はね。はい、ちゃんと立ちましょうね」
「すみません、先に言っておくべきでした」
意気消沈し、へなへなと座り込んだ明日菜の汗を拭き、ネカネが立たせた。
それからさり気にその手をムドに握らせ、皆が移動していった地主神社へと連れて行く。
アーニャも皆と一緒に先に行ってしまったので、周囲に三-Aの生徒が残っていない事を確認する。
意外にも、エヴァンジェリンすらその姿は見えず、全員地主神社に向かったようだ。
相変わらず沈んでいる明日菜の手を取り、三人で向かう。
だが地主神社の鳥居がある石段に辿り着くと、その上が何やら騒がしい。
夕映が女性に人気と言っていたのである程度の騒がしさは予想していたが、それが喧騒に近い。
落ち込んでいた明日菜すらも、何事だと階段の先の地主神社を見上げる程だ。
「あらあら、一体何事かしら。誰か喧嘩でもしているのかしら」
「さあ、なんでしょう。と言うか、手……放しなさいよ、ムド。もう大丈夫だから、ありがと。前のオルゴールもね。お礼、まだだったから」
「いえ、こちらこそ。明日菜さんには地底図書館でも助けてもらいましたし」
上の喧騒に気を取られながらも、照れくさそうに呟いた明日菜に答える。
こっそりネカネがポイントアップと呟いてくるが、やはり小さな積み重ねしかないのか。
だが石段を上りきったところで、そんな思考も吹き飛んだ。
「貴様ら、マスターの命令が聞けんというのか。先達に道を譲れ!」
「恋の道に師も弟子もないアル。先に触れるのは私アル」
「先だの後だの、関係ないとは分かってはいても。道理を超えるのが恋です」
喧騒は、本当に喧騒であった。
恋占いの石のゴールをエヴァンジェリンと古、夕映が取り合っていたのだ。
瞳を閉じたままで、エヴァンジェリンと古が攻防を繰り広げ、夕映はさり気に袖の中に練習用の杖を仕込んでいる。
しかも隙あらばと楓や木乃香もゴールを狙っていた。
そもそもエヴァンジェリンは相手が被ったわけではないので、譲れば良いはずだが。
「ふぇーん、なんか完全に出遅れた気分。皆、強くなり過ぎだよぉ」
「ま、まさかこの私が容易く投げ飛ばされるとは……しかし、ネギ先生への愛で負けるわけには!」
まっさきに吹き飛ばされたらしきまき絵とあやかも、随時復活しては投げ飛ばされる。
そんな事をしていれば、普段通りトトカルチョが始まるのも時間の問題だ。
あまりにも、普段通り過ぎる行動は、普段通りの結末を呼び起こす。
まわりの観光客がどん引きし、遠巻きに眺める中で、人垣を裂いてついにその人が現れた。
「こら、周囲に迷惑を掛けてまで何をやっとるか!」
鬼の新田が騒ぎを聞きつけて登場し、場にそぐわない大声でしかりつけた。
鬼の新田に叱られた回数は、おそらく三-Aが断トツであった事だろう。
新幹線ではまだ密室だったので良かったが、地主神社に始まり、音羽の滝など。
行く先々で騒いでは周囲に迷惑をかけ、怪我人が出なかったのが不思議なぐらいだ。
ホテルに戻ってからも懲りずに騒いでは怒られ、担任のネギは謝罪に走りっぱなしであった。
ちなみにムドやネカネ、アーニャも、新田に軽く注意された。
ただネギ程、クラスに馴染みのない状態で注意は難しいだろうと、程々に見逃されたが。
肉体的には平気そうだが、心労を溜め込んだネギを連れてムドは早めのお風呂に来た。
教員は早めにお風呂を取らなければならないからで、ネカネやアーニャは既にはいった後だ。
「ムド、もう良い。洗えた、洗えてるってば」
「駄目です。全く、髪の毛が自分で洗えないのにどうして伸ばすんですか。短いと、色々と楽ですよ」
「ええ、やだ」
露天風呂に向かう前に、室内のシャワーで髪を洗う。
目にシャンプーが染みたのか暴れるネギを叱責し、ゴシゴシと泡立てた。
お風呂で髪の毛を洗う時だけは、兄弟の立場が逆転する。
それにしても日本人の女の子は体臭や臭いに敏感である事を、少しは学んで欲しいものだ。
