第十四話 気の抜けない春休み、背後に忍び寄る影
校庭や体育館が部活を行う生徒で溢れる中、春休みの校舎は静かであった。
ぽかぽかと暖かな日差しを前に暖房器具は不要な程で、少しばかり眠気を誘われる。
春休み明けに直ぐ、身体測定があるのでムドは仕事の為に、保健室へと来ていた。
だが全てが全て、仕事の為というわけでもなかった。
執務机に座り資料と向き合う中で、そろそろかと時計を見上げる。
時刻は十時少し前、体内時計に間違いはなく、保健室のドアがノックされた。
「失礼します。ムド先生……いますか? あ、おはようございます」
「おはようございます、亜子さん。今日は、何だか可愛らしい格好ですね」
ムドが言葉にした通り、普段は制服か体操服なのだが今日は私服であった。
春をイメージしているのか、淡い若草色のワンピースとワンポイントに黄色いスカーフである。
「かわ、いややわ。そんな事あらへんよ。今日は部活もなくてお昼からまき絵達と春物の買い物の予定なんよ。保健室から直行しようと思って、それで」
可愛いと言われ、焦り手をぶんぶんと振りながら否定する亜子に微笑みかける。
「十分、可愛いですよ」
「そ、そやろか。お世辞とかやなくて、ですか?」
「ええ、もちろんです。ただ……薬、どうしましょう。ワンピースだと、上だけ脱ぐとか出来ませんよね?」
ムドの言葉に可愛いと言われ照れていた亜子が、一気に顔の赤みを増した。
保健室へとやってきた本来の目的を忘れていたわけではないのだろう。
背中にある傷の治療を亜子が忘れるはずがない。
ムドに自分の可愛い格好を見て欲しくて、うっかりしていたのか。
ちなみにそう思っても、決してムドの自惚れというわけでもなかった。
それだけの事は、この治療を続ける事でしてきたのだから。
「脱ぎ、脱ぎます。全部、だから!」
「女性にそんな事はさせられませんよ。確か大き目のタオルが何枚かあったはずなので体に巻いてください。パイプベッドの方はカーテン閉まりますので」
ムドに諭されてからタオルを渡され、ますます亜子は赤面していった。
何しろムドを目の前にして、自ら脱ぐといってしまったのだから。
タオルを受け取ってからの行動は素早く、パイプベッドがある方に飛び込み、カーテンを閉める。
その一連の行動を眺めつつ、ムドは執務机の引き出しから一つの瓶詰めの薬を取り出した。
亜子が持つコンプレックスの元凶でもある背中の傷を消す、魔法薬である。
ただし、ムドが勝手に混入した媚薬入りの薬なのだ。
当初これを使う事には嫌悪所か吐き気さえもよおしたが、今では色々と慣れてしまった。
やはり一番大きかったのは、この麻帆良で学園長に殺されかけた事だろうか。
「せ、先生……準備出来ました」
「では失礼しますね」
亜子に呼ばれ、カーテンを開ける。
そこにはパイプベッドにうつ伏せで寝転がり、上下にそれぞれタオルを巻いた亜子がいた。
タオル以外はほぼ全裸と変わらず恥ずかしいのか、組み敷いた腕に顔を埋めて起きる様子はない。
そんな亜子の上半身を包むタオルを、背中にあった結び目を解いて開く。
髪の毛と同じく色の薄い、真っ白な肌が露となる。
その珠の肌に陰を落とすのは、斜めに大きく走っている傷跡であった。
今でこそかなり薄くなっているが、最初は遠くからでも一目瞭然な程に深い傷跡だったのだ。
「随分、薄くなってきましたね。この様子であれば、夏には十分間に合いそうです」
「皆にも、随分消えてきたねって言われてます。ほんま、ムド先生のおかげです」
「喜んでもらえて何よりです。でも私の役目はそこまでですね」
そこまでを少し語調を強くして呟くと、亜子が小さな声で復唱するのが聞こえた。
