――ラナは恋をしている。
二度目の恋。初恋はあの赤い夜に潰えた。それとも一度目は告白を受け入れただけで、これが本当の初恋なのかもしれない。
今夜は、強くそう思う。
「……っん……」
熱くて、口付けは柔らかい。ファンの舌が歯をノックして、開いた隙間から忍びこんでくる。
大人のキス。最初はそんなキスがあることも知らずに、驚いたけれど。
今はもう、返せる。応えられる。動かし、くちゅりと粘ついた音が口の中で響くのは、何だか卑猥な感じがした。
「あんまり…………長く、いられない」
首筋に舌を移し、結び目を解きながらファンが囁く。
「まだ、孕んで…………ない?」
「……生理、ちゃんと来た………っあ」
直截な言葉に頬を赤らめ、耳の中を舐められたせいでピクリと反応する。
「…………残念」
踝から抜かれたワンピースがベッドの脇に放られた。俎上の魚みたいに寝かされた態勢で、上着とシャツを一緒くたに脱ぎ捨てるファンを仰ぎ、わ、と目を見開く。
「凄い。……引き締まってる」
「…………鍛えた」
修業に行く前から筋肉は付いていたが、こんな研いだ刃のような印象はなかった。隆々としているのではなく、シャープになった、と言うのだろうか。
「さ、触っていい?」
「…………」
肯定の気配があり、妙に緊張しつつ、心持ち身体を持ち上げ腹から胸へと手を這わせた。お腹の割れ目から鳩尾を通り、張りの出た胸筋に手の平を押し当てる。堅い男らしい感触にドキドキして、確かめるように繊細な指先を何度も往復させた。
ファンがくすぐったそうに身をよじり、はっとなって指を引っ込める。少しだけ、夢中になっていた。
肩を押されてラナはベッドに倒れた。肘と膝で体重をかけないよう注意して、ファンがその上に覆いかぶさる。見つめ合いは数秒、口付けと一緒に、ファンは右手を肌着の下に差し入れた。
「ぁ……ん」
薄布の下で、ファンの指が蠢く。左手でラナの首を支え、右手は滑らかな柔肌を登っていく。下腹を手の平全体で撫でた後、親指がへその穴をくすぐり、他の四指が脇腹をなぞって上への道を探した。その間も唇は仕事を忘れずに、舌を駆使して、まだ慎ましい喘ぎ声を喉奥へ唾液とともに送り返す。まだ始まったばかりであるにも関わらず、少女は総身を震わせて、途切れのないキスと愛撫に早くも蜜を滲ませていた。
先刻、別の男に襲われかけ、自決を宣言したことが拍車をかけているのかもしれない。本来無味の唾液に甘さを覚え、止め処なく流し込まれるそれをむしゃぶるようにしながら、五感とは別の部分で無意識に思う。
例え死体であろうと愛しい少年が大事にしてくれることは間違いない。こうして全身にその体温を感じる今、抱いた確信は一層強くなっている。だけどそれとこれとは別として、生きていなければこの温もりを感じることができないのも真実なのだ。
それは、怖い。
そんなの、嫌。
死んでしまえば膨らみの増した胸をまさぐられる柔らかな快感を味わえない。肌着や下着を脱がされる恥ずかしさを抱けない。ピンと勃った胸の頂を含まれる感触も洗い清めた肌を這いずる舌粘膜のじっとりした心地よさも感じられない。
だけれど、他の男に抱かれるのはもっと嫌。
「や……あ、ああ……! んんっ、ぁ!」
「…………もっと、淫れて」
服の一枚も残さず剥ぎ取ったラナの秘裂に顔を埋め、舌を使いぴちゃぴちゃと音を立てながら穴襞を掻き分ける。いや、あっ、と押しのけようとする手はすり抜け、左右の太ももを抱えるように固定し、さらに奥へと舌を伸ばす。否、それは比喩ではない。邪魔な皮膚と肉を透過して、ファンは実際に膣道へと舌を這わせた。
届くはずのない範囲にまで舌のぬめりが及び、ラナの裸身が大きく反り返る。あ、あ、と声にならない喘ぎを漏もらし、法悦が限界まで脳を犯したところで、糸が切れたようにベッドへ落着する。
「…………大丈夫?」
荒い息を吐くばかりで身じろぎしなくなったラナに、事をなした張本人が聞いた。呼吸が何とか収まりを見せた頃、薄目を開けたラナが、小さくこくんと頷く。
もう少し待った方が良いかもしれない、とファンは思った。思っただけで、それは実行されなかった。もう待ち切れないというのが、正しい。
下半身を覆っていた物をベッドの外に落とした。自然、それは大きく仰角を上げ、ラナの前に充血した己を誇示する。
あ、と一瞬、畏れにも似た声をもらす少女。その目が恐怖とも喜びともつかぬ感情で染まり、硬く尖ったそれに注がれる。
「……待って。休ませて……」
