第二十一話 闇の福音、復活祭開始
春休みが明け、中学三年生となった初日のさらにホームルーム前、早くも亜子は涙目となっていた。
場所は麻帆良女子中学校の保健室。
頭の下にあるべき枕をお腹の下に置いて、ぎっくり腰の人のようにうつ伏せとなっている。
だが腰痛という点においてはあまり変わらない。
何しろアレから結局、深夜から遅くにまで三人で乱れ咲いた結果なのであった。
今頃は、ネカネも酷い腰痛を抱えて寝込んでいる事だろう。
だというのに、一人だけ何故か平気そうにしているムドを亜子は、少し睨んでいた。
「ムド君だけずるいわ。ひゃッ、冷たい」
「後半私が疲れて眠ってるのに、悪戯したりするからです。恋人同士でも、同意を得ていなければ強姦罪が適用されるんですよ。自業自得です」
「痛い痛い、ごめんなさい。うぅ……ムド君が、怒った」
制服の上着をまくり上げ、腰に冷シップを張ってからピシャリと叩く。
亜子が現状を受け入れてくれた事には、それを促がしたネカネ共々感謝している。
だが少しばかりタイミングが悪かった。
何しろ、完全復活を遂げたエヴァンジェリンが今日から動き始める。
そこには彼女に語った通り、ネギの成長の為という目的もあるが、それだけではない。
ムドは最強の悪の魔法使いと呼ばれるエヴァンジェリンの愛が欲しいのだ。
今のペットに対する寵愛という形ではなく、男女の愛が欲しい。
エヴァンジェリンもさらに悪に染まり何時か私を犯しに来いと言っていた。
だがそんな何時になるか分からない未来ではなく、近い未来に彼女をモノにしたかった。
かと言って下手に策を持ち出せば容易く見破られそうで、ネギの心を折る方法は全て任せてしまっている。
時々の状況に臨機応変に対応して、なんとか切欠だけでも掴みたいものだ。
「ねえ、ムド君。従者の中で、まだエッチしてないのってアーニャちゃんと明日菜だけ?」
「ええ、そうですよ。どうしたんですか、突然?」
自分以外にも体を重ねた相手がいるのかと、普通に聞かれ、やはり少し驚いた。
いつかのネカネのように一度吹っ切ればそんなものなのか、亜子の頭を撫でながら尋ね返す。
「ムド君のお手て、気持ちええわ。あんな、ムド君に契約執行されるともう、子宮の辺りからじわって。精液の代わりに魔力流された感じなんよ」
「え……それは、結構初耳なのですが」
言われて見れば、これまで契約執行した相手は必ずお腹を抑えるか、くの字によじっていた気がする。
「知らんかったん? 気をつけた方がええよ、本当に気持ちええから。ほいでな……アーニャちゃんと明日菜ってどうやって発散しとるんやろか?」
アーニャと明日菜に加え、あれ以来一度も手を出していない刹那もだろうか。
ちょっと待てよと、亜子に指摘された点を考えてみる。
二人とも羞恥を感じていたら、直情的に止めろと訴えて来る性格だ。
それがないという事は、まだ性欲に目覚めていないと考えるのが妥当だろう。
刹那は快楽より先に、嫌悪を浮かべているかもしれない。
最後のは、結構凹んでしまう内容であった。
「刹那さんは置いておいて……これって、結構使えそうですね」
特にまだ本当の意味でムドの従者となっていない明日菜には。
継続的に契約執行を行い、いずれ性欲に目覚めれば明日菜から求めてくれるかもしれない。
同時に、その性欲が高畑へと向かおうものなら終わりだが。
どうにかして明日菜を取り込めないものか。
それとも一応の従者なので後回しにして、亜子の友人である裕奈やアキラを手に入れるか。
手に入れたい人が多すぎて、やや混乱しそうになっていると、保健室の扉がノックされた。
「失礼します、ムド先生。桜通りで倒れていたまき絵さんを運んでまいりました」