さらには、伏せていた顔を少しだけ振り返らせ、ムドと目が合った途端、再び伏せる。
目が合ったのはほんの一瞬だが、亜子の瞳に寂しさのようなものが浮かんでいたのが見えた。
良い傾向だと微笑み、ムドは薬の蓋を開けてジュルタイプのそれを手に取った。
「それでは塗りますね」
「ひゃん、冷た」
「我慢ですよ。我慢」
それにどうせ直ぐ熱くなりますからと思いながら、ジュルを乗せた手を直接背中に触れさせる。
ピクリと冷たさに震えた肌を押さえ込み、愛撫するように丹念に塗りこんでいく。
元々傷跡というものは、敏感に出来ているのだ。
さほど時間もかける事なく、亜子の背中が当初よりも熱を帯び始めた。
「んっ、ぁ……」
白い肌をピンク色に染め、耳を澄ませば亜子の息遣いが速くなってきている事が分かる。
「今日は、渋谷まで遠出ですか?」
少し試すように、意地悪くこの状況で尋ねる。
「ふぁ……ちが、ん。最近は、お小遣いも……だめ、ムド先生の手が気持ち良すぎや」
「え、何か言いましたか?」
「ちゃ、ちゃうねん。今のは!?」
伏せられていた顔を覗き込んだ途端、ガバっと亜子が体を起こした。
つい呟いた台詞を否定するのは良いが、今は上半身に何も着ていないのである。
ツンと突き立てられた乳首を中心に小ぶりな胸が僅かに揺れた。
比べる対象が主にネカネであり、女子中学生としては平均的な大きさではあったが。
その乳房の収穫はもう少し先だと、ムドは一先ず紳士として後ろを向いた。
「亜子さん、分かりましたから。寝てもらえますか?」
「へ、あッ!」
短い悲鳴の後直ぐに、勢い良く伏せたのかパイプベッドが軋む音が聞こえた。
改めて振り返ってみると、茹蛸状態の亜子が両手で頭を押さえながら枕に深く顔を埋めている。
控えめながら足もジタバタさせており、どちらかというと股間部分をもじもじさせているようにも見えた。
「もう、亜子さんが暴れるから……ついちゃってますよ」
「ひあ」
平気で大嘘をつき、体に押し潰されて殆ど確認できない乳房の横に指先で触れる。
(ウチの阿呆。触られた、胸触られた。なんかちゃうねん、ここに来る。薬とムド先生の匂いがぽかぽかして、あそこがむずむずするんや)
ジタバタする亜子を見下ろしながら、再びムドは薬塗りを再開する。
今一体、亜子の頭の中ではどんな言葉の嵐が吹き荒れているのか。
本当にこういう時こそ、魔法で読心ができたらと思う。
ネカネにも相談し特訓した指使いで、愛撫を続けると、ふいに亜子の動きが止まった。
さすがのムドも不審に思い手を止めると、やや色を失った表情で亜子が振り返ってきた。
「ムド、先生は……アーニャちゃんが」
「アーニャがどうかしましたか?」
「な、なんでもないです」
どうやら、ムドが公言しているアーニャを思い出し、頭が冷えたらしい。
ネカネに明日菜、エヴァンジェリンと亜子以外にも多くの女性に懸想しているムドだが、やはりアーニャは別格だ。
ただそれを正直に言うわけにもいかず、少し言葉を選んで返す。
「好きですよ」
ピクリと背中が振るえ、亜子がギュッと枕を抱きかかえた。
「アーニャはもちろん、姉さんも兄さんも。もちろん、亜子さんもです」
如何にも、本当の恋を知らない幼い少年を装い、僅かに振り返った亜子に微笑む。
そしてこちらからは亜子の瞳をそらさない。
亜子からの反応がなかった為、小首をかしげる。
何か自分は変な事を言っただろうかというように。
できれば、これで勘違いしてくれればと願っていると、やがて亜子が枕に顔を落とした。
(せやった、ムド先生ってば十歳やった。もう、ウチの阿呆、阿呆。アーニャちゃんに嫉妬……嫉妬ってなんや。ウチは、ウチは!)