「流しますよ」
もはや喋る事すらできなくなったネギの頭を、桶に溜めたお湯で洗い流す。
すると犬のようにぷるぷると頭を振る様子が、なんだが可愛らしい。
それから体を洗って、背中を流し合ってからようやくのお待ちかね、露天風呂である。
引き戸を開けると濡れた体には少々冷たい風が通り抜け、むせ返る湯気が出迎えた。
目の前に広がったのは、岩に囲まれたお湯溜まりで、竹の策に東屋まであった。
「わ、凄い。これ露天風呂って奴だよね。ムド、早く入って温まろう」
「そんな慌てないで、兄さん」
改めて掛け湯を行い、足からお風呂に浸かって行く。
体の小さなネギやムドにとっては、少々熱いお湯だが、徐々に体を沈め肩まで届かせる。
そしてお互いにふうっと大きく息を吐いた。
余りにもその息が合いすぎており、可笑しくて笑いあう。
「風が流れてて気持ち良いね」
「ええ、なんだか心が洗われるようです。それにしても、兄さんと二人きりって久しぶりですね」
「あ、ムドもそう思った? 僕も修行が忙しくて……」
ほっこり幸せそうな笑みを浮かべていたネギが、ピタリと言葉を止めた。
そして頭を抱えて立ち上がり、グネグネと体をあちらこちらへと折り曲げる。
「ムド、最近何もなかった? また僕、気が付いたら自分の修行を優先させてた。ああ、これじゃあ、魔法学校の時と変わらないよ!」
「最近は平和そのものですよ。多分、周囲に女性しかいないのが大きいんでしょうけど。基本的に女性は小さい子供が好きですからね。兄さんも、心当たりあるでしょう」
「え……あの、あはは。いいんちょさんとか、かな?」
「三-Aの全員ですよ。これで兄さんが下手に十四歳とか同い年だったら……今よりも手こずる部分は多かったでしょうね」
逆に惚れられて四苦八苦していた可能性もなくはないが。
まさかと笑うネギは、どうにも自覚が薄いようだ。
昼間にも自分の従者の全員が、地主神社や音羽の滝で恋愛成就を願ったというのに。
ちなみにムドの従者はムドに男として興味がない者と、既に恋人以上かに分かれる。
明日菜と刹那が前者で、ネカネにアーニャ、亜子にエヴァンジェリンと少なくともムドは考えていた。
後者に含まれるエヴァンジェリンが、地主神社で暴れたのは意外だった。
単に京都に来たテンションに任せての事であり、今頃部屋で身悶えているかもしれないが。
それを案ずる茶々丸と馬鹿にする茶々ゼロの顔が良く浮かぶ。
と、ここで少し話題を変える。
「修行の方はどんな感じですか? エヴァンジェリンさんの修行は、まだ数日ですが」
「え、修行?」
言葉だけでなく、今度は生命活動をも止めてしまったかのようにネギが固まった。
ムドを見ているのか見ていないのか、暗い瞳が印象的だ。
お湯の湖面がふいに沸き立つように波立ち、ガタガタとネギが震え出す。
一体何を思い出してしまったのか、不用意にトラウマを突いてしまったらしい。
しかし、これだけ厳しくされているのなら数日とはいえ、随分力は付いた事だろう。
「分かりました、分かりましたから。順調、みたいですね」
「う、うん……普通の瞬動術は結構できるようになったり、くしゃみで魔力が漏れるような事もなくなったよ。ただ……」
頼もしい内容を教えてくれる中で、ふいにネギが視線をお湯の中に落とした。
自分の股間部分にではなく、チラチラとムドの股間部分へと。
女の子にならまだしも、兄弟とはいえ男に見られて気持ちの良いものではない。
ムドが身を捩った事で、注視していた事がバレたと思ったネギが慌てて弁解した。
「違ッ……ムドのが気になったとかじゃなくて。最近、ちょっと。あの……」
もじもじと言葉尻をすぼめたネギが、ムドの耳元に囁いた。
二人しか露天風呂にいないのを分かっていても、はっきりと声にするのが恥ずかしかったらしい。