「茶々丸さんやん……まき絵って、なにがあったん?」
言葉通り、まき絵を横抱きにして入ってきたのは、茶々丸であった。
「詳細は……眠っていらっしゃるだけですので、それでは。お願いします、ムド先生」
まき絵を亜子がいるベッドの横に寝かせると、ペコリと頭を下げて茶々丸は退室していく。
その直前、一度振り返ってムドに何か無機質な瞳で語りかけてきていた。
想定外の人物、亜子の存在により躊躇した結果か。
茶々丸が何を言いたかったのかを察したムドは、問題ないですと手を振った。
ご主人様によろしく言っておいてくださいと。
それからすやすやと、気持ち良さそうに寝ているまき絵の前に立って脈等を計る。
「ムド君、まき絵は大丈夫なん?」
「ああ、危害は加えられていないはずです」
「え、危害?」
どういうことと訝しげな表情をする亜子を制し、まずはまき絵を診る。
呼吸に以上は無く、かすかな残り香のように見知った魔力がこびりついていた。
それから髪をかき上げて首筋を見ると、牙でも押し付けたような点が二つあった。
間違いなく、エヴァンジェリンの策の一つなのだろう。
しかも、ネギが守ると言ったまき絵を真っ先に狙うとは、意地が悪い。
ネギの各従者の魔法に関するスタンスを教えたのはムドなのだが。
「詳しい事は後で説明します。亜子さん、申し訳ないのですが兄さんにこの事を伝えにいってはくれませんか?」
「ムド君が事情を把握しとるならまき絵も大丈夫やろうからええけど、ウチ腰痛いし……」
まき絵とムドを見比べながら、立ち上がろうとした亜子は腰の痛みを訴えた。
ベッドの上で座るぐらいは問題ないらしいが、立ち上がるのはやはり辛いらしい。
だが直ぐに、良い事を思いついたように唇に指を当てて微笑んだ。
「ムド君がキスしてくれたら、行ってあげる」
「もう、仕方がないですね」
昨晩、あれだけしたのにと思いながら、多少の我が侭は受け入れた。
瞳を閉じてやや上に向けた亜子の顔に手を添える。
それに期待を胸に抱いて頬を赤く染める亜子が可愛く、こんな我が侭は寧ろ嬉しいぐらいだ。
ただまたしたくなってはいけないので、気持ちを伝え合うだけの軽いキスに留めておく。
それでも十分に感じたのか、唇を触れ合わせながら亜子が小さく吐息を漏らしていた。
腰を抑えながら亜子がよろよろとやって来た時、二-Aは身体測定中であった。
廊下の外で終わるのを待っていたネギは、まき絵が桜通りで倒れていた事を聞かされ、心臓が必要以上に収縮するのを感じた。
これが同じ二-Aの別の人ならば、ネギかムドの従者意外であればまた違っただろう。
心配は心配だっただろうが、単純に貧血等を疑うだけでよかった。
だが相手がまき絵であるならば、自然と脳裏に浮かびあがる相手がいた。
先月の地底図書館でゴーレムを使って襲ってきた魔法使いである。
相手がこちらをどの程度知っているか不明だが、楽観は出来ないと保健室に駆け込んだ。
「ムド、まき絵さんは!?」
「兄さん、静かに」
「あ、ごめん」
口元に指を当てたムドに注意され踏みとどまり、静かにまき絵が眠るベッドへ近付く。
後からやって来た明日菜達、二-Aの一部のクラスメイトも続々とやってきては寝ているまき絵の顔を覗き込む。
「ムド、まきちゃん大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。目立った怪我もないですし、脈も正常です。普通に、寝てるだけです」
騒ぐ程の事でも無いと、ムドは皆を安心させるように呟いた。
「なんだ、たいした事ないじゃん」
「甘酒飲んで寝てたんじゃないかな?」