再び亜子が熱を取り戻しジタバタし始めたのを見て、上手くいったかと安堵しながらムドは薬を塗り事を再開し始めた。
亜子への仕込みを終えて帰したムドは、お昼少し前に保健室を後にしていた。
行き先は麻帆良学園都市、その郊外にある森の中であった。
ネギの修行の為に学園長から提供された、ムドが脅して提供させた場所である。
最もネギの為ならばと、学園長も快くという感じではあったが。
少し交通の便は悪いが、常時人払いが張られており人目に触れる事がない事が一番の利点だ。
魔法の存在を明かすにしても、相手は厳選しなければならない。
それに交通の便の悪さも、そこまで走れば準備運動の代わりぐらいにはなる。
「けれど……私にとっては、致命的ですね」
森に足を踏み入れてから随分歩いた気もするが、まだ到着しない。
膝に手をつきぜえぜえと荒れる呼吸を整える。
せめて電動自転車でもあればと思っていたその時、脳裏に特殊な信号が走った。
息も整わないうちに、急いで辺りを見渡す。
誰かに見られている。
学園長に殺気を当てられて以降、鋭敏になった感覚がそう告げていた。
そう言えば、人が来ない森の中は刺客を差し向けるには好都合だ。
後で熱が高くなる事も省みず、ムドは一目散にネギ達がいる修行場へと走っていった。
はっきりと視認したわけではないが、ほうほうの体で逃げていく。
その足が緩んだのは、ネギ達の声が聞こえてからだ。
「右手、遅いね。足の運びに気をつけるアル!」
「ハイ……って、僕は拳法家じゃなくて、魔法使いに、あッ」
茂みを掻き分けると、古と手合わせしていたネギが丁度、足を払われ尻餅をついた所であった。
これで何度目だとその様子を苦笑いしているのは、夕映と木乃香である。
二人は夕映の世界図絵を参照しながら、練習用の杖で魔法の練習をしていたようだ。
そして最後に、破魔の剣のハリセンバージョンを手にしていた明日菜が、吹き出すと同時に隙を疲れて楓に背後に回りこまれコツンと頭を叩かれていた。
ネギの従者でここにいないのはまき絵ぐらいのものか。
最も彼女の場合は戦いそのものには否定的で、ここに来てもずっと新体操の練習をしているだけだが。
「精が出ますね、皆さん」
「当たり前アル。なんと言っても、皆の命が掛かってるアルからね」
ネギに手を貸しながら、力強く拳を握り締めた古がそう言い放った。
痛むお尻をさすりながら不満は少しあれどといった様に、ネギも頷いた。
「ムドや皆を殺そうとした人は、この麻帆良の何処かにいるかもしれない。今度こそ、守らないと……古さん、次をって。違います、僕は魔法使いなんですよ」
一瞬流され、古仕込の拳法の構えをとったネギが、ハッと思い出したように吼えた。
「ネギ先生、私の調べた所によると魔法使いにも二つタイプがあるそうです。従者を前衛に立て、後衛からの魔法使用に専念するオーソドックスタイプ。もう一つは、従者と共に前に出て戦う魔法戦士タイプです」
「そうなんですか? 魔法使いってイメージから、後者の魔法戦士タイプは初耳です」
「て、あんた達は魔法学校って奴を卒業したんじゃないの? 無茶苦茶初歩的っぽい事をなんで知らないのよ。もしかして、私達と一緒で落第タイプ?」
「今時、魔法使いがお話の中のように戦う事は稀なんですよ。魔法使いが戦いに明け暮れたのは、昔のお話。だから学校では戦いについては何も教えてくれません。攻撃魔法も、基本の魔法の射手ぐらいです」
夕映の言葉にきょとんとしていたネギを見て、おいおいと明日菜が突っ込んだ。
もっともな言葉ではあったのだが、一応の理由をムドが教えた。
魔法使いといっても、中世のイメージは偏見であり、きちんと近代化は行われている。
だから普通の職業に就く魔法使いも多く、むしろ立派な魔法使いを目指してNGOに入る人は少数派なのだ。
そしてムドは懐からナギのアンチョコを取り出し、ネギに見せながら教えた。
