第二十六話 事情の異なるムドの従者
とある日の午後、校内放送で呼び出しを受けたムドは学園長室へと向かった。
入り口の扉の前で同じく呼び出されたネギと合流し、扉を開けて驚いた。
執務机に座る学園長は当然として、傍らには高畑が。
それもまたありえない光景ではなかったのだが、ネカネとアーニャがいたからだ。
一瞬、嫌な予感がしたムドはすかさず高畑に視線を送り、問題ないよと手を振られた。
少々顔が引きつっていたのは、その何か問題を押さえてくれたという事か。
「うむ、全員そろったところで用件なんじゃが。もうじき行われる修学旅行についてなんじゃ」
「僕のクラスは京都に行く予定ですけれど……」
そこでネギがムドやネカネ、アーニャを見たのには理由がある。
あくまで修学旅行に行くのは、担任のネギではなく生徒である三-Aの面々だ。
用件が修学旅行であれば、ムド達三人を呼ぶ意味はない。
「修学旅行に行けば、校舎も寮も人は空っぽ。ムド君やアーニャ君の仕事も一先ず発生しないだろう? だから修行課題の合格祝いもまだだったし、いっそムド君達も京都旅行なんてどうかなってね」
「え、それっていいんですか。職権乱用なんじゃ……でも京都、京都かぁ」
「まあ、どうしましょう。ネギの分しか用意してないわ。急いで旅行の準備をしなきゃ」
一応、不安げな言葉を漏らしつつもアーニャはまだ見ぬ、日本の旧都に想いをはせる。
ネカネもマイペースながら、物が入用だと呟いた事から乗り気であった。
二人のみならずネギも家族旅行かと喜んでおり、ムドも家族が喜べば嬉しい限りだ。
ただ一点、確認しておきたい不安な点を除いては。
「あの少し良いですか? 確か日本の西側には特有の魔法組織があったと思ったんですが」
「ああ、関西呪術協会だね。うん、心配いらないよ。確かに近年、あそことウチは仲が悪かったんだけど」
そう言いながら、高畑がスーツの胸ポケットから一枚の封筒を取り出した。
「東側となる関東魔法協会の理事はワシなんじゃが。いい加減、関西呪術協会との仲たがいも解消したかったんじゃ。だから特使として、高畑君に行ってもらうつもりじゃ」
「それでこれがその親書。君達は、純粋に家族旅行を楽しんでもらえば問題ないよ。これは元々、関東魔法協会の問題で、何処にも属していない君達には関係ない事だしね」
隠れて高畑がムドへとウィンクを寄越してきた為、会釈という態度で感謝を表す。
わざわざ関係ないと強調した事からも、恐らくは当初、学園長はネギにその親書を届けさせるつもりだったのだろう。
フリーでしかも半人前の人間を緊張感を持つ二つの組織間の橋渡しにするなど、正気の沙汰ではない。
それに次期学園長となる高畑が親書を持って行く方が、時期は兎も角、自然の事だ。
それで生徒の安全も上がり、西の若者、刹那のような東と交流する者が増えればわずかでも確執は減るはずだ。
「そうそう、京都と言えば孫の木乃香の生家があるのじゃが……」
連絡はそれでお終いかと、気を抜いた瞬間、学園長がわざとらしくそんな事を言い出した。
「ワシは良いんじゃが、親の方針で魔法の事は極力教えないつもりじゃったんじゃ」
「え、そうだったんですか。だったら僕、説明しに行きます。馬鹿な魔法使いがゴーレムを操って木乃香さんやクラスの人の命を狙ったって。同時に守りきれなかった謝罪も」
「ぶっ……いや、今のはなしじゃ。婿殿にそんな説明をされたらそれこそまずい事に」
「いえ、木乃香さんだけじゃなく僕が巻き込んだ生徒の親にはできる限りの説明を」
しどろもどろになり始めた学園長の様子を見て、最初止めようとしていた高畑が苦笑していた。
どうも学園長は、事情を知らないネギに馬鹿な魔法使い呼ばわりされた事を怒っているのではないようだが。
ただ学園長に対する脅しのネタを新たに手に入れるチャンスでもあるらしい。
ムドは高畑に後で教えてくれと目配せしながら、言い合う学園長とネギの間に割り込んだ。
「兄さん、あの件は学園側の管理不行き届きもありますし……学園長自らが説明された方が良いと思いますよ。ね、学園長?」