「朝練で汗かいて暑くなって涼んでたら寝てしもうた、と……か? あれ?」
風香や桜子が気楽に笑う中、同じように笑っていた木乃香が何かに気がついた。
それから直ぐに保健医であるムドを見るが、何かと小首をかしげられ自信を失う。
だが自分だけではなく、ネギや夕映も何かを感じたようにまき絵を注視している。
やはり気のせいではなかったかと、木乃香がまず夕映のそばで耳打ちをした。
「夕映、なんかまきちゃん変やない?」
「木乃香さんもそう思いましたか。私もです。恐らくはネギ先生も……」
同じように考え込んでいるのは、二人に加え、ネギや古、楓といった主従達。
逆にムドを筆頭に、その従者である明日菜や亜子は気付いていないらしい。
木乃香が一番聞いてみたい刹那は、この場にはいないようだ。
「さあ、皆さん教室に戻りましょう。まき絵さんは貧血か何かのようなので、心配いりません。身体測定が遅れると、後の授業にも支障が出てしまいます」
少し慌てるようにして、ネギがそう言い出した。
何人かは、それが狙いだったのにと舌打ちする中で、急いでと追い出しにかかる。
ぶーたれる皆を急きたてながら、ネギが特定の生徒相手に目配せを行った。
それはまき絵の様子に違和感を感じた木乃香や夕映であり、遠巻きに眺めていた古や楓だ。
要は、ネギの従者であり、ムドの従者である明日菜や亜子すらも他の生徒と一纏めに追い返す。
「ムド、まき絵さんの事は頼んだよ」
「分かってます。随分、測定の時間をロスしちゃいましたから、兄さんも皆を急がせてください」
ムドにまき絵を頼んだネギは、保健室を出て直ぐに足を教室とは逆に向ける。
皆に見つからないように近くの階段の踊り場に隠れると、遅れて木乃香達がやってきた。
「ネギ君、さっきのまきちゃんやけど」
「何か魔力の残照が感じられたです」
「ええ、それは僕も感じました。誰かがまき絵さんに近付き、眠らせたんだと思います」
ネギの断言に、古が後頭部を掻き、楓が苦い顔を浮かべた。
「私は全然、気付かなかったアル」
「魔力に関しては、拙者も古も専門ではござらんからな」
実際、まき絵に残されていた魔力は、夕映が言った通り残照と呼べる程度の者だ。
魔力と相性の悪い気を使う古や楓が気付かなくても、鈍かったり注意が疎かというわけではない。
「それで、どうするですか。調べるにしても、まずムド先生に教えた方が……気付いていらっしゃらないみたいです」
「明日菜や亜子ちゃんもや。せっちゃんは……教室やろか」
「いえ、ムド達には知らせないでおきましょう。まずは僕が調べます」
達ではなく、僕と言い切ったネギを前に、楓までもがその糸目を見開いていた。
「何ゆえ、ネギ坊主一人で調べるでござるか。それでは、春休みの修行の意味がないでござるよ?」
「確かに皆さんが修行に付き合ってくれた事には感謝しています。けれど、やはり皆さんの本分は学生です。それに、まだ地底図書館の時のように悪い魔法使いのせいとも限りません」
「確かに、まき絵は寝てるだけみたいアル」
「もしかしたら、転んで怪我をしたまき絵さんに誰かが回復魔法をかけただけかもしれません。無闇に事を大きくする前に、まず僕が調べてみます」
そういう考え方もあるのかと、夕映や木乃香が特に頷いていた。
魔力の残照があるとはいえ、それが悪意あるものだとは限らない。
やはりあの地底図書館での出来事が、心に深く根付いているのか。
身近にいるらしい見知らぬ魔法使いに対して、悪意があると疑いやすくなっているようだ。
「ムド君に余計な心労もかけへん方が良いやろうし」
「ネギ先生がそこまで言うのなら、従者である我々はそれを受け入れるです」
「しかしでござるな。せめて、拙者か古のどちらかでも……」
