興味があるのはよくわかる。
アニメの異性にしか関心を示してこなかった愛妹が、初めて自宅に連れて来たオトコ、それも両親がいないときに連れて来たオトコだ。
「…………」
「…………」
値踏みするように“じろじろ”と見られても、お互い様だし不快とは感じない。
ましてやこっちは女子大生の彼女と比べたところで、ぎりぎり同じ二十代のカテゴリーではあるがおっさんだ。
さっき聞いたばかりのまどかちゃんの話では、今日は家族は誰もいないということだったが、これは忘れ物でもあったのかもしれない。
タイミング。
真っ赤な顔で挙動不審気味に妹がドアを開けたのと、姉が靴を履き終え出て行こうとするのはぴったりだった。
「どうも」
「どうも」
それこそ漫画みたいに“ぴきんっ”と音をさせて固まる妹を尻目に、軽やかに手を上げて初対面の挨拶をする姉と俺。
「御堂まどかの姉のひとみです。どうぞよろしくデスデス」
「島田誠です。こちらこそ、どうぞよろぴくお願いします」
もっともそれなりに二人ともパニクッてたようで、あとから冷静になって考えてみると、なんだかトンチンカンな挨拶を交わしていた。
ちなみに、
本人がこうして丁寧に自己申告をしてくれなければ、ぱっと見だけで彼女を、まどかちゃんの姉と断定するのは非常に難しい。
なんせ背の低い童顔のメガネっ子だった。
ヘアースタイルもボーイッシュなショートで、まどかちゃんの流儀に合わせるなら、『ぼくねぇ』とか言ってもらいたいタイプである。
けれどリアルでぼくっ子が居たら、それはそれで大概引くと思うけどな。
「お、お、おお、お姉ちゃ、――お姉さん。た、確か、きょ、今日は、よ、用事があって、い、家に、いい、居ないんじゃなかったの?」
「いや~~、虫の知らせというか風の噂というか、お姉ちゃん猛烈な胸騒ぎに襲われちゃってさぁ」
「……胸騒ぎって」
「唐突に思い出したんだけど、昔、あんたの部屋に足繁く通っていた、え~~っと、光ちゃんだったけ? あの娘いまどうしてるかな?」
「都立を受験したって聞いてるけど」
「あんたたちっててっきり、あんまり世間的にスタンダードじゃない、そういう関係なんだろうと思ってたのよ」
「そ、そういう関係って、ど、どういう関係なのよ?」
「良かった良かった。安心安心。あたしは応援してあげるけど、世間様の目はまだまだ厳しいからね。――カノジョじゃなかったんだ?」
「そんなわけないでしょっ!! 光ちゃんとあたしの関係は純粋なのっ!!」
「うん? BはいいのにGは駄目なの? ノーマルな属性のあたしには、そんなに変わんない趣味だと思うけどなぁ」
「まったく違うものにキマッてるでしょっ!!」
「そうかなぁ? う~~ん。ま、そこはともかくとして――」
ああ。
姉妹というか兄弟の掛け合いというのは、やっぱりこういうのがベタだったりするのかな。
全然羨ましいとは思わないけれど、微妙には憧れるかもしれんね。
「いい歳してBLにハマッていたオタクな妹のまどかが、大人な階段を上るその場面に、姉として立ち会ってみたいというか」
「立ち会わなくていいのっ!!」
「一度体験しちゃえば、あとは回数を重ねていくだけだけど、何事も最初が肝心だから、姉としてしなくていい心配までしちゃうわけよ」
「だ、だから、そういう心配いらないんだってばっ!!」
「…………」
いらないのかぁ。
期待していた肩はまどかちゃんの後ろで、こっそり密かに下げたつもりだったのだが、どうやらしっかりと見られたっぽい。
これがシスター・アイ
「でもオトコはヴァージンってだけで、理性のリミッター外れるんだよ? ケダモノって言葉はきっとこのときのためにある言葉だぁね」
言いつつひとみさんは携帯のストラップを“くるくる”と、指先で器用に複雑に回しながら俺を窺っている。
なんかその眼鏡の奥の瞳がオモチャで遊ぶ子供のように“にやにや”していた。
兄や姉が弟や妹にする特有のやつである。
俺も含まれそうで怖い。