「そう、そうじゃ。だからネギ君、早まった真似はしないでおくれ」
「けど、生徒の皆さんを結構危ない目にあわせてますし。これからも……」
「はいはい、今日はその辺で。皆、納得ずくでネギに協力してるんだから。必要以上に気にするのも失礼よ。大人になったら、色々と返してあげなさい」
ねっと、色々についてはネカネが何故かムドの方へと目配せしてきた。
思い切り体で返してあげなさいと言っている。
まあ、木乃香らは少なからずネギに好意を持っているので、それもありだろうが。
「それでは、私達は失礼します。ほら、アーニャも家族旅行の準備をしなきゃ。鞄を買って、新しいお洋服と観光マップもね」
「ネカネお姉ちゃん、新しいお洋服は別に……どれだけあっても困らないわよね。うん、そうね。早速、買いに行きましょう」
「ちょっと、二人共押さないで」
スキップしながらネカネがネギの背中を押し、その後にアーニャが続く。
ようやく諦めてくれたかと学園長が深く溜息をつく中で、高畑がムドに歩み寄って耳をとジャスチャーしてきた。
「木乃香君の親は、関西呪術協会の長なんだ。つまり、間接的に会って来いって言いたかったみたいだね。全く、突然そんな事を言い出すから驚いたよ」
「脇が甘いです、高畑さん。けど、無垢な兄さんの方が上手でしたね。長の前で魔法使いがその息女を襲ったなんて聞かされたら」
「二十年前に終息した戦争の火種が再び、だね。まあ、僕は初日に直ぐに親書を届けに行くし、余程の事がなければ何もないよ。だから安心して、従者にはなってあげられないけど僕も君を守るから」
尊敬する高畑からの言葉に、心底安心する。
それと同時に切ったカードの分を取り戻せる情報が聞けて心の中で笑う。
学園長の暴挙を暴露する相手が一人増えたのだ、近衛詠春。
しかもばらし方を工夫すれば、関西魔術師協会と関東魔法協会の戦争が勃発する。
仮に裏で戦争が起ころうと、ムドは全く関係ない上に痛くも痒くもない。
そしてカードが増えちゃいましたと、邪悪な笑みを学園長にだけ向ける。
高畑に背中をぽんと押され、退室を促がされるまでずっと、余計な事はするなと笑みで釘を刺し続けていた。
今日は修学旅行前準備期間として、午後からは休校である。
金曜である今日から土日を挟んで、月曜から修学旅行なのだ。
学園長室を後にした四人は、まずは鞄の調達だと寮内にある学生生協に向かった。
制服から日用品、生鮮食品から雑貨と幅広く扱う生協は、修学旅行前セールとなっていた。
ただでさえ安い値段をさらに引き下げ、学生の入りも多く、盛況な様子である。
気合をいれていざというところで、ネギが何かに気付いたように腕時計を見た。
「あっ、しまった。僕、これから楓さん達と修行の約束が」
「また? 最近少し、そっちに気を取られ過ぎじゃないの。治しきれないくらい傷だらけで。急に頑張っても、それだけ急には成長しないわよ?」
「あう、痛い……アーニャ触らないでよ」
頬っぺたの絆創膏をアーニャに突かれ、涙目になりながら飛び退る。
「ネギの分は殆ど準備できてるから良いけれど、楓ちゃん達の準備が終わってるかをまず確認してね。修行はそれから」
「うん、分かった。それじゃあ、行って来る!」
「あんまり女の子に無理させるんじゃないわよ」
ネカネには力強く頷き、アーニャの言葉は右から左へと受け流しネギは元気一杯走っていった。
あまりの元気の良さに、生協内で商品を物色していた生徒達にも笑われていた。
端から見れば、遠足を前に落ち着かない様子の小学生に見えるのだろう。
その実、エヴァンジェリンによる血みどろの修行である。
一時間を一日に引き伸ばせる魔法球の中で、使えるだけの時間を使って。
一体、どれ程の時間を費やしたのかは分からないが、ムドとの身長差がじりじり開いている気がする。
強さの開きはともかく、そちらは気のせいであって欲しいものであった。
「もう、修行馬鹿は放っておいて買うもの買いましょ。あ、私これなんか好き……」
極めて率直な意見を述べたアーニャが、手近の棚のとあるバッグへと手を伸ばす。
アーニャの髪と同じ赤色のバッグである。