「大丈夫ですよ。僕も随分、古さんには鍛えられましたから。魔法拳士は、一人でも大丈夫です」
握り拳を作って言い切るネギに、楓のみならず古も嫌な予感を感じていた。
武道のみならず、何事にも自信を持って望む事は良い事だ。
迷いは体の動きを疎外し、目を曇らせる事もある。
だが同時に、過剰な自信もまた自分の腕の広さを勘違いさせ、目をくらませてしまう。
無闇に騒ぐべきではないという言葉こそ正当だが、見通しが甘いかどうかは別問題であった。
「本当に大丈夫です。皆さんは少しでも多く楽しい学生生活を送ってください」
「少しでも異変を感じたら、直ぐに呼び出すでござるよ」
ネギを案じた楓の言葉に元気の良い返事は帰って来たが、不安は増すばかりであった。
キーワードは桜通り。
そこでまき絵が襲われたとは必ずしも限らないが、ネギは空き時間や休み時間を利用して調査を開始した。
日本の春を象徴する桜並木に遊歩道を挟まれた桜通りは平穏そのものであった。
肌の上をすり抜けていく温かな風、鼻腔をくすぐる何処か甘い匂い。
春の日差しは麗らかで、桜の花びらが舞い散る光景は美しささえ感じられた。
下校時刻を超え、夜の蚊帳が降りてさえ戦闘痕はおろか、まき絵に何かあった場所さえ特定できなかった。
「少し仕事で遅れます。晩御飯はいらないですっと」
だからといって、アレだけ皆に一人で大丈夫と言った手前、手ぶらでは諦められなかった。
捜索を続ける為に、携帯電話にてネカネにメールを送る。
一分も経たないうちに返信されてきたメールの内容は、頑張って。
それとあまり無理をしないようにという文面を確認して、携帯電話をポケットにしまう。
その瞬間、桜通り一体を覆うような巨大な魔力が唐突に現れた。
「なッ、これは!」
重力が二倍にも三倍にもなったかのような圧力さえ感じられ、ネギは息が止まるのを感じた。
何かとてつもない者が現れたのだ。
次いで、極々近い場所から悲鳴が響き渡る。
「キャアァッ!」
意図せず発散された膨大な魔力による重圧が、頭の隅に追いやられた。
今すぐに駆けつけなければ、そう判断したネギは決して間違ってはいなかった。
憶えて間もない戦いの歌という身体強化魔法を唱えて駆け出す。
短距離で言えばこちらの方が早く、杖を乗り降りする間の隙は消える。
春休みで得たそれらの力を行使し、判断を行い、現場へと向かう。
直ぐに見えてきたのは、空を見上げる形で悲鳴をあげているのどか。
その視線の先には、今まさに襲いかかろうとしている人影が見えた。
擦り切れた感のある大きな黒いマントと、古典的な魔法使いを連想させる三角防止。
詳しい容姿までは判断できなかったが、足だけでは到底間に合わない。
そう感じたネギは、迷う事なく詠唱を開始した。
「お前が……ラス・テル、マ・スキル、マギステル。光の精霊十一柱、集い来たりて、敵を敵を射て。魔法の射手、光の十一柱!」
のどかへと向かう人影の前に、十一の光の矢を差し込んだ。
人影は襲撃を中断し、宙を蹴ってさがる。
ネギはそのまま魔法の射手を遠隔操作し、弾道を上方に修正して追い撃つ。
「敵ならば、多少の怪我はいとわない、か。調教の成果が出てるじゃないか。氷楯」
殺到する光の矢を前にして、漆黒のマントに覆われた人影から、対極にある真っ白な肌を持つ腕が伸びた。
さらに伸ばされた一指し指の先に、青白い光が灯る。
水分を含む空気が悲鳴を上げるように軋み、鋭利な氷柱を持つ氷の板が生まれた。
荒々しい氷の表面を前に、光の矢は乱反射を余儀なくされ、威力を散らされていった。
全ての矢が受け止められ、役目を終えたように氷の楯も粉々に砕けて消えていく。