「父さんはどうやら、魔法戦士タイプだったようです。手記の中にも、戦いの歌という魔法を習得した事等、書かれてますから」
「父さんが……」
少し癪だが、父親の名を出してネギのやる気を出させる。
アレだけ不満そうだったのに父の名を出しただけで瞳の色を変え、拳を握りこんでいた。
そして時折、ムドが持つ手記、アンチョコをチラチラと見始める。
「父さんの手記、読みますか?」
「え、でも……それはムドが父さんから貰ったものだから。僕の杖はムドには使えないし。ふ、不公平だから良い!」
口ではそう言ってるが、どう考えても見たがっているようにしか見えない。
クスクスと皆がネギを笑う中で、遠くから風に乗ってお昼の鐘の音が聞こえてきた。
それまで集中していたせいか、明日菜や古がパッとお腹を押さえる。
どうやら、空腹を思い出しかつ、聞こえはしなかったがお腹が鳴ったようだ。
少し顔に朱がさしており、夕映や木乃香もお腹すいたと笑っていた。
午前中の間、朝からずっと根を詰めていれば空腹に鳴るのも当然である。
そして空腹を知りながらも誰もご飯を食べにとは言い出さず、辺りを見渡しているだけであった。
待ち人を待つようなその仕草の意味は、直ぐに知る事が出来た。
「お弁当、持ってきたわよ」
「皆、お腹空いたでしょう。今日も沢山、食べてね」
ムドに遅れてやってきた、アーニャとネカネである。
二人ともピクニックに行く時のようなバスケットを、その手に持参していた。
言葉通りそのバスケットの中身は、全員分のお昼ご飯であった。
春休みの間ずっとこの習慣は続けられており、早速と夕映と木乃香が折り畳んだ状態で座っていたビニールシートを広げ始める。
修行はここで一度中断、それぞれがビニールシートの上の思い思いの場所に座り始めた。
何時もの事なので特に深くは考えずにムドが座ると、その隣にすっと素早くネカネが座り込んだ。
そして、その逆隣にはこれまた何も考えていなかった明日菜が座ろうとする。
その瞬間、明日菜を押しのけるように無理やりアーニャが割り込んできた。
「アーニャ、危ないですよ」
「なによ、明日菜の方が良かった?」
ぱんぱんに頬を膨らませたアーニャに上目遣いで睨まれた。
エヴァンジェリンを保健室に招いていた件で、まだ二人は決定的な仲直りはしていない。
さらに、ムドがネカネに加え、明日菜とまで仮契約してしまった事を知らされ、普通ならそこで終わりだ。
まだ辛うじて繋がり、嫉妬してくれるのはやはり図書館島で一度死にかけたからだろう。
色々とありすぎて、アーニャが混乱しているという考えもあるが。
ムドはアーニャの頭越しに、明日菜にすみませんと視線で謝り、気にするなと笑って手を振られた。
少しは気にして欲しかったと思いつつ、アーニャの手を握る。
「ほら、逃げないで下さい。あーん、してください」
「うッ……し、仕方ないわね。そんなに食べて欲しいなら、食べてあげるわよ!」
手を握って逃げ道を塞いでから、ネカネが広げていた昼食からサンドイッチを手に取り勧める。
ただこちらの手まで噛み付く勢いで、かぶりつかれた。
そのままサンドイッチを口で奪われ、アーニャは人のみで食べてしまった。
少し犬みたいと思っていると、指先に濡れた感触があり、マヨネーズかなと思って舐める。
「あっ……それ」
「え?」
「なんでもないわよ!」
アーニャが顔を真っ赤にしながらそっぽを向いた。
もしやマヨネーズではなく、勢いで指を舐めてしまったアーニャの唾液であったのか。
「い、今時の十歳児は進んでいるです」
「ええなぁ、アーニャちゃん。ウチも素敵な彼氏が欲しいわぁ」
「私だって、高畑先生と……」
アーニャ程ではないが、夕映や木乃香も頬を染め、反対に明日菜は落ち込んでいる。
「良し、ネギ坊主。私も食べさせるアル。口を開けると良いアルよ」
「え、急にどうしたんですか。僕は別に、一人で食べられます!」
「何を言うアルか。皆の命が掛かっていた状況とは言え、ネギ坊主は私の唇を奪った」