「あのね、最近……木乃香さん達といると変なんだ。古さんと組み手してて密着したり、楓さんがお風呂に入れてくれたり。他には木乃香さんに抱きしめられたり、夕映さんと肩を並べて魔法の勉強をしてると」
さらに声は絞られ、もはや蚊の鳴くような声で合った。
「おちんちんがむずむずして、痛いぐらいに腫れるんだ」
「え、それ……本気で言ってますか?」
どん底から這い上がった事でネギは既に女性を知っていると思っていた。
というのに、当のネギは自分が抱く感情も、生理現象も知らないという。
木乃香達は知っていて教えていないのだろうか。
さすがに風呂に良く入れてもらうという楓ぐらいは、ネギの勃起に気付いてそうだが。
何か考えがあっての事か、お互いに一線は超えないよう協定でも結んだのか。
ムドが思い悩む様子を見て、やはり変な病気かとネギが心底焦っていた。
何しろ以前、五人でお風呂に入った時は、楓が抜くかといったのを聞いていたのだ。
「やっぱり、引っこ抜かなきゃ駄目なの。僕、女の子になっちゃうよ!?」
「あ、女の子がついてない事は一応知ってるんですね」
「だって、昔ネカネお姉ちゃんやアーニャとお風呂入った時、ついてなかったよね?」
一瞬、イラッとしたが今の歳の半分ぐらいの頃の話だとムドは自分を落ち着ける。
今の二人は自分の恋人で、ネギへは家族愛以上のものはない。
しかし、この事態を如何するべきか。
このままでは本当にネギが、自分で引っこ抜こうとしかねない。
四人の従者の思惑は分からないが、一人ずつ顔を思い浮かべていく。
(古さんも、夕映さんも初心なねんねですし、候補は度胸と知識がありそうな楓さんか木乃香さん。楓さんは大切な人の為にとか諭しそうなので、木乃香さんですかね)
近右衛門の孫である事はネックだが、何時の時代も父や祖父より恋人を選ぶのが常だ。
「僕の口からはとても言えません。だから、木乃香さんと二人きりになってむずむずした時に正直に話してみてください」
「ええ、でもそんな……恥ずかしいよ」
「大丈夫、男なら誰でもなる事です。上目遣いで瞳を潤ませ、木乃香さんを見てたらこうなったんですと言うんです。きっと木乃香さんが治してくれます。木乃香さんも良い練習になります」
「そっか、木乃香さんは治癒魔法使いだし。色々な症例は見ておくべきだよね。そう、練習だから恥ずかしくない。恥ずかしくないぞ」
その調子で一線を越えて、絆を深めといてくださいと気楽にムドは微笑む。
一人超えたら後は、雪崩れのように他の面々も続く事を願って。
それからは、明日以降の自由時間をどうするのか。
何処そこへ行きたいが、どの班員についていくべきかなど、旅行について語らいあう。
魔法の事は何もかも忘れ、何処にでもいる普通の兄弟のように。
そんなおり、カラカラと屋内の浴室へと続く引き戸が開けられる音が聞こえた。
二人共岩を背負っており振り返っても分からず、岩から身を乗り出す。
「ん? 誰か来たよ。他の先生方かな?」
「男の先生は一番最後のはずですよ。時間がギリギリで、女子生徒と鉢合わせあっ」
入ってきたのは、驚くべき事に刹那であった。
以前に一度体を重ねた際に見下ろした、雪原のような白い肌は忘れようがない。
立ち込める湯気のなか、岩肌を背景に桶を手にして掛け湯をする様がなんと似合う事か。
思わず声を掛ける事も忘れ、見惚れてしまう。
「お嬢さまはまだしも、エヴァンジェリンさんと鉢合わせするよりは、規則を破り早めに入浴した方がマシか。ムド先生……」
溜息をついて俯いた刹那の瞳に、憂いを帯びたような光が灯る。
だが小声で呟かれた内容は良く聞こえない。
少し気になってより身を乗り出した瞬間、手の甲にふにっと当たった感触で我に返った。
「兄さん……それ」
「うわ、あれ。なんで!?」
ムドと一緒に岩から覗いていたネギが、興奮して勃起したのだ。
慌ててお湯の中に逃げるも、許される事ではない。
恋人ではないが、刹那はムドの従者であり、肌を重ね合わせた事もある。