「へぇ、あれ……ネギせ」
「彼の者に、一時の休息を。眠りの霧」
人影が気付いた時には既に、目前にいたはずののどかの姿が移動していた。
小さな霧を杖から発生させたネギの懐の中へと。
恐らくは楯によって一時視界がふさがれた瞬間に、ネギが足元ののどかを抱え離脱したのだろう。
そして魔法の秘匿の為に、即座に眠らせた。
魔法が苦もなく防がれた事を当然と受け止め、次の行動へ移る。
ここまでは、優秀な魔法生徒ならばでき、魔法先生ならばできて当然の事だ。
「少なくとも、尻についていた卵の殻ぐらいはとれているようだな。案外あれで、良き指導者になれるかもしれん」
のどかを襲おうとしていた人影、エヴァンジェリンは真っ赤な下で唇をなぞった。
彼女が愛するペットは、本当に色々と楽しませてくれる。
次から次へと、見知らぬ能力を魅せ付け、退屈だったこの生活に彩りを与えてくれた。
ならば尻尾を振りねだってきた餌は、寵愛の証として与えなければならない。
でなければ、餌がもらえない事を知ったペットは媚びへつらう事を止める。
守ってください、愛してくださいと、切ない表情で腰を動かしてはくれなくなってしまう。
ペットの一物の熱さを思い出し、エヴァンジェリンはほんの少しその身を震わせてから言った。
「フフ……改めて、自己紹介といこうか。ネギ先生、いや。ネギ・スプリングフィールド」
のどかを奪還し、ネギは眠らせて一息つく間もなかった。
「き、君はうちのクラスの……エヴァンジェリンさん」
「はは、さすがに守るべき対象が敵だったとは想定外か」
「くッ、何故こんな事を」
「締まらない台詞を呟くな。動揺しているのがバレバレだぞ」
折角高かった評価が、瞬く間に下がっていく。
興がそがれつつも、エヴァンジェリンは溜息一つでそれを維持する。
「特別な理由なんかないさ。腹が空けば、誰だって食事をする。貴様だってそうだろう。だから、人間を襲って血を頂く。血を吸う前に脅かすのは、マナーの一種さ」
「血を……吸血鬼、貴方は。だから、でも」
腕に抱くのどかを見下ろし、再度顔をあげたネギからは明らかに戦意が薄れていた。
そうなった理由は、相手に対する理解だ。
吸血鬼だから人間の血を吸う、それは当たり前の事である。
その吸血鬼に血を吸うなとはとても言えない、少なくともネギには。
何故なら弟であるムドは魔法が使えない、それもまた当たり前の事なのだ。
そのムドに魔法を使ってみせろと言うに等しい。
血を吸うなと言ったが最後、ネギは魔法が使えないからとムドを蔑んだ者達と同じになってしまう。
それにエヴァンジェリンはまき絵を襲いながらも、五体満足に帰している。
(これは予想外の反応だな。幼い頃から異端と共に過ごしたからか。普通の魔法使いならば、ここで戦意高揚するのだが)
少し読み違えたかと、エヴァンジェリンが思案しているうちに先にネギが動いた。
眠らせたのどかを近くのベンチに寝かせ、杖を手に正面からエヴァンジェリンに向き直る。
その表情は強い眼差しを向けながらも、敵意とは無縁であった。
「少し質問をさせてください。貴方は食事の為に、まき絵さんの血を吸いましたか?」
「ああ、そうだな」
「では、貴方は……ムドを殺そうとしたゴーレム使いを知っていますか?」
明らかに、まき絵の事について問いかけた時よりも、言葉に力が込められていた。
杖を握る手も、震えている。
ネギが抱く敵意が方向性を彼方へと向けながら蘇っていた。
吸血鬼に敵意を抱かないのであれば、他へと向かう敵意を呼び寄せれば良い。
「知っているとしたら?」
「教えてください。僕はそいつを倒さなければなりません」
想像通りの返答とはいえ、エヴァンジェリンは本当に教えたくなってきた。