その手が触れる瞬間、全く別方向から同じように小さな手が伸ばされた。
「あ、あんた……」
「なんだ貴様か……おい、このバッグは私が先に見つけたんだぞ」
「何言ってるのよ。私が先よ。あんたこそ、放しなさいよ」
逆側から手を伸ばしたのはエヴァンジェリンであり、手にしたバッグを掴んで離さない。
未だ保健室での邂逅以降、誤解したままのアーニャも引かない。
現状、誤解どころか先日ムドとその先の関係にまで至ったのだが。
乙女の感だろうか、更にエヴァンジェリンに対して敵意を抱いているようにも見えた。
「い、い、か、げ、んに……離し、な、さ、い」
「はっはっは、どうした。その程度か、バッグのついでにもう一つ貰っていこうか?」
エヴァンジェリンがチラリとムドを見た為、益々アーニャが顔を真っ赤にして腕に力を入れる。
だが悲しいかな、身体強化の魔法をこっそり使ってさえ勝てないでいた。
誰が始めたのか、二人の取り合いを遠巻きにどちらが勝つか、トトカルチョまで始まる始末だ。
バッグを取り合う様子から倍率はアーニャの方が圧倒的に大きい。
エヴァンジェリンは大人気ないというよりも、単にアーニャをからかっているだけか。
いずれバッグが壊れかねないと、ムドは後ろからアーニャを抱きしめてその頭を撫でた。
「アーニャ落ち着いて、勝敗は見えてますよ」
「あっ……取られ、もうムドが邪魔しなきゃ。でも、まあ良いわ。バッグの一つや二つ。ふふん、勝敗は見えてたわね」
「さあ、それはどうかな?」
バッグは取られたものの、無い胸を張ってアーニャが勝ち誇った。
だが勝ち誇られても余裕な態度に、憤るアーニャを改めて大人しくさせる。
ちなみにトトカルチョはドローという事で、掛け金は払い戻しとなっていた。
「エヴァさん、先程兄さんが貴方の家に向かいましたが。何故ここにいるんですか?」
「ああ、今のところ私が教えるような事はない。土台がまだできてないんだ。坊やは普段通りの修行で、長瀬楓と中華娘はその面倒。近衛木乃香と綾瀬夕映は魔法の修行だ。緊張感を保つ為に、時々斬りかかるよう茶々ゼロに見させてはいるがな」
「え、なに……どういう事、ネギの修行ってなんなのこの人?」
「アーニャこの人はね。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルさん。あの伝説にある最強の魔法使い、吸血鬼の真祖よ」
ぽふりと両手を叩きながら説明したネカネの言葉を聞き、目を丸くしていたアーニャが小刻みに震え始めた。
カタカタと、後ろからムドに抱きしめられていた幸せなど吹き飛んでいる。
ゼンマイ仕掛けの玩具のようにぎこちなく動き仮契約カードを取り出したところで、ムドにそれを取り上げられた。
こんな店内で炎の衣を使われたとあっては、言い逃れができない。
もっとも、心底震え上がりながらもムドを盾にしない度胸には惚れ直すが。
「か、返してムド。それがないと守れないの。きゅ、吸血鬼から」
「はいはい、落ち着いてくださいアーニャ。同じ仲間なんですから、仲良くしてください」
「へっ……なか、ま?」
「ああ、そうさ。これを見ろ」
そう言ってエヴァンジェリンが制服のスカートのポケットから取り出したのは、一枚のカード。
満月の夜を背景に蝙蝠のマントを羽織るエヴァンジェリンの絵柄が書かれた仮契約カードであった。
そこにはムドの従者とエヴァンジェリンの名が刻み込まれている。
ごしごしと、アーニャが目を擦って改めてみても、それは変わらない。
そしてまだ事態が飲み込めないのか、アーニャが両手を開いて一本ずつ折り始めた。
ぶつぶつと、一人ずつムドの従者の名前を呟きながら。
結果、ブチっと何かが切れた。
「これで六人目よ、六人。なんでまた増えてるわけ。私が守るって言った時、それでもまだ三番目だったわよね。ネカネお姉ちゃんと明日菜は仕方ないにしても、いい加減説明しなさい!」
「ちょ、ちょっと待ッく、苦しい」
珍しくムドに対してキレたアーニャが、襟元を締め上げて揺さぶる。
「ククク、採れたての果実のように瑞々しい唇だった。同時に、獰猛な舌先が私の唇を押し上げ、口内を蹂躙していった。正直、濡れたぞ」