例えそれがレイプであり、酷い事をしたとしても小さな独占欲がムドの胸に去来した。
「兄さん、目と耳を塞いで回れ右です。私も、たまには怒りますよ?」
「ごめん、すぐ抑えるから。でもなんで。お湯が熱い……」
あまり聞いた事の無いドスの利いたムドの声に、ネギが慌てて振り返った。
ただ酷く混乱しているようで勃起した一物を熱いお湯につけた事でふるふると震えていた。
ここまで騒いでは、人がいると言っているようなもので刹那が無手のまま身構える。
「誰だ!?」
「誰だ、ではないです。今は、私達が入浴する時間ですよ」
「ムド先生……あっ、み、見ないでください」
ネギが後ろを向いている事だけを確認して、両手を上げながら岩陰から出た。
邪魔な湯煙を振り払いながら、湯船の中でできる限り刹那に近付き、顔を見せる。
相手がムドだと気付いて、刹那は即座に構えを解いた。
そして裸体を晒している事に気付いて、しゃがみ込むように小さく蹲った。
掛け湯したお湯のせいでもなく、徐々にその体が桜色にそまっていく。
先程、見惚れていたせいか桜の季節だなとボケた思考がムドの脳裏を過ぎる。
だが直ぐにムドも後ろを振り返り、背を向けて言った。
「すみません、私に見られて気分の良い事ではないですよね。数分だけ、脱衣所に戻っていてもらえますか? その間に、出ていきますから」
「ま、待ってください!」
ネギを呼びに行こうと足を進めて直ぐ、何故か刹那に腕を捕まえられてしまった。
振り返って良いわけもなく、そのまま立ち止まっていると涙交じりの声が聞こえた。
「どうして……なにもしてくれないんですか?」
途切れ、そのまま湯煙と共に風に消えてしまいそうな言葉が理解できなかった。
露天風呂でとはいえ、なにが指す意味がそれこそなにを指しているか分からないわけではない。
つい先程、ネギとそれについて会話していたばかり。
だが刹那は望んでムドに抱かれたわけではなく、レイプされたのだ。
気という力を奪われ、僅かな希望さえ消え、最後の手段として用意された幻想に縋りついた。
刹那自身、あくまで優先すべきは木乃香でありムドはついでだと言った。
「言えた義理ではありませんが、私は自分の仕打ちに後悔しただけです。二度と、刹那さんには手を出さないので安心してください」
「そんなに、そんなにウチは……汚いですか? 汚れた血が臭いですか?」
「アレは、私が刹那さんを追い詰める為に言ったただの」
「ネカネさんのように綺麗でも、亜子さんのように可愛くも、エヴァンジェリンさんのように強くもない。それでも、ウチ……ウチ、ムド先生の事が」
ちょっと待ってくれと、久方ぶりの混乱の絶頂にムドはあった。
自分はあくまでレイプしたつもりなのに、刹那は想いを秘めていたような物言いだ。
それが露天風呂で裸で出会い、一気に気持ちが裏返ったなどとは思わない。
刹那は溜め込んでいたのだ、ムドが手を出してくれない気持ちを。
一体何時から、これまでを振り返ってみると思い当たる節はいくつかあった。
エヴァンジェリンの封印を解くと連れて行った時、エヴァンジェリンを抱いた時。
(どうして、気付かなかった。この人は、想われたくて想われたくてそれでも気付いてもらえず……まずい、兄さんが直ぐそこに。だけど)
背を向けるのは止めたムドは、岩肌の床の上に崩れ落ちた格好の刹那の涙を拭った。
顔に添えた手の平の親指で一度拭っただけで、涙が止まる。
やっと振り向いて貰えたと、幸せそうに刹那の顔がほころんだ。
そんな触れて涙を拭っただけでそんな顔をされては、愛おしさがこみ上げてしまう。
あれ以来、一度も触れていない刹那を前にして、純粋に抱きたいと思った。
その意志をくむように、ムドの一物がしゃがみ込んだ刹那の目の前でそそり立っていく。
「ぁ……」
目の前でそそり立っていくのを見せられ、顔を赤らめながら刹那が視線をそらした。