近衛近右衛門が犯人だと知ってもなお、ネギは倒すと口にするのか。
そばのベンチに寝かせたのどかでさえ置き去りにして、学園長室へと駆け込むのか。
知りたい、だがムドのカードを勝手に切る事は許されない。
下手をすれば近右衛門にムドが潰され、折角の楽しみが消えてしまう。
ここはグッと我慢をして、ネギに誘いをかける。
「もちろん、知っている。知っているが、何故それを教えなければならない? 一つ、貴様の勘違いを訂正しておこうか」
エヴァンジェリンは笑みを浮かべ、言葉を叩きつける。
「確かに私は吸血鬼だが、必ずしも血を吸わなければ生きられないわけではない。真祖とはそういうものだ。吸血鬼の中でも最上級の存在」
「え?」
「酒やタバコと同じ。か弱い人間が上げる悲鳴、恐怖に引きつった顔。それらを肴に飲む血で酔う。そういった過程を経て飲む血が、最高に美味い。それだけだ」
「楽しみの為に……必要もないのに、わざわざ人を脅して」
手に握っていた杖を魔力で背中に吸着し、ネギが両の拳を握り締めた。
「戦いの歌」
体を魔力で強化し、古から習った拳法の構えをとる。
危険を排除する為にだ。
生きる為ではなく、楽しみの為に人の血を飲むエヴァンジェリンを打ち倒す為に。
それに素直に教えてはくれないのならば、打ち倒して問いただせば良い。
実戦さながらの修練を重ね、手にしてきた力を使って。
「ようやくその気になったか、だがまだ怒りが足りないな」
そう呟いたエヴァンジェリンが指を鳴らした。
乾いた音が響き渡り、空から白の影が落ちてくる。
怖ろしく身軽なそれは、天高い空の上から落ちてきたのに、重力を感じさせない羽毛のような軽やかさで桜通りの地に足をついた。
「まき絵さん、なんでだって契約執行も……エヴァンジェリンさん、貴方が。まき絵さんに何をしたんですか!」
「ククク、何もしていないと、勝手に勘違いしたのはそっちだろうに。吸血鬼に噛まれればどうなるか、それぐらい知っているだろう」
「アデアット」
エヴァンジェリンの魔力を受けて、半吸血鬼化したまき絵がネギとの仮契約カードを取り出した。
呼び出しのキーワードにより光り輝いた仮契約カードが二振りの棍棒へと姿を変える。
「行け、我が下僕」
「はい、エヴァンジェリン様」
「まき絵さん!」
一瞬で懐に飛び込まれ、制止の言葉は途中で止めざるを得なかった。
横薙ぎに振り払われた棍棒の片割れ、その頭を手の平で受け止めようとして、咄嗟に手を引いた。
身体強化の為に、ネギの体を覆っていた魔力が触れたそばから砕けていく。
粉砕する棍棒、その名に恥じぬ効果にて触れた傍から形のない魔力でさえ砕いたのだ。
それが体にでも当たればどうなるか。
新体操独特の滑らかで体の柔らかさゆえに、予測し辛い動きで棍棒を操ってくる。
「ははは、最初の威勢はどうした。自分の従者一人、満足に御する事が出来ないのか?」
「アーティファクトの効果の確認ぐらいしています!」
粉砕の効果はあくまで、先端の膨らんだ部分のみ。
振り下ろされた棍棒ではなく、手の平を下から弾き上げる。
これで無手、そのまま当身で眠らせようと踏み込むと、足元から何かが浮上した。
まき絵の足で跳ね上げられた新体操のボールであった。
顎下を打たれないように首を引いたそこを通り抜けていく。
慌てて飛び退った瞬間、それが炎を巻き上げ破裂し熱風を撒き散らす。
半吸血鬼化だけではなく、まき絵の新体操の動きそのものが武器となってネギを襲ってくる。
「こんな逸材を放っておくとはな。私の想像以上の動きだぞ」
「まき絵さんは新体操が大好きで……きっと、戦いなんかに利用したくなかったんです。それを、貴方は!」