年下なのに自然と『ちゃん』ではなく『さん』をつけたくなる。
この力関係はお互いが成人するまで、ほとんどのご家庭で変わらない。そこで見直しがないようならまずは一生変わらない関係だ。
「余計なお世話なのっ!! 二人っきりだからってコーチがそんなことするはず、…………ないでしょっ!!」
うん。
まどかちゃんは声のボリュームだけは最高潮にでかかったけど、歯切れがなんとも悪く最後はほとんど逆ギレと大差ない状態である。
要するにこの娘もちゃ~~んと、その辺りを意識してくれてるんだなぁ。
ここまで堪えていたが思わずでにやけてしまう。
「…………」
「…………」
同種の笑みを浮かべているひとみさんと、眼と眼がばっちし引き寄せられるように合ってしまった。
なんだかこの人とは上手くやっていけそうな気がする。
アイ・コンタクトはほんの一瞬ではあったが、それだけで充分なほど深く分かり合えた。――かもしれないようなしれなくないような。
「優しくしてね」
「もちろんだよ」
まどかちゃんを押し退けて(人間の力って体格だけじゃない証拠だ)ひとみさんは小さな手を差し出してくる。
俺はその小さな手を何の気もなしに、やんわりと握ってシェイク・ハンドした。
「あ」
なのですぐに気づく。
ビニールシートに包まれている丸い輪っかみたいなアレな感触に、俺だって大人なんだし使用経験もあるしオトコな責任とか考えるし。
感動。
それは大切だがその場のノリだけでヤッてはいけない。
昨今はデキちゃった婚などとさらりと言う。
しかし世間は大きな声で言わないだけで、それを二人の愛情の結晶でなく、欲望の成れの果てとしてしか見てくれないのが現実だ。
ダイレクトな接触がそりゃいいにキマッているが、ラバーなワン・クッションはやはりどうしても必要である。
ナマはパパと呼ばれる覚悟ができてからでも遅くはないはずだ。
ご利用は計画的にである。
「優しくしてね」
「していいの?」
「……何の話?」
「オタクな趣味の妹はあっち行ってな」
「アダルトなトークだから黙っててね」
固く固く握手を交わしながら、空いている方の手で俺とひとみさんは、会話について来れないまどかちゃんを強引に隅に押しやる。
リハなしのわりには悪くないコンビネーションだった。
相性はともかく馬は合う。
まあ、隅といっても豪邸というわけではないので、物理的な距離では近いのだが、精神的には俺とひとみさんは遥か遠くで話していた。
無論、
「まったくなんなのよ……、初めて会ったのに、妙に仲良くしたりして」
何度も言うがあくまでその距離は精神的なものなので、まどかちゃんの小さな呟きも聞き逃すことはない。
しかし、
俺とひとみさんは零れそうになる笑みを無理やり引っ込めると、真面目な顔を作る、――のに失敗してエロさ爆発でにやけてしまった。
だらしない顔ではあるのだが、もしもオンナに生まれ変わるのなら、俺はひとみさんみたいなこういう顔で笑いたいね。
「じゃ、頑張って」
「うん。頑張るよ」
ゴムの輪っかを有り難くさり気なく受け取る。
最後に親指を“びっ”と立てると、ひとみさんは颯爽と男前に去っていった。
「なにを頑張るのよ?」
「ナニを頑張ろうかと」
「はあ?」
まどかちゃんはまだクエスチョンを投げかけてはくるが、それには気づかないふりをして、俺はそそくさと靴を脱ぐと三和土を上がる。
ラインを破ってしまおうか。
そうあっさり考えたりする自分が嫌いだが結構好きかもしれない。
どうしてもどうあってもしようとは思ってないが、そういう雰囲気ならばしてもいいのでは、とレギュレーションに修正が計られてた。
…………
はぁ~~。
まったくこのオトコには毎度毎度で芯がない。
甘いものを食べ過ぎた抜けかけの、虫歯みたいに“ぐらんぐらん”だった。
隣りに住んでいるツンデレな幼馴染と、巨乳でロリな義理の妹に、同時に告白された高二の夏くらい揺れている。