間違いではないが、その宣言に巻き込まれ夕映がぽろりとから揚げを落としていた。
楓と木乃香は反応は異なりながらも割りと余裕の笑みである。
「私には自らに課した掟があった。格闘家として、武道の名門古家の跡取りとして……私より強い者を婿とし、私より強い者にのみ唇を許すと」
「前に一度戦ってみたら、魔法を使っても僕勝てなかったじゃないですか!」
「だから、ネギ坊主は責任をとって強くなってもらうアル。私が納得いくまで、まあ……その見返りに、少しぐらい優しくしようと」
勢いが良かったのは最初だけで、次第にごにょごにょと口ごもり出す。
「良いから、食うアル!」
結局、理路整然と言葉を並べ立てる事もできずに、古はネギの口にサンドイッチを詰め込んだ。
食べさせると言うよりも、押し込んだと言う方が正しい。
やり過ぎたかと、倒れて目を回すネギを前に、古が後頭部を掻いていた。
それを見かねてか、他に想いがあったのか。
いかにも仕方ないですとばかりに、夕映が進み出てネギの介抱に回った。
「それで、ネギの魔法使いとしての修行はどういう感じなのかしら。最近は皆に任せきりで、把握できていないのよ」
「そう言えば、私も良く知らない。寮長は長期休みでもお仕事があるし……」
「魔法は良く分からないアルが、飲み込みは早いアル。教えたそばから、どんどん拳法の技を吸収していくアル」
「うむ、ムド先生の勧めで何組かの魔法生徒とやらと手合わせもしたが、十歳という事を考えても見劣りはしないでござる。むしろ拙者は、魔法使いのレベルの低さに驚いたぐらいでござるよ」
全てではないが、ムドも何度かその手合わせの場には居合わせている。
正直な所、ネギが古と楓を連れた状態で手合わせすると、勝負にならなかった。
ただネギが凄いのではなく、古と楓が飛びぬけて凄すぎるのだ。
楓は何時も全力を出さないので詳しくは不明だが、常に全力の古は分かりやすい。
ネギの契約執行を気合で弾き飛ばした事で気に目覚めており、ネギの出番がない程であった。
一人で勝負をつけてしまった時などは、飛車角落ち状態、つまりネギ一人で魔法生徒とその従者と勝負と言う事はざらにある。
ちなみに夕映と木乃香はまだ戦力外の身なので、そこに加わる事はない。
「魔法使いと従者の実力差があり過ぎるのも問題ね」
「なんだか、従者だけで決まるって卑怯くさいわね。そんな勝負、意味があるの?」
「いやいや、それが色々と勉強になる事もあるでござる。特に魔法先生が力、もしくは知恵を生徒に貸した時など、驚かされる事もあるでござるよ」
「ネギ坊主を如何に守りながら敵を打ち倒すか。やってみると、それはそれで面白いアル。今までずっと一人で戦ってきたアルから」
普通の女子中学生としては兎も角、充実した春休みを過ごしているようだ。
「う~ん、ウチはまだまだネギ君にすらついていけなさそうやえ。ネカネさん。後でウチと夕映の魔法を見てもらって良いですか?」
「そうね。特に木乃香ちゃんは、治癒魔法使いみたいだし。私ぐらいしか、いないわよね。それじゃあ、少し付き合いましょうか」
「良いなあ、木乃香は先生がいて。私のアーティファクトは剣なのに、誰も教えてくれる人がいないし」
「拙者はしの……忍でござるから、純粋な剣術は門外漢でござるしな」
本音を言えば、明日菜はまき絵と同じように戦いは拒む派だろう。
怖いというのもあるだろうが、そんな事よりもバイトが大事という理由で。
ただし、現時点であの地底図書館の犯人が学園長である事はムドとネカネぐらいしか知らない。
止むに止まれずという消極的な理由に加え、師がいないというのも問題であった。
特に明日菜はムドの従者であるので、強くなってもらわなければならない。
「それなら……せっちゃんとか、どうかな?」
珍しいと言うべきか、木乃香がおずおずと伺うように明日菜に提案した。
両手の指先をもじもじと、根明な木乃香らしくない。
「せっちゃんって?」