「だからどうした。それに余所見をしている暇があるのか?」
エヴァンジェリンへの怒りに気をとられ、反応が遅れた。
爆煙の中を蛇のように蠢き飛んで来たロープが右腕に巻きつき、鉛のように重くなる。
そればかりか、右腕に掛かっていた身体強化の効果が消えてしまった。
効果は知っていても、それが自分に向けられる事は全く想像もしていない。
焦りがミスを呼び、封印された右腕に魔力を通そうとして失敗する。
一度遅れた行動は取り返せず、上空から降ってきたフープにすっぽり体がはまってしまう。
次の瞬間、フープの輪が小さくなり両腕ごと締め付けられた。
「ネギ君、つっかまえた」
「ぐぁッ!」
伸びてきたリボンが首に巻きつき、まき絵の嬉しそうな声が響く。
そのまま信じられない腕力で、魚を釣るようにネギの体を空へと引っ張り上げた。
放物線を描き、自分へと向かって飛んでくるネギへと、まき絵が両腕を広げる。
狙いすましたかのように、その手の中にネギが打ち上げた棍棒が落ちてきた。
右腕は封印され、左腕だけではフープの拘束を抜け出せない。
顔面に粉砕の棍棒の一撃を受ければ、魔力で体を強化していても無事では済まないだろう。
「そーれ!」
落ちてくるネギ目掛けて、まき絵が粉砕の棍棒を振るう。
その切っ先、塊の部分だけを見定め、ネギは一か八か唯一自由な足で宙を蹴った。
一度だけ楓が見せてくれた虚空瞬動。
普通の瞬動さえおぼつかない状況で、微かに何かを踏み抜いた感触が足に加わる。
「ごめんなさい、まき絵さん!」
落下の軌道を僅かに変える事に成功し、さらに身を捩り粉砕の棍棒をかわす。
そしてサッカーのオーバーヘッドのような形で、まき絵の肩を蹴りつけた。
骨に威力が響いた鈍い音が響き、数センチまき絵の肩が下に落ちる。
するとフープとロープの拘束が緩んだ。
力任せに魔力を放出して粉砕、地面に頭を打ちつける一歩手前で両手を伸ばし体を支えた。
すぐさまハンドスプリングで上下を戻し、崩れ落ちるまき絵を支える。
「痛い……痛いよう、ネギ君。助けて」
「少し、我慢してください」
「ひゥッ!」
「眠りの霧」
外れてしまった肩をはめ込み、苦痛を忘れさせる為に眠らせた。
腕の中のまき絵の重みを噛み締め、怒りを募らせる。
もはや理由など、吸血鬼である事や、悪であるかどうかなどもどうでも良い。
「なかなかやるじゃないか。己の生徒を足蹴にしてまで呪縛から逃れた所など、賞賛に値するよ」
パチパチとおざなりに叩かれた拍手が耳に障る。
ネギはまき絵を寝かせると、憎しみを持ってエヴァンジェリンを睨みつけた。
歯を食い縛り、体が痛い程に魔力を込めて身体を強化していく。
「もう許しません。貴方はきっと言っても分からない。だったら、この拳で痛みを教えるまでです。多少、個人的な怒りが入りますが、自業自得と諦めてください」
「心地良い程の怒りだ。分かるぞ、怒りが貴様の魔力を高めていくのが。準備は整った。来るが良い、ネギ・スプリングフィールド」
改めて拳法の構えを取ったネギが、僅かに体を沈ませた。
次の瞬間、ネギの足元が爆発し、その姿が消える。
文字通り足元に集めた魔力を爆発させ、同時に地面を蹴って駆けたのだ。
一瞬にして数メートルもの距離を移動する瞬動術であった。
春休みの間、古から拳法を習い、楓から忍びとしての体捌きを倣ったある意味、集大成。
これまでは一度として成功した事のなかった代物だが、怒りが本来の実力を底上げしていた。
刹那の速さを持って、エヴァンジェリンの懐に飛び込み拳を振るう。
「だあァッ!」
渾身の一撃、かつてない一撃。
だというのに、何故今自分は空を見上げているのかとネギは疑問を浮かべた。