「あら、ムドったら何処でそんな技を身につけたのかしら。色々な女の子と経験すると、やっぱり違うのかしら。私の時は熱に浮かされながら潤んだ瞳で姉さんって、胸がキュンって切なかったわ」
「姉さんまで、ある事、ない事言いふらさないで下さい!」
「ある事、含まれてるんだ。舌とか、色々な女の子……ムドの、馬鹿!」
言葉のあやとはいえ、明らかなムドの失策であった。
アーニャからのファーストビンタが振舞われ、振り回されて上昇していた熱も加わり意識が飛んだ。
ぐったりとしてしまったムドを抱えて、今度はアーニャが取り乱した。
それでもたまには痛い目をとエヴァンジェリンは鼻を鳴らし、ネカネもあらあらと笑う。
ムドに救いの手が差し伸べられたのは、生鮮食品を見る為にエヴァンジェリンと一時分かれていた茶々丸が戻ってきてからであった。
近くのカフェ、スターブックスのオープンテラスにてコーヒーを前に、ムドは息を吹き返した。
まだ少々熱は高いが、心配そうにするアーニャの手前、意地を張って平気な顔を作った。
苦いコーヒーの冷たさで体を落ち着け、簡単にエヴァンジェリンの事を説明する。
高畑経由で紹介され、ネギの修行の件で色々と相談していた事を。
そしてその対価として掛けられていた呪いを解く為に、仮契約を結んだ事まで。
「一応、納得したけど……亜子や刹那はどうなのよ」
「亜子さんは三月の課題の時にとある傷を消してあげたんです。正直に魔法の薬だと言って、感謝されてですね。刹那さんは大怪我をして気が使えなくなったので、代わりに私の魔力を使ってもらおうかと。捨てる程、余ってますし」
真実と嘘を織り交ぜながら、如何にもな説明を行う。
どれも魔法を知る保健医として、当然の行いをしているように聞こえるはずだ。
特に亜子に傷についてはネカネが耳打ちしてその大きさを教え、むしろ良くやったと褒められた。
「さっきはいきなり叩いて悪かったわよ。けど、金輪際他の人と……しないでよ。ちゃんとムドは私が守るんだから」
そっぽを向きながらアーニャが小さな独占欲を見せた時、気に要らないとばかりにエヴァンジェリンがムドを睨みつけた。
「おい、ムド……貴様がこの娘を特別好いている事は知っているが、言うべき事はちゃんと言っておけ。ここまでズレた事を言われては、腹が立ってくる」
「何よ、人が折角納得してあげたのに不満?」
「ああ、不満だな。アデアット、零時の世界」
仮契約カードから広がっていった闇が広がり、一瞬にして周囲を包み込んだ。
次の瞬間には、ムド達は満月が薄く周囲を照らす砂漠にいた。
先程まであったカフェの喧騒は、水泡のように消えてしまった。
肌の上を流れる風は冷たく、足元で踏みしめる砂の感触も本物で瞬間移動してしまったかのようだ。
その世界の中で蝙蝠のマントを身に纏ったエヴァンジェリンが全員を見下ろしていた。
「これが私のアーティファクト、零時の世界。この世界にあるのは夜と満月、そして擬似風景。心象風景を映し出す無人の世界だ」
砂漠が消え、お城が見える密林に、次に日本家屋がある庭園へと世界が変わる。
そして一周するようにまた砂漠の世界へと周囲の景色が戻っていった。
「当然、吸血鬼である私が最も力を発揮できる時間、世界だ。氷神の戦鎚」
満月を掴むように夜空に手の平を伸ばし、魔力が集束する。
エヴァンジェリンの得意属性である氷が、瞬く間に直径が十メートル近い球となった。
それをあろうことか、ムドを含めたアーニャの頭上へと投げつけた。
「馬鹿、なんて事……アデアット、炎の衣!」
月以外に周囲を明るく照らす炎の衣を身に纏い、アーニャが全ての炎を向けた。
それでも、拮抗などという言葉は存在しなかった。
氷を溶かすはずの熱を持つ炎が、圧倒的質量に押し切られていく。
アーニャが炎の衣へと魔力を全開にして注入しても、軌道をそらす事さえできない。
圧倒的な力の差を前に、歯を食い縛り瞳に涙を滲ませても結果は変わらなかった。
冷たい氷の塊は、無慈悲にアーニャを押し潰そうとする。
「これで少しは分かったか? 貴様ではムドを守れない。エクスキューショナーソード」
