第十三話 他人の思惑を乗り越えて
地底図書館からの生還から数日、ムドは学園長室へと足を運んでいた。
学園長からの呼び出しではない為、執務机にいる学園長の目の前には立っていない。
来客用のソファーに深く身を沈めている。
そして自分で勝手に淹れた紅茶で喉を暖めながら、チラリと執務机の学園長へと視線を向けた。
学園長は、特別に用意したテレビを前にうな垂れながら、祈るように両手を組み合わせている。
今日はネギの課題に大きく関わる、クラス成績発表日であった。
テレビでは校内放送により、前回の期末と中間のクラス順位がおさらいとしてながされていた。
その祈りは、ネギのクラスである二-Aが無事に最下位脱出していますようにという意味なのだろう。
組織のトップも、時には神に祈るのかともの珍しげに眺める。
(無駄な事を……魔法の存在、魔法使いに殺されかけた事。明日菜さん達に加えて、学年トップクラスの木乃香さんまでも勉強が手につく状態じゃなかった)
学園長が操るゴーレムを倒した後、ムド達はネギの言葉から滝の裏に非常口を発見して生還した。
生きている事を心から喜び、そこでようやく期末テストの事を思い出したのだ。
さらには、明日菜達が最下位であれば小学校からやり直しだという勘違いまで発覚。
一応、最下位であればネギが教師を辞めなければという話は教えたが、効果は薄かった。
ネギがどうなっても良いわけではない。
ただやはり殺されかけたと思い込んでいる事実が大きい。
帰還後、全ての時間を一応は勉強に費やしたが、無為に時間だけが過ぎた事に間違いはなかった。
何しろ当の本人であるネギでさえそうだったのだ。
特にあのゴーレムが遠隔操作式と聞かされてからは特に。
(まあ、私は兄さんが立派な魔法使いになりさえすれば修業が成功しようが、しまいが関係ありませんし。いっそ、アーニャも含めて小等部というのも悪くないです)
さすがに手に入れた従者を置いて、イギリスに帰るという選択肢はなかった。
ネギから楓や古がどれ程、優れた従者が聞かされていた。
ムド自身、まだ少し迷いはあるが明日菜を正式に従者として欲しいとまで思っている。
間違いなく二-Aは最下位だろうが、ネギが変な気を起こさないようにネカネを含め、明日菜達には言い含めてあった。
「これより、麻帆良女子中の学期末試験結果を発表したいと思います」
校内放送からの音声に、学園長が執務机から身を乗り出す勢いで目を見開いた。
その姿を冷ややかに見つめながら、ムドも一応は画面へと視線を投じる。
発表はまず三年生からであり、校舎や学生専用施設での悲喜交々の様子を想像しながら聞き入った。
話に聞いた所によると、トップクラスを予想するトトカルチョがあるらしい。
そして三年生の成績発表がトップからブービー、最下位へと全て発表された。
「次が勝負だのう。ムド君は、二-Aが何位をとると思うかね?」
自身の緊張を和らげる為にか、学園長がふいにそんな事を尋ねてきた。
ここにいるムドもムドだが、学園長もよく数日前に殺しかけた子供に普通に話しかけられるものである。
地下図書館からの生還の後、ムドと学園長は今日が初対面であった。
ちなみに、この部屋に居座って以降、一度も学園長からの謝罪はない。
「まあ、期待していませんでしたが……最下位ですね」
「冷たいのう。君やアーニャ君はほぼ課題をクリアしておるが、ネギ君はこれからじゃ。もしも失敗すれば、イギリスに強制送還じゃぞ?」
「順調に兄さんが先生業に専念していられれば良かったのですが……一体、誰のせいなんでしょうね」
学園長が押し黙る様子をしっかりと観察する。
自分の優位を自覚しながらも、言葉のやりとりを学んでいく。
問いかけに対し、どう言えば相手が言葉に窮し、うろたえるのか。
絶対の安全を確保しながら学園長を練習台にして、訓練する。
ムドは基本的に魔法や体術を覚える事は無意味であり、鍛えるならば心しかない。
例えどんな局面だろうと臆せず、如何に自分が優位な立場へと立つか。
先日詭弁として使った言葉だが、それこそがムドが行える自分なりの努力だ。