無口でクールな保護欲くすぐる文学少女や、高ビーだけど本当は淋しがりやなお嬢様でも可だ。
ルール。
それは破るためにあるという人がいるが、守れない人間のいいわけにしか聞こえないのは、なにも俺だけじゃないだろう。
あれは守るためにあるんです。
「お姉ちゃんとなにを頑張るのか知らないけど、わたしのサポートもしっかり頑張ってよ、コーチ」
「オーケー」
そうだそうだ。
間髪入れずに親指“びっ”と立てて応えたものの、今日はそもそも何のために呼ばれたのか、このときになってやっと俺は思い出した。
テスト期間中まで書いていたまどかちゃんの同人活動(そんなだから追試なんだと思うが)を今日は手伝いに来たのである。
ネコの手も借りたいという状態らしい。
が。
なのにあらゆることで、高スペック持ちの洋子の手を借りたりしないのには、もちろんでちゃんとしたわけがある。
修羅場も山場らしく一番苦しいところにどうも差し掛かっているようだが、内容が内容なのでさすがに友だちには見せられないようだ。
ここまでいってしまえば誰でもわかる話だが、平たくいってしまえば所謂エロ同人なわけである。
あんまり友だちに性癖を知られたいという人はいないはずだ。
花も恥らう女子高生なら尚更である。
で。
まどかちゃんが尊敬するリヒターさんが何気にバラさなければ、更衣室の彼に手伝ってもらえばと言わなければ俺も今日は来ていない。
このままのペースでは確実にオトしそうなのは、尊敬する彼女のサークルにゲストで呼ばれたイラストのようだった。
おそらく、
リヒターさんからの依頼はまどかちゃんにとって何にも変えられない名誉である。
普通だったらできないものはできないで、誠心誠意『ごめんなさい』だが、更衣室ぐちゃぐちゃにしちゃったよ事件の負い目もあった。
と。
まあ、
そうなるとである。
島田誠(27)も御堂まどか(17)の立派な共犯者、というよりもむしろ、完璧な主犯格なので彼女の提案には否も応もない。
幸いにも俺には学生時代に消しゴム掛けのバイト経験があり、仕事の関係もあってまどかちゃんよりはパソコンも使える。
漫画家さんのアシスタント、ADとしての能力は一通り備えていた。
「こっちよ」
今日も今日とてゴスだかピンクだかの、ド派手な服を着ているまどかちゃんの後を追い、玄関からすぐの階段をとてとてと登っていく。
まるっこい字体で書かれたネームプレート。
当たり前だが『まどかのおへや』と書かれているそのドアが、残念ながらファッションのセンスがあんましない少女の部屋なのだろう。
「…………」
ここまで来ておいてというか、この期に及んでというか、年甲斐もなく今更ではあるのだがちょっと緊張してきた。
オンナの部屋に初めて這入るときというのは、いつになってもいくつになっても構えてしまう。
両親という最大の難関を早々にクリアしてしまったためなのか、自然とリラックスしちゃってたけどドキドキイベントは終わってない。
「飲み物でも持ってくるわ」
「お構いなく」
「部屋の中のものは絶~~対に触らないでねっ!! 特にそこにある本棚とかは絶対に駄目だからねっ!!」
「え~~っと、それは触ってくれという、前ふりだったり?」
「……さ・わ・ん・な・い・で・ね。とにかくすぐ戻るからテレビでも観ているか、う~~ん、そこの本棚なら見てもいいから待ってて」
「あいあい」
「あいは一回っ!!」
言ってまどかちゃんは若干俺を疑いの眼で、“ちらちら”と何度も見つつ、お客に出す飲み物を取りに足早に階段を下りていく。
残された俺は絨毯に腰を下ろすと、部屋をぐるりと改めて見回した。
ところどころ真新しいというか綺麗というか、壁にそういうぽっかりした部分があったりする。
正方形の四角いスペースだ。
きっとそこには好きなアニメのキャラクターのポスターでも貼ってあったんだろう。
「いいのに」
これからエロ同人のお手伝いをしようという相手に、アニメのポスターが貼ってあるのを見られるくらいは今更なんでもないのでは?