だが何度も何度も、ムドの一物を盗み見ては小さく口元に笑みを浮かべる。
自分をちゃんと女として見てもらえる事に、感じた事のない満足感に満たされながら。
「私のような者でも、ムド先生は興奮してくださるのか」
ムドも電車で説教された千雨の言葉が蘇るが、止められそうになかった。
直ぐそこにネギがいるのに、誰か別の生徒が来るかもしれないのに。
このまま刹那を押し倒し、事に及べば言い訳は不可能だ。
痛い程に高鳴る胸をおさえながら、それでもムドは刹那の両肩に手を置いて引き寄せた。
「貴方は私の大切な従者の一人です。貴方が欲しい」
「ウチの事も、刹那と呼び捨てにして欲しいえ。ウチの事も、皆と一緒に」
「刹那……」
呼び捨てにされ、ぞくりと体を震わせながら刹那が唇を差し出した。
瞳を閉じてどうかお好きなようにと。
何度もまずいと脳内で叫ぼうと、体が勝手に刹那の唇を求めて動いてしまう。
そんな時であった。
「ひゃあぁぁぁっ!」
何処か間の抜けた緊張感に欠ける悲鳴が、脱衣所の方から聞こえてきたのは。
「こ、この悲鳴は木乃香さん!?」
「木乃香お嬢さ、え。ネギ先生!?」
湯船に沈んでいたネギが、わき目も振らずに駆け出していった。
そんなネギの存在に気付いた刹那は、ムド以外には見られたく無いと咄嗟に抱きついた。
何一つ身につけていない状態で、女の子としては普通の行動だ。
しかも一ヶ月以上も募らせていた想いが、ついに実ろうとしていたところである。
愛しい人の肌に触れ、一瞬誰の悲鳴であったか忘れたとしても誰も責められまい。
むしろ現時点でもう一人の主とも言えるムドは、抱きついてきた刹那の頭を撫でていた。
あの刹那が木乃香を忘れて自分の胸の中にいる、大事なのは悲鳴よりそこだとばかりに。
「お嬢さま……くっ、ムド先生。ウチ、私は……」
「刹那さん、行ってください。契約執行、ムドの従者。桜咲刹那」
「申し訳ありません!」
契約代行ではなく、執行によりムドから魔力を譲り受けた刹那が駆け出した。
子宮辺りからじわじわと広がる魔力を感じても、何時もの渇きはそれ程でもなかった。
希望が、ムドが触れてくれた事が快楽に伴なう幸福を広げる。
何よりもムドが自分を欲しいと言ってくれたのだ。
それはつまり、抱いて貰える事への確約、だからこそ迷いなく行動できていた。
先に脱衣所へと突入していったネギの後を追って、躊躇なく飛び込んだ。
そこで乱れ跳んでいたのは、式神による小猿の群れであった。
木乃香と明日菜はブラジャーと下着のみ、しかも抵抗しようにも杖と仮契約カードを奪われた様子であった。
小猿に波のように襲われ、身動き一つ取れず押し倒されそうな二人に向けてネギが掛けた。
(数が多い、魔法は二人を傷つける。一体)
そう刹那が思った瞬間、一匹の小猿から木乃香の杖を奪い返したネギが詠唱を行う。
まさかという思いが過ぎるが、木乃香がネギを見つめる瞳に踏みとどまる。
自分が何者かに襲われている事を理解しながら、木乃香は恐れてはいない。
その安心を支えるのは信頼、自分を守ってくれる存在だ。
「風花 武装解除」
ネギが唱えたのは、相手を無力化する突風による武装解除であった。
威力という点では無力のそれを木乃香と明日菜に向け、小猿を吹き飛ばす。
しかも吹き飛ばすのは小猿だけで、二人のブラジャーとショーツは風に揺らぐだけでそのままだ。
(上手い、小猿一匹一匹の力が弱いところを突いた)
吹き飛んでくる傍から刹那は小猿を切り伏せ、その内の一匹が持っていた仮契約カードを取り戻す。
すぐさま明日菜に向けって空気を切るように投げつけた。
「明日菜さん」
「オッケー、刹那さん。アデアット!」
「戦いの歌」
明日菜が破魔の剣のハリセンバージョンを、刹那が夕凪を、ネギが身体強化し拳を握る。
そして完全後衛の治癒魔法使いである木乃香を背に円陣を組んで小猿を迎えうつ。
だが、もはや気負う必要すらなかった。