空が回る、酷くゆっくりと感じられるその光景を眺めながら思い出す。
拳を繰り出した瞬間、その拳に対してエヴァンジェリンが上下に配置した手の平を伸ばしてきた。
拳を包むように伸ばされた手の平、上に配置された左手がネギの手首を握った。
伸ばされた腕をさらに引っ張られバランスを崩す。
下に配置された右手が二の腕に添えられ、ネギの腕を一本の棒と見なして肘を中心に回転させる。
結果、ネギの体は瞬動の勢いさえも利用され、宙を舞っていた。
何をされたのか、光景は憶えていても、理解が追いつかなかった。
瞳に映る夜空に浮かぶ星や桜吹雪、一つ一つがはっきり分かるぐらい時間の経過が遅い。
なのに酷く思考の動きが鈍い、さらに理解が遅れていく。
「拳とは、こう打つのだ」
宙を舞い、目の前までに落ちてきたネギの腹をエヴァンジェリンが打ち抜いた。
ただ純粋に魔力を込めただけの拳を。
血飛沫が舞い、ネギの小さな体が吹き飛ばされ、打ち付けられた桜の木を一本、さらに二本、三本とへし折っていく。
最後には地面を捲り上げ、体を地面の中へとめり込ませながらようやく止まった。
「少しやり過ぎたか」
吹き飛ばされたネギに追いつき、土を被った姿を見下ろしてエヴァンジェリンが呟く。
腹をおさえ、胎児のように縮こまるネギは一応生きてはいる。
今日は満月ではない上に、元々殺す気はなかったが、紛れもなく本気の一撃であった。
生きていた事を褒めてやっても良いぐらいだ。
「さて、目的は果たした。少しばかり血を頂いて……」
「そこまででござるよ、エヴァンジェリン殿」
「変な人形と、茶々丸のせいで遅れたアル」
ネギへと手を伸ばそうとしたエヴァンジェリンの前に、楓と古が立ちふさがった。
やや遅れて、エヴァンジェリンの隣に空からジェット噴射を使いながら茶々丸が現れた。
その頭の上には両手に鋭利な刃物を持つ不気味な人形が、ケタケタと笑いながら鎮座している。
「マスター、申し訳ありません。楓さんと古さんに振り切られてしまいました」
「ケケケ、久シブリニ歯ゴタエノアル相手ダ。オ楽シミハコレカラダロ?」
「さあ、それはどうだろうな?」
エヴァンジェリンの挑発的な言葉に、咄嗟に楓と古が身構える。
その二人の後ろから小さなうめき声が響き、土砂が崩れ落ちる音が聞こえた。
危険と分かっていながらもネギの無事を知り、ほんの少しの笑みを浮かべ二人が振り返った。
「ネギ坊主、無事でござるか?」
「さっさと立つアル。敵は……ネギ坊主?」
そこに、二人が想像していたネギの姿はない。
春休みの間、毎日の様に顔を合わせてきた愛らしい姿の少年はいなかった。
意識を取り戻し、立ち上がろうとする。
やや虚ろな瞳にエヴァンジェリンを写した途端、尻餅をついた。
そして両腕で自分をかき抱き、震え言葉を詰まらせながら一心に呟く。
「逃げ……て、楓さんも古さんも。勝てない、僕らは……格が、違う」
伝えたいのはただ一言、逃げて。
その想いが込められた涙が、ネギの瞳から零れ落ちた。
-後書き-
ども、えなりんです。
ちょいと3月一杯はリアルが忙しく、更新が遅れぎみになります。
さて、まるでオリ主のように手際のよかったネギもエヴァの前では羽虫のごとく……
プチっとやられました。
それはさておき、一番今回書きたかったのはまき絵とネギの戦闘。
たぶんまき絵が優しさを捨てれば、楓は無理でも古となら戦えるかも。
あとまだ効果が分からないロープとフープの効果はこうしました。
ロープ:部分的な封印と加重の効果
フープ:収縮による捕縛
微妙に効果が被ってますが、まき絵強くね?
次回、久々にネギ視点のお話とかあります。
それでは土曜日に。