と。
そんな風に考えてしまう俺はまだまだで、乙女心というか少女心というかが、おそらくわかってはいないんだろうね。
他にもあっちこっちに着工は昨晩ではないかと、推理したくなる突貫の大掃除な跡が見受けられた。
如何にも小学生の頃から使っているっぽい学習机の上は、ものは多いわりにびっしりと、規則正しく整理され過ぎているのが嘘っぽい。
逆に、
普段はあの辺ごちゃごちゃなんだろうというのがひと目でわかる。
まあ、でも。
ファンシーなキャラもののベッドを、我が物顔で可愛いヌイグルミ群が占拠して、小さいけれど雑多な王国を築いてはいた。
御堂家の次女が寝起きしている六畳間には、明らかに許容量を超えている物が溢れている。
しかしさすがに食べ物や洗濯物とかが散乱する、部屋全体がゴミ箱みたいな、ワイルドを勘違いした男の一人暮らしの汚らしさはない。
不思議といい匂いがする。
片付け忘れたのか部屋の隅っこにファブリーズがあるが、それだけでこんなにドキドキさせる香りは出せないだろう。
パンジーの鉢とか淡いピンクのカーテンとか壁紙とか、女の子じゃなかったらまず有り得ないもんな。
「どれ」
俺は少女の少女らしい部屋に感動している、その激情をそのままにして、NGゾーンにイキたいのを堪えて絨毯にうつ伏せになる。
まどかちゃんのあの『さ・わ・ん・な・い・で・ね』発言はフェイクとみた。
眼を離すと熱心にガサ入れを開始しそうな俺の注目を、意図的に集めるためのコメントだったんだろうがそうはいかんね。
「これか?」
案の定というかどういうかベッドの下には無造作に、俺の胸をドキドキさせてくれそうなブツがあった。
本が二、三冊積んである。
「…………」
けれどここで俺は決して焦ったりはせずに、一度意識を鼓膜に集中させて耳を澄ませた。
階段を上がってくるまどかちゃんの足音はない。
手を伸ばす。
俺はなにをしているんだろうと、ほんの一瞬だけ冷静になりかけたが、またほんの一瞬でエロい衝動に引き戻されて手を伸ばす。
期待に無闇なほどハードル高く胸膨らませて、本を“えいやっ”とベッドの闇から明るい日の下に引きずり出した。
わくわくと。
が。
「…………」
残念ながらそれは俺が邪に妄想してたような、毎夜皆が寝静まるのを待って、少女がこっそり思春期のリピドーを慰めるものではない。
背表紙を見ただけでもわかる、オーソドックスでポピュラーな作りの、どこでもあるなんのことはないアルバムだった。
「……ふむ」
勝手にしといて非常になんではあるが、予想というか妄想は、それはもう完膚なきまでに裏切られている。
しかし、だ。
期待まで裏切られているかというとそうでもない。
アルバムというのはある意味では、なによりも雄弁に物語ってくれる人生の履歴書だ。
少女チックに言えば思い出の宝箱かね。
見れば言葉以上にその人のことががわかる場合がある場合もある。――半分は覗き趣味を誤魔化すためだが残り半分は本音だ。
ページを開く。
「お?」
中学時代のものだろうか。
まだ着ている制服がブレザーではなくセーラーだからそれとわかるが、このときからまどかちゃんの容姿は大人っぽかったようである。
というよりも、このときの方がいまよりも、写真越しの印象ではあったが、いまよりも大人っぽい雰囲気を持っている気がした。
微笑んでいてもどこか隙がないというか、なんだか随分と張り詰めているような感じもする。
人は簡単に変われるという説と、簡単には変われないという説が、相譲らずで同じくらいの説得力で存在するがどっちが正解だろうか。
まあ、
「二択で答えが出る問題でもないけどな」
どこかにいる『見た目は子供、中身は大人』とのたまう名探偵は『真実は常にひとつ』とも毎週断言している。
が。
んなことを恥ずかしげもなく言い切れてしまう段階で、あの子は見た目も中身もアダルトではなく未成年なチルドレンの証明だ。
盗んだバイクで走った次の日は、親と一緒に警察に行く身分である。
数字は数字でしかないが、ティーンで大人って、世の中ナメとったらあかんぜよっ!!