「刹那、同じクラスの桜咲刹那でござるか。確かに、剣を使う魔法先生に直接教えを請いに行くよりは、頼りやすいでござるな。確か刹那殿も剣道部でござったか」
「あー、桜咲さんね。う……彼女、雰囲気的に少し近寄りがたいのよね」
「そんな事あらへんよ。せっちゃんは本当は優しくて、頼めばきっとうんって言ってくれるえ!」
妙な木乃香の剣幕に、落ち着きなさいよと明日菜が両肩に手を置いた。
それで自分が熱くなっていた事に気付き、すまんと木乃香が皆に謝る。
さすがにそんな様子の木乃香に、刹那とどういう関係なのか問いただす事は難しい。
学園長の孫娘である木乃香とどういう関係か、ムドは今一度出てきた名前の人物を思い出す。
以前に学園長から貰った魔法生徒の資料の中に情報があったはずだ。
(確か、神鳴流という京都の古い剣術の人で、木乃香さんの護衛でしたよね。烏族という種族とのハーフだったはず)
人外の血を持ち、さらに人が極めた力の一端を得ているのであればきっと強い事だろう。
そんな人物であればもちろん従者に欲しいが、後回しにせざるを得ない。
この前の地底図書館のような件がない限り、ムドが従者を得るには時間が掛かるのだ。
何しろ力を魅せるという方法はとれず、亜子のように外堀を埋めていくしかない。
ならば何故、地下図書館の時にネギに従者を譲ったかは、それはそれで理由があった。
まず一つが、仮契約カードの機能がある程度使える事は知っていたが、契約執行ができるかどうかまでは試していなかったのだ。
できない場合、皆の安全と戦力と言う意味で仮契約を推した意味が消えてしまう。
もう一つは基本的には魔法を秘匿し、自ら進んで従者を増やそうとしないネギの性格である。
ムドはとりあえず亜子を手篭めにしようとしているが、ネギは現在修行以外何もしていない。
修行だけで十分かもしれないが、地力と従者との連携を深めていた。
(まあ、兄さんの従者は期を見てまた増やすとして……まずは私、ですよね)
現在のムドの従者は二人、ネカネと明日菜だ。
ただネカネは治癒魔法使いで戦力としては使えず、明日菜も素質はあるが古や楓を比較対象とすると未熟だ。
近いうちに手に入れる亜子も、一般人である事を考えると一から育てなければならない。
(できるだけ早期に亜子さんを手に入れて、仲が良いらしい裕奈さんとアキラさんを芋づる式に手に入れますか。粒が揃わなければ、数を増やすまでです)
我ながら、学園長の事を言えない下衆な考えだが、それが自分だ。
変えようとしても、変えるべき道は生まれつき断絶されていた。
それに古の言葉を引用すると、責任は取るつもりである。
従者が自分からムドを守りたいと思うように、身も心も満足させる覚悟はあった。
というか、最近は少し性欲が増えてきた気がするのだ。
これまた学園長の殺気によって生存本能が刺激されたのか、ネカネ一人では朝と夜のお勤めを持て余し始めていた。
もう無理、お願い休ませてと懇願される事が多くなった。
チラリとネカネを見上げると、ヒクリと口の端が引きつりせめて夜まで我慢してと瞳でお願いされた。
「うぅ……酷い目にあった。夕映さんありがとうございます、楽になりました」
「いえ、当然の事をしたまでです」
夕映に膝枕をされていたネギが、ようやく起き上がってきた。
くらくらとしていたらしき頭を振って、いると笑顔を取り戻した木乃香からサンドイッチを差し出される。
「はい、ネギ君あーん。もう、残りが殆どあらへんかったからとっといたえ」
「あ、はい。ありがとうございます、木乃香さん」
「ぬう、何時の間に……これが内助の功という日本の伝統美アルか。これは負けてられないアル!」
「あの……お二人とも、ネギ先生は起きたばかりで」
起きて早々、従者から揉みくちゃにされ、楓は一歩引いた場所からにんにんと頷いていた。
特別気を使っているわけではないのに、天然でそこまで好かれるのはネギの人徳か。
少しはそれを分けてくださいと、ほんの少し妬んでいると隣のアーニャが立ち上がった。