「二年生の学年、平均点は七十四点。では第二学年のクラス成績を良い順に発表しましょう。第一位、二年F組。平均点八十点八点」
学園長がさすがに一位はないかと、大きく溜息をついた。
そんな様子で残り二十三組の発表を耐えられるのか。
次々に順位順にクラス名が発表されていくが、二-Aは何時まで経っても発表されない。
半分を過ぎても、残り十クラスとなってもまだ発表されなかった。
ぜいぜいと息荒く校内放送を見守る学園長を見て、一ミクロン程は溜飲が下がる思いである。
「次は下から二番目、ブービー賞です。えーっと、これは二-Kですね。平均点は六十九点五点。次回は頑張ってくださいね」
顎が外れそうな程に、学園長は驚愕していた。
「自動的に最下位は二-Aに決定ですね。平均点は六十点七、ブービー賞である二-Kからさえも十点近く離されています。何時もはもう少し僅差なのですが、次回挽回しましょう!」
ムドが調べた記憶が正しければ、過去最低の平均点ではなかろうか。
明日菜達の底辺組みがさらに点を下げ、そこに学年トップクラスの木乃香が点を下げたのは大きかったようだ。
学園長の顔色はもはや青ざめ、ふるふると震えていた。
それはそうだろう。
結局の所、何を思ってネギ達を地下図書室に追い込んだかは不明である。
だが何をどう言いつくろっても、二-Aが過去最低の成績を取得してしまったのは学園長の責任だ。
そこに加え、輝かしい未来が約束されていたはずのネギの経歴に、落第という傷まで付けてしまった。
「わしは……一体、彼にどう謝罪すれば」
「さて、学園長。交渉と行きましょうか」
明らかに動揺する学園長を前にして、無慈悲にもムドは口火を切った。
間違っても自分に謝罪がないのに、ネギに謝罪がと言い出した事に腹を立てたからではない。
相手が動揺している時こそ、自分が優位に動けると判断したからだ。
「交渉とはなんじゃ? 今はそれどころでは……」
「確かに兄さんと僕では、用意された未来が違います。将来的にも兄さんの味方をした方が学園長の旨味も大きいでしょう。ですが、私の話も少しは聞いた方が身のためですよ?」
「わしはそんな理由で君達を差別した事はない。少々、口が過ぎるのではないかのお?」
「それはこちらの台詞だ、近右衛門。立場は私が上で、貴様が下だ。跪けと言われないだけマシだと思え、耄碌爺が!」
瞳の焦点を合わせ、頓珍漢な事をのたまった学園長へと怒鳴る。
しかし歳のせいで、甲高い声にしかならずにドスは欠片も利いてはいなかった。
やはり見よう見まねで、直ぐにエヴァンジェリンのようにはいかないらしい。
さらに怒鳴った事で学園長の動揺が失せるかと内心舌を打ちながら、続けた。
「今さら、貴様から殺されかけた事を謝罪してもらおうとは思わない。金の延べ棒と道端の石ころ。その価値は考えるまでもなく、貴様にとって私の命の価値は石ころだろう」
「自分を石ころなどと言うものではない。君が何を荒れているのかは知らんが、私は学園の生徒のみならず先生も良く見ておる。その安全は特に」
やはり全てをなかった事にしつつ、それでも安全は保障していたと予防線は張ってくるか。
知らぬ存ぜぬは一番効果的なやり方だ。
相手にどんな嫌悪感を抱かれようと、知らないと言うものを追求は難しい。
安全に関しては事実、学園長は確保していたのだろう。
ムドが大怪我を負って以降は、その身を確保しようとムドの名を呼んで探し回っていた。
だが翌朝にムドが回復した事を何故か知りえた以後、ただの警備ゴーレムの振りを始めている。
だとしても、ムドが許すかどうかは全く別問題であったが。
「昨晩は、何もなかったと?」
「何もなかったのう。うっかり、何処かの誰かが魔法の存在を明かしたとしても、相手が秘匿に頷けば問題はないわい」
「まだ、何か勘違いをしていますね?」
ネギやムドが、生徒に魔法を明かして仮契約した事を見逃してやるとまで言ってきた。
直前にムドがわざわざ自分が上で貴様が下と言った事を理解していない。
何もムドとて、意固地になってそう言ったわけではなかった。