と。
そうやってわかってないのにわかったようなことを、見た目でも中身でも独りごちって次のページをめくる。
…………
そして眼を奪われた。
なにかまどかちゃんはスポーツをやっていたろうと思っていたが、なるほど予想は裏切っても期待は裏切らない少女である。
どうやら趣味というレベルではなさそうだった。
それは写真の中で演技している凛とした、まどかちゃんの表情が教えてくれている。
「新体操、かな?」
それがたとえどんなスポーツであれ、真摯に取り組んでいるアスリートに失礼な話ではあるが、白いレオタードが穢れた眼には眩しい。
俺にはなに倒立というのかもよくはわからんが、平均台の上でまどかちゃんは、両足を開いてバランスを取り逆立ちをしていた。
ため息を吐くほど美しい。
採点方式の競技というのは個々人の主観というか、好みで勝敗が分かれるが、美しいかそうでないかには知識も説明も要らないだろう。
さらにそれがエロいかどうかにも知識や説明は要らない。
カメラマンはどこか狙っていると思う。
芸術性も採点の基準になる競技では、色気というかエロスを、下品にならないよう感じさせるかどうかも重要だ。
うん。
おっさんのリピドーに写真の少女は“びしばし”と訴えかけてくるな。
そいでもって、
「……器械体操よ」
夢中で中学生のレオタード姿を追っていた俺が、お盆を持って立っている少女に、気づかなかったのも知識や説明は要らないだろうね。
サイレント・ウォークは少女たちの所持している、固有のスキルなんじゃないかと思う今日この頃だった。
「よく見つけたわね」
言いつつまどかちゃんはお盆を机に置き、ジト目で俺を睨んで、というほど鋭くはないが、詰問するような視線を送ってくる。
当たり前の話だった。
これが隠してあったのか仕舞ってあったのか、あるいは放置してあっただけかはわからんけれど、引っ張り出すのはマナー違反である。
さらに、
「いや~~寝っ転がったらさ、偶然これが眼についちゃって」
こうやってセコく嘘をついているあたりが、オトコとしても人としても、ちょっとどうかと思うくらい最低だった。
けれど、
「いいけどさ」
まどかちゃんは俺に特に怒る様子もなく、腰に手を当ててアルバムを覗き込んでくる。
一瞬だけ“ちらっ”と『さ・わ・ん・な・い・で・ね』の本棚を見た。
表情だけで“よしよし”と頷いてるのがわかる。――どうも考えすぎてたというか、惜しいことに発言はフェイクではなかったらしい。
残念。
少女のネタを見る折角のチャンスを無駄にしてしまった。
「これでも昔はオリンピックの強化選手候補、の候補になるくらいには名の通った選手だったのよ」
「へ~~」
「まあ、さすがにポジションが微妙すぎて、自慢する気にはならないけどね」
「そんなことはないだろう……。たとえ候補の候補だったとしても、一般人とは見てる世界感じてる世界が全然違うんじゃない」
「そうかしら?」
「絶対そうだよ」
それこそ昔だが甲子園出場校チームの万年補欠とキャッチボールをしたことがある。
加減してもらっても返ってくるボールが段違いだ。
速いとか遅いとかではなく、受けたボールにはずっしり感がある。
想いは重い。
巧いことを言おうとして失敗した感は否めないが、上を目指してた人間とそうでない人間には、きっと違いがあるのだろうと俺は思う。
まして日本代表が見えていた位置まで上ったことがあるなら、それはもう充分以上に自慢していいはずの実績だ。
ええ。
金メダルを狙っていたというのならば、あの神々しい美しさとエロさも頷けるというものです。