アーニャがアレだけ力を注いでもビクともしなかった塊を、エヴァンジェリンが魔力の刃で両断する。
のみならず、手を添えただけで塊を遠くへ弾き飛ばした。
「リク・ラク、ラ・ラック、ライラック。契約に従い、我に従え、氷の女王。来たれ、とこしえのやみ。えいえんのひょうが!」
砂漠の砂の上に元、氷の塊が落下する直前、その塊を地面から生えた氷柱が一気に飲み込んだ。
塊を同じ氷の柱で貫いては砕き、取り込んではまた大きくなる。
まるで氷山のように巨大化した氷を前に、エヴァンジェリンは次なる詠唱を開始した。
「全ての命ある者に、等しき死を。其は、安らぎ也。おわるせかい」
氷山が粉々に砕け散り、夜の砂漠にダイヤモンドダストが流れていった。
圧倒的魔力と技量により作り出された幻想的な光景。
アーニャはもはや格差に恐れを抱く事すらできず、見惚れるしかない。
強制的に理解させられたのだ。
どれ程の時を修行に費やせばこの領域に至れるのだろう。
それは以前にネギが抱いた想いと全く同じものであった。
仮に至ったとして自分は幾つに、そもそも既にこの領域の力も持つ従者がいるのに意味があるのか。
震える手でアーニャがムドの手を握った時、零時の世界が明けた。
「エヴァさん……」
ムドの咎めるような声により、アーニャは自分が戻ってきている事を知った。
零時の世界に飲み込まれる前と変わらない。
周りを囲むのは静寂ではなく、修学旅行前で浮ついた雰囲気と喧騒。
人が息づく匂いと音が満たされた麻帆良学園都市のとあるカフェの一席。
「別に坊やのように、最強を目指せと言っているわけではない。自分の実力も省みず、愛する者を守ろうとすれば死ぬ。貴様が死ねば、ムドも恐らくは命を絶つ」
「私が死ねば、ムドも……」
手を握るだけでは耐えられず、腕を組みもたれ掛かってきたアーニャの肩を抱き寄せる。
「それは私も望むところではない。ムド、貴様もだ。坊や達には厳しいくせに、自分の従者には妙に甘い。神楽坂明日菜や桜咲刹那を野放しにしているところなど特に」
確かにムドは、従者に対してネギ程までに厳しい修行を課さない。
むしろ自主性に任せているのが現状であった。
仮契約カードという守る意志と絆があれば、それで満足する傾向にある。
「時には従者でさえ冷静に駒として見ろ。厳しい修行を課す前に、お前自身にできる事もあるだろう?」
「私自身にできる事……もしかして、契約代行の事ですか?」
「正直なところ、お前の潜在魔力値は私にも分からん。だが新旧世界、それこそ多種多様な種族の中でも最強だ。その魔力があれば契約者だけならば守る事ができる」
「私が従者を、アーニャ達を守る?」
そんな発想、全くと言って良い程にこれまで浮かんではこなかった。
最初から守れないと決め付け、守ってもらう事ばかり考えてきたからだ。
確かに契約執行だろうが代行だろうが、ムドの魔力は従者の全身を犯す。
それぐらい深く根付き、強化させる。
それだけ強く加護を与え、従者を守るのだ。
「何だかんだと言っても、お前も男だな。目の色が変わったぞ」
ムドは瞳の焦点を合わせてまで、輝いた瞳をアーニャに向ける。
それに満足したようにエヴァンジェリンが立ち上がった。
「あら、帰っちゃうの? どうせだったら、一緒に買い物してご飯でも食べない?」
その後に続こうと茶々丸まで席を立ったのを見て、ネカネがお誘いをかけた。
だがチラリとアーニャの肩を抱いているムドを見て、エヴァンジェリンが首を横に振った。
「そろそろ坊や達が、魔法球から出てくるからな。次は私も一緒に入って修行をつけてやる。妬けるというのもあるがな」
「うーん、それは慣れかしら。その分は夜にでもって、溜め込んで発散するのが一番よ。夜はまだ、私達の時間なんですもの」
「そうでもなければやってられん。だができれば早めに引きずりこんで欲しいものだ。昼の時間を独り占めされると、ついつい苛めたくなってしまうからな」
「それでは失礼します。ネカネさん、アーニャさん。そしてセカンドマスター」
背中越しに手を振ったエヴァンジェリンが、思い出したように振り替える。