きちんとした理由が、学園長を破滅に追い込めるだけの手段があるからそう言ったのだ。
「期末試験の数日前、私と兄さんと二-Aの一部が図書館島の地底図書館へと迷い込みました。そこで警備ゴーレムに私が殺されかけ、皆も追いかけられました」
「いかんのう、あそこは立ち入り禁止なのじゃが」
「鍵が開いてましたし、立ち入り禁止の札もありませんでした。では管理不行き届きです。相変わらず、私が殺されかけた事には無反応ですね。良くそれで石ころではないと言えたものです」
「衝撃的な内容に、言葉がなかったんじゃよ」
ここまえ突っぱねられると、強情だなと笑えてきたりする。
「詳しくは割愛しますが、私だけでなく木乃香さんや他の皆さんも殺されかけました」
「それはいかんのう。誰かが調整を間違えてしもうたのか。確かに学生が迷い込む事を考慮すると、その設定はいかんのう」
「ちなみに、そのゴーレムは遠隔操作式でした。夕映さんがアーティファクトで調べてくれまして……木乃香さんのあの態度も、遠隔操作式だと知ったからなんですよ」
警備ゴーレムの存在を認めた直後に、わざわざ一言を付け足す。
さらに木乃香の一生に一度の大嫌い発言を持ち出し、揺さぶりをかける。
ようやく、学園長が動きを止めてギロリとムドを睨みつけた。
「おお、怖い。この軽い口を持つ私を、ここで殺しますか?」
ちなみに、殺傷能力のない記憶操作や意識操作の魔法を使われただけでもムドは死ぬ危険があった。
「そうすれば、即時にお縄ですよ? 私は学園長室の前までネカネ姉さんに送って貰い、部屋を出る前に必ず電話するよう言いました。殺せば、間違いなく疑いは学園長に向かいます」
そうでもしなければ、とてもムド一人では学園長の前に姿を見せられなかった。
だが学園長がシラをきった場合に、油断させるにはムド一人の方が良かったのだ。
紅茶を飲みながら、すする音で足の震えを誤魔化していたかいがあったというものである。
学園長に睨まれ、先程飲んだ紅茶が下から出そうであった。
動悸も激しくなり、今すぐ脅しを取り下げて逃げ出したいが、ひそかに歯を食い縛り耐える。
「今はまだ兄さん達は悪い魔法使いがいるぐらいにしか思っていません。ですが私はその悪い魔法使いが操るゴーレムと一緒にいた空白の時間がある。学園長が犯人だと示す事実をでっちあげて教える事は出来るんですよ? しかも私が死に掛けた事で、学園長は共犯として私を取り込む事もできない」
「一体、何が目的じゃ?」
「全く、誰も彼もが貴方のような下衆な想いで兄さんに擦り寄るわけじゃありませんよ。兄さんが大好きで悪いですか? 私は兄さんの弟ですよ?」
自分の怯えを悟られないように、両手を広げて茶化すように言い放った。
そして歯噛む学園長を前にして自分の優位性を再認識して、奮い立つ。
「そうですね、まずはこの学園に存在する全ての魔法使いの情報です」
「まったく、校長も耄碌しおって。わしによろしく頼むと念を押しておいて、やっぱり騙されておるではないか」
どうやら、また一つ学園長の中ではムドの心象が捻じ曲がったらしい。
今は何を言っても聞かないだろうと、放置する。
別にそれでムドに何か不利になるわけではないし、嫌いな人にまで好印象を持って貰いたいほど八方美人ではないのだ。
学園長が執務机の引き出しから取り出したファイルが、念動の魔法でムドの前まで移動させられる。
その紙の束を受け取り、めくる。
「一つ聞かせてくれ、それで一体何をするつもりじゃ?」
「何って、他の魔法使いの人に兄さんと模擬戦をしてもらうつもりですけど。従者ありならば尚、良いですね。兄さんは圧倒的に経験が足りません」
「……追加じゃ」
「どうも」
学園長が後から追加したファイルを、分かってましたとばかりに当然として受け取る。
実は素直に学園長が全てのファイルを出してくれたと思っていた為、内心では驚いていた。
上っ面だけ重要度の低い餌を与え誤魔化し、中身の詰まった本当に大事な餌はとっておく。
そんなやり方もあるのかと、また一つムドは学習する。
「では次ですが……」