「まどかちゃんのしてきたことは、もっとガンガン自慢していいことだ」
「……そう。コーチがそういうなら、コーチがそういってくれるなら、これからは少しだけ、ほんの少しだけ自慢することにするわ」
「イッパイしていいのに」
「できたらそうするわ。さ、それじゃもう時間に余裕がないんだし、いつまでもアルバムを見てないで、ちゃっちゃと始めちゃいましょ」
「おう」
元気よく応えたがもっともっと眺めていたい。
満足そうに“にへら~~”とだらしなく微笑んだ顔を、明らかに頑張って“きりり”と、引き締めてる少女は堪らなく可愛らしかった。
で。
それから四時間。
自慢するわけではないが俺の見事にナイスなサポートもあって、なかなかここまではいい進行状態できていたのだが、
「う~~ん」
まどか先生は最後のラスト一枚は唸ったっきりで、たまに書き殴っては唸ったっきりで、筆がまったくといっていいほどに進んでない。
後ろからどれどれと覗こうとすると『気が散るから見ないでっ!!』、と怒鳴られしまうので俺はまたアルバムに魅入ってた。
「…………」
借りられねぇかなぁ、これ。
レオタードってこんなものだろうというイメージはあるが、実際こんなじっくり見たことはなかったので新鮮なインパクトなのである。
こうして見るとレオタードってエロいんだなぁ。
この色を求めるのは、おっさんになった証明なんだろうけども、清純派な象徴の白ってのがまたいいよね。
青とか緑とか赤とか黒も、無論捨てがたいが、どんな色にも染まる白は再評価だな、無性に汚したくなるというかエロに直結するのだ。
「あ~~ん、もぅ~~、駄目だぁ!!」
「そうかなぁ、って、ああ、イラストの話か。んで、一体なにがどう駄目なのさ?」
「……リヒターさんに求められているものが、こんな風に書いてってリクエストされてたものが、いまんとこ一枚も書けてないのよ」
「うん?」
背中を向けたまま手だけ“にゅっ”と出して、まどかちゃんは大事そうにして一枚のイラストを見せてくれる。
手に取るまでもなく『なるほど』と、俺はひと目見ただけで合点が言った。
その画は単純にまどかちゃんより技術が高いとか、書いてる人が慣れてるというのもあるが、そういうのを抜きにしても伝わってくる。
一言で表すならこう。
んまぁ~~、エロいことエロいことっ!!
技術がどう経験がどうよりもまず、書いている人の滾り迸る熱い激情を肌で感じさせる画だった。
「これさぁ」
「ええ。リヒターさんが貸してくれたサンプル・イラストよ」
「……どうりでねぇ」
などとわかったようなコメントはしてみたものの、俺はリヒターさんのイラストを見たことなど一度たりともない。
が。
まどかちゃんが尊敬するだけあって、このぐらいは書くだろうという、ある意味予想の範囲内ではあったがやはりさすがの出来栄え。
そして、
改めてまどかちゃんの書いたイラストを見てみると、似せようとする努力がところどころに窺えてた。
「リヒターさんの画じゃハードルが高すぎたわ」
「う~~ん、いや~~、そういうことじゃ、これはないんじゃねぇのかな?」
「じゃあなによ?」
おでこに疲れを滲ませつつ、不機嫌に口を尖らせながら、まどかちゃんは椅子を傾けて、俺に拗ねたような視線を送ってくる。
くっそう。
少女って生き物はどんな風にしてても反則で可愛いよなぁ。
「あくまで素人が思うになんだけど、画が上手いかどうかだけだったらさ、リヒターさんよりも上手い人はいくらでもいると思うんだ」
「……そうかしら」
お?