「…………」
ラナの懇願に沈黙を持って答え身を進ませる。や、と少女が呻き、横に転がって少年に背を向け、うつ伏せのまま肘を突いて逃げようとした。快感に脳が痺れているのか、さして広くもないベッドの上で、どこに逃げようというのだろう。
「あ……」
ぐいと腰を引っ張られ、ラナは膝立ちを強制された。肘と膝で、全身を支える格好になる。自ら割れ目を捧げるようなその体勢に気恥ずかしさを覚えたのも僅か、潤い濡れそぼった秘所に灼熱の棒が押し当てられ、幾度か経験した悦びの予感に全身が緊張した。
「あ、ああっ……!」
閉じた花びらの奥にゆっくりと茎が差し込まれる。襞の一枚一枚をこすりながら、ラナの膣を一分の隙なく埋めて子宮に迫り――入り口までは届かず、止まる。正常位ではないため若干浅く、しかしいつもと違う場所をこすられて、ラナの両手がシーツを握りしめた。
「っ……ん。…………ラナの、中」
ファンもまた、二カ月ぶりの交わりに小さくくぐもった息を吐く。少女の膣は濡れて滑らかなのに、飴のように張り付いてくる。
込み上げる射精感をこらえた。
すぐに出してしまうのは、もったいない。
ゆっくりと腰を引き、ファンは己を引き出す。切なげな声音がラナの喉元から聞こえ、間を置かずにず、ず、と突き込む。
「は……っあ、や、ぁんっ、……や、ぁあ……!」
くちゅ、ぐちゅ、と淫猥な音が響いた。発生源は二人の性器。愛液が飛沫を散らし、シーツに染みを作る。自らへ引き寄せるように腰を打ちつける少年は、やがて満足いかず繋がる少女の腰を掴んだまま、倒れるようにベッドへ尻を着ける。それに引きずられ、上体を起こした少女は、あぐらをかいた少年の膝に座る形で。
「あ……ファン……? あっ、ぁ、ん!」
下から上に、貫く姿勢が変わる。どれだけ触っても飽きることのない身体を膝に乗せ、うなじに浮いた汗を舐め取りながら両手は胸へ。柔らかくも硬い芯と将来性を残す乳房を、下からすくうように揉み上げる。
こりこりした乳頭を指で挟めば、きゅうっと膣が締まった。スプリングを利用した上下運動が一旦止まる。
「…………次、出すよ」
「……うん」
挿入したまま透過を駆使して、少女の身体をこちらに向かせた。対面座位。紅潮し、陶酔した様子の顔が、よく見えた。少女が視線を落とすと、足の間から自分に入り込む、相手の性器を目にできた。繋がる部分にそっと手を当て、瞼を伏せる少女の心中は、ファンには分からない。
「少し…………遅れた」
「何、が?」
くちゅ、と一度小さく出し入れすると、少女がは、と息をつく。くちゅりくちゅり、二度動かせば吐息も、二度。
「遅れた分…………良いもの」
「だから……は、ん……なに?」
静かな律動を続けながら、疑問符を浮かべる少女の耳に唇を近付けた。耳朶を甘噛みし、背中の敏感な部分に指を這わせ、感じ入る少女に不意打ちのように囁いた。
「ハッピー、バースディ…………僕の、恋人」
「――――!!」
弾けるようにこちらの顔を見ようとした少女の身体を押さえこむ。どうせいつもと寸分変わらぬ無表情だろうけど、なんとなく、見られるのは癪だった。
何事か――内容に予測はつくけれど、言い募ろうとした少女の言葉を封じるため、律動を再開。ベッドへ押し倒し、言葉を無理やり嬌声に変えられた少女の、非難めいた視線を感じつつ無視を決め込む。
「……っ」
過去一番の締め付けに精巣が急速に膨らみ、少女の胎内めがけて駆け上って行った。大量の白濁液を注がれた子宮の震えが少女の全身へ伝播する。
「ひぁ……! あ……あ……」
性感の頂、きっとそれは二人の幼く拙いセックスでは達し得ないことだったが、技巧はムードで補える。心が高揚すれば媚薬も必要なく、故に赤紫の少年は、雰囲気作りが上手すぎてタチが悪いと、後年、少女“たち”の間で溜息されることになる。
「で、意識が朦朧としてるうちに少年はまたもいなくなっていたわけか」
「…………」
翌朝。ずーんと落ち込む黒髪の少女を発見し、何があったと聞ける範囲で問い質したアゼリアは、モーニングコーヒーなど啜りつつ一言で纏めた。ラナはと言えば、机に突っ伏したままピクリともしない。不憫な。口にすると死者に鞭打つ形になるため、内心で呟くに留める。
「とはいえ、念願の恋人だろう。よかったじゃないかと賛辞してみよう」
「…………」
無反応。困った風情でアゼリアは頬を掻き掻き言葉を探す。
「まあ……あれだな。ラナ娘の説明を聞く限り、酷い少年だと非難してみよう。照れ隠しにも程がある」