「なんじゃ、まだあるのか」
「魔法先生と生徒の情報は、私の中では重要度はそれ程でも。兄さんのクラス、二-Aの生徒の情報を全て寄越してください。保健医の私ですら見れないような、もっと深い情報です」
ムドの要請に、魔法先生と生徒の情報を渡せと言った時以上に、学園長の顔が歪む。
アレだけしておいて、まだ二-Aを普通のクラスだと思わせておけると思っていたのか。
何も言わず、視線だけで早くしてくださいと微笑み催促する。
すると怒りを示すように荒々しく執務机の引き出しを開け、再びファイルの束を取り出した。
だが今度は、念動の魔法を使ってはくれなかったので自分で取りに行く。
魔法先生と生徒の情報と同じように、ぱらぱらと捲る。
そして溜息をついてから、呆れ果てたように学園長へと視線を向けた。
何も言わず、ただ無言のまま。
「くっ……持っていけ」
再び取り出されたファイルは、執務机の上へと叩きつけられた。
「学園長、私ももう念を押すのに飽きたのですが……」
「今度こそ、本当じゃ。何もない」
「そちらではありません。態度に気をつけてくださいと言っているんです。私は学園長が大切にするモノを、最低でも四つは破壊出来るんです」
そういって指を四本立てて見せると、怒気ではなく殺気が叩きつけられる。
ムドはそれが殺気とは思いも寄らなかったが、その効果だけは如実に体に現れ始めていた。
足が震え、意識が遠くなったのか目の焦点が再び合わなくなりはじめる。
緊張する顔の筋肉を全力で動員して、ややぎこちない笑みでにやにやと笑う。
崩れ落ちそうな足を支える為に、執務机に持たれかけ身を乗り出すように四本の指を学園長の目の前に差し出した。
その四本に学園長の視線が集中すれば、ぎこちない笑みも、崩れそうな足のせいで震える体もある程度は隠せる事だろう。
「まあ、破壊といっても物理的ではありません。魔法が使えませんから。心地良い言葉で言うと絆、ですか。愛する孫娘の木乃香さん、昔からの友人であるメルディナ魔法学校の校長、信頼厚い部下の高畑さん、そして学園長としての今の地位」
理解し始めたのか、学園長の殺気が徐々になりを潜めていく。
事実、学園長は木乃香との絆を危うく自分の手で破壊する所だったのだ。
ここでムドが実は学園長がと持ち出せば、本当に一生に一度の大嫌いの相手となってしまう。
それどころか、メルディナ魔法学校の校長や高畑の信頼を失えば、同時に麻帆良学園の学園長の座さえ危うくなる。
二人とも、長年の友人と部下なのだ。
二人の支えなくしては、今の麻帆良学園の運営方針を継続させる事は難しくなるだろう。
本当に今さら遅かったが、ムドへの接し方を間違えたと思わざるを得なかった。
ある意味でナギ並みの悪たれでありながら、本当に魔法が使えない。
特異な存在である事に気付くのが遅れた。
「私だって、この情報を悪用するつもりはありませんよ? 全ては兄さんが立派な魔法使いになる為。それは魔法が使えない私の悲願でもあります。私の代わりに、兄さんには……喋りすぎましたね」
最後に、予防線は忘れず張っておく。
さすがにないだろうが、暗殺される事だけは避けたい。
兄であるネギを立派な魔法使いにする為に動いている事にすれば、危険度は下がるはず。
先程も、ネギの為にと言ったそばから情報の追加をもらえたぐらいだ。
学園長を相手に、ネギの為にとは殺し文句に近いものがあるらしい。
「その情報の中に、明日菜君の最重要項目は入っておらん、いつか、ネギ君が立派な魔法使いになれた時、高畑君からでも聞いてくれ。さすがにこれには彼の同意が必要なんじゃ」
「分かりました、憶えておきます。それでは、頼み事ができたらまた来ます」
「待て、待つんじゃ。ネギ君が落第した件については、どうするつもりなんじゃ!?」
貰える者だけを貰って、さっさと返ろうとすると制止させられた。
今止まれば膝が砕けて転ぶと、急いで扉まで駆け寄った。
扉の取っ手に手を掛け、そのまま体重を預けて半身になって振り返る。
「どうせ貴方が自分の利益の為に、改竄するでしょう? 何故それをわざわざ私が、お願いしなければならないのですか?」