尊敬している人を馬鹿にされたとでも思ったのか、少女はおでこの赤を濃くして、ちょっとだけ“むっ”とした顔をしている。
わかりやすい娘だ。
いいね。
なんかいいね。
「けどなんか篭ってるものが違うというか、このイラストには技術だけじゃでない色気、――ぶっちゃけちゃうとエロがあるんだよね」
言葉を取り繕って『色気』と最初は表現したが、ここは誤魔化すところではないので『エロ』と言い切った。
それに『色気』と『エロ』は微妙だが別の物だしな。
「ラッセンっていう画家いるじゃん。あのやたらとイルカを描きたがる、インチキなサーファー崩れみたいな奴」
「いるわねぇ」
「あいつが全裸のオンナを流行の技術や流行の構図で描くよりも、ダ・ヴィンチが描いたちょとしか肌を見せないモナリザの方がエロい」
「……はぁ」
少女が若干ついてきていない気配を感じるが、俺は構わずで持論をこの際とばかりにぶちまける。
というかこんなこと考えてたんだと、自分の言葉でしゃべってはいるのだが、自分の言葉に驚いている自分もいたりした。
他人だけでなく自分自身だってわかるのは、半分が精いっぱいなのかもしれない。
…………
ってか語るなら整理して語れよ。
「それは何故かといえば画家というより人間の本質が違うからだな。ラッセンは商売だろうけどダ・ヴィンチは趣味で描いてるね」
「……うん」
「ラッセンはああ見えて社会の歯車にも成れるまともな人間だろうけど、ダ・ヴィンチは絶対そんなことができないド変態に決まってる」
ああ。
言っとくけどまるでわかんないです。
歴史的な事実とか一切。
ラッセンがマイケルも逃げ出すガチなショタコンの可能性もあるし、ダ・ヴィンチがみんなから慕われてた紳士な可能性も大いにある。
それでも俺が彼らの絵画から感じる印象は揺らぐことなく、ファンキーを気取った常識人と賢者の空気漂うド変態だった。
というわけで、
「まどかちゃんのは綺麗にまとまってはいるけどエロくないんだよ。リヒターさんのイラストはところどころ雑な部分があるけどエロい」
論点が大幅にズレかけているので元に戻そう。
「同人もお金が発生してるんだから、商売っ気がゼロってわけにはいかないだろうけど――」
おでこな少女は“やっと本題になったか”とでもいいたそうな顔をした。
さっきまでは聞いてはいても右から左に、ムーディに受け流していたのはありありだったのである。
結構現金だ。
それが少女の魅力だけれど。
「プロじゃないんだから自分の妄想が第一でいいと思うよ。もっとこう上半身じゃなくて下半身でエロは考えないと駄目じゃないかなぁ」
「か、下半身って」
まどかちゃんの赤色がまた一段“ぼっ”と音をさせつつ鮮やかに濃さを増した。
見逃さない。
編集者のようにしてまどかちゃんのイラストと、リヒターさんのイラストを見比べてたが、俺がマークしていたのは少女の視線である。
なんだかえらそうにエロを語るオトコが、“びんびん”に勃起しているのを、少女が認めたのを見逃してはいなかった。
「今日この家で俺が一番勃ったのは、やっぱりこれなんだよね」
しかめっ面で二枚の対照的なイラストをテーブルに置くと、俺は飽きもせずに鑑賞していたアルバムの一枚を“トントン”と指し示す。
わざわざ言うまでもなく中学生時代の、色気たっぷりにエロいレオタードなまどかちゃんだ。
「…………」
「…………」
「……よし」
「……え?」
変な空気を突然作られ呑まれたのか、指先を眺めたまま黙り込むまどかちゃんを尻目に、俺はテーブルを壁際に“ずずぃ”と押しやる。
とりあえずスペースを確保。
飛んだり跳ねたりはしないので、まあ、これでも演技ができないことはあるまい。
オーケーだ。
充分以上に少女のエロさを発揮できるだろう。
「……よし」
「……え?」
「レオタードになってみよう」
「……え?」
少女のキョドッてる瞳を逸らすことなく見つめながら、根拠はないが力強く頷く俺に、まどかちゃんは三回目の間抜けな返事を返した。