「私、まだ寮長としての仕事が残ってるから帰るわ。私も少しは、魔法使いとして修行しないとね。終わったら、また来るわ」
「私は、もう少しここにいますが……一度、アーニャを森の外までエスコートしますよ」
「あらあら、良かったわねアーニャ。森の外まで、ムドと二人きりよ。ゆっくり、行ってらっしゃい」
「ネカネお姉ちゃん! 普通に歩くわよ、ただムドの体を考えて少しぐらい……少しぐらいなら、歩調を合わせてあげなくもないわ」
アーニャが口々に皆から頑張ってと応援され、耐え切れず駆け出した。
けれどムドが見える範囲できちんと立ち止まり、振り返る。
ちゃんと追ってきなさいとチラチラ視線を向けられ、苦笑しながらムドもその後を追った。
そしてアーニャに追いつくと、その手を取って二人で歩き出した。
思えばここ最近は色々とあって、アーニャと二人きりなのは久しぶりである。
特別何か言葉を交わさなくても心地良い空気が二人の間に蔓延していく。
昼間にしてはやや薄暗いが、森が元々持っている落ち着いた雰囲気が良いのかもしれない。
ただ静かに、ゆっくりと手を繋ぎながら森の外へと向かい歩いていると、ふいにアーニャが立ち止まった。
「アーニャ?」
「ねえ、ムド。ムドは……ネカネお姉ちゃんや明日菜と仮契約したんだよね?」
そう尋ねてきたアーニャの顔は、赤面していた影はなかった。
不安そうに胸に手を当てながら真剣な眼差しで尋ねてきていた。
「前にも言いましたが、どちらも緊急の為です。姉さんは、私が倒れた時の為に連絡し、呼び出せるよう。明日菜さんは、安全の為に」
「分かってる、全部聞いてる。けど……なんだか胸がもやもやするの。あの女が保健室にいた時も、嫌なの。ムドが知らない間に他の女の子と親しくなるのは嫌なの!」
アーニャの自分に対する独占欲は、正直な所は嬉しいものであった。
好きだと言われたに等しく、このままアーニャを抱きしめたいぐらいだ。
だが、ムドはそうしなかった。
アーニャだけでなく、これから手に入れる特に女性の従者にしてもそうだ。
複数の相手と親密になる事を認めさせ、時には一線を越える事すら納得させなければならない。
下衆には下衆の苦労があるというものだ。
「不安にさせて申し訳ないです。けれど、いくらアーニャの頼みでもそれは無理です」
逃がさないように、しっかりとアーニャを抱きしめ呟く。
「私は、父さんの息子でありながら魔法が使えません。それは罪です。一度は、この麻帆良学園でなら平穏にとも思いましたが、ここでも私は命を狙われました」
「分かってる、分かってるのよ。周りがムドを放っておいてくれない事は……」
「だから、これからも私は多くの人に助けを求めなければなりません。私は生きたい、生きて幸せになりたいんです。アーニャと一緒に……」
「私と、一緒……」
少し抱きしめる腕を弱め、アーニャの瞳を覗きこみながら額をくっつけあう。
そして次の台詞を呟こうとした瞬間、アーニャから深く抱きしめられた。
突然の事で目を白黒させている間に、小さな唇が押し付けられてしまった。
足元からは見覚えのある輝きが照りつけ、感情を高ぶらさせられる。
経験するのはこれで三度目か、足元の魔法陣を確認したわけではないが仮契約の魔法陣に間違いない。
自分の感覚に間違いはなく、アーニャが唇を離すと同時に、目の前には仮契約カードが落ちてきた。
「私が、守ってあげる。私が誰よりも傍で、誰よりも一番……ムドを守ってあげるから!」
顔を見せまいと走り出したアーニャが、そう叫んでいた。
一人取り残されたムドは、何が起きたかも分からず茫然と立っている事しかできなかった。
-後書き-
ども、えなりんです。
亜子には軽いぬるぬるプレイ。
同時進行で感謝と好意をすり替え中。
ムドも頭のネジが抜けると同時に、嫌悪感が抜けた。
それでは次回は水曜です。
木乃香が魔法を知ったら、当然あの人が怒りますよね?