「君には、どうにかする手があると?」
最後の最後でと、実際に小さく舌打ちした。
半身の状態で学園長の顔は見えないが、明らかに試されている。
今日のこの態度が本当のものなのか。
会話の全てが予めに厳重な計画を練った上で、なんとか成り立たせたものなのかを。
万全な答えを返答し、臨機応変な対応すらできると思わせなければならない。
いや、学園長ならばこのやり取りを含めて予め、そこまで予知できていたのかと疑っているかもしれなかった。
ムドにとって殆ど損しかない、問答である。
(考えろ。兄さんを合格させるだけじゃ足りない。それで周りが、他の魔法先生や生徒が納得できるものでなければ)
ネギの課題は、他の人達に公開されている可能性がある。
誰だってアイドルが課題を受けると聞かされれば、気になるのが心情だ。
諸事情による特別な追試は駄目、ネギの経歴に傷がつくのには代わらないだろう。
周りにやはり親の七光りかと疑念を向けられかねない。
一番簡単な手は、与える課題を最初から間違えていたとする事である。
ただし既にネギが課題に落ちている以上、単純に別の課題に摩り替えるだけでは駄目だ。
誰もが変だと思ったんだと思われるぐらいでなければ、怪しまれる可能性がある。
ネギのような極自然に生まれたアイドルをやっかむ声は、当然としてあるはずであった。
(アイドル……そういえば、アーニャや私の課題は)
自分にとっての唯一のアイドルが、最も優良な答えを授けてくれた。
ムドとアーニャの課題は、全く同じなのだ。
ネギのように担任を持たない為、生徒との関わりは浅く広い。
その為、与えられた課題も一人以上の生徒に心から感謝される事、というものである。
つまりは、ムドとアーニャが同じ課題で、ネギだけが全く異なる課題なのだ。
「兄さんの課題を与え間違えた。変ですよね、私とアーニャが同じ課題なのに兄さんだけが違うのは。それが、答えです。怠けないで、自分で考えてください」
「おお、なるほどのう。それはつい、気が付かんかった。そうか、そうか。その手があったか」
糞爺がと、小さく呟きだが心の内とは逆に静かに学園長室の扉を閉めた。
そして数メートル歩いた所で一気に駆ける。
勝ったはずなのに最後の質問で、負けた気にさせられたからではない。
勝ち取った資料を胸に抱えたまま、最寄りのトイレへと駆け込み、個室へと飛び込んだ。
資料は汚れないようにトイレットペーパーの収納棚に放り込み、便座を壊す勢いで開く。
膝から崩れ落ちると同時に、堪える間もなく吐瀉物があふれ出す。
身の内からではない、他者から与えられた悪意に耐えかねたのだ。
「ぐぇ……ね、姉さんを呼ばないと」
口の中に広がる異臭と酸味により、さらに吐き気をもよおし悪循環に陥る。
今すぐにでも、あの柔らかな肢体と想いに包み込まれなければ死にそうだ。
ネカネの胸に吸い付き、何も化も忘れて穏やかな気分のまま瞳を閉じてしまいたい。
あの心臓が凍りつくような学園長の瞳に、精神的に喰い殺されそうであった。
平時から高熱を発しているはずの体が、妙な寒気にまとわりつかれていると錯覚するほどに。
次に頼み事があったとしても、しばらくは近寄りたくもない。
スーツのポケットをまさぐり、ネカネとの仮契約カードを取り出す。
震える手でそれを掲げ、いざ呼び出そうとした所で、突然手の中からカードの重みが消える。
大切なカードをトイレの床などに落としてたまるかと焦ったその時、頭上から声が降ってきた。
「ふん、近親者との仮契約か」
「エヴァ、ジェリン……さん」
学園長の次に会いたくない人がと、口の中の酸っぱさとは異なる苦味を顔で表す。
そしてふらふらとした足取りと腕で体を支え、水洗のスイッチを押した。
いくら嫌な相手でも、女性は女性。
おのずとその対応も学園長とは異なり、吐いたものをさっさと洗い流す。
それから便座を降ろして、その上に座りぐったりとしながら対面した。
「随分と、爺が荒れていたぞ。詰まらない試験明けに囲碁打つ約束を、反故にされてしまったよ。その代わりに、年甲斐もなく荒んだ爺の顔を見られたのは面白かったがな」