動きは素早いが攻撃力はほぼ皆無で、張り付いたり衣服を引っ張るのが精々。
数だけが頼りの式神を前に、迎撃の人数が三人と少なからず攻撃魔法が使える木乃香もいる。
瞬く間という表現がぴったりな程、一瞬の間に全ての小猿が切り伏せられたり破壊され消えていった。
こっそり脱衣籠に隠れていたりする小猿すらも探し出して破壊し、一息つけた。
「一体、なんなの……木乃香を浚おうとしてたようにも見えたけど。なんにしても、助かったわ刹那さん。いきなりカード奪われて契約代行すらできなくてピンチだったの」
「いえ、私は当然の事をしたまでで」
しかも男に現を抜かして、出遅れたぐらいだ。
明日菜の笑顔に答えて笑みを浮かべてから、チラリと木乃香を見る。
怪我一つないネギを逆に案じて、取り返してもらった練習用の杖を振っていた。
「遠慮せんでええって。何時でも治したるえ」
「大丈夫です、これぐらい。木乃香さんこそ」
お互いにお互いを気遣い合い、その光景は微笑ましい。
「なんか、最近の木乃香って怪しいのよね。ネギの話を妙にするし。あんなガキの何処が良いのか。本当、不思議」
「そうでも、ないかもしれませんよ」
今までずっと否定してきたが、やはり自分はムドに好意を抱いていると刹那は感じた。
同じようにネギに好意を抱く木乃香の瞳を見れば、自分が同じ瞳をしていた事が分かる。
今回は少し助けが遅れたが、ネギがきちんと木乃香を守ってくれた。
春休みの修行や、数日のエヴァンジェリンの修行を受け、着実に強くなっている。
恐らくはこれからも強くなり、いずれ木乃香は刹那の助けを必要としなくなるだろう。
寂しいが、自分が男でない以上、女である木乃香と添い遂げる事は不可能なのだ。
自分も同じように、添い遂げても良いと思える人に心当たりがあった。
「あ、ごめんごめん……明日菜もせっちゃんも怪我あらへん?」
「全然平気」
「私も、心配ご無用です。お嬢様はネギ先生の」
気を利かせたつもりで、木乃香を回れ右させてネギの方に押し出す。
「あん」
その時、何故か木乃香が妙に艶かしい声をあげた。
木乃香の目の前には、ネギしかおらずそんな声を上げる事が分からない。
分からないなら確かめれば良いと、木乃香の脇から身を乗り出して、後悔した。
皮被りのネギの一物が、つんのめった木乃香の大事なところを突いたのだ。
「もう、ややわネギ君。んー、もうちょい大人になったらな。ネギ君なら、ウチええよ?」
「じゃなくて、なんでコイツぼっ、ぼぼ。言えるかッ!」
「ぴぎゃっ!!」
自分がブラジャーやショーツ一枚である事を思い出し、体をかき抱きながら明日菜が足を振り上げる。
真下から一物を蹴り上げられ、押し潰された豚のような悲鳴をネギがあげた。
考えてみればと自分も全裸であった事を思い出した刹那がバスタオルを取りに走った。
愛しい人以外に肌を晒すと、こうも気味が悪いものかと顔を青ざめさせながら。
股間を押さえ、泡を吹きながら身悶えるネギを心配していたのは木乃香ぐらいのものである。
「あ、明日菜なにするえ。ネギ君のが使いものにならなくなったら、責任とってや」
「何をおっそろしい事を言ってるのよ。コイツ、私達見て……ああ、もう。ガキならガキで腹が立つけど、大人なら大人で本当に気持ち悪い!」
「明日菜さん、そこまで……ですがやはり、まだお嬢様を預けるには早いようですね。残念ですけれど」
見つけてきたバスタオルを体に巻き付けながら、ポツリと刹那が呟いていた。
-後書き-
ども、えなりんです。
せっちゃん、我慢の限界でムドに半ギレ。
せっちゃんがついに「ムド≒木乃香」になりました。
即座に助けに行かなかった事から既に「ムド≧木乃香」かもしれませんが。
そして次回はせっちゃん念願のエッチ回。
本当に放置が長かったですよ。
あとネギの下半身が溜まりまくってます。
はやく誰か抜いてやれ。
それでは次回は水曜日です。