「……照れ隠し?」
「だと私は思うが。個人的にはそちらよりも、ラナ娘が朝を待たず夢から覚めたことにこそ驚嘆してみよう」
「照れ隠し……照れ隠し……」
まるで聞いてなかった。机から顔を上げた少女は何度か口の中で繰り返し、にへら、と笑み崩れる。そして今度は怒った風な顔をして、寂しげな表情に戻り、考え込むような悩み顔へ。
恋する心は複雑らしい。アゼリアは一段落つくまで黙って見守ることにした。
ユメユメの実は、制限が多い。相手の精神へ干渉するのだから、ある程度制限がなければ逆に困る。能力者である以前にアゼリアは心療医なのだ。思うがままにメスを入れるのは、外科医の仕事と割り切っている。
接触なしに意図した夢を見せることは叶わないし、それすらアゼリア自身が考えた内容であるため、本人にとって正しく吉夢であるかなど把握しようがない。
役立たずでこそないが、使い勝手の悪い能力。唯一、他人の夢を覗く時には役立つ程度か。それとて診療行為の一環としてしか使わないが。
「……さん。アゼリアさんっ」
「む。どうしたラナ娘、もういいのか?」
「いいのかって……今呼んだの三回目ですよ?」
目の前の少女の指摘に、一つ瞬き。まだ昨夜の疲労が残っていたかと首を捻る。
「……ふむ。まあいいか。それで、少年とのことは折り合いがついたのか?」
「えっと……はい。多分」
「そうかそうか。具体的には、と興味津津に訊ねてみよう」
あくまで会話の流れとして尋ねたのだが、意外にも少女はちょっと照れ臭そうにしながら、しっかりと答えてくれた。
「――今度一回、耳元で大っ嫌いって言ってやります」
「…………」
「……冗談ですよ?」
冗談に聞こえなかった。
目を開けると生まれた時から知ってる顔。
「……何をしている、母」
「バカ息子にわざわざ膝貸してやってるんだよ。感謝しな」
「…………その歳で膝枕は恥ずかしくないのか」
「普通こういうもんはされる方が恥ずかしがるんだよ」
だからアタシはこれっぽっちも恥ずかしくない。イーゼルは断言し、色々と疎いカーツはそんな物かと納得する。声高に否定する意味も興味もなく、くだらない疑問よりも差し挟むべき質問がカーツにはあった。
「姫は」
「部屋で寝てるそうだよ、アゼリアが言うには」
そうか。
ならばいい。
「……事の顛末は聞かなくていいのかい」
「ただ一つ、事実があれば不要」
母親の膝に頭を乗せられたまま、カーツは開いた己の手を見つめる。
「――俺はフラれた。こっぴどく、悪夢のような形で」
だが、とどこか晴れやかな顔で、カーツは言った。
「俺は姫に理解された。末端であれ、断片であれ、理解を受けた。その上で、俺は俺を否定された」
充分だ。冷えた無表情で締めくくり、カーツは瞼を閉ざす。思考も閉ざす。
イーゼルはやや硬質な、自分とよく似た髪を撫でてやった。
「初恋は実らないもんだよ。良かれ悪しかれ、そんなものさ」
く、とカーツの唇が歪む。皮肉気に、あるいは愉快気に。
笑みを浮かべた息子にイーゼルの息を呑む気配を感じたが、彼にはどうでもよいことだ。
なるほど。もう一度胸中で呟く。なるほど。
俺は、失恋したのか――。
報告書、ではない。ドラゴンが司令官室でめくるのは、くまが届けたとある少年の日記みたいなものだ。
内容は何を何匹殺した、どうやって赤くしたなど、日記とは程遠い血なまぐさい文字だったが。
「……最初のページに、俺を殺したがってるタイトルを入れるのはどうなんだろうな」
仮想と付いてるだけましか。低く笑い。ドラゴンはページをめくっていく。
もう要らない。その一言でくまに預けられたらしい。インクなど一式揃えて返された。
「……いよいよか」
色々と諸条件が重なって昨夜はこちらに戻って来たらしいが、夜明けを待たずくまの手でエグザルに飛んだ。ここまで来たのなら顔ぐらい見せろと思う。
ノートは少年の性格を表すようにぶつぎれの単語で記され、読み解くのは少々難解だったが、逆に個性が出て下手な読み物より面白味があった。淡々とした中に、赤い狂気が透けて見え、時に隠れて消える。興味深い文章だった。
「二ヵ月……思いのほか、早かったな。しかし、ここからが最大の難所だ」
――がんばれよ。
ゆっくりと東の空に陽が昇る様子を眺め、ドラゴンは小さく激励の言葉を紡いだ。
そして。
「………………」
赤紫の少年は、傾斜角60度以上の断崖絶壁を常と変らぬ眠たげな無表情で見上げた。
ファン・イルマフィ。
登頂、開始。