「そうですか、良い気味ですよ。毎度、私だけ死にそうになるのは割りにあわないですからね」
「ふむ、場所を変えるぞ。紅茶と茶菓子を出せ。話を聞かせろ」
「もう少し、吐き気が収まってから……駄目、ですよね」
駄目だなとばっさり切られ、仕方なくムドは保健室へと向かった。
ただし、学園長から強奪した資料は見せたくなかったので収納箱に置いたまま、後でとりにくるつもりであった。
明らかに顔色の悪いムドに紅茶から茶菓子と全て用意させ、エヴァンジェリンは女王様気取りであった。
実際、気取るだけの実力は持っている。
それゆえにムドも逆らえず、言われるがままに全てを用意した。
テーブルクロスを新しくし、新鮮な茶葉で紅茶をいれ、とっておきのクッキーを出す。
全てを用意し、席に着いてからもゆっくりお茶を飲む暇さえ与えられなかった。
学園長が何を憤っていたのか、洗いざらい喋らさせられたからだ。
「ククク、そうか……あの爺の弱みをな。傑作だ。好いた女の前でイかされただけで泣くような小僧に、耄碌したな爺も!」
「笑い事ではないです。身を削り、心を削りようやくなんですから」
温かいはずなのに、飲んでも飲んでも体が温まらない紅茶を飲み続ける。
「当然だ。世の中を好きに弄くりまわせるのは強者の特権。弱者である貴様は身も心も削るしかない。だが、収穫はあったのだろう?」
「ええ、兄さんは五名の従者を得て一応の実戦経験を。私は一人の従者を得ました。明日菜さんが、従者を続けてくれるかは分かりませんが」
「なあに、偶然が重なったとは言え爺をやり込めたのだ。今さら小娘一人ぐらい、どうとでもなる。いっそ手っ取り早く手篭めにして虜にしてしまえ」
「手篭めにする腕っ節があれば、もっと人生が楽でした。けど何時か、明日菜さんも私のモノにしたいですね」
地底図書館でずっと気遣ってくれていた明日菜の、心配そうな顔や笑顔が思い浮かぶ。
元々、世話好きな人に弱いのは分かっていたが、本格的にこっちが落ちてしまったらしい。
明日菜の顔を思い浮かべると、かなりドキドキする。
高畑へとその気持ちが向かっている事は知っているが、それでも欲しいと思ってしまう。
ネカネに似ているからではない、明日菜だからこそ欲しいのだ。
そう思いながら、また紅茶に手を伸ばし、ティーカップの取っ手を掴み損ねた。
指先の爪が陶器をカチカチと鳴らし、針の穴よりもよっぽど大きな取っ手にさえ指を通す事ができない。
「あれ、く……震えが、止ま」
「英雄色を好むという言葉がある」
震えが止まらない腕に苦戦するムドを見て、エヴァンジェリンが有名な言葉を呟いた
「権力者は何事にも精力的であるという意味が一般的だが、これには別の側面もある。多くの女を抱かなければ、押し潰されてしまう。英雄であろうと、ただの人間だという事だ」
エヴァンジェリンが、震えの止まらないムドの手に触れた。
無理やり掴むのではなく、愛おし気に指を滑らせ震えを止めさせる。
愛おし気というのは、全くの比喩というわけでもなかった。
少なくとも、エヴァンジェリンの瞳は面白い玩具でも見つけたように輝いていた。
その輝く瞳で、どう遊ぼうかとムドを見つめていた。
「女が欲しいのだろう? 目の前にいるぞ、極上の女が」
「なんの冗談、ですか。貴方が、私なんかを誘惑して、なんの利も……」
「利ではない、興味だ。弱者が這い蹲り、泥をすすりながら何処まで行けるか。少なく見積もっても、貴様はこの人生に飽いた私を楽しませてくれる」
そう言ったエヴァンジェリンは、もぞもぞと椅子の上で動き、次に身を屈ませた。
一体何をしているのか。
女に飢えた状態のムドは、エヴァンジェリンの行動を推察する事すらできなくなっていた。
考えられるのは女を抱く事だけ。
ネカネとの仮契約カードはまだ取り上げられたままであり、いっそ明日菜をと考えてしまう程に。
そのムドの目の前に、エヴァンジェリンが何かを放り投げた。
そよ風に流されてしまいそうな重さを感じさせないそれは、香しい少女の匂いを振り撒きながらムドの目の前に落ちる。