「そうそう、忘れるところだった。近衛木乃香の事は聞いているな?」
「え、あ……はい。向こうの長の娘さんだと」
「タカミチが親書を渡すそうだが、それでも反発する者はいる。なにしろ、近衛木乃香の父である詠春もタカミチと同じタイプだ。実力はあるが真面目で融通が利かず、人を信じすぎる。一波乱あると覚悟しておけ」
「分かりました。その時には、お願いしますね」
今度こそとエヴァンジェリンが踵を返した瞬間、アーニャが立ち上がった。
抱き寄せてくれていたムドの腕の中を抜け出し、小走りになって追いつく。
その事に気付いて振り返ったエヴァンジェリンに面と向かい、少し躊躇する。
それでも大事な事だからと、伝説と聞かされ染み付いた恐れを踏み越え瞳をあわせ見つめあう。
「私、それでもやっぱりムドを守るわ。てんで弱いかもしれないけど、力なら得れば良い。けどそれまでの間、できればそれからもムドを守ってくれますか?」
「元よりそのつもりだ。ふむ、悪くない。力を得ようと瞳をぎらつかせる者の輝きは。少しは、貴様を好きになれそうだ」
「え、あ……ちょッ」
頬に手を伸ばしエヴァンジェリンがアーニャを引き寄せた。
端から見れば駆け寄ったアーニャが躓いたようにも見える。
そのアーニャを軽く抱きしめ、顔が近付いた瞬間に唇を触れ合わせた。
またいずれなと夜も昼も共にする日が来るようにとの願いを込めて、唇に指先を落とす。
思わぬ攻勢を見せたエヴァンジェリンにしてやられたアーニャは、固まる事しかできなかった。
楽しそうに笑いながら去っていくエヴァンジェリンを見送り、ギシギシと音を立てながら振り返る。
「ちが、違うのよ。ねえ、ムド聞いて。あの女が勝手に、私の意志じゃないの!」
「姉さん、アーニャが女色に走りました。私の愛が足りなかったせいでしょうか」
「可哀想なムド。お姉ちゃんの胸の中で泣いて良いのよ。きっと、アーニャもいつか気付いてくれるわ」
ネカネの胸に顔を埋め、花のような香りを胸一杯吸い込みつつ嘘泣きをする。
頭を撫でながらネカネもブラジャーに埋もれた乳首をこすりつけるように身悶えた。
もちろん、性欲に目覚めていないどころか知識さえ疎いアーニャは気付かない。
ただエヴァンジェリンに対するよりも随分と薄い嫉妬だけがその身を焦がす。
ムドを返してとばかりに、ネカネの服の袖を引っ張っぱりに来た。
「ネカネお姉ちゃん……」
「はいはい、とらないから。他の女の子とキスする時は、ちゃんとムドの許可を取る事、ね?」
「だから、しないわよ。ネカネお姉ちゃん。ムドも、いつまでも子供じゃないんだから!」
ベリッとムドが剥がされた途端、ネカネがその背を押した。
狙い済ましたかのようにアーニャが後ろによろめいて椅子に座り、その腕の中にムドがおさまった。
ネカネとは違い、全神経を集中しなければわからない程の膨らみに顔を埋める。
「アーニャの匂いがします」
「わっわっわ!?」
腕の中のムドをどうして良いか分からず混乱するわりに、抱き込んで放さない。
恥ずかしいけど嬉しい、そんな矛盾した甘酸っぱい感情を持て余す妹分を微笑ましく見守る。
周囲の可愛いという言葉にますます赤面するところなど、こちらの胸がキュンと高鳴る程だ。
これだけでご飯三杯、もとい。
抜かずの三回はいけると思ったネカネは、おもむろに携帯電話を取り出した。
自分でも従者を守れると知った時のムドの瞳を見たのなら、躊躇する理由はない。
善は急げという言葉が日本にはある。
呼び出すべきは従者二人、明日菜と亜子であった。
-後書き-
ども、えなりんです。
正妻と新しい妾の邂逅的な、お話。
アーニャに対する従者が増えた言い訳もですかね。
皆が困ってたから仕方ないじゃないかって、ずるい言い訳ですw
あと、そんなに活躍の予定もないエヴァのアーティファクト。
元々最強種であるエヴァに余計な力はいらない。
ただ全力が出せる環境があれば良いというコンセプトです。
満月があって、周りの被害を気にしなくても良い空間が提供される。
ただそれだけのアーティファクト。
では次回から修学旅行編です。
水曜の投稿予定です。