タンガよりもさらに布地の少ない黒のTバックだ。
「あ……」
「慌てるな。そんな布きれで、貴様の獣欲を満たせとは言わん」
飢えた獣が餌を与えられたように、ムドは何も考えられずに手を伸ばした。
だがその手をエヴァンジェリンが掴んで止められてしまう。
妖しく笑みを浮かべる瞳でまあ待てと言い聞かせ、ティーテーブルを回り込む。
私から目を離すなとばかりに、軽やかに歩みを進める。
無邪気な少女のようにくるりと回転させては、下に何も履いていないスカートをはためかせた。
そしてムドの直ぐ傍で立ち止まり、肩幅に足を開いてスカートをたくし上げていく。
今のムドが望む女の園がここにあるとばかりにだ。
だが無毛地帯の割れ目が椅子に座るムドからも見える直前で、駄目だとスカートを離す。
「私のここで扱いて欲しければ、貴様も脱げ」
「わ、分かりました。直ぐに、直ぐに」
慌てすぎてベルトが上手く外せず、自分で自分に苛立ちを募らせる。
「その慌てよう貴様、童……て、え?」
ムドをあざ笑っていたエヴァンジェリンが、自ら造り上げた淫らな空間を破壊する言葉を吐いた。
無毛地帯はお互い様だが、大きさが想像以上だったからだ。
ムドが既に精通を終えている事は知っていたが、大きさまでは詳しく知らなかった。
良く良く考えてみれば、短小相手に以前のように足で扱くのは難しい。
出来て足の裏やつま先で潰すぐらいで、両足の裏で挟むなんて無理である。
だが今回は挿入する訳ではないのでと、エヴァンジェリンはなんとか我を取り戻す。
そそり立つムドの一物に、チラチラと目を奪われながら。
「ふふ、予想外の大きさだが……小さいよりは良い。椅子に座れ」
もはや相手が吸血鬼の真祖である事すら忘却の彼方におしやり、ムドは言われるがままであった。
女を抱けるのならと、一歩間違えれば心臓でさえ差し出していたかもしれない。
「断っておくが、これは自慰だ。お互いの体を使いあった、ただの自慰。もちろん、キスはなし。胸もなしだ」
エヴァンジェリンは最後の注意を行い、ムドの腰、一物の上にまたがった。
するとそそり立つ一物の上を、エヴァンジェリンの割れ目が滑り落ちていく。
もどかしそうなムドの声が耳元で聞こえ、エヴァンジェリンもふるりと体を震わせた。
エヴァンジェリンはまだ、処女である。
六百年もの歳月を頑なに守り続けてきた鋼鉄の処女。
既に聖地と呼んで差し支えない場所を、獣欲が詰まった竿に撫でられ禁忌感が背筋を駆け抜けた。
そしてさらにそれを求めるように、腰を動かし、竿を上っては滑り落ちる。
染み出す愛液が竿に滴りぬめりをもたらすも、冷えは感じず真逆の熱を感じさせた。
「どうだ、私の女の感触は。如何な英雄も、これ程までに熟成された女には触れた事がないはずだ。たぎるだろう?」
「割れ目が、唇みたいに吸い付いて……抱き、締めても良いですか?」
自分の割れ目でムドの竿をしごきながら、少し考える。
ムドはちゃんと言われた通り、胸や唇所かエヴァンジェリンそのものに触れてはいない。
足と一物でエヴァンジェリンを支えながら、両手は椅子の座る部分の板を掴んでいた。
さすがにサービスが過剰かとも思ったが、自分一人ではやはりもどかしいのも事実だ。
それに局部が加熱する分、二人の間にある空気の壁がやけに冷たくも感じられた。
「最初の言葉さえ守れば、好きにしろ」
「ありがとうございます」
許可した途端、お腹に両腕を回されグイッと抱きしめられた。
同時に、火がつくのではと思うような速さでお互いの陰部がこすり付けられる。
それだけでも快感を得るには十分であるにも関わらず、さらにムドはエヴァンジェリンの首筋に顔を埋めた。
耳元には、はっきりとエヴァンジェリンの体臭を嗅ぐ獣のような息遣いが聞こえる。
そして髪の毛の中を潜り、耳たぶを探し当てて甘く噛み付く。
「こら、自慰だと……こいつは、直ぐ調子に。まあ、多めに見てやるんッ」
「全てが甘いです。匂いも髪の毛も耳も、全てが。もちろん、ここが一番蜜が多くて」
言葉にした順に唇を移動させ、エヴァンジェリンという極上の女を堪能していく。
そして最後にここと呟き、スプリングのない椅子の上で無理に腰を跳ねさせた。
エヴァンジェリンの体が浮き上がり、愛液を塗りたくりながら竿をすべり上がり、染み込ませるように割れ目を少しだけ深く裂いて滑り落ちる。
特にすべり落ちる時の熱さはエヴァンジェリンのお気に入りらしい。
最も顔に赤みを帯び、滑り落ちた直後に熱いと息を空へと向けて吹き漏らす。
「言ったろう。極上の女だと。もはや、貴様は私を手放せんぞ。さあ、私の為に踊れ弱者。私の乾いた人生をこの陰部の様に熟れさせておくれ」
「貴方が望むなら、何時か必ず貴方以上の悪にもなってみせます。そして貴方を手に入れて、飽く暇がない程に愛します」
「ククク、本当に愛い奴だ……だが、私は平穏とは対極の存在だ。今の貴様では到底、無理だな。悪を滅しに来る阿呆はどうする?」
「兄さんに殺させます、兄さんの従者に殺させます。私の従者が守ります、私が……私が、くッ」
絶えるように呻いたのは、射精を耐える為ではない。
弱者の自分にそれをささやく事は許されないからだ。
涙が零れ、顔を埋めていたエヴァンジェリンの首筋から離して俯き歯を食い縛る。
どのように乞われ、責められようとできないものはできない。
「悪が簡単に涙を見せるな」
その涙を舌先で舐め取られる。
何時の間にか、エヴァンジェリンはムドの上を跨ぎなおしていた。
再び腰が降ろされ、割れ目の肉に加えて尻肉がムドの竿を扱いていく。
対面座位のスタイルで、露となったムドの首筋へと牙を突き立てようとする。
「何かが欲しければ、持てる者から奪い取れ。私が欲しければ、持てる者から奪ったモノを使え。それこそが、貴様の力だ。そして、ここもな」
首筋に噛みつかれると同時に、割れ目と尻肉を割り続ける竿の先をスカートごとつかまれた。
滑滑の肉を通り抜けた先に、比較対象からすれば目の粗い布地に迎え入れられる。
半球を造った手の平が布越しに包み込み、キュッキュッと擦られた。
上からは血を抜かれ、下からは精液を抜かれそうになりもはやムドは限界ギリギリであった。
「え、エヴァンジェリンさん……私、もう」
「もう、少し。私も、もうイク。ぅっ、ぁぁ」
弓なりにした体を上下させ、竿の滑り台に割れ目を滑らせる。
滑った先に待つのは、キュッと締められた尻肉と終着点のスカートと手の平だ。
何時果ててもおかしくない状況でありながら、ムドも歯を食い縛って耐えた。
代わりに、エヴァンジェリンの腰を掴み取り、腰を上下するのを手伝う。
自分だけでなく、ちゃんとエヴァンジェリンもイけるように。
「イク、もうイクぞ。しっかり搾り取ってやるから、思い切り出せ。貴様の精液で私を汚してみろ!」
「グァ、出る。グアアッ!」
「くぅぅぅぁんっ!」
スカートの中に遠慮なくムドは精液を吐き出した。
吐き出しながらも腰は動かし、エヴァンジェリンの尻や割れ目の入り口に塗りたくっていく。
何時か必ずそこへ辿り着く意思表示のように、マーキングしていった。
エヴァンジェリンも大きく天井を見上げながら体を仰け反らせて果てていた。
いつぞやの茶々丸との自慰や、足でムドを苛め抜いた時とは全く異なる。
満たされた快感が体を駆け抜け、スカートや陰部が精液塗れになっても気にならない。
むしろもっとと、自ら求めてまだまだ熱く硬いムドの竿に割れ目を擦りつけた。
「もっと、もっと悪に染まれ。そして、何時か私を犯しに来い。貴様は、約束を破るなよ」
「何時か、本当に何時か……貴方を私の女にします」
私の女という台詞に、エヴァンジェリンの体が打ち震えた。
それをムドも感じて、早速とばかりにお互い意志の疎通もないまま第二回戦へと突入していった。
-後書き-
ども、えなりんです。
まあ、ここのエヴァはこういうものだと諦めてください。
表向き、学園長に罰はなし。
ムドにとって断罪より脅しによる利用の方が利益ありますから。
下手に弾劾してから野に放つと、本当に暗殺されかねませんし。
次回はほったらかしだった亜子回、まだ軽めですが。
それでは次回は土曜です。